どんな場所にも、等しく昼夜は巡り、月日は流れる。それはこの唐舘市でも例外では無く。
既に夜の帳が幕を下ろし切り、人々が今日一日の疲れを自らの住まいでゆっくりと落とそうという頃。その青年は右手に持つビニール袋を揺らして帰宅の途に着いていた。
「つ、疲れた…委員長、頼ったのが嬉しかったからってあそこまでガチで教えてくれなくたっていいのに…」
格好こそラフな服装だが、呟かれた内容から察するに学生のようだ。
「しかも冷蔵庫がすっからかんとはな…まぁ、売れ残ってた寿司が買えたから結果おーらい、か?自炊もちょい面倒だったし、寿司なんて高いし滅多に手が出せないからなぁ…」
ふんふん、と鼻唄交じりに歩く青年。余程寿司が楽しみなのだろう、その鼻唄に合わせてステップまで踏み始めた。…もしその姿が知り合いにでも見られれば、揶揄われることは間違いないだろう。今の彼に、それを気付けるだけの思慮深さは無かったが。
そんな状態でT字路に差し掛かった青年だが、丁度曲がり角から出てきた女性とぶつかってしまった。
「うわっ」
「きゃっ」
お互いその衝突に耐えきれずに尻餅を着いてしまう。慌てて謝ろうとした青年だが、街灯に照らされ浮かぶ女性の容姿に思わず息を呑んだ。
月の光を浴びて輝く長い綺麗なブロンドヘアー、エメラルドをはめ込んだかの如き一対の瞳、禁欲を表すように全身を覆い隠すワインレッドのヴェールと修道服。それでも隠しきれないその豊かな胸。そして力を込めると折れてしまうのではないかと思う程に細い腰。
まるで神が自らの前に遣わせた天使では無いかと錯覚する程、その女性は美しかった。
「…あの…?どうかしましたか?」
暫く女性を見てフリーズしていた青年だが、当の女性に声を掛けられ意識を取り戻す。
「…いえ、何でもないです天使さん、大丈夫ですか?怪我は無いですか?」
「だ、大丈夫ですが…て、天使…ですか…?」
急に天使なんて呼ばれて戸惑う女性。当然である。そして青年も、思考がそのまま口をついて出ていた事に気づいた。
「あっ、すみません…間違えました。シスターさんって言おうとしたんですけど、同じ神に仕える者だからって口が誤変換を起こしてしまったみたいで。ははは…」
苦しい言い訳をする青年だが、女性には得心がいったようだ。先程迄の訝しげな表情から一変して、優しげな笑みを浮かべる。
「普段目にはしないでしょうから、間違えるのも仕方ありませんね。此処をもう少し真っ直ぐいった先にある唐舘真教会で、シスターを勤めているユーリヤ・ミハイロフスカヤと申します。もし宜しければ、お暇な時にでも是非一度、覗いて頂けると私か父が対応出来ると思います。あっ、でも、別に強制しているわけでは無くて、本当にお暇な時が有ればで構いませんので!これは無理な勧誘とか、そういうのでは無くてですね…」
「はは、解ってます。ユーリヤさんっていうんですか、ご丁寧にどーも。俺は
慌てるシスター…ユーリヤに、つい苦笑してしまうカノン。確かに、宗教と聞くと胡散臭い印象を受ける人が多いだろう。その上、ユーリヤは異国人であり、大変な美人でもある。日本語を話してくれているとはいえ、外国人に警戒してしまうのは一般的な日本人の
しかし、カノンはユーリヤにそういった印象を抱かなかった。嘘を吐いてしまっても直ぐに自分からバラして謝ってくるような、そんな人の良さをユーリヤから感じた為だ。
勿論、これが彼女の演技の可能性もある。しかし、彼女になら騙されても構わないと思う程に、カノンは一目見てユーリヤの美貌に参ってしまっていた。
「それじゃあ、俺はこれで…って、あぁっ!」
「どうかしました…って、あっ…うわぁ…」
颯爽と立ち去ろうとしたカノンだったが、そういえばと下げていた手荷物の行方を追い、その惨状に思わず悲鳴を上げてしまう。ぶつかった拍子に放り出してしまっていたらしいパック寿司は、ビニール袋から飛び出しプラスチックの蓋は開いて、道路へとぶちまけられてしまっていた。物によっては早くも蟻が集り、到底今晩の食事としては遠慮したい代物となってしまっている。
「あぁぁ…俺の晩飯…590円の贅沢…4桁からの半額セール品が…」
悲痛な顔で地面にひざをつき嘆くカノン。さもありなん、彼がそれをスーパーで購入した時には、もう閉店ギリギリといっていい時間だった。時間は確認していないが、おそらく既に閉店してしまっているだろう。そして、不便な事に最寄りのコンビニ迄は歩いて20分は掛かる距離にある。行けない事は無いが、ただでさえ疲れている時に行こうと思える距離では無い。
「あ、あの。もし宜しければ、うちで夕食を食べて行きませんか?」
悲嘆に暮れるカノンに、思わずそう声を掛けてしまうユーリヤ。それを聞いた途端、カノンはバッとユーリヤの手を取り、縋るように見つめる。気分は正に地獄に仏といった所だろうか。…宗教錯誤も著しいが。
「いいんですか!」
「は、はい。このくらいの時間だと父が用意してくれている筈ですし、そうなった原因は私とぶつかってしまったからですし…あ、あの、手が…」
「ありがとうございます!いやぁ、本当にどうしようかと思ってたんです!ユーリヤさんは俺の
「そ、そんな、女神だなんて大袈裟です…。…えと、その、…手を…」
握った手をブンブンと上下に振り、精一杯の感謝の言葉を使うカノン。一方のユーリヤはといえば、その恵体を持ちながら男性に身体を触られた経験があまり無いのか、顔を赤くして頻りに握られた手を気にしている。
「じゃあ行きましょう、向かいましょう!えっと、どちらでしたっけ?教会に向かえばいいんですか?」
手早くビニール袋に散らばった寿司を片付け、付属のお絞りで手を清め、再びユーリヤの手を握り向かう先を聞くカノン。有り体にいって、彼は調子に乗り易い
「教会の裏手に家を借りておりまして…はぁ、もういいです」
(恐らく)年下の青年に振り回される事を良しとしたのか諦めたのか、そのままの形で案内を始めたユーリヤ。その頬は街灯から離れ始め、夜の闇に隠れて尚多少の赤さを残していた。
(はぁ…ユーリヤさん可愛いなぁ…照れ屋さんなのかなぁ…優しいなぁ…手が柔らかいなぁ…天使かな?いや、女神だった…)
こんな頭の悪い事を考えながら、カノンはユーリヤの家へと向かうのだった…。
「ここなんですが…あ、あら?鍵が閉まってますね…父が中にいる筈なんですが」
カノンが案内されたその家は、ごく普通の平屋だった。異国人のユーリヤが一般的な家に暮らしている事へのそぐわなさはあるが、借りていると言っていたのでこれは借家なのだろう。…このような住宅街に異国情緒たっぷりの家屋がポツンと建っているのは、それはそれで違和感がすごいのだろうが。
「只今戻りました…おかしいですね、出掛けてるんでしょうか…」
鍵を開け、カノンを中へと招き入れるユーリヤ。キッチンに隣接するダイニングの電気まで付いていない事に疑問を感じながら、パチリと電気のスイッチを入れる。そこでカノンは、ダイニングテーブルの上に置いてあるメモに気がついた。
「あ、ユーリヤさん。なんか書き置きみたいなのがありますよ」
そう言いながら、メモをユーリヤに渡した。チラッと目線をメモに落とすも、日本語で書かれていない為に読む事は出来なかった。ただ、顔文字などに使われるような
渡されたメモを読み進めるユーリヤだが、その顔色は次第に悪くなっていく。メモを読み終わる頃には、血の気が引いて真っ青になっていた。ユーリヤがメモを読むうちに
「…大丈夫ですか?」
「え、ええ…大丈夫です。すみません、父はどうやら出掛けてしまって、暫く帰らないようです。夕食も、どうやら用意出来ていないようです…」
「そうですか…。ちなみに、ユーリヤさんって料理って出来る方ですか?」
これは梃子でも話してはもらえないだろうと、話題を変えるカノン。実際に気になる事でもあったから、不自然ではなかった筈だ。
「え?あ、はい。人並み程度には…」
「なら、一緒に作らせてもらえませんか?既に出来てたならそのままいただくのでも全然良かったんですが、今からとなると少々時間も掛かるでしょうし、何よりユーリヤさん一人に料理させて俺は座ってるだけっていうのも座りが悪いですし」
「でも、私がカノンさんの夕食を駄目にしてしまったのですし…」
「いやいや、あれはちゃんと前を見てなかった俺も悪いんで、おあいこですから!…ね?」
「…そこまで仰るなら。私はメインを作りますから、サラダを作ってもらえますか?冷蔵庫にある物を適当に使って下さって構いませんので」
「了解です!」
カノンに指示を出すと、慣れた手付きで冷蔵庫から材料を取り出して調理に取り掛かるユーリヤ。どうやら先程の人並み、というのは謙遜だったようだ。一方のカノンだが、適当にと言われたとはいえ、多くの材料を使ってしまうとユーリヤの明日以降考えている献立に支障が出てしまうかもしれない。最低限の材料でそれっぽく見えるように整える事にした。
レタスを千切り、 その上にカニカマを裂き、マヨネーズとポン酢で味をつける。これだけの簡単サラダだが、意外と美味しい。時間も殆ど掛からずに仕上げる事が出来た。
「サラダは出来ました?なら、マッシュポテトを作ってくれませんか?じゃがいもは其処の棚の中に、新聞紙に包んでありますので」
あまりに早く出来てしまったので手際良く材料を刻み炒めていくユーリヤの後ろ姿を見ていると、手持ち無沙汰な事を悟られてしまったのか新たな一品の製作を申し付けられる。
しかし、マッシュポテトも手順は簡単な料理だ。じゃがいもをいくつかレンジでチンして、皮を剥いて潰す。其処から味付けをどうするか、なのだが…
「ユーリヤさん、このマッシュポテトはどうするんですか?ポテトサラダとか?」
「いえ、今ビーフストロガノフを作っているので、それと合わせて食べようかと」
「了解です、なら…」
溶かしたバターと牛乳を追加し、塩胡椒で味を整えていく。味が塩胡椒だけよりは、しっかりした味になって食べ易い。
そうこうしているうちに、ユーリヤの方も終わったようだ。食器を並べ、席に着き、二人で手を合わせる。
「いただきます」
「神よ、今日も恵みを頂ける事に感謝致します。父と子と聖霊の御名に依って。アーメン」
簡単な言葉で済ませたカノンとは対照的に、粛々と祈りを唱えるユーリヤ。言葉と共に十字を切って、
「では頂きましょうか。…どうしました?私の顔に何かついてますか?」
物珍しそうにユーリヤをじっと見つめるカノンに気づいた。
「あぁいや、流石本職さんだなぁと思って。祈りの文言は決まってるんですか?それ」
「いえ、特に決まっている訳ではありません。信者
「なるほど…あ、このビーフストロガノフすごく美味しいですね!」
「ありがとうございます。一応、手早く作れる程度には慣れた得意料理ですからね。カノンさんに作って頂いたこのマッシュポテトとサラダも、美味しいですよ」
会話をしながら食事を進める二人。カノンはお腹が減っていた事もあって、あっという間に食べ終わってしまった。
「流石男の子ですね…お代わりは必要ですか?」
「いえ、充分です。一人暮らしなんてしてると料理も雑になりがちなので、こうしてユーリヤさんと食べられてよかったですよ」
何とは無しにユーリヤの食事風景を眺める。もう残り少ない皿の上の品を、名残惜しく思うかのようにゆっくりと口に運んでいくユーリヤ。その控え目に開いた唇に料理が入っていき、口の中で咀嚼され、ごくんと飲み込まれる。その一連の普通の動作が、何故だか少し艶めかしく感じてしまう。
「んくん…そういえば、カノンさんは学生さんなんですよね?それなのに、どうして一人暮らしを?」
「まぁ、話せば長くなるんですけどね。構いませんか?」
「はい、カノンさんに差し支えが無ければ」
「…俺の母親って、俺の小さい時に病気で死んじゃってるんですよ。それで、父親が男手一つで俺を育ててくれたんです」
何処か昔を懐かしむように語り出すカノン。ユーリヤは辛い事を思い出させたかと内心焦るも、カノンの顔にマイナスの感情が浮かんでいない事に気付き、謝罪を控えた。謝ってしまうと、カノンに気を遣わせてしまうと思ったからだ。
「大変だったと思います。小さい頃の俺って、我儘ばっかり言うしすぐ愚図るし、凄くやんちゃだったらしくて。止む無く職場に連れて行ってた日もあったらしいんですけど、もう大変だったと父の同僚の人にも笑いながら言われるくらいで。
でも、頑張って育ててくれたんです。そんな父に、中学卒業する前くらいからいい人が出来たみたいで。そんで俺がいると、どうしても俺の事が気になるじゃないですか。俺、父の邪魔はしたくなくて。 父はそんなの気にしなくていいって言うんですけど、最後には許してくれました。それで、一人暮らししてるって訳です」
「そうでしたか。…お父さんのことが、大好きなんですね」
「はい。自慢の父です」
カノンを見つめるユーリヤの目は優しげで、それがどうもカノンはむず痒く感じてしまう。そんな時、カノンの携帯に着信が入った。すみません、と一言ユーリヤに断り、相手を確認すると、友人だった。電話をかけてくるなんて珍しいな、と思いながらも通話を開始する。
「はいもしも『カノンか!?お前大丈夫なのか!?』…そんな大きな声出さなくたって聞こえてるって、何?どした?」
開口一番の大声に、思わず顔を顰めてしまう。この分では恐らくユーリヤにも聞こえただろう。ジェスチャーで謝ると、いやそれよりも友人との会話を、とジェスチャーで返される。
『お前、今何処にいる?もう家からは離れてるか?』
「だから落ち着けって委員長。今は出先だけど…何?俺ん家がどうかした?」
『お前…知らないのか?お前ん家、燃えてるぞ!』
「……は?」
「はぁ…はぁ…っ…」
ユーリヤの家からそう遠くは無かった為、知らせを受けてからそれほど掛からずに借りていたアパートの前に辿り着いたカノンだが、全力疾走してきた事と目の前の惨状のダブルパンチに、思わず言葉を喪っていた。
電話では聞いていた。しかし、実際に自宅が燃えているというその衝撃は、その何倍も大きなものだった。
「そこの人、危ないから近づかないで!!」
「ご覧ください、出火元の建物の一階部分は既に炎に包まれ、二階部分や隣家にも燃え移っております!火の勢いは強く、消防士達の奮闘も虚しく感じる程に止まる所を知りません!距離を取っているこの場所からでも強い熱を感じます!」
消防士の叫ぶ声や、テレビリポーターの声などが遠く感じる。何処か現実味の無い光景。
「カノンさん…」
どうやら、ユーリヤがついてきてくれたらしい。既に此処にいるという事はカノンと同じように走って来た筈なのだが、息一つ乱れていない。見掛けによらず、意外と体力があるようだ。
「は、はは…ユーリヤさん…どうしよう、俺ん家真っ赤だ…。ゲームもパソコンも勉強道具も、通帳もハンコも燃えちまう…」
二階部分を借りて生活していたカノンだが、この分ではもう中に入ってそれらを取ってくるという事も叶わないだろう。それまでに消防士達に止められるだろうし、よしんば掻い潜って入れたとしても炎と煙に足止めされて物を探す事もままならない事は容易に想像できた。
「明日から家なき子だ…学校どうしよ…とりあえず先生には事情を説明して…」
「…お父様には連絡されないんですか?」
「できませんよ…すごくカッコつけて家を出て来たんですから。多分戻ったとして、父も相手の人も嫌な顔はしないと思います。…だからこそ戻れないというか…心苦しいんです」
とりあえずは今日の宿だと、持っていた財布の中身を見てみるも、まさかこんな事になるとは思っておらずそこまで大した額は入ってはいない。この時期って外寝は大丈夫だったかと公園での野宿も検討し始めたカノンに、ユーリヤはならばと提案する。
「なら…暫くの間、うちに来ませんか?」
「…え?」
「暫く父が帰らない、というのは話しましたよね?女一人での生活だと、少し危険かな、と思いまして。帰化した訳でもないので、もしも何か起こった場合は泣き寝入りするしか無い事もあって、少し面倒なんです。
…後は、毎週土曜日にミサをしているのですが、それの準備を父と二人でしていたので、それの手伝いがして欲しくて。…私を助けると思って、如何でしょうか?」
ユーリヤの口をついて出た理由だが、正直なところこれは口実だった。防犯とは言ったが強盗が家に入ったとしてもユーリヤ一人で叩きのめせるだけの実力は備えている(無手であっても戦えない事は無い。勿論鈍器が有った方が手加減などもしやすく心強い事は確かだが)し、ミサも置き手紙に書かれていた
…しかし、一食とはいえ夕食を共にし、その人となりを知り、過去を知った。そんな相手が困っているのを黙って見過ごせる程、ユーリヤは人間性を捨てていなかった。
「いいんですか…?」
「構いません。教えの中にも、《あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない》とあるのですから。私の信仰を助けると思って、是非」
「…じゃあ、お世話になります。ありがとうございます、ユーリヤさん」
そういうと、深々とお辞儀をするカノン。
そして、カノンとユーリヤの共同生活が始まったのだった。
同棲生活、はっじまっるよー!
多分描写外でお風呂場でドキッとか、朝立ちを見られてドキッとかあるんでしょう。え、描写?するにしても次回以降のユーリヤ編でですねー…折角のR-18、エロに繋がらないそういう展開は少年誌だけで充分ですし。
次回、寝たふりックスします。個人的にエロ描写の練習がしたいのと、ユーリヤへの謝罪も込めて頑張ってエロ描写増やします。
エッチ練習用ユーリヤ。…響きがすごくアレですね。
寝たふりックスが和姦かどうか?…多分和姦なんでしょう。睡眠姦じゃないので、合意は得られるはずです。…多分。