―4- ナイチンゲール・プレッジ
「フローラ、僕と一緒に来てくれないか」
それは不思議な光景だった。思い出すのは第4特異点ロンドン。しかし、あの時と違って今目の前に広がる風景は、霧などに覆われていないはっきりとした視界を保っている。
煉瓦造り駅舎の中に大勢の人がごった返している。見送りに来ている人の顔も、送られる人の顔もどこか暗い。いや、その理由はわかっている。
―――クリミア戦争
1953年に始まったその戦争は、多くのイギリス国民に出血と犠牲を求めていた。
「何も君がそちらに行くことはない。君はすでに多くの人のために尽くしているんだ。わざわざ戦場にいって危険に会う必要がどこにある」
目の前の誠実そうな青年は、まっすぐとこちらを見て、静かな声でそういった。深い藍色のタキシードにカイゼルひげ、深い掘りの男は一目で身分の高い紳士であることがわかる。そして、その声を聴くたびに、わたしの心は高鳴っていた。はたして、これは愛ゆえだろうか、それとも寂しさからか不安からか。
「向こうで負傷した半分の兵士が死んでいるという。もしものことがあれば、僕は君を向こうに征くことを許した僕自身が許せない」
「ええ、わかっています。リチャード。確かに私のやろうとしていることは今のこの社会からしたら、賞賛からは遠く、そして、侮蔑される行為なのでしょうね。
それでも、それでもです。私の行為に賛同してくれる女性は幾百と集ってくれたのです。そして、その幾百を切り捨て、たった39人の同志を見てることができたのです。私には責務があります。
私に、私の愚行と呼ばれたこの行為に付き合ってくれる彼女たちの献身を、愚行と呼ばせない、賞賛にする責任が。そして、遠く、かの地で苦しんでいる方たちを助ける責任が。私は命を救うためならなんでもします。たとえそれが人から唾を吐きかけられる行為であっても、糞尿を攫う行為でも、その人の命を奪う行為であってもです」
わたしの言葉の後半には、おそらくこの時代の紳士淑女は使わない言葉があったのだろう。目の前の紳士はわたしの言葉をききながら少し顔をゆがめ、聞き終わった後で少し悲しそうな顔をした。いや、その瞳には深い悲しみを湛えていたことをわたしは見抜いていた。それを見たわたしは、わたし自身の胸が張り裂けそうに感じた。どころか、胸を切り裂いて、あなたへの愛で激しく脈打つ心臓を見てほしいとすら思った。
「あぁ、フローラ。君は救いを求める人を想像すると、救わずにはいられないんだね。君は昔からそうだった。お姉さんのために看護師となり、病める市民のために婦長となった。そして、今は顔もしらない兵士たちのために海を渡ろうとしている。
君は、まるで僕に興味がないみたいだ」
その言葉をきいた私がどんなに悲しかったか。それは恋人に疑われていることではない。本当にわたしがそういう人間になり果ててしまったのではないかという、自己嫌悪だ。そんなわたしの内面も察しようもなく、彼はつづけた。
「僕が君に求婚して、断られてもう4年もたつ。僕も君ももう若いと言っていられる歳ではない。
もし、もしもだ。
君が一言、言ってくれれば僕は君を諦められる」
そう言った男の声は微かに震え、湿っていた。
「君が、君の仕事の邪魔になるなら僕に別れを言ってほしい。
僕は、僕自身から君を遠ざけることはできない。
僕は君を愛している。・・・君と一緒に歩み、君との間に子供をつくり、健やかな家庭をもちたい。
―――フローラ」
それは救いを求める声だった。もし、わたしが彼を突き放したとして、彼は立ち直れるだろうか。
いや、彼は強い男性だ。私が看護師をしようといったときも、最終的には応援してくれた。下男・下女がやる卑しい仕事だと言われていたにも関わらず、そのような仕事につきたいという変わった女を恋人として支え続けてきた、すてきな、人だ。
彼はきっと立ち直れるだろう。この傷は彼に長い休養を必要とさせるかもしれない。しかし、この傷が彼を殺すことはないだろう。
わたしは、今助けを求めている人を、命を願う人々を助けに行かなければならない。
「リチャード。勘違いしてはいけません。
私は、私もあなたを愛しています。しかし、私には役目があるのです。命を繋ぐために苦しんでいる人々を助けるという仕事を果たさなければならないのです。
私は、恋愛や結婚といったものを30歳になったときに卒業しなければならなかった。もう、私の体、魂は私のためだけのものでなく、私を必要とする人々にささげられているのです。
だから、私はあなたと行けません。
ですが、忘れないでください。私とあなたがともに過ごした時間は決して嘘や偽りはなかった。そして、私があなたに感じた愛は決して変わらないと」
この言葉をいったとき、わたしのほほに温かいものが流れていた。不思議と、それがほほから流れ落ちるとともに、わたしの心臓はゆっくりとした鼓動に戻っていった。
リチャードもしずかに涙を流した。しかし、その目には悲しみや絶望はなく、強い意志が宿っていた。
「そうか、フローラ。
君はもう征くしかないんだね。ならば、君は君自身を為すべきことを為してくれ」
「・・・ありがとう、リチャード」
リチャードは静かに右手を差し出した。しかし、ナイチンゲールはその手を困ったかのように見て、
「ごめんなさい、リチャード。私にとって、握手は退院する患者との別れの儀式です。左手でも、右手でも。
私は、あなたと同じ人生を歩めずとも、別れをする気はないのですから、握手は・・・」
その言葉聞いて、リチャードは破顔した。
「はははははは、僕としたことが、君の慣習を忘れてしまうとは!
これは淑女を扱う紳士にあるまじき失態だ。
許してくれ、フローラ。そして、いってこい!」
そういうとリチャードはわたしの腕をとり、思い切り抱きしめた。
「リチャード・・・、痛い」
「ああ、すまない」
その抱擁はリチャードの一生分の気持ちが籠っていたのだろう。痛かったが一方で暖かくもあった。リチャードは手を緩め、私を解放しようとして、もう一度だけ抱擁をした。今度は、とても優しく、やわらかい抱擁、だった。
そして、わたしは列車に乗った。リチャードは遠ざかり始めたわたしの乗った窓に向けて叫んだ。
「無事に帰ってこい!フローラ!!」
そう言って、リチャードはわたしを送り出した。
リチャードは微笑んでいた。私もリチャードに向けて微笑んだ。その姿が見えなくなるまで。
―――そして、白衣の天使、ナイチンゲールは生まれた。
藤丸が白い天井と輝く電灯を見た。染み一つないそれらは、この部屋を管理するものの気質を表しているのだろう。
「今の、夢は」
藤丸は自分が涙を流していることにしばらく気が付かなかった。
「今のは、ナイチンゲールの過去?」
サーヴァントとマスターは過去を共有し、夢として見る。確かに今まで、さまざまなサーヴァントの夢を見てきたが、過去をそのまま見たのは初めてだった。
(まあ、今まで夢の中でもエネミーやサーヴァントと戦っていたから、かなり新鮮だったなぁ)
そんなことを考えていると、
「お目覚めですか、マスター。
涙は目の保湿にはなりますが、流れたものを放っておくと、かぶれますよ」
気が付くと、ナイチンゲールが横に座っていた。そして、藤丸の顔を清潔なハンカチでふき取った。
いつもと変わらぬ態度、消毒の匂いのする医務室、綺麗に整ったナイチンゲールの恰好を見て、さきほどの激しい情事は全て夢だったのではと感じさせる。
(まあ、ナイチンゲールが精液をそのまま放置するとも思えないけど)
それにしても、情事のあとを感じさせるのは自身の全身の倦怠感くらいであり、本当にあの出来事は現実だったのだろうか。
「マスター、激しい運動行為のあとです。栄養補給をお勧めしますよ」
と、ナイチンゲールがクッキーと緑茶を差し出しだ。
「あ、ああ、ありがとう」
藤丸は半ば放心状態でクッキーを口に放り込んだ。
(あ、この緑茶は)
口にした緑茶は、ドクターロマンと初めて出会ったときに彼に振舞ってもらったものだ。
(まだ、ストックがあったんだ)
そんな感慨にふけりながら、お茶をすすっていると、
「そのクッキーには卵と小麦粉がたっぷり使われています。三大栄養素の炭水化物とタンパク質が多く含まれているので、疲労回復には効果が見込まれます。特にタンパク質は亜鉛の含まれている緑茶と併せて、精液の構成物質ですので、性行為後の損失の回復によろしいでしょう」
「ぶふぁっ!」
あまりにもあけすけなナイチンゲールのものいいに口に含んだお茶の大部分を吐き出してしまった。
(さようなら、ドクターとの思い出)
ナイチンゲールはそんな藤丸のリアクションも意に介さず、汚れた藤丸の顔を拭いた。
そんないつも通りのナイチンゲールを見て、藤丸は少し悲しくなった。
「ナイチンゲールは、さ。やっぱり僕と恋人にはなれないのかな」
おそらく、いや絶対と言っていいだろう。どのような回答が来るかは、藤丸にもわかっていた。
「マスターには、さきほども言ったはずです。恋愛関係など、幻想です。
そして、サーヴァントとマスターにそのような関係はなおさら求めてはいけないと」
その言葉、少なくとも前半は嘘だ、と言いたかった。確かにあの夢の中では、ナイチンゲールとリチャードの間には愛があった。あれは嘘なんかではない。短い間の盗み見だが、藤丸はそれだけを確信していた。
それに後半部分だって、花の魔術師が言うには、サーヴァントとマスターが恋人となった例はないことはないという。
しかし、どうして、それを言えるだろう。おそらくあれはナイチンゲールがナイチンゲールとなる前の最後の記憶であろう。あれを経て、ナイチンゲールはクリミアの天使となる偉業を成し遂げた。あのシーンについて言及することはナイチンゲールの弱点を後ろから突き刺すに等しい。
そして、あのシーンを経たからこそ、ナイチンゲールは自分の男女の愛を否定するのだろう。そうなれば、もはや自分に取りつく島もないのだ。
「・・・ごめん。ナイチンゲール
君には、その、色々と迷惑なことをしてしまった。
もう、こんなことは言わない」
藤丸は静かに涙を流していた。不思議と声は震えず、はっきりと最後まで言い切ることができた。もはや、この医務室にはいる意味はない。
出ていこうとする藤丸をナイチンゲールが引き留めた。
「まちなさい。ミスター・藤丸」
藤丸を見るナイチンゲールの目はどこか優しく、懐かしそうなまなざしを向けていた。
「あなたは、まだ苦しんでいます。
私は生前、私のために病に苦しみ、その病で命を失くした者を知っています。
あなたの病は死に至るかもしれない病です。であれば、私はあなたを見捨てるわけにはいかないのです」
(リチャード・・・)
ナイチンゲールの言葉を聞いて、さきほどの夢の紳士を藤丸は連想した。いや、きっとそうなのだろう。彼の病は、疵はナイチンゲールが思った程よりも深く、重く彼をむしばんでいたのだろう。彼がどのような最期を遂げたか、今の藤丸には知る由はないが、それはナイチンゲールの後悔となっているのだろうか。
「わたしは、ミスター藤丸の恋人にはなれません。しかし、わたしは看護師として、あなたという患者を救わなければならない。
・・・ミスター藤丸。わたしの宝具『ナイチンゲール・プレッジ』の由来を知っていますか。あの宝具の由来は看護師が初めて勤めを果たす前に宣誓する誓詞なのです。その誓詞自体は、私が作ったものでないのですが、その最後の一文にはこう、記されています。
『我は我が手に委ねられしものの幸のために力を尽くさん』
わたしはあなたが、あなたという患者が自身の幸福を見つけるまで、あなたのためになんでもします。ですから、あなたがあなたの幸せを見つけたとき、あなたが完治したとき握手をさせてください。ミスター藤丸」
そう言って、ナイチンゲールは春の涼風を思わせるような柔らかさで微笑んだ。それは夢の最後に、リチャードがその瞳に映したものなのであろうか。ナイチンゲールがここまでさわやかに微笑んだのは、これまで藤丸は見たことがなかった。
しかし、その言葉を受けた藤丸は悲しかった。ナイチンゲールは決して藤丸を愛することはないだろう。いや、恋愛感情を抱くことはあっても、ナイチンゲールをなんとしても看護に向かわせるその狂化が恋愛へと意識を向けることを拒否するのだ。ゆえに、ナイチンゲールを愛する藤丸の心の傷は癒えることなどない。そして、癒えない疵を治すためにナイチンゲールはその身を藤丸へとささげるのだ。永劫に。
おそらく、それをナイチンゲールはわかっているはずだ。そのうえでこんなにも美しく微笑んでいるのだ。きっと、藤丸とナイチンゲールは手を取り合うことは、ない。二人の間には未来がない、救いがないのだ。
あまりの望みのなさに藤丸の双眸から、またもや涙が溢れる。それを止める手立てなど藤丸にはない。
それを見たナイチンゲールは優しい声で藤丸を慰めた。
「無理を、しないように。あなたになにかあれば、わたしは、悲しい。あなたを治療、看護する喜びはあなたが傷ついた悲しみに打ち消されてしまう」
その声が、何よりも、藤丸には悲しかった。
医務室には、二人だけが居る。
(完)
これでナイチンゲールのお話は終わりです。
次回は、サモッさんといちゃいちゃする話となります。(上・下編構成(合計1万字前後)&別のカルデアの話)
次回作公開に合わせて、このページについて構成を変更する予定です。
更新は13日から14日の予定。
また、今後執筆する予定の話を以下に記載します。
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【今後執筆予定の話(順不同)】
・アストルフォ×藤丸(女性)
イチャイチャ系
・ジャンヌダルク・オルタ×藤丸(男性)
しんみり系
・酒呑童子×藤丸(男性)×マシュ(+金時)
インモラル(凌辱含む)系
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