翌日、三葉は病室で目を覚ました。
「………」
ほんの3分もなかったけれど、四葉の顔は忘れられないほど怖かった。
「………」
今度こそ、あの男にトドメを刺しておいてほしい、もう二度と入れ替わりたくない。
「………」
三葉は祈りながら一日を過ごし、そして眠った。
翌日、三葉は恐る恐る目を開けると、病室の天井が見えた。
「………」
やった、入れ替わってない、アイツは殺されたんだ、と三葉は何年も何年も続いた入れ替わりが終わったことに、ようやく安堵した。
「………」
安堵すると、やはり次に不安になる。
「………」
もう人生に目標がない。動くこともできない。
「………」
話すことはおろか、イエスノーさえ伝えられない。
「………」
胃ろうのおかげでお腹は空かないけれど、食べる楽しみもない。
「………」
オムツに排泄すると気持ち悪いのに、それを看護婦に伝えることもできない。
「………」
話したい、誰かと会話したい、食べたい、美味しい物を食べて、誰かと笑い合いたい、歩きたい、故郷の山を見上げて、どこでもいいから歩きたい、病室以外の空気を吸いたい、これから先、ずっと起きることもできないのかと思うと、ぞっとして涙が溢れた。
一週間後、三葉は目を開けて、また病室の天井が見えると死にたくなった。
「………」
死にたい。
「………」
このまま、何もできないなら、いっそ早く死にたい。
「………」
どうして、自殺なんて、首つりなんて、したんだろう、私はバカだ、そう今さら思う。
「………」
どうせ、首つりするなら、ちゃんと100%死ねるように髪紐じゃなくロープで、それも高いところに結びつけて死ねばよかった、それなら、とっくに終わっていたのに。
「………」
あと何年、このまま生きるのか、それを思うと恐ろしくなる。
「………」
俊樹が見舞いに来てくれても、お礼の一つも言えない。
「………」
いっそ、一日おきに身体が動かせた、あの男と入れ替わっていた時期の方が楽だった。
「………」
あんな男の身体でも、立てて歩けて話せた。
「………」
刑務所の一日と、病室での一日なら、刑務所の方が良かった。
「………」
まだ7日間くらいしか、連続して自分になっていないのに、もうイヤでイヤでたまらない。
「………」
誰かに殺してほしい、そう思っていると、病室に四葉が入ってきた。
「………」
「………」
四葉がベッドの隣りに立つと、見下ろしてくる。
「………」
「………」
四葉は喪服を着ていた。たぶん、五葉と六葉の葬式か、法要が終わったのだと、なんとなくわかった。
「………」
「………」
四葉が喪服の胸から短刀を抜いた。ギラリと光る匕首で、たしか近所の神社に奉納された物だったはず。きちんと刀鍛冶が鍛えた業物だという話だから、よく斬れるはずで、三葉は愛おしく刃物を見上げた。
「………」
やっと、これで死ねる、殺してもらえる、そう思って待っていたのに、四葉は姉の目を見て嗤った。
「もしかして、殺してもらえると勘違いしたの? お姉ちゃん、ケケケ」
「………」
四葉の目が狂気の色合いで揺れている。
「残念でした、死ぬのは私。じゃあ、さようなら」
ズンっ!
四葉が自分の首へ匕首を突き立てた。右手で首の右から左へ中央を貫くように、そして前へ引く。
ブシュゥゥ!
血しぶきが三葉に降りかかってくる。温かい妹の血のシャワーを浴びた。
ドサっ…
あっけなく妹が床に倒れて見えなくなった。
「………」
悲鳴をあげてあげることも、助けを呼んであげることもできない、どのみち致命傷だったので無駄だとわかっても、もどかしくて三葉は泣いた。しばらくして看護婦が来て悲鳴をあげ、すぐに警察が来て、三葉にも事情を訊こうとして無駄だとわかり、また静かな病室に戻った。
四葉が死んでから10年経ったのか、20年経ったのか、よくわからなくなった頃、俊樹が毎日のように見舞いに来てくれるようになった。
「………」
「おはよう、三葉」
「………」
おはよう、と心の中で挨拶した。
「もう夏だな」
「………」
天井しか見えないし、気温は常にエアコンで調整されているので季節感は、まるで無い。どうして毎日、俊樹が見舞いに来てくれるのかは、もう引退してヒマだからだと、わかっていた。
「オレたちは、もう二人きりだな」
「………」
もう家族は二人だけになっていた。俊樹は、色々な思い出話をしてくれた。すでに見上げる俊樹の顔も老けている。年齢は70代か80代か、今は2040年前後だろうと思うけれど、何年でも、どうでもいい。
「そのとき富山県議が政務活動費を誤魔化して買ったサルボボ50体の領収書が見つかってな」
「………」
お父さん、その話、39回目だよ、と三葉は数えていた自分に驚きつつも、心の中で突っ込みを入れ、穏やかに聴いていた。
半年後、俊樹は頻繁に三葉を呼び間違えるようになっていた。
「おはよう、二葉」
「………」
病床に伏せる姿が二葉に重なるのは仕方ないと思うし、もう三葉も母が亡くなった頃と同じくらいの年齢になっている。ずいぶんと痴呆してきた俊樹が妻と娘を間違えるのはやもえないとしても、キスをしたり、乳房を撫でてくるのは、やや複雑な気持ちだった。
「二葉」
「………」
父親にキスをされるのがイヤだという気持ちもあるけれど、何の刺激もない天井を見ているだけの生活の中で、温かい感触は嬉しくもあった。
「お前は、いつまでも変わらないな」
「………」
お父さん、違うよ、娘だよ、お父さんこそ、いつまでも元気だね、と三葉は乳房を揉まれながら男性は何歳まで、こういう欲求があるのだろうと思っていたけれど、オムツを脱がされ、勃起した男根を股間に押しあてられると、さすがに困惑した。
「二葉、愛しているよ。ずっと」
「………」
お父さん、そこまではやめてお願い、おっぱいが限度です、と思っていたのに男根を膣に挿入された。
「ハァ…二葉、…ハァ…」
「………」
三葉が涙を流すと、目尻にキスをしてくれる。その感触は温かくて、イヤなのか、嬉しいのか、わからなくなってくる。どうせ、ぴくりとも動かせない身体なのだから、俊樹に楽しんでもらえるなら、それもいいかもしれないとさえ思っていると、三葉の膣が快感を覚えた。
「ハァ…ハァ…」
「………」
そっか、セックスって、ちゃんと気持ちがいいものだったんだ、と三葉は強姦された記憶しかない人生の中で、それなりの快感を味わって、また涙を流した。
二ヶ月後、三葉は病室で俊樹に男根を挿入されながら、少し心配していた。
「ハァ…ゼィ…ハァ…ゼィ…」
「…………」
お父さん、息が荒いよ、今日はやめておいたら、これでもう39回目だよ、と二日に一回は頑張る俊樹を心配していたし、男根も少し勃起が悪く萎え気味だった。
「すまん、二葉、ちょっと薬を飲むから待っていてくれ」
「………」
その薬を飲むと、おちんちん大きくなるけど、心臓に悪そうだよ、お父さん、と三葉は心配していた。俊樹は通常の3倍も薬を飲むと、いつもの1割り増しで勃起して、三葉の膣に入ってきたけれど、ピストン運動の途中で呻いた。
「ううっ…ぐうぅう…」
「………」
お父さん、しっかりして、お父さん、ナースコールして! 三葉はナースコールを心の中で勧めたし、俊樹も手を伸ばしたけれど、途中でやめた。二人とも下半身裸で誰が見ても何をしていたかわかる。痴呆になっても元町長としての世間体でナースコールへ伸ばした手を引っ込めた。
「ハァ…ううっ! ぐう!」
俊樹は胸を押さえ、苦しんでいる。あきらかに心臓が痛むようだった。
「………」
お父さん、死なないで、お父さんが死んだら、もう私、一人になるのに! と三葉が涙を流している。
「ぐっ…二葉…」
その声を最後に俊樹は静かになり、三葉の腹上で冷たくなっていった。
三ヶ月後、医師が難しい顔をして三葉を見下ろしていた。看護師長が問う。
「やはり、妊娠していますか?」
「ええ、そのようです」
「………」
私って、こんな身体でも妊娠できるんだ、と三葉は意外に感じ、その相手が俊樹だとわかっても、不快感よりほのかな喜びを感じていた。けれど、医師も看護師長も困った顔をしている。
「この方のご家族は?」
「先日、亡くなられた父親が最後の一人でした」
「その父親が……相手、ということで?」
「お亡くなりになった状況から、そうだと思われます。警察の方でも処理に困って、うやむやにされましたが……長年、有料の個室を使っていただいていますし、他の出入りはありませんから」
「……困ったな」
「そうですね。………中絶手術できますか? 先生」
「本人の同意無しだと、あとあと………母体保護という観点から……う~ん……できれば、自然に流産してくれるのが、一番ありがたいんだけど……そういう風にできないかな?」
「空調の温度を下げて、お腹を圧迫して一晩………あわよくば、それで流産する可能性もあるかと思いますが……」
「それなら証拠は残らない?」
「私が当直すれば」
「それで頼むよ。ややっこしいのはイヤだから」
「来週、何かおごってくださいよ」
微笑んで医師の耳にキスをした看護師長は病室の空調を18度まで下げて、それから三葉の腹部に冷たい水の入った氷嚢を置くと、上から圧迫するようにして結束バンドで縛った。
「………」
ヤダ、赤ちゃん死んじゃう! やめて! 外して! どんなに叫びたくても声が出ず、身動き一つできない。じわじわとお腹が冷たくなり、部屋も寒くなってくる。
「………」
死なないで、頑張って、七葉! 名前も決めて呼びかけたけれど、寒さと冷たさで三葉の意識も朦朧となり、翌朝には膣から大きく出血していた。
「ちゃんと流産したみたいね」
オムツを替えに来た看護師長が血の付いた吸収体を見て満足そうに頷くと、三葉の目が動いて、娘の仇を睨んだ。今まで眼球さえ動かせなかったのに、目だけは動くようになってくれていて、憎い相手を睨むことができた。
「っ…目が…動いて……まさか、意識があったり……」
「………」
許さない、七葉を、よくも、殺してやる、呪ってやる、憎悪を込めた視線は相手にも伝わったようで、看護師長は青ざめた顔で出て行くと、医師と共に戻ってきた。そして、三葉に聞こえない程度の声でヒソヒソと話した後、何かの点滴をはじめた。
「………」
点滴されると、三葉の意識はぼんやりとして、あらゆることが、どうでもよく感じるようになっていった。
一年後、ぼんやりと何も考えず、何も感じずに生きることができるようになっていた三葉の視界に看護婦以外の人が入ってきた。
「こんにちは。私はケースワーカー、社会福祉士です」
「………」
何……かな……、もう思考回路が鈍くなっていて、あまり長い単語は記憶できない。
「宮水さん、聞こえているのか、ご理解いただけるのか、不明ですが、一応はお話しておきますね」
「………」
「実は、あなたの財産、正確にはお父さんが残してくださった財産なのですが、これを後見人になっていた弁護士に管理させていたのですが、その弁護士が弁護士会から罷免される事件があり、調べていく過程で、宮水さんの財産についても大部分を横領していたことが判明したのです」
「………」
お父さん……、脳裏に浮かんだのは俊樹の顔だけで、話の内容は頭に残らない。
「当然に、この弁護士は宮水さんの後見人から外され、家庭裁判所から社会福祉協議会への依頼があり、私が指名され、今後の後見人をさせていただきます。と申しましても、すでに残っている財産は39万円と少しです。ここの個室は有料で一日に16200円が要りますから、月末には出て行くことになります」
「………」
「ですが、ご安心ください。私が代理して生活保護を申請していますし、重度心身障害者施設いとゆり園への入所も決まっています」
「………」
「何か、ご質問……が、あっても無理ですよね。以上のような次第になりますので、ご承知ください。私は月に一度は面会に来させてもらいます。では、お大事に」
「………」
今日は賑やかな日だったかな、そんな思考だけが残った。
三年後、三葉は憂鬱な気分で介護を受けていた。
「………」
病院での生活も憂鬱だったけれど、重度心身障害者施設いとゆり園に入ってから、介護の質が格段に落ちている。
「………」
「はい、おまんこ拭きますね」
とくに夜勤のスタッフは士気が低い上にセクハラが多い。
「………」
入所者の中で、見た目がキレイな三葉はセクハラのターゲットになったし、そのおかげでオムツは頻繁に替えてもらえるものの、ほぼ必ずセクハラされる。
「………」
「それにしても、お前らって生きてる意味あるのか」
「………」
この人たち…、よっぽど…、自分の仕事が嫌いなのかな……、と三葉はセクハラするくせに、早ければ三日、もっても六ヶ月くらいで辞めていくことが多い男性スタッフを冷めた目で見ていた。
「………」
「ずっと寝たきりでよ。ただの肉人形だな」
とくに一年前に介護保険財政がデフォルトしてから、介護福祉士の国家資格をもたない三日間だけの研修を受けた准ヘルパーと呼ばれる失業者向けの雇用対策資格が設立されてから、ひどい状態になっていた。
「………」
「お前らを一ヶ月、生かしておくのに、どれだけ費用が要ると思う? 平均39万だぞ、お前なんか46万も要るってよ。オレの失業保険は12万だってのによ」
準ヘルパーとして働くことで非正規雇用者だった失業者にも雇用保険財政から給付金がおり、また生活保護の受給中でも慰労金が加算されるために仕方なく働いている者が多かった。
「………」
「お前のウンコ拭いて夜勤しても、たった3万だぞ」
そう言って男性スタッフが男根を三葉の膣に挿入してきた。
「………」
「どうだ、気持ちいいか? それも感じないか?」
「………」
もう膣を男根が出入りしていても、直腸を大便が通り過ぎていくのと同じ程度にしか感じない。この男のことも、自分のことも、どうでもよかった。
「………」
「お前らに生きてる価値なんて無いんだ」
「………」
そう思うよ…、あなたも…、あまり…価値がなさそうだけど…、と三葉は久しぶりに脳の言語野を使って反論を思いついたけれど、伝えたいという気持ちはない。男性スタッフがピストン運動を激しくしながら三葉にキスしてきた。
「ハァ…ハァ…オレのこと覚えてるかよ。宮水」
「………」
覚えていないし思い出す気もなかったけれど、語ってくれる。
「オレだよ、オレ。お前のオナニー、撮影してやったろ?」
「………」
どうでもいいと思っているのに、三葉はクラスメートの隣席の男子を思い出した。
「………」
「お前、頭おかしい女だったよな。教室でオナニー始めてさ。ハァ…ハァ…ううっ」
膣内に射精された。
「………」
「お前のせいで、オレは受験に失敗したんだぞ。お前のオナニー姿がセンター試験のときまで頭から離れなくてよ。この痴女が」
「………」
そっか……ずっと私を忘れないで……そんな人もいるの……でも、受験に失敗したのは自分のせいだと思うよ……それで、今の仕事を……みじめな人生だね……彼女もいないから私にセクハラして楽しんで………ウンチ拭いた女のマンコに入れて楽しい? 三葉と男の目が合った。
「………」
「………」
「………」
「……お前、意識あるのか? オレのことバカにしてるだろ」
「………」
「くっ…」
男が三葉を殴りつけようと拳を振り上げたときだった。
「何してるの!!」
「ちっ……」
女性スタッフに怒鳴られても男は反省した風もなくズボンのチャックをあげた。
「別に、何もしてないっすよ」
「今後、あなたには男性入所者だけを担当してもらいます」
「ちっ……じゃ、辞める。やってられるか、こんな仕事! あばよ!」
制服もなくエプロンだけが仕事着だったので、そのエプロンを投げ捨てると、男は出て行った。女性スタッフがタメ息をつく。
「はぁぁぁ……辞めて仕事があればいいけど、どうせ、介護職くらいしか無理よ」
「………」
「しゃべれない入所者が相手でよかった」
女性スタッフは手袋をすると、三葉の膣にタオルを突っ込んで精液を拭き取ってくる。男根を挿入されるより、ずっと痛くて苦しかった。ただの証拠隠滅で愛情の無さ、士気の低さは男性スタッフと変わりない。手早くオムツを着けて出て行った。
「………」
乱暴に拭かれて痛む膣が静まってくると、三葉は何も考えないようにして眠った。
二週間くらいした夜中だった。三葉が目を開けると、人影があった。
「………」
「ハァ…ハァ…」
息を荒げた男がベッドサイドに立っている。血の臭いがした。
「………」
「お前らに生きてる価値なんてない。ハァ」
月明かりで男が血まみれなことがわかった。何人も刺して回ったような様子で出刃包丁を持っている。
「お前らは、ただのお荷物なんだ。ハァ」
「………」
就職活動……うまくいかなかったのかな……、そう冷静に思っている三葉の胸に出刃包丁が突き立てられた。
ザクっ…
肋骨の隙間を通り抜けて肺、心臓まで刺された気がする。
「………」
「お前は確実に、ハァ…」
ザクっ…
今度は首を刺された。
「………」
これで死ねる…、ありがとう…、三葉は、あと20年か、30年は続くと思っていた地獄が唐突に終わったので元クラスメートに感謝しながら死んだ。
四葉が目を開けると、ぐっしょりと涙で濡れた枕に顔をつけていた。
「…ぐすっ…」
鼻を啜って起き上がると、避難所になっている糸守高校の体育館だった。あいかわらず寝心地の悪いダンボール製のベッドに寝ていたし、隣には三葉もいる。
「……夢……、……予知夢の方だった……よかった」
小学4年生の四葉は下腹部を撫でながら囁く。
「よかったね、五葉、六葉。夢の方で本当によかった」
夢の中で愛情をかけて育てていた我が子を強姦のすえに殺された母親だった四葉は左右の卵巣に語りかけつつ、涙を拭いた。
「それにしても、こいつは…」
立ち上がった四葉は姉を見る。まだ三葉は寝ている。
「……ぅぅ……」
姉は魘されていた。明らかに悪夢を見ている様子だったけれど、まだ起こさないでおく。
「まさかとは思ったけど……」
勝手に姉のスマフォを枕元から取り上げると、メッセージのやり取りをチェックし、それから三葉のカバンを探った。
「……あった。……一応、間に合った」
カバンからは封筒が出てきた。これから送るために住所も書いてある。宛先人は伊頭臭作と書かれていて封筒の中は小さな瓶が入っている様子だった。
「バチ当たりなことするから。私まで巻き込んで。こいつ、だいたいを忘れるところが、またムカつく」
「……ぅぅ……」
魘されている三葉は制服のまま眠っている。だらしなくスマフォをいじっているうちに寝落ちした様子で毛布もかけていないのでスカートがまくれてショーツが見えている。
「おねしょまでして」
そのショーツが悪夢のために失禁したのか小便で濡れている。小便はスカートと敷き布団にしている薄い毛布を透過してダンボール製のベッドにまで染みこんでいた。
「あ、まだ出るんだ……みっともない」
「……ぅ~…」
三葉が魘され、おしっこがショーツから溢れてくる。
しょぁぁ…
一晩のうちに3回は失禁したようで、はじめの1回は薄い尿が盛大に拡がり、二度目は少し濃い尿を漏らしたようで一回り小さいけれど、やや濃いシミができている。そして今は手のひらほどの範囲に、かなり濃いシミをつくっていた。
「汚いなぁ」
一部の男子なら聖水といって喜ぶかもしれないけれど、同性で姉妹である四葉にとっては汚物でしかない。
「………ぅぅ……」
三葉は苦しそうに悲しそうに涙も流している。かなりの地獄を見ているようで、そろそろ登校時間ということもあり、四葉は姉を起こしてやることにした。
「はい、トドメ」
ドンと三葉の胸を叩いた。
「ぅ……」
「やっぱり首つりだったし、首の方がいい? 私も首にしたし」
さらに三葉の首を軽く突いた。
「ぅっ……あ…」
三葉が目を開けた。
「あ……ここ……体育館…?」
「そうだよ。糸守高校の体育館。隕石落下から二ヶ月の」
「よ…四葉も無事で…」
ぽろぽろと三葉が涙を零して抱きついてこようとするけれど、おしっこを着けられるとイヤなので四葉は避ける。
「お姉ちゃん、一つ覚えておいて」
「ぐすっ…私の手足……ちゃんと動く……私、まだバージンだよね……?」
「……小学生の妹に、そういうこと訊かない。バージンだよ。ほら、鼻水、拭いて」
「ぅうっ…ぐすすっ…私…………あれ? なんで、私、泣いてるの?」
「くっ……また忘れていく……そうやって軽い脳だから……いつもいつも…」
四葉が手を握ってプルプルと怒りに震えた。三葉は鼻をかんで涙を拭いてキョトンとしている。
「なにか、イヤな夢だったような」
「聴け!!」
バシンと四葉は三葉の両頬を両手で固定して目を見て告げる。
「二度と私たちの唾液とか、口噛み酒を売ろうと思うな! これだけは忘れるな!」
「……う……うん……なにか、それすると悪い予感がするかも……」
「じゃあ、これは、きちんと処理しておいてよ」
四葉が封筒を見せると、三葉が焦る。
「っ、そ、それ! 私のカバン開けたの?! ひどい! いくら妹でも勝手に!」
「……ひどい。ひどいねぇ?」
「許せない!」
「……許せないか、そうか」
四葉は込み上げてくる怒りをそのままに深呼吸して、大きく息を吸い込み体育館全体に響き渡るような声をあげる。
「あーっ!!! 三葉お姉ちゃん!!! おねしょしてるぅ!!! もう高校生なのにィ!!!」
「ぇ………」
言われて三葉は下半身が冷たいことに今さら気づいた。視線を落とすと、みっともなくシミが拡がっている。どう言い訳しようとも、おねしょでしかなかった。
「……ぅ……ぅぅ……ひどい……そんな大声で…」
これが自宅なら妹さえ口封じすればよかったけれど、多数の町民が避難している体育館なので、もう隠しようがない。真っ赤になった三葉は心の中で誓った。
「……ぅぅ……四葉の………バカぁぁ……」
卒業したら東京へ行こう、就職も東京でしよう、復興が大変な町も神社も、高齢の祖母も、全部妹に押しつけてでも東京へ行こう、こんな恥をかいた町には、もう住みたくない、と。
完
注意
作中で流産について表現されていますが、同様の方法で妊娠中絶を試みることは、きわめて不確実かつ危険があります。また、作中に登場する施設名等は実在のものと何ら関係がありません。ただの思いつきです。