今回は、特に濡れ場なしです。
福岡県のとある場所
旅行鞄を肩に掛け、絵里と希はビジネスホテルに入る。東京から来た理由。それは、慎の父親に会う為だ。絵里と希は、チェックインを済ませると、早々にホテルを出る。
「私、初めて来たわ。希は?」
福岡の街並みを眺めながら、絵里は言う。絵里の反応とは反対に、希は特に驚く様子もない。
「うちは、少しの間だけ住んでたから」
そう答えた。両親の仕事の都合で、住む場所を転々としていた希。希の言葉は、暗くも明るくもなく、淡々としていた。そんな希を絵里は黙って見つめる。
「ここやね」
「ええ」
とあるビルの前で立ち止まる二人。絵里と希はそのビルを見上げた。一枚のメモを懐から取り出し、絵里はもう一度見上げる。そして、数回深呼吸をした。
「……絵里ち、行くよ。心の準備はええ?」
希の問いに、絵里は無言で頷く。二人はもう一度頷き合い、ビルの中へ入っていった。
東京、桂木プロダクションの事務所
その頃の慎と聖は、不貞腐れていた。理由は簡単だ。絵里と希が旅行でいないから。勿論、旅行先は知らない。にこ夫婦は知っている様だが、慎達に教えてくれず、何度問い詰めても口を割らない。二人は溜め息をつく。
「慎、あの継母から接触はあった?」
「……いや、今のところはない。でも」
暗い表情の慎。不安を誤魔化す様に手元にあった紙を細かく千切る。
「必ずまた来る。あの女は」
「どうするつもりだ?」
「……分かんねぇよ…」
「嫌なら、はっきり言わないと」
「何度も言った!もう付き纏うなって。でも、あの女に通じていないんだ!俺の意思なんて、あの女には関係ないんだ!だから」
(あの日、家を出たんだ。なのに)
「……俺は」
慎は無意識に拳を握り締めていた。聖も小さな溜め息をつく。
「こんな時に希ちゃん達はどこに行ってしまったんだ」
そう言って、二人は不安の溜め息をついた。
絵里達は、ビルの最上階の一室にいた。応接室の椅子に座る二人。白を基調としたその応接室は、一言で言えば『高価な部屋』である。壁に掛けられている絵画、掛け時計、テーブル、絨毯。そして、絵里が座る革製の椅子。その全てがどれも一級品。二人は居心地が悪く、椅子に浅く座る。緊張感で押し潰されそうになりながらも、背筋を伸ばし、慎の父親が来るのを待つ。しばらくして、扉をノックする音がし、部屋に二人の男性が入ってきた。一人は、にこの旦那さんである宗次郎。もう一人は、白髪の男性。見た目は五十代半ば。その二人が絵里達とテーブルを挟んで反対側に立つ。絵里は素早く立ち上がった。
「時田さん、今日はお忙しいところ、面会の時間を作って頂き、ありがとうございます」
絵里と希が深々と頭を下げる。
「うむ、話は宗次郎から聞いています。どちらが絢瀬絵里さんですか?」
「……私です」
慎の父親の問いに、絵里は答えた。慎の父親が絵里を見つめる。その眼差しは優しかった。
「うちの息子が世話になっているそうで。一緒に住んでいるとか」
「……すみません。本当ならちゃんと」
「絢瀬さん、そう畏まらずに。どのみち親子になるのですから」
「っえ?」
「とりあえず、座りましょう」
そう言って、絵里達を促す。絵里達は会釈して座る。宗次郎も無言で座った。
「先程も言いましたが、宗次郎から全て聞いています。慎が絢瀬さんに夢中だという事も、後妻の事も」
その言葉に絵里達が顔を見合わせる。
「絢瀬さん、本来なら私がもっと慎の事を考えるべきなのですが、私が動けばアイツが慎をさらに傷付ける。だから、慎の事は絢瀬さんにお任せしたい。勿論、私も出来る限りの事は協力します。」
「……時田さん、息子さんと奥様(継母)とどちらの味方なのですか?それによっては、私は時田さんの事、お義父さんとは呼べません。それに、彼を今後ここにお連れする事もしません。」
苛立ちと悲しみが交差した思いが、絵里をそう言わせる。希が絵里の肩を掴む。
「絵里ち、落ち着いて」
なだめる希。絵里は強張らせていた表情を少し緩める。
「……絢瀬さん、誤解させてしまって申し訳ない。私は、アイツの味方ではありません。私はアイツの本性を知っている。気付きませんか?私がアイツと言っている時点で、愛情はないんですよ。」
その言葉に絵里の表情が変化した。
「私も慎の事を大事に思っています。亡き妻は、私にとって最愛の妻でした。なのに、私は過ちを犯した。たった一度の過ちで、私は全てを無くしたんです。そして、それに気付いた時にはすでに遅かった。妻は死に、息子はアイツに心も身体も滅茶苦茶に壊され、家を出た」
慎の父親の表情が苦悩に歪む。
「……私は慎までも失いたくはなかった。だから、宗次郎とにこさんに協力してもらい、慎を捜した。見つかった時は、嬉しかったよ。まだ今からでも取り戻せるとも思った。でも、その時脳裏に浮かんだのはアイツの事だ。」
慎の父親は絵里を真っ直ぐに見つめる。
「アイツが慎の居場所を知ってしまった以上、私も黙って傍観する事はしません。」
ゆっくりと立ち上がる慎の父親。絵里達も立ち上がり、お互い見合わせる。
「絢瀬さん、いや。絵里さん、慎を守って下さい。そして、愛してあげて下さい」
「はい」
そうして、お互いの手を取り合う。同時に、宗次郎のスマホが着信を告げる。宗次郎は出た。
「…………っえ!?本当なのか!?分かった。今すぐ戻る!」
顔を真っ青に染めて、宗次郎が三人を見た。
「……絢瀬さん、慎が……」
宗次郎の口が震えて動く。絵里は続きを聞くことなくその場を飛び出た。
慎は絵里のマンションにいた。部屋の中には、誰もいない。慎は絵里と一緒に眠るベッドに座ると、布団の中に潜り込む。絵里の残り香が慎の鼻腔を擽る。そして、そのまま眠りについた。
次に目を覚ますと、陽の光りはなく、部屋の中は真っ暗だった。慎は身体を起こし、部屋の灯りを点けようと寝室を出る。玄関から物音が聞こえ、慎は玄関に向かう。
(もしかして、絵里が帰って来た?)
慎がそう思っている間に、玄関の鍵が解錠され、扉がゆっくりと開く。そして、訪問者が中に入り、玄関で慎とお見合いした。慎は一瞬、見間違える。目の前の人物に。その人物は絵里に似ていた。でも、明らかに違う。それは。
「もしかして、空き巣さんですか?」
柔らかくゆっくりな話し方。慎は呆然としている。絵里に似ている女性がスマホを取り出し、どこかに電話。
「……もしもし、雪穂。お姉ちゃんの家に空き巣さんがいたの。……うん、分かった。」
その女性は電話を切ると、そそくさと外に出ていく。そして、数分後。慎は誤解されたまま警察に連れていかれたのだった。
次回は、ちょっとコメディがあるかも……。うん、多分。
絵里の行動がどうなることやら。