「はぁ、さみぃ、さみぃ……温かい飲み物サイコー」
「……」
「なんだよ、ノリわりぃな。あ、もしかして便秘? 食物繊維摂れよな」
「違うわよ」
「だったら、なんだってんだよ」
「初めてここにきたときのこと、思い出してたのよ」
学園から少し離れ、坂を昇っていくと、学園や駅前が一望できる高台で、私たちは立っていた。
口に含んだホットコーヒーを飲み干し、隣で馬鹿なことを言っている友人にため息を漏らす。
昔、映画の舞台になったらしいのだが、今では人があまり来なく、ひっそりと会話するのに適した場所だった。
空は少し暗くなりはじめ、下では光が灯り、ビルをライトアップしている。
「あーあのときのこと? んだよ、まだ根に持ってるのかよ」
「別に、恨んでなんかないわよ。恵美から一発ビンタもらったことなんて」
「やっぱ根に持ってんじゃん。風香だってアタシにビンタし返しただろうが」
「正当防衛、恵美の自業自得じゃない」
「ったく、まぁ、それも懐かしい出来事だわな」
あの日、この高台で私は自分の過去を初めて誰かに教えた。
自分がどういう人間なのか、包み隠さず、全部。
「しっかし、あの風香がブラコンだったなんてなー」
「……どこをどう解釈すれば、そうなるのかしら」
「いや、だって、村に残してきた弟が気になるって……お前、ブラコン以外の何物でもないだろ」
「そういうのは、ブラコンと呼びません」
「あ、怒った。こういうときの風香は、ほーんと可愛いよな」
「……はぁ」
私が唯一叶わない相手が恵美かもしれない。
他人をからかう癖も、彼女から学んだことだし。
「でもま、あのとき、しっかり教えてくれたのは嬉しかった」
「……それを言ったら恵美だって」
「ん、そうか?」
私の過去と同じように、恵美も自分のことを喋ってくれた。
「別に大したことないじゃん。父親がラリってて、母親殺して刑務所入りなんて」
「……あんたねぇ」
「まぁ、自分で言うのもなんだけど、よく生きられたよな、アタシ」
恵美も私と同じように仮面をつけていた時期があったらしい。
父親の奇行で独りぼっちになり、親戚中をたらい回しにされ、最終的には死ぬ間際の祖父母が引き取ってくれた。
「周りに嫌われないように、波風立てないように生きるのって得するからなぁ」
「……そうね」
「仮面を被り続ければ、演じ続ければ、殴られもなじられもしない」
「でもさ、たらい回しにされて、ようやく気がついたんだ。結局のところ、自分がどうしたいかって」
祖父母に引き取られる際、恵美はそれをハッキリと自覚したと言っていた。
演じていた自分に決別しようと、周りに流されず生きていこうと。
一般的な“幸せ”というものに価値を見出せなくても、自分の“幸せ”を見つけようと。
「ま、おかげでヤンキーとか言われるようになったんだけど」
「……それは、あんたの言動が突き抜けすぎだからよ」
「いや、めんどくせぇやつにめんどくせぇこと言われるからさぁ」
「あのね……私に言われるのも嫌だろうけど、ちょっとは流す技術も身に付けなさいよ」
「嫌だ、アタシは風香みたいに器用じゃないんだ」
「そうかしら? 私、器用じゃないって自覚あるんだけど」
「うへぇ、嫌味かよ。勉強も運動もできる完璧超人の癖に」
恵美は笑いながら飲み物の口をつける。
私も再びコーヒーを飲んだ。
中学のときに出逢って、まさか進路先を同じにされるほど、仲が良くなるとは思わなかった。
里親の勧めで女子高にしたというのに、恵美まで付いてくるとは。
私と一緒にいるのが気持ちいいから、らしいけど、ここまでの関係になるとは、考えもつかなかった。
「……んで、どうなのよ」
「なにが」
「弟だよ、お、と、う、と。アタシが送り出してやったんだろ、風香を」
「……はぁ」
珠里村に行こうと決心したのも、恵美の言葉がきっかけだった。
曰く、うだうだ考えて悩むぐらいなら、やってから後悔しろ。
その言葉を胸に、あの村へ戻ったんだけど。
「恵美がそういうと、凄い残念な気持ちになる」
「んだと、唯一の友達の、ありがたい言葉じゃん!」
「だからよ」
「んだよ、弟と再会できて、こっちで暮らすことになったんだから、もっと喜べよブラコン」
「……」
恵美には、優人とのことは明かしていない。
言えるわけもなかった。
実の弟と姦淫して、恋人になってしまっただなんて。
「やっぱ便秘?」
「……お通じは良いわよ、馬鹿」
すっかりぬるくなったコーヒーを口にすると、少し気分が沈んでしまう。
友人に大切なことを伝えられていない後ろめたさと、ふたりの秘密を守らなくちゃいけない責任感がせめぎ合っているからだ。
この街に帰ってきて、元の学園に戻ってきたとき、恵美は自分のことのように喜んでくれたけど。
それが、逆に心を苦しめる要因になったのを、彼女は知らない。
「弟は、普通よ」
「普通ってなんだよ」
「……元気にしてるって意味よ」
弟に会わせろとせがまれたけど、私たちのことを知られてしまうかもしれないと思い、断っている。
優人には恵美のことは伝えているけど、会うのはどうかと苦笑していた。
「んだよ、反応わりぃな。喧嘩でもしてんの?」
「そんなことないわよ。今晩は私が夕飯作ってあげるんだから」
「うへー風香の料理とか兵器なのに、よく食べてあげるなぁ、弟君」
「……今に見てなさい、ぎゃふんと言わせてあげるんだから」
料理の師匠に悪態をつくが、軽く笑い飛ばされてしまった。
恵美のやつ、ズボラに見えて、家事はしっかりできるのがズルい。
「しっかし、風香が帰ってきて、あっという間に時間は過ぎていくもんだな」
「なによ、急におじさん臭いこと言って」
「いやー寒くなったなと思ってさ」
「……本当に、そうね」
気がつけば、すっかり辺りは暗くなって、下の街灯が綺麗に広がっていた。
中学の時から、この場所は恵美との思い出に溢れている。
自分の身の上話から、くだらない、他愛のない話まで。
全部、全部、この地に刻まれている。
「……風香」
「なに?」
「後悔は、なくなった?」
恵美の真剣な表情。
その言葉が出てきたとき、私は背筋が凍るような思いになった。
それは、珠里村に向かったことを言っているのか。
それとも、私と優人のことを言っているのか。
どちらの意味かわからなくて、少し考えてしまう。
それでも、唯一の友人に悟られないよう、平静を装い、口にする。
「ええ、ないわ」
その瞬間、恵美はあのときと同じような、不機嫌な表情を浮かべる。
なにか言いたくて、でも堪えて、口にできないような顔。
前までなら、その気持ちを口にしてくれていたと思う。
でも、ガラス細工を壊さないような感覚で、私のことを見つめていて。
それだけで、彼女が私の隠し事に気がついていることを察してしまう。
「……そろそろ帰ろっか」
「そうね、冷えてくるし」
それ以降、なにも喋らず、私たちは帰路についた。
無言のまま、風が吹き、身体を冷やしていく。
それだけじゃない、きっと、恵美の言葉でも。
どうしようもなく切なくて、苦しくて、辛くなって。
優人に、いち早く会いたくなってしまった夕暮れだった。