ヘイヘイ29年1月31日――王国平均株価は、ついに大きく崩れた。
メキシコのオルテガ大統領がシャコガイ安に対する不満を表明したことで、為替が大きく動いた。
外国資本が引き上げ、通信・銀行・建設すべての銘柄が連れ安。柔らかバンクもモミガラケシノミも、朝から真っ赤なチャートを描いていた。
ヒル蔵証券の事務室では、どこか空気が冷えていた。
「……また、下がりましたね」
そう呟いたトゥーリの声は小さく、しかし震えていた。
画面の前で固まったまま何度も更新ボタンを押すノワールの背中を、彼女は見つめていた。
(いま、あの人の胸の中にいるのは……私じゃない)
わかっていた。グランマリーさんは、きっともう特別な存在になっている。
けれど――けれど、今、彼の背中に寄り添えるのはたったひとり、自分しかいないのだ。
「……ノワールさん、今日は、もうお仕事、休みませんか?」
彼が振り返る。眉間に皺が寄っているけれど、どこか弱さもにじんでいた。
「……下げ止まらない。こんなに入れたのに、……まるで意味がなかったみたいだ」
「意味は、ありますよ」
彼のすぐ隣にしゃがみこんで、そっと肩に手を添えた。
「だって、誰かを信じて、何かを選んだってことは、それだけで……すごく、すごく勇気のいることですから」
その瞬間、ノワールの目が、ほんの少し潤んだ気がした。
「……トゥーリ」
彼女は黙って、彼の頬に指を伸ばした。
そして、ようやく言葉にした。
「わたし弱いんです。身体も小さいし、恋愛経験なんてゼロで、他の誰かと比べられると負けちゃう自信があります」
「……」
「でも、だからこそ、最後に残る存在でいたいって、ずっと思ってます」
そのまま、ノワールの胸に顔をうずめた。
胸元の生地がじんわりと濡れていく。
涙があたたかいのは、自分のなかにまだ信じたいものがあるから。
――それが、たとえ報われない恋でも。
「今日だけでいいから、そばにいても……いいですか?」
ノワールは、何も言わなかった。
ただ、彼の腕がそっと、彼女の小さな身体を包みこんだ。
そしてその温もりのなかで、トゥーリは静かに、一度だけ声を殺して泣いた。
1月31日、午後10時。
王都の夜は冷えていた。だがミレナの心は、それよりずっと冷たかった。
(……グランマリーに先を越された? いいえ。トゥーリにも? あの子供に? ……笑わせないで)
ミレナ・フォルトは、自分の欲しいものには手を伸ばす女だった。
年上だろうと、鈍感だろうと、鈍重だろうと。好機は自分で作るもの。
市場が崩れた夜、ノワールが誰かと抱き合っていることくらい分かっていた。
でもそれが何? 彼を縛りつけるのは記憶でも優しさでもない。
本能と快楽。欲望と心の芯を同時に握りつぶせる女こそが勝つ。
使い魔トレードの連絡欄に、ただ一言だけ。
【今夜、空いてる?】
ノワールは来た。迷っていた顔を、ドアを閉めるときには捨てていた。
「来てくれたのね」
ガウン姿のミレナは、ワインも灯りも用意しなかった。
ただソファの上で脚を組み、薄く微笑んだ。
「今日は市場が酷かった。あなた、慰めてほしいでしょ?」
ノワールが一言も発する前に、ミレナは彼の胸元に手を入れた。
「言葉はいらない。いいから……座って」
そのまま彼の膝に跨る。
唇を噛む。服を脱がす。ガウンがずれ落ち、彼のシャツも開かれる。
猫耳が揺れ、ミレナの金の瞳が真っ直ぐ彼を射抜いた。
「わたし、あなたのこと、……奪い返す気で来たの」
そして身体を重ねた。熱く、濃く、深く自分から、腰を沈める。
「んっ……あっ、ふぅ……っ、深い……っ」
脚を絡め、爪を立て、名前を呼びながら、ミレナは何度も自らを突き上げさせた。
甘えることもしない。ただ支配するように求めた。
彼の奥に届くたび、ミレナの背筋が反り、髪が跳ね、喉が艶めいた声を放つ。
「ノワール……見て。わたしの中で、あなたの全部が動いてる……っ」
ベッドに移ることもなく、何度も、何度もソファの上で結ばれた。
そして、熱が抜けきったあと――
ミレナはようやくしおらしく、ノワールの胸に頬をすり寄せて言った。
「……ねえ。あなた、まだ誰かを選べてないんでしょ?」
「……ああ」
「いいの。選ばれなくても、最初に抱かれたのが私じゃなくても――」
「でも、最後に選ばれるのが私だったら、それでいいから」
ミレナは、柔らかく笑った。
そしてその笑みの奥には、鋼のような光が揺れていた。
ヘイヘイ29年2月1日。朝。
風が強く、空は白くにごっていた。
ノワールは、ライジングサン証券の月次報告書を読みながらテーブルに顔を伏せていた。
身体にはまだ昨夜の余韻が残っている。
ミレナの熱、声、指の跡――そして、あの言葉。
「最後に選ばれるのが私だったら、それでいい」
だが、その言葉を胸に抱えたまま、別の人の寝息も忘れられなかった。
トゥーリの頬に流れた涙と、グランマリーの腕のなかで囁いた「ただいま」と。
三人の中で、誰がいちばん早く心をくれたのか。
三人の中で、誰がいちばん深く傷つくのか。
そして――いちばん、失いたくないのは。
使い魔トレード端末が震えた。
差出人は、トゥーリ。
内容はたった一文。
【今日、少しだけお時間いただけますか?】
文字の行間が、震えているように見えた。
その直後、また一通。
差出人:グランマリー
【大丈夫。焦らないでね。でも、忘れないで。】
そして、もう一通。
差出人:ミレナ
【今夜は会えない。私、今日だけは勝負に出るから】
三人のメッセージが、同じ日の朝に重なった。
ノワールは、ゆっくりと立ち上がった。
投資口座では、シャコガイは確かに減っていた。
でも――心の中では、何かが、確かに増えている。
それは、迷いでも、欲望でもない。
彼女たちから受け取った確かな想いという資産。
だから今日、ノワールは決めるのだ。
誰かひとりを選ぶのではなく、誰かの涙を真正面から受け止めること。
そうして歩き出したその背には、まだ迷いがあった。けれど――
朝の光は、確かにノワールを照らしていた。
午後、王都はやわらかな陽に包まれていた。
ノワールが待つカフェに現れたトゥーリは、
いつもの制服ではなく、ベージュのワンピースに薄青のカーディガン姿だった。
小さな肩にかかる栗色の髪。
そして、見慣れたはずのその顔に、今朝はまだ見たことのない気配があった。
「お待たせしました」
いつもの笑顔。でも、いつもよりも大人びている。
ノワールが何か言いかけるより先に、トゥーリは言った。
「昨日……泣いて、すみませんでした」
「……謝ることなんて」
「ううん、違うの。……泣いたのは、後悔じゃなくて、決意なんです」
トゥーリはまっすぐにノワールを見つめていた。
小さな瞳に、確かな強さが宿っていた。
「私、あなたのそばにいたいです。可愛いだけじゃなく、選ばれるためにちゃんと進みたい」
その言葉に、ノワールは思わず言葉を失った
そして――頷いた。
その夜、彼女はノワールの部屋を訪れた。
何も言わず靴を脱ぎ、そっと抱きつく。
「ねえ、今夜は……最後までしてほしい」
「トゥーリ……」
「昨日は甘えた子どもだったけど、今日は違う。あなたを好きになった大人の女の子として、受け取りたいの」
ゆっくりと彼女のカーディガンが滑り落ちる。
露わになった肩は震えていたけれど、瞳はしっかりと光を湛えていた。
ベッドに並んで座り手を重ねる。
ノワールの指がそっと胸元に触れると、彼女は目を閉じて小さく息を呑んだ。
「……やさしく、でも……ちゃんと入れてほしい」
その願いに応えるように、ノワールは彼女の脚を開いた。
熱を帯びた秘所に唇を這わせ、指で潤いを確かめ、
時間をかけて身体をほぐすように愛撫する。
「っ……ふ、ぅ……あ……そこ……ぅん」
やがて彼女の身体が花のようにひらき、ノワールはゆっくりと程々の大きさの根っこを沈めた。
「……んっ、あ……入ってる……」
「痛くない?」
「……ちょっと。でも……しあわせです……」
腰を重ね、奥へ奥へと結ばれていく。
小さな身体に合わせて、ゆっくりと動くたびトゥーリの腕が背に回り、しがみつくように抱き寄せてくる。
「あっ……だめ、好き……ノワールさん、好きっ……!」
彼女は何度も絶頂を迎え、涙を浮かべながら笑った。
その夜、ノワールは彼女の身体にだけでなく、その覚悟に深く惹かれ包まれていた。
眠る前、トゥーリはぽつりと囁いた。
「明日、あなたが誰を選んでも――私、この夜を一生、後悔しません」
「……選ばないとは言わないよ。俺も……ちゃんと向き合う」
小さな唇が頬にキスを落とす。
その微笑みは、いちばん強くて、いちばん切なかった。
2月2日、王都の朝は、春の気配を含んでいた。
窓を開けると、空は青く、空気は冷たいが優しかった。
ノワールは深呼吸をひとつ。
そしてテーブルの上に、三通の手紙を並べていた。
一通はグランマリーから。
手書きで、揺れる心とそれでも待つ覚悟が綴られていた。
一通はミレナから。
「あなたが決めなさい。私は動かない」と、たった一行の鋼の筆跡。
そして一通はトゥーリから。
柔らかな文字で、「どんな未来でも、あなたの隣にいたい」と添えられていた。
そこへ、ノックが三度、重なるように響いた。
扉を開けると、立っていたのは――三人だった。
グランマリーは、変わらず微笑んでいた。
ミレナは腕を組み、言葉なく見つめてきた。
トゥーリは、小さく手を握りしめていた。
「――来ると思ってたわ」
グランマリーの穏やかな声。続いて、ミレナが冷たく笑った。
「来るのは当然でしょう。だって今日、彼は選ぶ日なんだから」
トゥーリは小さく首を振った。
「選ばれなくても、私は……ここに居たくて来ました」
ノワールは、目を閉じた。そして言った。
「選べない。――けど、選ばなきゃ、と思ってた。でも今、ようやく気づいたんだ。選ぶことが愛じゃない。一緒に生きようって言うことが、たぶん――」
「ハーレムを、作りたいのかしら?」
ミレナが静かに遮った。
ノワールは頷いた。
「……ずるいよな。情けないよな。でも、君たち三人が俺にとって誰かひとりじゃ済まない存在になってしまったんだ」
沈黙のあと、グランマリーが静かに言った。
「それなら、その情けなさに……私は、喜んで甘える」
ミレナは肩をすくめた。
「まったく。男って本当に……愚かで、魅力的よね」
そして最後にトゥーリが小さく笑った。
「ノワールさんのそばにいられるなら、私、何番でもいいんです。……一緒にいられるなら」
三人が一歩ずつ近づいた。
ノワールの手を取り、彼の肩に触れ、指を重ね合う。
この瞬間、確かに決まったのだ。
利回りでは測れない、人生そのものの配当が。
――そしてノワールのハーレム生活が、ここに始まった。
それは株よりも不安定で、シャコガイよりも眩しく、ミンチ肉よりも、甘くて、深い、恋の王国のはじまりだった。
ヘイヘイ30年、春。
鬼ヶ島王国の経済は、いまだ混迷の渦中にあった。
シャコガイ相場は乱高下し、通信株は急落と高騰を繰り返す。
投資家たちは毎朝、祈るように数字を睨み、午後にはため息を吐く。
――けれど、そのなかで、ノワールの株だけは、じわりじわりと上がっていた。
評価額は穏やかに右肩上がり。
含み損は過去の話になり、今では“生活の糧”というよりも、未来への遊びのようなものだった。
三人の女性との暮らしが始まってから、日々は目まぐるしく、にぎやかで、愛に満ちていた。
朝はトゥーリが味噌汁を用意し、昼はミレナが経済紙片手に取引を語り、夜はグランマリーがワインとともに、彼の隣で肩を預けていた。
ノワールは、彼女たちの間で、ただ穏やかに笑っていた。
恋に終わりなんてなかった。
誰かを選ぶのではなく、誰かと共にいること――
それが、ノワールが得たたったひとつの真理だった。
ある日、彼は再びミンチ肉専門学校を訪れた。
久しぶりの再会。
かつての仲間たちが、髭を生やし、太り、白髪を隠す帽子を被っていた。
「人生は――中年からが面白い」
そう語ったノワールの声に、誰かが「名言だな」と笑い、誰かが「俺も株を始めようかな」と呟いた。
そして――春。
王都郊外、桜並木が続く川沿いの公園に、四人の影があった。
敷物の上には、甘い団子と花見弁当。
グランマリーは髪をほどき、トゥーリは草笛を吹き、ミレナはやや不機嫌に煙草を摘んでいる。
ノワールは、皆の真ん中で目を細めた。
花が散る。
風が揺れる。
膝の上では、誰かの指がそっと重なった。
「なあ、ミンチ肉って……混ざれば混ざるほど、美味くなるって知ってるか?」
「……何の話よ、急に」
「ふふっ、でも、ちょっと分かる気がします」
「つまり、人生も、ってことね?」
桜の花びらが肩に落ちる。
四人の笑い声が、ゆるやかに風に溶けた。
恋も、投資も、人生も――
一種類じゃ、物足りない。
――混ざり合って、揉まれて、味が出る。
そんなふうに、ノワールは今日もまた、春を迎えていた。
米国の政権が交代し、大統領の政策、発言一つで、シャコガイが揺れていた。
春先の王都、証券街の片隅にある情報屋ギルドの地下室。
仄暗いランプの下、ノワールは初めてそれを耳にした。
「仮想通貨」――本来の名は分散型魔導トークン”とも呼ばれていた。
「近頃じゃシャコガイなんて時代遅れだ。
フードを被った情報屋が、ぼそりと告げる。
「初期流通価格で持っておけば、十倍も百倍も夢じゃないんだとよ。あんた、もう若くはない。ひとつ、夢見てみちゃどうだ?」
帰り道、ノワールはその単語を何度も呟いた。
「SCC……」
甘く響く音だった。だが、甘い言葉には罠があるのも知っている。
その翌日。
ネギミソ通りの裏、王都でもっとも怪しいと噂されるビルの最上階――
そこに、仮想通貨取引所「ツナグEX」のオフィスがあった。
ノワールが中に入ると、まず香ったのはミントと赤ワインの入り混じった芳香。
革張りのソファ、無駄に高い天井、金属と魔導回路の光。
――そして、彼女がいた。
「ようこそ、ノワールさん。噂は聞いていますわ」
ユニカ・ビット。
ウサミミとハイヒール。
細身のドレスをまとい薄紅の唇で微笑むその姿は、どこかコードよりも艶めいていた。
「あなたのような投資家を、わたし……初期流通から抱えてみたいの」
ユニカが差し出してきたのは、金の縁どりが施されたスクロール。
内容はこうだ。
シャコチェーン(SCC)販売契約
初期価格:1SCC=0.04シャコガイ
上限購入額:500,000シャコガイ
ロック期間:90日
ボーナス:対面カウンセリング(お飲み物・触れ合い付き)
「これは……魔導証券?」
「ええ、今どきの女はみんな持ってるのよ。財布より、肌で感じる時代よ」
彼女はそう言って、わざとらしく胸元の魔導石を光らせた。
その輝きは、通貨というより誘惑だった。
ノワールは、口元をぬぐうようにして言った。
「……触れるだけでいいんですか?」
ユニカは首を傾げてこう囁いた。
「いいえ。抱く覚悟があるなら、触れてみて」
「このコインも、……わたしの唇も」
その瞬間、ノワールの投資人生に、もうひとつの乱高下が始まっていた。
契約は――唇から始まった。
ノワールの指先が、金縁のスクロールに触れた瞬間、ユニカはその手をそっと掴んだ。
「ふふ……あなた、本当に契約するのね」
彼女の声は、まるでチェーンの撓みのように、低く、艶めいていた。
「じゃあ、まずは――秘密のウォレットを、開けましょうか」
ユニカの指が、彼のネクタイにかかる。
ゆっくりとほどきながら瞳を伏せるその仕草は、どこか計算されたものだった。
「仮想通貨って、ね。冷たいものだと思われがちだけど――本当は、体温で動くの。……感じてみて?」
彼女の唇が首筋に落ちた。
乾いたハッシュ音のように、吸い付く。
「このまま……ウォレット、挿してもいい?」
ノワールは言葉を持たなかった。ただ頷いた。
ドレスが滑る。
黒レースの下着が現れると、そこには魔導式の秘密鍵が彫り込まれていた。
ユニカの体温で、薄く光るその呪文回路――
「ここがわたしの、秘密のウォレットよ。……誰にも見せたことないの」
ノワールの指がそこへ触れると、彼女は脚をからませて身を揺らした。
「指……入れて。……コールドストレージじゃ、感じられないから」
そこからの展開は、熱く、濃く、乱高下。
ユニカの身体が跳ね、髪が揺れ、汗が滴るたびノワールの投資熱もまた上昇していった。
脚を開き、自ら深く彼を招き入れるその姿は、まるで「SCC/ノワール」ペアの限界値に挑むローンチイベントだった。
「だめ、もっ……っと奥、見て、わたしの……トークン、溶けて、るのっ……!」
そして絶頂の瞬間、ユニカはノワールの耳に囁いた。
「今の、トランザクション……ブロックに刻まれたわ。あなたと、わたしの、初期分配……もう、巻き戻せない」
ノワールは、深く、深く、彼女を抱きしめた。
その胸の奥には、確かにひとつの欲望で署名された契約”が完了していた。
SCCウォレットに送金された五十万シャコガイとともに――
ノワールは戻れない夜の海に、投資してしまったのだった。
2月8日、午後3時。
SCC(シャコチェーン)の値は、3.92→1.12→0.41と、一気に下落していた。
ノワールは、取引アプリを何度も更新しながら、顔を青ざめさせていた。
(……何が、十倍確実だ)
ツナグEXの公式からの発信は止まり、サポートの使い魔も応答を絶った。
ユニカ・ビットは、いなくなった。
甘い唇で囁いた「ハードウェアじゃ感じられないでしょ?」という声だけが、耳の奥に残っていた。
だがそれももう幻だ。
……そのときだった。
「落ち込んでるの? それとも、……欲しいの?」
ふいに聞こえた声は、艶のあるアルトの響きを帯びていた。
ノワールが顔を上げると、そこにはひとりのドワーフの女が立っていた。
豊かに編まれた銀灰の髪。褐色の肌。
低身長ながら、威圧感と官能が同居するような雰囲気をまとっている。
「ロゼリア・アルトコイン。DeFiプロジェクト〈ワイルドリザーブ〉の広報よ」
名刺を差し出すその仕草さえ、どこか魔術的だった。
「あなた、抱かれて暴落した顔してるもの。見て分かるわよ」
彼女はそう言って、ノワールの隣の椅子に腰かけた。
「わたしたちのプロジェクト、ちゃんと体温で動くチェーンよ。冷たくて一方的なSCCとは違う」
「……興味は?」
「正直、ないです。もう騙されるのは――」
そのときだった。
彼女の指先が、ノワールの手に重なった。
太くて、でも驚くほど柔らかい指。
その腹が、まるで人肌の温もりを直に送ってくるようだった。
「まだ、感じてないのよ。ほんとの意味で、触れるってことを」
ノワールの喉が、ごくりと鳴った。
「次の夜、うちにいらっしゃいな。……投資先の味、教えてあげる」
言葉の余韻を残したまま、彼女は去っていった。
ドアが閉まる直前、彼女は振り返り、いたずらな微笑みを浮かべて言った。
「……SCCが溶けても、わたしの指先は、温かいままよ」
ノワールの胸に火がともった。
ロゼリアの家は、地中にあった。
王都の中心から少し離れた斜面に口を開けた洞窟式の住居。
扉を抜けると灯りはなく、空気がひんやりとしていた。
「……怖いの?」
ロゼリアの声が後ろから囁く。
「でも安心して。分散型金融の
手を引かれて進むと、地下室には湯気が立っていた。
そこはまるで温泉と洞窟をかけ合わせたような、閉じられた快楽の聖域だった。
「……入って。あなたの資産価値、まずはわたしが“温めて”あげる」
ローブを脱いだロゼリアの身体は、予想以上に豊かだった。
厚く、重く、しっとりとした肌。小柄でありながら、圧倒的な母性と支配力を湛えていた。
「今日はステーキングしなくていい。まずは、ただ流して、感じるだけでいいのよ」
彼女の指が湯に沈み、その指先がノワールの胸へ――そして、ゆっくりと下腹部へと滑り込む。
「ふっ……あ……」
ノワールの声に、ロゼリアは笑う。
「ほら、動いてきた。まだ何も投入してないのに、可愛い反応」
湯の中、彼女の指がしっかりと握ってきた。
ふくよかな掌の包みこむような圧に、ノワールの呼吸が乱れる。
「ねえ……差し出して。その資本、わたしの流動性プールに、深く沈めて」
身体を引き寄せられ、ロゼリアの胸に抱き込まれるように押し当てられる。
そのまま湯の中で脚が絡まり、核心部が滑らかに重なった。
「いれるよ……? ロゼリア……っ」
「ええ。好きなだけ流して。その熱、余さず受け止めて、複利で返してあげるから……っ」
濡れた熱が音を立て、身体を重ねるたびに彼女の声が甘く跳ねる。
「そこ……奥……っ、ああ、あなたの流動性、感じてる……っ」
ふたりの身体が揺れながら融合していくような感覚。
抱きしめられたまま何度も深く挿し込まれ、そして――ついにノワールはすべてを注いだ。
「ああ……受け取ったわ。あなたの価値、まるごと。もう逃がさない。わたしの中で、ずっと運用していくから……」
汗と湯と快楽の中で、ノワールは微睡んだ。
この夜のことを、きっと一生損切りできないと知りながら――
2月12日、王都西部・投資家向けカフェ〈ファンダメンタルズ〉。
普段は四半期決算の話題や指標予想で賑わうその場所に、今朝は、恋の静かな臨界点が持ち込まれていた。
集まったのは――四人の女たち。
グランマリーだけは静観の立場を選び、欠席。
代わりにその場に座ったのは、ミレナ、トゥーリ、ユニカ、ロゼリア。
「……で、これは何会議? ノワールの株価でも決めるの?」
開口一番、ミレナが腕を組んで呟いた。
猫耳がぴくりと揺れ、切れ長の目が三人を鋭く測る。
「いえ。誰がどこまで保有するかを話す場です」
ユニカは笑っていた。ドリンクのミントワインをくるくるとかき混ぜながら。
「ノワールさん、わたしの初期分配を受けたの。そのうえであなたたちと続いてるのよね?」
「私は複利まで回収済みよ」
ロゼリアは艶やかな低音で、ささやくように言った。
「甘やかすだけじゃ彼は育たない。わたしは長期ステーキング型愛情を選んだの」
トゥーリは、紅茶のカップを両手で包んだまま黙っていた。
「……私、何も、戦うつもりはないです。ただ、隣に居たいだけで」
彼女の声は震えていなかった。
けれど誰よりも切実な気配が滲んでいた。
ユニカがふっと笑った。
「でも結局、ノワールさんが同時運用を続けるなら、いずれ歪むわ。仮想通貨と違って、恋はエアドロップができないのよ?」
「彼に選ばせるのは、あまりにも乱暴だわ」
ロゼリアが続けた。
「だから私は、証明するつもり。わたしこそが、真の運用先だって」
「……私も、引かない」
その一言だけミレナはぽつりと呟いた。
言葉は短くても、火花は最も鋭く、激しかった。
四人の間を流れる沈黙。
その中で、トゥーリがそっと問いを口にした。
「ねえ、みなさん――恋って、利回りで測るものですか?」
その瞬間、誰もが言葉を失った。
それぞれのグラスに、陽が差し込む。氷が静かに音を立てて溶けていく。
――この恋は、ただの投資競争では終わらない。
女たちはすでに、ノワールの中で確かに運用されていた。
だが、それでも――勝ちたいと思うのが、恋だった。
その夜、ノワールの部屋には四つの香りが満ちていた。
グランマリーの白檀。ミレナの冷たい薔薇。トゥーリのハチミツと石鹸。ロゼリアの深い樽香と熱い革。
彼女たちは、言葉もなくそこに居た。
ただノワールの前に立ち、誰も譲らず、誰も否定せず。
「わたしは、一番でなくてもいい。でも、この中にいるって信じさせて」
トゥーリが最初に口を開いた。
「順番じゃなく、意味を。私は身体で得る愛じゃなく意味で欲しい」
ミレナが続いた。
「愛に形はない。だから、わたしは分けないあなたを信じる」
グランマリーの声は深くあたたかかった。
「抱くのは一人でも愛せるのは四人。それでいい」
ロゼリアはただ静かにうなずいた。
ノワールは膝をつき、ゆっくりと四人の手を握った。
「俺は愚かだと思う。けど愛って、ひとりに決めなきゃいけないって、誰が決めたんだろうって、前も今も、ずっと思ってた。そして今日も俺は決めた。選ばないことを、選ぶってことを」
言葉のあと沈黙が生まれ、そして――
最初に口づけてきたのは、グランマリーだった。
「なら、証明して。今夜、わたしたち全員を愛せる覚悟があるかどうかを」
そして四人は次々にノワールの服を脱がせ、自らのドレスを滑らせ、平等な愛という名の肌を晒した。
――誰からでもない。
ただ、重なる手と唇の流れのままに、ふたり、みっつ、よっつの熱が交錯する。
ミレナがノワールの唇を奪う頃、ロゼリアは腰を重ねて彼に跨り、その奥でグランマリーの胸が揺れ、トゥーリの細い指が彼の腕をぎゅっと握りしめていた。
「ん……だめ……あっ、皆でって、こんなの……っ」
「我慢しないで。今日は、独占じゃなくて共有でしょ?」
「ほら、動かして、わたしのなかに――ちゃんと流して」
「ノワールさん……わたしも、わたしも……感じたい、です……っ」
交わる、咲く、濡れる、結ばれる。
それぞれの愛と性が交錯する中で、ノワールは誰にも優しく、誰にも公平に、誰にもひとりだけにしなかった。
快楽の波が四人に繰り返し押し寄せ、声が重なり、涙が混ざり、汗が絡み、そして――その全員の中に等しく未来を注いだ。
ベッドに四人の裸が並ぶころ、ノワールの手には、確かな温もりだけが残されていた。
誰かひとりを選ぶ愛じゃない。
誰も零さない、全員を抱きしめる責任。
それが、ノワールが選んだ運用方針だった。
2月15日、早朝。
窓の外はまだ淡い群青で、王都の空に雲はなかった。
静かで、凪いでいて、でも、世界のどこかが確実に終わった朝だった。
ノワールの使い魔トレード端末に、SCCチャートは表示されていなかった。
このトークンは現在、上場しておりません
――つまり、それは無価値ということだった。
ユニカ・ビットの名も、ツナグEXも、すでに記録上から消えつつあった。
法的処理も不可能。魔導トークン規制も追いつかず、被害者は国中に散った。
ノワールの資産――約50万シャコガイ。
それは何の記録も残さず、溶けて消えた。
けれどベッドの上には、四つの寝息があった。
グランマリーは彼の胸に腕をかけて眠り、ミレナは枕を奪って頬をうずめ、トゥーリは彼の指を握ったまま小さく息をしていた。
そしてロゼリアは彼の膝の上に足を重ねていた。
肌と肌の間には、何の利回りもなかった。
でも――それ以上に、確かなあたたかさがあった。
ノワールは、そっと目を閉じて呟いた。
「……損失じゃない。俺が投資してたのは、きっと金じゃなくて――」
そのとき、グランマリーが目を開けた。
眠そうに微笑みながら、言った。
「あなた、泣いてないのね」
「泣くより、……今はありがとうって言いたい」
「ふふ、それなら、もう何も心配いらないわ。破産しても愛されてるって、すごく強いことなんだから」
その言葉に、ノワールは本当に救われた。
やがてトゥーリも、ミレナも、ロゼリアも目を覚まし四人で小さな朝の食卓を囲んだ。
甘いパンと、硬い投資と、あたたかい笑い。
SCCは消えた。けれど、彼を信じて一緒に眠った四人の体温は残っていた。
それだけで、この冬を乗り越えられると思えた。
ヘイヘイ30年、2月末。
鬼ヶ島王国は、非常事態宣言を発した。
シャコガイの価値は五割以上切り下げられ、国営魔導インフラ局が管理していたペグ付き魔導通貨シロナミすら破綻。
失業、物価高、流通混乱――そこにあるのは、経済ではなく不安の連鎖だった。
「通貨も制度も、簡単に崩れるんだな……」
ノワールはつぶやいた。
証券街は閉鎖され、銀行は一日おきの営業。
ミンチ肉専門学校も、非常休校が続いている。
それでも、彼の家には、火が灯っていた。
ロゼリアは地下保存していた食糧で煮込みを作り、ミレナは路地裏の交換所で手に入れた野菜を切り、グランマリーは暖炉の前で裁縫をし、トゥーリは一生懸命、パンを焼いていた。
そこには、通貨も価格も、関係のない幸福があった。
その晩、ノワールは決めていた。
「――みんな、ちょっと、聞いてくれるか?」
静かに彼は立ち上がった。
そして四人を順に見つめながら、口を開いた。
「この国がどうなっても、俺は君たちと一緒にいたい。金がなくても、通貨が紙くずでも、家を失っても……君たちと一緒なら生きていけるって、ようやく分かった」
小さくでもはっきりと手を差し出す。
「だから――結婚しよう。四人まとめて、俺にください」
最初に反応したのは、トゥーリだった。
「……わ、わたし、あの……いえ、はい! 喜んでっ!」
頬を真っ赤にしながら彼の手を握る。
続いて、ミレナが一歩前に出た。
「言ったわよね、ノワール。選ばないなら、選ばれない覚悟も要るって。……でも、これならいい。四人であんたを幸せにしてあげるわ」
グランマリーはただ静かに彼を抱きしめた。
「一緒におばあちゃんになるまで、離れないって言わせてね」
ロゼリアは、少し黙ったあと、ぽつりと。
「じゃあ、私が財務大臣ね。家計もベッドも、まとめて管理してあげる」
笑いが、部屋にあふれた。
混乱の中、資産は崩れた。でも愛は残った。四人分の体温で確かに。
こうして、シャコガイに代わる唯一の安定資産――四人の妻たちが、ノワールの人生に正式に加わった。
ヘイヘイ31年、春。
鬼ヶ島王国はようやく新たな通貨制度を整えつつあった。
旧シャコガイは準備通貨として繰り下げられ、新通貨はオニ円が流通を開始。
政府は家族制度の見直しとともに複数配偶者制家族単位課税モデルの導入を発表。
世は、混乱から再構築へ。
ノワールは、そのど真ん中にいた。
グランマリー、ミレナ、トゥーリ、ロゼリア。
それぞれの姓をそのままに、彼女たち全員と正式に婚姻届を提出した。
「提出先の役所でえって顔されたの、忘れないわ」
ミレナがそう笑っていた。
制度としては前例がなかったが、王国民法の改正により、共同生活・意思同意・継続的愛情関係が認められる場合、複数妻帯者の税制優遇あり、という極めてざっくりとした条文によりなんとか認可されたのだった。
それは、ノワールにとっての人生最大の勝ちトレードだった。
そして、春。
王都郊外の丘に咲く桜の下。
大きな敷布を広げ、煮込み鍋と焼きパン、ワインと干し肉、果実と笑顔。
ノワールは、四人の妻たちに囲まれていた。
「お花見って、仮想通貨と似てるね」
トゥーリがつぶやく。
「どうして?」
グランマリーが微笑む。
「ほら、いつ咲くか分からないし、一瞬で散っちゃう。でも……そのときは、本当に綺麗で、ずっと忘れられないの」
「ふふ、でも私たちの恋は、ロングホールドでお願いね?」
ロゼリアがワインを口にしながら小さく笑った。
「あなたが破産しても、この四人だけは絶対に損切りしないわ」
ミレナは不機嫌そうに、でも照れくさく言った。
ノワールはそれを聞きながら空を仰ぐ。
あの混乱も、失敗も、投げ出したくなった夜も、今はただ咲いた花の根に変わっている。
人生はミンチ肉と同じだ。混ざり合って、揉まれて、焼かれて初めて、旨みが出る。
そんな味のある人生が、きっと美味い。
ノワールは、ひとりひとりの手を取った。
そして言った。
「ありがとう。俺に、資産じゃなくて幸せを教えてくれて」
花びらが舞い、五人の笑い声が、春の空へ溶けていった。
どっとはらい