「君の名は?! ジャギ!!」略して「君ジャギ」 西… 作:高尾のり子
三葉のイメージを崩されるのが苦痛な人は読まないでください。
ジョーク小説だと思ってください。
翌朝、四葉は悪夢から目覚めたようにガバッと起き上がると、冷や汗が浮いてきた。
「ハァ…ハァ…なんて悪夢……最悪の…」
汗と涙が流れてくる。
「…ハァ……お母さん……私、……どうしたら……グスッ……泣いてる場合じゃない!」
制服のまま寝ていた四葉は布団から飛び出すと、机に向かった。ノートとボールペンを出して、自分が体験した出来事を書き出していく。
「忘れないうちに………魂の記憶を……脳の記憶に……」
四葉が起き出した気配を感じて、一葉が部屋に入ってきて声をかけてくる。
「四葉、起きたのかい?」
「…うん…」
「まずは、落ち着いて、お風呂にでも入りなさいな。まだ、時間が早いよって」
「……」
時計は、まだ6時過ぎだった。
「沸かしておいたでの」
「ありがとう。でも、今はいい。時間がないの、しばらく話しかけないで」
四葉はノートに書き記す作業を続け、それが終わると、待っていてくれた祖母に声をかける。
「昨日、私は、どんなだった? どんなことをして、どんなことをしなかったの? 些細なことも漏らさないように、彼の口調も態度も教えて」
ほぼ無意識で四葉は全開になっている胸元のボタンを留めながら問い、一葉は要望に応えて、昨日の言動を包み隠さず語った。
「……そう………そんなことをしていたの……」
「あんまり気に病まんときの」
一葉は絶望的なまでに暗く思い詰めた顔をしている孫を心配して胸が痛くなった。
「今度、あの男が勝手をしよったら、懲らしめちゃるき」
「お婆ちゃん、それは絶対にやめて。たぶん、私が入れ替わっていた男は山賊の頭目みたいな男で、手下が何人もいたわ。下手に逆らうと、本当に人を殺しかねない、いえ、普通に殺すわ。日常的に人殺しをしているようなヤツら。私が捕虜の処刑を止めたら、え? 今日は、そんな甘い処置でいいのか、殺すのが楽しみなのに、って顔で手下たちが不思議に思ってたくらい。幸いマスクをかぶっていたから、私の表情を見られることがなくて、なんとか乗り切れたけど、あまり甘い対応をしていると疑われそうだったから」
四葉は痛みの記憶が残っているかのように、左の前頭部を手で押さえた。
「四葉……」
「とにかく、もう一度、あの男、ジャギの言葉遣いや考え方、仕草を私に教えて。あと、お婆ちゃんが美味しい食べ物で、あいつを誘導したのは正解だと思うから、図に乗らせない範囲で、美味しいものを与えておいて。あいつだって、この身体にいるときは少しは不安なはず、あんな筋肉隆々の身体から、この身体じゃぁね」
四葉は少し痛い手首を撫でた。手首の痛みの次には全身の筋肉痛を自覚する。おそらく学校で何かしたのだと思い、そのあたりは沙耶香たちに訊くことにして立ち上がった。
「ちょっと早いうちに行くね。サヤボボとテッツーからも話を聞きたいから」
「四葉、朝ご飯は?」
「ごめん、食欲がないの」
あんな流血シーンを見た後じゃ、という気持ちは祖母を心配させるので口にせず、沙耶香はオールバックで寝たためにグチャグチャになった髪を一纏めにすると、首の後ろで組紐で結んだ。玄関を出て、すぐに沙耶香と司に出会った。
「…おはよう、四葉ちゃん?」
「四葉、だよな?」
「ええ」
「「よかったぁ…」」
ホッとしている二人に問う。
「昨日、私が何をしたのか、どんなだったのか、細かく話してほしいの」
「四葉ちゃん!!」
急に感情的な大声で叫んだ沙耶香が迫ってきたので、四葉は叩かれるかと少し覚悟したけれど、抱きしめられて戸惑った。
「な、なな? なに、サヤボボ? なんなの?」
「ありがとう! 四葉ちゃん! お姉ちゃんが話せるようになったの!! 声が出るようになったの!!」
「サヤチンさんの声が? どうして?」
「四葉ちゃんのおかげだよ!!」
「ぜ、ぜんぜん、わかんない。ちょっと落ち着いて! ジャギは乱暴したりしなかったの?」
「ら…乱暴もしよったけど…」
「効いたんだよ! あのおまじないがさ! そんでサヤチンさん、以前みたいにキレイな声が出るようになったんだって! あの五百人を救った声がさ! すごいぜ! あのおまじない!」
「ごめん、二人とも落ち着いて。大事なことだから、順序立てて、朝一番の昨日の私、つまりジャギのことから話して。お願い、とても大切なの」
「朝一番……」
司が赤面して何かを思い出している。それを沙耶香が睨む。
「あんた、エロいこと思い出しとるやろ。最低や」
「な、なにも! 何も無かったって!」
「話してみて」
「け…けどよ…」
「いいの。話して。どうせ、パンツ見えたとか、そんな話でしょ。そういうのも、細かく話して。癖とか、態度とか、全部。私がジャギと入れ替わってるとき、マネしないといけないから」
「じゃ…じゃあ…」
司は話そうとして、つい四葉の胸元を見てしまい、今日もノーブラなことに気づいた。ボタンはすべて留められているけれど、つんと乳首が立っているので、よくわかる。沙耶香も気づいたので小声で教える。
「四葉ちゃん、ブラ」
「あ……ちょっと待ってて」
とくに赤面することもなく、四葉は家に戻ってブラジャーを着けて出てきた。ブラジャーのことよりも時間を気にして、話を進めさせてくる。学校に行くまでに昨日のことを二人から聞いて、やはり四葉は思い詰めた顔になった。
「四葉ちゃん、……」
沙耶香が慰めようと、声をかける。
「あ…あのね、お姉ちゃんから聞いた話やけど、案外、入れ替わりも、楽しんでる様子もあったみたいよ。東京観光できたりとか。男友達ができたりとか」
「………うん、……ありがとう、サヤボボ」
荒涼とした砂漠と化した東京や、邪気と元気に溢れている手下たちを思い出した四葉が棒読みで返答したので、ますます沙耶香は心配になる。
「な…なにより! お姉ちゃんのこと、ありがとう! ジャギさんにも伝えておいてよ! ホンマありがとう!」
「うん……けど、もともと、サヤチンさんのこと、……うちの家の責任でもあるし」
「……四葉ちゃん……四葉ちゃんは何も悪くないんやから……そんな顔、せんといてよ」
「四葉、気にするなって。学校で何か言われても、守るから」
「…うん……ありがとう…」
思い詰めた顔のままの四葉と沙耶香、司の三人が校門まで着いたときだった。
「おい、宮水!」
クラスメートの男子が呼びつけてきた。明らかに敵対的な声色だったので、司と沙耶香が守るように前に出る。呼びつけてきた男子は朝練だったのか、柔道着を着ていた。
「昨日は油断しただけなんだ! もう一度、勝負しろ!」
「え…? なに?」
意味がわからないという風の四葉に沙耶香が耳打ちする。
「昨日、体育のとき、全員投げ飛ばしたこと、話したやん。それやと思うわ。彼、柔道部で全国大会にも出てるもん」
「ああ……その話……くだらない…」
四葉がタメ息混じりに言ったので、ますます男子が怒った。
「き…きさまぁ! オレを誰だと思ってるんだあ~~っ!!」
グワッと男子が迫ってくると、四葉は据わった瞳で見つめ、右手の人差し指を相手の眉間にビタァッと向けた。
「うっ…くっ…」
あまりにも四葉の目が据わっていて静かな殺気さえ感じるので、男子は動けなくなる。
「死ぬよ」
ズンと据わった目で四葉に告げられると、男子は腰を抜かして座り込んだ。
「はっ…はぐっ…」
「昨日、私が手加減しなかった、とでも思うの?」
もう戦意を失った相手に背中を向けて四葉は昇降口へ向かった。沙耶香と司が追いかけてくる。
「四葉ちゃん、四葉ちゃんよね?」
「四葉なんだよな?! 四葉! ジャギさんじゃなくて!」
「ええ、そう言ってるでしょ」
「「だって、今の…」」
沙耶香と司が顔を見合わせると、四葉は再びタメ息をついた。
「あんな世界に一日いれば、こうもなるわよ。ちょっと殺気を込めて睨んだだけなのに、大袈裟よ。無意味な戦闘をさけた私に感謝してほしいくらいなのに」
「「…………」」
一昨日までとは、存在感が違ってきた四葉に戸惑いつつも、三人で教室に入り授業を受ける。その授業中も、ずっと四葉は思い詰めた顔をしていた。中休みになって沙耶香が声をかける。
「四葉ちゃん、大丈夫?」
「………」
そう声をかけられても返事もしない。
「ねぇ、四葉ちゃん」
「……え? ……なに?」
「大丈夫なの?」
「………さあ」
「授業、ぜんぜん聴いとらんよね。仕方ないと思うけど、テッツーと学年の1位2位を争う四葉ちゃんが、そんなやと先生らも心配しよるよ」
「そうだぜ。この分じゃ、次の1位はもらいだな」
あえて励ますために司が笑いながらいうと、沙耶香もその意図にのる。
「そうやね。よくできた弟さんがいて勅使河原建設も安泰やね」
「おうよ。兄貴には負けねぇぜ。四葉にもな」
「………」
何を言われても四葉は反応が鈍い。沙耶香が心配になって軽く抱きついた。
「気にせんときよ」
「そうだよ、気にするなよ」
沙耶香も司も、昨日ブラウスの前を全開にして胸を見せていたりしたことを四葉が思い詰めているのだと考えて慰めようとする。
「気にせんとき。四葉ちゃんほどの美人やもん。お嫁のもらいてなんか、いくらでもあるよ」
「そうだ、そうだ。何なら、ボクがもらってやってもいいぞ」
「テッツーには、もったいないわ」
「どういう意味だよ?」
「その通りの意味よ」
気持ちが軽くなるように盛り上げてみたけれど、四葉は反応しない。
「「………」」
沙耶香と司は、ますます心配になったけれど、もうチャイムが鳴ってしまう。数学の授業が始まったのに、四葉は歴史の教科書を出したまま、表紙を見つめている。何十分も、ずっと動かなかった四葉が目に涙を浮かべた。
「………どうしたら……」
か細い声で漏らしている。
「……どうしたら……いいの………お母さん……」
耐えられない悲痛に泣き出してしまい、額に当てた両手が、顔を覆うと、声を漏らさないように涙を流している。その様子をチラチラと見ていた女子たちは昨日のことで羞恥心が限界に達したのだと思ったし、男子も同じことを考えた。沙耶香が挙手して保健室に連れ出そうと決意した瞬間、チャイムが鳴って昼休みになる。クラスメートたちは、あえて四葉には近づかず、そのフォローを沙耶香と司に任せてくる空気になり、二人も心得て四葉に声をかける。
「四葉ちゃん……」
「四葉」
「………」
四葉は沙耶香にもらったハンカチで涙を拭くと、微笑みをつくって言う。
「ごめん、何でもない」
「な……何でもなくないだろう?!」
思わず、司が大きな声を出すと、教室がシーンと静かになってしまう。
「…わ…悪い…。け、けどよ……四葉が……ボクは……心配で……」
「そう……ありがとう、でも、大丈夫」
「だ……大丈夫じゃないだろ……なんだよ、その……他人行儀な感じ……」
「大丈夫だよ、だから、テッツーもサヤボボも心配しなくていいよ」
「四葉ちゃん……」
「四葉…………ボクらは頼りないか?」
「………」
「っ…、……四葉! だ……大事な話があるんだ! 来て、くれ!」
司が手を握って立たせようとすると、意外にも四葉は力強く手を払って、そして迷惑そうな顔になった。
「話って何?」
「そ…それは……ここでは…」
「そう。ここで、言えないような話なら、永遠に言わなくていいよ」
「っ…四葉…」
「四葉ちゃん……」
教室にいる誰にでも、司が四葉へ告白しようとしたのは伝わったし、司が四葉を好きなことも、沙耶香が司を好きなことも、だいたい全員が知っている事実だったので、昼休みの教室が図書室のように静かになっている。それでも、司は決意を固めた。
「…す……好きなんだ! 四葉のことが!!」
「「………」」
四葉と沙耶香が同時に顔を伏せた。知っていたけれど、言って欲しくなかったことを言われ、もう以前の三人の関係には戻れないことを、よくわかっている女の顔になる。けれど、司の決意は固い。すでに同じパターンで兄は大きな失敗をしている。歴史は繰り返させない、そう決意して告白を続ける。
「好きだ! 四葉が好きだ!」
「……そう……ありがとう……でも…」
「だから、頼ってくれ!! あてにしてくれ!! 四葉が悩んでることなら、何でも協力する!! いっしょに努力する!! だから、絶望した顔で大丈夫なんて、言わないでくれ!! 微笑み忘れた顔なんて見たくはないさァァ!!」
「……テッツー……」
断る気だった四葉が戸惑うほど熱い告白で、沙耶香が羨ましくて笑った。
「あはは……ほんとうに、ほんとうに、よくできた弟なのね。四葉ちゃん、よかったじゃない。お嫁のもらいて、悩まなくて済むよ」
「サヤボボ……」
思い詰めていた四葉の顔に少し明るさが戻った。
「四葉、明日を見失うことがあったら、ボクに頼ってくれ。明日、君が君じゃなくても、ボクは君が好きだ」
「…………本当に、頼っていい?」
「もちろん!」
「もし、私がめちゃくちゃなことを求めて頼んで、その意味が理解できなくても協力してくれる? うまくいかないかもしれない。うまくいっても、うまくいったことがわからないかもしれない。説明を求められても、それを拒んで、ただ実行だけを求めても、それでも、いい?」
「四葉の役に立つなら、何でもいい! やる!」
「ええよ! 私もあてにしてよ!」
「サヤボボまで……ありがとう」
感謝の涙を零した四葉は二人に頼む。
「1962年のキューバ危機から1982年のフォークランド紛争までの主要各国の核戦力および通常兵器の動向と配置、それらの指揮命令権をもっていた人物の推移、そして継続して以後の1992年頃、そうね、前後5年、この時期は主要国だけじゃなくて、まとまった軍隊のある国はすべて調べて。政治と経済の流れ、政府の高官、大企業家たち、現実に国家を動かしている連中、軍人を支配し命令するやつら、その実体が知りたいの。インターネットが普及したのは1999年頃だから、それ以前の情報は紙媒体で調べないとあがってこないけど、時間がかかりそうなの、この作業をしてくれると、とても助かるから、お願い」
「わかった」
「え? キュー……フォーク?」
学年1、2の成績だった司は頷いたけれど、平均的な成績の沙耶香は戸惑っている。
「じゃあ、私は一人で考え事をしたいから、よほど大切じゃないこと以外は話しかけないで、お願い」
そう言うと、四葉は再び机に向かって座り、両肘をついて手で顎を支え、考え事を始める。ただ、さっきまでの思い詰めた絶望的な顔から、少しだけ未来が見えた表情になっていた。
「ボクは古川図書館に行くよ。サヤボボは四葉を見守っていて。この様子だと、お昼ご飯抜きそうだから、ちゃんと食べさせて。あと、ボクは早退したって先生に伝えておいて」
「え? ちょ、ちょっと、テッツー!」
「じゃ」
司は教室を出て行き、沙耶香は困惑しつつも、言われたとおり四葉に昼食をすすめ、放課後まで見守った。
「テッツー、戻ってこんね」
「………」
「ごめん、静かにしとるわ」
クラスメートが帰った静かな教室で、ずっと座っていた四葉は下校時刻を知らせるチャイムが鳴ったので立ち上がった。
「帰ろう」
「え、でも、テッツーは?」
「図書館に閉館まで居て、あとは帰るでしょ。私が頼んだこと、一日で終わるような作業じゃないし」
「そ…そうやね…」
二人で昇降口を抜け、校門まで来たときだった。
「兄貴、コイツです!」
「ずいぶんと待たせてくれたな」
今朝、四葉に因縁をつけてきた柔道部員と、さらに大きな体格をした3年生の男子が待ちかまえていた。
「昨日今日と、オレの弟分が、ずいぶんと世話になったそうじゃねぇか」
「き、気をつけて! 四葉ちゃん! この人、三年生の空手部の主将よ!」
「ウワサじゃ、おっぱい丸出しにするんだってな。オレにも見せてくれよ」
三年生の男子はヒゲも生やしていて、腕自慢らしくボキボキと拳を鳴らすと、生温かい息を吐きながら四葉に顔を近づけてくる。
「四葉ちゃんは先に帰って! ここは私が!」
「おっと! お前は、こっちで静かにしていてもらおうか!」
柔道部員の男子が沙耶香の腕をつかみ、組み伏せてくる。
「四葉ちゃん、逃げて!」
「………。あなた、うちの学校、最強だったわよね?」
四葉が問うと、大柄な男子は下品に笑った。
「がはははっ、おうよ。中学までは柔道、高校からは空手で鍛えてる。この町でオレに勝てるヤツなんざいねぇ」
「まあ、そうでしょうね。人口、少ないし」
「どういう意味だ、そりゃ?」
「私の、おっぱい、見たい? 見せて、あげようか?」
四葉は質問に質問で返して、にっこりと微笑んだ。少しだけブラウスのボタンを外して、胸元を見せながら、相手に近づく。
「おお~、話がわかるじゃねぇか…」
完全に油断して、そして充血しつつある男根に四葉は全力で飛び膝蹴りを入れた。
ドヅっ!
「はうっ?!」
急所を強打されてビクンと前屈みになった相手の喉元へ、さらに手刀を撃ち込む。
ベグッ!
正確に喉仏を撃った。四葉の小さな手と膝でも、急所を容赦なく撃ったことで相手は気絶して倒れる。
ドサァ…
「ア…兄貴…」
沙耶香を捕らえていた柔道部員が一瞬の出来事にたじろいでいる。
「サヤボボを離しなさい」
「くっ…、う、動くな! こっちには人質がいるんだぞ! 不意打ちしやがって卑怯者が!」
「人質とってる人が言うこと?」
「う、うるさい! お前の方が卑怯だ!」
「そう、なら、卑怯比べね」
「何だと?!」
「私のパパ、町長なの。知ってるよね」
「うっ…、うぐ…」
「婦女暴行か、痴漢、立派な前科がつきそうね。岐阜県警って保守的だから、政治家とは癒着してるよ」
「くっ…くくっ…」
「いいよね、110番で警察が来てくれる世界って、最高に素敵」
四葉は携帯電話を取り出して相手に見せた。
「ま、待ってくれ!」
「土下座」
四葉が命じると、すぐに沙耶香を放りだし、地面に這い蹲った。
「わ、悪かった! もう二度と逆らったりしない! だ、だから!」
「うん」
にっこりと微笑んだまま四葉は近づくと、土下座している頭を全体重をかけて踏みつけた。
ドグチャッ!
「んぐううう!」
「うざいんだよ!! 今の私の時間が、どれだけ貴重か!! オラっ!!」
四葉が豹変して、何度も頭を踏みつける。さらにサッカーボールのように頭を蹴り、転がった相手の腹を蹴り続ける。
「くだらないことで手間とらせて!! ああん!! 何とか言えよ、コラっ?!」
ガッ! ドカっ! ガスガス!
もう悶絶しているのに蹴り続ける。
「わかるか、てめぇ!! この重圧が!! 億だぞ!! 何十億の命だ!! それを、てめぇが邪魔してんだ!! 死ねや!! お前だけ死んどけ!!」
「…よ……四葉ちゃ……や、やめて!! 四葉ちゃん、やめて!! ホントに死んじゃう!!」
沙耶香が後ろから羽交い締めにして、ようやく四葉は落ち着いた。
「ハァ…ハァ…」
「…ハァ…ハァ…四葉ちゃん、本当に四葉ちゃんなの? 一日単位じゃなくて、短時間でも入れ替わるの?」
「ごめん、サヤボボ、つい、あんまり腹が立ったから……」
そう言って謝る四葉の背後に黒塗りのクラウンが停まった。糸守町が所有する町長専用車だった。降りてきた宮水俊樹が苦々しげにつぶやく。
「こんな娘に育てた覚えはないのに……」
「育てられた覚えはないから」
ごく幼い頃に母を亡くし、なのに家を出て行った上で、町長選挙に出馬するという理解に苦しむ行動を取った男に対して、四葉は地面に転がっている男子へ向けるよりも冷たい視線で見据えた。
「っ…そんな目をするようになったのか…」
三葉が思春期だった頃よりも、はるかに空恐ろしい四葉の目に、俊樹は動揺したけれど、大切な用件があるので語る。
「お前に用事がある」
「そう。ちょうどいいわ。私も頼みたいことがあったから」
四葉は右手を出した。
「お金と自由に使えるクレジットカードを、ちょうだい。現金は10万くらいでいいわ」
「なっ?! ふざけるな!!」
「………」
「うぅ…」
一喝したのに恐ろしい視線で睨まれ、俊樹は後退った。すでに長期に町長を務めてきた男の経験と胆力で、地元のヤクザ程度なら逆に気圧するほどの政治家ではあるのに、四葉がもっている雰囲気は神がかった恐ろしさがある。その迫力に俊樹は二葉の面影を見た。そして、三葉が無茶な要求をしてきた日のこと、そのおりに男のような雰囲気になったことも思い出した。
「もしや、また、なにか起こるのか?」
「ええ」
「それに、必要なのか?」
「ええ」
「何が起こるんだ?!」
「説明はしない。あなたは私に命令されたことを実行すればいいの。まずはお金とカード、出しなさい」
「っ……説明しろ!」
「時間とらせないでよ。うざいなぁ」
四葉は思春期の少女が大嫌いな父親に取るような態度で髪の毛をいじった。
「説明してくれれば、ワシも協力しないでもない!」
「しないでもない? 二重の否定ね。まあ、あなたは父親でないわけでもないからね」
「……四葉…」
「とりあえず、今は私がやろうとしていることを、あなたたちが知るとパニックになるかもしれないから、言えないの」
「パニックに……、また、何か、落ちてくるのか」
「空が落ちてくるといえば、そういう比喩も外れではないわ」
「だが、ティヤマト彗星の落下から、宇宙防衛も本格的に進み、弾道弾の開発も配備もされている。しかも、ここ数年先、接近する彗星もデブリも無いはずだ。カミオカンデ観測所だって完成している」
「……そっか……そっちの線もあるのね……無駄に配備したミサイル……その暴発が、きっかけになる可能性だって……、あっちの世界だけじゃない、こっちだって、いつ起こるか……テッツーに現代の情報も……ううん、オーバーワークに……まだ、聞こえない……糸の声が……まだ…」
「何をブツブツ言ってるんだ?!」
「あなたこそ、ブツブツ言わずに、さっさとカードと現金!!」
「何に使うんだ?!」
「まだ決まってないわ! 使う必要があるとき迅速にいるかもしれないから確保しておくのよ!!」
「くっ……ワシの用件が先だ!!」
老練な政治家らしい話のそらしで方向を変える。
「お前は三葉に何をしたんだ?!」
「……。どうかしたの? まあ、なにかしたとは、聞いたけど、どうなってるの? 言っておくけど、昨日の私は、私じゃないから、知らないよ。で、どんな様子?」
「ずっと苦しんでいるんだ!! 立つこともできないほどにな!!」
「………」
「このままでは死んでしまうかもしれん!! 選挙活動もできないんだ!! この大切な時期に!!」
「娘の命と選挙活動、どっちが大切なんだか」
「この選挙には糸守町の運命がかかっているんだ!!」
「ずいぶん小さな運命ね。どうでも、いいんじゃない。人が死ぬわけじゃなし」
「なんだと?! 高校生にはわからんのだ!! この重大事が!!」
「重大事というより些事の典型的な…」
「四葉ちゃん!」
沙耶香が叫んだ。
「……なによ?」
「時間が無いんよね? お父さんとの口喧嘩に話が長うなっとるよ!」
「「…………」」
他人に言われて、ようやく自覚した二人は、気持ちを落ち着けるために左手で左耳に触れる。その仕草が、まったく同時で、まったく同じだったので、沙耶香は、やっぱり同じ血筋の親子なのだと感じて、失笑しそうになったけれど、今は我慢する。
「それで、勅使河原三葉さんは、どうしているの?」
四葉は姉のことを他人を呼ぶように言い、俊樹も静かに答える。
「様子を見に来てもらえないか。話は、それからだ」
「わかったわ。ごめん、サヤボボ、付き合ってくれる。私が冷静でいられるように。さっきは、ありがとう」
「ううん、ええんよ」
「二人とも車に」
促されて、クラウンに乗り、小さな町なので、すぐに目的地だった病院に着いた。病院内で一番高価な個室に入ると、三葉が全裸で横になっていた。
「……ハァ…………ハァ………」
三葉は、ごく浅い呼吸をして、大の字に寝ていた。寝ているのは低反発のマットレスを三重に重ねたベッドで、全裸の三葉はシーツさえかけられていない。俊樹は娘の裸体から目をそらしながら説明する。
「何に触れても、猛烈に痛がって、こんな姿なんだ。こうやって寝ていても、マットレスに触れている背中が痛いらしい。下着も着せると泣き喚くし、掛け布団など発狂しそうなほど痛がる。ようやく今の姿勢で、この状態が、もっとも痛みが少ないことがわかったんだ」
全裸でいる三葉のために室温は少し高めに空調されていて、俊樹はハンカチで汗を拭った。
「こうなったのは、昨日、四葉に何かされたことが原因らしい。どうにか、ならないか? 治してやってくれ、頼む」
「これは……」
あまりにも憐れな姉の姿を見て、さすがに四葉が鼻白む。
「食事はおろか、水さえ飲めない。医者は、このままだと脱水で死んでしまうというほどに」
「………」
四葉が言葉を失い、黙り込んで深刻な顔をしていると、医師が入室してきた。医師は三葉に触れないように診察して、俊樹に告げる。
「もう今すぐにでも水分を補給しないと危険です」
「わかった。では、点滴を」
「はい」
医師の指示で看護婦たちが点滴を用意すると、三葉が気づいて喚いた。
「ちょっ…ちょっと待って。まさか、その針を?!」
唇を動かして話すだけでも痛いのに、三葉は慌てて逃げようとしている。
「や…やめて!! た…頼むから!! そ…そんなもの刺されたら死んじゃう!! やっ!! や!」
三葉が拒否することを予め知っていた看護婦たちは手足を押さえつけると、すばやく点滴の針を刺した。
ブスっ!
「うぎゃあ~、ひひ~!! はああ!! ひええ、ううわああ!! げうっ!! う~ぎゃあ、はぁ、あぎゃあ~!! あ~おごっ、ばわ!!」
ものすごい悲鳴をあげて三葉は点滴の針を刺されただけで苦しんだ挙げ句に気絶してしまった。死んだのかと思うほどの苦しみ方だったけれど、点滴された以外に傷はない。三葉は白目を剥いてガタガタと痙攣し、水を飲むこともできずに脱水していた者らしく濃くて匂いの強烈な尿を少しだけ垂れ流しているのが、全裸なのでマットレスの上に噴きこぼれている。
「わかってくれたか。四葉、これほど、ひどい状態の姉をみて、どう思う?」
「………助けてあげたいけれど……、早ければ明日、この原因をつくった男と入れ替わるかもしれない。一応、なんとか助けてほしいと伝言は残してみる。ただ、聞いている彼の性格だと、半々というところよ」
「半々……」
「サヤチンさんの声が出るようにしてくれたという話もあるから望みはある。けど、そもそもの理由はサヤチンさんを苦しめたことで懲らしめようと思ったかららしいから、どう考えるかは彼しだい。気まぐれそうな性格だから無理かもしれない」
「それでは困る。この状態では、あまりに…」
「わかってる。だから、あなたは北斗神拳のことを調べて。政治力を使って」
「北斗神拳?」
「民俗学者なんだから、聞いたこと無い?」
「………いや、知らない」
「あなたが民俗学者だったことで、役に立ったこと、一回もないわね」
「…………」
「四葉ちゃん」
「あ、うん、ありがとう。サヤボボ」
沙耶香に注意されて、父親への厭味で時間を浪費するのをやめた四葉は話を進める。
「とにかく、北斗神拳のことを調べて。それが、この状態を治療することにもつながるし、私に入れ替わりがおきたことから至る結果にとっても、とても大切なことなの。裏社会の暗殺にも関わることらしいから、政治家として、そういう筋のパイプでお願い」
「……わかった。調べよう」
「………」
四葉は無言で右手を出した。
「………」
「………」
俊樹も諦めて娘に現金とカードを渡して、クラウンで家まで送らせた。家に戻った四葉を心配で待っていた一葉が出迎える。
「おかえり。大丈夫やったか?」
「ええ」
「お夕飯、できとるよ。それとも、お風呂がええ?」
「………」
四葉は時計を見る。もう9時を過ぎている。眠気も覚えている。
「ごめん、もう時間がないの。メッセージを残さなきゃいけない。私が紙に書いたこと、何枚もコピーして家中に貼っておいて。ごめんなさい。もう、歳なのに雑用に使って」
「ええんよ、四葉、頑張りや」
三葉の時に体験したことなので、四葉にも何かやるべきことがあると感じている祖母は疲れた様子の孫娘が部屋に入っていくのを心配そうに見上げた。四葉は部屋に入ると、カードと現金を引き出しの下へ入れて、一万円だけはポケットに残しておく。
「彼にもお小遣いがあった方がおとなしいでしょうし」
そして机に向かい、ジャギへ残すメッセージを書き始めた。
「…………殺人は、もちろん……暴力も……あと盗みも……」
四葉は暴力についてや警察と銃の存在について、生活の注意事項と盗まなくても一万円もあれば美味しい物が買えること、そして逆に自分がジャギになっているときに注意すべきことがあるなら、身近に書き残しておいてほしいこと等を書いていく。ジャギの性格を考えて、聞き入れてくれるようにへりくだった文章で、あまり賢く無さそうな人なので難しい漢字はさけて、かりにジャギの肉体なら警察に対抗することはできるかもしれない、とおだてつつ、こちらでは四葉の肉体なのだから機動隊に勝つことは難しいし、かりに勝てても自衛隊も存在し、機関銃などもあることを書き暴走しないよう伝える。忘れずに早耶香の声が出るようになったことの礼と、三葉を治してほしいことも書く。何度も書き直して、気を遣った文章を仕上げるのに、かなりの時間を要してしまった。
「はぁぁぁ……できたぁ……」
書き終えると疲れ果てて、そのまま眠った。
「四葉……大変なんやね……」
一葉は心配そうに孫娘を布団に寝かせると、残されていたメッセージをコンビニへコピーに行く。すでに9時で閉店していたのを頼み込んで開けてもらい、何枚もコピーして家中に貼りつけた。
「………ふーっ……」
齢89にして、いつもは四葉に手伝ってもらっている家事と、コンビニへの往復で疲れた身体で、つまずかないように注意しながら寝間まで行くと、目を閉じた。
続きます。
次回は四葉がジャギとして目覚めます。