8月5日は高律の0日設定。
いったいどんな日になるのだろうかというのはクラスタの興味の湧くところです。
そんな日が目前に迫っているので祭り気分のお話です。
二人は過去を乗り越えて行けるのかな?
過去をないことにしては先には進めないのに。
高律祭りその5
グリルの店の事を伝え遅い昼飯に誘うと、リツが興味深そうにしたので予定通りその店で食べることにした。
こういう老舗の店は、夜のコースとなると諭吉が何枚いるかわからないのだが、昨今の風潮でハレとケの概念が薄い若者には高級な店の敷居は『高い』というよりも『興味ない』という論外感があるようで、どこの店も存続には思うところがあるようだ。
この店は決して経営が危ういわけでもないのだろうけど、それでも視点を変えて老舗でも気楽に楽しめるランチを始めたということのようだ。
ステーキに使う部位の端などは、肉の味は変わらないのにどうしてもできてしまう口スの部分だ。
ランチでは、そのロスの部分を集めたハンバーグを売りとしたらしく、それはもっともで素晴らしい考えだと言えよう。
何より夜はステーキをがっつりでいいけど、昼はそこまで重いものも食べたいかどうかは微妙なところだから、ランチのハンバーグは評判を呼んでいる。
脳みその柔らかい後継者だったのかも知れないなとげんこつのように大きなハンバーグをレア気味に焼いたみっちりした肉の味に舌鼓を打った。
濃い味の野菜や伝統のソースなどはさすがに老舗らしく夜も昼も変わらない。
一見、技巧を凝らしたとは言えないレベルのそっけなさなのに、ありえないほど野菜の味は芳酵で、肉に負けずとてもすばらしかった。
「わー。美味しいですね!」
キラキラと目を瞬かせてリツは赤らめた頬のまま喜んでいた。
御曹司なのだから夜のディナーを食べていたっておかしくないのだろうけど、案外リツは外食をしない。
金持ちは外に行くより家に料理人を呼んで贅沢をするもんなのかと最近は思ったりもする。
昔のリツはレトルトなどは食ベたことがないと言っていた。母親がしっかり食事の管理をしていると思っていたけど、実は料理人が家にいたのかもしれない。
外で食べる習慣がないから買い食いもした事がないお坊ちゃまだったんだろうな…。
俺とのやり取りでは負けず嫌いな面が表に出ることが多いけど、本来のリツは決してがつがつはしていない。
リツのきちんとした所作と品の良い姿はとても優雅で、仕事でも七光りと揶揄されたりしなければ、今でも大好きなハードカバーの本をゆったりと作っていたのだろう。
俺との件がなければ今のリツはどんな大人になっていたのだろうか。
いつになくご機嫌なリツの顔を見ていると恋人と呼べないことが嘘のようにさえ感じる。
わんこかお前。
「アスパラのガーリックソテー、美味しかったですね。」
食事が終わってからもリツは余韻を楽しむようにいつまでも嬉しそうにしていた。
野菜一つでそんな可愛い顔をしてくれるなら、あのアスパラを手に入れる算段を探るべきかと真剣に考えてしまう。北海道か?北海道に行けばいいのか?(笑)
歩く街並みはいつもと同じなのに、食後の腹ごなしに二人で笑いながら歩くと全く違って見える。ガラス張りのディスプレイも、すれ違う人々も、張り出したオー二ングシェードも、カフェも、植木も何もかもが心躍るデートを演出する小道具に思える。
腕を組んだり手をつないでいなくてもリツは俺についてくるし、俺はリツを見失わない。
この充足感はなんだろう。
ベタな言い方い方だけど、これが幸せって感じかな…。
▽
家に帰るとリツがありがとうございましたと自分の部屋に帰ろうとする。
さっきまで感じていた幸せがすっと離れて行くような気がして、とたんに下から心臓を絞り上げられるような苦しさを感じた。
「洗濯物も片付けないといけないですし、部屋もずっと風を通していないので…。」
といつものリツなら絶対にしない言い訳をワラワラと赤い顔で言うので、
「帰らないで欲しい。」
と迫って抱きしめると、リツは硬直したまま「ハイ…、」と弱々しくもはっきりと答えた。
恥ずかしそうにうつむく唇を追いかけるように顔を寄せるとリツが小さく「高野さん、ここ外…。」とつぶやいた。
確かにマンションの住人が来ないとは限らない。やっばり落ち着いて事を成すには静かな環境が必要だ。
おもむろに一まわり小さいリツの身体を抱えあげ、肩に背負って片手でドアの鍵を開けるとリツが小さくギャっと叫んでじたばたと暴れるもんだから、片手では不安定で「暴れると落ちるぞ。」と脅かすと「怖い怖い」と背に回っているリツの腕が身体にしがみついてきた。
玄関で靴を無造作に脱いで、リツの足からも靴を剥ぎとり、ポイボイと放り投げてそのままずんずんと居間までやってきた。
そこでやっとどさりとソファーにリツをおろすと、下向きになっていたせいかリツの顔は赤くなっていて、前髪が妙なところで分かれていた。
その顔は、きっとあのまま大人になっていたらそうだっただろうと思えるほど、昔のリツだった。
「やっばり童顔だな…。なあ…、何で髪型変えたの?」
頬に片手を当てて指の腹で目の下をスリスリとさすりながら、もう片方の手で髪を後ろに梳くと、リツは俺の言った言葉を理解したようで、ちよっとだけ首をかしげて薄く笑った。
「しばらくは前髪に分かれる癖がついていたんですけど、イギリスから日本に帰る頃には顔を隠せるぐらいにはクセもとれました。」
頬に触れている俺の手にリツが手のひらを重ね目をすっと腹る。
その顔が妙に幼く見えて、リツから目が離せなくなる。
まるで目の前に昔のリツが現れたような錯覚が襲って、ただただ愛しかった気持ちが湧いて、どうして消えたんだと責めたくなって、二度と離れないでと縋がりたくなる。
「誰にも顔を見せたくなかったし誰も見たくなかったから。」
リツの唇は口角が上がっていて笑っているように見えるのに、何故か秘密を暴かれた時のようにギクっとしてしまい、背筋が冷えた金属でなぞられたようにゾクッとした。
俺がお前をそんなふうに追い詰めたのかと購罪の気持ちが湧き上がり、昔の俺に戻ったように苦しさに胸をかきむしる。
「でも高野さんが前髪を分けろとうなら俺はまた髪型を変えてもいいんです。」
リツの瞳が月夜の森の深緑の木陰のように怪しく瞬き、もう一度昔をやりなおそうと問うような気がした。
しかし俺はその問いに答えずに、リツの顎を上げさせてついばむようなキスだけをした。
「リツ…。」
頬を両手で挟んだまま「もう過ぎたことだから」と目をみて言うと、リツの顔が苦痛に耐えるように眉間に皺を寄せ、みるみるうちにクシュリとゆがんだ。
「なんで…、なんでそんなことを言うんですか?ずっと苦しくて辛くて、いつも先輩のことを忘れたくて、でも忘れられなくて...。」
ビーズのようにコロコロと頬を涙が伝い、翡翠の色の瞳を縁取る亜麻色の睫毛がぬらしている。
「高野さんは、俺のこと好きですか?」
また背中を摩られるようにひやりとした感触がして、その言葉に俺はすべてを悟る。
ああ、もう泣かせたくないのに、今度こそお前に決別の言葉を返さなければならないんだな、と…。
目の前の、俺の答えを待っているリツは俺のリツではないと直感したからだった。
「好きだよ。大好きだった。鈍色の俺の世界にお前が色をつけてくれた。
はじめは点だった。
そしてその小さなしずくの波紋が広がるように、お前を中心に豊かな彩の世界が俺の中に生まれた。
あの時、俺の中にはお前しか存在しなかった。」
「好きだった…?」
そう呟いて感情のない青白い顔が俺を見つめた。
「でもお前の愛する人はここにはいないんじやないのか?」
涙のしずくを下から掬うように指を頬の丸みに沿って這わせ、いつものリツより幼く見えるまつげに触れると、表情はもはや偽っていられないとばかりに崩れた。
そして…、大きな声でワーッと叫んで俺のひざに顔を伏せ、疲れ果てて眠りにつくまでそのままワンワンと子どものように泣き続けたのだった。
俺の腿を枕に眠ったリツの背をさすりながら、俺はソファーに座ったままいつまでもリツの涙の痕を見つめていた。
今度は回し蹴りを食らわなくて良かったなとか、
もし本当に今のリツが俺に聞いたのだったら起きてからでも言い訳が効くかなとか、
やっばり昔のリツは可愛かったなとか、
しょうもないことばかりを考ながら、同時に帰ってきた時のリツのなんとも頼りない顔を思い出していた。
誤解だったんだ、何もかも。
何度も何度もリツに告げた言葉だったけど、それはお互いの辛かった時間を肯定し認め合うためのものではなく、単に自分だけが悪かったわけではないと自己弁護する言葉だった。
人と接することが苦手で言葉の足りなかった俺と、すべてにいっばいいっばいで周りが何も見えなくなっていたリツ。
タラレバは解消された。
俺は今のお前が好きなのだ。
初恋はリツだ。
そして二度目の恋もリツ。
そして最後の恋もリツとする。
それが決まりなんだ…。
俺達へ運命とかを決める絶対なものが決めた定理なんだ。
▽
またいつもの夢を見ていた。
桜の舞い散る中に先輩がいる。
先輩の姿が、背中がどんどん遠ざかる。
桜の花びらが視界をさえぎり、先輩の後ろ姿が霞んで行く。
それを俺は泣きながら追いかけて、手が届かなくてとうとう地面に突っ伏してしまう。
またあの夢だ。
もう見たくないのに。
昔の俺を今の俺が見ているなんてありえないし馬鹿ばかしい。
シュールすぎる情景だ。
泣き崩れている昔の俺を、「リツ」と呼んで背をさすってあげたい。
そう思って傍らに寄るとリツの背に影が落ちた。
桜と俺たちしかいないはずなのにギクリとして視線を上げると、そこには立ち去ったはずの先輩が立っていた。
思い出の先輩はあいからず黒い詰襟の制服を着崩していて、リツの横で膝をつくとその懐かしい上着のすそはフワリとゆれて地面についた。
『リツが好き。リツだけが好き。』
普段無口な先輩が言葉を発したことに驚き目を見張ってしまった。
そしてその内容にも驚いたけど、確かに俺にはそう聞こえた。
はっと上げられたリツの顔は涙でグチョグチョなのに、もうその目は悲しみに曇ってはいなかった。
先輩はリツの身体を優しく覆うように抱きしめて、リツは先輩の胸に顔をうずめた。
幸せに、幸せに「先輩…。」
自分のつぶやきで目を覚ますと、そこは見慣れた寝室だった。
あれ?
目線の先にはコーヒーを飲みながらドアをふさぐように立つ高野さんがいて、相変わらず背が高くてドアの高さいっぱいだった。
傍らの棚にコトリとカップを置き、「先輩って誰?」と言う不機嫌な顔と声に一瞬竦むけど、よく考えたら先輩も高野さんもおんなじじやないかと思いなおす。
なんだかまぶたも重いし起きしなで身体も動かない。
半分以上はまだ眠っている脳みそにその不穏な空気を読めというのは無理だろう…。
「それは俺の初恋の人です。」
意地悪ないい方だと思った。
そしてその人はつい先ほど
しかし俺の答えに高野さんの眉の端がピクリと上がる。
「ヘえ、どんなヤツだったか聞いていい?」
自分で仕掛けたくせにちよっと俺はひるむ…。
イケメンがすごむと迫力が違うな…。
「か、寡黙で、かっこよくて、ハンサムで、背が高くて、寡黙で。」
「寡黙二回言った。」
「う…、少なくとも横暴とか意地悪はなかったです。」
うわ…、何言ってんだ俺。こんな意趣返しはなんにもいいことないって分かってるのに。
なにより嵯峨先輩にだって怒鳴られたこともあるし鼻で笑われたこともあるじやないか。
「はん!じゃあお礼に俺の初恋の話をしてやろうか。」
意地悪の仕返しは俺が放ったものとは比ベ物にならないぐらい俺を動揺させる。
高野さんの初恋の相手なんて聞きたくない。
聞かせてどうしようって言うんだ。
「や、いいです!いらない!」
「遠慮すんな。」
冗談じやない…。
ベッドから飛び降りて耳を覆いながら高野さんの横をすり抜けようとしたけど、もちろんあっという間に捕獲されて両手を掴まれ、どんなにじたばたしても逃げられなくて、壁にグッと押さえつけられてしまった。
「そいつは素直で可愛くて俺だけを好きだって言ってくれた。」
高野さんが顔を近づけて言うから耳に直接声が吹き込まれる。
むかつく。むかつく。むかつく。
それを俺に聞かせてどうするつもりなんだ。
俺が素直じゃないって言いたいだけだろ。
俺はあんたの事を言っただけなのになんだって言うんだ。
腹が立つと同時に悲しさも湧く。
居たたまれない。
この場から逃げたい。
だけど掴まれた手はちょっとやそっともがいたくらいでは外せず、むしろ力を入れられて結構痛い。
「織田リツって名前のヤツ。」
「え!?」
「知らなかった?」
「うそばっかり!知っている。高野さんが、雌峨先輩が女の人と付き合ってたこと。」
遠くからずっと見ていた。
思いが届く日なんてあるとは思ってもいなかった。
だけど悲しくはなかった。
だって先輩の隣にいる自分なんて想像さえきなくて、先輩が笑っていられるならそれでいいといつだって思っていた。
またじたばたと暴れる俺を高野さんはすっぽりと覆うように抱きしめて
「仕方ない。お前以外好きになれなかったんだから。」
と言った。
確かに付き合うイコール恋とは限らない。
始まりの時に二人ともお互いに恋をしているとは限らない。
申し込まれて、付き合ってから恋が始まることはあるだろう。
「二人目の恋の相手も教えてやるよ。」
その言葉に今度こそ力いっばい逃げたくなった。いったい何のつもりか分からない。
もうやめて欲しい。
「小野寺リツって子。素直じゃなくて、でも頑張り屋で、いつも直球で、全力で突っ走るばかりだから俺ははらはらしっばなしだ。」
妙な形で拘束されていて、暴れた拍子にずれかけた体幹のバランスは高野さんに凭れ掛かることで保たれていて、手を離されたらきっとこのまま転んでしまうだろう。
「そして二人目が俺の最後の恋。」
そういった高野さんはふふんっと鼻を鳴らして、ついでとばかりに俺の鼻もつまんだ。
なに恥ずかしいこと言ってんだ。
そんなの信用するもんか。
いつだっていつだって俺は…。
どうしていいか分からなくなって黙り込んだ俺に
「だから…、お前の恋愛遍歴も聞かせて。」
と言った。
ずるい。
畳み掛けられるような応対も、あんたのお願いにも弱いって知っててこうやって追い詰めてくる。
「遍歴なんてありません。」
誰も好きになんてなってない。
昔も今も未来もずっと一人だけしか好きじやない。
あんたには一人目や二人目がいても俺には一人きりだ。
いつだっていつだって
いえない言葉を飲み込むと高野さんはあきらめたように小さなため息を吐いて「メシにしよう。昨日タ飯お前食ってないから。」と言った。