月日ノート
カフビさんと別れて、家に戻ってくると、風香が待っていてくれた。
遅くなるから、帰ったほうがいいと伝えてはいたけど、律儀に待っていてくれて、少しありがたかった。
今、この胸が痛むときは、風香と一緒にいたい。
そうじゃなきゃ、不安で押しつぶされそうだから。
カフビさんの、あの眼差しが、表情が、俺の心を揺さぶってくる。
本当に、言えないままで良かったんだろうか。
そんな後悔を残したまま、帰宅したのだった。
「それで、これは?」
「……見て、わからないの?」
テーブルの上にあるお皿には、黒い物体がのせてある。
匂いから、なにかを炒めたのはわかるんだけど、いかんせん焦げているから、材料がなんなのかわからない。
そもそも、料理して、焦がすって、ドジとかそういうレベルじゃない気がする。
「なによ、言いたいことははっきり言いなさいよ」
「……最初のころに比べたら、マシか」
「優人のくせに、生意気」
「痛いって、頬っぺたつねるなよ。少しからかっただけだろ?」
「……今日は、あんた以外にもからかわれたから、余計にムカつくのよ」
「それは俺、関係ないだろ、まったく……」
こんな軽口を言い合う時間ですら、今の俺にとっては優しい時間だった。
穏やかになって、笑顔になって、落ち着く瞬間。
「とりあえず、いただきます」
「ふん、どうせ不味いとか言うんでしょ」
「まぁまぁ……」
黒い物体を咀嚼する。
舌触りも、噛み応えも最悪なものだけど、味付けはまだしっかりしている。
「うん、別に食べられなくはない」
「な、なによ、その上から目線」
「だって事実だろ。えっと、魚をフライパンで焼いて、焦がしたから、醤油とかで誤魔化そうとしたんだよね?」
「うっ……! ドンピシャな意見を」
「そこから、色々混ぜて……うん、和食を頑張ろうとしたことはわかった」
がっくりとうなだれる風香を見て、苦笑いを浮かべる。
残念がらなくても、俺にとっては全部、嬉しい食事だ。
成長しようと、努力してくれてるし、なにより一生懸命だから。
それだけで、美味しさとかじゃない、なにかが俺を満たしてくれる。
「ごちそうさま」
「うぅ……ギャフンと言わせてやるつもりが」
「あとちょっとかな。頑張ってカバーしようとしてるのは、成長の証だね」
「……ねぇ、お腹にまだ余裕ある?」
「ん、まぁ食べられるけど……」
「なら、ちょっとだけ待ってて! リベンジするから!」
こんな遅くにさらに食べるなんて、罪作りな話だけど、風香がそこまで言うならと思い、待つことにする。
キッチンから何かを焼く音が聞こえ……。
「はい、これなら、大丈夫」
「ん……」
お皿に上には黄色い四角形のものが。
見た目と匂いで、どんな料理か一発でわかった。
「卵焼き?」
「これだけは、恵美にだって認められたの。だから、ほら、食べてみてよ」
「はいはい、それじゃあ」
箸で卵焼きを掴み、口に入れる。
甘味強めな味付けだが、しつこくなくて……。
「美味しいよ」
「ほ、ほんと!?」
今まで見たことがない風香のビックリした顔に、こっちまで驚いてしまう。
そこまで喜ぶことだろうか、と思いつつ、もうひと切れ、口にする。
風香が作ってくれた料理の中で一番の出来だ。
「うん、凄いじゃないか。これ、なんで隠してたの?」
「それは……」
「内緒にすることでもないだろ? いつもみたいに正直に言えばいいものを」
「……だって」
「だって、本当はちゃんとした和食セットで、振る舞いたかったんだもの」
「こんな、不格好な形で……優人には食べてほしくなかったの」
完璧主義というか、変なところで不器用というか。
そんなところも、可愛らしいんだけど。
「気にしないよ、俺は」
「私が気にするのよ、馬鹿」
「そうか? なら、いつか完璧なものを食べさせてくれ」
「……いっぱい、失敗しちゃうかもしれないけど?」
「うん、失敗したものも、全部、俺が食べてあげる」
「というか、他のやつに食べさせたくない。俺だけ食べていいことにして」
「……この、お馬鹿」
赤面する風香の頬に手をあてる。
風香は嫌がる素振りを見せず、ただじっと、潤んだ瞳で俺のことを見つめていた。
なにも言わず、お互いの唇と唇の距離を縮めていき、重ね合わせた。