海未と桂木プロダクションに行く約束をしてから、次の日の朝。いつもの様に、実家から出勤する真姫。愛車に乗り込むと、いずれ父親から譲り受ける病院へ。関係者用入り口から入ると、廊下で数人の看護師とすれ違いに挨拶を交わす。看護師のほとんどは、真姫がスクールアイドルをしていた事を知っている。羨望の眼差しを向けながら真姫に挨拶を返していた。
(……いつになったら普通に接してくれるのかしら)
小さな溜め息を一つ。まだ研修医である真姫。女性用更衣室に入ると、自分のロッカーから白衣を取り出し、素早く羽織る。担当の階である3階のナースステーションに向かう。ナースステーションには、看護師と医師含め十数名いた。そこに真姫が加わり、朝のカンファレンスが始まる。真姫の忙しい1日が始まった。先輩医師の 後に付いていき、巡回往診。それが一段落すると入院患者の話相手になったり、今後の入院患者の状況を確認。次の手術の打ち合わせや医学会に提出するレポートを書いたりと忙しい。休憩時間が少し出来、真姫は外の空気を吸いに外へ。病院の敷地には、小さな公園があり、そこにベンチがある。丁度、木陰になっていて、真姫はゆっくりと腰を下ろす。真姫の前をリハビリの為、看護師と共に歩く患者。入院患者を見舞いに来た人達が行き交う。木々を揺らす風の音が、真姫の心を癒す。目蓋を閉じる真姫。誰かが、真姫の前に立つ。真姫はゆっくりと目蓋を開けた。そこにいたのは小林絆。目を見開く真姫に対して、穏やかな笑みを称え絆は真姫を見ていた。
「へぇ~、君。お医者なんだ」
「……貴方、どうしてここにいるの?」
警戒心剥き出しに真姫は言う。それは、昨日の絆の一瞬の表情のせいだ。真姫が、にこの友人と言った時の一瞬、嘲笑う様な表情を見せた絆。真姫はそれに対して警戒心を抱いている。絆の方は、どこ吹く風で笑みを絶やさない。真姫の許可も取らず、横に座った。すぐに間を取る真姫。それでも、絆の表情は笑顔のまま。
「そんなに警戒しないでよ。傷付くなぁ」
「……警戒するに決まっているわよ。貴方、何考えているの?」
真姫の問いに、絆は小さく溜め息をつき、真姫に詰め寄る。
「君、可愛いね。……汚してやりたいくらいに」
絆は嘲笑う。真姫の背筋がゾクリとした。反射的に立ち上がり、絆との間合いを取る。一方、絆の表情は穏やかな笑みに戻っていた。
「ここに、知り合いが入院しているんだ」
「…っえ?」
何の脈絡もなく絆が言う。その表情は少し寂しげ。一瞬、真姫の表情が揺らいだ。
「もう、何年も眠ったまま」
それだけ言うと、絆は立ち上がり、去っていった。その後ろ姿を真姫は複雑な表情で見送る。真姫の耳には、看護師と患者の話し声や笑い声は聞こえてこない。ただ、自分の心臓の音だけが、聞こえてくるだけだった。
その日の夜
仕事を終え、真姫は素早く車に乗り込む。向かう場所は、勿論、桂木プロダクション。真姫の脳裏には、絆の言葉が反芻している。
『もう、何年も眠ったまま』
確かに、真姫の病院には若干名、植物状態の患者がいる。その殆んどは、病気によるもの。ただ一人を除いて。その患者は、ある事件に巻き込まれて、意識不明なった。歳は絆と同じくらい。
(…あの患者さんの関係者なの?)
車のエンジンを掛けながら、真姫は考えた。意識を別に向けていた為、助手席のドアが開いた事に気付かない。車が微かに揺れる。真姫の視線が助手席へ。にこやかな表情の絆が座っていた。一瞬、何が起こったのか。真姫の思考が停止した。次の瞬間には、運転席の扉に背をぶつけ、間合いを取る。
「事務所に行くんでしょ?乗せてって?」
「…………」
「ん?どうしたぁ?起きてるかぁ?」
楽しそうに、真姫の顔の前で手を振る絆。そこで真姫の思考が戻ってくる。
「……な!?何、勝手に乗ってるのよ!」
「っえ、事務所に行くんだよね?ついでに乗せてってよ」
「嫌よ!どうして、私が送らないといけないのよ!意味わかんない!!」
「ええ~、良いじゃん。目的地は同じなんだから。ケチだなぁ」
真っ赤な表情で声を上げる真姫に対して、実に楽しそうな絆。しばらく無言で見つめ合う。真姫は苦虫を噛み潰したような表情でいたが、溜め息と共に諦めの表情に変わる。
「……分かったわよ。送れば良いんでしょ!」
その言葉に絆は小さく頷き。
「ありがとう」
軽めの言葉。真姫は内心イライラしている。乱暴にギアをDに入れると、車を桂木プロダクションに向けて走り出した。目的地に着くまで、約30分は掛かる。真姫は無言に徹したが、絆がずっと真姫を見ていて落ち着かない。
「…何よ。何か言いたい事でもあるの?」
絆の視線に、真姫はとうとう、口を開く。絆からの返答はない。赤信号で車を停めると、真姫は絆の方に視線を向けた。絆の表情は暗がりで見えにくい。真姫は何か言おうとしたが、信号が青を代わり、車を発進させた。無言の二人。その間も絆は真姫を見つめている。車が桂木プロダクションに到着。真姫はすぐに駐車場に車を停めた。
「…ほら、着いたわよ。降りて」
そう言って、絆に視線を向けると、絆の顔が近くにあった。そして、そのまま唇が触れ合う。頭が真っ白になる真姫。今の状況が分からない。間近にある絆の顔。
(…な、何?何が起きてるの!?)
ゆっくりと絆の唇が離れ、何事も無かったかのように車から降りる絆。真姫はただ呆然とその場にいたのだった。そして、海未と合流。その事を話す。
「何なのよ。本当に…」
溜め息混じりに真姫は言う。海未は何と声を掛けたら良いか悩んでいる。
「……小林さん、掴み所がないですね。一体、何を考えているのでしょうか?」
「多分、何も考えていないわよ。私の反応を面白がっているだけ」
ファーストキスを奪われ、真姫の表情は怒りで染まっている。そんな真姫の様子に、海未は無言で見つめているだけだった。
数日後
怒りを露にしている真姫。目の前には、右頬に手形を付けて真姫を見ている絆。二人は今、真姫の車の中。運転席に真姫、助手席に絆。真姫の運転席は後ろに倒され、絆が真姫に覆い被さるような状態。どうしてこうなったか。それは数分前に遡る。
仕事終わりに、桂木プロダクションに向かうのが、真姫の日課になり始めていた。真姫はいつもの様に車に乗り込み、エンジンを掛ける。そして、当たり前の様に助手席に座る絆。真姫は最初拒否し、なるべく逢わない様にしていた。理由は明白だ。ファーストキスを奪った相手に、警戒心を抱かない筈がない。しかし、絆の方は真姫の行動を把握しているのか、執拗に絡んでくる。
(ストーカーだわ)
真姫の不信感は最高潮だ。それでも、にこの会社に所属するアイドルグループ。真姫は仕方無く絆と桂木プロダクションに通っていた。当然、目的地に着くまで、無言を貫いていた真姫。絆も特に会話する訳でもなく、ずっと真姫を見つめている。そして、駐車場に着き、真姫が車から降りようとした。その時だ。いきなり、絆が真姫の運転席に身を乗り出し、シートを倒す。真姫はシートベルトを外したばかりで、無防備の状態。絆が真姫の唇を、自分の唇で塞ぐ。当然、真姫は抵抗をした。身体を押し退け様と身を捩り、平手打ちする。乾いた音が車の中で響いた。唇が離れ、絆は真姫を見下ろしている。羞恥と怒りで真っ赤に染まっている真姫。身体は震えている。
「……信じられない…」
消え入りそうな声で抗議する真姫。絆を睨み付けた。それでも、絆は真姫を見下ろしている。その表情は無表情。真姫は絆が何を考えているのか分からない。ただ言えるのは、またキスをされたという事だけ。
「……二度と私に近付かないで」
絆を力一杯押し退けると、真姫は逃げる様に車から降りた。その日のから、真姫は桂木プロダクションに行かなくなる。
何を考えているのか分からない絆君で~す!自分にも制御出来ませ~ん。真姫ちゃん、ファイトです…