逸見エリカには秘めたる嗜好があった。
それはいわゆる「催眠オナニー」である。
最初はただ、密かに慕う先輩とその妹である元同級生がうつった写真を見ながらの自慰行為だった。
普段押し込めている分の反動か、その行為は執拗で――その回数は、頻繁であった。
まもなく、エリカは隠し録りした二人の無線音声や盗聴した二人の通話データを聴きながら行為に及ぶようになる。
まほの声がエリカの名を呼ぶたび、肚の奥がきゅんきゅんと疼いた。
みほの声がただまほを「お姉ちゃん」と呼ぶだけでなぜか背筋がぞくぞくする。
繰り返し聴いているうちに、より興奮する部分――優しげな声のまほと、普段のまほのギャップであったり、自分の前ではおどおどしているみほのとてもリラックスした声であったり、眠そうな声であったり――を部分リピートするようになった。
さらに、そのデータを編集すれば、より「使える」ものができることに気づくのにそれほど時間はかからなかった。
例えばまほが赤星に命令を出した時の「赤星、先に行け」という台詞がある。これの「赤星、先に」までを切り取ってしまえば「行け」となる。
後は前半部に調度いい語勢の「エリカ」を持ってくれば、「エリカ、いけ」となり、まるで絶頂を指示されるかのように聴こえるのだ。
この寸法でコラージュした音声を使ってのオナニーはまさに革命だった。
流石に不自然なところも目立つし、長さも1分ほどの短いものだったがそれでも二人から自慰を指示されるかのようなそれは、エリカにとっては夢の様なものだった。
しかし、これにもやがて問題が生じる。
まず、やはり一分では短すぎるのだ。
エリカの行為は一度の絶頂では終わらない。一分ではどんなに頑張っても満足できないため自ずとリピートすることになる。
そうすると徐々に耳や脳が慣れてきてしまうのだ。
さらに、やはり素人編集のため、単語同士の接合部の違和感がどうしても気になってしまう。
追い打ちをかけるように、短い繰り返し間隔がそれを助長する。
エリカはなんとかこれらの状況を改善できないか、インターネットで調べることにした。
そして辿り着いたとある掲示板に、エリカが催眠オナニーにハマる元凶の書き込みがあったのだ。
『そうですね……不肖、私としましては左右にパン振って催眠音声っぽくしたいです』
というものである。
「催眠音声」という見慣れない単語に興味を覚えたエリカは、早速別のタブでそれを検索する。
すぐにまとめサイトが引っ掛かり、そこに無料で試せる音声がいくつも置いてあった。
早速ダウンロードして試しに聞いた所――実際、その時はそれほど良さがわからなかった。
体質によってかかりやすさはまちまちなようなので、恐らく自分はかかりにくい方に属するのだろう。
エリカはそう思って、その日は結局使い古した自作音源で済ませた。
しかし――ある日見つけた同人音声が、エリカを催眠オナニー沼に叩き落とすこととなる。
そのタイトルは<戦車道部の隊長に命令されていじめられちゃう催眠音声>。
清々しいほどにそのままである。エリカは即コンビニに走った。もちろんウェブマネー決済のためだ。
そして購入、ダウンロードして……音声ファイルをクリック。
声が聴こえてきた瞬間、エリカは背筋を寒気のようなものが走り抜けるのを感じた。
――似ているのだ。まほの声に。
無論よく聞けば別人というの分かるのだが、低めで凛々しい声質はぱっと聴き間違えてしまいそうだ。
きっと催眠のよく掛かったぼんやりした状態なら、まほの声そのものに聴こえることだろう。
つまり催眠にかかれば、まほに責めて貰える。
その思考が、エリカにとっての最後のキッカケだったのかもしれない。
そこからは、転げ落ちるようにスムーズだった。
ウソのように簡単に深く深く催眠状態に陥り、そこから先はほとんど覚えていない。
解除されるまで意識は無く、ただただ快感の残滓だけが下腹部に甘く残るだけだった。
エリカはあまりにも効きが良すぎたことに若干の恐怖を覚えたが、それでも身体が求めてしまっていたのだろう。
翌日の夜、気づいたらもう一度聴いていた。
今度は前日ほど深すぎる催眠にはかからなかったものの、それでもただのオナニーとは比べ物にならないほどの快感を味わうことができた。
何度も痙攣する身体は自分の制御を離れ、両手は別の生き物のように自分を愛撫する。
意識が飛ばなかった分、前日よりもかえってその効果の程を思い知ったかもしれない。
そうして催眠音声の威力を知ったエリカは、続いてシリーズの<戦車道部の同級生にやさしくいじめられちゃう催眠音声>もダウンロードし、これも使い始めた。
1作目とちがってこの音声は柔らかな声質で――これもまた、ともすればみほに聴こえないこともなかった。
いや、今思えば1作目の音声から既に無意識の願望が思い込みとなってそう錯覚させていたのかもしれない。
ともあれ、こちらは徐々に外堀を埋めていくような責めを特徴としていて、これもまたエリカを何度も絶頂へと運んだ。
最初はとても優しいが、最後はそのトーンのまま「マゾの変態」、「私の犬」と罵りながら責め立ててくる。その言葉だけでエリカは脳が融けるほどの快感を覚えた。
また、もう一つの大きな違いとして、こちらは「お預け」が長めなのだ。
<先輩>が止めどなく責めを続けるのに比べて直接触る時間は短めだが、焦らされた分の爆発力は思わず失神しかけてしまうほどだった。
この二つを立て続けに入手して幸せの絶頂であったエリカだったが、しばらくして悪魔の声が囁いた。
――同時に聴いたら、どうなってしまうのだろう。
エリカは早速この二つの音声を左右に振ったデータを作った。
その結果は想像通り、いや想像以上だった。
二つの音声の方向性の違いが、図らずも左右から相反した命令をされる状況を作る。
催眠状態で判断力が鈍った所で徹底的に混乱させられ、エリカはより深く堕ちていった。
スマホに入れたそれをイヤホンで聴きながら、ホーム画面に設定したまほとみほの写真を夢うつつの意識で眺めつつする自慰行為は、エリカの理性も、その高いプライドも、そして羞恥心も全てを忘れさせた。
これが、逸見エリカの誰にも言えない秘密の楽しみである。
勝手にオナネタにしている本人と毎日顔を合わせることもまた、興奮を加速する要素となっていた。
もはや罪悪感や自責の念も、快楽に振りかけるスパイスの一つでしかないのだ。
そんな自分の唾棄すべき醜さを、エリカはもちろん嫌悪していた。
もし知られてしまえばまほやみほはおろか、隊員たちからも軽蔑されるどころではすまないだろう。
きっと二度と今のような関係には戻ることはできない。
でも、一度知ってしまった快楽には抗えないのも事実だ。
大丈夫。全てはこの部屋の中だけの出来事だから。一歩でも外に出れば私は逸見エリカ――黒森峰の副隊長。
朝になれば、元通りになる。
そう言い聞かせて、エリカはいつものようにその音声をかけて瞑目する。
――スマホの電池が切れかけていることにも気づかず。
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「……ん、んん……朝?」
けたたましい目覚まし時計の音に、エリカは重い体をなんとか起こす。
引きずるようにして身体を動かし、腕を伸ばしてようやく何度目かのスヌーズを停止した。
「嘘でしょ……そのまま寝ちゃうなんて……最悪」
オナニーしてそのまま就寝してしまった時は確かに怠いが、それにしてもここまで酷いのは初めてであった。
スマホを見れば、電池切れで反応しない。つくづく朝からついていない限りだ。
エリカはスマホを充電器に差し込み、呻きながら起き上がる。
ふらつく身体を強制的に目覚めさせるために、シャワーを浴びようと思った。
熱い湯を浴びてさっぱりすれば、幾分ましになるだろう。
そうじゃなくても下半身は昨晩の痕跡で悲惨な状態なのだ。
時計を見れば、もうそろそろ7時になりそうだった。
寮の朝食の時間は近い。
副隊長が遅れる訳にはいかない――少し急がなくては。
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放課後、ガレージの前にエリカとまほの姿はあった。
今日は練習もなく、整備やその他事務だけをするための日である。
「隊長、整備状況と倉庫の弾薬数のまとめです」
「ありがとう」
エリカが差し出した資料をまほが受け取る。
その頬が上気しているのに気がついて、まほは微かに眉をひそめた。
「大丈夫か? 顔が赤いけど」
「あっ、は、はい、大丈夫です」
エリカは慌てて首を振るが、実際はあまり大丈夫ではない。
というのも、今日に限って何かがおかしいのだ。
催眠は解けているはずだというのに、まほの声を聞くだけで身体が熱くなるのである。
昼休みに顔を合わせた時からずっと、まほの顔を見るたび、声を聞くたびに背筋を甘い電撃が走るのだ。
それは丁度、催眠に掛かった状態と全く同じ反応であった。
エリカは「その可能性」に気づいた時、若干の焦りを覚えたが――すぐに否定した。
まさか「催眠解除されていない」などというわけが、あるはずがない。
今までどんなに深くかかった時も翌日になれば完全に解除されていたし、まほの声を聞いたり顔を見たりして前日の行為を思い出して興奮することはあっても、ここまであからさまな生理的反応まで起こったことはなかった。
そもそも、寝落ちしてしまえば勝手に解除されるはずなのだ。
きっと今日は何か、ホルモンバランスが悪いとかそういう感じなのだろう。
エリカはそう思うことにして、必死で肚の奥の熱い疼きを無視した。
「……もし具合が悪いなら、我慢するなよ」
「っ……! は、はい……」
「我慢するな」という言葉に、下腹部がびくりと脈打つ。
止めどなく湧き出ているであろう潤みが、太腿を伝って落ちないか心配だった。
しかし、自分は誇り高き黒森峰の副隊長なのだ。こんなバカみたいな理由で仕事を放棄する訳にはいかない。
「今日は訓練もないし、練習試合のミーティングだけだから私だけでも……丁度来たか」
まほの言葉に顔を上げると、少し離れたところから歩いてくる二人の人影が見える。
片方は大洗の会長、角谷杏。
そしてもう片方は――待て。
エリカは自分の目を疑った。
視神経が伝達した情報によって、意志に関係なく身体が反応する。
咄嗟に唇を噛み、エリカは声が漏れるのを全力で抑えた。
なぜだ。なぜ今日、よりによって今日、ここに、彼女がいるんだ。
角谷の隣を歩くのは、元黒森峰副隊長にして、まほの妹――そして、まほと同じくエリカの秘めた劣情の標的。
西住みほである。
「お姉ちゃん! 逸見さん!」
「やーやーお二人さん。ひさしぶりー」
「みほ、角谷。よく来たな」
みほの声が頭のなかに反響する。
じわり、と股間から音がしたようだった。
駄目だ。もう間もなく、限界が来る。
握手をするまほと会長、にこにこと笑うみほ。
目の前の光景が、どこか遥か遠くのもののように思える。
なぜか辺りが徐々に薄暗くなっていくように感じた。
「……逸見さん?」
「……っ!? な、なに、よ」
みほの声によって唐突に意識を引き戻され、首を軽く横にふる。
一気に視界が元の明るさに戻り、三人が訝しげに自分を見ていることに気づいた。
「……エリカ、本当に大丈夫か?」
「は、はい! すみません、昨日夜更かししてしまって……」
まほが心配しているのが、先程よりはっきりと分かる。
エリカは極力平静を装いながら、苦し紛れの嘘でごまかした。
そこに、みほが気遣って近づいてくる。
「でも逸見さん、顔赤いよ? 熱あるんじゃ――」
「――! やっ、だ、大丈夫、大丈夫だから……っ!!」
エリカは慌ててのけぞり、そのまま数歩後ずさった。
もしあのまま接近されたら、きっともう一歩も動けなくなってしまっただろう。
そして何かのきっかけで先ほどのようなことになれば、次こそは「帰ってこられなくなる」かもしれない。
現に、太腿まで何かが伝う感触がしていた。
これは本当にまずい。いち早くなんとかしないといけない。
ひとまず落ち着いて思考するためにも、戦略的撤退が必要だ。
早退するわけではない。少し休めばきっと元通りに――せめて、少しはマシになるだろう。
「……すみません、隊長、私、やっぱり、少し、休んできても」
「そうだな……保健室に行くといい」
「……っ、ふーっ……ふーっ……は、はい……ありがとうございます、すみません……行ってきます」
まただ。「行くといい」という所で疼きが強まった。
エリカは表情を見られないようにうつむきながら、必死に息を整える。
どこも触っていないのに、身体の奥から鋭い快感に苛まれる――これととても似た感覚をエリカは良く知っていた。
そう、催眠音声に責められる時のそれだ。
即ち、先程否定したばかりの可能性が、絶対ありえないはずの可能性がありありと頭をもたげることになる。
――自分はまだ催眠状態にあるのではないか。
まさかありえないとは思うが、思い当たる節はそれくらいしかない。
「逸見さん、わたし……一緒に行こうか?」
「だっ……大丈夫、よ。貴方は、打ち合わせがあるんでしょ……そっちに……」
みほの優しく気遣う声が、直接下腹部に響いてくる。
だめだ、みほがついて来てしまっては何の意味もなくなってしまう。
エリカはなんとか一人で行こうとするが、そこで角谷が致命的な一撃を決めた。
「あ、いいよー西住ちゃん。こっちは一人でも大丈夫だから、逸見ちゃんについててやんなよ」
「……!?」
干し芋をぱくつきながらひらひらと手を振る角谷に、みほがありがとうございますと頭を下げる。
かすかな希望を込めてまほを見るが、「頼んだ」の一言でそれも打ち砕かれた。
「それじゃ逸見さん、行こっか」
「……っ、ぅ、さ、さわらないで。話しかけないで」
みほが肩を貸そうと手を伸ばしてくるのを、エリカは最後の力を振り絞って拒否する。
今触られるのだけはダメだ。絶対ダメだ。
思いの外鋭く睨みつけてしまったようで、みほはたじろいだ。
「う、ごめんなさい……」
済まなそうな顔に若干の罪悪感を覚えたが、それでも公衆の面前で絶頂してしまうよりは遥かにマシである。
「そ……それでは、失礼します」
エリカはまほ達に小さく礼をすると、そのままふらふらと――本人としては、全力の早足で――保健室に向かった。
その横をみほが心配そうに、しかし近づき過ぎない程度についていく。
途中でポケットからスマートフォンを落としてしまったのにも気づかないほど、エリカは朦朧としているようだった。
落ちたそれをみほがちゃんと拾っていたから、それに関しては大丈夫だろう。
まほは、そんな二人の背中をしばらく目で追っていた。
目ざとくそれを見つけた角谷が、干し芋を袋から取り出しながら言う。
「なーんか、来年も大変そうだねぇ」
まほはそれを肯定も否定もせず、ただ「行こう」と先を促した。