カフビさんが来てからは、嵐のような日々が続いた。
オーダーミスや、日本語の不理解。
上手く回らない店の流れに、店長が苛立ち、以前よりも怒鳴る回数が増えていった。
もちろん、俺もできる限りのフォローはしている。
それでも、未だ慣れない異国の地で、カフビさんは苦闘していた。
「……ふー」
ランチ営業が終わり、休憩時間になった。
賄いも食べ終え、店内のソファーに腰をかけ、ひと息つく。
店長は、今日も荒れてたし、なんだか疲れるな。
「……店長とお弟子さんは買い出しか」
カフビさんの姿は見えないが、どこか休みに出ているのだろうか。
夜の営業に間に合えば問題はないけど、前に遅刻をやらかしているしな。
それにしても、あんな怒られ方したら、心が折れそうなものを、よく続けている。
そこまでして働かなきゃいけない理由があるんだろうか。夜学生の俺にはその理由が思いつかない。
「……強い人か」
なぜだか、その言葉を口にすると、出会ったころの風香を思い出す。
不機嫌そうに睨んでいて、見てるだけで身が竦むような雰囲気。
それでいて、見つめるだけで、胸が穏やかになっていて。
「……こんな感じだったっけ」
テーブルに備え付けられているナプキンを取り、ポケットにしまっていたボールペンで線をとっていく。
小さくて描きにくいけど、確か、こんな感じの表情だった。
「……なんか柄悪く見え――」
「美しい人、ですね?」
「……え、カフビさん?」
いつの間にかカフビさんが隣に座っていて、ニコニコと風香の絵を見ていた。
急に気恥ずかしくなって、ナプキンをくしゃくしゃにしてしまう。
「あぁ……どうして」
「あ、いや、その……」
残念そうに見られても、困ってしまう。
絵を描くことは、珠里村を出てから一度もなく、見られて動揺してしまったからだ。
「美しいのに、どうして」
「あはは、ちょっとした落書きで」
「ん? ワタシ、その日本語わからない」
「あぁ、えっと……ちゃんとしたアートじゃないんです、今のは」
「ユウはアーティストだったんですか?」
「いや、そんなんじゃないです」
「そうですか? 凄い上手かったのに」
ユウ、というニックネームで呼ばれるのも慣れたな、と苦笑しつつ、返事をする。
「今の女の人は、ガールフレンド?」
「……はい、そうです」
「いいね、うつくしい人、ガールフレンド」
恋人であり、血のつながっている家族なんだが。
その事実を隠しながら喋ると、未だに胸の奥がきゅうっと痛くなる。
未だに負い目を感じているのが、我ながら女々しくて、情けない。
そんな俺をよそに、カフビさんが明るい口調で言葉を続ける。
「ユウ、もっと絵、描かないの?」
「うん、描かないかな」
「どうして? 上手なら、描かないと」
「……うーん」
どうして、カフビさんは食い気味なんだろうか。
もしかして、絵を描いていたとか……いや、そんな風には見えない。
あんな走り描きの絵を褒めるなんて。
「……ワタシ、このお店きて、いっぱいミスしてる」
「マスターに怒られて、ショックばっかです」
「でも、ユウのスマイルみて、頑張れます」
「そのユウが、さっきの絵を見て、スマイルしてた」
その一言で、自分が笑っていたことを気づかされる。
「ユウがスマイルするの、いいことです」
「ワタシもハッピー、ユウもハッピー」
「だから、絵を描いてほしいです」
「カフビさん……」
元々、絵を描くことは村長に教わったことだった。
手持無沙汰の俺に、なにかやるようにと。
それ以降、惰性で書き続けてきていたかもしれない。
真澄に逢うまでは。
「……描き続けるかどうか、わからない」
「なんで……」
「……でも、もしかしたら、また描いてるかもしれない」
「おぉぉ」
過去を悔やむのは、もういい。
絵を描くことが、俺にとってなにか良い効果があるなら、やってもいいかもしれない。
あの日、珠里村を離れた日以来、絵を描くことを避け続けていたけど。
こうして、カフビさんも嬉しがって、心の支えになってくれるのなら、良いことだ。
「ユウ、ワタシがんばる」
「うん、俺も頑張るよ」
カフビさんのため、自分のため、そして、風香のため。
また一歩踏み出せそうな気がした。