ブラックベリーフィールズ 〜やがて女の子になる君へ〜 作:孤児郎
二年生になって、るちあが同じクラスになった。新学期の身体検査で胸が育っているのを知って愕然とする俺。そういや最近、ズボンの尻もキツくなった。女の保健医に怪しまれて仕方なくGIDを装ってなんとかゴマかしたが、学校側に内緒にする代わりに毎日保健室に行くハメに。
清々しい香りが大量の湯気に溶けて広い浴室に満ちていた。
入浴は髪や体を清潔に保つ目的の他に、心身をリラックスさせる効果がある。事実、ヒノキの手触りはとても優しく、その香りは日々のストレスを優しく癒してくれる。
しかし、そんな素晴らしい風呂も残念なことに俺の心に平穏を与えてはくれなかった。なぜかと言えば、手を伸ばせばすぐにでも届きそうな距離にストレスの原因があるからだ。
俺が知る限りどんなセクシーアイドルも太刀打ちできない形のいい巨乳と綺麗なボディラインをバニラの香りの泡で包んだ女の子が洗い場に座って、鼻歌にかかるエコーを楽しみながら泡立てたスポンジを肌に滑らせていた。聞き覚えがあるこの曲は、カノンだ。
彼女は湯温を調節して胸もとからシャワーを浴びる。湯の飛沫がタイルを叩く音にカノンがかき消される。体を覆う泡は一瞬にして洗い流され、その丸く大きな乳房が俺の目の前に突き出された。バレンタインパーティーでも見たけれど、るちあの乳輪は色素が薄くて少しだけ大き目だった。
◇◇◇
体育の授業を控える休み時間、俺たちは更衣室にいた。いつものように体操着に着替えていると、
俺は中身が男だから気にならないけど、お前が遠慮のない視線で凝視しているのは女の乳首なんだぞ。わかってるのか?
俺がるちあの胸を偶然見てしまった時は散々文句を言ったくせに、こいつは俺の胸を舐めるように見てやがる。
あの時、コイツに怒鳴られた記憶が蘇って、俺の心にも怒りが湧きあがってきた。
もうこれ以上、見られるのに我慢ができなくなって、俺は夕夜に背中を向けると、絆創膏の裏紙を剥がして乳首に当てる。
しかし、夕夜はそんな俺の気持ちなど構わずに近寄ってきて背後から余計なことを口走った。
「
カッチーン!
純度の高い金属同士がぶつかるような鋭い音が俺の頭の中で鳴り響く。
「なんだと、てめー! ふざけるなよ! これはなぁ……これは……脂肪でーす」
そう言って俺はガックリとうなだれる。
かつてこれほどまでに屈辱的なできごとがあっただろうか? なに? 痔の件だって?
そんなこともありましたねぇ。
くそっ! 本当のことが言えたら、こんなアホな夕夜なんぞ、一発で黙らせてやるのに。
だいたい『太ったか?』……なんてデリカシーのカケラもないセリフ、面と向かって言うか? 普通……。そんな配慮もできないバカヤロウのくせに、可愛い彼女がいるのは許せない。
るちあを奪ってやろうか?
実際に太ったのならまだいい。でも、もしもこのまま順調に胸が膨らんで、高校を卒業する前にブラが必要なほどになったら非常にマズい。
俺は、診察してくれた大学病院の
「残念だけど、君が今後どうしたいのか明確になっていないのなら、期待に沿うことはできないよ。卵巣や子宮を摘出するのは避妊手術と同義なんだ。本人の意思と……未成年なら家族の同意、それから明確な診断がなければできない。胸の成長を遅らせるだけのためにそんな処置はできないよ。それにね、取ってしまったら副作用に悩まされる可能性だってある。ひどい場合は骨がスカスカになる骨粗しょう症とか更年期障害になることもあるんだ」
久しぶりに会った多岐川医師は、俺の話を聞くなり恐ろしいことを言い出した。
「ちょちょちょっ! まだそこまで覚悟ができてないんです。なんと言うか、その……もっとカンタンにできる方法はないんですか?」
いくらなんでも胸の膨らみを隠すためだけの理由で、これから死ぬまで後遺症に耐える覚悟なんかできやしない。第一、更年期障害なんて、生理が終わった女性がなるものだろう。俺の母親だってまだなっていないハズだ。高校生で更年期障害なんてイヤすぎる……。
「ホルモン療法というのもあるよ。でも、治療は簡単だけど副作用は無視できない」
結局、経過観察の血液検査だけを受けて俺は逃げるように大学病院を後にした。
◇◇◇
そして俺は、さんざん悩んだ末に原点に立ち返って考えてみることにした。
太ったと言われたんだから痩せればいいんじゃないか? そう。それだ! おっぱいの中身のほとんどは脂肪だと聞いたことがある。だったら痩せれば減るハズだ。
それに、モデルやアスリートが過激なダイエットで生理が止まってしまったという話をテレビで観たことがある。それがホントならダイエットで面倒な生理もこなくなって一石二鳥だ。
もちろん、無茶なダイエットが体に悪いことくらい俺だってわかってる。だけど、他にいい方法が思いつかない。このままなにもしなかったらすぐに女っぽい体型になって俺の秘密がバレてしまう。そうなったらすべてが水の泡だ。
やってやろうじゃないか! 無茶なダイエットを!
「
仕方なく俺は親友の
どうなってんの?
気を取り直して
でもダメだ。コイツに何かを相談するくらいなら、すべてを失うほうがまだマシだ! ……イヤイヤ、それは言い過ぎだけど、マトモな解答なんか期待できない。
そして俺は彼女に行き着いた。女子力の権化……
「古今東西さまざまな先人の努力によってありとあらゆるダイエット法が提唱され、実践され、そして廃れてきたわ。カロリーを効率良く消費させたり、体の歪みやリンパの流れを修正する運動系ダイエット。糖分の摂取量やタイミング、血中濃度をコントロールすることで脂肪の蓄積を抑える食事系ダイエット。まぁ、この辺りが雑誌とかテレビでも紹介されているんだけど、もっとすごいのがあるのよ。小腸での脂肪吸収を阻害する薬によって、食べても太らない状態をつくる薬物系ダイエットとかね」
るちあってダイエットに詳しいんだ!
しかも太っていない彼女の言葉は、ことダイエットに関しては信頼に値する。それにしても……。
「薬物系ダイエットって一体なんだよ?! そんな薬、ホントにあるのか?」
「あるわよ。危ない薬とかじゃなくて、リパーゼ阻害薬っていうちゃんとした医薬品よ。副作用が少ない究極の痩せ薬と言われてるわ。でもコレ、食べた脂肪を吸収させないだけで効果は限定的なの。おまけに脂肪がそのまま排泄されるから……トイレがすごいことになるそうよ」
るちあが笑いながら解説する。
可愛い女の子が○ンコの話かよ! ガッカリだよ!
「それに、運動系も食事系も長く続けないと意味がない。どの方法もそれぞれ長所と短所があって、これがベストっていうものはないのよ。ところで東條くんはダイエットでどうなりたいの?」
「それはもちろん、胸が腫れなくて生理が止まるくらい過激なヤツを! ……なぁんて言えないよなぁ」
「え? なにが止まるくらい?」
うわぁ! 声に出ていた!
違うんだ、るちあ! コレはそのぉ……。
「えーと、あれだよ! そろそろ水泳の授業が始まるだろ? 俺、太ってしまったみたいでカッコ悪いんだ。それで、えーと、水着になっても胸が腫れ……張れないような恥ずかしい体型をなんとかしたくて。えーと、このままだと心の生理が止まっ……じゃなくて! 整理ができなくて、その、アレだ。このままじゃダメなんだよ! だから、とにかく今すぐにでも痩せたいんだ!」
自分で言っててメチャクチャ苦しい!
こんなカミカミの言い訳が通用するハズがない。失敗した!
「あー、わかっちゃったぁ! 東條くん。ダイエットして告白するのね!」
は?
告白っていったい誰に? なにを?
「事情はよぉーくわかったわ! あたしも一肌脱ぎましょう。東條くんのために人類史上最も古くから実践されてきた究極のダイエット法を伝授してあげるわ! 今日これからウチにきて」
るちあが自信たっぷりに言い放つ。
ああ、彼女の姿が勝利の女神ニケと重なる……主に胸の部分が。
放課後、るちあと帰ることを樹理亞に言うと、あっさりとOKが出た。すでに彼女から事情を聞いているということだけど、一体なんと言ってOKさせたのだろう? 謎だ。
るちあの家は、さすが小学校からの幼なじみだけあって夕夜の家の目と鼻の先。高級住宅地に構えた白壁二階建ての一軒家だった。カーポートにはドイツ製のセダンと国産小型乗用車が並んでいる。
彼女の指示で一旦自宅に帰って私服に着替えた俺は、表札の『柘植』の文字を確かめてからチャイムを鳴らした。
「あら、るちあのお友達?」
ドアを開けたのは、るちあを少しだけ大人っぽくした雰囲気の女性だった。髪はブラウンで少しだけ短いミディアムだ。彼女のお姉さんだろう。
「初めまして。東條といいま……」
「まぁっ! よくきてくれたわね。さぁさぁ、上がって」
俺の自己紹介が終わらないウチに玄関に招じ入れられてしまった。ニコニコしながら俺の全身に視線を浴びせる。妹の男友達が珍しいのだろうか? 家族同士の付き合いをしているハズの夕夜は遊びにきたりしないのかな?
そんなことを考えていると階段を降りてくる足音がして、るちあが姿を見せた。
「さっきも言ったけど、お茶もお菓子もいらないからね」
彼女はそう言い残すと階段をズンズン登っていく。
「お邪魔しまぁーす」
俺もるちあの後に続き、彼女の部屋に足を踏み入れた。
そして体験する超カルチャーショック。
彼女の部屋は世界的に有名なウサギのキャラクターの壁紙に覆われていた。ベッドのシーツもミニテーブルの下に敷かれたカーペットも、そしてカーテンまでも同じキャラクターだ。おまけに、同じウサギやネコのキャラクターの縫いぐるみとクッションが、出窓やら机の上やらベッドの上に所狭しと並んでいた。
「小さい頃から大好きだったのよ。買ってもらったり集めたりしてるうちに、こんなになっちゃったぁ。ビックリしたでしょ?」
そう言って笑うるちあ。
その光景は『女の子らしい可愛らしい部屋』のレベルを著しく逸脱していた。落ち着いたカラーリングのおしゃれなインテリアで構成された樹里亞の部屋に比べると、ココはまるで華やかなファンシーショップのようだった。
それでもやっぱり女の子の部屋だ。なんだかわからないけれどいい匂いがする。
るちあは俺をベッドに座らせると、勉強机の椅子に腰掛けてまるでシャロン・ストーンのように脚を組んだ。
「さて、最も効果的で過激なダイエットを実践するために、いくつか注意点があります。今から日曜日の夜まで、東條くんにはこの部屋に閉じこもってもらいます。トイレとお風呂以外、ココから出てはいけません。そして、ココにいる間はお水以外口にしてはいけません。いいですか?」
気取った口調で解説がなされる。過激なダイエットの正体……それは断食だった。
なるほど、食べなければ体重が増える心配はない。食欲に負けて何かを口にしてしまわないように、こんな風に閉じこもって耐えるというわけか。聞いてしまえばカンタンそうだけど、高校生が自宅でできるダイエットだからそんなものだろう。
……って、なんだって?
今日は週末……金曜日の夕方だ。日曜日の夜までってことは、るちあの部屋に二泊するということになる。そんなにお邪魔して迷惑じゃないのか? いや、それ以前の問題だよ。
こう見えても俺は一応男だぞ。遺伝子は女だし体も女っぽくなりつつあるけど、世間的には男子高校生で通っているし、戸籍に明記された性別だって男だ。
男のシンボルはとてもささやかなサイズだけど……それに精巣がないから妊娠させることはできないけれど……いや、その前に彼女を腕力で押し倒すことだってできないかもしれないけれど、それでも、俺がここに泊まるのはマズいんじゃないだろうか?
「家の人は平気なの? 娘が男を部屋に泊まらせるなんて……。さっき会ったお姉さんにだって怪しまれるよ」
「うん? お姉さんて誰のこと? さっきのって……ああ! やだぁ。ママのことぉ?」
ママ? 玄関を開けてくれた、るちあの大人っぽいバージョンのあの女性はお母さんだったの?
ビックリだよ。
「ママには『男の子がくる』って言っておいたんだけど、あの様子だとたぶん信じてないわね。さっきジロジロ見られたでしょ? きっとボーイッシュな女友達を冗談で男の子だって紹介したと思ってるわよ」
それって、俺のことを女だと思って泊めてくれるってこと?
「いやいや、それって絶対マズいだろ! バレたら俺が困るよ!」
「なんで困るの? あたしはホントのことを言ったんだし、東條くんだって女だなんて言ってないのよ。それにママは、ああ見えて服飾系の業界人だから、自分が人の性別を見間違えるハズないと思ってるみたい。だから、男の子だってしつこく言い続けたら逆に怒らせることになるでしょうね。下手したら『男の子だと言うなら証拠を見せろ』なんて言い出しかねないわ」
るちあはそう言って笑う。
「東條くんがあたしのママにパンツ降ろして見せてるシーンなんて、ドン引きだわぁ!」
そんなことしてたまるか!
るちあが言う通り嘘をついているわけじゃないけれど、真実を隠しているという罪悪感はハンパない。お母さんと次に顔を合わせた時に自然に振る舞える自信もない。
しかし、問題は家族だけじゃないのだ。
「夕夜は俺が泊まること知ってるの?」
「ちゃあんと言ってあるわよ。東條くんがいる時に夕夜が来たりしたら誤解されちゃうでしょ? まぁ、ちょーっとイヤそうな顔してたけど、あたしに内緒で東條くんとラブホ行ってたんだもん、あたしだって好きなことする権利はあるよね。ちょっとでも心配させてやらなきゃ気が収まらないわ」
そう言ってるちあは腰に手を当てて大きすぎる胸を張る。
ああ、やっぱりそういうことか。
俺はお前らバカップルが愛情を確認し合うための単なる小道具かよ!
心の中で毒づきながら俺は仕方なく自宅に電話する。このまま日曜日の夜まで家に帰れないのだ。
「まだお腹減らないでしょ? 空腹感っていうのは習慣で感じるものなのよ。一食くらい抜いても問題ないわ。それよりも恐いのは……」
「るちあぁ。お風呂入るんでしょ? 今日はパパが早く帰ってくるから、今のうちに入っちゃって」
廊下から呼ぶ声が、るちあの言葉を遮る。
玄関で会ったとっても若いお母さんだ。ひょっとして父親の後妻さんなのかも……なぁーんて下世話なことを考えちゃったけど、こんなに似てる母娘が他人てことはないな。
「タオルと着替え用意しておくから、先にお風呂に入っちゃって」
そう言って、るちあは階下のバスルームまで案内してくれた。
他人の家の風呂に入るのは緊張する。樹理亞の家ではよく食事に招かれたり風呂にまで入ったりしてたけど、小さい頃から行き来していた幼なじみの家というのは親戚の家みたいなもので変に意識することはなかった。
でもココは今日初めて入った女の子の家。アウェー感がハンパない。
脱衣所で服を脱ぐ間も、いきなりドアが開けられてしまうんじゃないかとドキドキしていた。
家の外観と同じくモダンな雰囲気のバスルームは明るくて広くて、なによりもヒノキで作られた浴槽が渋くてカッコ良かった。ワビサビというヤツだ。
湯船に浸かる前に体を流しておこうと石鹸を探すと、シャンプーやコンディショナー、ボディーシャンプーが2セットづつ置いてあるのが目についた。シャンプーの片方はCMでよく見る育毛剤入りのヤツだ。るちあの父親のものだろう。俺はるちあのものらしきボディーシャンプーを手にとってタオルで泡立てる。シアバターとバニラのいい香りだ。
漫画だとこんな時に、いきなりドアが開いて全裸の女の子が入ってきちゃったりするんだよなぁ。そして『一緒に入ってもいいかな?』とか身体をタオルで隠しながら恥ずかしそうに言うのだ。
彼女は真っ赤になった顔を伏せて、それでも上目遣いに俺の返事を待っている。うんうん、可愛い。
まぁ、るちあには彼氏がいるし、間違ってもこんな妄想が現実になるわけ……。
「ガチャリ」
冷たい音を立ててドアが開いた。
振り返るとそこには一糸まとわぬ姿の彼女が立っていた。
「なんかぁ、パパがあと三十分で帰ってきちゃうんだってぇ。ウチのパパ、帰るとまずお風呂だから、今じゃないと入れなくなっちゃうのぉ。狭くて悪いけどあたしも一緒に入るねぇ」
そう言って、るちあは浴室に入ってドアを閉めた。
『一緒に入ってもいいかな?』なんて聞かないし、タオルで身体を隠すこともしない。乳房は歩くたびに大きく揺れてカタチを変え、樹理亞のものよりも広めだけど、まばらなヘアーが堂々と眼前を横切って行く。
俺は慌てて股間を隠すと、体の泡を流してヒノキの浴槽に飛び込んだ。
「ねぇねぇ。あたし、未だに東條くんが男の子だと思えないんだけどぉ、こうやって二人でお風呂に入っちゃうのって浮気になるのかなぁ?」
無垢な笑顔で、るちあはトンデモナイことを口にした。