その可能性を考えていなかった。
ここは地上ではなく月世界だから、その可能性はないと思い込んでいた。
嬉しかった。
でも恐かった。
この先を思えば自信なんてまるでない。
例え進むこと。諦めないことが自分の美徳だとしても、これは今までとは種類が違う。
1日が過ぎる度にこれで良いのかと不安で仕方ない。
縁を結んだ
そしていつだって自分を支えてくれた伴侶の為にも成し遂げなければならない。
そしてその時に伝えたいことがある。
パリンッ!と白野が皿を落とすと慌てた様子でアストルフォが近づいてきた。
「大丈夫かいハクノ!怪我、してない!?」
「あはは……大丈夫よ、アストルフォ。ちょっとぼうっとしてたみたい」
「危ないなぁ。ここ最近変だよ?どこか調子が悪いのかい?」
「そんなことはないと思うけど……」
大丈夫と答えたいがここ最近の不調は白野も自覚していた。
最初は熱っぽいなと感じて数日の休息を入れたが身体の倦怠感は一向に拭えない。
アストルフォには見られなかったが、つい昨日に嘔吐までしてしまった。流石にもうちょっした体調不良では済まされない。
「やっぱり診てもらおうよハクノ。そうすれば何か原因が解るかも知れないしさ」
「そう、だね……でも医者なんてこのSE.RA.PHに居るのかな」
ここは電子の海の月世界。訪れるハッカーは自分の診察くらいは出来るので、現在月に医者という職業は存在しない。
「まっかせてよ!この前医療に詳しい
急かすアストルフォに白野は急に行って大丈夫か不安になったがアストルフォは大丈夫、大丈夫と繰り返す。
相手の都合が悪かったら後日診てもらおうと思いながら白野は外行きの服に着替える。
その間にアストルフォが割れた皿を片付けてくれた。
「じゃ、行こうか、ハクノ!」
おー、と拳を突き上げるアストルフォに笑みを浮かべながら外に出ようとすると急な立ち眩みに襲われる。
「あ、あれ?」
「ハクノ?」
背中に顔を預ける白野の様子は尋常でなく、顔が赤くなって呼吸が荒い。その様子に焦るアストルフォ。
その表情は焦りから青くなっていた。
「待ってて、ハクノ!おいで!
そして自身の宝具を開放し高速で空を駆けた。
「まったく……貴方という人は」
「あはは。その、慌ててさ…」
アストルフォが訪れたのはギリシャ神話で数多くの英雄の師となった半人半馬の英雄。ケイローンだった。
ケイローンは大きく溜め息を吐いてアストルフォを諭す。
「いくら急いでいたと言ってもあのような速度で移動する人がいますか。下手をすれば彼女の命に関わっていたかも知れないのですよ?」
「う!ごめんなさい……」
しゅんとするアストルフォにケイローンは私に言われてもと苦笑すると寝台に寝かせている白野を診察する。
ここに着くなり、嘔吐が酷く、ようやく収まりを見せていた。呼吸の荒さは相変わらずだが。
白野の身体に触れて診察をいる内に目を見開き、顎に指を置いて考えるような仕草を取る。
「ちょっと!黙ってないでなにか言ってよ!不安になるじゃないか!」
後ろから体を揺さぶって来るアストルフォを無視してケイローンは白野に質問する。
「白野でしたか。少し聞きたいことがあるのですがよろしいですか?」
「あ、はい……」
「ここ最近、生活の変化はありませんでしたか?例えば、味覚が変わったとか……」
ケイローンの質問に2人はどうしてそんなことを訊かれるのかふしぎだったが正直に答える。
「そういえば、ここんところ酸っぱいものを多く食べてたよね?逆に油っこい物は食べなくなってたかな?」
「うん。油っこいとか匂いだけでも気持ち悪くなっちゃって……」
「他には何か変わったことは?」
「えっと……身体が怠くて眠たくなる時間が多くなって……それと、ちょっとお腹が……」
最後の方は恥ずかしそうにして小声だったがケイローンの耳にはしっかりと届いた。
頭の中で情報をまとめて終える。
「これはあくまでも可能性です。確証はないのですが……」
「勿体振らないで早く教えてよ!」
「おそらくですが……彼女は妊娠していると思われます」
『………………えぇっ!?』
間を置いて白野とアストルフォの2人が声を上げる。
「え!?でも妊娠ってここは月だよ!?SE.RA.PHだよ!電脳空間だよ!?」
「ですから私も確証がありません。ですが彼女の状態を診るにそれが一番可能性が高い」
「で、でもなんで……」
ベッドで不思議そうにしている白野にケイローンは持論を述べる。
「これは、私の考えですが。この月が地上の
「地上、の……?」
「はい。前回の聖杯戦争を終えて月の王が決まってから様々なことが変化しました。以前ならSE.RA.PHに町が出来、与えられた役割を除いて自発的にNPCが店を開くなど考えられなかったことです」
「で、でもさ!それと白野の妊娠ってなんか関係あるの!」
「SE.RA.PH統括しているムーンセルは世界、そして人間たちの情報を記録していました。彼らの情報を得るために地上の魔術師を招き、聖杯戦争を始めた。ムーンセルは常に新しい、異なるデータを欲している」
「だから妊娠のデータが
白野が口にした結論にケイローンは頷く。
しかしすぐに別の論を述べる。
「あくまでも私の推理です。元々可能だったことだったのかもしれませんし、本当に妊娠しているのかもこれから経過を見て調べないといけないでしょう。とにかく私は一旦席を外します。2人で話し合った方がいいでしょう」
自分の家なのにそう言って出て行くケイローンに内心で感謝しながら白野は自分のお腹を擦る。
「それにしても妊娠かぁ。ボク生前も親になったことがないからわからなかったよ!」
白野の手の甲に自分の手の平を乗せてアストルフォ。そこには嬉しそうに笑う彼の顔があった。
しかし白野のほうは曇りのある表情をする。
「どうしたの、ハクノ?嬉しくないのかい?」
「そんなことは、ないよ。でも……」
「ん」
言葉を途切れさせる白野にアストルフォは続きを待つ。
「本当に、私に産めるのかな……?」
「……どうしてだい?」
「だって……っ!?」
聖杯戦争でのことを思い出す。自分は一度、もうひとりの自分に敗北して消去された。なぜ再び生を受けたのかはわからないが、白野にとって重要なのは今まで自分がなにも出来ていないということだ。
もし自分が聖杯戦争を勝ち抜いたマスターだったなら。
再び目覚める前に起こった遊星との戦いを終結させたのなら。
そんなもうひとりの自分のように華々しい結果がひとつでもあれば、自分はこの出産を自信をもって喜べたのではないか。
もちろん白野とてそんなことと出産に対する恐怖が関係が無いのはわかっている。
でも、今までなにひとつ成し遂げていない自分が産めるのだろうかという不信感が拭えない。
そう考えるとお腹の中の子がとても恐ろしい存在にすら思える
恐い、怖い、コワイ、こわい。
難しい顔をして手を置いたお腹に視線を注ぎ続けるとアストルフォの指が白野の顔に近づいて来た。
「えい!」
そうして白野の額にデコピンをかます。
額を押える白野にアストルフォは寝台から下りて腰に手を置く。
「今からそんなに追い詰められてどうするのさ!そんなんじゃそのうち参っちゃうよ!」
「で、でも……!」
「それに今まで何もできてないって思ってるならその子を産んで自信にすればいいじゃないか!」
「え?」
「だってSE.RA.PHで初めての赤ちゃんだよ?それってある意味遊星とかと戦って勝つよりすごい事なんだよ?それに
アストルフォの言葉に白野はハッとなる。
自分が否定したらこの子の居場所はどこにあるのか。
「ハクノなら大丈夫さ。なんたってボクの大切で大好きなマスターなんだから!」
そう信じて疑わない。一片の曇りもない笑顔。
きっと彼は根拠など無く、眩い希望だけを信じているのだ。
でもその楽天的とさえ感じる希望だけが―――――。
その後、返ってきたケイローンに妊娠した子を産むことを告げ、彼は困ったことがあったらいつでも来てくださいと白野の出産を手伝ってくれることになった。
ちなみに白野の妊娠が周りに知れ渡った時はSE.RA.PHでは同性同士でも子供が作れるのかと間違った認識をされて戦慄されたりした。そこで市民のひとりがこう呟いた。
「愛は偉大だ」
それから数カ月。白野のお腹もだいぶ大きくなった時にとある2人組と会うことになる。
その日は、アストルフォは賃金稼ぎのために出かけている日に白野はアルトリアと外で談笑していた。
「お腹も大きくなってきましたね」
「うん。実は最近歩くのもちょっと辛くて……」
「それだけすくすくとお腹の中の子が育っているということでしょう?」
「ケイローンが言うには異常はないって。母子ともどもね」
「羨ましい。私は生前子は居ましたが、自分で出産することはありませんでしたから」
その話は以前聞いたことがあった。
実の姉との間に出来た不貞の子。実際にはアルトリアのクローンでありホムンクルスではあるが、最後は反乱を起こされ、その子供と相打ちになる形で別れを告げた。
このSE.RA.PH内で会ったことはないがもし会えるなら王としてでなく親として話をしたいと語っていた。
「でも意外だね。アルトリアも子を産むことに興味があったなんて」
「えぇ。王になったときに女であることや人であることを捨てましたが、そうした憧れが全くなかったわけでもありませんでした。特に王になる前は」
それでもアルトリアにとってそれは夢想するだけのモノなのだろう。
もしあの時に戻って王として生きるか女として生きるかと問われても彼女は間違いなく王となる選択を選ぶのだろう。ただ、誰かと結婚して子を産み育てる。その可能性だけあればいいのだ。
そうしていると道端でばったりと見知った特に片方とはちょっとした因縁がある。
「ん?」
「ぬ?」
「あはは……」
現れたのは月の王のサーヴァントであるネロと玉藻の前だった。
「おぉ久しぶりではないか!存命しているとは聞いていたがついぞ今まで顔を合わすことが無かったからな!」
「騎士王さんもお久しぶりですねぇこんなところで立ち話ですか?」
明るく話しかけるネロとややめんどくさげに対応する玉藻。
そんな2人に白野は苦笑する。
「それにしても以前よりもその、ふくよかに、なったか?」
「アレ?でもおかしくありません?顔の方はむしろスッキリしていますし。なんていうかまるで……」
頬に手を当てて考える玉藻にアルトリアが呆れたように回答する。
「そうです彼女は今新しい命を宿しています。決して太ったわけではありません」
『……えぇ!?』
妊娠が発覚したときの白野とアストルフォと同じ反応だった。というか白野の妊娠を知った者は大抵同じような反応をする。
「ま、まて!相手は誰だ!もしやあのピンク髪か」
「う、うんまぁ……」
そう言えばネロはアストルフォが男だって知ってたなぁと思い出す。
そこで玉藻の前はあることに気付く。
「みこーん!ということはこれはもしやヤッっちゃえば私とご主人様の子を儲けることも可能だったり?」
「そ、そうなんじゃないかな?ケイローンの話では地上より稀な事らしいけど」
「なんと!ならば今夜余の閨に奏者を招き入れねば……む?駄キツネはどうした?」
「今すごい速度で王宮に戻って行きましたよ」
アルトリアの回答にネロが顔面蒼白になる。
「あ、あのキツネめ!余の先を越す気だな!そんなことをしてみろ!余は泣くぞ!本気で泣くからな!!」
そう言ってネロも全力でサーヴァントとしての能力を全開にしてこの場を去った。
この後より月の王は朝昼晩問わずにサーヴァントから熱烈な求愛を受けて逃げ続ける羽目になるのだが白野とアルトリアには関係ない事である。
それからジャンヌ・ダルクに会って驚かれたり。
クーフーリンに笑いながらお祝いされたり。
無銘に差し入れを貰ったり。
聖杯戦争のときからの知り合いであるNPCの桜や大河に世話されたりと日々は流れる。
そしてある日のこと。
「アストルフォ、遅いな……」
買い物に出かけたアストルフォが戻ってこない。
まだそれほど気にする時間ではないがやはり彼が傍に居てくれないと不安が募る。
それから更に時間が経ち、不思議に思う。
「何かあったのかな……?」
遊星の一件以来大きな事件はないが何かに巻き込まれたのだろうか。それとも自分から首を突っ込んでいる可能性もある。
だってアストルフォだし。
そんな風に考えて立ち上がると気持ち悪くなり、トイレに間に合わず、洗面台で嘔吐する。
(そういえば、最近吐いてばっかりだな)
まだ安定期に入るまで少し時間がかかることからつわりがひどかった。
その度にアストルフォに看てもらったが。
(もしかして、それがイヤになっちゃった?)
そんなことを冗談で考えたが僅かな亀裂となる。
どうして早く帰って来てくれないのか。
どうして今傍に居ないのか。
このまま帰って来なかったらどうしよう。
嫌な想像だけがぐるぐると頭の中で回る。
キモチ、ワルイ。
「――――――っ!?」
意識が朦朧としたところで誰かが白野の身体を支えた。
「なにこれ!?」
アストルフォが家に戻ってみるとそこには真っ二つにされていた玄関のドアがあった。
何かの異常事態だと察してアストルフォの顔が珍しく蒼白になる。
「ハクノ!」
中に入るとドア以外に荒らされた形跡はない。しかし白野の姿が見えなかった。
真っ先に寝室へと飛び込む。
そこにはベッドに寝かされている白野と冷めた眼でこちらを見ているアルトリアが居た。
「あ、あれ?」
「おかえりなさい。さて説明してもらいましょうか?」
アルトリアは立ち上がるとアストルフォへ距離を詰める。
「妊娠している白野を放っておいてどこへ行っていたのか、聞かせてもらいましょうか?」
冷たい笑みを浮かべて問うアルトリア。その眼はふざけた回答をしたら聖剣を抜くことも辞さないと語っている。
「そ、それより何があったのさ!?玄関はあんな様子だし!?」
「……まぁいいでしょう。その説明を先にしましょう」
偶に白野たちの様子を見に来ていたアルトリアは今日も家に向かっていた。
そこで呼び鈴を鳴らしても返事がないことから出かけているのかと思ったが、中で物が倒れる音がしたことからドアを叩いて白野とアストルフォを呼んだが、一向に返事がなく焦れたアルトリアが聖剣を抜き、ドアを真っ二つにして中に入ったのだとか。
そして中では意識が朦朧としている白野が棚に手を付いて苦しそうにしている。それでアルトリアが今まで面倒を看ていた。
「扉を破壊したことは謝りますが。そちらも何をしていたのかぜひ聞きたい」
「あ~。え~とね」
頬を掻いて言い淀むアストルフォにアルトリアが更に問い詰めようとするがそこで白野から声が漏れる。
「アス、トルフォ」
その声を聴いてアストルフォが白野の下へと移動する。
「あぁ……よかった……かえってきた」
「ごめん!ごめんね、ハクノっ!?」
手を握って謝るアストルフォにアルトリアは嘆息する。
何をしていたのか聞きたいが、それは今度でいいだろう。
2人に帰ることだけ告げてアルトリアは家を後にした。
意識がはっきりしてきた白野はアストルフォの存在を認識すると彼に抱きついた。
「……一瞬、もう帰って来ないんじゃないかって」
「そんなわけないでしょ?でもゴメン。遅かったよね」
自分の胸の中で震えながら泣いている白野の頭を撫でて落ち着かせるアストルフォ。
そうしているとしばらくして白野が落ち着き、体を離す。
「それでどうしてたの?ずいぶん遅かったけど……」
涙跡を拭いながら問う。
そこら辺はしっかりと追及せねばならない。
アストルフォは思い出したかのように懐に手を入れる。
「ちょっとどれにするか悩んじゃってさ。前に無銘からこうしたのはちゃんとした方がいいって。ジャンヌの奴からも。ハクノ、ちょっと左手を出して」
「?」
言われた通りに左手を出すとアストルフォは白野の指に輪を通す。
薬指に填められた指輪。それの意味することは。
「お!サイズピッタリ!良かったぁ」
「あ、アストルフォ……これって……」
「別におかしなことじゃないでしょ?周りからこういうのはちゃんと示した方がいいって言われててさ。それで今日選びに行ってたんだけど、どれが良いか迷っちゃって……」
そうしてアストルフォは自分に填めてある指輪を見せる。
「えっとさ……ずっと一緒に居たいんだ。この子も一緒に。ハクノの居る場所がボクの帰る場所だからね!」
そう言われて、白野の頬に再び涙が落ちる。
填められた指輪を覆いながら。
「ハクノは泣いてばかりだなぁ。そんなんじゃ子供も泣き虫になっちゃうよ?」
「泣かしてるのは、アストルフォでしょ……!?」
「うん。ゴメンね」
そうしてまた散々泣いて、泣き終わった時にアストルフォの笑う顔があった。
自然と、唇が重なった。
抱き上げた我が子は、父親にそっくりな女の子だった。
今日まで出産に力を貸してくれた人たちが集まっていて。抱き上げた時に歓声が上がった。
こんなにも祝福してくれる人たちがいるこの子はきっと幸せ者なのだろうと思う。
産湯に浸からせながら桜がおめでとうございます!と言ってくれる。他の人たちも。
「ねぇ、アストルフォ。名前、考えてくれた?」
子の名前は父親に投げていたので生まれた子の名を問う。
「もっちろん!約束だったからね!」
いつも通り快活な笑顔。岸波白野が1番好きな笑顔。
彼は生まれた我が子に触れる。
「この子の名前はね――――――」
父親から名を授けられた時、赤子はむず痒そうにしている。
月の電脳世界。そこで生まれた新たな命。
それは地上と変わりなく尊く、価値のある生命。
それは小さなことでもきっと意味のあることだろう。
これでEXTELLA編は終了とします。
EXTELLA編の続きは続編をプレイして設定を擦り合わせたLINK編として書くと思います。
LINK編では砂糖を吐くような話を書きたい。
しかし思い付きと勢いだけで始めた本作品が10話も続くとは。