馬車を止めた場所から、すぐ近くで水の流れる音が聞こえ、シーファー達は荷車から馬を放すと、馬と共に水の音のする方へ。小柄な女性が跨げる程の小さな小川が静かに流れている。水はとても綺麗で、透明度も高い。水底が容易に見える。そこには小さな魚も気持ち良さそうに泳ぎ、シーファーは履いていたヒールを脱ぐと、指先からゆっくりと水に浸けた。
「冷たい!でも、気持ち良いわ」
シーファーがはしゃぎながら言う。その様子を見て、レンの表情も少しだけ綻んだ。一通り堪能したシーファーは馬に水を飲ませ、ブラシでその労を労い。護衛兵にも濡れたタオルで身体を拭いたり、傷口の消毒をしたりと、王女様とは思えない程よく動いた。そんな姿を兵士達はとても喜んで見ていた。ある程度終えると、シーファーは小川を散策し始める。
「姫様、あまり遠くへ行かないで下さいね」
後ろからレンが言う。
「分かっているわ。心配しないで」
振り向き言うシーファー。上流へゆっくりと歩き出す。ヒールで疲れた足は、浮腫んでいた為、素足で歩く。水苔や草の柔らかな感触が気持ち良い。その感触を感じながら、シーファーは景色を見つめる。小川の近くに生えている木々は、あまり大きくなく少し小ぶりだ。木々の間から差し込む陽射しは眩しく、疲れた心や身体に沁み込んでいくようだ。ふと振り向くと、レン達の姿がない。
(やだ!気付かない内に歩き過ぎたわ!)
急いで戻ろうと踵を返す。苔に足を取られ勢い良く転倒するシーファー。
「痛い!」
どうやら足を挫いた様だ。段々と赤く膨れ上がり、激痛が走る。
(どうしよう……。これじゃあ歩けないわ)
シーファーは途方に暮れた。小さく溜め息をつき、一応思案する。しかし、どうする事も出来ない。とりあえず、シーファーは迎えが来るのを待つ事にしたが、ここは深い森の中。しかも、森はあまりにも広大だ。シーファーの心の中は不安で一杯になり、涙が零れた。何の前触れもなく背後から音がする。その音は、徐々にシーファーに近付いていた。音がシーファーの背後で止まる。
(まさか、獣?それとも)
震えながら音がする方に振り向くシーファー。視界に入ったのは一人の青年。それも昨日、ピスケス国へ向かう途中で出逢ったあの青年だった。青年は昨日と違う、灰色の作業服を着てシーファーを見下ろす。シーファーの鼓動が大きく跳ねた。
「…………」
無言でシーファーを見つめる青年。その目は何も関心を示さない冷たいモノ。青年の視線が動く。シーファーの身体全身を観察する様に動くと、ある一点で止まる。そこは挫いた足だった。何も言わずにシーファーの横に、片膝を着くと、怪我をした足に触れる青年。シーファーは青年の行動一つひとつに、鼓動が早く強く締め付け苦しくなる。徐に、青年は自分が着ていた服の袖を破り、シーファーの怪我した足に巻き付け、しっかりと結ぶ。
「……ぁ…有り難う…」
絞り出す様に言うシーファー。青年はシーファーを一瞥し、立ち上がる。
「お前、馬鹿か?」
青年が初めて口を開いた。その声は低く、透き通っている。シーファーは目を丸くし、言葉の中に苛立ちが含まれている事に気付く。
「ったく。俺が折角安全に通れる様にしてやってんのに。こんな所で怪我して」
言葉と共に溜め息をつく。
「面倒くせぇ~女だな」
親切に助けてくれたと思っていた青年に、いきなり『馬鹿』や『面倒臭い』と言われた事に、シーファーは訳が分からない。
「な、何よ!何で貴方にそんな事、言われなきゃいけないのよ!」
顔を真っ赤にしてシーファーは反論する。しかし、青年は素知らぬ顔でシーファーを見下ろしていた。
(何よ!ちょっとカッコいいからって。……ちょっと待って、それよりも安全に通れる様にしたって言ったわよね?)
思案しているシーファーを他所に、青年は立ち去ろうとしていた。
「ちょっと!待って!まさか、私を一人にするの?置いていかないわよね?」
シーファーの問いに、青年は歩みを止め振り返る。その仕草に、色気の様なものを感じてしまう。シーファーの鼓動が強く脈打つ。
「迎えならそこまで来ている。大人しくそこで待っているんだな」
それだけ言って青年は去って行った。青年の背中を見送りながら、シーファーはある事に気付く。
(っあ!名前聞くの忘れてた)
青年が去ってから、程無くしてレン達が迎えに来る。レンは怒っていた。
「姫様!あれ程言ったのに!」
「ごめんなさい、心配かけて」
素直に謝るシーファー。レンもそれ以上言わない。負傷が少ない兵士がシーファーの前で背を向け、膝をつく。レンに身体を支えられながら、シーファーはその兵士に身体を預けた。そして、ゆっくりと馬車が止められている場所まで向かう。
「ところで、どうして私の居場所が分かったの?」
「実は姫様がいない事に気付いてから、私達は周囲を捜し回りました。」
「ごめんね」
「それはもう良いんです。そうではなくて、捜していたところ、『地の精霊』が現れて、姫様の居場所まで案内してくれたんです」
レンの言った通り、森のあちらこちらを捜し回っていたレン達。一旦、馬車の場所まで戻ると、一人の青年が立っていた。話を聞くと『風の精霊』だった。
『アイツが近くにいるからな。実体化出来るんだ。』
そう言っていた。その風の精霊の姿は 長い白髪を後ろで束ね、ラフな服装の細身の男の姿。見た目は二十代半位だろうか。そして、レン達にこう言う。
『お姫様捜してんだろ?アイツに聞くと良い』
指を指した先には、大柄な男が立っていた。その男は、全身を岩の様な鎧を纏い、レン達を見据えている。レン達に近付く大柄な男。
『主の命令により、お前達を案内する』
それだけ言って歩き出す。レン達は慌てて後を追い、シーファーを見つけたのだ。ところが、先程の『地の精霊』はシーファーが見つかると姿が無くなっていた。
「そうだったの」
シーファーの中でもどかしい様な感覚が襲う。
(何だろう。この気持ち、疑問が沢山湧いて)
急に黙ったシーファーを、レンは心配そうに見つめる。
「姫様、どうされましたか?」
「うぅ~ん、何だろう。色々疑問が湧くって言うのかな」
「例えば、どんな疑問ですか?」
「レン達が来る前なんだけど、あの人に逢ったの」
「あの人?」
「ほら、ピスケス国に向かう途中で出逢ったあの人よ」
シーファーはレン達に見つかるまでの経緯を話す。その状況を話すシーファーの表情は明るく、楽しそうだった。話を終えると、シーファーは小さく溜め息を一つ。
「名前、聞きそびれたわ」
「姫様、気になるんですか?そのお方が」
「……ち!違うわよ!そもそも名前を聞いてないし。それに私は自分より強い男が良いの!知っているでしょ!」
百面相のシーファー。顔の表情がコロコロ変わる。
「それはともかく、確かに気になりますね。青年の言葉と精霊の出現」
「それも気にはなるけど、私的にこの世界に精霊がいた事の方が驚きよ」
鼻息を荒くし言うシーファー。レンも精霊の存在を歴史書で知っていたが、初めて目の当たりにして驚いていたりする。
「精霊がいるっていう事は、精霊使いもいるかも知れないって事よね?この世で最も強く、高貴で気高い種族かぁ」
まるで恋する乙女の様に目を輝かせるシーファー。
「逢ってみたいなぁ」
呟いてみる。脳裏にあの青年が浮かんだ。
(何でアイツが出るのよ!絶対に違うんだから!)
頭を思い切り横に振り、シーファーは自分の頬を両手で叩く。気が付けば、馬車の近くまで来ていた。シーファーは兵士の背から降りると、レンに身体を支えられながら馬車に乗り込む。ゆっくりと馬車が動き出し、シーファー達は深い森から出たのだった。
次回は、主人公側です。