大きな事件はありませんが、次回は場所がシュルズーベリ修道院に変わります。
教会の庭先で、偶然、その光景を見たとき、カドフェルは、なんて間の悪いタイミングだと思わずにはいられなかった。
二人の姿を見かけたからだ、椅子に腰掛けた女のそばに立っているロバート副修道院長が話しかけている、その様子は熱心に、そうひどく熱意あるものに見える。
女の周りをゆっくりとした足どりで歩く、その自信に満ちた足どりと態度にカドフェルは気の毒にと思った、というのも女が時折、視線をよそに向けるからだ、だが、ロバートは気づいていない。
できることなら助け船をだすべきだろうが、この場を離れようと思った時、女の顔、視線が自分を見たような気がした。
たいして距離が離れている訳ではないが、このときカドフェルは女が困って助けを求めて入るような気がした。
足が自然に動きだす、頭の中で、どんな言葉をかければいいのかと思いながら、自分に気づいたロバートの顔は不機嫌な表情になったが、それはほんの一瞬だった。
「キャベツに人参、ミントは季節を問わずに、それと薬の調合を」
一体、自分はさっきから何を話しているのか、いや、そもそも、何故、自分が世話をしている野菜と薬園の話になったのだろうか。
女は自分の話を聞いている時折笑い声を漏らし、今の季節はどんな者を育てているんですかと尋ねてくる。
だが、突然、相手の声が途切れた、隣を見ると女が少し困った顔で自分を見ている。
「もしかして、うるさくしすぎました、あたし、喋ってばかりで」
とんでもないといわんばかりにカドフェルは首を振った、会話の内容は自分の得意分野とするものだ、答えられないものなら困るが、今のところ、それはない。
だが、本当に話したいのは、それだけだろうか。
「聖女って、本当にいると思いますか」
思わず聞き返したのも無理はない、もしかして、これが本題なのだろうかと思った。
「難しい質問だ」
とてもと、付け足すことをしなかった、自分はその質問に答えることができない、もし、聖人、ウイニフレッドの骨が答えてくれたらと思ったが、それも無理だろう。
ここに副修道院長がいたら、答えは一つしかない。
「シュールズベリは遠いんでしょう」
予想もしない質問だったので、これには正直、驚かずにはいられなかった。
「馬で十日ほどでしょうか」
相手は返事のかわりに呟くような声を漏らした、だが、それは小さな声だったので、聞き取ることができなかった。
そのかわり、空を見上げた女の横顔にカドフェルは視線を向け、ほんの少し、凝視した。
あなたは聖女なのかと聞きたくなる、口から出てしまいそうになる言葉を飲み込んだ。
隣に立つ女性を見ていると、もしかしてと思う、だが、それは外見だけだ。
こうして話をしていると言葉を交わしていると、聖人、聖女などと思える訳がない。
「ブラザー・カドフェル」
女の声に、はっとして顔を上げた。
「雨が降りそうですよ」
教会の建物に向かって歩き出す背中を見ながら、カドフェルは自分が答えを出せないことに、悩んでいることにもどかしさを感じていた。
カドフェルは思った、彼女は、ここを離れたくないのではと。
聖人ウイニフレッドの遺骨がここから離れたくないと思っているのと同じようにヒウや村人と話していると、そう感じてしまうのだ。
だが、それは自分の想像したことであって本人から直接、聞いた訳ではない、一言、本人が行きたくないと言えば簡単なのだ。
だが、副修道院長のロバートの熱心な勧誘、誘いの言葉は巧みだ、丸め込まれてしまっても不思議はないだろう。
カドフェルは正直なところ悩んでいた。
方法が見つからないのだ、以前の問題を解決したときは運が良かった。
すり替えにしても、遺骨そのもの、本人が望んでいたのだから良心の呵責を感じることもなかった。
村人たちの協力もあってうまくいったのだが、今回は正直、どうしていいのか迷う、自分が手を出してもいいのかと、余計なお節介になりかねない。
その日は朝からいい天気だった、村の中を散歩していると自分の姿を見つけた彼女が、手を振りながら近づいてきた。
カドフェルは驚いた顔で相手を見た、いや、それも無理はない、ズボンにシャツ、着ているものだけでなく髪の毛にまで藁や草の切れ端がついている、いや、顔には泥汚れまでも、草原で転びでもしたのだろうかと思ったが、相手は気にする様子もない。
「子牛が産まれたの、アネストのところで、体を拭いてあげて」
楽しそうに話す様子に思わずつられてカドフェルも微笑んだ。
「あなたは、ここに居たいと思っていますか」
突然、何を言い出すのかと女は驚いたようにカドフェルを見た。
「旅行や遊びで行くならいいかもしれないけど、修道院長様、あの人の話を聞いていると思わず頷いていしまいそうになるの、口がうまいのね」
「院長ではなくて、副修道院長ですよ」
カドフェルの言葉に、そうだったと不思議そうに女は尋ねた。
「あまり、まじめに聞いてなかったわ、あなたは聖人ですなんて言われて、はい、そうですなんて頷く人間がいると思う、そんな人がいたら思わず詐欺師か、ペテン師と思ってしまうけど、あたしなら」
その言葉にカドフェルは相手の女の顔をじっと見た、どう答えればいいのか返事に迷ったのだ。
「あなたは、ここに」
「ああ、ここにおられた、ブラザー」
振り返ると若い僧が駆け寄ってくる姿が目に入った、随分と慌てているようだ、何かあったのだろうか。
「教会に戻って下さい、副院長がお呼びです、急いで」
一体、何事かと思い歩き出すが、このとき振り返ると振り女が自分に手を振っていた。
何か言おうとしたが、早くと急かされ、カドフェルはわずかに頭を下げるただけだった。
「一体、どういうことだ、あまりにも突然ではないか」
怒っているのは明らかだが、理由がわからない、カドフェルはゆっくりとした足どりで副院長、ロバートに近づいた。
カドフェルの顔を見ると怒りをぶつける相手が見つかったとでもいわんばかりに、遅いではないか、何をしていたのだと問いつめるような口調でロバートは問いかけた。
「あの、ブラザーは聖女様と、お話をされていて」
自分を呼びにきた若い僧は助け船をだしたつもりかもしれないが、ロバートの顔色が瞬時にして変わった。
余計な事をいうんじゃない、思わずカドフェルは胸の中で十字を切った。
「ブラザー、何かあったのですか」
普段より落ち着いた口調でカドフェルは呼ばれた理由を尋ねた。
「院長から戻れという命令だ、修道院の近くで何事かあったらしい、王からの使いが来て」
院長の命令なら、色々と理由や言い訳を並べて帰還を延ばす事もできるだろうが、王、即位したばかりのスティーブン王が関わっているとなれば無視する事はできない。
明日にでもここを立たなければ、怒った口調で呟くロバートとは反対にカドフェルは内心ほっとした。
急いで帰り支度をしなければならない、その場を離れようとしたとき、会計修道士のリチャードが何か言いたげに、聖女の件はと口にしかけた。
翌日、教会の前で一行を見送るために村の人間が集まった。
皆、興味深げに眺めていたのはロバートだ。
副修道院長は女の手を両手でしっかりと握りしめると、別れと再会の言葉を繰り返した。
「改めて、あなたを迎えに来ます」
女は驚いたようだった。
「副修道院長という立場なら、お忙しいんでしょう、でしたら、私からそちらへ行きます、シュルーズベリはいいところなんでしょう、美味しいものや景色がきれいだって聞きました」
「おお、本当ですか」
周りで聞いていれば女の言葉は観光旅行、遊びに行きたいという感じに受け取れる、だが、ロバートは、その喜ぶ顔からして明らかに違う、都合よく解釈していると思ったのは、カドフェルだけではない。
本気で、シュルーズベルリに来るつもりなのか、ここにいたほうがいい、何か面倒ごとに巻き込まれたら大変だ。
このとき、少しでも話す時間があればカドフェルは言いたかった。
だが、ロバートが出発しようと声をかけ、仕方なくカドフェルもロバを歩かせた。
今までの人生の中で色々なことがあった、有りすぎるほどにだ、だから静かな、この修道院の生活を最後にと選んだのだ。
何もなければいい、ハーブと野菜の世話をして静かに暮らすことができればいいのだ、なのに、どうして悩む、いや、悩んでいるのは自分の勝手だ、彼女や村人から、直接、はっきりと何か言われた訳ではない。
ヒウは心配していたが、それでもはっきりとは。
カドフェルは、もう一度振り返った、ゆっくりと歩くロバの背中から手を振ったのは仕方なくだ。
何故なら、まだ手を振っていたからだ、彼女は。