イロハとエリーゼ、そしてシャルロッテ達の参入により、リーンの連れてきた部下達は全員敵へ寝返ってしまった。
女性の宮廷魔術師は、リーンを除いて全てがサキュバス化。
男性の宮廷魔術師や兵士は、数十センチはあろうかという巨根を曝け出し、虚ろな目をリーンへ向けている。
かつての仲間や部下達に取り囲まれたリーンは、唇を強く噛み締めた。
「仕方ないわね。さすがに、この状況では私も本気を出さざるを得ないわ。」
周囲の人間をサキュバス化させる能力がリーンに効いていないのは、彼女が人間ではなく妖精族である点が大きい。
外見こそ人間と変わらないが、生物としての種が異なるのだ。
そのため、本物のサキュバスの姫ではないエリーゼ達程度では、リーンをサキュバス化させる事は出来ない。
とはいえ、リーンが全くサキュバスの影響を受けないかと言うと、それは誤りだ。
多少ではあるが、リーンにもサキュバスの力は効く。
だが、長命であるが故の落ち着きと、その身に纏う防御用のマジックアイテムにより、リーンはサキュバスの影響を受けていないも同然の状態だった。
「さすがね、リーンは。あたし達の力を思いっきり浴びてるはずなのに、平然としてるなんて。」
「このくらい、私にとっては何でもないわ。私の事を、小細工が通用する程度の相手だと思っていたの?」
「まさか。ここで終わるような奴じゃないでしょ、あんたは。ね、イロハ?」
「ええ。多少は抵抗してもらわなくては、堕としがいがありませんもの。」
エリーゼもイロハも、自分達が負ける可能性など露ほども考えていない様子だ。
それが、リーンには釈然としなかった。
サキュバスの力が通用しない以上、エリーゼ達はサキュバス化前から持っていた戦闘力だけでリーンを倒さなくてはならない。
しかし、本気のリーンに対して彼女らが束になってかかっても、勝つ事は不可能なのだ。
それほどまでに、リーンと彼女達の実力差は開いている。
この事は、リーンに師事していた部下達、特にシャルロッテは身を持って理解しているはず。
「何か秘策でもあるのかしら?」
「あったとして、教えるとお思いですの?」
「そうね、八重。普通は言わないわね。ま、どの道私がやる事は変わらないわ。」
リーンは冷静な表情を崩さず、片足を僅かに後ろに下げた。
その動作を戦闘再開の合図と見たのだろう、シャルロッテ達が一斉に魔法を唱え始める。
「闇よ来たれ! 全てを包み込む暗黒の霧、ダーク・ミスト!」
シャルロッテの放った魔法で、周囲一帯は漆黒の霧に覆い尽くされた。
おそらく、他の仲間達が魔法を唱え終わるまでの時間を稼ぐための目晦ましだろう。
リーンはそう判断し、自分自身に透明化の魔法をかけた。
漆黒の霧によってただでさえ視界が悪い中、更に透明化の魔法まで併用してしまえば、敵からリーンの姿はまず視認できない。
その上で、相手の放った魔法を避け、次はリーンの方から反撃を仕掛ければ良いのだ。
「喰らえ! ファイヤー・ストーム!」
「貫け、サンダー・ジャベリン!」
「凍りつけ! アイス・フリージング!」
立て続けに、敵からの魔法が飛んでくる。
だが、リーンはそれらを軽やかな身のこなしで避け、どうしても避けきれない魔法は対魔障壁で凌いだ。
そして、今度はリーンが反撃の魔法を放つ。
「光よ穿て。輝く聖槍、シャイニングジャベリン!」
リーンが放ったのは、望月冬夜もよく使う攻撃魔法だ。
漆黒の霧を払うために光の魔法が有効である事、望月冬夜が使ったのと同じ魔法を見ればエルゼ達が正気に戻る可能性もゼロではないとの判断から、リーンはこれを詠唱した。
彼女の狙い通り、眩い光は闇を切り裂き、サキュバス達を貫く。
しかし、リーンの魔法が貫いたのは、彼女が元々連れてきた部下達だった。
ただ、残念ながら、部下の中でも随一の実力者であるシャルロッテや、エリーゼ達には命中していない。
とはいえ、この程度はリーンにとって想定内だ。
続けて、リーンは更に魔法を発動した。
「風よ渦巻け! 嵐の旋風、サイクロンストーム!」
巨大な竜巻が、多数のサキュバス達を一斉に飲み込む。
羽を持つ彼女らですら脱出できないほどの暴風は、周囲の木々や瓦礫などをまるで飛び道具のように操り、リーンの敵に叩き付ける。
「きゃあああああ!」
「うごおおおっ!」
サキュバスの悲鳴と、性欲に塗れた男達の叫びが虚しく響き渡る。
それらの声は、時が経つにつれ、段々と小さくなっていった。
竜巻が消えると、ようやく嵐から解放された敵は地面に落ちる。
いずれの敵も、既に戦う力は残っていないようで、かろうじて意識を保っていたのはユミエル、エリーゼ、イロハ、シャルロッテだけであった。
「やはり、リーンさんは強いですね……。」
「私との間にとてつもない実力差があるのは分かっていた事でしょ、ユミナ?」
リーンは冷たく言い放つ。
その物言いは、最早かつての仲間に対するものではなかった。
ここで殺さなければ、サキュバスと成り果てた仲間達はいずれ国に害を為すだろう。
そうなる前に、リーンは国と王家を守る宮廷魔術師として、責務を果たさなければならないのだ。
「さようなら、みんな。」
600年生きてきた中で、リーンは数え切れないくらいの出会いと別れを経験してきた。
今回も、その歴史に新たな1ページが刻まれるだけだ。
胸に満ちていく寂寥感を抑えながら、リーンは呪文を唱えた。
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「ご主人様! 大変遅くなりました! リース、ただいま到着しました!」
「ようやく来たか!」
リースが、リンゼの姿のまま廃屋に駆け込んできた。
しかし、その後ろに続いて、リースを尾行していたと思われる魔術師達までもが、透明化の魔法を使ったまま侵入してきている。
侵入者を探知する魔法を床に張り巡らせているのだから、姿を消したところで俺には筒抜けだ。
「喰らえ! スリップ!」
「うわぁっ!」
「きゃあああ!」
足裏と地面の摩擦力を操り、対象を躓かせるスリップの魔法に、不可視の魔術師達は声を上げて尻餅を突いた。
悲鳴を上げた事で、侵入者にかかっていた透明化は解け、姿が白日の下に晒される。
そこに、リースがトドメを刺した。
「毒鱗粉!」
リンゼの姿をしたリースの背中から、巨大な蛾の羽が現れ、一度だけ大きく羽ばたいた。
その際、羽から鱗粉が風に乗って飛び、侵入者に毒の効果を及ぼす。
「ああああっ、体が、熱い!」
それはそうだろう。
リースの鱗粉の毒は、人間の脳の性欲のリミッターを破壊してしまうのだから。
剥き出しになった性欲は、理性で止める事は出来ない。
侵入者の中には男も女もいたので、彼らはそのまま自分達で乱交を始めてしまった。
「呆気ないものだな。さて、それはそうと時間がない。リース、すぐにやるぞ。」
「はい、ご主人様!」
擬態を解除し、蛾のサキュバスの姿に戻ったリースが頷く。
俺が召喚魔法を発動すると、彼女の両隣に、レトリバール、ホルシュタン、キャッティが出現した。
これで、俺が今掌握しているサキュバスの姫は全て出揃った訳だ。
「お前達、力を貸せ! いくぞ!」
俺が前にかざした手に、姫達の手が重なる。
そして、彼女達の力を感じながら、俺は唱えた。
「淫らな夜を誘いし大いなる魔よ。我の精を贄とし、封印を破りて顕現せよ!」
床一杯に、赤く輝く魔法陣が広がる。
しかし、尚も魔法陣は広がり続け、壁の外に向かっていった。
これほどの巨大な魔法陣、今までのサキュバスの姫達の時には出なかったはず。
更に、魔法を発動する俺の手に、まるで電流を浴びせられたかのような痺れと激痛が走った。
「ぐぅぅっ! 何だ、これは……! まさか、抵抗されているというのか!?」
召喚する魔物が、自分の力量に見合わない強大な存在である場合、魔物は召喚者に反抗し、痛みを与えるそうだ。
だが、神によって魔法の力を最大レベルに引き上げられた俺にとって、そんな痛みはこれまで無縁だった。
なのに、この最後のサキュバスの姫は、明らかに抵抗している。
お前如きに従えられてなるものか、と言わんばかりに。
「くそっ! 来いぃぃぃっ!」
俺は天を見上げ、叫ぶ。
しかし、その瞬間、途端に召喚魔法が途切れ、魔法陣は消滅してしまった。
まさか、駄目だったのか?
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した。
「ご主人様! 落ち込んでる場合じゃなさそうです! 外のお姉ちゃん達が!」
「どうした、リース! 何か見えるのか!?」
リースの黄色い複眼が、窓の外へ向いている。
彼女の眼が、戦況の変化を捉えたようだ。
「お姉ちゃん達が、全員やられたみたいです! リーンさんが、トドメを刺そうとしてます!」
「ダニィ!?」
ここで一喜一憂している場合では確かになさそうだ。
俺の奴隷達が全滅させられたのだからな。
ここで急がなければ、リーンはあいつらにそのままトドメを刺してしまうだろう。
覚悟はしていたが、いよいよ俺が出るべき時が来たようだ。
だが、俺にはリーンに勝てる自信がなかった。
魔法の資質に限れば、俺はリーン以上に設定されているはずだが、魔法の使い方や知識などでは、彼女に遠く及ばない。
「俺は、敗れるのか……?」
せっかくここまで来たというのに、あと一歩のところで、俺の野望は潰えようとしている。
いいのか、それで。
こんなところで終わる男なのか、俺は?
でも、俺には、もう。
「ご主人様! しっかりして下さい! 私のご主人様は、男としての魅力も、強さも、誰にも負けません! 勝敗のついていないうちから、諦めないで下さい!」
「リース……。ふん、まさか奴隷に励まされるとはな。」
しかし、お陰で踏ん切りがついた。
勝負は最後まで分からないもの。
そんな常識的な事を、何故俺は忘れていた?
俺はいつだって、歩き続け、走り続けてきたじゃないか。
現世にいた時、俺は、警察に追いかけられて死ぬまで走った。
そして、この異世界に来てからも、俺は自分の野望を叶えるため、今まで歩んできた。
ならば。
「そうだ。俺がやるべき事は1つだけ。ただ進み続けるだけでいい。止まらない限り、道は続いていく。」
だから、俺は叫ぶ。
後ろに続くサキュバスの姫達に、そして遠くに見える俺の奴隷達に、声が届くように。
「まだこれで終わりじゃない! だから――止まるんじゃねえぞ!」