「あー」
「手を伸ばせば届きそうな星空、かぁ。日本じゃ中々見られないもんな」
日も沈み、辺りは暗闇に包まれた港。多少人口の明かりはあるとはいえ、やはりそれは日本の都市部に比べれば微々たるものだ。
それに、夢子にとっては初めての外国だ。まぁ、まさか俺もこんな事になるとは思ってもなかったけど。
「さすがに留守番させる訳にも……なぁ」
夢子一人では当然無理。ならば了子が傍に付いてやれなければならないが、フィーネでもある彼女を非常事態で留守番とは出来ない。
で、こうして連れてきてしまった訳だけど、意外と言うか何というかで夢子は今回の事を楽しんでいるようなので安堵してる。
今もはしゃぎながら星空へ手を伸ばし続けているし、出かける前の不安などはどこへやらと言った感じである。
「それにしても、三人の錬金術師かぁ。見事に全員女性だったらしいけど、男性は錬金術師になったらダメみたいな決まりでもあるのかね?」
「う?」
「もしくは、男性よりも女性の方が適性が高いのかな? ああ、そういや中世であった魔女狩りって、実質は薬学とかを身に着けた女性達だったっけ。なら、もしかして彼女達も錬金術師だったり」
夢子がこちらを見上げてきたけど、そちらへ視線を向けずに頭を優しく撫でるだけにする。キャロルのパパもそういうので火あぶりにされたらしいし、意外と有り得るのかもしれない。
「あら、意外と賢いのね」
「そのようだ。伊達にキャロルの保護者をしてないワケダ」
「へ?」
独り言に対しての評価が聞こえ、俺は声のした方を振り返る。そこにいたのは、二人の女性。ただ、一人は露出度が中々高く、もう一人はカエルのぬいぐるみらしき物を抱えていた。
どう考えてもこんな場所にいるような人間じゃない。というか、そもそもここは国連の管轄地のはず。
「えっと、どちら様?」
「その顔は大体察しがついてるんじゃない?」
「出来れば外れて欲しいなと思ってるんだけど……」
「あー」
「どうやらその赤子は諦めろと言っているワケダ」
「まぁ、賢い子ねぇ。将来が楽しみじゃない?」
言いながらこちらへゆっくりと近付いてくる二人組。逃げようにも目の前は海。しかも夢子がいるので飛び込むのも躊躇われる。
「そうだね。で、錬金術師のお嬢さん方が俺に何の用?」
「あら、逃げないの?」
「どこへ? というか、それが難しいと踏んだから来たんだろ? なら開き直るしかない。ああ、俺はどうなってもいいから夢子は助けてもらえないか?」
父親として最低限の事はしたい。思い返せばキャロルも最初俺に接近してきた。しかも俺の能力を狙って。なら、きっと彼女達もそれ絡みだ。
だから、夢子だけは守る。何があってもこの子だけは危険から遠ざけてみせる。例え、それで俺が最悪死ぬ事になろうとも。
その気持ちを込めた眼差しを、目の前の二人はどこか意外そうに受け止めていた。
「……驚いた。あーし達と交渉するかと思えば要求はそれだけ?」
「親が子の安全を求める以外に何を求めるって言うんだよ?」
「そうでない者達も大勢いるのをこちらは知っているワケダ。故に、本来あるべき姿というのが少々新鮮なワケダ」
どこかで知ってはいたけど聞きたくなかった現実だった。でも、俺は絶対そうなりたくない。命が希望と言うのなら、赤ちゃんは希望の塊で無限の可能性だ。
なら、それを守るのが先に生まれた者の在り方だし、そうであるべきだと思う。
「……そっか。で、返答は? もし受け入れられないのなら、そっちにとってもあまり望ましくない展開が待ってるぞ」
若干脅しをかける。彼女達について俺が知ってる事は少ない。それでも、目的が我欲塗れでない事だけ知っていれば十分だ。要は、犠牲者を出すのは最悪の手段かあるいは必要に応じてだろう。
なら、幼子を犠牲にするのは避けたいはずだ。それに、ここであまり時間をかけると誰かが気付く可能性が高まる。特に、夢子の母親は了子でフィーネなのだ。
「へぇ、大人しいかと思えばそうじゃないのねぇ。あーし、嫌いじゃないわよ、そういうの」
「そりゃどうも。こっちも君みたいな美人に好感もたれて嬉しいよ。で、どうするんだ?」
「カリオストロ、赤子はさすがにサンジェルマンも黙っていないと思うワケダ」
「そうねぇ。じゃ、お父さんだけ連れて行きましょ」
どうやら話はまとまったらしい。こうなると不用心に動いていた事が悔やまれるけど、キャロルの時のように何とかなるはずだ。
……いや、何とかしてみせる。あの頃よりも、今の俺の方が生きて帰りたいとの想いは強いんだ。
俺は夢子の頬をそっと撫でる。すると、夢子が急に泣き出した。
「ちょ、ちょっと不味いわよ!」
「泣き止ませろ!」
「無茶言うなよっ! 逆に今まで静かにしてた事が凄いんだから!」
「ああんっ! もう仕方ないわね! プレラーティ、あーしはこの子をあいつらのとこに連れていくから、あんたはそいつをサンジェルマンの所へ」
「ひ、引き受けたワケダ」
カリオストロと呼ばれた女性が、夢子を意外と優しく抱き抱えてその場から立ち去る。向かうのは……やっぱり停泊中の本部だろうな。
「さっさと移動するぞ。誰か来ては面倒なワケダ」
「はいはい」
こうして俺は転送結晶でその場から連れ去られる……というのも違うか。とにかく春ごろを思い出す展開となった。願わくば、キャロル達の時のように軟禁レベルで済む事を……。
「要君が、さらわれただとっ!?」
「正確には、自らついて行ったと言うとこね。この子の、夢子の安全と引き換えに」
了子の腕の中で眠る夢子を見て、弦十郎は言葉を失う。かつてもあったシキの拉致。その際は彼の機転で多少なりとも相手の情報や拠点の位置が入手出来た。
だが、今回は何も収穫なし。その理由が目の前の赤子にあると理解したためである。父親として、我が子を危険に晒すかもしれない行動は取れない。そのシキの気持ちを成長と受け取れたからでもあった。
「そうか。それで、装者達はどうしている?」
「勿論寝てるわ。幸か不幸か、今日の朝から夕方まで働きづめだったし。それと、忘れてるかもしれないけど、私達は前夜にパーティーをして楽しんでたの。要するに体力がないのよ」
そう告げて了子も小さく欠伸をかみ殺す。その緊張感の無さに朔也とあおいが驚きを見せた。まさか夫が敵に連れ去られたのにと、そう思ったのだろう。
ただ、弦十郎は違った。
「了子君……君は……」
「今は動く時じゃない。それに、夢子を連れてきた錬金術師はこう言ったわ。悪いようにはしない、と。なら、キャロルの時と同じよ。あの人は絶対に戻ってくるわ。スケベ心だけで前回は乗り切ったのなら、親心が加わった今はもっとよ」
返す声には、どこか言い聞かせるような響きがある事に朔也とあおいも気付く。不安なのだ、了子も。それでも、以前と似た状況だと自分に言い聞かせ、落ち着こうとしている。そう二人は思った。
「とにかく、私ももう寝るわ。何かあったら起こしてくれていいから」
「ああ、分かった。要君に関して情報があり次第知らせる」
「お願いね~」
ひらひらと手を振って了子は発令所を出て行った。その背中を見送り、弦十郎は小さく息を吐く。
「奴らの狙いが要君だとすれば、目的はその能力」
「キャロルちゃんもそうでしたし、まず間違いないかと」
「もしかすると、相手はシキの能力がギアを強化してると知ったのかもしれません。今回の戦闘で、こちらの出力などに驚いていたようですし」
「有り得るな。過去のデータとあまりにも違い過ぎる事で、相手もその要因が何かを察したのかもしれん。とにかく、今はやれる事をこなしていくしかない」
「「はいっ!」」
弦十郎の言葉に力強く返事をする二人であったが、その直後に彼から仮眠を言い付けられるとは、この時の二人は思ってもいなかった……。
さて、朔也とあおいが仮眠するために発令所を出た頃、キャロルとエルは自分達の研究室でとある映像を見つめていた。
「……これか」
「そう、だね。多分これだと思う」
それは響と戦うカリオストロの映像。その手にある指輪。それに二人は注目していたのだ。
「奴らのファウストローブが何から展開されているか。それが分からなかったが、こいつのおかげで絞り込めた」
「うん、他の二人はそれらしい物を隠し持ってる可能性が高くて判断出来なかったけど、この人だけはこの指輪ぐらいしか身に着けていない。それが、ファウストローブ展開後はなくなっている」
「まぁ、最悪体の中に隠しているという線もなくはないが、ここまで露骨な物を持っていてはな」
「きゃ、キャロル……」
あまりな意見にエルが苦い顔をした。それに構わず、キャロルは映像を拡大していく。それに伴い画像が荒くなるが、エルが即座にキーボードを操作し出来る限り鮮明となるように修正していく。
やがて、二人の視界にハートの形をした宝石のような物が映し出された。
「…………エル、どう見る?」
「これがあのファウストローブの
「であれば、これが錬金術の申し子である事は確定だろう。わざわざ人工の宝石を使った指輪をはめているとは思えん」
そう言ってキャロルは映像から目を離すと、そのまま時計を見る。時刻と共にそこに表示された日付を見て、彼女はどこか残念そうな表情を見せた。
「終わってしまったな、クリスマス」
「そうだね。結局、パーティーも中途半端に終わっちゃった」
「今回の事は、私達にとって最悪のクリスマスプレゼントだった」
「僕らが、今年いい子にしてなかったからかな?」
「…………だとすれば、私のせいだ」
「それなら僕も一緒だから。キャロルの悪い癖だよ。何か良くない事があると、すぐ自分だけが悪いって言うの。僕だって同じなんだ。だから、一人で抱え込まないで」
「エル……」
はっきりと告げられた言葉にキャロルは驚きで目を瞬かせる。そこには、普段の大人しいエルはいなかった。しっかりとした芯を持つ、一人の少女がいたのである。
「僕らはもう双子の姉妹なんだ。だったら、キャロルの罪は僕の罪でもある。二人で背負っていこう。それなら、きっと重たい荷物でも潰れないはずだよ?」
「……そう、だな。うん、そうだ。もう私は一人じゃないんだった」
キャロルは嬉しそうに呟くと、その事を噛み締めるように笑みを見せる。その微笑みにエルも笑みを返した。
「ありがとう、エル。本当に、こんな事を忘れるなんてダメな姉だ」
「なら、そんな風に思わせちゃう僕もダメな妹だね」
「むっ、そういう風に言うんだ」
「キャロルこそ言ったばかりじゃないか。自分だけを卑下するのはいけないよ」
互いに笑みを浮かべながらのやり取り。それは、初めて二人がした姉妹らしいやり取りだった。ほんわかとした雰囲気が流れる中、それを消すようにノックの音が控えめではあるが響く。
二人はそこで顔を見合わせ、同時に小首を傾げた。既にスコア達は休眠ならぬ休息をしており、稼働しつつも動作を停止中なのだ。響を始めとする装者達も戦いの影響で就寝している今、ここを訪ねてくるだろう存在は多くない。
「父さんか母さん?」
「……父さんはさすがに寝たと思うから母さんじゃない?」
シキが来るとすればノックだけでなく声をかけるはずと読んだキャロルは、了子かフィーネと判断した。ナスターシャも一応候補に入るが、彼女は年齢もあって既に就寝している事を二人は知っていたのである。
エルがドアのロックを解除すると、開いた先には了子ではなくフィーネが立っていた。しかも、その両手には湯気を立てるマグカップが二つある。
「やはりまだ起きていたか」
「フィーネ母さん、どうしたの?」
不思議そうに尋ねるエルだったが、キャロルは何となくその来訪の理由を察したのだろう。表情がやや曇っていた。
「何か……あった?」
その声にフィーネは小さく苦笑すると、手にしたカップをエルとキャロルへ差し出す。中身はミルクココアだった。
「まずはこれでも飲むといい。あったかいもの、どうぞ」
「「あったかいもの、どうも」」
定番のやり取りを終え、二人はまず一口だけココアを口に入れる。その程よい甘さと温かさが疲れた体に心地良く染み渡るのを感じ、二人は無意識に笑みを零す。それを見てフィーネは嬉しそうに微笑むも、すぐにそれを消して若干俯いた。
「朝になれば分かるが、お前達には先に話しておこうと思ってな。落ち着いて聞いてくれ」
フィーネの様子から良くない事だと察しを付ける二人だったが、それでも口を開かずその話を待った。その対応に感謝し、フィーネは顔を上げるとはっきりと告げる。
「シキが、パヴァリアにさらわれた。夢子を返しに来た者が言うには、その安全と引き換えだそうだ」
同時に二つのカップが落下を始める。が、それをフィーネの力が止めた。
「二人共、気持ちは分かるが手を離すな」
「っ! だがっ!」
「父さんが、父さんが連れ去られたんですっ! これで落ち着いていられませんっ!」
「だからこそだ。相手は錬金術師。お前達が一番その行動原理や思考に詳しい。そんなお前達が冷静でいてくれなければ、誰も相手の思惑や思考を読み取れん」
そこで二人は気付く。どうして了子ではなくフィーネが来たのか。それは、きっと冷静でいられないからだろうと。
「……了子母さんも、そうなのか」
「だから、僕らのところにフィーネ母さんが来たんですね」
ゆっくりと下がっていく怒りのボルテージ。誰よりも今回の事で荒れているのは、夢子の母でありシキが連れ去られる原因を作った了子である。そう悟った二人は、その握った拳を静かに開いた。
「あの楽天家のような女が、寝るとだけ言って私へ強制的に変わった。だが、その内心は私に隠せるはずもない。彼女は自分を責めている。夢子を自分が見ていればよかったと。相手のデータ分析などせず、シキとイチャついていればと」
後悔先に立たず。それを知らぬ了子ではない。それでも、彼女は己を責めたかった。そうでもしなければ何をしでかすか分からなかったのである。フィーネとしての力を了子は行使する事が出来るために。
「普通の母親らしくあれば良かった。それが今、櫻井了子の中で渦巻いている。夢子を抱き抱えながら涙したのだ。ごめんなさいと、それだけ呟いて」
「ごめんなさい、か……」
「了子母さん……」
了子の心中を思いやって、二人は言葉が無かった。その謝罪は何に対してだろう。自分が傍にいてやらなかった事か。父親と引き離される事を経験させた事か。
あるいは、夢子がいなかったらと考えてしまった事か。その答えは誰にも分からない。
了子本人さえも無意識に発したものなのだ。フィーネさえも読み取れなかったと言えば、その事が分かるだろう。
沈黙が室内を包む中、時を刻む音とパソコンの駆動音だけが響く。もうフィーネは何も口にしなかった。ただ、その能力で受け止めていたカップを、二人の義娘の手へと戻したのみ。
そのぬるくなってしまった中身を、二人はゆっくりと飲み干していく。まるで、それは己の中に生まれた何かを飲み流すかのようでもあった。
「……フィーネ母さん、ココアありがとう。私とエルも、もう寝る事にする」
「そうか」
「うん。今、僕らに出来る事は体と頭を休める事だから。朝になったら、ちゃんと切り替えます」
「頼む。私は夢子の様子だけ見てから寝る事にする」
こうして母娘三人の会話は終わる。一方、シキはと言えば……
「事情は分かった。だけど、どういう事だ、カリオストロ、プレラーティ。何故この男を連れて来た?」
「シンフォギアの異常なまでの強化。それを探っていたら、生命のスープとやらを生成出来る存在というのが出てきたワケダ」
「その効果はリンカーと似ているが副作用等はない。それにぃ、その能力のおかげで天羽奏はリンカー頼りの時限式が、今や正規適合者と同等の適合率を誇るんだって。この事から、この男がシンフォギアの強化に関連しているのは明白なワ・ケ」
「だからと言って拠点の一つへ連れて来るのは不用意とは思わなかったのか? 発信機の類などあれば」
「あー、そういう物はないよ。もし見つかったら大切な娘が危険にさらされると思ったからね。来る時に置いてきた」
三人の会話に口を挟み、サンジェルマンから複雑そうな眼差しを向けられていた。
場所はどこかにある館の一室。シキがいたバルベルデとは異なる雰囲気が漂うそこで、彼は拘束される事もなくただじっとしていた。まるで、自分に抵抗するつもりはないと証明するかのように。
「……そう。それで、どうすると?」
「簡単なワケダ。我々の手でその生命のスープとやらを解析し、ラピスの強化へ活かせないか試してみるワケダ」
「ラピスの強化、か。可能とは思えないが……」
「ま、可能ならよ。本来の目的は、シンフォギアの強化のしくみを解明して何とか対抗策を打てないかを考える事だし」
そんな会話を聞きながら、シキは内心でまたかとため息を吐いていた。キャロルの時もそうだったが、生命のスープはその効果のみが知れ渡っていて、それが何かまでは知られていないと。
ただ、例え知られていたとしても今回の場合は結果に違いはなかったとも思っていた。何せ、キャロルがそうだったのだ。スープが精液であると知った後も、それでガリィ達を起動出来るか試したのだから。
(はぁ……どうしようかなぁ。これ、絶対真実を話しても射精させろってなるパターンだよ。あーあ、今の俺にとっては拷問だ。やっと父親らしくなってきて、夫としても成長してきたってのに……)
シキの精液が生命のスープとなるには彼の感情が不可欠である。しかも、それは正の念でなければならない。つまり、サンジェルマン達相手に好意や愛情を抱く事。それが今のシキには辛い。
何せ愛する妻達が総勢十人。しかも義理の娘が二人に、今年実の娘まで得た。そんな彼に不倫や浮気をするというのは耐えがたい事となっていたのである。
故に何とかしてそれを回避出来ないかと考えだした。追い込まれた際のシキの閃きは、これまで結果的に良い方向へと転がっている。本人はそれを意識した訳ではないが、何もしないよりはマシとの想いで足りない頭をフル稼働させていた。
「と、言うワケでぇ~……早速だけどスープの作り方、教えなさいな」
カリオストロがその胸を強調するかのような体勢となってシキへ迫る。本能的に胸元へと視線をやって、シキはしまったとばかりに目を逸らそうとして―――ある事に気付いて息を呑む。
(そっか。相手は生命のスープが何かを知らない。なら、似た効果が出ればそれをスープと勘違いするかも……)
キャロルの時は彼も知らなかった事がある。それは、シキが強く意識する事で彼の体液全般がスープのような効果を持つ事だ。
そう、シキはこう考えたのだ。不倫などはしたくない。だから血液よスープになれと。父となった彼は、そういう意味で強くなっていた。ただ欲望や状況に流されるのではなく、己の信念と意思で自らの道を歩き出せるようになっていたのだ。
「いいよ。ま、とは言っても作り方なんてあってないようなものだけど」
「どういうワケダ?」
「論より証拠。ここに採血出来る道具とかある?」
シキの質問で三人は何かを悟る。それこそが彼の狙いとも知らずに。
「まさか、生命のスープと言うのは……」
「あんたの血液?」
「そ。考えてごらんよ。生命の源って言われて思うのは水か血だろ? で、人間自らが作り出せるなんて言ったら後者しかない。命ある者の中を循環するスープ。血液の事を言い表すのに適した言葉だと思わないか?」
「……筋は通っている。錬金術の観点から見ても、血液は生命に直結してくる物だ。様々な生物の血を使って他の生命を変質あるいは変化させるのは有り得る話ね」
シキの言葉に理解を示し、サンジェルマンは早速とばかりに注射器を用意する。手慣れた感じでプレラーティが消毒用のアルコールを用意し綿に染み込ませ、カリオストロは血管を浮かび上がらせるためのゴムチューブをシキの腕へ巻き付けていく。
さながら病院の光景となったが、それはシキにとって最近見慣れていた景色でもあった。
(お義母さんの研究室を思い出すなぁ。毎日少しずつとはいえ血を抜かれてたし……)
成分献血とは別に、血液自体も少量であるが抜き取られていたシキは、目の前で準備する三人を眺めてつい最近まであった日常を思い出していたのだ。
「これでいいわよ」
「こっちも大丈夫なワケダ」
「なら……」
「っ……」
躊躇なくシキの血管へ針を刺すサンジェルマン。その手際は意外にも鮮やかであり、彼女がこういう事を何度も経験した事がある事を物語る。
シキは血を抜かれている間、強く心に念じていた。
(浮気したくない浮気したくない浮気したくないみんなに嫌われたくない浮気したくない浮気したくない浮気したくないみんなに嫌われたくない浮気したくない浮気したくない浮気したくないみんなに嫌われたくない)
愛する者達に嫌われたくない。だからお願いだ血液よスープと近しくなれ。その想いが届いたのか、採取された血液を調べたサンジェルマン達は一様に驚きを見せる事となる。
「……うっそぉ」
「俄かには信じられないワケダ」
「でも、これが現実よ」
試しにとサンジェルマンが己のラピスへ血液を一滴落とした瞬間、その輝きが少しではあるが増したのだ。完全であるはずのラピス・フィロソフィカス。それを変化させる事など本来は不可能。
であるのなら、間違いなくこの血液は神秘を秘めている。そう三人は判断し、シキへと目を向けた。彼は、どこか祈るような気持ちで三人を見つめていたのだ。
「どう、だった?」
「……結論から言おう。たしかにそちらの言う通りだった」
「そっか。で、一体俺はいつになったら解放してもらえる?」
「あら、意外と甘いのね。帰してもらえると思ってるの?」
「ああ、そうだった。一つ言い忘れてた事がある。この能力の厄介なとこは、俺の気分で効力が決まるって事なんだ。要は、俺が嫌々だとそれはただの血液でしかない。これは実際キャロルの時に実証済み。もし疑うのなら試してみるかい? 今ならとっても憂鬱な気分で採血を受けられるよ」
脅しをかけようとするカリオストロへ、シキは返す刀でそう告げた。ならばと再度採血した三人は、その血が本当に効果を発揮しない事に愕然となる。
「……これは厄介だな。無理矢理は出来ない上、少しでも気分を害されたり機嫌を損ねられたら……」
「ただの採血で終わりなワケダ。成程、だからこそあっさりとついてきたワケダ」
「最初から自分をどうこう出来ないと悟ってた? へぇ、意外に食えないとこあるのね~」
三者三様の眼差しを、してやったり顔で受け止めるシキ。この辺り、彼も胆力が付いてきたと言えるだろう。かつてはその欲望で乗り越えた敵中生活だが、今回は間違いなく信念と決意で乗り越えようとしていたのだ。
「そっちがシンフォギアに苦戦したのは聞いてる。だから俺に目を付けたんだからな。でも、俺はそう簡単に利用されない。悪いけど待遇はこうしてもらいたいね」
「……言ってみるといい」
「何も贅沢や無理難題を押し付けようと思わない。ただ、ちゃんと三食ないし二食は食事を出してくれる事とトイレへ行く自由、それと汗を流すか最悪拭き取るぐらいでもいいから、とにかく清潔さをある程度保たせて欲しいんだ」
シキの要求は、サンジェルマン達にとっては意外なものであった。この辺りも彼が弦十郎から学んだ事である。
交渉の基本は、強気である事。だが、それは無理難題を押し付ける事にあらず。相手にとって比較的叶え易く譲歩し辛いラインを提示する事。
場合によっては譲歩し易いラインも提示し、一方的な要求としない事。それが今回の交渉に必要な条件だと考えたのだ。
実際、シキの要求はサンジェルマン達もほとんど実行しようとしていた事である。シキの心持ちで血液が効果を変えるのなら、最低限はその生活を保障しようとしていたのだから。
「これを叶えてくれるのなら、一日一度の採血は協力する。これでどうだろうか」
「ちょっと、そっちは三食要求しておいてこっちは一度なワケ?」
「仕方ないだろ? 代わりに献血で抜く最低量は抜いてくれて構わない。えっと、たしか400ccだったかな?」
「それだけあれば十分なワケダ。実験にも使えるし、ラピスの強化も出来ない事はないワケダ」
「サンジェルマン、どうするの?」
要求受け入れを表明するプレラーティと、やや不安ながらもそれに同意するカリオストロ。サンジェルマンはそんな二人を見て、一度だけシキへも目をやった。
「……分かった。なら、早速明日の朝に血を、いや生命のスープをもらうとする。今日はもう寝てくれて構わない」
「ありがとう。見張りとかは……必要ないか」
シキは窓から外を見てそう告げる。そこからは海が見えた。とてもではないが泳いで行けるような距離に陸地は見えず、おそらく逃げ出してもどこかに人が住んでいる事もないのだろうと思えたからだ。
「そういうワケダ」
「死にたいのなら止めないわよ?」
「冗談。俺は絶対みんなのとこへ生きて帰るんだ。夢子の事だってある。俺は父親なんだ。娘を心配させたままで死ねるか」
「っ!?」
シキのその言葉がサンジェルマンの心へ刺さる。彼女の脳裏に飛来するのは、在りし日の記憶。まだサンジェルマンが何の力も持たず、ただの少女であった頃の事。
父に突き放され、母を亡くした、幼き思い出。もし、もしもあの時の父にシキのような気持ちがあれば、そんな風に思ってしまったのだ。
(馬鹿だ、私は。この男は、この時代のあの国に生まれ育ったからこその生き方。あの頃の、あの国であの立場であればきっとこうは言えない)
誰に気付かれるでもなく小さく息を吐き、サンジェルマンは部屋を後にする。その後に続いてプレラーティとカリオストロも出て行った。自分以外誰もいなくなった部屋で、シキはベッドへと寝転がると噛み締めるように呟いた。
―――大丈夫。キャロルの時も何とかなったんだ……。きっと、大丈夫だ。
突如として鳴り響く電話の音。それにサンジェルマン達は視線を動かす。すると、何故か廊下の突き当たりに今時珍しい作りの電話があった。
「……はい、私です」
『やぁ、どうだったかな、実験は』
「神の力の錬成には成功しました。ただ、不完全だったのかシンフォギアに打ち負けましたが」
『ふむ、そうか。それで、打ったのかい? 次の手は』
「ラピスを更なる高みへ届かせる術を見つけました。シンフォギアを強化していた力を入手する事で」
『凄いじゃないか、それは。なら、見せてくれるね、次こそは』
「お任せを」
言い終わると同時に受話器を置くサンジェルマンの体からは、どことなく疲れが漂っていた。
「局長は何だって?」
「次こそラピスの力を見せつけろと言う事よ。一度目はシンフォギアに譲ったが、今度はそうはいかない」
「それに、あいつを失った事で動揺している可能性もあるワケダ。なら、余計こちらが有利に立てるワケダ」
「ならいいけど……」
プレラーティの言葉へそう返し、カリオストロは二人を置いて歩き出す。その背中へプレラーティが疑問を投げかけたのはある意味当然と言えた。
「何が言いたいワケダ?」
「あの赤ちゃん、あーしがS.O.N.G本部へ近付くにつれて泣き止んだのよね。で、そこには白衣を着た眼鏡の女と黒服の男の二人がいて、あーしがあいつの言葉を伝えて女の方へ渡した瞬間、こう言われたのよ」
「言われた?」
そこでカリオストロは足を止める。黙ってその背を見つめる二人へ、彼女は振り向く事さえせずにこう告げた。
―――この事を後悔するわよって……。
原作ではクリスへの精神攻撃の始まりでしたが、こちらでは別の意味合いのラストリゾートとなりました。
クリスの過去絡みは、正直こちらでは必要ないかと思いますし、シキ達との触れ合いで乗り越えたと言っても過言ではありませんから。
そして、ラピスも強化。ただ、作中でも書いた通り、かなり有り得ない事です。
多少純度が低いとはいえ、完全なる一である物を更に強化出来るシキの能力は、果たして本当に特殊能力で片付けられるものなのでしょうか?
次回は遂にあの乙女回路暴走中な彼女の登場。ミカ以上に素直で恐ろしいスコアの誕生です。