機動戦士ガンダム MSV エリオット・レムの記憶 作:翔田美琴
これで三度目だろうか?
あの後、旧知の友人・スカーレットに輸血を終わらせた後の昼間。エリオット・レムはもう一度、娘ジェニファーが捜し出した洞窟へ脚を運んでいた。
相変わらず、その洞窟の神殿には松明の灯りしかない。今も松明の炎は目にも鮮やかなオレンジ色の炎を燃やし、薄暗い洞窟内を照らしている。
彼はあの壁画を見に脚を運んできた。神殿の目の前で足を止める。そして何気なく腕を組んだ。彼の紫がかった銀髪が妖しくきらめきを放つ。
まだ腕はあの輸血とその後の点滴で少し痛みが走る。まあ、それでもかつてモビルスーツの開発の時に負った傷に比べれば軽い方だ。
彼は漆黒のワイシャツに漆黒のズボンを履いて、壁画の前で腕を組み考えている。
この壁画に触れれば、何か判るのだろうか?そう思って、そして壁画の文字の部分を右手の人さし指の腹でなぞってみる。
何か、先祖の霊からヒントが聴けるかも知れないと思って。
すると、彼の予想通り、先祖の霊の声が彼の頭の中に聴こえた。いや、彼の心に語りかけたと表現した方がいい。
”200年に一度の「月待ちの儀」。その冥界の神への生贄は女でなければならない。”穢れ”を充分に内に取りこんだ女性。その女を二人、用意しろ。満月の夜までにその女たちの命を生贄に冥界の神への供儀の準備を整えろ”
「なるほどね。なら・・彼女達しかいないだろうな。アリエルとアリシア。彼女達には悪いが、こちらも手段を選んでいる場合ではないのでね。利用させてもらうさ」
彼は不敵とも邪悪とも取れる笑みを浮かべ、そしてその脚で庭師・アズラエルの下へ向かった。
実は庭師アズラエルはあの「月待ちの儀」についての知識を持ち、代々にわたって執り行ったその儀式の神官を務める家系の人間だった。
その「月待ちの儀」が冥界の神への供儀であることも既に知っている。そして彼自身も冥界の・・死者の天使の名前を持つ故に生贄のための女を用意する準備に余念がない。
その生贄がアリエルとアリシアであることは既に判っていた彼は、アリシアを犯し、アリエルを悪霊と知って甦らせた。かりそめの生命を持つ者として。
このレム家の当主・エリオット・レムは絶対、身内は犠牲にしないが、他の女は別に彼にとっては利用価値がありそうな者は利用する人間だった。
その為ならば彼はどんな手段でも使う人間であることも。
まるで、そう。彼は残酷な月みたいな男性だ。物静かでありながら、心の内側は情念が強い人間。
スカーレットは彼の恩人だった。
ジオニック社にいた時、数少ない味方になってくれた女性で、モビルスーツ開発で大けがを負った時も、真っ先に彼を見舞いに来てくれた。
いつも冷静な女性で的確なアドバイスを惜しみなく与えてくれた。彼にとっては心強い味方であったし、愚痴も吐いたこともあったが、彼女はそれを黙って聞いて、そして皮肉を込めながら突っ込んでくれた。
そんな彼女に、エリオット・レムにとっては妻の次に好意を抱いていた。
もちろん、身体をつなげたこともそれなりに一回や二回はある。それは誰にも秘密だったし、今の今まで言わなかった。
そんな彼女を・・アレシアは傷つけた。
なら、この際、「月待ちの儀」が例え、自分自身や愛妻にとっては危険な儀式であろうとも、冥界の神の力でそいつを成仏させることが出来るなら、やろう。
それが最終的な彼の結論だった。
そして、深夜二時。
アズラエルの下へ向かうエリオットは、アズラエルが待つあの”悪霊の泉”に姿を見せた。静かに、月光に照らされながら。
アズラエルは不敵な瞳で、彼を待っていた。
「お待ちしておりました。エリオット・レム様」
「アズラエル。君に頼みたいことがある」
「あなた様のご命令なら何なりと」
「アリエルとアリシア・・彼女達をこの「月待ちの儀」の生贄に捧げたい。その為の器に相応しい女性になるのに、何日かかる?」
「二日もあれば充分に」
「私も楽しめる見世物でも考えてくれよ・・?」
「見世物ですか?あなた様もさすがはレム家の当主だ。そういうところが代々のレム家の男性らしい」
そんな台詞を言うアズラエルに彼は思わず失笑する。まるで、”自分を馬鹿にしているのか?”みたいな顔をする。綺麗な紫色の瞳を閉じ、冷酷な微笑を浮かべる・・。
「フフッ。まるで今まで当主面をしてなかった奴がいきなり当主面をするのは生意気だと言いたげだな?」
「そんな滅相もございません」
「俺は今はとりあえずこのレム家の当主だからな?世界中に散らばるレムの血族でまさか俺が本来の血筋の人間とは思ってなかったよ。だが、俺は血筋には興味がない・・。それにこの街のことも興味はない。俺はただ家族の人間が心穏やかに過ごせれば、それでいいのだよ」
「あなた様の場合、その上、セックスも出来ればいいと言う感じですかな?」
「俺はただアネットの肌が恋しいだけだよ」
「彼女に直に触れられればいい。この地獄のような宇宙世紀で信じられるものはアネットとジェニファーだけだ・・。彼女達さえいれば俺はそれでいい」
「その二人を守るためなら、他の人間がどうなろうと知ったことではない・・ですか?」
「そういうことだな」
だが、そこで彼は少しその瞳を潤わす。どことなく優しい輝きを宿していた。
「だが、出来れば娘にはそのまま、誰も傷つけない音楽家としての人生を歩んで欲しいよ。モビルスーツの研究は私の代で終わりだ」
「まるで、今のあなたは、残酷な月だ」
「残酷な月・・か」
彼はアズラエルに背中を向けると、こう言って、”悪霊の泉”から去った・・。
「では、頼むよ?アズラエル・・。死の天使の名を持つ・・守り人よ」
「死の天使・・ですか。まあ、今に始まったことではありませんけど、そうでしょうな」
エリオット・レムは彼に自信ありげな不敵な笑みを浮かべると、ゆっくりと歩いて、屋敷へと戻っていった・・。
一人、”悪霊の泉”に残ったアズラエルは、そんな彼の背中を見て、言う。
「あなたも十分、”死の天使”だと思いますがね」
そう言って・・夜空を見上げる。大きな庭園には、穢れが咲かせた真紅の椿の花が咲き乱れている。そして、その一つがこぼれるように落ちた・・。
「花は咲いたら・・散るのが運命ですからな」
屋敷へ戻る道すがら・・エリオット・レムは考えを巡らす。
「さて・・どうしたものか。シャトルの予約はキャンセルするか、どうするか・・。「月待ちの儀」が終わり次第に行く手も考えられるが・・」
「だが、あの儀式は、ジェニファーを巻き込むのは、やはり危険過ぎる。彼女には二日早く、出立してもらうか。どこかのホテルで宿泊させて・・予定通りにグラナダへ向かってもらうとして、俺達はどうするか、だ」
そうして・・朝が来た。
「月待ちの儀」まで後三日。
この日は、娘ジェニファーは音楽大学を休み、朝から必要な手荷物をまとめている。スーツケースに洋服や最低限必要な荷物を入れ、父が買ってくれたバイオリンも、きちんとバイオリンケースの中にしっかりと厳重に保管する。
あらかたの荷物はまとめた彼女は、父がいる部屋に向かう。
そのエリオットの方は朝からスマホで誰かに連絡を取っている様子だ。旧知の友人だろうか?くだけた態度で何かを依頼している様子だ。
「そういうことなんだ。頼めるか?そう・・。レムレースはどこかって?そちらのデータベースに載っていないのか?旧ポーランドの辺りだよ。山が周りを囲んでいてね。でも今のモビルスーツなら、そこまで行けるだろう?・・報酬が欲しい?金で良ければいいが?何?そんなにか?それは法外な額だな。それなら情報?・・わかった。何とかする」
「お父さん」
ドアの向こう側から娘ジェニファーの声が聴こえる。その声を聴いたエリオットは彼女に部屋に入るよう促した。
「ジェニファーか?入っていいよ」
彼女がエリオットの自室に入る。そして、父に手荷物のまとめが終わったことを報告する。
「お父さん。もう、あらかた荷物の準備は終わったよ?一応、スーツケース一つに収まるだけの荷物にしておいたから」
「そうか。ジェニファー?」
「何?」
「少し早いが、先に空港の近くのホテルで宿泊して、私達を待っていてくれないか?」
「お父さんもお母さんも一緒にグラナダへ行くんじゃないの?」
「少し予定が変更になった。だが、三日後のシャトルには必ず乗る。だが、その前にやらなければならないことがある」
「もしかして、あの金髪の女性が傷つけられたから、仕返しをするの?」
「ああ」
「でも、それをしたら、今度はお父さんが呪われちゃうよ。”誰かを傷つけたら、誰かに傷つけられる”って昔、お父さんは私に教えてくれたよ。なのに」
「ジェニファー・・。もう、俺は何人もの人々を傷つけている。奪われたら戻らないものを奪っている。今更それを許されようだなんて思っていない。なら、毒を食らわば皿までという言葉もある。私はその毒を食らう覚悟をしているから大丈夫だ」
「強いんだね。お父さんは、そうやって、一年戦争の時も私とお母さんを危険な目に遭わせたくないって逃がしてくれたね」
「お前だって十分、強いじゃないか。今までの人生で誰も傷つけていない。お前はそれでいい。お父さんはもう、穢れてしまっているからな・・」
「そんな・・穢れているなんて」
「穢れているさ。実際、実の娘であるお前とまで身体を重ねてしまった・・。あの真紅の椿に魅了されていたとはいえ、許されることじゃない。こんな、父親で、本当にすまないな・・」
「それでも、お父さんはお父さんだよ・・?私を産んでくれたお父さんだよ・・?絶対に死なないでね?絶対に、だよ?」
「ああ。こんなことで死ぬつもりは毛頭ない。心配するな。私の長所は、死神ですら奪われないこの”悪運”さ」
「幸運じゃないんだ」
「悪運だな。うん」
そこで彼は実の娘の体温を確かめるようにそっと・・抱き締めた。
「大丈夫。きっと今回の事件も解決するよ。無事に。そうして、月で新しい生活を始めよう。お前のバイオリンも聞きたいし、な」
「うん。聴いてくれる?」
「ああ。絶対に聴くよ。約束だ。だから、今すぐに空港の近くのホテルに行って、そこでシャトルの日まで身を隠しなさい」
「わかった。待っているね。お父さん・・」
「んっ・・」
別れ際にジェニファーは父の唇に自分の唇を重ねた・・。
「お前・・」
「お父さんともう一回だけキスしたかったの」
「ママに知れたら、パパが怒られちゃうぞ?」
「そうだね」
そう言って、彼女は父の自室から去って、そして医師ガブリエルの運転で、足早にシャトルの空港の近くのビジネスホテルへと向かっていった。
屋敷に残ったレム夫妻は、近づいてくる”儀式”へ向けて、準備を整えていくことになる。
「月待ちの儀」。
謎に満ちた、200年に一度の冥界の神への供儀。
だが、彼はその儀式のさなかである切り札として、とある旧知の友人に援軍を要請しておいた。
その旧知の友人とは、あの・・ジョニー・ライデンであることに、まだ誰もが知らない。
ちなみにジョニー・ライデンからの返事は、”報酬として地球連邦軍の機密を提供してくれるなら引き受けていい”という返事だった。