ブラックベリーフィールズ 〜やがて女の子になる君へ〜 作:孤児郎
俺の体はまだ男に見えるハズ。男子の水着のまま水泳の授業に出たけれど、誰もが俺の胸を怪しんでるみたいだ。俺は変に思い込みすぎて溺れかけ、助けてくれた宏海の勃起した股間に膝蹴りを喰らわせた。もう水着なんか着れない。
『アルカリ性単純温泉』
『効能 : 神経痛、疲労回復、美肌効果、婦人病』
湯の吐出口のすぐ上に設置された白いホーロー看板に温泉の情報がとても簡潔に書かれてあった。
その文字を読み返すことすでに百回以上。十五秒に一回読んだとしても二十五分だ。二十五分という時間は温泉に浸かるにはちょっと長い時間と言える。でもそれは俺が『湯船から出られない』状態になってからの時間だ。それまで入っていた時間を加算すると、俺が湯船に浸かっていた実際の時間はおそらく四十分を超える。
俺がどうして湯船から出られなくなったかと言えば……。
「こら! ウチのお風呂じゃないんだから静かにしなさい! うるさくしてたらお姉さんに笑われちゃうわよ」
四〜五歳くらいの女の子が大きく開けた口から超音波を発しながら露天風呂の中を走り回り、若いお母さんが自分の体を洗いながらそれをたしなめる。
今、この露天風呂にいるのは三人だけなので、まことに不本意ではあるけれど『お姉さん』とはつまり俺のことなのだろう。でも俺は、彼女の間違いを訂正するわけにはいかない。
ここは伊豆。海水浴場にもほど近い温泉宿の露天風呂だ。もちろん混浴なんかじゃない。ここは男湯……のハズだった。少なくとも俺が入った時は……。
プールでの一件があって
タイミングをズラすためにタオルと着替えを持って『男湯』と書かれた暖簾の前でじっと時間を潰し、彼らが暖簾をくぐって出てきた時にちょうど風呂に入りにきたフリをしたんだ。
脱衣所を覗いてみると幸い他に誰もいないようだったので、俺は気兼ねなく裸になって美肌効果があるというその温泉を堪能することにした。
体を洗い湯船に浸かってしばらくすると、宿名が入ったハッピ姿の従業員らしき男性が入ってきて、ガラス戸を開けて露天風呂に顔を覗かせた。
「お客さん、すいません。十七時からこちらの露天風呂は……」
笑顔で話しかけてきた従業員が突然黙りこみ、真顔で俺を数秒見つめてからいきなり後ろを向いてしまった。
「すっ! すいません! 大丈夫です。申し訳ありませんでした。ごゆっくりどうぞ!」
そこまで一息で喋ると、俺が口を挟む間もなく駆け足で出て行ってしまった。
その時はいったいなんだろうと不思議に思っていたけど、今ならわかる。時間によって男湯と女湯を切り替えたのだ。規模や内装が異なる複数の風呂がある場合、時間で切り替えることによって客はどちらの風呂にも入ることができる。
つまり、今現在ここは紛れもなく『女湯』なのだろう。
そして俺は、後から入ってきたこの母子が出て行くまで湯船から上がることができずにじっと耐えているのだ。
あの従業員が勘違いしなければ……いや、風呂の入り口辺りに書かれていただろう注意書きを俺が見逃さなければこんなことにはならなかったのだ。
頭や顔からとめどなく流れる汗に耐えながら、俺は若いお母さんの裸を見ないように視線を固定し、もう何回目になるか忘れてしまった温泉の効能書を読む。
このまま、しらばっくれて風呂から上がってしまおうかとも考えたが、万が一『女湯に男が入っている』と騒がれたら警察沙汰にもなりかねない。るちあの家の風呂場とはワケが違うのだ。
「うるさかったでしょう? ごめんなさいね」
お母さんは俺に遠慮したのか数分温泉に浸かっただけで子供を連れて出て行った。ホッと一息ついた俺は、脱衣所から子供の声が聞こえなくなるまでじっと待つ。
今だっ!
俺はアルカリ性単純温泉の湯船から立ち上がると、のぼせかけてフラつく頭を振って歩き出す。
しかし、ふたたび脱衣所から賑やかな声が聞こえてきた。若い女の声……しかも複数。
一瞬、
でも、残念ながら脱衣所のドアを開けて入ってきたのは見知らぬ三人の若い女性だった。彼女たちはきゃらきゃらと楽しそうに喋りながら洗い場に並んで腰掛けた。
◇◇◇
今回の旅行はイベントが大好きなるちあの提案で、梅雨が終わる前から早くも企画されていた。旅行のコンセプトは第一に海! 第二に温泉! そしてリーズナブルが絶対条件。
当初は樹里亞の親族が経営しているリゾートホテルが候補に挙がっていた。彼女は意外なことにホテル経営者のご令嬢なのである。多忙だった樹里亞の両親は東京の自宅にほとんど居らず、彼女は歳の離れた従兄弟と一緒に幼い頃から祖父母に育てられた。
ホテルは近県の観光地に点在していたが、どれも海に近くて便利だった。親の実家がいずれも都内で、田舎というものに縁がなかったウチの家族は、毎年夏休みになると樹里亞のホテルの部屋を格安で借りて海で遊んだものだった。もちろん、幼かった樹里亞も一緒に。
でも、彼女の両親が経営するホテルには温泉がなかった。それに、樹里亞も親の監視下で遊ぶような旅行に飽きていたらしい。みんなで話し合って、最終的には温泉の出る伊豆の旅館に泊まることになった。ちなみにこの宿は、樹里亞の父方の叔父でありブラックベリーフィールズのオーナーでもあるジーンさんの紹介だと聞いている。
しかし俺には問題があった。海に入るには水着になる必要があるけれど、水泳の最初の授業がトラウマになって男子の水着が着れなくなってしまったのだ。
かと言って予約をキャンセルをすると違約金がかかってしまう。例え違約金が不要だと言われても、それはそれでジーンさんや旅館に迷惑をかけることになる。
それに、もしも俺一人だけキャンセルしたらどうなるだろう?
宿は男女五人で二部屋の予約になっている。もし宏海が未だに樹里亞に未練を持っていて俺がいないチャンスに彼女に告白したら! 万が一、樹里亞がそれを受け入れてしまったら!
高校生カップルが二組に部屋が二つ……友達同士の楽しいグループ旅行が一転して、ふしだらな不倫カップル温泉旅行になってしまうじゃないか!
不倫じゃないけど……。
樹里亞は俺のことを好きだと言ってくれた。けれど俺は未だに彼女に隠し事をしている。彼女を騙し続けている俺に、彼女に貞操を守らせる権利があるのだろうか。
それに、俺は男としての魅力で宏海に勝てるところが何一つないのだ。オマケにヤツには凶悪な武器が……俺の脳裏にこびりついて離れないあの巨大なピラミッドがある!
ダメだ! ヤツにソレを使わせるわけにはいかない! それだけは絶対に阻止しなければならない!
トラウマがどうとか、水着がどうとかはもはや瑣末な問題でしかない。俺は旅行に行かなければならない。考えてみれば最初から他に選択肢なんてなかったのだ。
電車に揺られ、旅館の送迎バスに揺られた俺たちは、現地で恐ろしい光景を目にして呆然となった。海岸は余すところなく水着姿の人・人・人で覆われていて、砂浜の色もわからないくらいだったのだ。
もしもここに巨人が現れたら、食べやすく裸になってオードブルのように整然と並べられた人類はヤツらに次々と平らげられてしまうことだろう。それでも、危険を代価に大いなる海で泳ぐ自由を手に入れるのだ。
俺たちは砂浜に寝そべるローストビーフやテリーヌたちの間をすり抜け、波打ち際に向かってひた走った。
男性陣は基本的にTシャツと短パン。靴は俺がスニーカー、夕夜は裸足にローファー。宏海はなんとビーチサンダルで電車に乗ってきていた。
女性陣は樹里亞がキャミソールの上にカーディガン。下はショーパン。るちあはピンクのキャミワンピで、二人とも足元は涼しそうなミュールだ。
服のまま海に飛び込んだ俺と宏海、俺たちに突き飛ばされて水没した夕夜。ずぶ濡れの男子三人ーー俺も男子として分類ーーと、それを冷ややかに見つめる女子二人。
なんと宏海も夕夜も下に履いていた短パンが実は水着だったらしい……水着の下に下着は履かないから……えーと、コイツらノーパンで電車に乗ってきたのかよっ!
俺はパンツまでぐっしょり濡れて不快な上、白のTシャツに乳首が透けているのを宏海に見られてしまった。
公共の更衣室には長い行列ができていて、俺と樹里亞たちは着替えを諦めてビニールボールでバレーをしたり、鬼ごっこしたり、岩場を覗きに行ったりして宿のチェックインの時間まで遊びまくった。
海水浴場にほど近い旅館は木々に囲まれて表通りから見えないようになっていた。旅館なんて名称は古風だけど、外壁は大きなガラスとコンクリートの打ちっぱなし。内装は白木の壁と間接照明を多用した『大人の隠れ家』チックな格好いい宿だった。
二人部屋と四人部屋の部屋割りの予定だったけど、食事ができて布団も敷ける和室とセミダブルベッドが二つ置かれた洋室の二間構成の一部屋にだった。和室に男子三人、鍵がかかる洋室に女子二人が寝ることになる。
部屋風呂は簡易な温水シャワーだけで、入浴のメインは温泉の大浴場だ。
部屋で荷物を解いた後さっそくみんなで温泉に入ろうということになったのだけど、その時に大人しく宏海たちと入っていれば、こんな窮地に陥ることはなかっただろう。
でも、そうすると宏海や夕夜だけじゃない、他の男性客からの視線も意識しながら風呂に入ることになる。そんなことではノンビリくつろげやしない。
まったく、俺にとって水場は鬼門なのかもしれない。
◇◇◇
「こんばんわぁ! あっ! あなたビーチにいた子でしょ。友達ときてるの?」
体を洗い終えて露天風呂に出てきた女性三人組が、一人で湯船に浸かる俺を見つけてニコニコしながら話しかけてきた。彼女たちと入れ替わりにそっと風呂から出ようとタイミングを見計らっていたのだけど、それもできなくなってしまった。こうなったらみんな出るまで我慢するしかない。
俺に普通に話しかけているところをみると、彼女たちも俺を女だと思っているみたいだ。
昼間は当たり前に男子の格好でいたのに『女湯』にいるだけで女子だと信じて疑わないものなのか。
「はい。高校の友達と五人で」
「良いねぇー! 初々しいねぇー! 青春だねぇー!」
俺が正直に答えると、彼女たちの目が輝いた。
三人組は俺の方に近づいてきて、ほとんど肌が触れ合うような位置に腰を下ろした。何も考えずに正直に答えてしまったのはマズかったかもしれない。早く風呂から上がりたいのに。
「あたしたち、三人で来てるのよ。高校時代の同級生であたし……ランとミキは大学生。そっちのスーはナースの卵よ」
二十歳前後くらいだろうか。その胸の膨らみも丸みを帯びた腰つきも、樹里亞たちよりずっと女らしく見えた。
彼女たちは期待のこもった瞳で俺を見る。どうやら自己紹介しろということらしい。
「雪緒です。高校二年生です」
「ユキオちゃんかぁ。古風な名前だねぇ」
「ねぇ。ユキオちゃん。一緒に来た友達の中に好きなコはいるのぉ?」
好きな子……。
そう言われて、目の前に湯船に浸かる全裸の樹里亞の幻が見えた。
「あーっ! その顔はいるんだぁ。好きなコ」
俺の顔を見て一人が叫んだ。ひょっとして顔が赤くなっていたのだろうか。
いや、さっきからのぼせ気味で赤い顔になってるハズだ。もう、好きな子がいてもいなくても構わないから、早く解放して欲しい。
「どんな水着着るの?」
「水着は持ってきてないんです」
もう宏海や夕夜の前でトップレスになる勇気はない。もしも女だとバレてしまったら、これから先、どうやって付き合っていけばいいのか見当もつかない。
「ダメよ。それじゃぁ!」
「高校生の夏休みをなんだと思ってるの!」
「一緒にきてる子たちの中にライバルはいるの?」
ライバル?
俺の恋のライバルって言うと……宏海のことか。
だまってうなずく。頭を少し動かしただけでフラフラして、もうホントにダメそうだ。
「あなた、すっごく可愛いから負けないわよ。肌だってこんなにキメ細かくてキレイだし、ムダ毛どころか全身ツルツルで羨ましいわ」
「でも、ちょっとペッタンコじゃない? 高校生ぐらいの男の子っておっぱいの大きさだけに目が行っちゃうものよ」
「そこはほら……まだまだ成長するわよ。下だって生えてないから、これからでしょ?」
左右から手が伸びてきてペタペタと遠慮なく俺の胸や腰に触る。綺麗にマニキュアが塗られた彼女たちの細い指先が肋骨の稜線をなぞり、脇腹をくすぐり、膨らんだ乳輪をかすめていく。
全裸のキレイな女の人たちに囲まれて体を触られる背徳的な気持ちよさと、何をされるのかわからない恐怖で頭の中はグチャグチャに乱れていた。
いや、混乱しているのは、長時間温泉に浸かってのぼせてしまったせいかもしれない。
「でもさぁ、今夜が決戦だったら間に合わないじゃない!」
「その時は、最終決戦兵器『女の武器』を使うのよ」
ランさんはそう言って俺の手のひらに薄くて小さなビニールの袋を乗せた。
それはピンク色の可愛い模様の袋で、中身はわからない。
これが『女の武器』なのか? こんな小さなものでどうやって宏海と戦うのだろうか?
「こうやってね、相手に積極的にくっついていくの。ノーブラが鉄則よ」
そう言ってランさんが俺の腕にしがみついてくる。彼女の大きめの胸が二の腕に押し付けられると、反対側のスーさんも真似をして押し付けてくる。
熱い湯の中で押し付けられる乳房の柔らかな感触がとても気持ちよかった。
「それから、手はココ。相手の反応を見ながらゆっくり動かして」
彼女たちの指先が俺の太ももにそっと着地したかと思うと、まるで海底を進軍するオニヒトデのように股間に向かってゆっくりと移動を開始する。
「高校生の男の子なら、これで撃墜よ!」
「やりすぎじゃない?」
「最近の子は草食ばっかりだから、このくらいやらないとダメなんだってば!」
彼女たちの会話が聞こえる。
こんなゆっくりした攻撃なのに一撃必殺だと言うのか! すごい技を教えてもらった。
これで宏海を倒して、樹里亞を奪い返すんだ。
あれ?
でも『女の武器』はいつ、どうやって使うんだろう?
それを考えている間に彼女たちの会話はどんどん遠くなり、俺の視界は暗くなっていった。