ピスケス国を出発した時には、すでに夜も更け、辺りは暗黒に包まれていた。シーファーを乗せた馬車が、深い森に入って、かなりの時間が過ぎている。護衛兵達が持っている松明と、先導の松明だけが唯一足元を照らしていた。しかし、松明の明かりだけでは見通しも悪い為、ゆっくりと歩を進めるしかない。
本来なら、日の出ている間に行動すべきだが『ピスケス国から一刻も出て行きたい』と、一行の思いもあり、自殺行為であるが、暗闇の中を歩き続ける。しばらく歩いていると、どこからとも無く獣の遠吠えが聞こえてきた。その声でその場の空気が一変する。無数の足音が近付き、シーファーを乗せた馬車をぐるりと取り囲んだ。シーファーは馬車の窓から顔を出して周囲を見渡す。
「……シーファー様」
「分かっているわ。獣の群れね」
声を潜めシーファーは言う。側にいた兵士が頷く。闇に目を凝らし外を窺う。少しずつ目が闇に慣れ、周りの様子が見えてくる。深紅の目が無数蠢き、暗闇と同じ毛並みで、周囲に溶け込んでいる獣達。その内の数頭は、他の獣達と違い、大人の男性の二倍くらいの大きさ。獣達は全部でざっと、四、五十頭いるだろう。シーファーは生唾をゴクリと飲み込んだ。
「グルルルルル」
喉を鳴らし、一斉に襲い掛かるタイミングを計る獣達。シーファーもゆっくりと馬車を降り、獣を睨み付けながら様子を窺う。どの位睨み合いが続いたのだろう。シーファーの額には汗が滲んでいる。
その時……
一陣の風が吹いた。それが合図かの様に、獣達が一斉に襲い掛かる。
「うおおおおお~!」
「シーファー様は俺達が護る!」
兵士達も声を張り上げ応戦した。しかし、多勢に無勢。数人の兵力だけでは、これだけの獣達を追い払う事も出来ない。一人、また一人と命を落としていく。シーファーも護身用の短剣で応戦するも、とても対応出来ない。綺麗だったドレスは、獣達の牙や爪に引き裂かれ、見るも無惨にズタズタだった。切り傷もあり、血も滲んでいるシーファー。
(もうダメなの?私はここで終わるの?)
息を切らし、シーファーの心が折れそうになる。手に握り締めた短剣を掴む力が無くなったその時。物凄い勢いで突風が吹き抜けていく。その強さは立っていられない程強く、シーファーや護衛兵、獣達すらもその場にしゃがみ込む程だ。すぐに突風は止み、森に静けさが戻る。シーファーは恐る恐る目蓋を開けた。シーファーの目の前で何かが揺らいでいる。その揺らぎは大人の男性位だろうか。揺らぎの向こう側は、獣達の姿が見えている。ところが、獣達は尻尾を後ろ足で挟み込み、揺らぎに怯えている様に見えた。
『散れ』
揺らぎが言う。その声で獣達が一声上げると、一目散に逃げた。シーファー達は、一瞬の出来事に呆気に取られてしまう。ただ、無言で揺らぎを見つめた。
『災難だったな。大丈夫か?』
揺らぎがシーファーに話し掛ける。言いながら、揺らぎが動く。その動きは人の動き、そのものだった。
『ん?どうした?』
「……あ、た…助けて頂いて有り難う御座います……あの…」
『おぉう!良いって事よ。俺は頼まれてあんたらを助けただけだし』
シーファーは声を掛けようか悩む。
『悪いな。アイツが近くにいなくて実体化出来ないんだ。本来ならちゃんとした姿で会いたかったが』
そう言うと徐々に揺らぎが小さくなっていく。
「待って!」
シーファーは揺らぎを捕まえ様と、手を伸ばす。揺らぎが笑う。
『俺は捕まえられねぇよ。で?何だ?』
「貴方は一体何者なの?それに」
『う~ん、そうだな。あんまり色々言えないんだ。アイツに怒られるし。……んじゃあ、一つだけ。俺は風の精霊だ。それ以外は教えられない』
消える直前、揺らぎは最後に一言言った。
『縁があればまた会えるかもな』
そして、消えた。シーファーは力が抜けた様にその場に座り込んでしまう。レンが今にも崩れ落ちそうなシーファーの身体を支え、シーファーの意識はそこで途切れた。
シーファーが目を覚ますと、辺りは明るく日が昇っていた。身体を起こし、シーファーは自分の今の状況を確認する。馬の蹄の音が聞こえ、ここが馬車の中だと理解した。シーファーは馬車の窓から外の様子を窺う。数人の護衛兵とレンが、ボロボロの服のまま歩き続けている。馬車の外装は傷だらけで、獣達に襲われた事が嘘ではない事を示していた。
「姫様、目が覚めたのですね」
「えぇ、皆も大丈夫だった?」
「……それが」
言葉を濁すレン。シーファーは傾げた。
「どうしたの?」
「……実はですね」
レンは、シーファーが意識を無くしてからの状況を説明する。シーファーが倒れてから、護衛兵達とシーファーを馬車に乗せ、レオ国へ向けて歩き出したらしい。しかし、途中でこの森の主、大獣が一行に立ち塞がり、レンも護衛兵も今度は諦めたらしい。ところが、先程の『風の精霊』が現れ、もう一体の精霊『地の精霊』と共に、大獣を退けたそうだ。
「知らなかった。そんな事が起こっていたなんて」
「それで、風の精霊がシーファー様に伝言を」
言って、躊躇するレン。シーファーは再度首を傾げた。
「何よ。伝言って」
「……えぇっとですね。『また会えると良いな』だそうです」
その言葉に怪訝な表情を見せるシーファー。レンも申し訳なさそうな表情でシーファーを見た。
「……そ、それだけ?」
「はい、それだけです。伝えるべきか悩んだのですが、一応頼まれましたので」
二人は無言でお互いを見つめ合う。無言を破ったのはレン。
「シーファー様、兵士も馬も休みなしで歩いたので」
「分かったわ。もうレオ国内に入ったから休憩しましょう。本当ならピスケスで休憩する筈だったんだし。」
そう言って、視線を進行方向に向ける。目を凝らして見れば、レオ国城が少し見えていた。
次回は、主人公再登場です。