---羽島千尋---
元凶が違った?達也さんの口から衝撃的な言葉が出て来た。
「第3の人格ですが、大切な者の願望を叶えて、自分は消えようとしていた彼自身のようです」
消える?なんで?
「深雪に残虐な行動に出たのは、深雪に嫌われ、俺に向かわせる為のフェイクだと思います」
「どうして…」
「彼の精神は壊れているんだ。簡単には治らない」
壊れている?なんで?
「どうして壊れているんですか?あんなに、みんなの為に尽力していてくれたのに」
達也さんの口から、彼が壊れた原因を聞いた。睡眠を削っていた?紗霧ちゃんを護る為に…推定だそうだけど、1年くらい不眠不休だった可能性があるそうだ。睡眠不足ってレベルでは無いそうだ。無睡眠に近いらしい。その極限状態で彼の精神を保っていたのは、彼の気力であったそうだ。それが、あの幻覚剤で気力をもがれて…
「昨年1年間はほとんど寝ていたが、それでも睡眠、脳の休憩時間が足りないんだよ」
ボク達と出逢って、睡眠する時間は増えたけど、脳への負荷は倍以上になったらしい。それも気力でカバーしていたのだが、あの幻覚剤で…
「どうすれば、正宗君は戻ってくれますか?なんでもします。だから、お願いです。正宗君を助けて下さい」
達也さんにお願いをした。ダメ元である。誰かにお願いしないと、ボクが保たない気がしたのだ。
「ちっひー!彼の消えたい病を治せばいいんじゃないか?」
義兄さんが口を開いた。消えたい病…
「自分がいると、周囲の者が消えると思い込んでいるんだろ?じゃ、俺達が消えなきゃいいんだよ」
言っている意味は正しいが、それは治療方法では無い。
「後は、彼だけを見つめてくれる人の出現かな。妹は心の奥底で俺を求めていた。それに彼は気が付いてしまったようだ」
達也さんが暖かい目で正宗君を見ている。
「ちっひー!お前もだ!心のどこかで、俺を…俺は婚約をするんだ。だから、彼だけをみてやってくれ」
まさか、義兄さん…それで婚約を発表したのか…正宗君の為に。
「俺は取り返しのつかないことをした。そんな俺を救ってくれたのは、彼だ。だから、なぁ、ちっひー!」
ボクの奥底の想いを見抜いたのか…正宗君…でも、それだと…
「紗霧ちゃんは、正宗君だけのはずだけど…」
「俺も、君の義兄さんもそうだけど、妹とは、そういう関係を望まないんだよ。願望が無いというと嘘にはなるが、別の人と幸せになって欲しいんだよ」
達也さんの言葉に義兄さんが頷いた。そういうものなのか…エルフちゃん、ムラマサちゃんも妹枠だから…
「恵さんは?」
「心の奥底では、違う者のことを想っているのかもしれない。彼はそういうことが、不幸にも見えてしまうのだろう」
正宗君は報われないのか…
---和泉正宗---
身体が重い…うん?やらたに布団が盛り上がっている。なんでだ?布団の中を覗くと、黒い髪の毛が見えた。誰かが上に乗っているようだ。深雪とは違う髪質。誰だ?そっと、身体に触れてみた。
「うん?あぁ、正宗君、おはよう…」
ちっひーが布団から顔を出した。え?なんで、ここにいるんだ?
「どうして?」
「昨日、来たんだよ。君が寝ていたので、布団に潜ったら寝ちゃったよ」
って。あれ?深雪は?
「深雪は?」
「私は千尋だけど…。呆けるには早いよ、正宗君」
あれ?深雪と寝た筈なんだけど…千尋君とリビングへ行くと、達也さんと伊月さんがいた。
「深雪は?」
達也さんに訊いた。
「風邪を引いてね。家で休んでいるよ。夏風邪はタチが悪いからな」
って。いつひいたんだろうか?う~ん…
「伊月さんはどうして?」
「明日、小淵沢ベースの落成だろ?即入居する為だよ。って、イーグルジャンプ組と叶さんは入居済みだがな」
施設の点検名目で、体験入居をした叶、コウ、りんさん、うみこ。
「あぁ、これ、要望書だ。対策を考えてくれないか」
伊月さんから、紙の束を渡された。こんなに不具合があったのか…
「わかりました。飯を食べたら、検討します」
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部屋に戻り、要望書に目を通していく。千尋君が何故か一緒にいる。はて?
「水の問題かぁ…」
高台にあるからなぁ。下水は流せば、下水道管に流れて行くが、上水は面倒である。数カ所に設置したポンプを経由して、高台まで上げないといけない。一気に使うと、貯水槽が空になる危険があるのだ。そうなると断水になってしまう。入居者が少ない状態で断水はまずいよなぁ。
「湧き水とか川の水は?」
「川は生態系に影響が出ちゃうとまずいんだよ。稚魚とかをブロックしずらいし」
取り込み口のフィルタの目を細かくしすぎると、詰まりの原因になってしまう。
「そうなると湧き水かな。そうか…トイレの水を再生利用して、便器用にすれば、節水ができるか」
ネットでそういう事例を探して、叶さんへ連絡をした。叶さんが施設の管理者になってくれ、施工業者とのパイプ役になってくれていた。
「あとは、川の源泉から引くかだな」
ボーリング調査をしたが、井戸も温泉もダメらしかった。ここは両方とも大丈夫だったけど。
次の問題…食料かぁ。コンビニまで車で30分かかるもんな。って、いうか車が無いと生活出来無いのに、ガソリンスタンドも無いし。どうするかな…貰った土地周辺の地図を見る。一番近くのガソリンスタンドは…林道に入る前かぁ。林道内には無いのか…無ければ自分ですれば良いのかな?
お店の予定地は林道沿いである。その隣は空き地である。達也さんに連絡して、その空き地が使えるかを確認して貰った。大丈夫そうである。そこにガソリンスタンドを作れる。一般に人も仕えるようにセルフタイプのだ。で、お店の予定地にコンビニ…いや、道の駅的な物だな。1階を道の駅、2階をお店に…図面を引いていく。あれ?僕って、図面を描けたのか…自分の才能に驚く。
「そうか、食料とかを大量に仕入れて、一般の人にも売るんだね」
「近所に家が無いから売れ無いかもしれないけど、倉庫代わりにはなるよね?」
「ガソリンスタンドは必要だよ。買いに行くのが遠いもの」
笑顔で僕を見ている千尋君。
---羽島伊月---
達也君と川へ…彼の家の前辺りに、お手製の階段が作られていた。そこを降りていく。
「ここって、釣れるのか?」
「釣れますよ。ニジマスと鮎とかが。後、食べられる物だと沢ガニかな?」
水は透き通っていて、流れは緩やかであるが、深そうだ。
「向こう岸の畑に使う水も、ここの水を使います」
向こう岸に渡る橋まで移動していく。道もお手製で整備されていた。
「階段とか道って、作ったのか?」
「えぇ、彼が作ってくれてました。記憶をロストする前にです。間伐材を使ったそうですよ」
至れり尽くせりな彼。どうにかしてあげたいよ、まったく。一体、あいつは何歩先を歩いていたんだ?
橋が見えて来た。これも作ったようだ。
「もう少し先に、農業用の車両が通れる橋があります。ベースの裏手に階段があって、農業用車両の駐車場に出られるんです」
さすがにそれはお手製では無いようだ。そして、畑へと渡った。都会育ちの俺からみると広大な平原が広がっていた。
「あっちの端に柵があって、逃亡防止策はなされています」
三方を川で挟まれた平原。水の心配はなさそうである。
「牛などを飼うのであれば、小屋は必要だと想います」
まず、牧草を育てるところからだな。彼とちっひーの為にも…
---羽島千尋---
要望書に回答を付け終わった正宗君。それを京香さんに渡した。義兄さん達も帰って来たので、お昼休憩である。今日は正宗君の打ったうどんだそうだ。
「返しの出来が良くないから…」
と、言うけど、美味しい。
「醤油も味噌も返しも自家製にしたいなぁ」
ボクもそう思う。でも、この家の醸造蔵は狭いので、新たに作らないとダメらしい。新築の場合だと、良い麹菌が住み着いてくれるかが問題である。
「豆腐から油揚げにして、きつねうどんも有りかな」
メモ帳に浮かんだことを書いていく正宗君。以前と用途が少し違うらしい。以前へネタ帳であったけど、今は記憶を補う為の物たそうだ。彼の記憶障害は、未だに治っていないのだそうだ。
「なぁ、炭焼きはしないのか?」
って、義兄さん。
「したいですが、釜が無いです」
図面を本棚から取りだしてきた正宗君。
「う~ん…大掛かりだな」
炭を作るだけでなく、皿なども焼く窯、間伐材で合板をつくる工房などの建物群が、図面にされていた。そして、そこで出た廃熱で、醸造蔵などのヒーター代わりにするとある。一体、正宗君は何歩先まで計画していたんだ?
夕食の準備の少し前、コウさん達がやってきた。
「クマを仕留めたんだけど、クマ鍋出来るかな?」
って…仕留めた現場へと向かう。
「重くて運べないんだよ」
山に入って10分くらいのところにクマが倒れていた。こんな近くにクマが来るんだ…
「バラして、持って帰るしかないかな。どうかな、達也さん?」
「そうですね。バラしますか」
正宗君と達也さんで、クマを解体しだした。皆、目を背けずに見ている。次は自力で解体するかも知れないから。
「胃袋の中はチェックしてください。人間らしき物が入っていたら、警察へ連絡を必ずしてくださいね」
達也さんから注意事項が伝えられた。幸い、今回は入っていなかったけど。人を食うクマがいるんだ。この山には…
「食べられる部位はこんな感じです。皮は防寒着になりますから、持ち帰って下さい。残った部位は、山側に投げ捨てて下さい。他の動物のえさになりますから」
山側に捨てるのは、人間の住処から遠ざける為だそうだ。後、クマの血の臭いがすると、他のクマは寄り付かないらしい。
クマの肉を家に持ち帰り、クマ鍋の準備を始めてくれた。リビングにある囲炉裏に火を起こしていく。この囲炉裏は鍋と炉端焼き用だそうだ。暖房は暖炉を使うからだって。
全部の肉を使わないので、今回使わない分を、醸造蔵に併設している熟成庫に、入れにいくボクと正宗君。醸造蔵は想像よりも大きかった。って、ここってあの時の…内部は3階層になっていた。熟成庫は隣の部屋だそうだ。ここは一階層だけだ。
「上の階層は燻製庫とか乾燥庫だよ」
二階層目は燻製庫で、ここでの廃熱と、温泉の廃熱で熟成庫と醸造蔵を暖めているそうだ。乾燥庫は寒干しになるらしい。
記憶をロストする前の正宗君は、義兄さんが言うように天才だったのかもしれない。
「これを考えた人ってすごいよね」
って、他人の手柄にしている。自分で設計したことを、まったく覚えていないようだ。
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夕食後、正宗君は薬を飲んで、眠りについた。コウさん達はベースに戻っていく。達也さんは自宅へと帰っていった。ボクと兄さんは客間を1つずつ借りていたので、それぞれの部屋で休むことにした。
夜中に寝つけずに温泉へ向かった。24時間掛け流しなので、いつでも入れるのは良い。温泉の湯が疲れた身体に染み渡っていく。
何かに締め付けられている感覚で、目が醒めた。寝てしまったようだ。視覚と聴覚は機能していないようだ。手足は動かない。口が閉じられない。正宗君か?また、残虐性が湧きあがってきたのか?舌を引っ張りだされており、声が出せない。舌の先端で何かをなぞっているようだけど…舌の感覚がなくなると、下腹部に何かが侵入してきた。マズい…義兄さん…助けて!
何回か出し入れされ、どこかの先端に差し込まれたようだ。全身がヤジロベエのように左右前後に揺れている。ここはどこ?正宗君…正気に戻ってよ~
---羽島伊月---
ガタッ!
って、音で目が醒めた。ちっひーの部屋を調べるが、蛻の殻である。どこかに連れ出されたのか?アイツの部屋へ向かうが、アイツもいない。醸造蔵へと向かうがここにもいない…うん?待てよ!乾燥庫へ向かう。乾燥庫の天井は開いており、竿のような物の先端に何かが刺さっていた。竿を降ろすスイッチを探すと、ヤツがいた。
「銃は無いようだな。ほら、助けてやれよ!義兄さん、助けてって叫んでいたぞ」
ちっひー、それは言っちゃダメだって言ってあっただろう。コイツはちっひーの願いを叶える為に、こんなことをしたのだ。俺がちっひーを助けだす為に。
「おい!いい加減に目を覚ませ!」
「醒めているよ」
俺はコイツを救えないのか?俺よりも狂っているコイツを…
「ほら、早くしないと落ちちゃうよ。いや、鳥のえさになるかな?」
鳥のえさだと…この変だと鷹か?まずい。俺はスイッチに向かった。干し竿を下ろすと、屋根が締まっていく…屋根の上にはヤツがいた。まさか、屋根に挟まれて…だが、二択しか出来無い。天才の仕組んだ2択だ。アイツを救うか、ちっひーを救うかしかできない二択。アイツの中の消えたい心がはじき出した計画なのか。俺は、ちっひーを選んだ。
「ダメですよ。正宗君!」
屋根の上から女性の声がした。屋根の上でもみ合う音。そして、転がって、落ちる音…
---司波深雪---
イヤな予感がして、家を抜け出してきた。案の定、彼は伊月さん兄妹へプレゼントをしようとしていた。
「ダメですよ。正宗君!」
仕上げで屋根に挟まれて、消えようとする彼に抱きつき止めた。
「やめろ!」
「イヤです」
「お前は達也としただろ?願いは叶えた。だから、好きにさせろよ!」
「イヤです」
彼ともみ合い、屋根を転げ落ちていく。ここって、3階だよな…覚悟を決めた私。
グシャ!
何かが潰れる音…私の下から聞こえた。落下の衝撃を和らげるクッションになった彼。口から血が溢れている。
「深雪、大丈夫か?」
お兄様の声。
「正宗君が…内臓が破裂したかも」
「のようだな。マスいなぁ。深雪、彼を優しく抱き締めろ」
「はい」
お兄様のバイクの後部座席に、彼を抱いたまま座る。交通違反ではあるが、緊急事態である。街の病院へ彼を搬送した。
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全治二週間程度の打撲だった。落ちた場所が幸いした。温泉の屋根の上だった。この家の温泉は広く見せる為に、2階部分には吹き抜けがあり、屋根は普通より高い位置にあったのだ。そして、口からの吐血は血糊であった。あの破裂音は血糊のパックを潰す音だったようだ。
「あのまま死んだふりをする筈だったのだろうが、脳震とうで計画が潰れたようだ」
空中で私を庇う為に、私の下になった正宗君。
「自殺願望…それも悪人としての死を望んでいるようだ。誰かへの贖罪なんだろうな」
お兄様が頭を抱えている。お兄様をしのぐ彼の計画性。さすがのお兄様も後手後手に回ってしまう。でも、誰への贖罪なんだ?