ブラックベリーフィールズ 〜やがて女の子になる君へ〜 作:孤児郎
早瀬との出会いを聞いた樹里亞。俺に好きだと言った早瀬が気になったのか、彼女は補習を覗きに行こうと言い出す。学校に着いても誰もいない。嫌な予感がして探すと体育の菅野をぶっ飛ばしたトップレスの早瀬を見つけた。俺のために菅野を殴ったという早瀬にドキドキ。
「こぉーんーなぁーのぉーいぃーやぁーだぁー!」
新学期が始まったばかりの教室に、甲高い叫び声が響き渡る。
背が伸びた者、真っ黒に日焼けした者、髪の毛が金髪になった者などなど、夏休み前とは別人になった生徒が思い思いに話す喧騒でいっぱいの教室。それが一瞬で静まり返るほどの大声だった。
その手には学校指定の女子用競泳水着が握り締められていた。
なにがあったのだろうか。
いったい誰があんな悲痛な叫びを上げなければならなかったのだろう?
ぶっちゃけ俺である。
なにがどうなったんだか、自分でもまるでわからない。でも、夏休みが明けたら俺は女子の水着で水泳の授業を受ける事になっていたのである。
◇◇◇
話は夏休みの終盤まで遡る。
水泳の補習で俺の代わりにセクハラ体育教官の
呼び出された詳細はわからない。ヤツがなにも教えてくれないからだ。
生徒に対する菅野のセクハラは以前から問題になっていて、どうやら今回の件でそれが明るみになり、ついに偉い人が出てきたらしい。まぁ、偉い人と言ってもしょせんは学校関係者。正義よりも外聞を重んじて警察沙汰にはならなかった。
そして菅野は免職。ただし教員免許が剥奪されるわけではないので、別の学校に赴任することになるだろう。この程度ではとうていヤツの悪行を裁いたことにはならないのだけど、学校の体面を守ったままこれ以上責任を追求することは難しい。
実にスッキリしない幕切れだ。
そしてもう一人。殴った側の早瀬にも学校側から処罰が言い渡された。
それが『女生徒は女子の水着を着なさい』ということ。学校をクビになった菅野に比べたらすごく軽い罰にも思える。でも、性同一性障害の早瀬に女の格好をしろというのはあまりに酷い話じゃないのか?
悪いのは全面的に菅野なのだ。アイツが俺を盗撮しなければ……アイツが良からぬことを言い出さなければ、早瀬も暴力を振るったりしなかったハズだ。
俺のためにイヤな目に遭わされる早瀬に、なんと声を掛ければいいのだろう。
「こんな水着を着せられるなんて冗談じゃねぇだろう?」
夏休みのハンバーガーショップのテーブル席で、学校指定の女子競泳用水着を握りしめて憤るヤツがいる。これは早瀬だ。男がやってたらそのまんま変質者だが、早瀬がやるとどことなく可愛い。
そんな姿を冷ややかな目で見つめるのは、るちあと樹里亞だ。
今日はレディースデイで単品のハンバーガーを注文するとドリンクが一杯無料になるらしい。もちろんレディースデイと名がつくわけだから女性しかサービスの恩恵を受けることはできない。俺を前にしてドリンク無料の説明をしようとする店員に間違いを訂正しようとしたら、るちあに口を塞がれた。
「ところで、
「人の彼女を気安く呼ぶな!」
テーブルの下で早瀬の足を蹴飛ばす。でもヤツは顔色ひとつ変えない。
「そんなにキレイだったら、相手はよりどりみどりだろう? 東條みたいなちっこくて細くて頼りにならないヤツのどこがいいの? あ! わかった! 親同士が勝手に決めたイイナズケとかいうヤツでしょう? そんな古臭い因習なんか無視しちまえばいいのに」
コイツ、彼女の目の前で俺をディスりやがったな! 俺のことを『好きかも』って言ったくせに。いや、これはひょっとして『このカップルは釣り合いが取れないから、東條を俺に寄越せ』という流れなのか? でも俺は樹里亞一筋に生きると決めてるんだ。悪いな、早瀬。
「そんなヤツより俺と付き合わねぇ? 俺の方が女慣れしてるから絶対に満足させられるよ」
ふたたびテーブルの下で脚戦が繰り広げられる。
るちあは早瀬の軽口に眉を吊り上げている。樹里亞は……と見れば、いつもと同じように微笑んでいた。
……って言うか、なんでそういう流れになるんだ? いや、別に早瀬が異性として好きとか、付き合いたいとか思ってるわけじゃないのに、この『えも言われぬ振られた感』はいったいなんなんだ!
「俺は女子用の水着なんて着たくねぇ。だけど着なけりゃプールに入れてくれねぇ。泳げなけりゃまた補習だけど、秋になったら補習はマラソンになるらしい。もちろん、補習で校外なんて走れないから陸上部の練習の合間を縫って放課後のトラックを延々と走り続けることになる」
ハンバーガーにかぶりつきながら早瀬がまくし立てる。
マラソン……その言葉を聞いて戦慄する。
俺は運動が苦手ではない。水泳はどちらかというと得意な方だ。だがしかし、マラソンはいけない。アレは持久力を養うという大義名分のもとに執行される、ある種の拷問を指す言葉である。
それを聞くたびに両足がガクガクと震え、絶望感に苛まれる。我々人類はその恐怖を遺伝子に刷り込まれているのだ。
「だから俺は決めた。学校側に抗議のデモンストレーションを決行する!」
早瀬が決意に満ちた眼差しを俺に向けてくる。こういう時のヤツはキラキラと輝いて見える。
生徒が嫌がる格好をさせようとする学校側との戦いだ。
「よし、わかった! 俺も協力しよう!」
俺がそう言うと早瀬は力強く頷いた。
デモの内容はこうだ。始業前や昼休みの時間に男子の水着姿で各教室を回って、女子の水着を強制しようとする学校側に抗議するための署名を集めるのだ。
でも、早瀬にしてはなんだか地味な活動だ。確かに正攻法ではあるけれど、そんなぬるいやり方で学校側の決定を覆せるものなのだろうか。
「大丈夫だ。ちゃーんと奥の手を考えてある。デモの様子をリアルタイムでネット配信するんだよ。性同一性障害の生徒が学校側から不本意な水着で授業を受けさせられている。その非人道的な教育方針に対する抗議だって言ってな」
なるほど、世論に訴えて学校を動かす作戦か。
「でもそうすると、世界中に性同一性障害だって公言することになるぞ。お前、それでも良いのか?」
しかし、早瀬は俺の言葉にキョトンとした顔をしている。
「ん? 俺は別に問題ないよ。性同一性障害じゃないし……」
え? そうなの?
いや、確かに俺は早瀬の口からそう聞いたわけじゃない。だけどコイツの反応は性同一性障害そのものなんじゃないのか? 燐子先生が女生徒のコイツのことを『男の子』だと言ったのも、それを裏付けているんじゃないのか?
「俺も最初は自分が性同一性障害だと思ってたんだ。実際に医者に診てもらったこともある。でも、俺には生活に支障をきたすほどの障害はなかったんだ。そりゃあ本物の男になれたら嬉しいかも知れないけど、自分の症状を偽ってまでなりたいとは思わない。そういうのって男らしくねぇだろ」
早瀬は腕組みしてそう言った。
言ってることは確かに潔くて男らしいとも思える。けれど……。
「じゃあ、嘘をついて同情を引こうと言うのか? それこそ男らしくないだろう」
俺が突っ込むと早瀬は苦い顔をして、人差し指を左右に振る。
「嘘じゃねぇよ。ちゃんといるじゃねぇか。俺の目の前に」
待てよ! それって俺がGIDだと公表するってことか? 冗談じゃない! GIDだって俺の体の秘密をごまかすために
せっかく樹里亞の気持ちも確認できたっていうのに。
視界の端ギリギリに樹里亞の姿を捉える。彼女は隣に座ったるちあとスマホの画面を見ながら別の話に夢中になっていた。今の早瀬の言葉は耳に入らなかったようだ。
それでも、GIDとしてネット配信されるのは困る。
「ダメだ。さっきは協力するっていったけど、そういうことなら俺は降りる」
「悪いな、東條。これはもう俺だけの問題じゃないんだよ」
「どういう意味だ?」
早瀬の眉間に深いシワが走る。
レディースデイのサービスドリンクに選んだブラックコーヒーに口をつけてから、ヤツは俺の目を見つめる。
「補習の時にお前も着てただろ……ラッシュガード。学校側から見れば俺もお前も一緒ってことだ。遅くとも新学期の水泳の授業までには、担任教師から女子用水着の注文書を渡されるハズだ。いいか? 俺たちにはもう時間がねぇんだ。世間とか同情とかそんな細かいことはどうでもいい。性同一性障害にしろネット配信にしろ学校側がイエスと言わない場合の単なる切り札だ。切り札は最初に切るものじゃねぇ。俺は今、そういう戦いをしてるんだ。女の水着を着たくねぇのなら俺と一緒に戦え。東條」
そう言って早瀬は唇の端を歪めて笑った。