※この作品はR-18です。

貴方/君のアイの容(カタチ)を知りたくて【前編】   作:U-A-tube

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Act1:灰色の目録

 13世紀のエルサレム―――第六特異点の修復も無事に完了し、サーヴァントの皆様方には僅かながらの余暇を与えてある。

 いつも何かにつけて付き添ってくれているマシュ・キリエライトは、今はお留守である。

 とある義手の騎士との"再会"を喜んだ後、自分の計らいで精密検査を受けるようにと依頼したからだ。

 マシュ自身は少し怪訝な表情をしつつも、素直に首を縦に振ってくれた。

 Dr.ロマンもダヴインチちゃんも半ば呆れ顔だったが二つ返事で了承し、すぐに手配してくれたのが素直にありがたかった。

 そんなわけで現在、この自動販売機の横にあるベンチに座っている自分は完全にひとりきりである。

 

 

 

 ガコン―――

 

 

 

 様々な言語で『一日三本まで みんなで節水節電を心がけよう!』と小さなポスターが貼りつけられた自動販売機からミネラルウォーターを取り出す。

 一人一日に取り出せる量には制限があるので、実質的には配給制とほぼ変わりはない。

 本来ならば自販機こそ、節電を第一に考えるなら真っ先に撤去するべき物のはずだ。

 

 

 ―――人理継続保障機関フィニス・カルデア―――

 

 

 研究施設としては異様な程に電力だけは豊富のようで、配線点検や真夜中以外は消灯している区画など見たこともない。国際機関ともなると何処もこんな感じなのだろうか。

 忘れようにも忘れられない事だが、人理の修復が完了するまでの間、外部からの補給は期待できない。

 実質的にここに住んでいる人間全員が、文字通りの意味で過酷なサバイバル生活に立っている次第である。

 今の尚、ドンと構えてあるコレはあくまで"人間としての日常生活"を忘れないようにする為の、カルデア局員たちの粋な計らいによる物だ。

 ちゃんとお礼を言いたいところなのだが、大抵の局員とは言葉が通じないのが残念でならない。

 

「今回の"冒険"でも色々な事があったな……」

 

 横のベンチに腰掛け、ペットボトルを持ったままの半端な瞑想を行う。

 特異点の攻略が終わった後は、考え事に耽る為に一旦はひとりになる。

 繰り返している内にいつの間にか習慣化していた事だった。

 マスターとして、曲がりなりにも戦闘指揮官としてちゃんとやれていたかを振り返るためである。

 

「……」

 

 純粋に心を落ち着けるためでもあるか。

 もはや、このカルデアにおいて数十を超える世界中の英霊達がたむろしているのだから、完全にひとりきりになる時間というのは存外に貴重なのである。

 

「ん……くっ、……ふぅ……」

 

 ペットボトルの蓋を開けて、中身の純水を一気に喉に通らせていく。

 

 マシュの容体は今も安泰といえるだろうか。そろそろICU検査も終わる頃のはずだ。

 円卓の連中はどれもこれも手強かった。一手間違えただけで、間違いなくあの世逝きだったのはこちらの陣営だったと断言していい。

 マシュの半身ともいえるギャラハッドだって円卓の騎士だった。

 彼女の方にも影響して、何かしらの心のしこりは残していないだろうか。

 

「…………」

 

 

 獅子王―――伝説の騎士王の、本来なら有りえない可能性が『神』の領域にまで達した姿。

 

 

 

 場合によってはあの人(神?)の言い分の方が正しいのかも知れない。

 だけどヒトが人のままで救われる可能性が1%でも残されている限り、何が何でも否定したかった。

 気が付いたらそんな大それた存在に啖呵を切っていた。

 聞く相手などいないが、完全に無我夢中だったと白状する。

 傍らにいたマシュも自分につられるように、自分の口調を真似るように。

 否、違う。そうじゃない。

 彼女なりの言葉で生の在る喜びを、命を喪う恐さを自分以上に叫んでくれていた。

 それが嬉しくもあり、頼もしくもあり、ほんの少しだけ寂しくもあった。

 なぜ、さみしいと思ったのかは、わからない。

 

『マシュには今まで通りに接してあげてほしい』

 

 特異点に発つ直前に、Dr.ロマンから頼まれた内容だ。

 わざわざ言われるまでもない。彼女の事を色眼鏡に見るつもりなんて毛頭ない。

 

『マシュにとってキミとの交友時間は何物にも代えがたいものになっている』

 

 それは初耳だった。

 いつだったか、とある赤い外套を羽織った正義の味方から『君らはまるでカルガモの親子のようだな。公園でよく見かけたものだよ』と溜息混じりに皮肉られた事があった。

 今だからこそ気づいたが、アレは二重の意味で言われてた事だったのか。

 もちろん彼女の事を母か娘のように想った事などないし、もうひとつの意味合いで考えた事も、ない。

 

『なので、変にマシュを気遣ったり、心配したりしないでほしいんだ』

 

 それは憐れみになるから。彼女という人間を"下"に見る感情でしかないから。

 本当なら自分なんかよりも尊ばれる命のはずなのに、彼女はいつも自分を最優先に考えず、ただ遣われる事を善しとする。

 命には必ず終わりが訪れる。たまたま彼女の方が極めて高確率で先にいなくなるだけの事。

 コチラが先にいなくなる可能性だって、ある。互いに混じりっ気なしの闘争に身を置いているのだから当然の摂理でもある。

 どっちが先かなんて実際のところ、大きな差異はない。だがそれは同時に人理の崩壊が確定する瞬間でも、ある。

 いや、いい。ソレはもう、考えなくて、いい。

 

「……ほらこれだよ……」

 

 自嘲気味な言葉が勝手に口から漏れてしまう。

 ガタガタと身震いが止まらなくなる。全身の体温が消えてなくなった気がする。

 ベンチに今も腰掛けてるはずなのに、地に足が付いた感覚がなくなる。

 指先に今も力が籠っているかすらも、自分で判別が出来なくなる。

 

 要するに、人類の命運なんて途方もないモノが自分に圧し掛かっていると考えないようにしていただけ。

 旅先で出会った"仲間"と共に困難を乗り越える壮大なる"冒険"―――そうとでも思っていなければ気が狂ってしまいそうだった。

 かつてオルガマリー所長は特異点Fにて『47人のマスターの命なんて背負えるわけない』と弱音を吐いていた。

 今ならその気持ちが十分すぎるほどよく分かる。

 単純計算にして約1.5億倍の生命なんて、そもそも人間は受け容れられるように出来てなどいないのだ。

 

『キミ、一度見てしまった映画を初めて見たかのように驚く、そんな芝居は得意かい?』

 

「……そんなの、無理に決まってるでしょう。ドクター…………」

 

 記憶の洞(うろ)から染み出たお医者さんの問いかけに、今更の返答をする。

 気づいたら自身の眼からは一筋の涙が垂れ落ちていた。掌に力が篭り過ぎて、ペットボトルは歪に潰れていた。

 だってさっきから特異点の出来事を振り返るより、ひとりの少女の事ばかりが浮かんでは消えていく。

 無茶なオーダーを寄越したドクターを批難する気も起きない。

 結局のところは、こちらが余りにも無自覚で愚かだったから。

 自分の本当の気持ちに気付くともしなかった。

 いいや、これだって適切ではない。

 たぶん、気付いてしまったら、もう後戻りは出来なくなる。

 たまたま仲良くなった子供同士で遊んでいるような―――甘くてほろ苦い感情を願わくばずっと味わっていたくて、結論に達する事を無意識に放棄していたのだろう。

 

「オレは……オレ、は、こんなにも、あの子の事が…………」

 

 最初は極小の点でしかなかっただろう。

 ならばいつからだったのか。自覚が無いにせよ、この想いが内に宿ったのは。

 

 自分の半身の真名が分かって、腰を抜かしながらもはにかんだ表情を見た時―――? 

 

 ―――違う。

 

 華奢な両手でラウンドシールドを振り回す、勇ましくも儚い姿を見ている内に―――? 

 

 ―――違う。

 

 甲斐甲斐しく世話を焼いてくる、まさしく理想の後輩のようなイメージ―――? 

 

 ―――きっとそんなものじゃない。

 

 それはきっと最初から。互いにとっての運命の日。

 レフ・ライノールによるカルデアの爆破工作によって、マシュの身体が瓦礫に下敷きになっているのを見た時。

 被害拡大を防ぐために隔壁が自動閉鎖され、燃え盛る室内に置き去りにされた時。

 

 彼女はもう助からないと思った。自分ももう駄目だろうと観念していた。

 手を握って欲しいと頼まれた。

 それが最期の頼みであるならば、こんな純朴な少女が死出の旅路の連れ合いになるのなら、それはそれで悪くないとどこか達観していた。

 

 青空が見たいと言っていた。

 その時は何の気もなしに一緒に見てみたかったなと、ほんの少しだけ未練が出来た。

 

 心の奥で諦めたはずのユメの続きが見られた。

 仮想の空間ではあるものの、自分たちが生きていない筈の時代で、様々な色の空を共に見られた。

 

 だったら、今度こそユメを叶えてあげたい。

 自分たちが確かに生きている"今"の空を見て、一緒に吹く風を感じてみたい。

 点にしか過ぎなかったはずの想いは気付かないままに、産声を上げる時を待つ胎児のように静かに成長していた。

 

 そうだった。最初から自分の戦っている理由なんて、たったひとつだけだった。

 常に隣に立ってくれていた後輩の笑顔をもっと見ていたかったから。

 心安らぐあの表情を少しでも曇らせたくなかったから。

 ただ、がむしゃらに走って奔って、今日まで生き抜く事ができた。

 

「……下手の考え休むに似たり、なのかな……こういうのって。こんなにも簡単な事だってのにあれこれと……あぁ、もう―――!」

 

 だが、それでも必要な情動だったのだろう。

 体の震えは、止まった。涙も充分に流した。

 習慣化した自動運動として、空になった凹んだペットボトルを隣のゴミ箱に投げ捨てる。

 ぐしゃぐしゃに髪を掻き乱し、いったん両目を深く閉じる。

 全身に溜まった澱んだ空気を吐き出し尽くした後に眼を見開き、誰も居ない真正面の壁を、暫くの間じっと眺めた。

 そこには、幾重にも重なった月にも見える紋様を二房の若草が囲む―――今はすっかり見慣れたカルデアのエンブレムが存在していた。

 

 カルデアに招かれて、グランドオーダーが発令されて、もうすぐ一年になる。

 そこで出会った、ひとりの少女に『恋』をした。

 

 

 

 

 

 

 

 三日後―――

 

 自覚をしたならば何らかの行動を起こすべきだ。

 そう頭で理解はしていても体は動けずに、というよりどうにも動きようがない。

 

 そうというのもこの三日間、マシュと全く行動を共に出来ていないからだ。

 

 もちろん姿はちゃんと視認できている。なので一番あってはならない可能性はありえない。

 自分の眼で確認こそしているのだが、明らかに様子がおかしい。

 

 

 

 ―――トレーニングルームにて。

 

 

 

『お疲れ様、マシュ。はいこれタオル』

『ぁ、っ……先輩。わたし、これからシャワーを浴びるので、これで失礼します』

 

 

 

 ―――食堂にて。

 

 

 

『隣、いいかな? いつも思うけど、よくそんな量で腹がもつなぁ』

『すみません、もうわたしは食事を終えましたので……その、ごめんなさい』

 

 

 

 避けられている。恐らく誰の眼からも見ても確実に。

 因みにかつての常態で同じ場所と場面を再現するならば―――

 

 

 

『お疲れ様です、スポーツドリンクご用意しました。いつも付き合ってくれてありがとうございます』

『こっちだって体力つけないと足手まといにしかならないし。こちらこそありがとう、マシュ』

『先輩……』

 

 

 

『ごちそうさまでした―――さっきからずっとこっち見てるけど、ご飯粒でもついてた?』

『いえ、そうじゃなくって。誰かがお腹いっぱい食事をしているのを見ながら食べると、なんとなく美味しいって感じるんです』

『マシュ……』

 

 

 

 ―――こんな具合である。

 今は取り付く島もないとはこの事で、話をしたくとも忽然と姿を消しているのである。

 

 思えばこの変化が起こったのは、ちょうど医務室に向かって彼女の診断結果を聞こうとした時だった。

 いつもならば律儀に待っているはずのマシュは何処にも居らず、そこにはカルデアの便利屋―――もといお医者さんのロマニ・アーキマンの姿しかなかった。

 

 

 

『身体結果には今のところ大きな問題は無かったよ。マシュ……? もう部屋に戻ったみたいだけど?』

 

 特に心配した素振りもなく普通に返答したDr.ロマンの言葉が、どこか嘘臭く感じてしまう程にまでなっていた。

 そんな煮え切らない心象のままで、無為に三日を過ごしてしまった次第である。

 

 このままではいけない。別に何も起こらないのかもしれない。

 しかし何か、取り返しのつかない何かが起こるのかもしれない。

 そんな漠然とした不安、あって欲しくもない未来ばかりが想起され、せめて誰かに相談しようという結論に行き着いた。

 

 

 

 

 

 そして現在―――午後九時を過ぎたあたりか。

 ダヴィンチちゃんの素敵な工房、その"内部"にお邪魔している。

 

「ささ、座って座って~。散らかってるけど、別に片付ける気ないけどー。珍しく神妙な顔つきで来るものだから何事かと思ったよ」

 

 声の主の見た目はモナ・リザ。頭脳は天才(ヘンタイ)。

 近代人類史に今も尚、その名を轟かす稀代の偉人。その名は、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

 

 早口に彼(彼女?)の手招きと共に、適当に用意されたソファにゆったりと腰かける。

 向こうは手早く案内を済ませた後、そそくさと専用の作業用デスクに陣取っていった。

 本人の弁通りに部屋内は凄惨たる有様で、木製の天体儀や蝙蝠の羽にも見える飛翔機。

 編みかけのスカーフらしき布や機関銃っぽい何かや装甲車めいたナニカ等々。

 

「…………」

「っと、すみません」

 

 ついつい物色するように視線を動かしていたのを眼力のみで窘められる。

 こういういかにもな秘密基地とでもいうべき様相は、なんというべきか、男の心が躍るのだ。

 

「あぁー……分かってるとは思うけど、あまり私の部屋にまで入ってきたとは……」

「言いませんって。むしろこっちが無理言ってるんですから」

「そっか、そりゃ助かる。私の"工房"に招いておいて言うのも何なんだが、今はどうしても手を放したくなかったんだ」

 

 そんな事を言いながら、デスクの上に鎮座されてあるノートパソコンと暫しの間、にらめっこを続けている。

 何でも正式なマスターとサーヴァントの間柄になったとしても、軽々しく魔術師が自分の工房を人に見せるなんて事はご法度らしい。

 正直こちらにとってはピンと来ない話だったが本人曰く、自分の腹を掻っ捌いて内臓を見せ歩く行為にも等しいらしい。

 不祥事を通り越しているとは理解したが、スプラッタ過ぎて失笑すら起きない。

 まだマジシャンのトリックとか、特許申請だとか言いようはあるだろうに。

 

「で、相談というのはマシュちゃんの事だろ?」

「ぇ……まぁ、うん。そう、なんだけど。なんで分かったんですか?」

「それは簡単な推理をするまでもないのだよワトソン君!」

 

 相談事があるから付き合ってほしい―――としか入り口で説明してなかったにも関わらず、一発でこちらの内情を言い当てられてしまった。

 なんかマイネームが勝手にワトソンに変更されつつ、ダヴィンチちゃんの弁舌は続行された。

 

「まず他のサーヴァント達のお悩み相談をこちらに持ってくるのはまずありえない。君はいつも自分やそのサーヴァント自身の力を十全に活かして勝手に解決させてしまってるからね」

「役に立てる事って、それぐらいしかないですし。別に大したことはやってないですよ?」

「その時点で充分に規格外なんだけど……まあいいか。今回の話とは関係ない事だし」

 

 確かに関係ない話題にシフトしかかっていたので口出ししようかと思ったが、すぐに軌道修正したので良しとする。

 というより消去法に取り掛かっている時点でしっかり推理してるじゃないか。

 キャスターにとっては深慮思考こそが存在意義であり常道。この程度は推理の内にも入らぬって事だろうか。

 実にめんどくさい思考回路である。

 

「カルデア局員のいずれかも、という線も無くはないが今回は無しだろう。国籍が違う人間とは言葉通じてないし」

「くっ……イエス……」

 

 心中の文句を見計らったかのように痛いところを突かれた。

 英語は何とか喋れるなら大丈夫と高を括って海外に出たはいいものの、ネイティブな発音は完全にお手上げだった。

 僅かに残っている日本人スタッフとはもちろん会話は成立するのだが、如何せん接点が全くないのだ。

 精々が日々のお礼を伝えるくらいで、悩みを抱える程の仲にはなってない。

 よくそんなので外国に就職しようなど―――と思われそうだが、そこはそれ。

 あまりにしつこく勧誘されたから、としか言えない。今さら運命論者になる気もないし。

 そんな言葉が生易しく思えるほどの目に何度も遭ってるし。

 

「ところでこの手の話題なら寧ろロマニのヤツを頼りそうなものだけど? 男と男の友情的なアレで」

「実は、真っ先に相談しようとしてました。ただ……どこの国かも分からないような言葉で何人ものスタッフさんにせわしなく指示してたみたいなので……」

「えぇー! もしかして私ってただの消去法!? アナタだけのダヴィンチちゃんじゃなかったー?! 私は悲しい……わたしは~かーなーしーいー!!」

 

 大袈裟なかぶりを振りながらハープ―――ではなくベースかギターでも弾く動作をして悲しみを表現している。

 擬音で表せばポロロンではなくギュイイン。

 あからさまに見せかけだけの悲哀の唄である。

 そっちだって思いきり消去法してた癖にこの言い草だ。

 

「かーなしい~よっとぉ~♪ ただまぁ、こっちとしては少しホッとしてる。アイツの事をまだ敬遠してる訳じゃなくって」

「しませんよそんなこと」

 

 そして着席したまま即興のエアギターをポイ捨てして、こちらとの談話を再開する。

 何をしたいんだろうこのヒト(?)。

 ともあれ意図的にDr.ロマンの名前を外していたのは、ダヴィンチちゃんの中ではちょっとした詮索のつもりだったのだろう。

 

 即ち―――彼の事を本当に今も『味方』と思っていてくれてるのか。

 敵だと思っている人間に、呑気に自分の悩み事相談をするような馬鹿は居ないはずだから。

 抜け目ないなぁ、とは思いつつも前提の時点で安心させておこう。

 ちゃんと自分の"本音"も添えた上で。

 

「―――白状すると、気配遮断の優れたアサシンズに監視を頼もうか……とも頭を掠めました。でもやめといた」

「ほう……で、そのココロは?」

「上手くは言えませんけど、なんというかここで味方を……いや、仲間を信用できないようなら、カルデアは終わりだなぁと思って」

「へぇ、そうかそうか」

「ただまあ、すこーしだけ文句があるとしたら、そっちが秘密を白状する気がないならこっちだって大事なところで除け者にしちまうぞーってなもので」

「ホント大事にされてるねー。いや、うん。茶化すのは今は無しだ……本当にありがとう、マイマスター」

 

 そっちこそ神妙な顔つきで相槌を打ちながら、感謝の言葉なんて送られたら却って萎縮してしまう。

 ロマニ・アーキマンは『シロ』だと言い放つ、自称天才の表情に一切の"嘘"は無かった。

 だったら、こちらだって安心しておきたい。信頼したい。そう思ったまでの事だ。

 

「いざとなったら『令呪』で強制的に私の知ってる事を全部喋らせる……なーんて真似もやれるのに?」

「…………、…………その手があったか」

「やばっ、今の無しで! キレイキレーイに忘れて!」

「それこそしませんってば! なんかすごく後が怖い!」

「うんうん、本当に賢明なマスターで何よりだ♪」

 

 ナントカは猫をも殺す、である。

 たとえ令呪が残ってようがナニをされるか分かったものじゃない。

 ああ、また話が横道に逸れかかってる。

 

「あのー、そろそろ本題に入りたいんですけどー」

「おぉっとすまないすまない。君と話すのはどうにも興が乗ってしまうものでねぇ」

「どーだか」

 

 本来の魔術師という生き物はみんなこうなのだろうか。

 こちらの主張、知識、性根やらを材料に絶妙な合いの手を入れるものだから、ついつい向こうのペースに引き摺り込まれてしまう。

 もはやキャスター共通の悪癖、或いは職業病とでも呼ぶべき部分だと思う。

 自分の得意分野、智慧正覚を披露したくてしょうがないのだろう。

 あの寡黙なジェロニモですらも、シャーマンの魔術式が面白そうで軽く話を振ってみただけでキラキラ目が輝き始める始末である。

 そんなにも腹からたくさんの内臓や野獣とか放出したいのか。

 

 

 

 ともあれこちらの知識、もとい今までの経緯を説明する。

 といってもマシュの変化の具合しか伝えることはなかったが。

 

「―――ふむ、マシュの態度が豹変した原因、か。君に心当たりは?」

「ない……わけではないんですが、やっぱり露骨に身体検査なんて頼まない方がよかったのかなぁ……と思うくらいで」

「やや過保護だったんじゃね? と言いたいが、なんせ真名も判明して土壇場で宝具まで開帳させたんだ。別にそこまで不自然って程でもないだろ。ベストではないがベターな選択ってとこかな」

「じゃあ、何だと思う? ダヴィンチちゃんは。もう思いついたままでもいいから何でもいい……とにかく足がかりが欲しいんだよ!」

 

 つい席から立ち上がり、立場上は上司とも言える相手に敬語も忘れて叫び混じりに詰問する。

 当の本人が相手でもなく、明確な答えも帰って来る訳がないと、分かっているのに。

 空回りし続けている自分の不甲斐なさに焦ってしまう。

 

「……その前に一つ確認、いいや質問をしようか。君は、マシュの事が『好き』かな? フレンド的な意味じゃなくてラヴの方。異性の対象として、彼女と正しく向かい合う気はあるのかな?」

 

 思いがけない切り返しが待っていた。

 一瞬だけ言い淀む。そうだった。経緯の中でこの事実までは言っていない。

 自分自身の心象の変化までは伝えてなかった。

 だって、必要ない事だと思っていた。

 おそらくこの言い訳だって正しくはないのだろう。

 自分の心を開示しないままで、相手が正しい答えなんて用意できる筈がないのだから。

 

「…………はい。つい最近になってようやく自覚したばっかりだけど。どう言うべきなのか分からないけど、向こうが望んでくれるならずっと傍にいたい。最期の一瞬まで大切にしたい。でもっ、自分には何をどうする事もできなくて、どうすればいいのか、全然わからなくって。自分の心もっ、全然、整理できなくなってっ……」

「あぁ、すまない。本当に悪かったよ。泣かせるつもりはなかったんだ」

 

 観念して自身のありのままの心を吐露する。同時に押し込めていた感情が溢れ出し、遂に決壊してしまった。

 その証の涙がポロポロと流れ、段々と鼻声になり、顔を俯かせてしまう。

 目の前のダヴィンチちゃんは眉を細めて辛そうな顔をして眼を閉ざしていた。

 心配させてしまっている。情けないと、思われたかもしれない。

 いけない、すぐに、持ち直さないと。

 

「……泣き止んでからでいい。私の助言に、耳を傾けてくれるかな?」

「いえ……、もう、大丈夫です。元々その目的で来たんだから。ちゃんと、受け止めないと」

 

 鼻を啜り、真正面を向く。

 自分の感情に流されぬように、相手のメッセージを聞き入れることに集中する事で気を紛らわせる。

 

「辛いはずだ。せっかく恋をしたのに、と思うのがごくごく当たり前の感情だろうさ」

「ええ……」

「気づかなければよかったのに、と思うかい?」

「そんな事は思わない。後悔したら、マシュがくれた今までのすべてが無駄になる」

「即答、か。なら安心してこの言葉を送れるかな」

 

 ダヴィンチちゃんはやや息を溜めてから、カッと両眼を見開いてこう諭した。

 

「今の心を捨てるな。誰かに譲るな。流れだけに身を任せるな。そうすれば望みが100%は叶わないにしても何かの希望、いざって時の繋ぎくらいにはなるだろうさ」

「……なんか小難しい言葉で煙に巻かれた気がする」

「ふむふむ、ちゃんと減らず口が出てくるのなら本当に安心だ」

 

 ぐしぐしと頬を伝った涙を裾で拭き取っている間、天才は言葉通りに微笑む。

 人差し指のみをくるくると回転させながら、こちらの左胸骨―――心臓の位置に軽く押し当てた。

 

「しかし大したもんだよ。熟れ尽くした精神な訳でもないのに自分をしっかり見つめられるというのは」

「……?」

「行動すべきと思った時に迷わず足を踏み出し、熟考すべき時には一度は後ろをしっかり振り返る。そういう人間として正しく生きようとするなら必ず訪れる"最善の選択"を自分の意思で選べる。それは立派な長所だし誇るべき才能だ。おそらくはこの私すらも超えている部分だよ」

「んー……うん? えっと、分からなかったからこそダヴィンチちゃんに相談しようと思ったんだけど? それに最適な行動だったらダヴィンチちゃんの頭脳ならパパッと計算できると思うけど……」

「最適じゃなくて最善。自分や他人を効率よく『運用』するだけで起こる"結果"に対して皆様方がどう思うか……までは計算に入ってないのだよ実際のとこ。誰かの智慧や研鑽を頼るのだって選択の一つだ。このまま何もせずに惰性のままに日々の暮らしを~っというのだって立派な選択。そら、ちゃんと分岐点は存在してるだろ? どっちが最善かは言うまでもない」

「むう、また話がこんがらがってくる事を。そんなことまで計算できたらどんなに楽か……」

 

 とは言いつつも今度はすんなりと理解できた。というより感覚で何となく分かったと言うべきか。

 まさしく後者の例になりかけていた自分を何よりも恐れたからこそ、彼女の心理を正しく汲み取れるであろう人物を捜していたのだから。

 こちらを少し持ち上げ過ぎだとは思うが、いちいち突っ込んでいる余裕もないので黙っておく。

 この通り、マシュの相談をして感涙までしたはずなのにまたまた脱線しかかってるし。

 

「さてと、相談されたからには策の一つでも授けなければ天才の名折れか。何がいいかな何がでるかな~っと」

 

 そう言いながらゴソゴソとデスク下の引き出しをまさぐり、アレでもないコレでもないと用途不明の道具の数々を上に掻き出していく。

 そして更に工房内はごちゃごちゃしたナニカに埋め尽くされていく。

 これ、片付けられない人間の縮図そのものだ。

 

「んんん? んー、まぁなんだ。効果の程は保証しないけど、コレなんかどうかな?」

 

 その場に取り出したるは何処かで見たことのあるような、角の丸まった立方体の小さな箱。

 人間の拳くらいの大きさしかないので、中身もそれ以下の大きさという事になる。

 ダヴィンチちゃんは、そんな小さな灰白色の宝箱を開き―――何故かこちらからは見えないように右手に何かを填め込む動作をし始めた。

 

「ふむ、じゃーん! これぞ私の開発した―――現代社会に憑かれたアナタにオススメ! 夢のひと時に心を誘い気持ちをシャッキリポンと♪ その名も『ヒュプノスリングちゃん』さ!!」

 

 てってけてー、となんか気の抜けた幻聴が聴こえた。

 

 実に胡散臭いキャッチフレーズを口走りながら、右手の中指に填められた"ソレ"を掲げながら見せびらかす。

 その姿はテレビドラマなどで見覚えがあった。まるで婚約が決まって同僚に自慢してるOLの姿そのものだ。

 つまりあの灰色の箱はリングケースだったわけだ。

 未成年なので自分には御縁がない代物だから、即座に思い出せなかったのだろう。

 

「元々はサイコセラピー用―――局員たちのストレスを軽減、除去する為にと開発したんだが、いかんせん使い勝手が悪くてね。生まれつき魔力耐性の高い人間にも通じるように設定してみたんだけど―――」

「……」

 

 リングは銀色の二重螺旋構造になっており、隙間に砂利粒くらいの大きさの宝石が幾重にも敷き詰められてある。

 ガーネット、ルビー、スピネル、サファイヤといったところか。

 それぞれの色合いは個性が強くやや目に悪そうな組み合わせだが、見事な均整で互いが邪魔をすることなく『優美』を演出している。

 反して自分自身の心というべきなのか、意識はどこか霞がかかったような、朧げな感覚に支配される。

 

 でも、いやな感じはしない。こわくはない。

 

 ならもっと近くで見てみよう。

 

「とりあえず一般的な催眠術と催眠魔術の相違点についてレクチャーしてみようか―――まず五感から入った情報を脳内で処理する過程で、認識を誤魔化すという意味では同様でね――――――、―――」

「…………」

 

 台座の部分には綺麗にカットされた無色透明の菫青石(アイオライト)。

 

 少し角度を変えて見てみると、無色のはずが青と緑の混じった色に姿を変える。

 なんとも不思議な性質を持った宝石だ。透き通った結晶の中に光ごと己の意思まで吸い込まれていくような。

 

「しかし世界とはどこまでいっても曖昧さが残るものだ。各々方が決めた秩序にも必ず穴がある。認識する事で初めて実体が確定するのだから、それ即ち世界の在り様そのものも基点さえ弄れればいくらでも―――――」

 

 なにか言っているような気もするがどうでもいい。

 

 ああ、もっと見てみたい。このきれいなものを。

 

 もっと、モット。もっともっともっと、モットモットモット―――。

 

「って、うおっととぉ! ストップストップ、ステイステーイ!! 自分で失明する気か君は!!」

「―――あいだぁ!?」

 

 バチィン、と小気味よい音が頭蓋の中で反響する。

 何の意味があって行われたのかわからない、義手の方―――ロケットパンチの中指を折り曲げてデコピンをお見舞いされた。

 痛覚を感じたことで意識が明確になる。そこでようやく自分が"何をしでかそうとしていた"のか理解した。

 

「……は、ぁ? あれっ、ぇ……っ、なん、で……?」

「あらー、まー、うん。すまない、まさかここまで効果覿面とは思わなかった」

 

 もう少しでダヴィンチちゃんの右指に、自分の眼球を押し付けようとしていたのだ。

 自分から席を立ち、自分から顔面を突っ込ませて。

 もちろんそんな馬鹿な事をした自覚なんて、全くない、はずなのに。

 勢いで再び元のソファにもたれこみ、現状確認の為に辺り一面に視界を彷徨わせてみた。

 

「えっと……もしかして、意識が、とんでた……?」

「うん、コイツの効果。見ただけで強制的にトランス状態に入ってしまうってもので……」

「思いっっっきり危険物じゃないですかねコレ!? 燃えないゴミにでもさっさと突っ込んでほしいザマスよ!?」

「あぁんひどぅい。でも処分したらしたで危なっかしかったんで泣く泣くお蔵入りにしたわけ。うぅぅ……」

「ぐぬぬ、一理ある……あるけど」

 

 興奮のあまり変な口調になってしまった。向こうは向こうで、よよよっとワザとらしく泣き真似をしてるし。

 何度目かになるが、カルデアは今や外界と繋がっていない、いわばSF小説のサルガッソー状態。

 ゴミが出たら燃える物はその場で焼却処分か再利用。

 燃やせない物は適度に圧縮して修復不能と判断されたエリアに放り込むしか手が無かったのだ。

 もしも何らかの偶然が重なって、コレを手にした誰かが居たら―――と考えたら寧ろ妥当な判断とは言えるのだが。

 

「……で、こんなトラブルの種にしかならないような物をなんで作ったんです? エロアイテム?」

「ああー! やっぱり聞いてない! 精神療法用! エロ違う! これホント!!」

「えぇー? ほんとに」「言わせんよ」

 

 もともと近づいたままだったので、速攻で頭骸骨にアイアンクローをかまされた。もちろん巨大化したマニピュレーターで。

 みしりみしり、と頭皮と顔面にダヴィンチちゃんの金属の五指が食い込む感触がした。

 

「ござだばばばっ! わかりましたって信じますってあばばばぁ!!」

「やはり物分かりが良くて結構。さて用途の話はいいとして、使い方についてお教えしようか」

 

 そして何事もなかったかのように、パッと手を放してレクチャーを再開し始めた。使うとは一言も言った覚えもないのに。

 この道具―――、見てはいけないので必死に指輪から目を逸らしつつ、なお握力の残滓が感じられる頭頂部を自分の両手で慰めておいた。

 

「使い方そのものは極めて簡単。人に見せるだけ、はいオーケー。ただし装備者だから効かない、なーんてご都合な事はないので注意されたし。解除方法は、そのように命じるかしばらく見なけりゃ勝手に解けるか。もうひとつは催眠だからって相手は何でも言う事を聞くわけじゃあない。どちらかというと酩酊状態に近いかな。激痛があればすぐに目覚めるし、相手が聞きたくもないような願い、そもそも肉体限界を超えるような事は無理……とまあこんな感じか」

「ふーん……うっかり自分で見てもアウトってアイテムとしてどうなんだろー……」

「言うなよー。だから失敗作だったんだよー。臨床試験でも期待してた結果が出なかったんだってのー」

「ふーん、試験のお相手って?」

「あぁ、ロマニと私」

「ご、ご愁傷様……ドクター」

 

 やや不穏なワードが出たので一応詮索してみたが即答だった。

 事も無げにダヴィンチちゃん自身のほっぺをプニプニと指さしてる辺り、やましいことはないようで何よりで。

 いったいどんな『命令』を送ったのか、聞くのはよしておこう。お互いの身の為だ。

 

「赤の他人用にあつらえた物だったからね。ネーミングも分かりやすく適当に。なお私自身には効果なしだった。魅了適正が高けりゃ意味がないようだねぇ。てか自分が趣味で作ったブツなんざ粗探しばっかで心ときめかねえっての~」

 

 どうやらこの指輪を見て"魅力的に想うかどうか"がトリガーになってるらしい。

 要はちょっと自意識の働きにくい、他人に素直になった酔っ払いだ。

 開発者本人には効かないものだから機能調節も不可。

 戦闘に赴いたサーヴァントに持たせて『我! 不敗! 也(なり)! 我! 無敵! 也! 我、最強なり―――!』とか言って持ち主が見ても無様に放心するだけ、と。

 ちなみに脳内イメージ映像図は、桜セイバーこと沖田宗司さん。桜餅のような柔肌がマッスルボディにならなくて何より。

 なるほど、確かにそれは扱いにくい。

 当人は失敗作と断じているが、どちらかというと未完成品だ。

 

 そこまで纏めてみて、ふと気が付いた。あまりのインパクトの為に失念していた。

 さっきの説明だけでは不透明な部分があった。というより最も重大な部分だろう。

 

「聞いておきたいんですけど、なんでこんなブツがマシュに適任だなんて思ったんですか?」

「ん……? あ、あぁー! そこからか! つい結論ありきで話してしまってたよ。すまないすまない」

 

 なんでこんな失敗作認定した危険物が解決の糸口になると踏んだのか。

 精神療法と言うなら、素直に心に浪漫を携えた専門家がカウンセリングでもした方が早いのではないだろうか。

 そう疑問に思ったのだが、どうやら向こうの方は既に思考は次のステップに進んでたようで。

 

「どう言ったら分かりやすいかなぁ……つまりアレだ。オトナになればなるほど、一人前である事に固執してしまって自分の中の苦悩やら自己矛盾を赤の他人に打ち明ける事が少なくなるのさ。特に自分を厳しく律する生真面目な連中なんかは特にそう。独りではもう解決できないと頭で判ってるはずなのに意固地になって悪循環・・・・・・ってな具合だ。君にはあまりピンと来なかったんだろう、そういうジレンマは」

「まぁ、皆がいるから何とかやれてる訳ですし」

「そう言えるなら君の方は本当に心配いらなさそうだ。ま、嫌なもんが胸の内にあるならさっさとゲロっちまえよぅ、とも言うがね!!」

「女性の顔してソレはちょっとどうかと……」

「うふふふふ~、汚物召しませ★」

「はいはいクソ食らえクソ食らえ。人の忠告を聞かないお下品なサーヴァントですこと」

 

 非常にイイ笑顔をするな。両の手で杯を形成するな。想像させるな。

 本当によくこんなので芸術面もトップクラスの才覚でいられたものだ。いや、本当に。

 ルネサンス期にいた人々は、誰もレオナルド・ダ・ヴィンチの"本質"に気づけなかったのだろうか。

 

「さて、おふざけはこの辺に。きっとマシュだってそうだ。生真面目すぎるが故に、そんな思考の泥沼に嵌まって抜け出せなくなっているんだよ。パートナーの君の眼から見ても、何を考えてるのかまるで分からなくなる程にね」

「……ええ、いつか目配せだけで意思疎通が成立するようなデミ・サーヴァントになりたい、なんて言ってたっけ。そうで、ありたかったんだけどな……」

「あの子らしいねぇ。だがそれは無理だな、申し訳ないけど。仮に全人類がテレパシーなんかに目覚めたとしても、それでヒトとヒトとが分かり合えるかどうかは別問題―――ってね」

「ですね。わかってるはずなのに、なんで上手くいかないんだろう……」

 

 自分の髪をくしゃりと撫でながら、目を伏せて当時のマシュの姿を思い出す。

 だがたった三日間、まともに会話していないだけでこの始末だ。

 情けなくて泣きたくなるが、もう感傷に耽るのはやめにしよう。

 

「あ、最初に聞いとくべきだった。使う? それとも使わない?」

 

 ここで漸くこちらの意思の確認に入った。本当に長く、永い。

 いっそ引きずるように粛々と話を進めてくれた方が、いくらか気は楽なのだろう。

 だが、きっとそれではいけない。さっきダヴィンチちゃんが言っていた通りだ。

 どんな小さな選択肢でも自分で決めた方がきっと善い結果を生む。

 そう信じよう。この先、後悔をしないために。

 

「まぁ、これならそうそう悪用はできなさそうだし……他にいい手なんて何も思い浮かばないし。受け取っておきます。使うかどうかは、その時しだいで」

「了解、マイマスター。ではうっかり自分で見てしまわないようにテーピングしてあげよう」

「頼みます」

 

 そして右手をダヴィンチちゃんの方へと差し出し、暫しの間は敢えて正面から目を逸らす。

 するすると自分の中指に件の指輪が装着されていく感触。

 小さなシルクのガーゼでぐるぐる巻きにされていく感覚。

 

 本当に手の触覚だけでも色々と把握できるものである。

 今更ながら、人間の肉体の微細さには感心すら覚える。

 

 軽く手の甲をポンと叩かれた。それは作業が終了したことを知らせる合図だった。

 

「ハイ、私に出来るのはきっとココまで! 後はテキトーに頑張りなさいな」

「適当じゃいけないと思うんですけど」

「まぁまぁ、結局なるようにしか成らないのが世の常、人の心だ。こればかりは天才でも如何ともし難い。変に気張り過ぎて自分が壊れたんじゃ世話ないだろ?」

「くうぅ……正論なだけに何も言い返せない」

「しかし、なんだ。個々の事情はすぐに察せても己に向けられる心情までは……なのがいかにも筋金が入ってるが、私も人の事は言えないか。うん、じゃあしょうがない!」

「?」

 

 そうして本日最後になるであろう談話も終わりに差し掛かる。

 席を立って、何だかんだで世話焼きの天才に向かって深々と頭を下げた。

 最後にダヴィンチちゃんの放った言葉を噛み砕く事は、もうやめておいた。

 だってそうでもしないと、相談教室だけで日を跨いでしまいかねない。

 区切りのよいところだって自分で決める必要がある。そういうことだ。

 

「遅くなったけど……ありがとう、ダヴィンチちゃん。だいぶ元気出た」

「うん、いい顔だ。行っておいで」

 

 そうして迷うことなく踵を返し、工房の出口に向かう。

 ガーゼにくるまれた右手の中指を自分で撫でながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――マシュの自室前。

 

 

 心臓の早鐘が止まらない。

 

 殆ど勢いのままに彼女の部屋のドア前にまで来たはいい。

 だが、どう声をかけたらいい。そもそも中に入れてもらえるのか。最初から居ないのかもしれない。

 だったらこのまま帰るか? 最初からコレだって使わない方がいいのでは―――?

 

「……っ」

 

 思考がまた堂々巡りを始めてしまっている。

 

 ええい、ままよ―――。

 

 備え付けのインターフォンのスイッチを押す。

 来客を知らせる部屋内のアラーム音が、僅かにこちらまで反響する。

 30秒程してからガチャリと、受話器を取った時の音が鳴る。

 

「マシュ……!」

『せん、ぱい……ですか?』

「よかった、いてくれた……っ」

 

 つい名前を呼ぶ声が上擦ってしまう。

 向こうには何の事だか分からないだろうに、一日千秋の想いに理性が振り回されそうになっている。

 

『何のご用、でしょうか?』

「あっと……その、突然ですまないんだけど。部屋に入れてもらってもいい、かな?」

『……………………』

 

 暫しの無言。

 考えてみればとんでもない無礼を口にしたものだ。

 開口一番に交際してもいない女性の私室に上げてくれだなんて、下手をすればこれだけでもセクハラ発言だ。

 

『……分かりました。すぐにドアを開けます』

 

 沈黙の後に、彼女はそれでも了解した。

 自動ドアのオートロックが外れる音が聞こえた。

 慎重に、されども血気にはやるように足を一歩前に踏み出す。

 

「先輩、このような夜分遅くに……どうしたのでしょうか?」

 

 聞き慣れた自動ドアの開閉音と共に、マシュが姿を現した。

 服装、背丈などは特にいつもと大差ない。

 この三日間だって顔は合わせていたはずなのに、恋心を自覚しただけで足の震えが止まらなくなっている。

 原因は、恐怖とは明らかに違う。もっと別の、形容しがたい感情によるものか。

 

「えーと、そう。そういえば最近、あまり話をしてなかったなと思って。特異点での積もる話題だってあるし、外で立ち話もなんだろうと……どうかな?」

「……先輩がそういうのなら、了解しました。どうぞ」

 

 特にこれといった言い訳も思いつかなかった為、思ったままに口実を作る。

 彼女自らの手で部屋を指して中へと案内される。

 それが言われるがままなのか、何か彼女ならではの意図があってのものかは分からない。

 

 ただ、今はただ希(こいねが)う。こんな頼りない思慮だったとしても、彼女と少しでも分かり合える切っ掛けになれば善い―――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、部屋に入ったはいいがどんな風に会話を切り出すか。そう考えながら彼女の筆記用の角ばった椅子を借りて座る。

 マシュはすぐ隣に存在するベッドに腰掛けている状態で、両足をくの字に曲げ、やや横目に応対している。

 

「……えっと。先輩?」

「っとと、ごめん」

 

 こちらにとっては本日二度目の不躾だとは知りつつも、ついついマシュの部屋内もキョロキョロと目配せしてしまう。

 元々、マスター候補生の為に用意された部屋の作りはビジネスホテルの各室のように殆ど画一的である。

 衣類を入れるクローゼットにデジタル時計が内蔵されたベッド。

 湯沸かし機能付きティーポットに机の上に置かれた専用のタブレット端末。

 特に自分の部屋とそう大差はない。

 

 だが、逆をいえばたったそれだけ。

 

 マシュ・キリエライト個人を証明する"部品"が、この部屋には何も存在しないのだ。

 それは例えるなら、もしも、もしも彼女がこの部屋から姿を消してしまったら。

 

 この部屋にダレが存在していたか―――もう二度と判らなくなるような。

 

 いや、いい。そんなことは考えるな。

 

 

 

「……あれ? これって……」

 

 たったひとつだけ、マシュの趣味からは明らかに外れた装飾物が目に入った。

 

 一言で評するなら、ネクタイを付けたフクロウの置物。作業机の上に置かれたソレは、どうにも異彩を放ち過ぎていた。

 全身を金箔でコーテイングされた彫刻に、眼球に当たる部分には小さな円形のアメジストが填め込まれてある。

 写実主義者のダヴィンチちゃんにしては珍しく、作りそのものは精巧だが、どちらかというとハニワの様にデフォルメされたデザインとなっている。

 ちょうど眼鏡でもかけさせたら、鳥類に姿を変えたマシュに見えなくもない。

 ミスマッチというには余りにも出来映えが良すぎると、見る側からすれば非常に評価に困る代物だった。

 

「あ、それはダヴィンチちゃんから頂いた『アイン・ソフ・オウル君』です」

「……あいんす……なんです?」

「アイン・ソフ・オウル君です」

「…………オスなんだ」

 

 素朴に過ぎる感想しか浮かばない。

 なんだろう、その必殺技か此の世の真理みたいな名前のフクロウは。

 

「ダヴィンチちゃんによると『君の部屋には些か華やかさが足りない。私のプロデュースした品々で洒脱さを演出する事も学習してみたまえ』と言っていました。本当は他にも段ボールいっぱいに手渡されたのですけど、一品だけで他は断ったんです」

「あ、あぁ、そうなんだ。寧ろ断って正解」

 

 つまり言いなりになって全て受け取っていたら、この質素なお部屋があの意味不明な汚部屋に成り果てていたと。

 本当に断って正解だ。そう思いながらこのフクロウに視線を移してみると―――

 

「こ、こいつ……動くぞ……!」

 

 ―――言葉通りに動いた。首だけが。

 

「はい、ときどき首が動くけど気にしなくていいから、とも」

「いやいや貰い物の首が勝手に動いたら誰だって気にするって……」

 

 そんないかにも怪しげな物体Xでも、小さな紅いマットを敷いて飾っている辺り、本当に律儀な性格である。

 キキキ、と金属が擦れる音を響かせながら部屋内に居る男女を視野に収めようとしている。

 こっち見んな。

 一目で睨んだら露骨に顔を逸らした。それでいい。

 

「本当にダヴィンチちゃんにも困ったものだよ。せっかく『正式契約』までしたのに全く言うこと聞く気配すらない」

「それでも一応、わたし達にとっては上司みたいなものですから。こればかりは」

「ですよねー」

「それに言う事を聞いてくれないサーヴァントはまだまだいます。お風呂に入っても体を拭いてくれないアルテラさんとか」

「床がナメクジ這ったみたいになってて何事かと思ったよ。あと廊下を召喚したバイクで疾走(はし)りだすゴールデンとか」

「ありましたね、そういう事も。先輩が後片付けを命じたら見事に激減しました。やっぱり先輩の采配は素晴らしいです」

「それでもゼロではないんだよなぁ、ゼロでは。それに別にオレが凄いわけじゃないよ。人の振り見て我が身振り直せ、かな。うーん、いやちょっと違うか?」

 

 結局この意味不明なフクロウを話のネタにして、次々と言葉が紡ぎ出される。

 今までの破天荒な思い出。この一年間での仲間たちとの出来事を追憶する。

 きっとそれは楽しい時間なのだろう。大切なひと時なのだろう。

 

「ところでマシュ」

「はい」

 

 

 

 今の彼女のすべてに気づかなければ。

 

 

 

「なんで最近オレを避けるんだ?」

「―――――――――え?」

 

 空気が一瞬にして凍結する。きっとそれすらも正しくはない。

 最初から"そうであり、意識してなかった"だけだ。

 彼女は一度だって真正面を向いて会話をしてくれない。

 紫紺色の眼には力が無く瞼の下には隈こそないが、明らかな疲労が滲み出ている。そして何よりも横から見える表情は能面のように無表情だった。

 そんな有様で温かみなんて感じる道理が無い。

 

 和やかな会話の種となってくれた自称天才には感謝してもしきれない。

 だが、いやだからこそ、このまま取り留めのない"お友達ごっこ"を続けるわけにはいかなかった。

 

「もしかして、しっかり眠ってないんじゃないのか? メディカルチェックは仕事の内って自分で言ってただろう……どうしてそれすら言わないんだよ」

「……ぇ、あれ、でも、ちゃんと……ぁ……っ」

 

 マシュは何度も瞳を揺らし―――要領を得ない、返事にもならないような譫言(うわごと)しか発さない。

 そんな彼女を見て次第に自分の中で、今まで一度も彼女に対して想った事もない感情が芽生え始めていたのを自覚した。

 

「なんで、なんでいつものようにオレを見てくれない? 何かマシュを怒らせてしまう事をした? ちゃんと答えて欲しいんだ……!」

「わた、しは……先輩と、……ちゃんと……っ、その……」

 

 もはや濁流になりかけた"ナニカ"を必死に理性のみで抑えつつも、声色だけは焦熱を帯び、早口になりつつある。

 それでも相変わらずマシュは俯きのままで独り言を呟くのみ。辛そうに自分のスカートを抓むだけだった。

 

 埒が明かない。彼女の片手を半ば強引にぐいっと引いて、自分の真正面を向くように仕向けた。

 

「オレを見て答えてくれ、マシュっ!」

「ッッ……! ……ぃ……ゃ……っ」

「あっ……」

 

 遂にマシュは顔を露骨に背けて、今にも泣き出しそうになってしまった。

 無論、こんな事をしたかったんじゃない。こんな顔を見たくてやったワケじゃない。

 いつものように笑っていてほしかっただけなのに、なんでこうなる。

 どこで、なにを、どう、間違えた。

 

「…………わかった……もういい……」

 

 肋骨の奥の奥が軋みを上げる。それを無視したくて瞼を深く、深く閉じた。

 そして遂に自分の中で築いていた『なにか』が―――大きな音を立てて崩れた。

 

 右手に巻かれたガーゼを解いていく。勿論"ソレ"は自分の視界には入れない。

 感情を全て脇に押し退けて、思考が空洞になる。これからの自分の行動を思い描き、全てを単純作業化させていく。

 寧ろ、今の状態の方が冷静な考えが出来ているという錯覚さえ覚える。

 

「ぇ……せん、ぱい……?」

 

 今のマシュはおかしい。そしてそれを自ら明かす気がない。

 だって普段の彼女なら間違いなく、"こんな物"が巻かれていれば怪我でもしたのかと駆け寄るだろう。

 慌てふためいて過剰なくらいにまで心配してくれるはずなのに、全く気付く素振りすら見せなかったのだから。

 自己解決が不可能ならばと手を差し伸べているのに、それを振り払うだなんて問題解決の放棄にも等しい。

 

「驚かせてごめん。ただ、オレの"指"をほんの少しでいいから見てくれないかな?」

「……ぇ、ぁ……指?」

 

 マシュが"ソレ"を見るように促す為の台詞を、喉奥から勝手に紡ぎ出していく。

 自分の右手は僅かに目線の下に据えて、マシュの瞳のみをただ眺める。

 ギリシャ神話の有名な逸話の逆バージョンだ。

 彼女の瞳に指輪が映っているかどうかで、本当にマシュが指輪を見ているかを判別する事が出来る。

 こうすれば、自分だけは指輪を見る必要はない。

 マシュは逃げようとはせず、言われるがままに目線を少しずつ手へ、指へ、そして"指輪"へと送っていった。

 

「ゆ……び……、っ……ぁぁ……、ぁ――――――」

 

 彼女の強張った両肩が脱力していく。

 声はだんだん無気力になり、瞳から意思の光が消えていく。

 

 もういい。充分に配慮はした。

 

 もうたくさんだ。泣いてる顔なんて見たくない。

 

 だったら"変えて"しまえばいい。

 原因とやらを掻き出し、除去して、いつもの彼女に"戻して"しまえ。

 

「――――――」

 

 その姿は一言で評すれば、魂の抜け殻。

 一切の抵抗もなくなり、ただ茫然と座っただけの『マシュ・キリエライト』という名の"人形"がそこに存在していた。

 今、手を放して軽く押しただけで、そのままベッドに倒れこんでしまうのは間違いないだろう。

 

「マシュ……、オレの声が聞こえる?」

「――――――は、い。きこえ、ます……」

 

 マシュはベッドの上で真正面を向いて、たどたどしく応答してくれた。

 ただし無機質な声で、何の感情も乗らない瞳の色で。

 

 使ってしまった。実行してしまったからには、是が非にでも彼女を変えてしまった原因を究明しなければ。

 

「あっと、マシュ。【オレがいいと言うまでは、座ったままで勝手に動いてはいけない】……これでいいかな」

「……わかりました。わたしは、せんぱいが、いいと言うまで、座って、動きま、せん」

 

 ちょうど少し前の自分のように、握った手に縋り付きながら深く、深く指輪を覗き込もうとしていたので慌てて『命令』を送る。

 どうやら眼鏡越しにもしっかり効果はあるし、失明の心配はまず無いだろうが念の為に。

 聞き届けた瞬間、マシュはベッドに力なくストンと座り直した。

 それに万が一にも突然、部屋に乱入者が出現して可笑しな命令文を喋ってしまった場合に備え、いったん席を外し部屋を内側から施錠する。

 これで完全な不測の事態というのは防げるはずだ。たぶん。

 

「本当に人形みたいだ……」

「――――――」

 

 椅子に戻りながら、まばたきと呼吸以外はピクリとも動かない彼女の姿を見て一言。

 ぽつりと漏れた感想にも、一切マシュは答えない。当然だ。

 今の彼女は自分に対して問われたものだと認識してないし、どう思ったのかも『命令』してないからだ。

 

「……さすがにこのままじゃ可哀想か。マシュ、【もう大丈夫だから動いていい】よ」

「はい、うごきます――――――ぁ」

「うっわっ―――と! あ、危なかった……この命令は間違えた、か」

 

 そのまま糸の切れたマリオネットのようにベッドの後ろ―――ではなく、前に崩れ落ちそうになった。

 床に激突する前にすかさず彼女の細い両肩を支えて、姿勢を座ったままで固定する。それでもマシュの表情には恐慌のひとつすら無かった。

 すぐ傍に居なければ、本当に間に合っていなかった。

 使い勝手が悪いどころの話じゃない。催眠をかけられた側は自己防衛すらまともに行わなくなるなんて。

 命令内容は本当に慎重に考えないと。

 

「なら、そうだな。マシュ……【たとえ誰の命令であろうとも人を傷つけてはいけないし、もし自分の身にも危険を感じたら、すぐ正気に戻ること】。いいね?」

「は、い。わたしは、ヒトを傷つけたくは、ありません。―――、―――ぅ―――んっ・・・・・・」

 

 もしもの可能性を先に潰すため、彼女にはごく当たり前の『命令』もインプットさせておく必要がある。

 こんな下らない事で彼女の心にトラウマでも刻んだ日には、罪の意識だのといった問題ですら無くなる。

 たぶん後半の『命令』を復唱しなかったのは、元から催眠を解くトリガーであると同時に、単純に理解が及ばなかったのだろう。

 催眠状態を自覚してない。酔っ払いが自分を酔っ払いと認めてないようなものか。

 

 それにしても、したくない、か。申し訳程度の自意識、拒否反応はちゃんと残っているらしい。

 よく考えればそれも当然か。そうでなければ他人の『命令』すらも何を喋っているか判別できなくなる。

 イエス・オア・ノーすら答えられなくなるか。

 

「えっと……マシュ、【これからいくつか質問をするから、包み隠さず答えて欲しい。この会話は一度眠ったら全部忘れるから、安心して喋っていい】……こんなとこかな」

「は、い。わたしは、先輩の質問に、ぜんぶ、答えます。眠ったら、ぜんぶ、わすれ、ます」

 

 ともあれ目的をさっさと済ませてしまおう。

 なんというべきなのか―――『無垢』と呼ぶにはあまりにも無防備すぎる"恋をした相手"を見ていると、筆舌に尽くしがたい感情が溢れてくる。

 妙に心がささくれ立ってくる。そうとしかいえない。

 こんな方法なんて非合法でしかないのだから早くに終わらせよう。そして、あんなに求めた"いつも通り"に一緒に戻ろう。

 

「オレは最近、何かマシュを怒らせるような事をしてしまった?」

「いいえ、そうではありません」

 

 即答だった。相も変わらず感情の籠らない声色で否定をする。

 

「オレと一緒にいるのが、嫌になったのかな? えぇっと、じゃあまさか、女性ならではのひとりでいたい時期だとか?」

「いいえ、イヤじゃないです。もっと……、わたしは……もっと先輩と、いたい。―――、―――?」

 

 これも否定。想像していた以上にマシな反応ではあったのだが、後半部分は軽く無表情で小首を傾げる。

 敢えて迂遠な表現で言ってしまったので、全く意味が通じなかったせいだろう。はたして正気でも理解したかどうか。

 

 いわゆる"アレ"の日はホルモンバランスの乱れで気が立ちやすく、集団生活から離れたがるとかなんとか。

 所詮は人づてに聞いた程度のにわか知識だから、当たりだろうが外れだろうが別にどうでもいいのだが。

 自分で言っておいて、なんか顔だけが火照ってきた。むしろこの方が遥かにセクハラ発言だろ。

 

「なら、なんであからさまに距離なんか置くんだ? 本当に辛い事が、嫌な事があるのなら、ちゃんと相談して欲しいんだよ……オレは」

「…………それ、は。わたし、は……こわいから、です」

 

 一回だけパンと自身の両頬を叩くことで必死に赤面と羞恥心を抑えつつ、先程の問いかけをリピートしてみた。

 するとマシュは瞳を揺らがせ、身体全体を震わせ、言い淀みながらも意外な答えが返ってきた。

 

「何を、マシュは怖がっているんだ?」

「それは、……それ、は…………、――――――」

 

 今度は答えなくなった。ふっと瞳の揺らぎは止まり完全に感情が消え失せ、そして無言を貫き通そうとする。

 貫くというのも正しくないか。自分で思考停止したのだ。

 なぜ? 答えたくないからに決まっている。

 催眠状態になってまで答えられない事なのか。なんでマスターの『命令』でも従わないんだ。

 いや、それはいい。だったら"聞きたくなる"ようにすればいいだけの事だ。

 

「っ……マシュ、もう一度この指輪を見るんだ。綺麗だろう?」

「ぁ―――ぁ―――ぁぁ。は、はい、ぃ……。とても……とってもきれい、です……」

 

 ならばもう一度。自分の右手をマシュの胸元近くで固定させて、じっくり見るように促す。

 より深い催眠に誘おう。元々が苦しみ、ストレスを除去する為に作られた代物なのならばコレが正しい使い方、のはずだ。

 その方法は『快楽』を付随する。ただ従属させるだけじゃない。負の想いを吐き出す事を良しと、悪い事じゃないと認識させる。

 

「頭を撫でられて嫌じゃないかな? それとも気持ちいい?」

「いやじゃ、ないです。あ、ぁ、きもち、いい、きもちいぃです……」

「そうか、よかった……それなら」

 

 思いのままの言葉が漏れた。

 そして残った左手で彼女の頭頂部を撫でる。優しく、聞き分けのない子供をあやすように。

 スキンシップが決して嫌でないのなら、まだやりようはある。

 右手も使って、間違っても"指輪"は自分で見ないように耳の下、ほっぺたを、下顎も擦り、くすぐっていく。

 さっきと同じ要領で、マシュの表情のみを味わうことに集中する。

 

「ぁ、ぅ……ん。ふ、ふふ……ふふ、ふっ、んぅー」

 

 くしゃりと絹糸のように柔らかな彼女の髪の毛が、指と指に絡まりついてゆく。

 マシュの整った、されども味気のない無表情が崩れ、とろんと目尻が落ちてくる。

 頬にも少しずつ朱色が混じってきた。

 そう、彼女は今、快楽を自ら享受している。

 タダのお人形には決して出来ない反応。

 その姿をこの眼に収めるたび、ぞわりぞわりと、全神経が昂っていく。

 ああ、さっさと、次の『命令』を、しないと。

 

「自分に素直になったらより深く、より気持ちよくなれる。頭を撫でられるよりもずっと、ずっと気持ちよくなれる。自分で言ってみて」

「じ、じぶんに、すなおに、なったら。あぁ、もっと、もっとぉ……きもちよく、なれる……。なでられる、より、ずっと……ずぅーっとぉ……」

 

 マシュは自分から右手に頬擦りをして、悦楽を甘受する。

 意識は更に深く拘泥していく。そう、それでいい。

 悪寒によるものか、それとも熱なのか。背中に存在するはずもない何かがぞくぞくと這う感触がした。

 嫌気はない。だがこれ以上は、耐えられそうにない。何に―――?

 

「自分をさらけ出す事は気持ちいいことなんだ。気持ちいい事は、幸せな事だ」

「きもちいいことは、幸せ……ぁぁぁ。せんぱいに、なでられるのも、しあわせ、ぇ…………」

 

 ―――ただ、マシュには幸せな思いをして欲しい。その想いだけは確かだ。

 束の間にせよ怖い事を、辛い事を忘れて―――否、それではただの繰り返しだ。

 負の感情を掘り返してでも、晒したところで大丈夫なのだと、思い知らせないと、いけないのに。

 あれ、なにかがおかしい。

 

「マシュは幸せになりたい?」

「はいぃ。わたしは、しあわせ、に、なりたい。なりたいっ、ですっ♪」

 

 ただ、コトバを紡ぐ。こんな歪な対談を終わらせる為にオウム返しを繰り返す。本当に?

 とうとうマシュは声まで弾ませ始めた。

 本当に赤ん坊のように気持ちよさそうに、もぞもぞと全身を揺らめかせている。

 虚無な瞳のまま、この身にしな垂れかかりそうになる彼女に―――

 

 

 

 ――――――興奮を覚えた。

 

 

 

「じゃあ、マシュが今、辛いと思ってることを言おう。恐い事なら全部オレが追い払うから頼むよ。答えてくれっ……」

「わ、わたしのつらい、コト。こわいコト、は……ぁ♪ せん、ぱい、が、――――――?」

 

 衝動を必死に堪えながら、彼女のカラダを元の座った姿勢に戻しながら、寧ろこちらが縋るように、一息に『お願い』を言い放つ。

 すると最初は顔を綻ばせながら答えようと口を開けた。

 

「あ……ぁ、せん、ぱ、ぃ、が。ぁ、ァ、ぁぁ、ぁぁ」

 

 ―――確かに答えようとしていた、のに。

 

「ッア、ァ、ぁぁぁあ……! ぃあ、ぁぁあ!? ぅ、ッ、ぁぁぁっぁぁぁ―――!」

「ま、しゅ……? マシュ、マシュ?!」

 

 マシュはガクガクと全身を震わせ、頭を両手で抱え、今度こそ恐慌の表情を顕す。

 小さな口から絞り出すように、喉奥に物が詰まった時のような、余りにもか細い絶叫の声を上げる。

 まるで過負荷を与え続けて、熱暴走を起こした機械のように。

 

 従うべきなのに、従えない。

 

 言う事を聞きたいのに、聞きたくない。

 

 そんな二律背反に彼女の脳が耐えられなくなってしまっている、のか。

 

 きっと今の彼女には理性という留め金が、自制心という『楔』がないからだ。

 異物が挟まっているのに延々と廻し続け、煙を上げ焼き切れそうなモーターと今の彼女は何の違いもないだろう。

 精神だけが、自分でもワケが分からず泣き喚く子供となっているのか。

 でも秘密は話せない。しかしながら擦り切れ続ける想いを外に出力する事しか頭にない。

 なぜそうなる? 決まっている。そう自分が『命令』してしまったからだ。

 

 だが解らない。なんでいつも身の危険には平気そうな面をする癖に、マシュが秘密にしたいコトだけはこんなにも、こんなにも頑なに喋りたくないんだ。

 

「マシュっ―――! もう、いい……」

「ぁぁぁああ、ぁ、ぁ―――ぁ? あ、ぁ、せん……ぱ、ぃ……」

 

 もう、駄目だった。堪えられないのはこちらが先だった。

 軽はずみな行動ばかりの自分自身を殴りつけてしまいたいところだが、呆けてる場合じゃない。

 桃色の髪の毛を掻き毟りそうにまでなっているマシュの全身に抱き着き、密着しながらこんな茶番を終わらせる『命令』を送った。

 

「もういい、もういいんだ。喋りたくないなら、もういい。今はもう……辛い事は、嫌な事は思い出さなくていい。忘れて、いいよ……」

「ぁ、ぁ―――ぁ…………は、い、わかりました。今はもう、つらいコトはおもい、だしません。わすれ、ます」

 

 快楽などの御託抜きに、ただマシュをあやす為だけに、頭を撫でる。

 ふっと先程までの恐れで歪んだ彼女の表情は再び消え失せ、だらんと両腕が垂れ下がってゆく。

 これで再びマシュは『命令』がなければ指輪に縋りつくだけの"人形"に戻った。

 

「なにやってんだろう……オレは」

「―――」

 

 マシュは何も答えてくれない。

 今ならハッキリと判る。自分はマシュに初めて苛立ちを感じていた。

 彼女に降りかかる理不尽という名の害意に対する『憤怒』か。 

 それもあるだろうが、恐らくはもっと単純な感情。

 自分の思い通りになってくれない不条理に対する、実に子供じみた駄々。

 

 その時点で間違いだ。

 彼女にだって主義がある。主張だってある。

 ソレを無視して彼女の心の奥底を覗こうとした結果がコレだ。

 どこか感情の酔いは醒めつつも、心臓の唸りは、血液の乱れた流動は鎮まってくれない。

 

「……ごめんな。きっと何も聞こえてないんだろうけど……」

「―――」

 

 謝罪をしたところで無意味だ。

 ダヴィンチちゃんは確かにこう言った。『異性の対象として正しく向かい合う覚悟はあるのか』―――と。

 

 それは即ち―――彼女に劣情を抱き、女として見てしまう、という事だ。

 なのに、なんでこんな今更な事実に気づかなかった?

 

 決まっている。その結論に達することもまた、放棄していたのだ。

 この期に及んで、お悩みさえ解決できれば今までと同じ関係が続いてくれるという『幻想』を抱きたかったからだ。

 もう彼女に向ける、こちら側からの視点が以前とは異なっている。その時点で真っ先に瓦解する真実(コト)だって、誰だって分かるはず、なのに。

 では従順で、献身的で、誰にでもお優しい『マシュ・キリエライト』という"虚像"に惚れたのか―――?

 

 ―――いいや、それは違う。それだけは違う。

 そうやってこちらは結論だって出せたのに。彼女の方が心を晒す事を拒絶をする理由がどうしても解らない。

 言ってくれなければ、なにもワカラナイのに。

 

 しかし、もう触れるべき事ではないのだろう。我慢をしよう。

 きっと最初から触れていい問題ではなかったのだ。

 結果を出してしまったのだから、ここで素直に身を引こう。

 

「……マシュは今、心の底から何をしたい? 何でもいい、なんにも気にしなくてもいい。出来る事があれば何でもするから。思い浮かべたままの、して欲しい事を言ってくれないかな?」

「―――わたしの今、したいコト。思ったままの、せんぱいと、いっしょに、したい、コト……」

 

 ならばせめて、せめて償いになることをしよう。

 彼女の心を手前勝手に弄んだ罰を自身に与えよう。

 ただそんな事すらも当人に聞かなければ分からないから、催眠状態のままで本当の望みを尋ねてみる。

 

 感情に一度でも罅(ヒビ)が入ったら、もう二度と元の容(カタチ)には戻らないのだから。

 たとえマシュの方は後で何も覚えてなくとも、何かしらの慰めになれば、と。

 詭弁だと思えども、それでも何かをせずにはいられなかった。

 

「せんぱいと、おもったままの、したいコト、は」

「うん、何でもいいよ」

「はい…………、あぁ―――」

 

 肯定のコトバを解き放ち、彼女はこの部屋全体に視線を彷徨わせ、感嘆の溜息を吐く。自分の望む幻想(セカイ)をイメージし始めているのだろうか。

 今の彼女の胡乱な紫の瞳にどんな光景が視えているかは判らない。

 マシュが普段から羽織っているパーカーのフードを頭に浅く被りだして、じっとこちらの顔を覗き込んでいる。

 そういえば、彼女がフードを被ってる姿など一度も見たことが無かったものだから"何故だ"なんて即座に思えず、ただ呆気に取られていた。

 

「ぁ……たたない、と。席を、立って、くださぃ。せんぱい……」

「……? あ、あぁ、分かった」

 

 疑問は生まれたがすぐに取り消して、言われるがままに椅子から立つ。マシュも一緒に腰掛けていたベッドから身を上げた。

 

「―――マシュ…………」

 

 なんて顔をしているんだろう。

 郷愁に耽るような、夢一杯のアリエナイ世界に降り立ったような、そんなココロの底から嬉しそうな表情をして。

 

「せん、ぱい―――」

 

 彼女は微笑む。また心音が跳ね上がる。

 そして彼女の顔が次第に近づき―――

 

 

 

 ―――おもむろに、口づけを交わしていた。

 

 

 

「ん……ちゅっ……」

「――――――」

 

 彼女は感慨に耽るように瞳を閉じて、自らが行うキスを受け容れていく。

 互いに軽く触れ合っただけのソフトキス。それでも柔らかな感触が今でも残っている。

 

「ふ……ぁ」

「―――」

 

 何のコトバも発せない。

 口を塞がれてたからじゃない。

 こうして唇が離れた今ですら、目の前で発生した現象が何なのか、判断できてないだけだ。

 

「……ん……んっ……」

「―――ぇ、あっ……マ、シュ……?」

 

 今度は何故か右指に填めた"指輪"をゆっくり、ゆっくりと引き抜こうとする。

 そこでようやく我に返った。まさかコレの正体に気づいたのか?

 

 いや、それは無いだろう。

 疑念など持つ余地がないし、それに何よりも表情が違った。

 その綺麗な顔、その恭しい仕草が余りにも眩しく―――幸せそうに見えたから。

 だから止める気も起きない。

 

 どくん―――と全身の血管が大きく脈動した。

 

 最初はされるがままにしようかとも思っていたが、途中から様子が変わった。

 マシュは彼女自身の何も持ってない左手をじぃっと眺めながら、電源を停めたように一切の動きを止めた。

 

「ぁっ、わたし、わたしは……っ、か、……ぃを―――」

 

 気を取り直したように再動し、こちらの顔を見つめて口をぱくぱく開けながら、必死に言葉を絞り出そうとするも失敗する。

 彼女の表情は再び立ち代わり、戸惑い、焦燥。

 

「―――ぁ―――っ、わた、しには、やっぱり……だめ。なにも、ない。ない、から……わたし、なんか、じゃ。わたしなんか……う、ぇ、ぁ……ぅっ……ぁぅ。う、っ、ぅ、ぅ―――」

 

 そして落胆、嘆き。

 虚ろな眼差しを下に向け、ほろほろと涙を零し、嗚咽を漏らす。

 無論、自意識がはっきり蘇っている訳じゃない。

 ほとんど無表情のままで、ただ直下に滴り落ちてゆく涙を拭うこともなく、彼女の履いている黒いストッキングを濡らしていく。

 もちろん、彼女の余りにも弱々しい慟哭の意味などまるで解を成さない。

 

 

 

 ―――なんなんだ、ソレは。

 

 勝手に塞ぎ込んで、勝手に喜んで、勝手にヒトを、オトコを"誘惑"しておいて。

 

 そんな有様で"自分を解かってくれ"だなんて虫が良すぎる。

 

 言ってくれなければ誰だってワカラナイのに。

 

 いって、くれなきゃ―――

 

 

 

 ―――自分の中の感情が、今度こそ破裂した。

 

「なんかなんて言うな」

「ぅ……ぅ、ぁ……? は、い。わたし、は、なんか、なんッ――――――」

 

 訳の分からない想いの発露の中には、どうしても聞き捨てならない単語が混じっていたから。

 辛うじて残っていた感情の濁流から選び取った『命令』を、いや懇願を早口で解き放つ。

 

「ふ、ぁ、あぅん……ちゅっ―――」

「マ、シュ―――ん―――」

 

 華奢なマシュの全身を力強く抱きしめる。互いの体内の酸素を吐き出しつくすほどにまで。

 今度はこちらからキスをする。マシュの唇を強引に塞ぐ。

 余計な復唱など全く不要だ。あとは全て衝動に任せろ。

 

 もういい、もう認めてしまえよ。自分はマシュに欲情していた、と。

 なら、もういい。だったらあとは全て欲望に身を委ねろ。

 

 だからもういい。もうこっちも我慢などしない。

 足元を見てみると、ヒトとヒトを象っている陰影が、実像よりも先に重なり合っていた。

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