ブラックベリーフィールズ 〜やがて女の子になる君へ〜 作:孤児郎
早瀬の部屋で一夜を明かした俺は、翌朝の学校で由理に親衛隊のくだらないルールを聞かされる。頭にきてレズビアンを批判したら怒った早瀬は俺に『男に抱かれろ』と言いやがった。大学病院に診察にきたらビーチで会ったスーさんが看護師になっててビックリ
「はーい! 先生の名前は『
そう言って彼女は深々と頭をさげる。服はタイトスカートタイプの黒いリクルートスーツ。髪はポニーテールに結っていて、それだけ聞けば真面目な実習生を思い浮かべるだろ。
だけど、ギリギリまで丈が詰められて深めのスリットまで入ったタイトスカートに、谷間が見えるほど胸元が開けられたブラウス。元は清楚だったリクルートスーツも彼女が着ただけで妖艶な衣装に早変わりしてしまった。
彼女こそ、夏の温泉旅行の露天風呂で、まだ男子高校生だった俺を女の子だと勘違いして、恋バナ責めでのぼせて意識不明に追い込んだ張本人なのだ。
先日の大学病院での診察の後、看護師のスーさんは俺に『ランにももうすぐ会えるよ』と謎な予言を残した。
いったいどういう意味だろうと考えていたけれど、こういうことだったのか!
「あれー! ランさん!」
彼女たちとビーチで遊んだ思い出が色鮮やかによみがえる。露天風呂。岸壁で遊んだ花火。そして……翌日のビーチで男にアピールするためと布地がほとんどないマイクロビキニを着せられて、ほとんど全裸の姿を宏海たちに見られた挙句に、見知らぬ変質者に拉致されかけたのだ。
思い出につられてイヤな記憶まで呼び起こされてしまった。
「オヒサだねっ。まさか
ランさんは俺の目の前まできて、両手をとって上下にブンブン振る。女子高スタイルの挨拶だ。
俺をあんなにひどい目に遭わせた色ボケ女子大生がウチのOGだったなんて、こっちこそビックリしたけれど、それは口には出さない。
ランさんはニヤニヤと笑いながら、俺の耳元に唇を寄せて囁いた。
「で……彼とはどう? もう、とっくにオトした頃だよねぇ?」
◇◇◇
ランさんが言った彼……
日が落ちてからわずかに強くなった風が精密射撃に大きく影響する。
使用できる武器は旧式のライフルと弾丸が六発だけ。分が悪い賭けだが今さら後には引けなかった。
幸いターゲットは動いていない。銃のクセもある程度わかっている。
ターゲットの左胸に狙いを定めて息を止める。
ゆっくりと引き金を引き絞り、ターゲットが倒れるたびに心の中でつぶやく。
『アーメン……』
「うるせーぞ、雪緒。気が散る!」
怒鳴りながらも宏海は続けざまにターゲットを撃ち落としていく。
駄菓子やキーホルダー、オイルライター。大き目の携帯ゲーム機には三発の弾を使ったけれど、本来は目玉景品として温存しておきたいだろう品物をも次々とゲットしていく。
ここは俺の自宅に近い神社の境内。いつもなら静まり返っている参道に、今日に限って下世話な配色の夜店が提灯の明かりに照らされて連なっていた。町内会の祭りである。
まるでメガネを掛けた国民的漫画の主人公のように巧い宏海の射撃に、即興でナレーションをつけて遊んでたら怒鳴られた。
いとも簡単に景品を撃ち落とす宏海を見て俺も挑戦してみたけれど、駄菓子一つ落とせなかった。いや、正確に言うのなら落とせなかったのではなく当たらなかったのだが……。
「いいか、お前ら。まず、第一に弾込め。第二に照準。それが『射的』のすべてだ」
宏海が振り返ってドヤ顔で言う。彼の横には俺と同じくすでに弾丸を撃ち尽くしてしまった夕夜がつまらなそうな顔で立っている。浴衣姿のるちあは宏海の射撃の腕に飛び上がって喜んでいた。ちなみに、この俺も浴衣だ。まことに不本意ではあるけれど……女物の。
俺たちが祭りに行くことを知ったランさんが、放課後までにどこからか調達してきたのだ。その手間と彼女の気迫に押されてとても『ノー』とは言えなかった。ビーチで宏海にあれほどアピールしたのに、今までなにをやっていたのかと怒られてしまったのだ。
それに、俺の浴衣姿はどうやら宏海のリクエストらしい。まったくお節介な話だけれど、
だから今夜くらいはランさんの勘違いに付き合ってもいいだろう。
ちなみに、るちあの浴衣は涼やかなブルーグラデーションに大輪の花火の柄。俺の方は真っ白のちりめんに二匹の赤い金魚が泳ぐ柄だった。もちろんメイクだってランさん自らやってくれた夜用ナチュラルだ。
男子陣は特筆すべき部分はない、いつものTシャツに短パンだ。
「圧縮した空気でコルク弾を打ち出す空気銃は、銃口と弾との気密性が重要だ。使い古された弾だとコルクが縮んで緩くなっているものもある。そういう時は前後逆にして銃口に込めるんだ。コッキングレバーを引いたら両足を肩幅に開いて利き手で銃を持ち、腕を伸ばしてできるだけ的に近づけて撃つ」
宏海の講釈が続いていたが、そんなくだらないものを黙って聞いているほど暇じゃない。
俺は空気銃を投げ出すと、参道の向かいにある金魚すくいに飛びついた。
夜店のオヤジに三百円を渡して、薄い紙が貼られたポイとプラスチックのボウルを受け取った。
ボウルに少し水を入れ、右手にポイを持って静かな水面をじっと見据える。
真っ赤なワキンがスイスイと泳ぐ中に、赤くて丸っこいリュウキン、デカくて黒いデメキンがユラユラ泳いでるのが見える。水槽の中はざっと見積もってワキンが六割、リュウキンが三割、デメキンの比率は一割ほどだ。
俺のターゲットは決まった。
ポイを斜めに水に入れ、ターゲットの進行方向にゆっくりと沈める。デメキンが紙の上にきたところで静かに持ち上げて水を切り、そのままボウルで受けとめた。
「お見事だねぇ。お姉ちゃん!」
テキ屋のオヤジの賞賛が耳に心地いい。
『お姉ちゃん』には目をつぶってやる。
「彼氏もどうだい? いいとこ見せてやんなよ」
気づけばすぐ隣に宏海がしゃがんで、ポケットから小銭を出していた。
彼氏じゃねぇし……。
油断していたからだろうか。二匹目に狙ったひときわ黒くてデカいデメキンに、俺のポイは残念ながら破られてしまった。
「ありゃりゃぁ! 二人とも残念だったね」
オヤジの声に隣を見ると宏海のポイも破れていた。彼のボウルには真っ赤なリュウキンが入っていた。数は二匹。
「雪緒は一匹なのか。これは俺の勝ちだな!」
宏海が笑顔で勝利宣言をする。
「ちょっと待てよ! 宏海。お前のはありきたりなリュウキンだけど、こっちは黒くてデッカいデメキンだ! どう見ても対等じゃない! デメキンの方が価値があるし重量もあって難易度も高いんだ。金魚すくい勝負は間違いなく俺の勝ちだ!」
俺は立ち上がって反論する。
射的では後塵を拝する結果となったが、いつまでも負けたままでいると思うなよ。
しかし、宏海はしゃがんだままだ。俺の言葉なんてまるで聞こえていないみたいに不敵な笑みを浮かべている。
「雪緒は知ってるか? 夜店の金魚すくいで使われる『ポイ』はどれも同じじゃない。貼ってある紙の厚さは何種類もあるんだ。もちろん薄いものほど破れやすい」
は? なに言ってんだ、コイツ。
紙の厚さがどうだろうと、同じ夜店でもらったポイに違いなんかあるワケないだろう。
俺は冷ややかな目で宏海を見る。
「金魚すくいには慣れない小さい子供もくれば、腕に覚えのあるヤツもくる。祭りが始まったばかりの今頃に、上手いヤツがきて金魚をたくさん取って行かれたら商売にならないだろ? だから早い時間は破れやすい薄手の七号あたりを使わせるんだ。俺くらいになると触れば大体の号数がわかる。ところが……だ。小さい子供とかお前みたいな、その……女の子がきて、なにもすくえなかったらかわいそうだろ? 店の前でキャーキャーやってりゃ、客引きにもなるしな。お前が使ったのは、おそらく女子供向けの厚手の五号か……あるいは四号かもしれないな」
「そんな……!」
俺は絶句して、テキ屋のオヤジの顔を見る。しかしオヤジは素知らぬ顔で後ろを向いてしまった。
それはホントなのか?
俺は最初からハンデを与えられていたのか?
夏のビーチで食べたレインボーかき氷を思い出す。あの時も、水着姿のるちあと俺——俺も女子用ビキニ。それもランさんたちに着せられたマイクロビキニだった——が、屋台の兄ちゃんに、かき氷の上にアイスクリームのオマケをしてもらったんだ。それにタコ焼きも……。
いや、そうじゃない! これは食べ物や飲み物とは違うのだ。本来は平等でなければならない神聖な闘いの場でハンデを与えられるなんて。俺にはもう、男と対等に勝負することさえ許されないというのか?
「それって、男女差別じゃないか!」
「イヤイヤ、お姉ちゃん! あんたが得するんだから差別じゃねぇよ!」
俺の叫びを聞いて屋台のオヤジが目を丸くして反論する。
確かにアンタから見れば、女の子に優しくしただけの事だろう。親切心かスケベ根性かは知らないけど、悪意がなければなにをしても良いというものじゃない。
俺は正々堂々であるハズの男同士の決闘の場から引きずり降ろされたんだぞ。男じゃないけど。
しかも、なにも知らずに自分ではいい勝負をしたと思い込んでいたんだ。女になってしまった今でも宏海に勝つことができたと。でもそれが仕組まれたものだったなんて、こんな屈辱があるものか!
しかし、なによりも悔しいのは……。
辺りを見渡すと、るちあと夕夜も唖然とした顔で俺を見ている。
……なによりも悔しいのは、この辛さが誰にも理解してもらえないことだ。
もう限界だ。
俺はデメキンが入ったボウルを投げ出し、参道を一目散に駆け出した。
ランさんが用意してくれた朱色の下駄はとても可愛いけれど、こんな夜道では誰の目にも止まらない。そればかりか、早く走ろうとする俺の意思に反して参道の石畳に引っかかり、細い鼻緒は足の指を締め付ける。
さらに邪魔になっているのはこの浴衣だ。伸縮性の少ない布で両脚を巻かれた状態なので、ロングスカートに比べてもはるかに走りづらい。
俺はどうしてこんな面倒な格好をしてきたのだろう。
たしか、宏海が俺に浴衣を着て欲しいと望んだんじゃなかったのか? アイツ、浴衣についてまだ一言も喋ってないじゃないか。どうでもいいウンチクは延々と垂れ流すクセに……。
こんなもの、着てこなきゃよかった……。
そう思った刹那、急に飛び出してきた誰かにぶつかった。前を見ていたハズなのにどうしてそうなったのかはわからない。ぶつかった相手は派手に転んで石畳に倒れ込んだ。
俺もバランスを崩してたたらを踏んだが、どこからか伸びてきたガッシリした腕に抱きとめられて転ばずに済んだ。
一瞬、宏海に追いつかれたのかと思ったけど、よく見ると夜目にもわかる金髪で浅黒い顔をした見たことのない若い男だった。顔の造作は悪くない。でも宏海に比べたら少々……いや、数段落ちる。
「痛ってぇーーーっ!」
石畳で転んだヤツが甲高い声を上げる。見てみれば痩せて小柄な少年だ。中学生くらいだろうか?
その声を合図に暗がりからワラワラと数人の男が現れて、そいつを囲んで助け起こし始めた。
「ヤベぇ! 骨折れてんぞ」
誰かが叫ぶ。
あの程度で骨折するなんて、骨粗しょう症じゃないのか? 牛乳飲んでるか?
「オイオイ、そいつはヤベぇなぁ。どっかで治療しなけりゃならねぇ。ぶつかってきた姉さんにもちょっと付き合ってもらおうか」
は? なんだコイツら。当たり屋か?
てか、人間にぶつかる『当たり屋』なんているの?
そう言えば、安酒を箱に入れて通行人にわざとぶつかり、落として割れた瓶を見せて高級ワインだと言って弁償させるという詐欺が昔はあったらしい。最近だと小道具はスマホになってると聞いた。
でも治療費をたかるのが目的ならこんな小娘は狙わないだろう。
ということは……面倒なことになったな。
「大人しくついてくれば乱暴なことはしねぇよ。アイツの折れた脚でも撫ででくれたらそれでいいんだ。アンタみたいな可愛い娘に撫でられたら骨折なんてスグに治っちまうよ」
金髪がタバコ臭い息でそう言う。
嘘つけ!
腰に片腕を廻しながら、残った手で俺の両手首を掴んでやがる。逃がす気はないと言うことだろう。
「
聞き覚えのある声に振り向くと、少し離れた所に女の子っぽい少年……もとい、
浴衣姿を見せたことはなかったから、一瞬俺だとわからなかったようだ。
ちょうど良かった。早瀬はメチャクチャ喧嘩が強い。ヤツと一緒ならこの人数を相手にしても楽勝だ!
そう思って助っ人を頼もうとした時、隣に立つ女が目に入った。王子親衛隊の一人『
女の子らしいピンクの浴衣から伸びた細くて白い腕が、早瀬の腕にしっかりと巻き付いている。今夜は由理の番ということか。
胸のどこか奥の方で小さな炎が瞬間的に燃え上がり、そして唐突に消えた。
「大丈夫だ。コイツらは友達。ちょっとふざけてただけだよ。ああ、そうだ! あっちに気前がいい金魚すくいの屋台があるから行ってみろよ。禿げたオヤジがやってるトコだ。オマケしてくれるぜ」
そう言い残して俺は自分から歩き出す。
男たちは狐に摘まれたような顔をしながらも、なにも言わずに俺に合わせてついてきた。
『女がイヤだってんなら、最初から男に抱かれりゃいいじゃねぇか!』
以前、早瀬が言った言葉が頭の中でリフレインする。
冗談じゃない!
そう言えば、俺のことを『昨日今日女になったヤツ』とも言いやがった。早瀬のヤツ。男になりたかったなんて言うくせに、やってることは下手な男の真似事じゃないか。
男になったこともないヤツに俺の気持ちがわかってたまるか!
ヤツの助けなんて要らない!
◇◇◇
「ここらでちょっと一休みしようか」
参道を逸れた脇道を歩くと少し広いスペースに出た。街灯も提灯もない暗がりでよく見えなかったが、近づいてみるとそこには大きな車が一台停まっていた。
スライドドアがガラガラと音を立てて開く。聞き覚えがあるワンボックスカーのドアの音だ。車内灯が点灯して、倒されて平らになったバックシートが照らし出された。
あの夏の海岸で、ビキニ姿の俺を拉致しようとした男の車を思い出す。ヤツの車も『黒いワンボックス』だった。
女に乱暴しようとする連中はどうして揃いも揃って同じような車に乗ってるんだ?
「さっさと乗れよっ!」
俺が偏見に満ちた感想を抱いていると、後ろから突き飛ばされて顔からシートに倒れ込んだ。
痛い。メイクが崩れたらどうすんだ!
うつ伏せのまま後手に両手首を掴まれる。男たちが次々と無言で車に乗り込んできた。ドアが閉められると同時に車内灯が暗くなり、やがて消えて真っ暗になった。
男たちの荒い息遣いに支配された車内に、ドアロックの音が響く。