それがアルベリヒとその仲間たちが行っている攻略ペースだった。1日に1層を突破し、ボスを討伐し、そして転移門をアクティベートする。圧倒的な速度と暴力はSAOというゲームを開始してから一切見る事の無かった、異色の攻略ペースであり、たった数人で成し遂げているという事実はSAO全体を震撼させた。ありえない、そうとしか表現できない速度だったからだ。
装備は? レベリングは? 訓練は? 拡張は? 強化は? マッピングは? その疑問に答える事がなかった。ただただ娯楽を楽しむ様に前進し、蹂躙し、そして突き進む。そうやってアルベリヒの宣告から9日目には60層へと到達していた。
もはやその言葉でアルベリヒを疑う者はいなかった。チートか? それともリアルからの救助なのか? アルベリヒは本気でアインクラッドをマラソンの様に駆け抜けて攻略する気だった。その成果を、SAO攻略という事実を疑う者は一瞬で消えた。アルベリヒの伝説が幕を上げたのだった。
「
ポンチョを被り、顔を隠している男がバーのカウンター席に座り、アルコールを喉へと流し込みながらそう言葉を向けてくる。薄暗く光源が制限されている店内に見えるカーソルはオレンジとグリーンが入り混じった物であり、到底まともな場所ではない事を証明していた。そこは今ではいくつか見れるようになった、犯罪者の楽園の一つだった。誰にとっても中立の場所。犯罪者でさえ入ってこれる店。アルコールを楽しめる店。店主が善も悪もクソもねぇ、と宣告した事で誰にでも開かれている店。
極上の酒が楽しめるという場所。酒の入ったグラスを傾けて喉の中へと流し込み、味わうその上品な味を楽しむ。現実とはまるで違う調味料、酒精が用意されているアインクラッドでは
その為、リアルの料理や調味料、酒を完全再現できるプレイヤーはそれ自体が宝の様なものだ。そしてこのバーの主は、このSAOにおける人間国宝の一人だ。何せ、あれほど恋しい現実の美味い酒を再現できるのだ。一番残忍なレッドでさえ手を出そうとせず、酒を楽しむ。
ここはそういう聖地とでも呼べる場所だ。だから殺しも殺気もない。
「アルベリヒか」
「あぁ、妖精の王様気取りのクレイジー野郎の話だ。目も魂も腐ってる。正直、そこだけは俺らと同類だって言えるだろうが―――馬鹿だ。アレは究極の馬鹿だ」
「お前との違いは?」
「俺は解っててやっている馬鹿。アレは解ってなくてやっている馬鹿だ」
「成程、自覚症状があるお前も救われないな」
「はっはっははは……救いなんざ求めるだけ無駄だろう? この世界じゃな。神様は助ける事よりもこの世界での生活を見る事を楽しんでおられるからな」
「確かにな」
PoHは
そして今回、当然ながら話題に上がってくるのはSAOを今震撼させている大英雄アルベリヒとその仲間たちの事だ。このSAOで今、アルベリヒと勇敢な仲間たちを気にしない連中なんていないだろう。いたとしたら驚きだ。
「で……金髪の屑の話か。あぁ、アレか。俺のものに色目を使いやがって。未だに殺したいという気持ちで溢れているぞ。あぁ、もし1:1で会う時が来たら絶対にぶち殺すって決めてる。クソ、あの後もまるで当然の様に俺の情婦に声をかけやがって……」
「荒れてるな……いや、お前の事ならもっと早く殺すもんだと思っていたが」
「俺がアスナを庇う様な動きを見せたら必然的にユウキに姿を見せてしまうからな。それはダメだ。この1年間、ひたすらユウキへの接触回数を制限し、逆にアスナとユウキを接触させ続けた。何度も何度も戦線を共にさせて信頼と信用を刷り込んだんだ。それを目の前で砕いて、犯して、そして心ではなく魂を一片の欠片も残さず凌辱して俺の物にしたい。その為には無駄な事が出来ない……」
はぁ、と溜息をつきながらグラスを傾けた。そんな此方の肩を慰める様にPoHが叩いてくる。
「俺にもその気持ちは良く解る。猿共を間引きたくてしょうがないのにな、その為に積み上げて積み上げて、そして積み上げて―――ふとした所で、それを全部放り投げて崩したくなってくる。あぁ、気持ちは良く解るさ」
慰めてくれはするが、どちらにしろ会話内容もやろうとしている事もクズでしかない。だからこそ会話が合う。こういう相手は希少だ。アスナは楽しませてくれ、ストレアはその存在感で
もっと根元から腐っている、純粋悪と呼べるような話し相手はモリアーティーを抜けば、片手で数えられる程度しかない。PoHはその一人であり、敵でありながら時折見かけては飲む、という不思議な関係を持っている。
無論、外で会ったら即座に殺しに行くだろう。
だけどこの時間だけは別だ。お互い、一時的に殺意と牙を抜き、爪を仕舞って酒を嗜むのだ、まるで文明の生物の様に。これがなんとも奇妙なもので、悪くはないと思っている。だからはぁ、と溜息を吐く。
「モリアーティーからの静止がなければなぁ……引き剥がした上で公開処刑してやるんだがなぁ」
「随分と女一人にご執心だな」
女一人、ではない。
「
いいか、PoH、俺の掲げるルールはとても簡単なものだ、と説明する。
「
「Humph……very simple? お前の今の行動も全てはそれが原因か」
「あぁ、やるのであればやられる覚悟をしろ。手を出すのなら手を出される覚悟をしろ。
それはガキの頃の話だった。
二世移民の自分は学校に馴染めなかった。寧ろ迫害されていた。子供はそういうのに敏感で、常に自分とは違う奴を魔女狩りの様に探していた。そしてそれを集団の敵とする事で常に自分が善である事を証明しようとする。だがそれはどこでも見る光景だ。他人とは肌の色が僅かに違う自分は、そうやって集団から迫害されていた。
だがその時、手を出したやつがいる。
「そいつが助けたのか?」
「いや、違う。結論から言うとそいつは手を出しただけで、手伝う事さえしなかった」
そいつは正真正銘の馬鹿だった。殴るのであれば殴られる覚悟がなければならない。悪行を成すのであれば、それが自分に戻ってくる事を覚悟しなくてはならない。即ち、俺が殴られているだけなのは果たして、殴り返すという当然の権利に対する意識があるか否か、を確かめる為だった。そして俺は無論、見返したい、やり返したいと言い放った。
「その時、どうなったと思う? ヒントは大人の助けを借りた」
「親を連れてきて、その親がガキを殴り殺した」
違うなぁ、とPoHに答える。だが同時に
「そいつはな一番仲の良い祖父が……ご老公がいてな、ご老公から刀を借りてきて、それを俺に渡したんだ。そしてこう言ったんだ―――
なので答えは、
「大人から借りた刀でぶった切った」
「Japan?」
「あぁ、日本の出来事だよ。渡した馬鹿も馬鹿で鞘に入れたまま殴り飛ばす程度にするかと思ってたみたいでな、俺が迷う事無く抜いてぶった切ったのには大層喜んだものだ。そして断言してきた。俺には純粋悪の資質がある」
「純粋悪、か」
「あぁ。背中を押される訳でもなく、状況さえそろってしまえば何の抵抗もなく、
「Crazy kid……」
「俺もそれは思う」
まぁ、あの事件はご老公が古い知り合いなどに頼んで揉み消してくれた。おかげで自分の経歴には何も残っておらず、事実さえもない。そして迷うことなく刀でぶった切ったという事実にご老公に気に入られた。
「そのご老公がまた脳味噌のぶっ飛んだ御仁でな……いや、まぁ、恩人なんだが。孫の発言に善が成立するなら悪が必要となるのを吹き込んだのがこのご老公で、それが原因で馬鹿が超人となる為にはいかなる死因も乗り越えなくてはならない、という事を思わせて……」
いや、まぁ、その先の話は地獄だ。馬鹿が俺に自分を全力で殺しに来い、と頼んでくるのだ。なので鉄バットとかで殴ってもまるでダメージを受けないし、ライターを使った即席火炎放射器で焼き払ってみても無事だった。ははーん、お前人間じゃないな? とは何度も思った事でもあった。だがあの馬鹿は武家の人間で、かくあるべしと育てられ、
天然である上にそう育てられた怪物だった。ご老公本人も旧軍にいた怪物で、刀一本で戦場で殺戮していたとか。それが育て上げた麒麟児がそこの馬鹿であり、それを殺す為の技術やらやり方を教わるハメになった。いや、まぁ、実際は結構強くなって行くのが楽しかったのだが、九州からタイ捨流のじっさまを呼び寄せた時とかは死ぬ覚悟をしたし、宝蔵院のじっさまも恐ろしかった。
生まれる時代を間違えなかった、現代の戦国に生まれて駆け抜けて生き残った連中だった。同じ境遇、同じ実力者、ネットワークみたいなものは構築しておいて、休日は若者のサバイバルゲームに混じっている辺りが実にお茶目な爺様たちだった。
「まぁ、刀で流血沙汰を引き起こしたからな。当然家から捨てられたからご老公に囲われて、そこからは楽しき研鑽の日々よ」
そして、その果てに理解したのだ。
PoH、両手で顔を覆いながら告げる。
「……やる事には常に責任を持とう。知らなかったでは後々済まんからな」
「最初はジョークかと思ったがホラートークだったな」
うん。素直にそう思う。で、まぁ、色々あって今に至る。あの馬鹿も心肺停止状態から蘇るなどという離れ業を見せつけてから自衛隊へと入隊してしまった。だからこそ、こんなVRMMOとかいう異世界で遊んでいられるのだが。
「いいか、PoH。クレイジージャパンを舐めるな」
「クールジャパンじゃないのか」
「あぁ、クレイジージャパンだ。特に二世代ぐらい前の連中は本当に頭がおかしい。命が惜しかったら連中に絶対に関わるな。俺みたいに人生そのものを壊されるからな」
「笑い話として覚えておくさ。俺も好き好んでこの国に近づきたくないしな」
あぁ、アルコールの息と共に昔の話題を吐き出すと幾分か気分が楽になる。ご老公たちは元気だろうか―――いや、うん、まぁ、ご老公方に関しては思い出すのは止める。模造刀をサバイバルゲームに持ち込んでくるようなお茶目さんたちだ。心配するだけ無駄だろう。だけど1年もこうやってSAOで時を過ごしていると、
「外が恋しくなってくるな」
「諦めていないのか」
「そういうお前も、外へ出る事は諦めていないだろう? 攻略組を殺すような事をしやがって……てめぇ、別口で脱出手段を用意しているなあ?」
「応える義理がないな」
そう言いながらもPoHは笑みを浮かべていた。おそらくはナーヴギアでのダイブではなく、何らかの中継を挟んでVRへとダイブしているな、とは予測を付ける。そもそもPoHのポンチョを一回殺そうとした時に剥いだが、その下に見えたのは東洋人の特徴のない顔だった。だが違う。こいつは西洋人―――おそらくはアメリカ系だろう。
何らかの方法で初期の強制アバター解除を乗り越えたか、
或いは―――
どちらにしろ、最近になってこいつの攻略組に対する妨害やちょっかいはいざという時は脱出できるという自信があるからこそ、存在する部分だ。だからこそPoHはどこかで始末しなくてはならない。こいつを生かしている間はそれが不安定になる。
だが、
「だがお前を生かしている間はあの
「ククク、苦労しているな」
誰のせいだと思ってるんだてめぇ。と呟きながらも笑う。今、この場に喧騒は持ち込まないのは絶対的なルールであるがゆえに。だから溜息だけで済ませる。
「そもそも難しい事を考えるのはモリアーティーの仕事なんだ、俺が考える必要なかったわ。原点に戻ろう。……ん? つまり誰かを殺して、女を犯せばいいのか?」
「それは普段とどういう違いがあるんだ」
「何もないな」
クッソくだらない事にげらげらと嗤った後で、PoHがそうだな、と言葉を零す。
「
PoHの口から出て来た言葉に首を傾げ、そして少しだけ驚きつつも、納得する。成程、と息の下で呟いた。
「それほどか」
「あぁ、
「おう、解った。あの小物を殺す方法を俺でも探っておこう」
「頼んだぞ。流石にアレがあのまま攻略を続けたら俺もお前も、無論この世界の神もモリアーティーのクソも楽しめない。アレは邪魔だ」
それは同意できる言葉だった。アルベリヒ、遅れていた攻略ペースを取り戻す事になっているのはありがたい話ではある。だがそれと同時にどこまでも邪魔だ。おそらく、このままアルベリヒは攻略を続けるだろう。そしてそのまま、100層まで突破してしまうだろう。今のところ、GM茅場からの干渉は見えない。となると、GMとしては放置するつもりだと見える。
ゲームを攻略されるのは此方としても別段いい。
今のペースでは体が持つかどうかぎりぎりのペースであったが、アルベリヒチームの押上げでなんとか、2年以内の攻略コースには持って行けそうだ。そう、SAOという世界を後1年は味わっていたいのだ。1日1層ペースで攻略され続けたら、2か月以内にはSAOというゲームが終焉してしまう。
合法的に殺人と快楽をどこまでも貪欲に味わい続けられるこの楽園が失われてしまう。冗談じゃない。このSAOでの時間は、なるべく長く引き伸ばさないとならないのだから。だからいいところでアルベリヒを殺して、攻略を通常ペースに戻す必要があるのだ。
80層ぐらいがそう考えるとベストだろうか? まぁ、それにしてもPoHからは身内の恥を話すだけの価値ある情報が出た。まるで無敵の如く倒せないアルベリヒとその仲間たち。
……流石に、茅場晶彦があんな自己顕示欲の塊だとは思いたくない。おそらくは違うだろう。
まぁ、頭脳労働はモリアーティーの仕事だ。それに今は丁度攻略組がお休みをしているのだ。だとしたら、仕掛けを動かすタイミングはここら辺が一番だろう、と確信できる。
「ふむ……ご執心の雌を取りに行くのか?」
「あぁ。生と死の混在したあの瞳に極上の濁りを与える為に1年間ずっと我慢してきたんだ。熟成に熟成を重ねて、漸く収穫の時が来た、という感じだ。お前が手を出すようなことがあれば、流石にわき目も振らずに本気になるぞ」
「止めてくれ、遊びの範疇を超える戦いをお前とはしたくはないんだ。まるで勝てる気がしないからな」
「抜かせ」
この微妙な緊張感もまた楽しい。普段、女とする会話とは質の違う、男の敵と敵で愉しむ会話。気が抜けず、だけど同時に遊んでいるこのスリルがまた楽しい。あぁ、これがもっと現実でも味わえるのであれば良かったのに。
もっと悪徳を成せる世の中であれば良かったのに。
だけど現実ではそうもいかない。社会に潜伏し、趣味は趣味として切り捨てて生活しなければ法という網に囚われてしまう。そういう意味ではご老公を恨んでいるかもしれない。良くもまぁ、こんな性質に気付かせやがって、と。こんな愉悦を覚えてしまったら忘れられないではないか、と。だけど同時に、気付かなければ人生はもっと灰色に見えただろうとも思える。
あぁ、惜しい。
世の中がもっと混沌としていれば。
世の中がもっと酷ければ。
人が人を殺せるような世の中であれば。
もっと―――愉しくなるのに。
だからあぁ、惜しい。悪の素質なんて気付かなければよかった。だけど悪の素質に気付いても良かった。なぜなら今の生活がストレスもなく、すこぶる絶好調で楽しいからだ。悪という行いに対して躊躇がないからこそ、ここまでSAOを楽しめている。
真剣にならず、そして遊ぶ事に真剣になる。
とことん、ふざけ切っている。
死ぬときはまともな死に方をしないだろうなぁ、と思いながら酒を口へと運んだ。喉を焼くその感覚に下衆な話題を口の中に浮かべ、吐き出しながら下品に笑う。
たまにはそういう日もある。
「あー……結構盛り上がっちまったな」
片手で頭を押さえながら路地裏を出て、主街区の大通りへと出て来た。もう既に天蓋は闇に包まれており、夜という時間帯をアインクラッドは示していた。近くの街灯に背中を預けながらひひひひ、と嗤いながらアルコールの混じった息を口からふぅ、とたっぷり、長く吐き出す。偶にこうやって飲むとついつい飲み過ぎてしまうのが自分の悪いところだなぁ、と思いつつも、美味しい酒が飲めるから仕方がない、仕方がないと言い聞かせる。偶にはこういう贅沢も悪くない。
基本的に贅沢ばかりの生活だが。
「くっくっくっく……ユウキー! 堕とすから覚悟してろよー……」
お前の綺麗な瞳をどこまでも濁らせてやるからなぁ……と呟きつつ、大分酔っぱらっているのを自覚する。仕方がないのだ、仕方が。そう自分に言い訳する様に言い聞かせながら街灯から背を外し、少しだけふらつきながら歩く。PoHも結構飲んでいたくせに、帰りは転移結晶を使ってそそくさと帰ってしまうのだからずるい。
「俺も保険用に何個か転移結晶を持っておくか? でもなぁ、高いんだよアレ……」
モリアーティーにせびれば問題ないだろうが、自分の資産にも余裕はある。とはいえ、趣味に使う為の金だし、無駄に使うのもなぁ、とは思わなくもない。
「あー……だが懐かしいなぁ……ご老公達もあの馬鹿も。自衛隊に入って周りに迷惑かけてないかなぁ、あいつ……一回殺した程度で反省する奴じゃなかったし……」
あぁ、懐かしい。恋しい訳ではない。だが懐かしい。
気づけばもう既に1年も鋼鉄の浮遊城に居るんだな、と気づかされる。予想よりも長く、そして予想よりも短く、複雑に感じる。
それを見上げれば天蓋が見える。100層へと到達しない限り、頭上に存在するのは次の層のプレートだ。外周部へと向かえば空が見えるが、その先は奈落だ。なにも存在せず、無限に落ちるだけだ。
ふぅ、と息を吐き出す。
酒の勢いで少し喋り過ぎただろうか? まぁ、偶にはこんな日も悪くはない。どうせPoHは殺す予定なんだ。彼が消えれば此方の過去を知る人間も消えてくれる。別段、知られたからどうした、という訳ではないが。
ほら、過去って知られない方がミステリアスではないか。
だったら知っている人間は消したほうが面白い。
そういう事で、やはりPoHは今度《ラフィン・コフィン》のアジトまで出向いて殺してやろう、と決める。俺がここまで積極的に殺しに行こうとする奴なんてあの馬鹿以来なのだから、感謝してほしいぐらいだ。そう思いながらふらつく頭を片手で抑え、体を巡るアルコールの感覚を楽しむ。
あぁ、今度はどうしようか、と考えながら転移門へと向かう。とりあえず、良い酒を飲んで今夜は気持ちがいい。アルベリヒの事は調査するとして、今夜はとにかく何もしたくない気分だった。とりあえずそのままベッドにダイブして寝るか。
そんな事を考えながら転移門を今の宿がある階層へと向けて移動を読み込ませた。
「あ゛?」
そんな声が漏れ出た。転移光が溢れ出る筈が、次の瞬間に見えたのは
「チ―――飲まれたか」
飛びのきながら両手足を大地に付けるように着地すれば、既に視界は大きく切り替わっていた。
「どこの誰だかは知らんが、酔いを覚まさせるとは無粋な奴め」
袖の中に仕込んでいたナイフを握りつつ、周りへと視線を向ける。先ほどまで見えたのは鋼の街の様子と、その中にある転移門の姿だった。
だが今、目の前にはそういう物の姿は見えない。逆に見えてくるのはもっと違和感のある物―――このアインクラッドという世界には似合わない物だった。
塵。
塵塵塵、塵。
大量に積み上げられた塵芥、塵、
「……PoHにハメられたか?」
いや、アレはそういう男じゃない。ハメる場合は破滅させる方法を選ぶ。PoHはどうしようもないクズで小心者ではあるが、それでも悪事に美学を持つタイプだ。無節操にやるタイプではなく、計画してからそれを蹴り飛ばす奴だ。だからこそ殺しがいがあるのだが……これを、彼に出来るとは思えない。
「さて、困ったもんだな。転移結晶を素直に用意しておけば良かったもんだ」
こんな事態、流石に想定していない。そう思いながらそのまま数分、迎撃態勢を維持して警戒し続ける―――だが、敵の気配を感じない。いや、遠方へと進めばどこからか徘徊する敵の存在を感じるが、それ以外、自分の周辺にはない。困ったものだ、と思いながら立ち上がりつつ、笑みを隠し切れない。
最近、暇していたのだ。これぐらいのハプニングやサプライズの類、大歓迎である。
そう思いながらインベントリを開き、装備を変更する。私服姿から血が良く栄える白色のコートを装着し、その下は血色のシャツに黒のネクタイ、ボトムスも白でセットを決めているが流石に靴の代わりにブーツを装着している。防具なんて呼べる装備は一切なく、ドレスコードを整えた、という言葉が寧ろ見た目からは正しいのかもしれない。だが《暗黒剣》というスキルで返り血を管理する以上、派手に血を被っているのが見える方が遥かにやりやすいのだ。
それに、一発も食らわないんだから防具なんぞいらん。
「あーあ、久方ぶりに良い酒だったんだけどなぁ……そこだけが勿体ないもんだ」
左手の指をぐきり、と骨を鳴らして酔いを完全に意識的に抜けきらせた。朝までは酔わせていて欲しかった、と思いながら右手に握ったナイフを逆手に握りなおし、《索敵》から派生したスキル、《探知》でより精密にエネミーの存在を調べようとする。だが表示されるマップレーダーはエラー表記に変化しており、とてもだが使い物になる状況ではなかった。
どうやら、システム的に外れている場所らしい。これ、戻る道があるのか? と考えた所で再び、視界がモノクロに染まった。灰色の砂嵐が僅かにノイズを生み出す中で、どんな存在が出てこようと即殺出来る様に迎撃態勢に入った状態、左手を鉤爪にする様に構え、ナイフを右手で握ったまま動きを停止すれば、
背後から気配を感じた。
飛び退きながら振り返り、袖の中に仕込んである他の暗器も抜ける状態で振り返れば、
空から落ちてくる姿が見えた。
「―――わ、わわわわ!?」
気の抜ける声と共に空から堕ちてくる、黒い少女の姿が見えた。受け身を取れなかったようで、顔面から空から落ちて来た少女は長い黒髪をしており、インナー型にスリットの入ったスカート、僅かな金属製の防具を装着しており、赤いカチューシャが特徴的な少女だった。その姿見て、顔面着地をした姿を見て、無言でポケットから煙草を取り出し、口に咥えた。
これ、仕掛けた奴がいるとしたら相当楽しんでいるだろう、今。
「あいたたた……なんなんだよ一体、もぉ……」
煙草に火を付けた所でゆっくりと起き上がった少女が―――ユウキが、此方へと視線を向けて口を大きく開けた。その姿に答える様に少しだけ困った表情を浮かべつつ、片手を持ち上げる。
「よぅ、ハニー。久しぶり」
「あ―――!!」
響いてくるユウキの大声に耳がキンキンしつつも、これは予想外に面倒な事になったな、と、完全に酒の余韻が消し飛びながら思った。
敵だけどそれはそれとして、中身が二人とも正真正銘の腐ってる魂の持ち主なので、主義主張、趣味を抜きにして話し合うと結構花が咲くというアレ。まぁ、最終的にクズだからね。好き勝手やっている人間として話が通じるってのが一番。
それはそれとして、アルベリヒ登場に従い解禁されるホロウエリア。管理者がまだ存在しているのになんでしょうねぇ……不思議ですねぇ……なんでユウキチャンまでいるんでしょうかねぇー……ふしぎだなぁー。
次回、レベル90エリアでデート。