ブラックベリーフィールズ 〜やがて女の子になる君へ〜 作:孤児郎
ランさんたちに着せられた勝負水着『マイクロビキニ』を着てビーチを歩くミッションを遂行した俺。さっさとクリアしてランさんから情報を聞き出そうと思っていたのに、次から次へと近づいてくる男たちに声をかけられて先に進めない。そしてついに超しつこいナンパ野郎に捕まってしまった。
ヤバい!
そう感じて、俺は振り返って初めてナンパ野郎を見た。声をかけてくる男たちにはテキトーに応対してたから、今まで顔なんかまともに見ていなかったのだ。
その男の背丈は平均レベル。しかし、首はない。正確に言えば、肩から頭に繋がるラインが盛り上がっていてくびれていなかった。よく見ると、派手なガラのシャツを着込んだ上半身の厚みがハンパじゃない。鍛え抜かれた筋肉のヨロイだ。それも、見た目が派手なボディービルの筋肉ではなく、より実戦的なソレだ。
改めて男の顔を見ると、深い眼窩に埋まった小さな瞳がギラギラと獰猛に輝き、耳たぶは潰れて頭に張り付いていた。格闘技の有段者か、あるいはよほど喧嘩慣れしてるのだろう。
見た目は洗練されていないが、戦えば必ず勝利する貪欲なオーラをソイツは纏っていた。
格好いい!
思わず口角が上がってしまう。
男としての総合的な格好良さで言うならば、親友『
正直に言うと、ちょっと話をしてみたかった。
その筋肉はいったいどんな過酷な環境でのサバイバビリティを想定したものなのか? いったいどれほどの訓練を積めばそんな肉体が手に入るのか? 己の肉体をそこまでストイックに制御し、維持し続けるメンタリティの強さの秘訣はなんなのか?
でも、残念だ。
ホントに残念でならない。
紳士的に対応してくれるのであれば、俺だって喜んでお茶ぐらい付き合っただろう。しかし、コイツは俺の腕を掴み上げ、残った手で俺の尻をグリグリと撫でさすっているのだ。
これほど戦闘に特化した肉体の持ち主が、くだらないナンパ野郎だというのがこの上もなく勿体なかった。
「離せよ!」
俺は掴まれている腕を支点にして体を捻り、ナンパ野郎の向こう脛、脇腹、そして喉の弱点を狙って鋭い蹴りを連続で叩き込んだ。
地に足が着いていない状態で蹴りを繰り出しても攻撃力はごくわずかだ。しかし、そんな態勢からの蹴りで相手のバランスを崩して隙をつくり、全力の打撃を叩き込むのだ。
尖った膝がヤツの喉元に食い込んだ瞬間、俺は勝ちを確信していた。
しかし……俺の腕を掴んだ力はまったく揺るがない。
あれ?
俺の攻撃は隙を作ることさえできなかった。
さすが、戦うためだけに鍛え上げられた肉体!
でも感心している場合じゃない。俺が戦って敵わないということは……そうか! 今になってやっと理解できた。女子大生ズのランさんが俺に命じたミッションの意味を。
俺がしつこいナンパに遭って困ってるところを颯爽と登場した宏海が助ける……そういうシナリオに違いない。危機一髪で助けられた俺は駆けつけてくれた宏海が気になる存在になり、いつしかそれが恋愛感情に……って、ソレ逆じゃね?
彼女たちは『俺が宏海に恋してる』と勘違いしてるワケだから、演出するのは宏海を俺に惚れさせるシチュエーションじゃないと意味なくね?
ランさんが素で間違えてるの?
なんかイロイロ微妙すぎて判断がつかない。
今まで声をかけてきたナンパ野郎たちはひょっとしたらランさんが雇ったエキストラかもしれない……と疑っていた。こんな女装水着に男が寄ってくるとは思えないからね。けれどコイツは違う。間違いなくホンモノだ。悪役としてこんな厳つい男を用意したら、助けにくるべき男の子はたいがいビビってしまう。
宏海はどうやら泳ぎに行ってしまった。他に頼れるのは樹里亞だけだけど、彼女に『女装中に言い寄ってくるナンパ男から助けてもらう』なんて男の美学が許さない。
コイツは自力でどうにかするしかないな。しかし今、俺の両手首は男に後ろ手に掴まれていて、身動きが取れない。
「離せってば!」
体をよじって抵抗してもまるで効果はないだろう。それどころか、そんな風に暴れるとコイツの嗜虐心を余計に煽ってしまうかもしれない。
「そんなエロい水着で男を誘ってたんだろう? どこに行くでもなくただビーチをウロウロして、ギラギラした目の野郎どもに声を掛けられるのを待ってたんだろう? 俺はちゃぁんと見てたんだぜ。声かけてくる男を片っ端からソデにして、随分と楽しそうだったじゃねぇか。ええぇ? 振ったヤツらはいったいドコがお気に召さなかったんだ? 顔か? 背丈か? それとも財布の中身か? 違うよなぁ。お前みたいな女が気にするのは、そんなモノじゃないだろう? そんなモノで満足なんてできやしない。俺にはわかってんだよ。お前みたいな女が気になるのはコレだろう?」
そう言って、ヤツは俺の体を引き寄せ自分の前に背を向けるようにして立たせた。後ろ手のまま掴まれている両手の指先に何かが触れる。
男の短パンの生地ごしに触れたソレはまるで鍛えられた筋肉の束のように強靭で、俺は最初、なにを触っているのかわからなかった。ようやくソレが筋肉とは異なる組織で形作られた器官であることに気づき、あまりの嫌悪感から俺の全身に震えが走った。
コイツは間違いなく俺を女だと思っている。その上で俺をどうにかしようとしているわけだ。
冗談じゃないぞ!
なんども言うようだけど、だいたい男ってこんな胸がぺったんこな女をどうこうしようなんて考えるものなのか?
るちあや樹里亞の裸の胸が脳裏に浮かぶ。
男ならああいう大きくて形がいい胸が好きに決まってる。誰だって巨乳や美乳に癒されるハズだ。
「これから俺がイイところへ連れてってやる。お前みたいな女が大好きな場所だ」
そう言って男は俺を押して歩かせようとする。
ラブホテルにでも連れ込もうというのだろうか?
エロい格好した女が好きな場所と言われても、普通の女じゃない俺には見当もつかない。
しかし裸にされてしまったら俺が完全な女じゃないとわかってしまうかもしれない。もしそんなことになったら……えぇと、いったいどうなるんだ?
女だと思い込んでいた相手が男だとわかったら、普通はどんな反応をするんだろう? 驚くのか、怒り出すのか、それとも残念がるのか……さっぱり見当がつかない。
だいたい俺の身体は今、どのくらい男の部分が残っているのだろうか。いや、俺が男だと思われていたこと自体が間違いだったと考えれば『俺の体は今どれくらい完全な女に近づいているか』と言った方が正しい。
こんな状況なのにも関わらず俺は冷静だった。いや、冷静なんじゃない。状況の変化についていけず、自分がいったいどうなっているのかすら理解できていなかった。
ビーチを外れてコンクリートの低い階段を登ると、そこは広い駐車場だった。通り過ぎる人たちが好奇の視線で俺と男を見ている。こんな格好をしている俺と厳つい男の組み合わせはいったいどんな風に見えるだろうか。親子? 兄妹? それとも恋人同士? 現実感が欠落した頭で意味のないことばかり考えてしまう。
目の前に真っ黒なワンボックスカーが停まっていた。男が後部座席のスライドドアを開けると、夏の太陽に焼かれた車内から熱気とともに異様な匂いが漂ってきた。それを嗅いだ瞬間、俺の頭がハッキリする。
俺は手足をバタつかせて暴れた。この男から逃れようと必死で、自分でもビックリするくらい大きな悲鳴が喉から絞り出された。でも、掴んだ男の手は緩まない。
「なにをしてるんだ!」
問いかけではない、明らかに威嚇を含んだ若い男の声が響き、俺を拘束していたナンパ野郎が一瞬だけ怯む。
その瞬間なにが起こったのか俺には認識できなかった。気がつくと俺は誰のものだかわからない夏物のジャケットを羽織って、誰かに抱きかかえられていた。俺を強い力で押さえつけていた男はどこに行ったのだろう。
誰かがいきなり俺に抱きついてきた。
頬に押し付けられる柔らかな胸の感触と心地よい甘い匂いに包まれる。樹里亞の匂いだ。
るちあの顔も認識できた。どういうわけか泣いている。なにか大声でしゃべっているようだけど、なんて言っているのかわからない。
いつかテレビで見たような、制服とヘルメット姿の救急隊員に促されて、白いワゴン車に乗せられる。ストレッチャーではなく長椅子だ。その隣には樹里亞が乗り込んで俺の手をずっと握りしめている。
「念のために病院で精密検査をするそうよ」
彼女はそう言って微笑んだ。
どうやら俺は助かったらしい。樹里亞が微笑んでいるということは、なんの問題もないってことだ。それを知って安心する。でも、水着の上にカーディガンを羽織っただけの彼女の格好は、救急車の後部座席に似合わない。
そんなことを考えてるうちに急に体が震えてきて、自分では止められないほどになった。
救急隊員の一人が長いチューブがついたマスクを俺の顔に当てる。そのまましばらく深呼吸していたら、少しづつ落ち着いてきた。
救急車に乗せられてからもう随分時間が立つ。検査するだけだと言うのに、いったいなにを手間取っているのだろう。
いつまでたっても動かない救急車の座席でイライラしていると、派手なサイレンと赤色灯を輝かせて緊急車両がすぐ近くに止まった。開いたままのドアごしにパトカーが三台見えた。
「なんだか
退屈に耐えきれなくなってきた頃に、
スーツ姿の男の人が救急車のドアの前にきた。付き添ってきた警官の話では、俺を助けてくれた人らしい。この暑い陽気の中、スーツをきていると思ったらこの人もまた鍛え上げられた肉体の持ち主だった。
ええと、助けてくれたんだからとりあえずお礼言わなくちゃならない。それは男として……じゃなかった、人間として当たり前のことだ。
「あの……」
俺の口から出た言葉が空中で凍りつく。
ドアの外に立つ男は俺を見ていなかった。彼の視線の先は俺のすぐ隣に座っている少女に向けられている。
なんだ? 樹里亞に見惚れてるのか?
「樹里亞。この人、君のこと……」
言いかけた言葉がふたたび消えてしまう。驚いたことに彼女も同じ表情で彼のことを見つめていたのだ。まるでそこだけ時間が止まってしまったかのような不思議な光景だ。
「大切な友達を助けてくれてありがとうございます」
そう言って樹里亞は彼に丁寧に頭を下げる。普段の『あたし』が『私』になってる。社交モードだ。
「そしてお久しぶりですね。お元気そうでなによりです。
え? 今『ロミオ』って言ったのか? 『ジュリア』に『ロミオ』だなんて、デキすぎというべきか、ちょっと惜しいというべきか。
いや、問題はそこじゃない! 俺は樹里亞と十年以上一緒にいるけれど、彼女に兄がいるなんて聞いたことはない。たぶん『親戚のお兄さん』とかだろう。
「君が樹里亞の友達だったとは驚いたな。痛いところはないかい?」
俺に向き直った『露澪お兄様』は、これ以上ないほどの優しさと余裕の笑顔で俺の身体を気遣ってくれた。
「僕は樹里亞の
ほら、やっぱり思った通りだ。樹里亞の従兄弟なら俺が知らなくてもおかしくはないよな。従兄弟なんてよっぽどスゴイ人か変な人じゃない限り友人同士の話題に上らないのが普通だ。俺が知らなかったからと言って、彼女を責めるほどの問題じゃない。
従兄弟のお兄さんという存在は、例えば狭い世界で生きている女の子にとっては憧れる存在なのかも知れない。でも樹里亞には俺がいるんだ。
だいたい従兄弟なんて、四親等の傍系親族じゃないか。兄弟よりも血が薄くて遠い存在だ。だからこそ結婚できるしもちろん婚約もできる。
なにもおかしなところは……って、婚約者だとぉ!
露澪の説明が続いていたけど、俺の耳にはまったく入ってこなかった。
だって、樹里亞と結婚の約束をしたのはこの俺のハズなのだ。