突如として家に帰ってきた九重八重を、エルゼとリンゼは歓迎した。
リビングで彼女達はこれまでにあった事を情報交換し、それがひとしきり終わったところで、八重が「ふむふむ」と頷く。
「それは大変でござったな、2人共。まさか、拙者がいない間に冬夜殿やユミナ殿がそんな事になっていたとは、思いも寄らなかったでござるよ。」
「まあ、そうでしょうね。それで、これからどうしようかってあたしとリンゼで話し合っていたんだけど、八重、あんたはどう思う?」
エルゼの質問を受けて、八重は顎に手を当てて考える仕草を取った。
しかし、数秒もしないうちに、八重は頭を捻り、エルゼたちに苦笑を返す。
「ううむ、拙者もまだ状況の整理が追い付いていないでござるよ。少しリラックスしてから考えをまとめるというのはどうでござるかな? せっかくだし、拙者が持ってきたお土産を開けて気分転換でもするのが良いと思うでござるよ!」
「あんた、相変わらず食い意地張ってるわね……。」
そう言いつつも、エルゼはそんな八重の姿に安心感を覚えていた。
色々な事があって心が沈んでいる中、以前と変わらぬ八重の姿は、エルゼに懐かしさを与えるものだったのだ。
八重を見て安心感を覚えたのはリンゼも同様であるらしく、リンゼは微笑を湛えながら、テーブルの脇に置いていた八重からのお土産の箱を手に取った。
「じゃあ、お言葉に甘えて、八重さんからのお土産を頂きますね。」
リンゼは、お土産の箱を包む紫色の包装紙を丁寧に剥がしていく。
包装の中から出てきた白い長方形の箱をリンゼが開けると、芳醇な香りがエルゼとリンゼの鼻腔を突いた。
「いい匂いね。これって、お菓子?」
「そうでござるよ。拙者の故郷にあるお店で最近新しく発売された商品で、高級なミルクを使った抹茶クリーム入りのお饅頭でござる!」
「それって、饅頭っていうより、シュークリームじゃないかな……?」
苦笑しながら、リンゼは箱の中に入っていた小袋を1つ取ると、袋の封を開けた。
すると、小豆色をした丸い饅頭が袋の中からリンゼの手の上に落ちた。
「うーん、甘い香りだね。とってもおいしそう。頂きます。」
リンゼは口を小さく開けて、掌サイズの饅頭を一口齧る。
その瞬間、饅頭の皮に使われている小豆の甘さがリンゼの口の中に広がり、次いで、甘さと苦さを併せ持った抹茶クリームの味が舌を刺激していく。
「わああっ、これ、凄くおいしいです、八重さん! こんなにおいしいお菓子、私初めて食べました!」
「それは良かったでござるよ。」
感激した様子で、リンゼが八重に味の感想を伝えた。
だが、そんなリンゼに、エルゼは違和感を覚える。
というのも、興奮し過ぎているのか、リンゼの顔がほんのりと赤くなっていたからだ。
加えて、リンゼは「初めてこんなにおいしいお菓子を食べた」と語っているが、エルゼやリンゼがおいしいお菓子を食べた事はこれが初めてではない。
彼女達は、ベルファスト王国の第一王女であるユミナのお陰でおいしいお菓子を食べる機会は少なくなく、王宮で腕利きのパティシエが作ったという絶品のデザートを味わった事もあるのだ。
「その饅頭、そんなにおいしいの? ちょっと大袈裟過ぎる気がするけど……。」
失礼を承知で、エルゼは疑問の声を発した。
だが、当然ながらリンゼはエルゼの言葉に気を悪くした様子で、やや怒り気味の表情を浮かべる。
「失礼だよ、お姉ちゃん。まだお姉ちゃんはこのお饅頭食べてもいないじゃない。食べてもいないのにそういう事言うなんて、最低だよ。」
「わ、分かったわよ。あたしもちゃんと食べてから感想を言うわよ。八重、一個貰うわね。」
リンゼの剣幕に圧されながらも、エルゼは八重にお菓子を貰う許可を求めた。
リンゼはエルゼの発言に怒っているが、お菓子を持ってきた張本人の八重は全く気を悪くした様子はなく、笑顔で「どうぞ」とエルゼにお菓子を勧める。
八重が怒っていなかった事に安堵したエルゼは、箱から饅頭の入った袋を取ると、早速中身の饅頭を口の中に入れた。
その瞬間、エルゼの口の中にも、甘さと苦さが同居した饅頭の味が広がる。
「んんっ! これ、確かに凄い味ね! まさか本当にこんなにおいしいなんて、さすがに予想外だったわ……!」
「エルゼ殿にも満足してもらえたようで何よりでござるよ。この饅頭のおいしさの秘密は、饅頭の中にたっぷり詰まった抹茶ミルクでござってな。老舗の抹茶を、最高級の牛から採れた母乳と混ぜて作っているでござる。」
「えっ? 八重の故郷ってイーシェンでしょ? あそこに牛なんているの? そういうイメージないんだけど。」
「ちゃんといるでござるよ。」
八重はクスリと笑みを零し、目を細めた。
その八重の笑顔には、かつての彼女にはなかった色気があり、エルゼもリンゼも思わず目を丸くして八重の表情に驚いている。
「何だか、八重さんは前より色っぽくなりましたね。」
「そうね。あたし、不覚にもちょっとドキッとしちゃったわ。」
「お褒めに預かり光栄でござるよ。女は恋をすれば変わるでござるからな!」
「あ……」
エルゼもリンゼも、八重の台詞を聞いて気まずくなったのか、同時に八重から視線を逸らした。
八重が冬夜に好意を持っていた事を、彼女達は以前から薄々勘付いていたためだ。
だが、その冬夜はもうこの家にはいない。
挙句に、12歳の少女であるユミナを妊娠させた疑いまで出てきている。
だから、八重の恋が叶う事はおそらくないだろう。
しかし、そうした事情をエルゼとリンゼがさっき八重に説明したにも関わらず、今の八重はニコニコとした笑みを崩していない。
「八重は凄いわね。あたし達なんて、失恋したから落ち込んじゃってるのに。あんたは失恋しても、全然平気そうで、逞しいわ。そういうの、ちょっと羨ましいかも。」
「んん? 失恋? 拙者がでござるか?」
エルゼの言葉に、八重は笑みを消して、キョトンとした顔で首を傾げた。
その反応を目の当たりにして、エルゼとリンゼも、思わず瞼を瞬かせる。
「あ、あれ? 八重さんって、冬夜さんの事、好きだったんですよね?」
「そうでござるよ、リンゼ殿。拙者は、冬夜殿の事が好き『だった』でござる。」
「えっと……。」
困惑した顔で、リンゼはエルゼと目を合わせる。
八重の考えている事が、2人共分からなくなってしまったのだ。
だが、彼女達の困惑に気付いていないのか、敢えてスルーしているのか、八重はお土産の箱から饅頭の袋を2つ取り出すと、それぞれの袋をエルゼとリンゼに差し出す。
「饅頭はまだまだあるでござる。遠慮せず食べてくれると嬉しいでござるよ。」
「あ、う、うん、そうね。頂くわ。」
「ありがとうございます、八重さん。」
八重の反応に疑問を抱きながらも、エルゼとリンゼは饅頭を口に入れる。
その後も八重に促されるまま、2人はお土産の饅頭を次々と食べていき、やがて箱の中の饅頭はすっかりなくなってしまった。
「おや、もうこれで空になったでござるな。お2人共、今の気分はどうでござるか?」
「……。」
「……。」
「んん? どうしたでござるか、2人共?」
八重はいつも通りの快活な笑顔で、エルゼ達に感想を求めた。
しかし、エルゼとリンゼは、共にソファの背もたれに寄り掛かり、顔を真っ赤に上気させて、「はぁ、はぁ」と呼吸を荒げているだけだ。
彼女達の目は虚ろで、視線は部屋の天井付近の虚空に向けられていた。
2人の耳には八重の言葉が届いていないのか、八重が話しかけても答えるどころか微動だにしない。
「そうでござるか……。堪能してもらえたようで何よりですわ。サキュバスお手製の媚薬とわたくしの母乳入り饅頭をね。」
イロハは八重の演技を止めて冷徹に微笑むと、エルゼとリンゼの顔を交互に観察する。
そして、複数回視線を往復させた後、エルゼの顔を見てイロハは口元を綻ばせた。
「どちらも効き方にはあまり差がないようですわね。さすがは双子といったところかしら? なら、最初はお姉さんの方からご主人様の元にお送りして差し上げましょう。リンゼ殿には、エルゼ殿がご主人様の寵愛を受けている間、薬漬けになってもらいますわ。」
肉体のサキュバス化は、エルゼの方が進んでいる。
だが、サキュバスとしての資質が高いのはリンゼの方だ。
しかしながら、イロハには目の前の相手の資質を見抜く力はない。
相手の肉体から漂う魔力と匂いから、サキュバス化の進行度が分かるだけだ。
そこで、イロハはまずエルゼの方から自宅に連れ帰る事にした。
イロハがリビングの天井に向かって手を振ると、彼女達をずっと魔法で監視していたイロハの主人がゲートを開き、自分の家とエルゼ達のいるリビングを繋ぐ。
空間に現れた異次元の通路の先へ、イロハはエルゼを引っ張って連れて行き、無事に送り届けると、リンゼの元に戻った。
「エルゼ殿の調教は、ご主人様が行われます。その間に、わたくしはエルゼ殿よりもサキュバス化の進行度が遅いリンゼ殿の下ごしらえをさせて頂きますわね。」
イロハはリンゼの髪を撫で、薄い笑みを浮かべる。
愛する主人のために働ける喜びで、イロハの胸は満たされていた。
「さあ、一生懸命頑張って、今夜ご主人様に一杯可愛がってもらいますわよ。」
イロハは拳を握り締め、立ち上がる。
彼女はまず、舞台の準備を整えるため、主人から最初にやるよう指示されていた仕事に取り掛かった。