ブラックベリーフィールズ 〜やがて女の子になる君へ〜 作:孤児郎
ダメになってしまったラッシュガードの代わりを買いに街までやってきた俺と早瀬。そこでナンパしてきた男に早瀬がキレて大ゲンカ。どんどん仲間を呼んで増える男たちから逃げて路地裏で抱き合うように隠れてる時、早瀬が俺に「好きかも」なんて言い出した。
しんと静まり返った路地裏に慌ただしく駆けずり回る足音だけが響きわたっていた。
『吊り橋効果』という言葉がある。
あまりに有名な話なので詳しくは割愛するけれど、かいつまんで言えば『人間は生理的に興奮状態にある時、それを恋愛だと思い込む』というものだ。
カナダの心理学者が実際に吊り橋を使って実験したらしい。実験の結果に基づいて仮説を証明したけれど、医学的あるいは心理学的な説明がされているわけではない。
他に『生物は生命の危機に陥ると、本能的に子孫を残そうとする』なんていう説もある。
どちらかと言えば吊り橋よりもこっちの方が信憑性があるような気もする。でもそれは、植物なんかでよく見られる話で、動物……とくに人間みたいな高等生物に当てはまるのかどうかよくわからない。
どちらにしても、危機の中で相手を好きになったりするなんてのは物語の中の登場人物だけなのではなかろうか。
◇◇◇
「俺、もしかしてお前のこと……好きかもしれねぇ」
え?
好きって俺のことが?
しばらくの間、思考が停止する。
……ああ、そうか。わかった!
共に力を合わせて巨大な敵に立ち向かうという、男同士の熱い友情的なアレだな!
コイツはいつも言葉が少ない。だから俺も思わず変な風に誤解してしまうところだった。
「あーっと、えーっと、俺も好きだよ早瀬のこと。力でも優しさでも俺はお前に敵わない! やっぱお前はスゲー男だ」
そう、『男の友情』はなくなってなどいなかった。そりゃあそうだろう。そこらに転がってるような安っぽい友情モドキとはワケが違う。なんて言ったって『男の友情』だ。そうカンタンに消えてなくなるハズがない。
やっぱり、今日コイツと買い物にきたのは正解だった。
「そういうんじゃねぇよ!」
いい気分に浸っていた俺のセリフは、しかし即座に否定された。
えー? じゃぁ、どういうことだよ?
「俺はお前を女として好きだと言ってるんだ」
は?
この時の俺の感情をどれだけの人が理解してくれるだろうか。
確かに俺の体はほとんど女だ。遺伝子も女だし腹の中には女だけが持つ器官がある。
でも俺は自分を男だと認識している。戸籍も男だし学生証だって男子になってるんだ。
それなのに『女として好き』だなんて、早瀬の中では俺は男と認識されていないということになる。『男の友情』を分かち合える友とやっと巡り会えたと思っていたのに……。
絶望にガックリと力が抜けたまま、それでも不思議なことに俺を女扱いした早瀬に対して怒りは湧いてこなかった。もしかしたら、
「ええと……俺って普通の女とちょっと違うんだけど……」
そう、俺は女としては完全じゃない。胸だって全然ないし……。
すると俺の腰がさらに強い力で抱き寄せられた。
「心配するな。お前のことはちゃんと理解してる。その上で言ってるんだ」
早瀬が耳元でそう囁く。
顔が見えないからどんな表情をしてるのかわからない。
でも、理解してるって言うことは、俺が燐子先生についた嘘……『
燐子先生には、俺が『MtF(心が女性で身体が男性)』という症例だと話してある。逆の『FtM(心が男性で身体が女性)』だと俺の状況とつじつまが合わないのだ。だから彼女は俺の心の性別を尊重したつもりで、俺のことを『女の子』扱いしている。
そして早瀬も……。
男の身体だった女を、事情を承知の上で好きになる。それはいったいどういう心境なんだろう? 外見ではなく心に惹かれたということなのだろうか?
実際のGIDの場合、恋愛の最初に立ちふさがるのが身体の問題だ。性別適合手術なんてモノもあるけれど、それはつまり整形手術と同じで人工的に作られた身体だ。当然、メンテナンスが必要だし手術や治療でお金がかかる上、ひどい副作用に悩まされることもある。
性別適合手術を受ければ戸籍を変更して結婚することだってできるけど、だからと言って自分の身体のことを黙ったまま結婚することはできない。子供が産めないからだ。最近は妊娠しにくい女性が多くなっていると聞くけれど、最初から子供が産めないとわかっていて、それでも結婚してくれる男なんてごく少数だろう。
GIDと付き合うと言うことは、そういうことなのだ。早瀬はそれらを理解した上で俺のことが好きだという。そんな凄いヤツがホントにいたのだ!
もしも俺がホントの性同一性障害だったら、コイツのことを好きになっていたかもしれない。
でも……実際には俺は性同一性障害じゃないし、樹里亞というレッキとした婚約者もいる。俺は早瀬の気持ちに応えることはできない。
「なんで黙ってるんだよ?」
耳元で言われると、なんだか頭の中がグルグルと回り出してワケがわからなくなってくる。
「婚約者がいるんだ」
「なんだって!」
早瀬が驚いて仰け反る。その拍子に後ろのコンクリート壁に後頭部をぶつけたようだ。『ゴッ』という鈍い音がして、頭が俺の肩にガクリと落ちる。
え? なに? そんなに驚いたのか?
……ていうか、勢いで婚約の話をしてしまった。
「どいつもこいつも婚約者かよ! この歳で結婚相手が決まってるってのか? 断るならもっと気の利いたこと言えよっ!」
早瀬が俺の耳元で怒鳴る。鼓膜が破れそうだ。
コイツ、なにをそんなに怒ってるんだ?
「なんか聞こえたぞ! こっちだ!」
通りから男たちの叫び声が上がった。
ヤバい。見つかった。
ここは袋小路だ。出口をふさがれたら逃げられない。俺たちはいったん通りに飛び出すと、人混みでごった返す大通りに向かって駆け出した。
追いかけられているのかどうかわからない。
後ろを振り返る余裕もなく、俺たちは夏休み中の繁華街の雑踏を縫って走った。
「
突然名前を呼ばれたが止まることができない。誰だかわからないけど、今一緒にいたら巻き添えを食わせてしまう。無視するしかない。
「ねぇねぇ……なにして……るのぉ?」
驚いたことに呼びかけた主が追いついてきた。俺と早瀬が全力疾走してるのに……だ。
白いキャミソールにピンク色のフレアスカートを履いて、豊満な胸を揺らせながらミュールを履いた足でバタバタと並走するのは、るちあだった。
「まってよぉ。こんなトコでなにしてるのぉ? 買い物? デートぉ?」
コレがデートに見えるのかよ!
と思って気がつくと、早瀬が俺の手をシッカリと握っていた。それを急いで振り払う。
目の前にティーン向けのセレクトショップが立ち並ぶ一角が見えた。夏休み中ということもあって、店内はどこも若い女の子で一杯になっている。あそこなら追っ手を撒けるかもしれない。
店を指差して早瀬に合図すると、るちあの腕を掴んで手近な店に飛び込んだ。
そこは若い女の子専門のショップだった。可愛らしい格好をした女の子たちで溢れかえった店内を彼女たちの間を縫って店の奥に入る。
ビビッドな色合いのトップスがたくさん並べられた一角を縦断し、店の奥の空いてるフィッティングルームに三人で飛び込んでカーテンを閉める。そのままじっと息を殺して数十秒待った。
上手く捲くことができたのか、男たちが店内に入ってくる気配はない。
「はぁはぁはぁはぁ……」
俺と早瀬は完全に息を切らせていた。
狭い場所に閉じ込められて余計に息苦しく感じる。
店内は適度にエアコンが効いていたけど、るちあと早瀬の二人に抱きつかれて吹き出した汗がなかなか止まらない。
「なになに? いったいどうしたのぉ?」
るちあが聞いてくる。
俺は声を殺してこれまでの経緯を説明した。
早瀬が激昂して相手を殴った話をしたら、さっきまで威勢が良かったヤツが下を向いてモゴモゴと言い訳を始める。
「まぁ、早瀬じゃぁしょーがないね」
「え? 早瀬のこと知ってるの?」
俺の問いに頷く彼女。
早瀬とるちあは知り合いだったのか?
「去年、一緒のクラスだったの。それでコイツったら、あたしに向かって『可愛い』『好きだ』って言い続けてさぁ。それも入学式の真っ最中によぉ。あたしにはちゃんと彼氏がいるのよって、
「おまっ! そんな昔の話を東條にするなよぉ」
早瀬って、るちあにもそんなことを言ってたのか……。
女の子を口説くのは構わないけど、なんだかちょっとガッカリだなあ。早瀬にはその辺の女の子にホイホイ声をかけるようなチャラい男であって欲しくなかった。
確かにるちあは可愛い思う。特にプロポーションの黄金比を崩してまで自己主張をしている大きな胸の誘惑には、どんな男だって抗うことはできないだろう。樹里亞がいなければ俺だって篭絡されていたかもしれない。
でも、だからこそ、早瀬には普通の男と同じことをして欲しくない。もっと、こう……孤高の存在っていうか高嶺の花っていうか、告白されても『悪いな、今はまだ新しい恋をする気になれないんだ』とかなんとか言って振って欲しいかも……」
「東條がそうして欲しいならそうする」
え?
コイツ、まさか俺の心を読んだ……ワケはなく、いつものように俺の妄想が口からダダ漏れだったんだけど……あれ? るちあがヘンな目で俺を見ている。
「ちょっと東條くん。大丈夫ぅ? こんなのに口説かれちゃダメよ!」
「こんなのってなんだよ、
るちあと早瀬が怒鳴り合いを始めた。
ちょっと待ってよ、るちあ。お前は男が男に口説かれるという違和感をなんとも思わないのか?
そう言えば、るちあも以前、俺のことを性同一性障害じゃないかと疑ってたなあ。男子の制服を着て通学する俺を見て、心が男で身体が女のGIDだと勘違いしていた。
「ちょっとチョットぉ、大丈夫ぅ?」
カーテンの向こうからやたらとフレンドリーな声が呼びかける。
一瞬、追っ手かと思って黙り込んだ俺たちだが、それは若い女の声だった。おそらく店員だろう。
「だ……大丈夫です。うるさくしてスミマセン」
「うるさいのはイイんだけどぉ、お客様がぁケガとかしたらぁタイヘンだからぁ……」
そう言いながらカーテンが勢いよく開けられた。
ヤバイ! 今開けられたら男二人と女が狭いフィッティングルームに隠れているのがバレてしまう。
顔を出したのは金色に染めた髪をゴージャスに盛った派手目なお姉さんの店員だった。目元にアイシャドウとアイラインがクッキリと引かれていて、まるでエジプトの壁画のようだ。
その目がまん丸に見開かれる。
騒がれたら面倒だ。
俺の頭の中は、この事態の収集をつけるための言い訳を探して即座にフル回転を始めた。
《言い訳 その1》
「他のフィッティングルームが空いてなかったから、仕方なく三人で入ったんです」
ダメだ。順番に入ればいいだけのことだ。例えメチャクチャ急いでたとしても、三人で入ったら狭くて着替えることはできないし、商品の服を持ってもいない。
《言い訳 その2》
「
いや、どう見ても勝負してる姿には見えない。第一、フィッティングルームに三人で入って勝負してるとか、ちょっとイミがわからない。
《言い訳 その3》
「悪いヤツラに追いかけられてるんですぅ。匿ってください!」
ほぼ真実だけど、警察を呼ばれて大事になったら、先に手を出して一方的に暴力を振るった『加害者』が俺たちの方だとバレてしまう。
ダメだ! どう考えてもちゃんとした理由にならない。
どうなる? 男が入ってたと言って騒ぎになるのか? それとも店を追い出されるのか?
俺たちはじっと動かないまま、店員の反応を待った。
だいたい一分くらい。
「えーっと、三人で入ってたら狭いでしょぉ? ちょうど隣も空いたみたいだから使ってね。ああ、そうだぁ。ちょうど今日入荷したばっかりなんだけどぉ。見ていかない? 今一番流行ってる水着があるのぉ」
「結構です!」
俺と早瀬のセリフが被る。『今一番流行ってる水着』というのは今日の俺たちにはNGワードだ。
そこで、るちあが一歩前に出て言った。
「この二人にピッタリな、かわい~ボトムスあります?」
◇◇◇
フィッティングルームのカーテンが勢いよく開かれる。
中から登場したのはスカイブルーのキャミソールに白いふわミニを履いた美少女だ。ぱっちりした目にピンク色の唇、小さく尖った鼻で構成された完璧な顔に一つだけ、わずかにバランスを崩すことで絶妙の個性をもたらしている凛々しい太めの眉毛。
……って言うか女装した早瀬だった。
どんな分厚いパッドが入っているのか、るちあほどではないけれど結構大きな胸になっていた。キャミソールだから見せブラが要るのだろうけど、あんな大きな胸にする必要あるのか?
俺にはブラもパッドないのに、どうして早瀬にはあんな立派な胸が?
ちょっと不公平を感じながらも、るちあのメイク道具で早瀬に化粧を施す。
俺たちが安全に街から脱出するためのアイデアは、るちあの発案だ。
早瀬は最初、それに物凄い拒絶反応を示して抵抗した。そんなことをするくらいなら死んだほうがマシだとも言った。自分一人でも戦うと言って聞かなかった。
だが、街を走り回る男たちは減るどころかどんどん数を増やしているようだ。もはや無事に帰るのは不可能なほどに。そして最終的に早瀬は折れた。
ヤツラが探しているのは二人の男。今の俺たちは三人組の女の子。
こうして俺たちは、暴力が支配する危険な街から無事に脱出することができたのだった。