「良かったね」
「ああ。三番組もはしごしちまったけど、疲れてないか」
「むくくっ。うん。ちょっと疲れたけど、でもキレイだった」
プラネタリウムのドームから出てきて、広場のところで私はぐぐっと伸びをする。長い間座って固まった私の身体に血が巡る感覚がある。結局三番組も連続で投影を見てしまった。三回目の入場のときにはチケット切りの係員さんの笑顔になんだか慈愛のそれを感じてしまった。別に恥じ入ることはしてないが。
私は天文が好きだ。星の光は宝石のようにきらめいていて美しい。それを改めて確信した。
「もう六時だよ。結構な時間になったね」
「じゃあ植野まで戻って、そのままだな」
十月ゆえ辺りはもう大分暗くなってきていた。航空宇宙の講演に関しては事前予約制とのことで参加不可能だった。仮にそれに参加したら、私が三日月村に帰る時間も相当遅くなってしまう。そのため、二人でそのまま帰路につくことになる。コンビニさをとめ時代には、夜も暗くなってからさをとめを訪ねてきた私を常にあっくんは送ってくれていた。今では見送りは秋場原の駅までだけれども、心配してくれることに申し訳無さと嬉しさとが入り交じる。プラネタリウムの施設の球状の屋根が遠ざかっていくと同時に、あっくんと一緒に居られる時間の終わりの足音が聞こえ始めていた。私は彼の手を取った。
お花茶店の駅に戻るまでに、私たちは歩きながら夜空を見上げていた。プラネタリウムの投影とはうって変わって、一等星が辛うじて見えるくらいのシーイングだった。都会は光害が酷い。いつかほしのなかの街、ひいては旧三日月村もこのレベルのシーイングになってしまうのだろうか。星空の中にあっくんとの思い出を見出しながら夜な夜な星を見上げていたときに抱いた悲しみが、私の中でまたぶり返す。今の子供では天の川を見たことがある人は二割もいないらしい。星は、現代社会の生活から確実に消えていっている。
「ねえあっくん」
どうした、と視線の先を夜空から私の方にあっくんが向ける。私は少しだけ悩む。
「……なんでもない」
なんだよ、と私の頭をなで、じゃれついてくるあっくん。夜空の秘密を解き明かしたときの胸の昂ぶりを誰かに伝えたいことは、私の先生になりたい理由の大きなところだ。その辺りの話と今のシーイングの話をうまく説明できる気が、私はしなかった。
さっとあっくんの家に戻り、通い妻キットをピックアップして、再び秋場原駅の改札前へと移動した。来た時とは違って、帰るときにはあっくんは改札前まで来てくれる。
「今回もありがとう。また再来週な」
「うん、またね」
私は秋場原駅の改札を通り抜け、後ろへと振り返る。あっくんが笑顔を浮かべている。彼に手を振り返して、コンコースへと小走りで向かう。昔から別れ際にキスをするような文化に生きている二人ではないし、土曜日と言えども下り電車である築波エクスプレスはそれなりに混雑する。人前でキスをするには私の羞恥心がもたない。また再来週になれば会えるのだ。この会いたくても会えない期間というものが遠距離恋愛の醍醐味だ、と大学の同級生も言っていた。
幸いにして電車のなかは押しくら饅頭ということはなく、車両壁際扉の横の部分にもたれかかり得た。
「よいしょっと。ふぅ」
通い妻キットを網棚に上げ、力を抜く。私の背では網棚の高さが少しだけ大変で、あっくんの身長が羨ましくなる。彼との子どもの身長は彼に似るのか、私に似るのか。私のお母さんのような、キレイな人になったらいいなと思う。
「出来れば、あっくんに似てほしいなあ、なんて」
あっくんと、子どもと、手を繋いで歩く。考えるだけで幸せそうな光景だった。
スマートフォンが通知のバイブレーションを鳴らした。あっくんが通知アプリでメッセージを送ってきたようだ。
「今回もありがとう。また再来週な」
そしてアザラシが、気をつけてねと手を振っているスタンプが送られてきた。いや、アザラシのアレは前足になるのだろうか。それはさておき彼は結構このアザラシのスタンプを気に入っていて、シリーズをほぼ全て買っているようだ。。星野第一時代から使っていることを踏まえると相当な期間だろう。
別れ際の言葉と一字一句変わらない文言は、彼がぶっきらぼうしている証であった。私も電車に揺られるウサギのスタンプを返した。そして私のお母さんに、今秋場原を出た、と連絡を入れた。すぐに返事があった。
「了解。今回は何を作ったの」
私のお母さんもあっくんのことを気に入っている。あっくんにおでんを用意してくれていたものの、彼が東京に住み始めてからはほとんどお母さんが直接何かの料理を作って私に持たせることは無くなった。代わりに私はお母さんから様々な料理のレシピやテクニックを習っており、ミネストローネの作り方もそのひとつだった。
「ミネストローネ。お野菜たくさん食べられると思って」
「あら、良いじゃない」
第二外国語の勉強に苦労しているだの、彼の近況についてメッセージアプリで話していると、帰途の道すがらの空き時間はすぐに潰れてしまう。
電車を降り、バスに乗り換えて三日月村駅、さをとめ前のバス停にて降りた。
バスから降りてきた私を認識したのか、年を経て少しだけ壮年の貫禄を得たコタちゃんが、厳かに二回だけ鳴いた。
「コタちゃん。ただいま」
犬も年をとると落ち着いてくるのであろうか。もうコタちゃんにじゃれつかれることもないし、その結果犬の毛まみれになることもない。そして万一毛まみれにされても、コロコロもコロコロをかけてくれる人もここにはいない。
「もうコタちゃんというより、コタさんなのかな。ふふっ。でもなんだか響きがイマイチだね」
コタちゃんの頭を撫でながら笑っていると、レジの辺りで店番をしていたさをとめのおばさんが私に気がついて、出て来てくれた。
「あら沙夜ちゃん。宙見君のところからの帰りかい」
「はい。そうです」
「そうかい。美晴、コタロウの散歩、行ってきておくれよ」
もう幾度となく繰り返している日常だけに、おばさんの飲み込みも早い。コタちゃんの散歩にかこつけて美晴先生は夜道を歩く私を心配してくれる。今は駅からわが家の近所までの送迎は美晴先生がやってくださっている。
「いつもありがとうございます」
「いいんだよ、たまには美晴も外に出なきゃ」
先生を辞めた後でも、今この状況であったり、むつらぼしの会の顧問を引き受けてくれたり、教え子のことを心配してくれる美晴先生は、やっぱり立派な先生だと私は思う。
待っていると、ものの数分で美晴先生が店の奥から顔を覗かせる。相変わらず身仕度という概念がほぼないので早い。
「はいはい、じゃあ行こっか」
いつものジャージ姿で出てきた美晴先生はコタちゃんの紐を掴んで、歩き始める。女性二人歩きも東京では少々躊躇するが、三日月村なら問題にはならない。
私と先生の影が街灯で作り出されては、後へと流れていく。それを何度も繰り返して、線路沿いから少し村の中に入っていく辺りで、必ず聞かれることが二つだけあった。
「で、暁斗はどう」
いつも通り頭を掻きながらの美晴先生の質問だった。
「はい。星は今でも大好きですし、三人仲は問題ないと思います」
「はぁ……。毎回これ聞いているけど、三十路独身の胸抉られるわこれ」
「いつもありがとうございます」
美晴先生は私たちを天文の世界に誘った張本人で、やはり気になってしまうらしかった。
「……やっぱあいつには勿体無いくらいいい子だよ、あんたは」
否定も肯定もしない。あっくんへの独占欲であったり他の女の子への嫉妬心であったりで、私自身は結構自らを黒い人だと思っているが、それを話し合ったのも昔だ。
家の前にまで辿り着くと、美晴先生は踵を返して、もと来た道を帰っていく。
「じゃ、私はプレイ途中のゲームあるから。さっさと帰るわ」
「ありがとうございました。おやすみなさい」
お母さんに挨拶くらいしてもらおうとはじめのうちは思ったものの、なんでも現在ニートの元担任教師という肩書は教え子の保護者に会うには少々荷が重いらしかった。そして私は目の前の扉を開けて、帰宅した。
「ただいま」
二週間に一度の「遠距離通い妻ちゃん」はこれでおしまい。また再来週、月日は流れて、変わらないものなんてないのだから。
.
.
.
完結です。長い間ありがとうございました。
天ノ川沙夜ちゃんのかわいさと、「見上げてごらん、夜空の星を」本編沙夜ちゃんルートで語られていた「無常」とが表現できていたら幸いです。