ブラックベリーフィールズ 〜やがて女の子になる君へ〜 作:孤児郎
早瀬と俺は女子用の水着がイヤで、たった二人の抗議デモに挑む。校内放送のリポーター柏木 京香のテキトーな紹介で俺たちは性同一性障害の女子認定。しかし、静観を続ける学校側の反応に、早瀬は服を脱いでトップレス。そして俺にも脱げと言う!
「自分の胸が大きくてイヤっていう人がいるでしょぉ? あれって半分は本音だけど半分は嘘だと思うなぁ。小さい頃って同い年の子の大半がスラッとした体型だったからぁ、自分だけ胸が大きいことが恥ずかしいのよ。まだ子供なのに、自分の体が大人の男の人の関心を誘っちゃう。そういうのってなんだか自分が汚くなったみたいに感じて辛かったの。でも、あるとき親戚同士で海に遊びに行ったことがあって、ウチとイマイチ仲が良くなかった親戚の家の従姉妹のお姉さんが婚約者を連れてきたの。その人のことはなぁーんとも思ってなかったんだけど、小学校のスクール水着でギュウギュウ押さえつけてたあたしの胸をずーっと見てるのに気が付いてね……次の日にもっと大人っぽいビキニの水着を買ってもらって、目の前で飛んだり走ったりしていっぱい魅せつけてあげたの。彼の視線は一日中あたしの胸に釘付けになってたわ。まだ小学校の低学年の時のことよ。なんでそんな事をしたのかって? その親戚ってお父さんのお姉さんの家なんだけど、両親が結婚する前からお母さんのことを目の敵にして、事あるごとに嫌味を言ったり嫌がらせをされたりしてたの。そのお姉さんもやっぱり嫌味な人で……だから、しばらくして婚約が破棄されたって聞いた時はマジ胸がスッとしたわ」
そう言って、るちあは笑った。
「でもね、ホントは仕返ししたかった訳じゃないの。なんていうか、その……試してみたくなったのよ。あれほど嫌いだった大きな胸をあたし自身が受け入れることができたら、それはどれほど強力な武器になるのか……って。試し撃ちの結果は上々……いいえ、予想をはるかに上回る破壊力だったわ」
以前、彼女と話した時のことを思い出す。
まだランドセルを背負ってた歳で意図的に男をたぶらかしたエピソードに恐れ入った。
胸が大きいということはいったいどういう感覚なのだろうか。肩がこるとかジロジロ見られて恥ずかしいとか、そんなありきたりな話じゃなくて、もっと突っ込んだことが聞きたかったのだ。
「なんでそんなこと気になったの?」
「なんでって……俺だって女の子の胸に興味ある健康で文化的な男子高校生だからね」
るちあの疑問に俺はおどけて答えた。
そうだ。こう見えても俺は巨乳好きなのだ! るちあだけじゃない。
しかし、どういうわけか彼女はそれを否定した。
「違うんじゃない? 自分の胸が大っきかったらどうかな? ……って考えてるんじゃないの?」
◇◇◇
すべての視線が俺に集まっていた。
昼休みの教室にいる見ず知らずの上級生たち。唖然とした表情のままマイクを握っている
「さぁ、
早瀬が言う。
わからない。意味がわからない。なにが起こっているのかわからない。
でも理屈の上では理解していた。
早瀬は自分の要望が学校側にすんなりと認められるなんて思っていなかった。最初から正当な抗議デモなんかするつもりはなかったのだ。ヤツの目的は校内放送とネット配信にトップレス姿を披露して学校側を恫喝し、男子用の水着の着用を認めさせることだった。
そして今、俺にもプランBを実行しろと言う。ヤツと同じようにラッシュガードを脱いで胸を晒せと言っているのだ。
冗談じゃない!
こんなもの抗議デモでもなんでもない! テロと同じだ!
いくら女子用の水着が着たくないからと言って、トップレスになるなんて割が合わないにも程がある!
わかったぞ!
早瀬は裸を人に見せたがる露出狂のビッチなんだ。プランBに効果がないとわかったら、次はプランCだとかなんとか言ってパンツを脱ぐに違いない!
こんな変質者の茶番劇に付き合う義理など俺にはない。呆れた捨て台詞を残して早々に立ち去るべきだ。
だいたい、自分のことを『俺』と言って、女子の水着なんか着たくないって言うヤツが女の武器を使うなんて矛盾してるじゃないか!
しかし、早瀬は笑いながら言った。
「ビックリしただろ? こないだ女装して逃げたのをヒントに考えたんだ。勝つためなら使えるものはなんでも使う。それは決して恥ずかしいことじゃない。東條、お前が教えてくれたことだ」
「ちょっと待って! こんなことダメよ。許されないわ!」
俺と早瀬の前に慌てた柏木がマイクを持って割り込んできた。
早瀬がそれを一喝する。
「うるせぇ! これは男の闘いなんだよ。男には絶対に引けない時があるもんだ。
あまりの剣幕に柏木がおずおずと引き下がる。
最初から性同一性障害だと宣言してしまったせいなのか、早瀬のメチャクチャな理屈に突っ込むヤツは一人もいない。早瀬が言ったように、誰もGIDについてちゃんとした知識がないのかもしれない。
東欧の小国などでは政治の腐敗を世界にアピールするために、女性がトップレスで抗議したりする姿を時々ニュースで見かける。知名度の低い国の場合、なんらかの方法で衆目を集めないと国際世論を味方につけることもままならないのだ。決して上品な方法とは言えないが、トップレスでの抗議は必要から生まれた手段なのだ。その上、情報化やネットが発達した現代ほどその効果は大きい。
コイツのやってる事はメチャクチャだが、計画としては実に論理的だ。
そしてなにより、女生徒の早瀬がもろ肌脱いでタンカを切ってるというのに、男子生徒の俺が怖気づいていたら東條
ラッシュガードの胸に指をかける。
俺は男だ!
ぎゅっと目を閉じてファスナーを一気に下まで降ろした。その勢いでファスナーが外れる。俺の胸はほとんど膨らみがないから、早瀬のように飛び出したりはしない。
それはつまり『自分で前を開けて見せる必要がある』ということだ。
カメラのレンズはまっすぐにこちらを向いている。
ラッシュガードの前を掴んで、さぁこれから開くぞ……と思った瞬間、俺の脳裏にある不安が過ってしまった。
トップレスになることの蓋然性も理解した。それに、早瀬がやったのに、俺がやらない道理はない。
しかし……しかしだ。それは俺の中で覚悟ができたというだけのこと。そこには見せられる側の気持ちは考慮されてない。
それで構わないのだろうか?
例えば今、目の前で俺たちを凝視している見知らぬ三年生男子の先輩。彼は早瀬が脱いだ瞬間に実に嬉しそうな顔をして喝采を上げた一人だ。その表情を見れば彼が巨乳教の原理主義者であることは疑いようもない。
恐らく彼は早瀬の胸が押し潰されて隠されていたように、俺のラッシュガードからも大きくて形の良いバストが飛び出すものと思ってるだろう。
もちろん、見ず知らずの生徒の邪な期待なんか気にしてやる義理などない。しかし、俺は今『女として』胸を見せなくてはならない局面に立たされているのだ。
どうしてかって?
考えるまでもないだろう。乳房に価値があるのは普段隠されている女のものだけ。男の胸なんぞいくら晒しても学校側を脅す材料にはなり得ないからだ。
だから俺は考えてしまったんだ。『俺の胸はここで衆目に晒すだけの価値があるんだろうか?』……と。
俺は自分の胸を他人に見せたくはない。だから水泳の授業も休んだし、ラッシュガードも使っている。見せたくないものを我慢して見せた挙句、何の効果もなかったとしたら俺は自分の行為に納得することができるだろうか?
意味がなかった……で済めばまだ良いかもしれない。小さな胸を見てあからさまに失望の視線を送られたり、あまつさえ失笑されてしまった日にはこれからも今まで通り学園生活を送っていく自信が俺にはない。
冗談じゃない。俺は降りる!
そう口に出そうとした瞬間、背中に量感たっぷりの柔らかいものが押し当てられる感触があった。
「どうした、東條? 胸が小さいのが恥ずかしいのか? そんなこと気にする必要はない。お前の可愛らしい胸を存分に見せつけてやれ」
声とともに細いけれど筋肉質の腕が背後から伸びてきて、俺のラッシュガードを思い切りまくり上げた。
エアコンに冷やされた空気が裸の胸に触れる感覚。
続いてLEDライトの照明とカメラのレンズ、たくさんの視線が俺の胸に突き刺さってくるのを感じる。
怒りはすぐには起こらなかった。
高度な情報処理を司る人間の脳は、その進化の過程において三つの異なる階層を経て成長してきた。怒りは脳のもっとも深い部分である古い脳の機能であり、生物の生存に関与する。それに比べて羞恥の感情は、社会性を持った高等生物のみが獲得した大脳の前方……前頭葉で処理される。
本来ならばとっさの反応には古い脳の機能が優先されるハズだ。
ところが大半の文明人は、どういうわけか怒りよりも先に羞恥心を強く感じる。より本能に近い脳よりも、理性が鎮座する前頭葉が優先されるのだ。これを『抑圧』という。
文明人の一人である俺も例外ではない。
気がつくと俺は自分の胸を押さえてその場にしゃがみ込んでいた。羞恥の炎に焼かれた胸の先端がヒリヒリと痛い。
ああ、見られちゃった……。
男子生徒たちは残念そうな目をしているだろうか。それとも、みんなの視線はさっさと早瀬の巨乳に戻ってしまった後だろうか……。
うつむいた顔を恐る恐る上げていく。俺を見下ろす瞳と目が合った。恥ずかしさに目を逸らすと別の瞳に見つめられる。次々と視線を移動させてゆっくりと辺りを見回すと、周囲からパラパラと手を叩く音がし始めた。
「ナイスリアクションだ、東條!」
目の前に手が突き出される。早瀬だった。
その手を取って立ち上がると、拍手の音が次第に大きくなってついには喝采に変わった。
俺の小さな胸でも周囲を納得させることができたのか!
「なぁーんてダマされるか、この野郎! よくもやりやがったな!」
繋いだままの早瀬の手を引き寄せて、ヤツの襟元を…掴もうとしたけどそんなものは存在しない。突き出した俺の手は早瀬の胸に軟着陸した。
ぽすん……と。
「あ……」
お互い、止まったまま数秒。
ええと……こういう場合、どうなるの?
俺が女の子の胸に触ったことになるの?
呆然としてる俺の耳に、勇ましい曲が鳴り響く。甲高い携帯の着信音……交響曲『ワルキューレの騎行』だ。
「はいっ!
柏木リポーターへの電話だったらしい。
彼女は通話を切ると、俺と早瀬を一瞥してからカメラに向かってしゃべり始めた。
「果敢な抗議デモに対して先ほど学校側から譲歩案が提示されたとの情報が入りました。それによると、学校側の提案は『今後、授業で用いる水着は競技用水着の規定内ならばどんなものでも構わないこととする。ただし、早瀬 萌、東條 雪緒の二名が女子の水着を着用することが条件である』ということです」
「えっ? どういう意味だ、そりゃ?」
慌てて早瀬の胸から手を離す。ヤツはそんなアクシデントなんかなかったかのような顔で柏木を見つめた。
「言った通りよ。あなたたちが大人しく言う事を聞くなら、生徒は誰でも好きな水着で授業を受けて構わない……ってことね」
「ちょっと待てよ! それじゃ問題の解決になってないじゃないか!」
横で話を聞いていた俺の頭の中も、クエスチョンマークでいっぱいになっていた。
十六、七の女が……俺は男子生徒だけど……トップレスにまでなって抗議したのに、俺たちの要望には一切歩み寄ってはいない。
それはつまり身体の性別に合った水着を着ることが、決められたものを着るよりも重要であるという結論だ。
ホントにそうなのか? それが正しいのか?
それこそ、冗談じゃない!
だいたい、抗議デモを実際にやってる俺たちにメリットがないものが譲歩案だと言えるのか? 馬鹿にするのも大概にしやがれ!
俺が憤慨している横で、ふたたび携帯の着信音が鳴る。今度は飾り気のない電子音。早瀬のスマホだ。
「俺だ。なんでこんな時に電話なんか……えっ? ふざけるなっ! そんなことできるわけ……いや、だけどっ!」
会話は途中でぶった切れる。
ガックリとうなだれて切った電話がふたたび鳴り出す。
「今度はお前かよ! イヤだよっ、そんなの! イヤイヤ、ちょっと待てって、おいっ!」
「お前もかよっ! だからソレは……」
「イヤ、俺にだってプライドがっ!」
そんな電話がひっきりなしに掛かってきては向こうから切られる。しばらくそんな状態が続いた。電話の相手はそれぞれ違うようだが、漏れ聞こえるのはどれも甲高い女の声だ。
「悪い、東條。俺は降りる」
早瀬が情けない表情で俺に頭を下げた。
わけがわからない。なんだ? さっきから次々とかかってくる電話は。
「彼女が新しい水着を着たいからってうるさいんだよ。この埋め合わせはゼッタイするから……お前もさっさと撤収しろよ。じゃあな!」
それだけ言うと、ヤツは脱兎のごとく駆け出して教室から出て行ってしまった。
え?
彼女って『彼氏彼女』の彼女だよな? 女のために自分の主義を曲げるというのか?
全校どころかネットにまで胸を晒して抗議したのに、そんなにアッサリ諦めるのか?
てか、いったい彼女が何人いるんだ、早瀬!
俺に『好きかも』って言ったのはどういうつもりだったんだ!
「ええと、どうやら早瀬 萌さんが学校側の譲歩案を受け入たようです。まだ教室をいくつか回っただけですが、あまりの急展開にわたしも言葉がありません。過去に行われた抗議デモにおいて、こんな結末を迎えた例ははたしてあったのでしょうか。学校側はこうなることを想定して、あんな変則的な譲歩案を提示したのでしょうか」
そうだ。誰が考えたのか知らないが、あの早瀬を手玉にとった手腕は見事だ。しかし、俺はそう簡単にはいかないぞ。
「さて、早瀬さんは抗議を撤回しましたが、あなたはどうしますか? 東條さん」
眩しいLEDライトの光とカメラのレンズが向けられる。
早瀬がいなくなってこの場のイニシアチブを取り戻せたせいなのか、柏木は満面の笑みで俺にマイクを向ける。
冗談じゃない。今日はもう何度そう思ったかわからないけど、今度こそホントに思う。
冗談じゃない!
「やめるわけないだろう? 女子用の水着なんか着てられるか! 俺は男子生徒だ。男なんだよ!」
「嘘だっ!」
突然、一人の男子が立ち上がって叫んだ。
その顔には見覚えがあった。昨年秋、東陵祭名物の女装ミスコンの会場で優勝した俺に『八百長だ! 女だ!』とイチャモンをつけた上級生だ。準ミスになった西陣先輩のファンだろう。
「性同一性障害ってことは体は女なんだろう? だったら『新ミス東陵』の出場資格はなかったハズだ!」
あの時は、自分がこんな中途半端な体だと知らず、男だと信じて疑わなかったのだ。だから俺は自分で胸を見せることで男だと言い張った。
俺と早瀬が性同一性障害だと紹介された時点でこうなることは予想できたハズなんだけど、そこまで頭が回らなかった。
最悪のタイミングだ。
「あの時は引き下がったが、そのくらいぺったんこの女子だっているんだ。見せたからって男だという証明にはならない! 別の方法で証明してみせるか、さもなければ西陣に謝罪しろ。そして優勝を辞退するんだ!」
ヤツは興奮で顔を真っ赤にし、口角泡飛ばしてまくし立てる。
馬鹿め。その程度で俺を論破できると思うなよ。
「たかだかミスコン……それも女装男子オンリーのイロモノイベントだ。いくらなんでも全校生徒の前で胸を晒すような女がいるわけないだろ!」
そんな女がいたら、そいつは間違いなくビッチだ。
「いただろうが! さっきまで目の前に!」
そう言われて、はたと気がつく。抗議のためにトップレスになった女がいた。
早……なんとかって名前だったか、もう忘れてしまったけどさっきまで確かにここにいた。
ビッチめ! お前のせいであっさり論破されてしまったじゃないか。
「それに、性同一性障害なら手術して胸を取ることだってあるんだろう? そんなもの、なんの証拠にもならないぞ」
怒声が追い打ちをかけてくる。
俺だって、見せる必要がないものを自分からすすんで見せたりするものか。
良いだろう! この胸が男としての証明にならないと言うのならば、それに足るものを見せてやろうじゃないかっ!
女としての立場で抗議デモを継続する必要なんか最初からなかったんだ。自分が男だと証明できれば、女子用の水着を着せられる謂れもない。どうして気づかなかったんだ!
ヤツがここにいたらこう言ってただろう……『まだプランCが残っている』と。
俺は押さえていたラッシュガードから静かに手を離した。
開けたままのファスナーから裸の胸が見えるかもしれないが、これから見せるものに比べたら気にするほどのことはない。
ちくしょう。柏木が俺たちをジャンヌダルクなんかに例えるから、こんなモノ見せるハメになったじゃないか!
「そこまで言うなら証明してやる!」
近くば寄って目にも見よ!
俺は水泳パンツに両手の親指をかける。
目をつぶって深呼吸を一つ。
そして一気に引き降ろした……。
頭からつま先まで、全身がなにかに包まれるような不思議な感覚。
どうだ! これでも俺が女に見えるか?
息を止め、目を瞑ったまま一秒。
周囲はシンと静まったまま反応はない。
ひょっとして俺の下半身は男に見えないのか? てことは、俺は校内放送とネットにリアルタイムで下半身をさらけ出したビッチ女ってことになってしまう。
膝がガクガクと震えてくる。
耐えきれなくなって瞼を開くと目の前は真っ白な世界だった。
なんだ? コレ。どうなってるんだ?
俺は頭からすっぽりと白い布のようなモノを被っていた。何事が起きたのかわからないまま、俺の体は誰かに抱き上げられる。
「ムチャすんな、雪緒! 見ててハラハラしたぜ」
「つらくなったらやめていいって言ったのに……」
男女の声がすぐ近くで聞こえる。
俺を抱き抱えたヤツが歩き出す。
「東條 雪緒は抗議デモを断念しまぁーす。
るちあの声を合図に教室中が一気にざわめく。しかしそれも急速に遠ざかっていった。
「待てコラ! 俺は認めてないぞ。今度はお前……」
俺を煽っていた男の怒声も途中から聞こえなくなった。