労働は尊い。
人間80歳まで生きて死んでしまうまでに20万~30万時間働いて約2億5千万前後のお金を稼ぐという。そしてその中から最低でも2億円は使わないと生きていけないと言われている。
80歳までの人生を時間に換算すると70万時間ぐらいなので、寝る時間が20万時間ぐらいだとしたら、生涯で自由に使えるお金と時間はだいたい25万時間と5千万円くらいだということになるだろう。
余りにも少ない、少なすぎる。こんなんじゃ全然サティスファクションできない。
しかし現実は残酷だ。こんなバカなことを30歳後半にもなって考えてる今だって時間は流れていくし金は減っていく。
頭の良い人間はきっとこんなこと10歳になる前には気づいていて、もっと自由にお金と時間を使えるようにと努力するのだろう。サラリーマンの平均時給が1300円前後と言われているが、これを単純に倍にすることができれば働く時間は減るし、自由に使えるお金は増えるのだから。
自分は馬鹿だった。根拠のない自信と欲望にかまけて遊びほうけた10代。親が死んで金もなくなり人生の厳しさを知った20代。もっと若いころから準備しておけばと思ったことは数知れない。
結局まともな職にもつけるわけもなく。
こうやって正式な事業登録も認可もされていないが地元には根付いているほそぼそとした何でも屋をしながら、生きる為だけに生きている。
30代になってからは後悔ばかりが目についた。もっと子供の頃からこうしていれば、ああしていれば、なんて妄想の中の人生を如何にきらびやかに飾ることができるかばかりを考えている。
妄想の中の自分は最高だった。画期的な仕事の方法を発案し、考えうる限り最高の効率で働き、いつだって財布には万札が10枚以上入っていて、ほとんど不労所得状態のまま何一つ不自由なく暮らしている。
しかし現実は残酷だ。ゴミ箱をあさるかのように誰もやりたがらない仕事ばかりして、時給に換算したら100円にも満たない最悪の効率でも働かざるを得なくて、いつだって財布には1000円札も入ってないし、毎日毎日仕事をもらうために近所の人や小企業の社長に頭を下げて回っている。そしてこの家賃1万8千円のボロボロのワンルームに帰ってくるたび思うのだ。
労働は尊い。
誰だって不満がある。自分だけじゃない。全体的に見ても自分はかなり底辺の存在だと思うが、みんな我慢しながら生涯のうちで20万~30万もの時間を費やしているのだ。その行為の辛さとむなしさを、どんなときだって忘れてはならないのだ。
ところでこれ何の話だったっけ。
昨日までのあまりに馬鹿で救いのなかった自分の人生に思わず熱くなってしまったが、つまり何が言いたいかというと、働くことはほめられるべき素晴らしい行為だということだ。
こうしておしゃぶりを吸いながらごろごろしてる今だって、きっと自分という存在を食べさせるために顔も見たことのない父や母が働いているのだ。そのことへの感謝をいつだって忘れてはならない。
……そろそろ現実逃避は終わりにしよう。
今自分が置かれているこの不可思議な状況を把握する必要がある。
昨日の夜は確か……住んでいた地域一帯の小地主である横溝さんの家の草むしりをやっていたんだった。
地主なだけあって提示された高額な報酬(なんと3000円!)に珍しくやる気を出して夜中まで頑張っていたのを覚えている。中腰で頭をずっと下に向けてるものだから首と腰が痛みをとおりこして感覚がない状態にまでなってしまっていた。そんな状態のまま横溝さんから報酬を受け取り、そのまま家に帰って風呂にも入らず湿った万年床にそのままダイブした……はずだ。
そして目が覚めたら赤ん坊になっておしゃぶりをしゃぶりながら柵のついたベッドでごろごろしていた。
……本当に俺は目が覚めているのか?
いつもの妄想だったり夢だったりではないのかとも思うが、それにしては五感がリアルすぎる。今だって股のところが濡れてて気持ち悪かったから目が覚めたのだ。
え、ていうかこれ俺おもらししてんじゃねーの、ちょう気持ち悪いんだけど。
ちょっとーだれかー、ここでおもらししてる人いますよー。
と言ったつもりだったが口からは鳴き声しか出なかった。そしてその声に呼ばれたのか柵の外から自分の数倍もある大きな女性がぬっと顔を覗かせ、ってでっか!巨人こわすぎるでしょう!!あちょそんな躊躇もなくパンツを脱がさ、ってくっさ!自分のだけどくっさ!!
前世の自分におさらばを告げた初日、俺は色々と尊厳を失われる体験をしたのだった。
そうして始まった俺の第二の人生は、実に順風満帆だったと言えるだろう。
まず今生での目標と掲げたのは前世で幾度となく妄想を続けた不労所得な日々であった。
前世での経験や妄想によって培われたイメージトレーニングによって、具体的な方策はあった。
それは介護事業を始めることだ。
前世で何でも屋をやっているとき、一人暮らしの老人から荷物運びや出かけるときの送迎、あと模様替えなんかの仕事が結構あった。そんなとき決まって彼らが言うのは「はじめはヘルパーさんに頼んだんだけど、やっちゃいけないと国から言われてるらしいから」だった。
それから介護事業についてちょっと気になったから調べたことがあったのだが、そこで知った介護事業とはいわば「国が認可した高齢者専用の何でも屋業」と言える仕事であった。
徒歩で一緒に買い物に行っていいが車を使ってはならない、対象者の分の洗濯や掃除はしていいが、一緒に住んでいる家族の分はしてはいけない等、なんとも役所仕事らしいよくわからないルールが多数あるようだったが、肝心なのはその仕事に対する報酬の9割を国が、残りの1割を客が支払うというものであった。
しかもその額がすごい。1時間一緒に買い物に行って帰ってくるだけで約4000円のお金がもらえるのだという。2時間かかれば当然倍の8000円だ。自前の車をだしてガソリン代等諸経費は自分持ちで、3時間以上連れまわされて3000円とかで働いてた自分が馬鹿みたいだった。
この仕事であれば1日に何万円も合法的に稼ぐことができる。しかも親方日の丸ってやつだからくいっぱぐれることもない。と思って前世でもやろうとしたが、結局その仕事をするために必要な資格を手にするためだったり、事業を始めるため等に必要だったまとまった資本が確保できなかった為にやることができなかったのだ。
そうして手をこまねいているうちに、国の予算がなくなったとかで介護事業は先細りになっていった。それでも次々と街中に建てられる介護施設に、儲からなくなったというような感じは抱かなかったが。
ともあれ、介護という概念自体がまだできていない時代に未来の情報を持ったまま生まれ変わった、いや両親が前世と変わっていないので生まれ戻ったというべきか。そんな有利な状況にあることを利用しないはずもなく。
中学卒業後両親を説得して高校にはいかずできたばかりの介護の資格を獲得しすぐさま大手の会社の介護ヘルパー(介護実務に従事する人をヘルパーと呼ぶ)として就職(介護制度自体が出来たばかりで大手の会社2社しか事業として成立してる会社が存在しなかった)。そこで下っ端として働いてもまったく儲からないことを知り、効率よく稼ぐためには高齢者を多く会社の客から自前の客としてしまうことが重要なのだと学び。さらに次々と上位の資格を獲得し若いうちから出世を繰り返し、ある程度の貯蓄や時間的余裕ができる立場にまでなった。
それからさらに数年の間に独立の為の経営や総務の知識を学んでから、とうとう自分の会社を作って独立。だがやはり現実と妄想は違うということか、会社を作ってしばらくは自転車操業も可愛く見えるレベルの苦労の連続だった。
まず介護事業での報酬は2か月遅れてもらえるというのが痛かった。1月に働いた分は3月末にもらえる。何年も続けていればそれでも特に問題はないが事業を始めた当初はそれがとても痛かった。当然ながら3月末の報酬がもらえるまでの1月と2月の生活費や従業員の給料は自力でやりくりしなければならない。つまり金銭的に余裕ができるまで身動きが取れず、その期間が長い。
さらに従業員の扱い、というか人の上に立つという経験をまともにしたことがなかったという影響も大きかった。会社設立当初まだ23歳だった自分が、現場で働いてくれている30~60代の人達に言うことを聞かせるということの難しさは筆舌しがたいものがあった。
常に従業員からの給与への不満や仕事の不満、そして客である高齢者からの要望や不満、その板挟みとなって社長なはずなのにさながら中間管理職状態だ。そこにきて国からの指導や不慣れな経理や総務業務も重なり、設立して2年は儲からない休まらないの酷い状態だった。
そんな会社設立後の2年間で色々なハプニングやドラマがあったのだが、今回はそれを話したいわけじゃないのでさっくり割愛しよう。とにかく大変だったのだが、そんな中でもなんとかやっていけたのはひとえに手を貸してくれた人たちの力や、幸運によるところも大きい。自分の力でなんとかできたことなんて殆どなかったと言っていいだろう。
前世と合わせて50年以上生きているにもかかわらず、従業員から20代として扱われることに違和感を持てなかった当たりに自分の才能のなさを痛感する毎日だった。
だがそんな中でも優秀な人材に恵まれたのは望外の幸運だった。まず自分の会社を設立したときに、前の会社から自分についてきてくれて、今も精力的に働いてくれているヘルパー兼責任者兼一部事務兼務のスペシャリスト音無小鳥さん。なぜ自分なんかについて来てくれたのかはさっぱりわからないが、設立当初から苦楽を共にし、助けてもらってきただけに足を向けて寝れないレベルだ。自分とほぼ同年代という介護業界に働く人から見れば異例の若さもあってか、高齢者からのウケもすごい良い。まぁ小鳥さんがウケているのは若いからではなく笑顔と優しさからだと思うが。
そして会社設立後しばらくしてから採用し、今までに一番お世話になっていると言ってもいいのがヘルパーとして働いてくれている武内のおばちゃんだ。介護ヘルパーとしての経験が豊富で、この人が仕事に入ったところは「もうこの人以外は嫌だ」と苦情を言ってくるぐらいに人気のある人だ。そして何よりもすごいのが営業力で、普通に仕事に行って帰ってきたはずなのになぜか新しい高齢者の客を会社に紹介してくれる。道端で困っているところを見かねて助けただの、お客さんから紹介されただの、新規顧客の開拓に苦労してる人間を馬鹿にしているかのような勢いで客を持ってくる。そのせいで人員不足に悩まされたりだとか、ほかのヘルパーとの実力差が浮き彫りになりすぎて問題になったりしたこともあったが、それは嬉しい悲鳴というものだろう。
そして人員不足に悩める現状を見かねて、武内のおばちゃんが自分の息子を雇えと連れてきたのが、現在社内でも一番の若手である武内君だ。
武内君は人員管理能力に長けており、ヘルパーとして働く傍らでヘルパー同士のいざこざや不満などを解消する役目を買って出てくれた。
ヘルパーと言うのは儲からない、割に合わない職業だ。みんなも街中やチラシ等で「時給1000円以上」とか「時給1500円」という勧誘文句のヘルパー募集をみたことがあると思うが、これははっきり言ってかなり安い。なぜならさっきも言ったように一緒に買い物に行っただけで国から約4000円もらえるという事実があるからだ。仕事をこなした実行者に対して半分も渡していないということになる。
そしてそれを働いているヘルパー側も多くが理解している。にもかかわらずヘルパーの仕事を続けていられるのは、大別して3つの理由がある。
まず1つは、安月給にして会社が暴利をむさぼっている、というわけではないと理解している場合。
2つ目が介護を通して高齢者を助けるということに本当にやりがいや気持ちよさを感じている場合。
最後に3つ目が、お金以外に職場に求めている要求が満たされているので結果的に文句がでない場合だ。
武内君が同じヘルパーとしてヘルパーたちをまとめ上げる役目を担ってから、ヘルパー内にくすぶっていた不満や要望が明らかに減っていった。
ヘルパーには規約上、個人情報などを守秘しなければならない立場にもあるため、愚痴などを言い合うにもヘルパー同士で話し合うことが多い。
彼はそこでうまく愚痴を聞いてあげたり不満を解消するよう働きかけることで、周りがスムーズに働ける環境づくりをしてくれたのだ。自分よりもさらに若いこともあって、やりづらい立場であっただろう武内君がそんな働きをしてのけるという事実を知った時は悔しさを通り越して笑ってしまった。
そんな自分よりも優秀な彼が今もなおこの職場で働き続けている。自分の母親がいるからなのか、それ以外の何かがあるのか、基本的に無口な彼からはあまりうかがい知ることはできていないが、彼の存在にはとても助けられている。
とまぁ会社を設立してからの2年で、優秀で信頼できる得難い仲間に救われながらも、ようやく損益の分岐点を上回る収益を出せるようになってきたのだ。
そして今日、今までずっと事務所兼寝床状態だった2部屋しかないこの家ともお別れし、築年数はそこそこなものの、きれいでこじゃれた感じのマンションの1室を新たな住処とすることになるのだ。
25歳にして3LDKのマンションに1人暮らしである。前世の30歳を超えて1万8千円のぼろワンルームから考えるとものすごい出世だと言えるだろう。出世しすぎて年齢まで若返ってしまっている。
今日から念願の不労所得生活の第一歩を踏み出すのだ。
以前住んでいた2Kの家は変わらず契約したままで、今後も事務所として利用するつもりでいる。現場で働く人には空いた時間にゆっくり休める居場所が必要だからだ。そちらで現場の普段の業務が小鳥さんと武内君の手によって管理され、週に数度小鳥さんが俺のところへ現状報告と事務処理やその他の用事のために来てくれる手筈となっている。俺はその時に仕事を行い、あとは月末月始に必要な仕事を少し行うだけでいいのだ。あとは寝てても遊んでても俺の自由だ。
当然自分でやれることを自分で全部やれば、もっとお金を稼ぐことができるだろう。武内君に現状やってもらっている事務処理なんかは本来俺がやるべき雑務がほとんどだ。でも俺は不労所得への憧れからそれを武内君に任せることにした。今の仕事量でも十分すぎるほどの給料が俺には発生してるわけだし。
労働は尊い。それを過去50年で身をもって知っているからこそ、俺は働かないのだ。
そんなことを考えているうちに新居へと到着した。引っ越しの荷運びとかで何度か入ってはいるが落ち着く暇がなかったので、実質家として扱うのは今日この日が初めてとなるだろう。
さぁ玄関を開けたこの瞬間から、俺の楽しい不労所得生活が始まる……!
ガチャリ―――
「あっ、お疲れ様です社長!いえ、今日からはプロデューサーさんと呼ばせてもらいますね!」
あれぇ?この緑の人誰??