ブラックベリーフィールズ 〜やがて女の子になる君へ〜 作:孤児郎
樹里亞に連れてこられたホテルの一室で、彼女の祖父『門倉 玲一』に会うハメに。樹里亞が俺たちの結婚を認めてもらおうとするが、彼女の父親を例に挙げて認めてはもらえず。そして樹里亞がいない隙に爺さんは俺にトンデモナイことを言い出した。
「さて、
「君と樹里亞の話を聞いていてどうしても腑に落ちないことがあるんだよ。十年……いや十二年前かな。あの日……君が誘拐されたあの日のことだ。君と樹里亞は近くの神社で初めて会った。そして服を取り替えて一緒に遊んだ。僕はそう聞いてるんだけど相違ないね? 実際にあの子はそれまで一人で外出したことがなかったから、その日が初めてで間違いないと思う。でもね、だったら君はどうして初対面の女の子を救うことができたんだろう? 不思議だとは思わないかな?」
そう言って爺さんは俺の目をじっと見つめる。
俺はなにも言えなかった。
不思議だと言われても、そのこと自体を覚えてないのだから検証のしようもない。
だけど、樹里亞の話では実際に俺が身代わりになったのだから、別におかしなところなんかないハズだ。
「その日に会ったばかりの女の子だって、危険から救うのは男の義務でしょう」
そうだ。俺は窮地の女の子を見捨てたりしない。
それが男というものだ。
まぁ、当時は俺も小さかったから、自分が身代わりになるくらいしか方法がなかったんだろう……覚えてないけど。
「君は正義感に溢れる少年だね。でも、その子が危険な目に遭うかどうか、そのときの君にはわからなかったハズなんだよ。確かに当時、門倉の者は大勢の人間の恨みを買っていたし、樹里亞の身も危険に曝されていた。でも、そんな事情を君は知らなかったんだよ。遊びに夢中になっていた樹里亞も話さなかっただろうと思う。あの子は自分が危険だとこれっぽっちも認識してなかったんだからね。それなのに君はあの子の身代わりになった。どうしてだろうね?」
爺さんはそこでまた俺の目を覗き込む。
「僕はこう考えるんだよ。君はあの日、樹里亞の服を着て彼女になりきっていた。それは君がずっと求めていたものだったんじゃないかと。だから君は樹里亞の服を喜んで着たし、樹里亞に間違われて嬉しかったんだ。自分を樹里亞だと誤解した相手に違うと言いたくなかったんじゃないかな。君は少しでも長く樹里亞でいたかったんだ。君は樹里亞になりたかったんだからね」
「俺が樹里亞になりたかった? なに言ってるんですか? だってその時初めて会ったんでしょう?」
「そうだね。『樹里亞に』なりたかったというのは少し違う。より正確に言うのなら君は『女の子に』なりたかったんだよ」
爺さんはそう言って微笑む。
は?
なに言ってるんだ? この老いぼれは……。
「おい。爺さん! 樹里亞の『お爺さま』だっていうから大人しく聞いてれば、なんだよソレ。この俺が『女の子なりたかった』だってぇ? はっ! ウケるよ、ソレ」
小さい頃からずっと男の子っぽくないと言われてきた。初対面の相手には大人しくて弱いヤツだと思われた。見た目だけで俺を男らしくないと批判したヤツもいて、その度に俺は力で取り消させてきた。
ところがこの爺さんは、事もあろうに俺が『女の子になりたかった』のだと言いやがる。そんなことを俺に言うヤツなんか今までいなかった。そんな屈辱的なことを俺は誰にも言わせたことがなかったからだ。
俺はふたたびソファーから立ち上がって、爺さんの顔を睨みつける。
わかってる……俺の顔で睨みつけたところで大した迫力もないことぐらい。それでも、睨まずにはいられなかった。
「君が怒るのも無理はない。もちろん今の君は男らしい少年だとも。でもね、小さい頃からそうだとは誰だって言い切れないよ。生まれた時から男らしい男なんかいない。違うかい? この僕だってそうだよ。『自分はこうありたい』とか『こういう大人になりたい』っていう想いは成長とともに育っていくものだ。君にも男らしくありたいと思った瞬間というものがあるハズだよ。それはもしかしたら誘拐事件に関係しているかも知れない。しかしね。それ以前の君だって確かに存在したんだよ。その頃の君に、もしもそういう気持ちがあったなら、誘拐犯について行ったことも理解できるんだ」
爺さんは穏やかに話を続ける。
こちらがいくら熱くなっても、それをするりとかわして優しく誤解を解こうと近づいてくる。
怒りはすっかり萎えてしまって、俺はソファーにドカリと座り込んだ。
「そして僕はこう思うんだ。君は女の子としての樹里亞に強く惹きつけられた。君のあの子に対する気持ちは恋愛感情などではなく、あの子が女の子であるという事実への憧れだったんじゃないのかな。君はその気持ちをなんらかの原因であの子に対する恋愛感情だと思い込んで今まできたんだ。君は結婚の約束という記憶の断片に引き摺られて、自分は男らしくあらねばならないと思ってきたんじゃないかな?」
俺は……なにも言い返せない。
この爺さんの理屈が俺にはさっぱり理解できない。それなのに、爺さんの言葉はまるで俺のホントの性別を知った上で言ってるようにも聞こえてしまう。
しかも、俺が樹里亞を好きなのは俺の思い込みだと言う。今度は怒りは湧かなかった。その代わり、なんとも言えない脱力感が俺の全身を支配する。
「俺がいつ男らしくなろうと思ったのか、いつ樹里亞を好きになったのか、そんな昔のことなんか覚えてね……ないですよ。大体、誘拐された時の事だってなにも覚えてないんです。ついこの間まで自分にそんな過去があることさえ知りもしませんでしたよ」
「そうか。君にはあの時の記憶がないのか。まぁ、無理もないかも知れない。保護された時の君はひどい有りさまだった。怪我こそなかったものの、全身に……」
「お爺さまっ!」
部屋中に響く女の声にソファーから飛び上がるほど驚いた。
振り返るとドアのところに立ったまま樹里亞がこっちを睨みつけていた。
◇◇◇
いつ以来だろう。常に冷静で思慮深い樹里亞が激昂していた。もともと彼女は感情をそれほど表に出したりしなかったのだ。だから、夏休みに誘拐事件のことを話しながら泣いた彼女はレアケースだ。そんな彼女がここ最近は感情を露わにしている。
俺は、凛とした表情で睨む彼女の瞳を見ながら、どういうわけか安堵していた。
「せっかく君から会いにきてくれたのに、期待に添えなくて悪かったね。残念だけど僕はそろそろ行かなきゃならないんだ。そうそう……この部屋は僕個人の持ち物だから、好きに使って良い。でも、学生らしい節度ある付き合いを願うよ」
そう言って爺さんはソファーからゆっくりと立ち上がる。夏用のジャケットに袖を通すと革製の小さなカバンを一つだけ提げた。ホントにこれから海外に行くのかと疑いたくなるほどの軽装だ。
彼はとてものんびりした足取りでドアまで歩いて行くと、ドアノブに手を掛けて俺たちを振り返る。
「そう言えば樹里亞。君は随分と気が短くなったものだね。こんなタイミングで僕を訪ねてくるなんて……。でも、今日ここで君の顔が見れて本当に良かった。ありがとう」
玲一爺さんはそのまま部屋を出て行く。
俺はそっと樹里亞の表情を盗み見た。でも彼女はいつもとなにも変わらない目でドアを見つめていた。
「あの人……」
樹里亞は自分の祖父をそう呼んだ。
「あの人、結婚を諦めさせるために雪緒に揺さぶりを掛けてるの。あたしがいない間になにを言われたのか知らないけど、マトモに取り合っちゃダメよ」
「わかってるよ」
そうは言ったものの爺さんの言葉は衝撃的で、いつまでも俺の頭にこびりついていた。俺はもともと女の子になりたかったんだとか、だから樹里亞を好きになるハズがないとか……。もちろん、そんな話を鵜呑みにするほど俺はバカじゃないけれど、樹里亞が戻ってくる直前にあの爺さんが言った、俺が保護された時の『ひどい有りさま』という言葉もなんだか気にかかる。
バラバラになった記憶のピースを組み立てたいのに、俺の脳は完成に辿り着けそうもない。まだまだ部品が足りないのだろうか。いったいどうすれば真実に手が届くのだろうか。
「……で、この部屋は自由に使って良いって言ってたけど……雪緒はどうする?」
さっきとはうって変わって優しい表情になった樹里亞が俺の耳元で囁く。
そういえば、この部屋は爺さんの持ち物だと言ってたっけ。しかし、あの爺さん、どれだけ金持ちなんだ?
いや、そんな事より樹里亞はなんと言った? 『雪緒はどうする?』って俺に聞いたんだよな。それってどういう意味だ?
「明日は日曜日だし。あたし、お爺さまのところへ遊びに行くって言ってきたから、今夜は帰らなくても大丈夫よ」
樹里亞が答える。
それってやっぱり、俺と一緒にこの部屋に泊まるってこと……だよな?
正月に約束した『ホテル泊まりの予行演習』ってことなのかな。
「でも俺たち、玲一爺さんに結婚を反対されたんだよな。それなのにホテルに二人で泊まってもいいのか?」
泊まるって言っても二人仲良くゲームでもして眠くなったら寝る……なんてことじゃないぜ。事と次第によってはエッチになだれ込む可能性があるって事だぜ。
「いいんじゃない? それとコレとは別問題よ。結婚相手を制限した上に、結婚まで処女でいろと言うのなら、そんな家なんか出て行ってやるわ」
「俺も構わないぜ」
どういうわけかわからないけど、今日の樹里亞はエッチする気満々らしい。爺さんに反対されて反抗心に火がついてしまったのか。それとも彼女をその気にさせるようなロマンティックな出来事があったのか。
どちらにしても樹里亞の気が変わらない内にキメてしまおう。
ええと、初エッチに必要なもの。場所はすでに用意されている。都内の高層ホテルのスイートルーム。お互いの意思も確認済みだ。
それから、ええと……そうだ! 避妊具だ。コンドームが確実なんだけど……ヤベぇ! 俺、そんなの持ってないぞ!
確かコンビニに行けば売ってるハズだけど、わざわざ買いに行くのはムード的に見てOKなのか?
避妊しない男は最低だって
『避妊しないヤツは男じゃない』って言うけれど……考えてみれば避妊なんてなんのためにするんだよ! 俺は射精しないんだぜ。
違う! 問題はそこじゃない!
重要なのはコンドームを被せるべき男の象徴であるアレが、まだ俺に残ってるのかということだ!
「ドアノブのところに掛かってる『Do not disturb』の札を外に掛けてきて。それからドアにロックもね。あたしはシャワーを浴びてくるわ」
そう言って樹里亞はリビングを出て行ってしまった。
一瞬の躊躇の後、俺は寝室に駆け込んだ。八畳ほどもある寝室の中央にはキングサイズのベッドが置かれていた。その横に大きな引き戸が設えてある。迷わずにそれを開けると中は広いウォークインクローゼットになっていた。たくさんのスーツやシャツが下がっている中に目的のもの……全身を映せる大きな鏡を見つけた。
心の弱い病人は自分の身体が病魔に侵されていく事実を恐れて、病院に行きたがらないものだと聞いたことがある。俺が、あの大学病院で
ともかく、俺は久しぶりに自分の体と真正面から向き合わざるを得なくなった。
鏡の前に立って下着を降ろす。もしも自分の股間が男に見えないのなら、今日、この部屋で樹里亞の前で裸になんかなれない。
シャツの裾を持ち上げて鏡に自分を映してみた。だが、なんというか……よくわからない。去年までアレだと信じて疑わなかったものが……。
……今はもうほとんど見ることができない……。
でも、わからない。樹里亞だって処女だろうから、高校生くらいの男のアレを見たことはないハズだ。サイズなんて人それぞれだって言うから、俺のはすっごく小さいんだって言い張れば、もしかしたら切り抜けられるかも知れない。
『すっごく小さい』と自分で申告することに物凄い抵抗があるけれど背に腹は替えられない。そして、今日は体調が悪いとかなんとか言って眠ってしまえば……。
でも、それはダメだ。
それでは樹里亞にいくつも嘘をつくことになる。俺は絶対に彼女に嘘をつかない。そう誓ったんだ。
それに、ここまで女になってしまったら、もう隠してはおけない。
「やっぱりそうだったの?」
その声に驚いて振り返った。
寝室のドアのところに制服姿のままの樹里亞が立っていた。