世田谷区代沢。
狭い道路が入り組んだ街並みが大型車の進入を阻むことから、静かな住宅街として人気がある。
行き止まりになっている細い路地の先に3階建ての賃貸マンションが建っている。
ある日曜日の昼。
その日は、穏やかな晴天で近所の羽根木公園は、たくさんの親子連れで賑わっていた。
そんな中、マンションの3階、一番奥まった部屋で一人の女が酒に酔って悪態をついていた。
「なんなんだよ、私一所懸命働いたよ?」
この酔っぱらいは、名前を
年齢22歳、性別女。
職業は、システムエンジニア。
だった。
「きもいハゲ常務の誘いを断った途端、課長から小部屋に呼び出されて『君は、来月から出勤に及ばず』ってクビだよ。ふざけんな」
悠生は腹の虫が収まらない。
大学を卒業後、すぐに中堅のIT関連企業に採用され、開発部門で駆け出しのシステムエンジニアとして充実した毎日を送っていた。
ところが、会社の上司からの誘いを断った報復として解雇を言い渡されたのだ。
ただ、表向き、解雇の理由は報復ではなく「勤務成績が不良である」ということだった。
どこがどう良くなかったのか説明を求めたが、会社側から納得のいく説明はなかった。
悠生は、身長が150センチにも満たない。
おまけに色白で童顔。
服装にもよるが、よくて中学生、人によっては小学生に間違われることもしばしばだ。
しかも、普通の状態で眉がハの字に下がっていて気弱そうに見える。
実際、見た目どおり気が弱く引っ込み思案で、人にものを頼まれると断れないという損な性格をしている。
ところが、セックスに関しては強く断れる。
断るというより拒絶反応を示す。
いつからそうなってしまったのかは分からない。
気づいたら男性を強く拒絶するようになっていた。
悠生は、身長が低く、ぽっちゃりとした肉付きのいい身体なので、子犬のようにかわいいと言われる。
男性から誘いを受けることも少なくない。
しかし、悠生の性格が災いして、男性からの誘いをことごとく断っている。
だから男性と交際したことは一度もない。
また、ひどく臆病で、一人称が「俺」の男とは怖くて目も合わせられない。
暴力シーンの多い映画やドラマも痛そうで見ていられない。
そんな悠生だったが、ファンタジーの世界では真逆の妄想を抱いている。
暴力的に傷つけられ、死に至るまで苦しめられることを空想してオナニーに耽っている。
いわゆるリョナというジャンルだ。
もちろん、そんなことを現実にされたいとは思わない。
痛いことはするのもされるのも嫌いだ。
空想の中でだけ傷つけられたい。
妄想のおかずも準備に抜かりない。
ひそかに同人誌の販売会などに足を運んでリョナ作品を買い漁っている。
買い集めた同人誌が部屋の書棚にぎっちりと詰め込まれている。
「大地震がきたらリョナの下敷きになって死ぬな」
ときどきそんなことを思う。
「会社はクビになるし、彼氏はできないし、私の人生っていいことないなあ。神頼みしても無駄だろうし……」
悠生が缶チューハイをあおって愚痴った。
それから数日、悠生は自室に閉じ籠って飲んだくれた。
食料も酒も尽きた。
いい加減日常に戻らなければならない。
「神様になんて頼ってたってダメだよね。仕事探さなくちゃ」
解雇の痛手から立ち直るため自分に喝を入れた。
幸い、失業保険で当面の生活に困ることはない。
「失業保険が給付されている間に次の仕事を探そう」
悠生は、職業安定所に行ってシステムエンジニアの仕事を探した。
しかし、なかなか条件に合う求人がない。
求人情報紙もチェックしてみたが、いまいちぴんと来ない。
それでも数社の面接を受けることができた。
一日歩き回った悠生は、重い足を引きずるようにマンションに帰った。
「あら、不在配達?」
ポストの中に宅配便の不在連絡票が入っていた。
「私、酔っぱらってなんか買ったっけ?」
悠生は、会社をクビになってから通販で物を買った記憶がなかった。
通販以外で荷物が届く予定もない。
首をかしげながら再配達受付の番号に電話をかけた。
「お電話ありがとうございます。天の川運輸再配達受付でございます」
爽やかな女性の声が響いた。
「天の川運輸? 聞いたことないわよ」
なにかの悪質商法なのかもしれない。
そう考えて悠生は警戒することにした。
「あのお、うちのポストに不在連絡票が入っていたんですけど……」
元々、臆病な性格な上に、よくわからない会社に電話がつながったこともあり、悠生はびくびくしながら用件を告げた。
「大和悠生さんでいらっしゃいますね。お電話ありがとうございます」
オペレーターが明るく答えた。
「ちょっと待って。私は、まだ名前もなにも言ってないよ。なんで私のフルネームを知ってるの?」
悠生は、怖くなった。
「は、はい、大和です」
恐る恐る答えた。
「天尊株式会社様からのお荷物をお預かりしています。本日中の再配達でよろしいですか?」
オペレーターは、悠生の怯え方などまったく気にする様子もなく爽やかに説明を続けた。
「え、あの、私……」
悠生は、天尊などという会社名に心当たりがなかった。
「本日中の再配達ですね。かしこまりました。何時の配達をご希望でいらっしゃいますか?」
再配達を希望したこともない。
なんでこのオペレーターは私の話を聞いてくれないのか。
悠生は、不満と恐怖で身震いした。
しかし、このオペレーターは、自分が再配達希望時間を言わない限り電話を終わらせてくれそうにない。
「あの、じゃあ、えっと、夜の7時でお願いします」
「午後7時でごさいますね。かしこまりました。その時間にお届けいたします」
オペレーターは、一方的にしゃべると電話を切ってしまった。
「すごい丁寧な物言いで、すごい失礼な対応をする会社ね」
悠生は呆れた。
「5時か。ご飯食べてお風呂に入るくらいの時間はあるわね」
悠生は、買ってきたコンビニの弁当をビールで流し込んだ。
独り暮らしには慣れているつもりだった。
しかし、解雇という精神的なダメージを受けてから、一人が寂しいと感じるようになった。
かといって、今さら実家に帰るのも面倒だ。
ルームシェアをするパートナーもいない。
当面は何とかして寂しさを紛らすしかない。
悠生は、シャワーを浴びてTシャツと短パンに着替えた。
普段はノーブラだか、今日は宅配便が来るのでブラジャーを着けた。
ブラジャーは窮屈で嫌いだ。
「私のおっぱいがね、出たがるのよ」
悠生は、自分の乳房を下から支えて独り言をつぶやいて、小さいテーブルの上に置いたノートパソコンを開いた。
いつも使っているSNSにログインして、フォロワーの近況などを流し読みしながら再配達を待った。
「ピンポーン」
寸分の狂いもなく午後7時ちょうどに玄関のチャイムが鳴った。
「えっ、玄関なの?」
悠生は驚いた。
悠生のマンションは、オートロック式で1階のインターホンから各部屋を呼んで、部屋の住人がロックを解除するようになっている。
1階のロックを解除しなければ、自分がいる3階まで上がってこられるはずがない。
それが、いきなり玄関のチャイムが鳴ったのだ。
しかも、悠生のマンションは行き止まりの奥にあり、トラックが入ってくればエンジン音が聞こえる。
「確かエンジンの音も聞こえなかったよ」
悠生は、気の弱さからチャイムを無視することもできず、玄関のドアスコープから外を覗いた。
玄関の前には、よくある宅配便の配達員が着るような制服を着た男が、手に小さな箱を持って立っている。
「は、い……」
悠生は、玄関の中から恐る恐る声を出した。
「あ、天の川運輸です!」
玄関の外の男が元気な声で応答した。
悠生は、念のためドアチェーンをかけてから、ドアを少し開いた。
ふっとドアノブを持つ手の負荷が軽くなり、ドアが勝手に開いた。
「えっ? チェーンは?」
驚いた悠生がドアチェーンを見ると、確かにかけたはずのチェーンが普段かけているドアの枠に引っかけられていた。
「なにこれ!」
悠生は、恐ろしくなった。
開いたドアの外では、配達の男がにこやかに微笑んでいる。
「大和悠生さんでいらっしゃいますね」
配達の男が名前の確認をした。
「え、あ、はい」
悠生は、怖くて仕方なかった。
「とにかく、早く帰ってもらおう」
そう思った。
「天尊株式会社様から送料受取人払いでお荷物をお預かりしています。送料1,205円になります」
男がにこやかに理不尽なことを告げた。
「え、そんな荷物頼んでません」
悠生がおどおどしながら答えた。
「そうですか。じゃあこれは返品ということですね」
男が残念そうに俯うつむいた。
「そうですね、持ち帰ってください」
普段、人から言われたことを断るのが苦手な悠生にしては、ずいぶん勇気を出した発言だった。
「では失礼しました」
男が一礼した。
悠生は、玄関のドアを閉めて、すぐに鍵をかけ、ドアチェーンもかけた。
ドアを閉めた瞬間、悠生が受け取りを拒否したときの男の残念そうな顔が目に浮かんだ。
「やっぱり悪いことをしちゃったかも」
まだ男は廊下を歩いているころだろう。
今呼び止めれば間に合う。
悠生は、もう一度ドアを開けた。
「ぎゃっ!」
悠生が悲鳴をあげて腰を抜かした。
玄関の前に配達の男がにこにこしながら立っていたのだ。
「送料1,205円になります」
男はそう言って腰を抜かしている悠生に手を差し出した。
「あ、すみません。ありがとうございます」
悠生は、男の手を取って立ち上がった。
「いまお財布を持ってきますから」
悠生は、財布を取りに戻った。
「お待たせしま……」
そこまで言った悠生は、なにか違和感を覚えた。
悠生のマンションのドアは、手を離すと自動的に閉まるようになっている。
いま、男は両手で荷物を持ってにこにこしながら立っている。
ドアには手も足もかけていない。
それなのにドアは開いたままだ。
「きっと見えないところで身体を当てて止めてるのよ」
悠生は、顔を左右に振って、そう思うようにした。
そう思わなければ怖くて耐えられなかった。
「あの……」
悠生が男に声をかけた。
「はい、なんでしょうか?」
男は、にこやかに答える。
「送料なんですけど、なんで中途半端に5円なんて付いてるんですか?」
悠生が送料の金額に疑問を抱いた。
「あなたとご縁がありますようにっていうことです」
きっとよく質問されるのだろう。
男が元気に即答した。
「そうなんですか、変わった会社なんですね」
悠生が苦笑した。
悠生は、財布の中から千円札1枚、百円玉2枚、五円玉1枚を取り出して男に手渡した。
男は、金額を確認するとズボンのポケットから小さな機械を出して領収書をプリンアウトした。
男は、領収書を引きちぎると、それを悠生に差し出した。
そして、箱に貼られた伝票の一番上の一枚をはがすと、箱を悠生に押し付けるようにして持たせた。
「ありがとうございました!」
男が元気に礼を言ってドアを閉めようととした。
「あ、ちょっと待ってください。ハンコは?」
悠生が判取りを忘れていることを教えた。
「あ、2600年ぶりくらいだったんで忘れてました。ここにハンコをお願いします」
そう言って男は、ポケットにしまった伝票を取り出して、悠生に判取りを求めた。
「ありがとうございました」
もう一度男が礼を言って頭を下げた。
悠生は、ドアを閉めてドアスコープから外の様子を見た。
「そんな……」
たった今閉めたばかりのドアの前からさっきの男が消えていた。
悠生は、ドアを開けて廊下を見たが、配達の男が廊下を歩いている姿もなかった。
「消えた?」
悠生は、怖くなりドアを閉めて部屋の奥に逃げた。
それでも荷物は手に持ったままだ。
差出人にも中身にも心当たりがない気味の悪い荷物だったが、なぜか手が離せなかった。
というか、手が離れてくれなかった。
「乾眠肉片」
箱に貼られている伝票の品名見ると、そう書いてあった。
「なにこれ?」
肉片という文字列に悠生はドキッとした。
暴虐のかぎりを尽くされ、肉片になってしまいたいという自分のファンタジーを見抜かれたような気がしたからだ。悠生は、この箱を開けたら自分の人生が大きく変わってしまうだろうという予感がした。
開けない方がいい。
開けたら取り返しのつかないことになる。
このまま開封せずに捨ててしまおう。
そう思いながら悠生は箱を開封していた。
「え? 私なにしてんの? 箱開けちゃダメって考えながら開けてる」
悠生は、混乱した。
自分の考えていることとやっていることがあべこべだ。
開けてしまったものは仕方ない。
悠生は、箱の中を覗き込んだ。
まずは伝票が目に入った。
「この箱には、次の物が入っています。ご利用を始める前に、在中物の確認をしてください」
「1 乾眠肉片 1粒」
「2 取扱説令書 1冊」
「3 プリペイドカード 1枚」
箱の中を改めると、確かに肉片、説令書、プリペイドカードが入っていた。
乾眠肉片は、からからに乾いた挽き肉の塊のような色と形で、小豆くらいの大きさだった。
その肉片が透明の真空パックに封入されていた。
取扱説令書は、A6サイズくらいの大きさで、二つ折りにされた中綴じの冊子だった。
プリペイドカードは、ツーショットチャットのものだ。
「なにこれ、これって男性向けのものじゃない」
悠生は憤った。
「あーあ、なんかもっと運命的な出来事が起こるのかと思ったら、ただの配達先間違いだったなんて、がっかりだわ」
悠生は、プリペイドカードを忌々しげにテーブルの上に投げ捨てた。
そのあとは、またSNSのタイムラインを追いながらビールを飲み始めた。
「……」
しばらくパソコンの画面を見ていた悠生だったが、どうしてもプリペイドカードが気になって仕方がなかった。
「なんなのこのURLは」
悠生は、プリペイドカードに手を伸ばした。
プリペイドカードには、チャットをするためにアクセスするURLが書かれている。
「https://www.takamimusubi.god/chat」
「たかみむすびドットゴッド?」
悠生は首をひねった。
「ゴッドなんていうトップレベルドメイン知らないよ」
悠生もシステムエンジニアの端くれだ。
トップレベルドメインの種類くらい知っている。
「ここにアクセスしたら絶対ダメだよね。怪しすぎるもん」
そう言いながら悠生は、ブラウザのアドレスバーにURLを打ち込んでエンターキーを叩いた。
「またなの? なんで私が思ってることと逆のことをやるのよ、私は!」
悠生は頭を抱えた。
「ようそこ神チャットへ! 入室するには、ニックネームとプリペイドカードに記載されているシリアルコードを入力してください」
ブラウザにチャット入室画面が表示された。
「なんなのよ、このいかがわしさ」
悠生は、むっとしながらフォームにニックネームを「ゆみ」と入力し、プリペイドカードに印刷されている16桁のシリアルコードを入力して「入室」ボタンをクリックした。
「そうよね、そうなるわよね」
悠生は、諦めた。
きっと自分の意思とは関係ないところで事態が進んでいる。
逆らうことなどできないのだ。
ならばもう逆らおうと思わない方がいい。
どうせ結果は同じだ。
チャットルームに入室すると、入室者名が2名表示されていた。
一人は自分の「ゆみ」。
もう一人は「タッキー」という名前だった。
タッキー: こんにちは!
悠生が入室するやいなや、タッキーが挨拶をした。
「早っ、二人しか入室してないから、これは私に挨拶してくれたんだよね」
悠生は、タッキーに返事を返すか否か迷いながらキーを叩いた。
ゆみ: こんにちは
「あはは、迷っても無意味なんだった」
悠生は、乾いた笑いを浮かべた。
タッキー: ゆみさんですね、よろしくお願いします
ゆみ: よろしくお願いします
タッキー: ゆみさんは、今日が初めてですね
ゆみ: うん、そうなの。ここは、どんなチャットなの?
タッキー: ここは高天原です
ゆみ: 高天原?
タッキー: そう、古事記を読んでいませんか?
ゆみ: 古事記? あっ、高天原って古事記に出てくる天井界ね!
タッキー: そう、当たりです!
ゆみ: それにしても、ずいぶん大げさなルーム名を付けたわね
タッキー: なにをおっしゃっているんですか? 高天原はルーム名ではありません。私がいる場所のことです
ゆみ: え? タッキーさんは、高天原にいる人なの?
タッキー: 色々間違えているようですね
ゆみ: どういうこと?
タッキー: まず、私は人ではありません
ゆみ: 人じゃないって?
タッキー: 高天原にいるのですから人ではないでしょう?
ゆみ: 神様……ですか?
タッキー: 当たりです! 私は神です
ゆみ: 面白い冗談を言う人ですね
タッキー: だから冗談ではありませんし、私は人でもありません
ゆみ: 本当に神様なの?
タッキー: そう。私の名前は高御産巣日神たかみむすびのかみ。名前が長いから高木神たかぎのかみとも言われます。だからニックネームがタッキーというわけです
ゆみ: そうなんだ。疑ってごめんなさい
タッキー: 普通は信じないと思います。すぐに信じてくれたゆみさんは、特別にいい人です
ゆみ: 私、神様とチャットしてるの?
タッキー: そういうことです
ゆみ: すごい!
悠生が興奮した。
まさかツーショットチャットが高天原に繋がって、そこで神様とおしゃべりができるとは思ってもみなかった。
ていうか、そんなことを夢想している人がいたら頭がおかしいと言ってやる。
でも、そんな頭がおかしくなるようなことを自分はやっている。
もしかしたら、誰かに騙されているのかもしれない。
そう思ったが、その可能性はないと否定できた。
何の根拠もないが、高天原に入室するまでの自分の行動を考えると、何か大きな力に導かれていたと思うのが自然だ。
ゆみ: ねえ神様
タッキー: タッキーでいいです。なんですか?
ゆみ: なんで私が神様のところに招待されたんですか?
タッキー: なんでって、あなたが神の存在を疑うようなことを言っているのが聞こえたからです
ゆみ: 聞こえてたんだ。ごめんなさい
タッキー: 大丈夫です。今は、信じてくれているでしょう
ゆみ: はい、疑いなく信じてます。ていうか、信じさせられましたねww
タッキー: そりゃあ神ですから、それくらいは簡単です
ゆみ: えっと、神様だったら分かると思うんですけど、今日、うちに届いた荷物ってなんですか?
タッキー: あ、その話ですか。それでしたら、あなたにちょっと預かって欲しい神ができたので、送らせてもらいました。
ゆみ: あのー、意味が分からないんですけど……
タッキー: でしょうねーww
ゆみ: 神様が草生やしてるしww
タッキー: 今どきの神は、これくらいできないと勤まらないのです。
ゆみ: そうなんですね。で、荷物の中には神様なんていませんよ?
タッキー: 同梱品リストは見ましたか?
ゆみ: はい、3点入ってました
タッキー: それなら間違いなく届いてます
ゆみ: プリペイドカードは神じゃないと思うんですよ。で、取扱説令書も神じゃなくて紙でしょ。残るのは乾眠肉片だけど……
タッキー: それ、それが神です
ゆみ: えー、干からびた挽き肉みたいですよ
タッキー: 見た目はそうです。でも、乾眠と書いてあると思います。それが乾眠状態になった神の肉片ということです
ゆみ: 神の肉片? 神様って肉っていうか実体があったんですか?
タッキー: 私たち神は、高天原では肉体を持ちません。地上に降りるときだけ人間と同じ肉体を持つようになります。実は、地上には高天原から派遣された神が大勢いて、地上界を守っています。でも、見た目が普通の人間と変わらないから人間にはそれが分からないのです
ゆみ: すごいですね!
タッキー: 神ですから
ゆみ: で、なんでその中のお一人が私のところに送りつけられたんですか?
タッキー: それなのです。さっき、あなたに預けたい神と言いましたね
ゆみ: はい
タッキー: 今日、あなたのところに送った神には、ちょっと問題があるのです……
高木神が口を濁した。
ゆみ: 悪いことをしたとか?
タッキー: そういうことではないです。むしろ被害者です
ゆみ: 被害者?
タッキー: 高天原では、常に新しい神を開発しています。神を開発する神がいて、新しい神のプログラムを設計しているわけです
ゆみ: あら、私もシステムエンジニアですよ
タッキー: 存じております。なかなか優秀なシステムエンジニアでいらっしゃっいましたね
ゆみ: 神様って口がお上手ですね。私はクビになったダメエンジニアですよ
タッキー: そんなことありません。あなたは会社の上司のセクハラを撥ね付けて逆恨みされただけです。あなたの行動は高天原から見ていても、まったく曇りのないものでした
ゆみ: 見られてたんですかww
タッキー: あなたが高いスキルを持つシステムエンジニアだと見込んで、このぽんこつ神を送り込みました。
ゆみ: とうとうぽんこつって言っちゃった
タッキー: この神は、神開発初心者の神が設計したもの。セオリーどおりにやれば、傑作はできなくてもそこそこ動く神ができたはずなのです
ゆみ: わかるwww
タッキー: それを、この初心者が自己流で開発したために、外界からの刺激を感知する能力、つまり感覚と、それを脳で処理する感情という作用の関連付けを間違えました
ゆみ: 変数を間違えたって感じですね
タッキー: そうです。それでも、手順書どおりやってくれれば、感覚や感情は外部データベースにテーブルとして保持することになっていますから、間違えて設定しても後から修正することができるようになっています
ゆみ: えっ、神様ってデータベースで定義されてたんですか!?
タッキー: 今どきの神は、それくらいしないと地上界の複雑な事象に対応しきれないのです
ゆみ: 神様も大変なんですね
タッキー: そして、そのへっぽこ開発神は、感覚と感情を外部テーブルで定義せず、プログラム本体にハードコーディングしてしまいました
ゆみ: 直せないじゃないですか
タッキー: そうです。だから扱いに手を焼いているのです
ゆみ: そういう事情だったんですね。ところて、さっきからチャンス画面の残度数がどんどん減ってるんですけど、これってもしかしてプリペイドカードの残高ですか?
タッキー: そうです。プリペイドカードの残高が0になると高天原とのチャットができなくなります。追加でプリペイドカードをお買い求めいただければ、引き続きチャットをご利用いただくことができます。お支払は、クレジットカードが便利です
ゆみ: お金とるんだ……
タッキー: 神開発にはお金がかかるのです。ご協力をお願いします
ゆみ: 神様にお願いされちゃ断れません。このカードがなくなったら買います
タッキー: 毎度ありがとうございます
ゆみ: じゃあ、また
タッキー: ごきげんよう。ぽんこつ神の取扱で分からないことや困ったことがあったらチャットでご相談ください
悠生は、チャットウインドウが開いているタブを閉じた。
「神様って配達されてくるんだ……」
自分の生活が大きく変わるかもしれない事態に直面して、悠生は動揺よりわくわくする高揚感の方が強かった。
「それにしても、この干からびた挽き肉が神様って言われてもねえ」
悠生は、真空パックされた肉片を目の前でぷらぷら揺すった。
「この神様ができ損ないのぽんこつだっていうのは、高木神さんの説明でわかったわ。でも、どうぽんこつなのか、どう扱えばいいのかは何も教えてくれなかった」
悠生は、取扱説令書を読むことにした。
取扱説令書は、A6サイズくらいの中綴じの冊子で、40ページくらいはありそうだった。
「ぽんこつ神『天女』取扱説令書」
表紙にもしっかり「ぽんこつ」と書かれていた。
「あんまりにもぽんこつぽんこつ言われてかわいそう」
悠生は、この神が気の毒になってきた。
せめて自分だけは、ぽんこつという先入観を持たずに接してあげたい。
そう決意した。
「ここに書いてある天女っていうのが名前なのかしら?読み方が分からないわね。てんにょ?」
悠生は、取扱説令書を開いた。
目次には次のような項目が書かれていた。
1 用意するもの
2 初回の蘇生
3 普段のお手入れ
4 死んだかな?と思ったら
5 いらなくなったときは
「なんかよくわかんないんだけど。特に4番の項目よね。死んだかな?と思ったらって何よ?」
とりあえず最初から読んでみることにした。
1 用意するもの
◯人が一人入れるくらいの大きさで水を張れる容器
◯食塩
◯水
2 初回の蘇生
1で用意した容器にたっぷりの水を張ります。
その水に適当な量の食塩を投入して、生理食塩水を作ります。
食塩が溶けたのを確認したら乾眠肉片をパックから取り出して容器の水に投げ込みます。
およそ24時間で乾眠肉片が覚醒すると急速に増殖して人型の神ができあがります。
3 普段のお手入れ
できるだけ過酷な暴力を与えてください。
4 死んだかな?と思ったら
天女は、神ですが人型なので傷つければ出血もしますし、場合によっては死にます。
死んだかなと思ったときは、適当な肉片を選んで、2の手順で再生させてください。
細胞がひとつでも残れば再生できますが、完全に炭化するほど焼いたり、電子レンジで蒸散するほど加熱した場合は再生できません。
5 いらなくなったときは
高天原の高木までご連絡下さい。回収に伺います。ただし、回収に回された神は、不可逆的にスクラップされ、二度と会えなくなります。
説明書きは、これだけだった。
3の普段のお手入れがやたらページ数を食っていた。
しかし、その項目で書かれていたのは、できるだけ過酷な暴力を与えてくださいということだけで、あとは延々と白紙が続いていた。
「この空白が気になるわね」
悠生は、印刷ミスか何かのメモにでも使うところなのかと思った。
ページを繰っていくと、最後のページに注意書きがあった。
「普段のお手入れは、あなたと天女の二人で開発してください。二人で開発した天女の扱い方が空白を埋めていくことでしょう」
「なにこのロマンチックな注意書きは」
悠生は感心した。
「人が入るくらいの水を張れる容器って、バスタブのことよね。バスタブって一言で済むのにもったいつけちゃって」
悠生は、ぶつぶつ言いながらキッチンに塩を取りに行った。
塩を持ってバスルームに入り、バスタブに水を張った。
「説令書には生理食塩水を作るって書いてあるけど、濃度は気にしなくていいのね。適当な量の食塩を投入しろっていうくらいだから」
生理食塩水の塩分濃度が分からない悠生は、容器に入っている塩を全部投入した。
右腕を水に突っ込んでぐるぐるかき混ぜた。
塩の量が多かったのか、なかなか溶けてなくならない。
「ま、いっか」
結局、溶け残った塩がバスタブの底に堆積したが、気にしないことにした。
「次は肉片をこの水に入れればいいのね」
悠生は、肉片のパックをハサミで切って開けた。
パックを広げて、中の肉片の匂いを嗅いでみた。
「無臭だ」
まったく匂いはなかった。
からからに乾いた肉片をつまみ上げ、バスタブに放り込んだ。
「これで、あとは丸一日待つ、と」
悠生は、バスルームを出た。
翌日。
「誰かー」
「誰かー」
悠生がベッドで本を読んでいるとバスルームから女性の声が聞こえてきた。
「神様!?」
悠生は、ベッドから飛び降りた。
バスルームのドアを閉めて開けると、バスタブの中に全裸の女性が立っていた。
その女性は、身長が悠生よりずっと高かった。
悠生より20センチ以上は大きそうだ。
肌は透けるように白く、艶やかに光を反射している。
髪は真っ黒で背中くらいまであり、柔らかいウェーブを描いている。
スタイルは、同性の悠生が見ても惚れ惚れするほど均整のとれた美しい曲線で構成されていた。
「しょっぱ!しょっぱ!」
生まれたばかりの神が口の中に入った水がしょっぱいと文句を言っている。
「あなたですか?考えもなしに塩を入れたのは?」
神が悠生を恨めしそうな目で見た。
「あ、ごめんなさい。説令書に塩の量が書いてなかったのよ。だからありったけ全部入れちゃった」
悠生は、ぺろっと舌を出した。
「具体的に書いてなくても常識ってものがあるでしょ」
神の不満はまだ収まらないようだった。
「ごめんなさい」
悠生としては、謝るしかなかった。
「あなた、お名前は?」
神が悠生に生江を尋ねた。
「大和悠生です。神様のお名前は、てんにょ様でいいんですか?」
今度は悠生が神の名前を確認した。
「私は、あまね。天女と書いてあまねと読みます。よろしくお願いします」
天女が深々と礼をした。
「すごく礼儀正しいしっかりした神様じゃない。これのどこがぽんこつなのよ」
悠生は、前評判を気にしないでよかったと思った。
「こちらこそよろしくお願いします」
悠生も礼を返した。
「天女さん」
悠生が天女に呼びかけた。
「はい」
「天女さんの取扱説令書には、普段のお手入れで『できるだけ過酷な暴力を与えてください』って書いてあるんですけど、これって冗談ですよね?」
「暴力?暴力ってなんですか?」
天女が首をかしげた?
「暴力って知らないんですか?人を殴ったり蹴ったりする乱暴なことよ」
悠生が暴力について説明した。
「うーん、わかりません」
天女が困った顔をした。
「下界に降りてきたばっかりだから分からなくても無理ないですよ。そんなことより裸じゃかわいそう。シャワーで塩を洗い流して。私のお洋服を貸してあけるから……」
と言ったところで、悠生は自分と天女の体格の違いに気づき愕然とした。
悠生の部屋には、天女が着られるサイズの服が一枚もない。
「無職の私になんてことさせるのよ、高木さん」
天女を配達させた高木神に文句のひとつも言ってやりたかった。
「シャワーして待ってて。お洋服を買ってくるから。絶対に部屋から出ちゃダメよ!」
そう言い残して悠生は近所の衣料品店に走った。
「サイズは、これでよろしいんですか?」
衣料品店のレジで店員からサイズの確認をされた。
選んだ服が明らかに悠生のサイズより大きかったからだ。
「あ、私のじゃないんで」
悠生は苦笑しながら説明した。
天女の服を抱えてマンションに戻った悠生は、自分の目を疑った。
全裸の天女が悠生の部屋の玄関を出た廊下で手すりにもたれて外を眺めていたからだ。
「ちょっと!天女さん!ダメだってば!」
悠生は階段を駆け上がると、慌てて天女を部屋の中に押し戻した。
「この格好で外に出たらダメなのですか?」
天女は、ぽかんとした顔をしている。
「うん。ダメなの。まずは服を着るっていうことを覚えてね」
悠生は、優しく諭しながら買ってきた下着と服を着せた。
天女の美しい裸を隠してしまうのはもったいないという気もした。
「悠生さん」
天女が悠生を呼んだ。
「はい」
「あの、お腹が……」
天女が恥ずかしそうに言った。
「お腹が?痛いの?」
悠生が天女を気遣った。
「いえ、痛いという感覚がよくわかりません。そうではなくて、お腹が空いてしまって。なにか食べさせていただけますか」
天女がもじもじした。
「そっか、ずっと乾眠させられてたんですよね。お腹空きますよね。ご飯食べに行きましょうか」
悠生は、天女を食事に誘った。
天女が何かやらかすのではないかと少し心配になった。
悠生は、天女を連れて近所のファミリーレストランに向かった。
天女と並んで歩くと、自分が天女の娘に見えるような気がして恥ずかしかった。
「ここが食事をするところなのですね」
天女は、物珍しそうにきょろきょろとしている。
「何がいいですか?」
悠生が天女にメニューを見せて訊いた。
天女は、しばらくメニューを見ていたが、すっと顔を上げて悠生に言った。
「下界の食べ物の知識がないので分かりません」
「あ、そうですよね。じゃあ私が選んじゃいますよ」
「はい、お願いします」
悠生は、ハンバーグランチを二人分注文した。
「悠生さん」
天女が悠生に話しかけた。
「私を受け取ってくださりありがとうございます」
そう言って天女は頭を下げた。
「最初はびっくりしちゃいましたよ。いきなり高天原から荷物が届いたんですからね」
悠生は、屈託なく笑った。
「私、あちこちの方に受け取り拒否をされて、なかなか居場所が決まらなかったんです。ようやく悠生さんに受け取ってもらえて、嬉しいです」
天女がこぼれんばかりの笑顔を見せた。
さすがは神だ。
その笑顔には神々しさが宿っていた。
「居場所がないって辛いですよね。私も最近失業しちゃって、今のところ居場所なしなんです」
悠生は苦笑しながら頭をかいた。
「悠生さんもなんですか。お仲間ですね」
天女は嬉しそうに言った。
「まあ、お仲間はお仲間なんだけど、そういうところでお仲間にはなりたくないです」
悠生が天女の美しい髪に見とれながらつぶやいた。
「お待たせしました」
二人で話をしていると、二人の前にハンバーグがサービスされた。
「食べ方、分かりますか?」
「分かりません」
天女が首をかしげてにっこりと笑顔を見せた。
「このフォークで押さえて、ナイフでこうやって切ります。で、フォークに刺さってるお肉を食べるんです」
悠生が実演しながら説明した。
「なるほどー、お上手ですね」
天女が憧れの人を見るような目で悠生を見つめた。
「そんなに見ないでください。恥ずかしいです」
悠生が赤面した。
二人は、楽しく会話をしながら食事を進めた。
「じゅっ」
天女のところから肉が焼けるような音が聞こえた。
天女は、なぜか食事の手を止め、うっとりした顔をしている。
「うわっ!天女さん、大変!腕が鉄板に着いちゃってる!」
悠生が慌てた。
フォークを持つ天女の左腕が焼けた鉄板に乗っている。
悠生が聞いた音は天女の腕が焼ける音だった。
「天女さん、腕!」
悠生が手を伸ばして天女の左腕を持ち上げた。
「わっ、ひどい火傷」
悠生が動揺した。
天女の鉄板に乗っていた腕の部分は、赤黒く焼けただれて表皮が剥がれそうになっていた。
なのに天女は、熱そうな表情を出さないどころか、うっとりしているように見える。
「天女さん、火傷してますよ。大丈夫なんですか?」
悠生が心配して声をかけた。
「え、あ、はい。大丈夫です。すごく気持ちよかったもので、つい我を忘れてしまいました。すみません」
天女は、恥ずかしそうに答えた。
「気持ちよかったんですか?火傷してるんですよ?」
悠生には理解できなかった。
これが神というものなのだろうか。
「はい、なんともいえない心地よさがありす。もう一度試してもいいですか?」
「いやいやいやいや、ダメですよ!うちでならいいですけど、外でやったら知らない人が驚きます」
悠生は、慌てて制止した。
言葉のあやとはいえいえ、家でならいいとナチュラルに言えてしまった自分にも驚いた。
「あ、これが高木神が言っていた感覚と感情の設定間違いってやつ?」
悠生は、嫌な予感がした。