「がはっ、げほっ、ごほっ」
体中が痛くてまるで動かない。喉の奥に何かが詰まっているようで気持ちが悪い。咳き込みながら血反吐を吐き出すと、直後に柔らかい感触を感じながら抱きしめられていた。柔らかさにちょっとドキドキしながらも、死亡という経験は非常に恐ろしく、苦しい。気持ち悪いのでも怖いのでもない。苦しいのだ。何も感じない。何も考えられない。存在しない。その状態がひたすら、苦しい。苦しいという事さえも理解できないほどに死んでいたのだ。
抱きしめてくれるアンの温かさが心地よかった。やはり、生きているというのはそれだけで素晴らしい事だった。こうやって死を経験すると、より強く、死にたくないと思えてしまう。こんなにも死が安らかで、そして心地よいとは―――気持ち悪い。死という現象を心地よく感じてしまう事が。それが恐ろしく、抱き着くアンの姿に手を回し、此方からも抱きしめ返していた。
人肌の暖かさが、生きている事を感じさせる。それが凄く、心を落ち着かせる。ふぅ、と何とかそうやって人心地つけていると、
「うぉっほん、こほんこほん……」
と、アンの後方で此方を見ない様に背中を向けてくれている鳴海の姿が見えた。ワザとらしく咳をしながら帽子で軽く視界を塞ぎつつ、此方をチラ見しているのが見える。たぶん、自分とアンに配慮してくれているのだろう。この人、やっぱりいい人だよなぁ……とそのリアクションを見ながら思う。アンを引きはがして立ち上がろうとするが、アンが解放してくれないので道路に座り込んだまま、
「心配かけたようで」
「いや、まぁ、うん。心配はしたけどなんか俺以上にそこの子の方が物凄かったからな。正直驚いている間に色々吹っ飛んじゃったよ」
「ん」
アンがぎゅっと此方を掴んで放してくれない。死ぬ事自体この業界では珍しくはない筈だ。
「しかし、良く生き返れたな。いや、生き返った事実も驚きなんだけどバラバラだったろ?」
鳴海の真っ当な疑問に、イケメンモードのナラシンハが壁を透過して出現し、鳴海がちょっと驚く。
「ま、そこは僕のおかげかな! 僕の第三の権能、ヴァラーハは《再誕》の権能さ! 原子分解した所で蘇生するんじゃなくて
ヴァラーハの権能《再誕》、それはナラシンハの前の姿の権能であり、全く使う事のなかった権能だ。全滅した時の保険、サマリカームでも蘇生できなくなった場合の保険、或いはナラシンハが連続で殺された場合、即座に戦闘復帰する為の保険。ナラシンハがその権能を使ってくれたのだ―――というより、自動発動する様に、権能の権限を割譲して此方に渡しておいてくれたのだ。
先輩バスターからは偶に、蘇生対策の為の執拗なミンチ化があると言われている。サマリカーム、リカーム対策に蘇生できないレベルまで刻んで殺すという事もある。そう言うレベルになると蘇生魔法ではもうどうにもならず、神の権能クラスの蘇生術によってのみ、蘇生可能となる。
つまり、ヴァラーハの権能だ。
ヴァラーハはかつて、世界を支え続ける事によって、世界そのものを再誕させた猪だ。故に支え、そして生み直す事を手伝う権能を保有していた。今回はその保険が起動した形になる。とはいえ、一度使えばしばらくは再利用が出来ないのがこの権能の辛い所だ。サマリカーム対策のミンチ殺しをもう一度喰らえば、今度こそ自分は完全に死亡するだろう。
一度限りの詐欺だ。同じ相手には二度と通じないだろう。
とはいえ、それで生き残ったのが全てだ。
辺りを見渡し、DDSを確認し、一部の仲魔がDYING状態なのを確認しつつ、近くに串鉈の姿を見かけないのを確認した。体から力を抜きながら、溜息を吐いた。
「クソ……奪われたか……」
「仕方のないセオリーです。流石に相手が上手でした」
視界の端で鳩が戻ってくるのが見えた。それと同時にぼろぼろの凪の姿も見える。どうやら彼女も彼女で最後まで抵抗していたようだが、最終的には見ての通りの結果となってしまったらしい。アンに抱き着かれたまま、片手でDDSを操作して、鳩にサマリカームを使わせてDYINGしているベル、チェフェイ、スダマを蘇生させる。これで戦力の復活は完了した。
「迷惑をかけたみたいだな」
「いえ、貴方が居なければ此方も殺されていたでしょうから」
「そうそう、落ち込む必要はないだろう。というか文字通り死ぬまで頑張ったんだ、俺達にお前を責める事は出来やしないさ」
「そう言って貰えると助かる」
これで依頼は失敗だなぁ、と呟く。なんだかんだで仕事を失敗するのは初めての事だった。これまで順調すぎた、ともいえるのかもしれないが。それでも、純粋に失敗してしまった事は悔しい。
たとえ、この後、ライドウがどうせ全部どうにかしてくれるであろうとも。
「……」
そうだ、たぶんこの後、ライドウが全部問題を解決してくれるだろうから、自分が焦る必要はない。ただ、既定路線に戻るだけだろう。俺が最初からこの世界に現れなかった様な流れに、戻るだけだ。だから俺がそこに責任感や焦りを感じる必要はない。ただ息を吐いて、自分の至らなさに嫌気を感じるだけだ。本当に、
俺という男はどうしようもない程の雑魚で、モブだ。
「リュージ、めっ」
自分の存在に嫌気が刺しているとアンがそう言って、額を此方の額に軽くぶつけてきた。僅かな痛みを感じるものの、アンの顔がすぐそばに見える。普段は無表情で、何を考えているかわからない表情だ。だけど一緒に過ごして来た時間のおかげで、彼女がどういう感情をその無表情で表しているのかは、だいぶ分かる様になってきた。これ、ちょっと怒っているな、という感じの表情をしていた。
助けを求めてナラシンハへと視線を向けるが、鳩がナラシンハの上に乗った状態で二人が逃げた。ベルとチェフェイはDDSから出てきてくれない。
視線を鳴海と凪へと向ければ、ささっと視線をそらされた。
辛い。
どうしたもんか、と考えながらあー、と声を零す。そう声を零せば、アンの真っ直ぐな瞳が此方へと向けられた。その視線に申し訳なさを感じつつも、もう一度あー、と声を零した。
「……心配させてごめん」
「ん」
その言葉にアンが頷いた。
「怒る、の……別に……いい。だけ、ど……。見失うの……よく、ない」
「……うん」
「めっ」
「はい……」
そう言うと再びぎゅ、っと抱きしめられてしまった。これは当分解放してくれないなぁ、と思いながら体から力を抜く事にした。改めて視線を戻した鳴海と凪の視線が優しい。いいだろう、これぐらいは。だって美少女に抱きしめられている訳だし。それにやっぱり、死んだ時のストレスって凄いものだったし。ここまで完全に死亡するという事がストレスに感じるとは思いもしなかった。
少し怖いけど、恥ずかしいけど、それでも好きな子に抱きしめられている、というのは凄く安心する事だった。だけどそれも永遠に続けてはいられない。ふぅ、と息を吐いて、体に力を入れる。
「さて、行かなきゃな……」
呟きながら立ち上がろうとするが、それをアンが許さない様に抑え込み、凪がいいえ、大丈夫のセオリーです、と声を出す。
「ライドウ先輩が帰って来ましたから」
そう言って凪が帝都の奥の方へと視線を向けた。それに合わせ、同じ方向へと視線を向けた。
破壊されてしまった帝都は今、遠くまで良く見える状態になっている。そのおかげで帝都の一角に塔の様な建造物が出現しており、そこから光柱が天へと向かって伸びているのが見える。また同時に、そこを舞台に激しくぶつかり合うMagの気配と衝突の衝撃を目視する事が出来る。その上空、直上では巨大な口が開き、Magを喰らいあげているのも見える。アレがコドクノマレビトが大量のMagを求めていた原因だろうか……?
そこに超人としての視力を使えば、塔で戦っているのがライドウと星命だというのが解る。どうやら、死んでいる間にライドウが帰って来たらしい。その姿を確認してから体から再び力を抜き、今度こそ身を完全にアンに預ける。良かった、と呟く。
「これで事件が解決できる……」
それを理解してしまうと、果たして自分の今までの苦労は何だったのだろうか、とは思わなくもなかった。周りに存在していた悪魔の気配も、今では非常にまばらでナラシンハと鳩に警戒を任せるだけでどうにかなってしまう。
こうなると、後はライドウに全部任せるだけだろう。俺の仕事は終わってしまった。
結局、何もできなかったなぁ、と呟く。
『ま、それでいいのよ。私達は本来の役者じゃないんだからね』
『もしそれでも何かを変えようとするのであれば、それは傲慢というものじゃろうな』
「確かにな」
呟き、ちょっとだけ座る位置を調整し、石壁に背中を預ける様にしながら座って体を休める。アンはその座っている状態の自分へ、前から抱き着く様に密着し、体を放さない。そろそろ解放して欲しいと思いながらも、自分も自分で、こうやって密着していると落ち着くので、口に出せなかった。
それを凪はちょっと恥ずかしそうにしている。
「あー、だけど恥ずかしい姿を見せちゃったなぁ……もうちょっと、こう、
「お前の師匠は誰だか知らないけど、俺の目からすれば十分すぎる程に働いたように見えたけどな。そもそもお前が居なければ俺もそこの嬢ちゃんもあの眼鏡に始末されてただろう」
「そもそも私は余り役に立てませんでしたしね……」
「まぁ、個人で国を破壊できるレベルの相手だったからね、アレ……」
レベルが50を超えれば、それはもはや立派な戦略兵器だ。爆発し続ける核兵器クラスの実力者。程度に差はあれど、個人で使役する悪魔等を含めて国家を破壊できるレベルの実力者になる。あの星命の指揮していた四聖獣を全速力で走らせれば、簡単に音速レベルの速度が出るだろう。それが日本を横断するだけで信じられないレベルの被害が出るだろう。
つまりはそういう領域だ。自分がそこまであの連中を強く感じられないのはラスタキャンディとランダマイザによる多重バフデバフで能力値だけなら匹敵するレベルに強化していたからだ。その上でアナライズで弱点を見極め、それを攻める事の出来る仲魔を選出していた所にある。
デカジャや、デクンダを使われてしまうと一瞬で崩壊する均衡だが。
そういう意味では今回は相手が一枚上手だった。此方が支援魔法を使ってくるのをしっかりと学習して、デクンダとデカジャでしっかりリセットさせてきていた。おかげでレベル差によって圧殺されてしまった。
……まぁ、ライドウのレベルを見る限り、ライドウなら全く問題ないだろうが。
どうせ、勝利してしまうだろう。自分を裏切った相手を倒して。そこだけは自分の手でちょっと、反省させたかった。殺してサマリカームして、また殺してサマリカームを繰り返して。それで自分がどれだけ馬鹿な事をしたのか、それを反省させてやりたかった。だけど、まぁ、主役が来たのなら彼に任せた方が良いだろう。自分がでしゃばる様な事ではない。
別に、俺が主役という訳じゃないし。
「まぁ、後は終わるまでゆっくりしていればいいか」
「俺としては吹っ飛んだ事務所をどうにかして欲しいんだけど」
「そこはほら、必要経費って事でヤタガラスが支払ってくれる」
「聞いた事のないセオリーです!?」
いやいやいや、良く聞いてよ凪ちゃん、と言葉を置く。
「俺が事務所を吹っ飛ばさなければ串鉈ちゃんはもっと早期に捕まっていた。この場合、ライドウが追いつかない場合があった。つまり事務所の犠牲は必要だった」
つまり事務所の破壊は正義だった。QED。
「いや、それは絶対におかしいプロセスです」
「いいや、必要だって断言できたね……!」
「一体何が貴方をそこまで破壊に駆り立てるのですか……」
悪いのは破壊神スダマであって俺ではないのだ。スダマ先輩がもっと物理的に輝いて弾けろと囁くのだ。全部スダマ先輩が悪いのであって、俺は何も悪くはない。間違いなく真の邪悪は爆発を起こしている方だと主張したい。まぁ、少しだけテンション上げている事はここに認める。
はぁ、と息を吐いていると、大地が揺れた。
視線を決戦の地へと向ければ、塔が破壊される姿が見えた。どうやらライドウが派手に暴れ回っているらしい。そしてその結果、巨大な蛇頭の怪物が塔を破壊しながらライドウを追いかけている。その巨大なサイズはここからでもアナライズを可能とする程、存在感に、Magに満ちている。
「ひゃぁ、まだレベルが上がるのか、アレ」
「強い」
アンがすぐそばで囁く様に言葉を呟いた。オウハン……なのだからきっと、あの男が悪魔変身した姿なのだろうと予測を付けた。60代から一気に80代までレベルが上昇している姿は驚異的としか表現のしようもない。とはいえ、最近確認したライドウのレベルは90近く、行方不明から復帰イベントなんてものをこなしたのだ、恐らく90に突入しているだろうなぁ、と思っている。
そこらへん、帝都最強の守護者なのだから、疑う余地もない。
悪魔の襲撃を警戒しながらも、全員でライドウの戦いを見守る。崩壊する塔を駆け抜けながらライドウがどうやら串鉈を奪還した様だった。そしてそのまま、悪魔を召喚し―――逃がした。ライドウによって召喚されたオルトロスは此方へと向かって屋根などを足場に逃亡してきている。少しずつMagが空へと吸い上げられてゆく様な感触の中、このまま放置していれば……いや、ライドウが関わったのだから、どうせ解決するか。
座ったまま、無言で時を過ごす。
オルトロスが此方へと向かって逃亡する姿と、塔を破壊した大地に到達した悪魔・オウハンがその巨大な龍の様な姿で大地を蹂躙しつつ、ライドウと戦う姿を見た。帝都を、そして自分の知人を守る為に一人で戦っている主人公という役割の人間を見た。
その苛烈さ、強さ、凄まじさは誰もが介入できない領域だった。
自分を遥かに超える巨大な敵に必殺の一撃を叩き込み、消し飛ばし、しかし再生されてもそこで諦めずに弱点を探りながら戦おうとする姿は、やはり、自分には今はたどり着けない領域だった。
「……」
その姿を黙ってみる事しか出来なかった。
『それがヒーローの宿命よ』
ベルがDDSから語り掛けて来る。
『ヒーローは本質的に救われないわ。最終的に超越者と呼ばれる領域にまで辿り着き、その宇宙最強の戦士になる。その戦いは仲魔がついて来れても、人は横に並ばない。だって当然よね? 主人公に並ぶようなキャラクターがいたらそんなの詐欺じゃない、ねぇ?』
『まぁ、極限まで力を手に入れた者の行きつく先は常に孤独と決まっておるのじゃ。誰も、その力に届かない。だから誰もそれを理解できない。誰も、最後の戦いにはついて行けないんじゃよ』
苦しみは常に一人で背負う。それが
「……」
「……ん? どうしたんだ?」
鳴海の声に、自分が再び、立ち上がっていたのに気が付いた。アンは抱き着いているが、その頭を軽く撫でてから自分の頬に軽く触れ、そうだなぁ、と呟きながら無理矢理アンを引きはがした。
「誰かが……誰かが串鉈ちゃんを迎えに行かないと危ないだろう? というわけで鳴海さんの護衛を頼む」
「了解したセオリーです。ですが……蘇りしたばかりで大丈夫ですか?」
凪の言葉にサムズアップを向ける。笑顔を浮かべ、そしてDDSへとナラシンハと鳩を一旦戻し、ブルームを取り出した。それを浮かべながら片足を乗せる。
「なぁに、このまま引っ込んでるってのもちょっと、腹の座りが悪いってだけだ」
「リュージ」
アンが良いの? という言葉を投げかけて来る。それに対する答えは恥ずかしながらなかった。なんとなく、という感じだった。たぶん、このまま放置しても綺麗に収まるのだろう。俺は英雄でもなければ、ヒーローでもないのだ。だから俺が頑張った所で常に良い方向に流れる訳ではない。俺が無駄に気合を入れた結果、それが相手を助ける事になるのかもしれない。
それでもなんとなく、動かずにはいられなかった。
ここで見ているだけ、というのはしたくはなかった。
あのひょろ眼鏡の顔面に拳を一発叩き込みたいのもそうだ。
だけどそれ以上に、
「―――女の子の前で仕事が終わったって休んでばかりじゃ、格好悪いし」
どうせなら、好きな子には特等席で一番恰好良い姿を見て欲しい。個人的な理由は、それに尽きるかもしれない。あの空に浮かぶ怪物、そして大地のオウハン神、この二つをどうにかできるとは思えないが、それでもあの串鉈の保護ぐらいだったら自分でも出来る。出来る事を放置して、何が男だ。
生きているのがあまりにも恥ずかしすぎる。出来る事をやらないのは怠惰云々の前に、恰好が悪すぎる。
「という訳で、まぁ、必要ならもっかい死んでくる」
いや、たぶんまた死ぬだろうなぁ、とは思う。もうヴァラーハの《再誕》は残ってないからミンチにならない様に気を付けなきゃならないが、まぁ、女の子を回収するぐらいだったら問題はないだろう。たぶん。
「はぁ―――……」
此方のその反応に、鳴海は盛大に溜息を吐き、此方に何かを投げ渡してきた。それを受け取り、確認する。
見た事のない銘柄の煙草だった。そこから一本抜き、口に咥えてみる。それを見て鳴海はんー、と声を零した。
「まだ背伸びしたって感じがするな。ま、吸い方の一つ教えてやるから、ちゃんと戻って来いよ。ライドウ連れてな」
「頑張ってください。私はここで鳴海さんと朝倉さんを護衛していますので」
凪の召喚したオバリヨンが朝倉タエを両手で持ち上げながら軽いダンスを踊る。この緊急事態の中でもどこかコミカルな姿に小さく笑い声を零しつつ、両足をブルームに乗せ、その後部にアンが乗り込んだ。
「じゃ、それではまた」
そして言葉のまま―――ブルームを加速して飛ばした。
ここで、止まっていられなかった。怖いし、痛かったし、苦しいし、気持ちが悪い。
それでも、恰好の悪い自分にはもう成りたくなかった。好きな子の前で格好の悪い事は出来なかった。だからここで見ているだけ、という事は出来なかった。
だから前へ。
主人公の輝く場所へと向かって、自分でも出来る事を探して前へ。
もうすぐでラスボス降臨。
モブだからといって目立ってはいけないという訳ではない。モブだから雑魚であるという考えは捨てた方が良い。だけどそれを理解していないからまだまだというか。
男の子は覚悟を決めたら強くなる。