シキと了子の間に生まれた女の子でシェム・ハの依り代。
シキの因子を受け継いだために呪詛が完全ではなく統一言語を不完全ながら使用、本来よりも早く言語を習得した。
シキの神の力を宿した母乳を飲んでいた事で神の力を得てしまい、結果シェム・ハをその身に半端な形であるが降ろす事となる。
その際、家族達と早く会話したいとの想いを利用される形で依り代とされてしまった。
現在は従来の赤子と同じようになり、シキ達の手を焼かせるようになっている。
要シキ
エンキによって創られた存在。コピーに近いが様々な人々との出会いと時間が変化を与え、最早別人と呼べるまでになった。
神の力を得たものの、それを大っぴらに使うつもりはなく平穏無事に過ごしたいと願っている。
キャロルやエルの件で分かる通り思い込みが激しい性格だが、これは元がコピー生命体のため自身への暗示(インプット)を行っているためである。
現在は父親として一家の大黒柱となるため、生きる医薬品材料としてウェルやナスターシャに採血される日々を送っている。
「本日は忙しい中こんな機会を作って頂きありがとうございます」
そう言って深々と頭を下げる。きっとそんな俺を向かいに座る人は鋭い眼差しで見ているのだろうと思う。
今、俺は鎌倉は風鳴本邸にいた。かねてから思っていた通り、訃堂さんと直接会って話をするために、である。
八紘さんや風鳴さんが同行してもいいと言ってくれたのだが、それは丁重にお断りした。これは、俺が一人でやり遂げなければならない事だからだ。
「それで、用とは何だ?」
そんな挨拶はいいから本題を言え。そんな風に聞こえる言い方に俺は頭をゆっくりと上げた。目の前に見える老人からは凄まじい威圧感や迫力を感じる。
でも、今までアダムやシェム・ハと事を構えたおかげでそこまで怯えずに済んでいた。
ただ、それらと比べないといけないって辺り、この人も大概だなぁ。
「簡単です。防人として神の力及び俺達家族には関わらないでください」
はっきりと言い切る。風鳴さん曰くシェム・ハとの交渉のために訃堂さんの力を借り、その代償として神の力に関わる全てのデータを渡したらしい。
そこには俺が今も神の力を有している事も含まれていた。当然アンジェ達がいれば、また時期さえくれば再度神の力を錬成出来る事も、だ。
故に俺達家族と言った。夢子だけじゃなく、今後生まれてくるその弟や妹もその器となれるからだ。
ただ、目の前の人からはもう神の力への執着が感じられない気がする。正確には、そこまで興味が無い感じか。
「ふん、何を言い出すかと思えばそんな事か」
「貴方にとってはそんな事かもしれませんが、こっちとしては面倒事ですので」
実際俺達にとっては厄介事だ。しかも今はシェム・ハが夢子の中にいる。神の力自体はもうアンジェ達にも錬成する気はないけど、今後それをやらない奴が出ないとも限らない。
そういう意味でも、この人がそれに興味を向け続けるのは避けたいんだ。だってこの人、絶対そういう事を自分じゃなく他の人間で試しそうだから。
「神の力、か。お前達如きに、それも歌などに膝折る力など最早どうでもよい。頼まれずとも関わる気はないわ」
一瞬ムカッときたけど耐える。こんな事で怒ってたらずっと怒る事になりそうだし。なので言葉は使わず懐から用意してきた紙を取り出して訃堂さんに見えるように置いた。
「これは?」
「今の言葉が口約束だけにならぬよう、一筆頂いてもよろしいですか?」
それでも念は押しておく。いや、風鳴の家の人だから一度口にした事を違えないと思いたいけど、かなりのタヌキいや妖怪じみた人だろうからな。
「見くびられたものだ。儂が言った事を飲み込むと?」
「護国のためならやるでしょう、貴方は」
間髪入れず返すと訃堂さんは微かに眉を動かした。
「八紘さんや翼は例えそれが後に自分を不利にするとなっても、一度約束した事は守ります。でも貴方は違う。目的のためなら手段は択ばない」
「ならばその紙切れも同じではないか」
「それでも物的証拠があれば口約束よりもマシでしょう。防人たる者が一度交わした約束をなかった事にするなど、守りし者の誇りも何もあったもんじゃないですしね」
一度たりとも目を逸らさず告げる。あまり感情を声に乗せないようにしているけど、言葉のチョイスにはちょこちょこ毒が入ってる気がするな、俺。
「いいだろう。儂の前へ持ってくるがいい」
「では失礼します」
足を崩して立ち上がる。そのまま少し歩いて訃堂さんの目の前へ紙を置いた。
すると訃堂さんは近くに置いてあった刀を手に取るや親指をその刃の部分へ軽く押したかと思うと、その紙へ親指を押し付けたのだ。
「これでよかろう。儂の血判ならば偽造も出来まい」
思い切りが良すぎるだろ、この人。そう思うも俺は翼を始めとする風鳴の人間らしさをそこに見て、やはりみんなこの人の子なんだと思った。
「ありがとうございます。なら、そのせめてもの礼に」
「むっ……余計な事を」
だけど、怪我をさせたままなのは気が引けるので神の力で親指を治す。
「じゃ、本題に入らせてもらいますけど」
「何?」
「訃堂さん、もう防人を引退していただけませんか?」
きっと、聞く人が聞けば何て事をと言うだろう内容を、俺はいともあっさり告げた。
さしもの訃堂さんもこれは予想外だったのか反応がない。怒りもなければ呆れもない。ただただ、俺が何を意図してそう言ったのかを探りかねてる目をしている。
「護国は、もう八紘さんや弦十郎さんが担ってくれます。いえ、それ以外の人達もです。誰か強い力を持つ人だけが頑張る時代は終わりました。これからは、みんなで支え合っていく時代なんです」
「馬鹿な事を。みなで支え合っていく? 片腹痛い。その身さえも守れぬ力無き者が、いかにして国を護ると言うのだ?」
「人の歴史はそんな大勢の力無き人達が作ってきました。時折現れる才ある者達は、歴史を動かす切っ掛けになっただけで、時代を動かし歴史に変えてきたのは、大多数の力無き人々です」
「その才ある者がいなければ何も出来ないからこそ儂のような者が必要なのだ」
「家族に、血を分けた子供達にあんな酷い事を言うような人が必要な世の中なんて間違ってます」
「酷い事?」
翼への暴言をこの人は覚えてないらしい。それはかなり頭にきた。
「歌を歌っている暇があるなら子供を産めと言ったそうじゃないですか。自分の家族に対して言う事じゃありません」
「何を言うかと思えばそんな事か」
「そんな事って……自分の娘でしょうっ!」
「だからこそだ。護国のために我々はその身を捧げておる。なれば、歌などを歌うよりも神の力とやらを宿せる器を産み落とす事の方が重要と言うものだ」
「っ!?」
訃堂さんの考えは、言うなれば小事よりも大事という事だ。やはりこの人の根幹にある考えは大を生かして小を殺すものなんだと実感した。
それは、ある意味で正しいのかもしれない。だけど、みんながそんな考えでいたら今の状況はない。
響が、アンジェが、シェム・ハと戦った時のみんながそんな考えだったら、確実に夢子は今生きていない。
「護国のためには犠牲もやむなし、ですか?」
「無論」
「そうですか。なら、こちらは護国なんてクソ喰らえ、です」
訃堂さんの目が俺を睨む。だけど恐れるつもりはない。そっちも正論ならこっちも正論だ。
「犠牲を出すとしても、それはもがき足掻いた結果でなければならない。最初から犠牲ありきの考えなんて間違ってる」
「その甘さがより惨い結果を招くのだ」
「だとしても、みんなが助かるあるいは笑顔になれる方法や道を探さなくていい理由にはなりません。それは、逃げです」
「逃げだと?」
「そうでしょう。自分は全てを守れない、助けられない。だから守れるだけ、助けられるだけしか手を出さない。力を使わない。これのどこが逃げじゃないと? どこが防人ですか。こんなのは強さじゃない。弱さだ」
一歩も引かずに理想論をぶつける。現実を見ろとでも言うのだろうか。それとも青臭い考えと見下し吐き捨てるのか。俺は訃堂さんの言葉を待った。
「己の出来る事を正しく把握しより多くを護るのが弱さだと?」
「それで満足していれば、です」
ピシャリと返す。俺が言いたいのはそうじゃない事ぐらい分かってるはずだ。本当にこの人は……。
「自分に出来る事を正しく把握する。これは大事です。だけど、だからってそれでいいと、考える事や足掻く事を止めたら逃げたのと同じじゃないですか。先人達はその当時不可能と言われてきた事へ挑戦し、それを可能としてきました。救助の世界だって同じです。技術を、道具を磨き考え、少しでも多くの命を守り助けられるように今ももがき足掻いています。貴方は国を護る事に誇りを持っているそうですが、国は人が集まって出来るものです。その人を少数でも切り捨て犠牲にして国を護って何になりますか」
「国無くしては人は護れぬ」
「逆です。人無くして国は成り立ちません。人は城、人は国。何事も人がいるからこそ始まるんです。人を護る事こそ護国の初心ではないんでしょうか? 戦国の世で大名となった者達も自領の民を守るために頭を使い、心を砕きました。そして、民を犠牲にするような政をした者達は決まってその座から追いやられました」
「儂もそうなると?」
「ならないとお思いですか?」
こちらの目を見る訃堂さんは俺の心を読もうとしているようにも見える。無言で威圧感を出しているけど、俺の言葉をどう思っているんだろうか。
届いて欲しい。俺は訃堂さんを全て否定したい訳じゃない。ただ、犠牲を最初から是とするのを改めて欲しいんだ。犠牲を出さずに済むならそれが一番いい。そのためにもがき足掻く。八紘さんも風鳴さんも、翼もそうだ。
もし俺達が犠牲を最初から是とする考えだったら、きっとクリスはいない。ウェル博士だってそうだ。今、俺達を支えてくれている人達の中にいない人が多く出たはずだ。
結果論、なのかもしれない。だけど、それは最高の結果を求め足掻いたからなんだ。誰も死なせたくない。悪人だとしても、殺す事は避けたい。それが今に繋がっている。そしてそれが、シェム・ハとの理解を引き出したんだと、そう俺は思う。
永遠にも感じられるような沈黙が室内を包む。俺も訃堂さんも一度たりとも相手から目を離す事をせず、ただ黙って相手を見つめていた。
どれくらいそうしていただろう。訃堂さんがいきなり小さく笑った。
「面白い。儂を排除出来ると言うか」
「貴方が今のままであるのなら、自然とそうなっていくと思います」
この年齢まで今の考え方で貫いてきた人を変えるのは、正直不可能に近いとは思う。それでも、この人も人を、国を想い、それを護る事に身命を賭してきた人のはずだ。
だから、俺はそこに賭けたい。八紘さん達風鳴の人達に共通する守りし者としての誇り。それはこの人から受け継いだものなのだと。
「いかにしてやる。儂の倅共と共闘でもするのか?」
「いえ、俺一人でやります」
「何?」
初めて、初めて訃堂さんが驚きを見せた。俺の顔をじっと見つめ、やがて馬鹿にするように笑う。
「カカッ……笑止っ! 貴様ごときが儂を倒せるとでも思っているのか!」
「ええ。シェム・ハ相手に負けた貴方なら、今の俺が負ける道理はないです」
「ふっ、神の力とやらを宿した事でのぼせあがったか。所詮はその程度の器よ」
「神の力だけじゃありません。今の俺には、みんなの愛が宿ってる。可能性と言う名の、神様が認めてくれた無限の力が」
「愛? 可能性? 愚かな……」
まるで以前のシェム・ハだ。そう思うけど、俺は構わない。静かに立ち上がるとゆっくりと襖へ向かってそこを開けた。
視界に入る日本庭園を眺め、俺は後ろを振り返ると訃堂さんへ一言告げる。
「外でやりましょう。ここじゃ後始末が面倒です」
「よくも吠えたわ。身の程を教えてやるも先達の務めと言う事か」
悠然と立ち上がる訃堂さんからは覇気のような気迫が漂い出した。それでも俺は逃げるつもりはない。そのまま靴も履いてない状態で庭へと出る。
あんな事があったとは思えないぐらいの庭を見て、俺は小さく安堵する。調神社で出来たからここでも大丈夫だと思ったけど、さすがにあの時よりも色々と酷かったから元通りに出来たか心配ではあったんだよな。
「さぁ、どこからでもかかってくるかいい」
「いえ、俺は何もしません」
「……何だと?」
「俺は一切攻撃しません。訃堂さんが好きなだけ攻撃してください。俺は、それを受けても決して負けませんから」
そう気負う事なく告げると、訃堂さんは若干の間の後何かを察したかのように笑った。
「成程。儂の攻撃を受けても神の力とやらの効果で瞬時に」
「それは無理です。もしそれが可能ならシェム・ハに攻撃された時に俺はすぐに目覚めてます。なので、少なくても俺にはティキの時みたいな事は不可能ですね」
そう言いながら俺はそれを説明してくれた時のキャロルやレティの顔を思い出す。何故か二人は微妙な顔をしていたんだ。まるで、それを俺に聞かせるのが心苦しいといわんばかりに。
だから詳しい説明は聞かなかった。二人は聞きたいならすると言ってくれたけど、別に知ったら出来るようになるわけじゃないから。
それよりも二人に話したくないだろう事を話させる方が嫌だったし。
「なので、気になさらずどうぞ。力だけで守りたいモノがある人の心を折って完全勝利するのは不可能に近く出来るって、俺はそう思ってますから」
「ぬかしたな。ならば、その身ごと砕いてくれるっ!」
地面を力強く蹴って凄まじい加速を乗せて向かって来る訃堂さん。それを俺は避ける事も防ぐ事もせず、ただ棒立ちで見つめた。
「ごぶっ……」
一瞬で意識が薄れるような痛みと衝撃に体がくの字に曲がる。恐ろしい事に、そんな威力なのに体が後ろへ飛んで行かない。つまりこれって衝撃を逃がす事無く俺へ叩き込んでるって事だよな。何て凄い事するんだ、この人。
だけど、我ながら妙に冷静だな、俺。ああ、あれか。あまりにも規格外過ぎて動揺さえ追い付かないんだ。
「ほう、耐えたか。殺すつもりで打ちこんだのだが」
頭上から聞こえる声はどこか笑っている。見えないけど、絶対とんでもなく悪い顔をしているはずだ。それでも俺は歯を食いしばって耐える。
正面からぶつかり合って勝っても、きっとこの人は変わらない。俺が勝利出来たのは神の力のおかげだと思うだろうからだ。だから、俺が見せるのは心の強さだ。
どれだけの力で叩き伏せようとも、折れない心があると。力がないからと言って弱い訳じゃないと、そう示すために。
正直膝は震えるし立っているのもやっとだ。それでも、絶対に負けるつもりはない。この人には力で勝ってもダメなんだ。この人には心で勝たないと意味がない。
「少々見くびっておったか。今ので終わると思うておった」
「ごほっ……そ、それは……良かったです」
「故に次は全力で打ちこんでやろう。精々死なぬよう足掻け」
腹を圧迫していたものが無くなったかと思うと、訃堂さんが後ろへ飛んで下がった。もう一度勢いを乗せて拳を叩き付けるためだろう。
下手をすればそれで死ぬかもしれない。だけど、きっと大丈夫。何故なら、俺は父親だからだ。義理の娘へ手を出し、実の娘を捨てて息子へ押し付けた鬼とは違うっ!
「往生せよっ!」
気付けば目の前には訃堂さんがいたけど一瞬で見えなくなると同時に感じる凄まじい衝撃。だけど今度は腹部じゃない。だって俺の視界がぐるりと変わっているんだ。
左頬を右拳で打ち抜かれたんだと、そこで分かった。それでも死なずにいるのは、多分神の力のおかげなんだろうとは思う。でも、それだけじゃないはずだ。
だって、それだけのシェム・ハは訃堂さんと互角がやっとだったらしいから。
「……これでも倒れぬか。しぶとさだけはあの神を僭称した者より上のようだ」
こともなげに告げる訃堂さんだけど、俺には分かる。今、あの人は苛立ち始めている。簡単に終わると思った俺が二度も無防備状態で攻撃に耐えた事。それがきっと気に入らないのだろう。
「だが、果たしていつまでもつか。老いたとはいえ、まだこの儂は貴様のような小僧に舐められるような衰えは迎えておらぬでな」
そう言った後、俺は訃堂さんに意識を飛ばされた。その瞬間、夢子達の事が頭をよぎった。子供達を残して死ねるかっ! って、そう思って。
そしてその後は、多分だけど全身をその場でサンドバッグのように殴られ続けたのだと思う。何故なら、気付いた時には視界がほぼ開けてなく、目が腫れ上がっていたんだ。背中は地面へついていて、そこで完全にのびていたんだと分かった。
それでも俺は死んでいなかった。体中は痛いけど、それでも生きていた。
あまりよく見えない視界で見上げてみれば、そこには訃堂さんらしき人が見える。こちらを見下ろし、どこか恐ろしいものを見るような表情を見せていた。
が、それが俺と目が合った瞬間消える。一体何だったんだ、今の?
「まさか本当に死なぬとはな。神の力、やはり侮る事は出来ぬか」
「それ……だけじゃ……ない、です……」
絞り出すように声を出す。俺が死ななかったのはたしかに神の力だろう。だけど、体の状態から考えても精々出来て自然治癒力を高めるのが限度だ。
それで岩を砕きそうな一撃を何度も受け止められるはずがない。なら、きっとこれは神の力だけじゃない。
「それだけではない、だと? では、何だ?」
「……人の……はぁはぁ……持つ、可能性……です」
「可能性だと……? まだそんな」
「っ事実……俺は、まだ……はぁはぁ……っ、生きてます。神の、力……だけじゃ……っきっと、死んでます」
まだ体を起こす事は出来ない。だけどそれでもいいと声を出す。今必要なのは立ち上がる力じゃない。会話をしようという心だ。
「俺……一度……っ! シェム・ハっ、にっ……殺され……かけ、ました。……だけど……死なずに、すみました」
「そうらしいな」
「きっと……あれは、運が……っはぁはぁ……良かった、んです。その、結果……がっ……人の持つ可能性だと……っ思います」
そうだ。運が良いって言うけど、あれはきっと俺の可能性が掴んだ結果なんだ。キャロルも言ってた。神の力同士で相殺し合ったんだろうけど、結果俺が負けた時点でその強さはシェム・ハが上だって。
なのに死なずに済んだのは、俺が生きる事を諦めなかったからだろうって、そうキャロルは言っていた。生きる事を諦めなかったから俺は足掻いた。その足掻きが今に繋がっている。
「愚かな。それは貴様が神の力を持っていたからで、それがなければ」
「だとしてもっ! ごほっ……だとしても、俺は……同じ事をしました。結果は、きっと変わるかもしれませんけど、それが可能性ってものです」
神の力がなければ死んでいた。でも、その神の力があるからこそ俺はシェム・ハに狙われた。ただそれを言うつもりはない。
あの時、俺はシェム・ハを許せなかった。折角元の体に戻った三人を怪物へと変え、夢子を利用し自分の野望を果たそうとしていたのだから。
あそこで掴みかかろうとしない人間だったら、俺はみんなと深い関係になんかなれなかったと思う。うん、今ならはっきり言える。俺は、割とイイ男だ。
ただ、本当のイイ男の足元にも及ばないだろうけど。
「可能性とやらがそこまで凄いと言うか。ならばその証拠を見せてみよ」
「……貴方を追い詰めたシェム・ハは、最後その可能性に負けました。あれだけの力を持った存在が、俺達の歌の前に負けを認めたんです」
「歌、だと……?」
やっと声を出すのが苦しくなくなってきた。これで会話が少し楽になる。
「ええ、歌です。貴方がくだらないと言った、あの歌ですよ。もし疑うのでしたらシェム・ハ本人に聞いてみますか? 我が家の末娘の中で俺達人間を見守ってくれてますよ」
「何?」
「神様にも知らない事があったらしいです。それが、人間の可能性だったんですよ。とんでもない力を持った神様が、俺達が一緒になって歌を唄っただけで負けを認めざるを得なくなったんです」
「馬鹿な……有り得ん」
「そうシェム・ハも最初は言ってました。だけど、事実です。人間には、神様さえ越える力が眠ってるんです。みんなで手を取り合う事で、生まれる力が」
言いながら体に力を込める。うん、立てる気がする。ゆっくりだけど、着実に立ち上がる。地面に手を付き、みっともなくても、無様でも、それでも何とか自分の足で大地を踏みしめて。
そんな俺を訃堂さんはどこか驚いた表情で見ていた。まぁ無理もない。顔はボコボコで体もズタボロ、そんな奴がゆらりと立ち上がってきたのだ。ちょっとしたホラーである。
「た、立つのか、その体で。それも神の力の為せる業か」
「それだけじゃないです。聞いてませんでした? 俺、娘がいるんです。それも、血の繋がらない子達も含めて四人も」
「それが何だというのだ?」
「俺、親父なんです。父親なんです。貴方が国のために子供達や奥さん達を、家族を苦しめるって言うなら、俺は家族を護る為に国と、貴方と戦います。家族を背負った父親はなっ! 強いんだっ!」
俺の頭に八紘さんとエンキの姿が浮かぶ。片や娘のために、片や子供のために、それぞれ自分に出来る事を精一杯やった存在だ。八紘さんも、エンキでさえもその守ろうとしたものは国でも世界でもない。自らの愛する子供だった。
「家族を背負う? 父親は強い? 世迷い事をっ!」
「実際今も俺はこうして立ってる! 俺を殺そうと思えば殺せるはずの貴方の前で、何度も殴られ、倒れたはずの俺が!」
言いながら足を一歩ずつ踏み出す。訃堂さんがそれに僅かだけど怯んだ、気がした。
「貴方も父親だったはずだ! 家族を持っていたはずだっ! なのに、なのにどうしてその強さを捨てたっ! 何で甘さと考えて斬り捨てたっ! それこそが、最大の弱さだと言うのにっ!」
「黙れ小僧っ! 貴様に何が分かるっ!」
「分からないから聞いてるんだっ! なのに教えようともしないで、どうやって分かれって言うんだよっ! 人間はテレパシーが使える訳じゃないんだっ! 思った事! 言いたい事! 感じた事、伝えたい事っ! 全部、全部口にしなきゃ分かり合える訳ないだろぉぉぉぉぉぉっ!」
叫んだ。心の底から叫んだ。相互理解をしたいなら、まずは会話をする事。だから俺は言葉を発した。疑問を口にした。それにどう返すのか。何を伝えるのかは相手次第だ。
そんな風に思っていたら、いつの間にか至近距離に訃堂さんがいた。俺がそこまで歩み寄っていたらしい。
「……分からないから聞いている。全部口にしなければ分かり合えぬ、か。正論かもしれん」
俺の顔を見据えて訃堂さんはそう告げた。その眼差しはとても鋭い。
「儂は、護国のために身命を賭す覚悟を決めた風鳴の者。防人たる者、何よりも国を護るを第一とする」
淡々と訃堂さんは話し始めた。どういう想いで今まで生きてきたのか。どういう考えで翼のお母さんへ、八紘さんの奥さんへ子を産ませたのか。
正直理解出来ない部分もあったし、同意出来ない事も沢山あった。許せない事もあったし、認められない部分もある。
だけど、何よりも嬉しかった。話してくれた事が、伝えてくれた事が、何よりも俺は嬉しかった。
「……儂が話せるのは、伝えられるのはここまでだ」
「そうですか。その、ありがとうございます」
少しだけ後ろへ下がって深々と頭を下げる。ゆっくりと体を戻すと、当然だけど訃堂さんと目が合った。
「そこまで体を痛めつけた相手へ礼を述べる、か。貴様は本当に分からん奴だ。だが、それだからこそ翼の伴侶となるか」
「訃堂さんの血を継いでると思えない程可愛いですからね。俺なんかじゃ釣り合わないですけど」
「あれでも儂の娘だ」
「いえ、八紘さんの娘です。医学上は知りませんが、戸籍上も心情的にも、風鳴翼は風鳴八紘の娘です。今更父親面しないでください。息子に押し付けたんですし。その代わりに、血の繋がらない孫がもう四人いますから」
「孫?」
こちらへ訝しむ顔をした訃堂さんへ俺は頷いてその場から一旦離れる。そして室内に置いてあったスーツの上着からスマホを取り出して、画像を呼び出し訃堂さんへ突き出した。
「こっちがキャロルでその隣がエルです。で、これがエルザで、この赤ちゃんが夢子です」
しばらく無言で画面を見つめていた訃堂さんだったが、やがて画像から目を逸らしてこちらを見てきた。
「えっと、何ですか?」
「……一度、ここへ連れてこい。貴様と翼が夫婦となるなら揃ってここへ挨拶に来るのだろう。その際で構わん」
一度として表情を崩す事はなかったけど、これってキャロル達を孫と思って会ってくれるって事か? しかも、今さらりと俺と翼で挨拶に来るようにって言ったよな?
「あ、あの」
「貴様には礼を言わねばならんか。今回の貴様を見た事で、儂は神の力を諦めぬ気になった。どれだけ言おうと貴様のそれは、その恩恵によるものだ。ならば、儂の血が、風鳴の血が貴様の血に入れば、その者はもっと強い器となる」
俺へ背を向け、訃堂さんはそう言い切った。つまり、俺と翼の子を器に神の力を再度錬成させるつもりなのか?
「だが、もしかすれば他の血が入った方が強い器になるやもしれん。どうせなら、器は多い方が良い。そして、その器の守り手も、な」
「えっと……?」
何かが違う気がする。訃堂さんが言ってる事は俺が八紘さんから聞いた事とそこまで変わってない。なのに、何かが明確に違っている気がする。それは……何だ?
「いつか貴様にも儂の考えが分かる日が来る。それまでに儂を説き伏せられると思うのなら、何度でも来るが良い。その度に儂が、貴様のその甘い考えを説き伏せてくれる」
「訃堂さん……それじゃあ……」
「……儂に神の力の有用性を示してくれた事、感謝しておこう。それと、ついでに腕の事もな」
それだけ言うと訃堂さんはその場から去った。俺はその去りゆく背中に慌てて頭を下げた。
「ありがとうございますっ! 俺、何度も来ますっ! 貴方と会話しにっ!」
春、それは出会いと別れの季節。ここリディアン音楽院もその例に漏れず、去年までの最上級生がいなくなり、代わりに進級した新三回生達が最後の学院生活を謳歌しようと精力的に活動していた。
「「男を紹介して欲しい?」」
麗らかな春の日差しの中、響と未来の声が重なる。その視線の先には照れくさそうにする弓美、詩織、創世の姿があった。
青春時代が終わりそうな学院生活最後の年。弓美達三人は決意したのだ。自分達も彼氏というか恋人を作ろうと。そのために友人の中で彼氏持ちである響と未来を頼ったのだ。それと、シキの人柄も知った事もあり、彼の信頼する相手であればと。
「う、うん。要さんの友達とか、無理かな?」
「えっと、シキさん学校とか行ってなかったからなぁ……」
「お友達が無理なら、お知り合いでも構いません。その、まったく接点のない男性というのが怖いので……」
「そう言う事ね。なら、心当たりがない訳でもないけど」
「「ホントっ?!」」
「何でビッキーまで驚いてるの……」
未来の発言に弓美だけでなく響まで反応した事で創世が呆れ、詩織は苦笑する。そんなやり取りを聞きながら未来はにっこりと笑って告げた。
「S.O.N.Gの職員さんにも男性はいるから。きっとそこなら紹介出来る伝手はあるんだ」
「あー、藤尭さんや師匠を頼るんだ」
「うん。だから安心していいよ。年上には、なっちゃうけど」
「いいわよ全然。むしろその方が有難いかも」
「はい。年上であれば多少同年代よりも落ち着いているでしょうし」
「何より、デートの時に甘えられるじゃん」
創世の言葉に響と未来は思わず苦笑い。シキとのデートでは常に彼が支払いを担当していた事を思い出したのだ。
(シキさん、全部代金もってくれたっけ。……あのパフェ、未来と食べた時若干味が落ちた気がしたの、やっぱりそういう事なのかな?)
(女はデート前にお金を使って、男はデートでお金を使う、だっけ。シキさん、こう考えるとやっぱり大人だったんだなぁ)
まだ今のようになる前の、どこか頼りなかったシキ。それでもその振る舞いはたしかに大人の男らしかったのだと、そう改めて思い出して二人はほんのりと胸を温めた。
その頃、クリスはと言えばミラアルクと二人でスーパーの中にいた。
「えっと……今夜はカレーか」
「マジか? じゃ、肉をっと」
「待てっての」
「グエッ……」
歩き出そうとするミラアルクの服のネックの辺りを掴み、クリスは視線を手元のメモへ向け続けた。当然そんなクリスへミラアルクがジト目を向ける。
「何すんだぜ」
「これ」
差し出されたメモには、いかにもカレーの材料と言うべき玉ねぎや人参の他に、エビなどの海鮮の名称が書かれていた。
「……これって」
「おう。今夜はカレーはカレーでもシーフードって事だな」
「おおっ、いいじゃん。テンション上がってきたんだぜ!」
「じゃ、あたしは野菜を選んでるから、ミラはエビとか頼む」
「引き受けたんだぜ!」
すっかり家政婦な二人である。それぞれ目当ての食材をかごへ入れ、メモに書かれた物は揃った。さて、そこからが二人の買い物が本格的に始まるのだ。
というのも、ここからは袋菓子などのいわばおやつの選択となる。それは自分達だけでなく家の者達全員の分でもある。
「ポテチ系は三種類ぐらいでいっか」
「じゃ、塩とコンソメと……何にするんだぜ?」
「あー……季節限定とかにしとけ」
「ん。りょーかいだぜ」
いつの間にかミラアルクの手にもかごがあり、そちらには沢山の袋菓子やチョコ菓子などが入れられていく。
そうして二人が二つのかごを持ってレジへ向かった頃、翼は音楽番組の収録を終えて、緒川の運転する車の助手席で振動に揺られていた。
「久しぶりのテレビはどうでした?」
「ええ、疲れました。ただ、笑顔が以前よりも柔らかくなったと思います」
そう言って笑みを浮かべる翼を緒川も横目でチラリと見やり、その通りだと思って微笑む。今の翼には以前にも増して女性らしい柔らかさがあった。
シキと肉体関係を持った事で始まった乙女としての成長は、今や少女から大人への変化となっていたのだ。
「この分だと、ソロ活動も忙しくなりそうですね」
「それは嬉しいのですが、出来るだけ控えめにしたいのです。可能なら、テレビへの露出を控えてライブなどに専念したいぐらいに」
「そのライブも、シーズン毎に一度ですか?」
「……出来れば」
申し訳なさそうに、でもはっきりと翼は告げた。その顔をバックミラー越しで見た緒川は、アーティストではなく風鳴翼の顔をしていると理解し、小さく苦笑すると頷いた。
(翼さんも、ここまで自分の我を出せるようになったんですね。良くも悪くも女になった、という事でしょう)
シキと深い仲になる前は奏と歌う事が何より大事だった翼。それが変わって、シキや仲間達と過ごす時間こそが一番となった事。それに緒川は感慨深いものを抱いて笑みを浮かべる。
「何ですか、その笑みは」
「いえ、翼さんも大人になられたんだなと」
「どういう意味です?」
「さて、どういう意味でしょうか。ただ、今のでやはり子供かもしれないとも思いました」
「むっ、緒川さん、からかってますね?」
付き合いだけで言えば、緒川は翼にとっては奏よりも長い相手。故にどこか奏ともシキとも違う雰囲気が出る。その妹が兄へつっかかるようなやり取りをしている間にも車は進み、二人の会話もそれに合わせるように弾んでいく。
その車が向かっている先であるダンススタジオでは、奏とマリアがトレーニングウェア姿で汗を掻いていた。
「っかぁ~、やっぱ体動かすのは気持ちいいねっ!」
「ふう……そうね。でも、まさか……ね」
そう言ってマリアは優しく下腹部を撫でる。その様子を見て奏も噛み締めるように頷いて同じ事をした。
「やっぱ実感はないよ。ここに、いるなんてさ」
シェム・ハにより奏達一部の女性達が受精及び着床した事が発覚、このままいけば無事出産出来ると明言されたのだ。
フィーネは勿論サンジェルマン達も驚き、奏とマリアも念願の出来事に喜び合った。当然響達はそれに喜んだ。シキはそれもあって訃堂との対談へ臨んだのだから。
「本当に。あの時は、何となく分かったのだけど……」
「それだけ強烈だったもんね、あの時のシキ」
「ええ。でも聞いた? あの後、翼からは凄く優しくイチャイチャしてたって」
「聞いた聞いた。て言うか聞かされた。翼から」
「奏も? ……自慢か」
「だろうね」
そこで二人の表情がまったく同じものへ変わる。それは不敵な笑み。もう少ししたらここへ来るだろう翼を、二人がかりで弄ってやろうと思ったのである。
二人は相手の表情で同じ事を考えていると読み、その笑みを増々深くしていった。それは完全に悪の女幹部の笑みである。
「ねぇ奏。ちょっと相談があるんだけど」
「奇遇だね。あたしもマリアに相談があるんだ」
「ふふふっ……」
「はははっ……」
余談だが、この時翼は謎の悪寒を感じて緒川に心配されると言う一幕があった事を追記しておく。
「今日一緒に帰らないデスか?」
「出来れば、また色々な事教えて欲しい」
「う、うん。いいよ」
二回生になって同じクラスになった暁さんと月読さん。まさかこんな風に仲良くなれるなんて思ってもいなかった。
一回生の頃から有名な二人で、常に二人一緒にいるとか、片方の口調が独特とか、片方がミステリアスな感じで色気があるとか色々あるけど、どちらにせよ私は噂を聞くぐらいで関わる事はないと思ってた。
二人も、元々上級生と仲が良いみたいでよく一緒にいるとこを見られたらしいし。しかも、あの雪音クリス先輩や立花響先輩だもん。
そうそう、雪音先輩と言えば海外への音楽推薦蹴ったって噂になったなぁ。学院祭での歌、凄く良かったし、みんな絶対そっちに進むだろうって言ってたのに。
で、立花先輩はある時から急に色気が出てきたとか言われて、一部の生徒ががっかりしてたっけ。下手な男よりもカッコ良くて優しくて頼りになるって人気だったからかな。絶対男が出来たって、そう言われてたけど……。
「どうかした?」
「体調でも悪いデスか?」
「う、ううん。そんな事ないよ」
少し考え事してると二人が小首を傾げた。うん、本当に可愛いよねこの二人。女だけど彼女に出来るってなったら迷うぐらいいい子だし。
暁さんは元気系のムードメーカー。クラスでも結構輪の中心になる子で、その底抜けに明るい感じに結構助けられる時もある。
月読さんは反対に物静かな子。でも決して無口じゃないし暗い訳でもない。暁さんとコンビってぐらいに息ピッタリで、周囲からは同性カップルなんじゃないかって言われるぐらい。
でも、私はそれはないって思ってる。特に先週の二連休明けから二人は変わったって確信出来るぐらい……その、エッチな顔をする時がある。
「でも、どうしてそんなにコスプレに興味あるの?」
そう、二人が私に聞いてくるのは所謂仮装の事。それも、男の人受けしそうなものだった。だから私は確信してる。二人は好きな男の人がいて、しかも多分付き合ってるって。
どうも最近制服でし、したらしい。二人は制服を見せたら喜んでくれたって言ってただけだけど、その時の顔がすっごくエッチだった、から。
私がそういうのが趣味だって知られたのは弓美先輩経由。実は私は年に数回コスプレをしているんだけど、その会場で同じくコスプレをしてた弓美先輩と知り合った。
まぁ私が女児向けで先輩は男性向けだったけど。それでも意気投合し、ちょこちょこと一緒にイベントに参加したりしてた。
……まさか先輩から私が裁縫とかを自分でやって自作コスを作ってる事を聞いて、暁さんと月読さんが自分達も作って欲しいとか言われるなんて夢にも思ってなかったけど、ね。
「それは……」
「楽しいからデスよ。違う自分になれるってテンション上がるじゃないデスか」
私の問いかけに月読さんが若干迷う顔をしたけど、すぐに暁さんがあっけらかんと告げる。まぁ疑ってる訳じゃない。二人もコスプレを純粋に楽しんでくれてるのは、分かる。
だけど、どこかで彼氏さんとのエッチに使うつもりじゃないかって、そんな気もしているのは仕方ない。まぁ、作る側としては大事にしてくれればそれでいいとは思うけど。
「……まあそういう事にしておくね」
本音でもあるだろうけど、きっと目的はそっちだと思う。だって私がそう言った時の暁さん、視線が泳いでたし。
「で、彼氏さんは制服フェチなの?」
「「ふぇち……?」」
「あ、うん。ごめん、後で教えるね」
いけないいけない。この子達はオタクじゃないんだった。それにどうもエッチ関係の言葉も詳しくなさそうだし、言葉には気を付けないと。
私の席から離れていく二人を見つめ、ぼんやりと思う。あんな子達の彼氏って、どんな人なんだろうって。二人の口振りからすると社会人っぽいんだよねぇ。一体どこで出会って付き合う事になったんだろう?
……もしかしてナンパ? あるいは出会い系? その辺りもそろそろ聞いてみよう。二人が騙されてるかもしれないし、ね。
「どうですか?」
「まぁ悪くはないでしょう。というか、何故わざわざこんな場所まで来てランチを食べなければいけないのですかねぇ?」
この日、お好み焼き屋ふらわーの店内に珍しい者がいた。ナスターシャとウェルである。その同じテーブルでキャロルとエルがフィーネと共にお好み焼きを美味しそうに頬張っていた。
妊娠していると発覚した了子はきっとフィーネが宿したのだと察して、生まれるまでの間櫻井了子の外見を止める事にしたのである。
勿論S.O.N.G内でも事情を知らぬ者達は一様に驚いたが、その口調などは了子本人が担当している事もあり、単なるイメージチェンジの一環程度の認識で収まった。
さて、何故五人がここふらわーへ来ているかと言えば、事の発端はウェルの告げた”食堂の食事に飽きた”というものだ。
それを聞いて何とナスターシャがここへ連れてきたのである。勿論、この店をナスターシャに教えたのは切歌と調だ。そしてその二人へ教えたのは当然響達であった。
「食堂では決して食べられない味ですよ?」
「それは認めます。ですが、そのために長時間歩く事になるのなら」
「もぐっ……タクシーで移動してきたじゃないか」
「そうですよ。はむっ……
「エル、口に物を入れながら喋るんじゃない。キャロル、あまり相手にするな」
「「……はい、フィーネ母さん」」
口の端にソースをつけて微笑む二人にフィーネも笑みを浮かべ、まさしく仲良し母娘な三人である。だが、そのやり取りを聞いていたウェルは若干呆れていた。
「これが世界で指折りの錬金術師とその妹とは。誰も信じないでしょうし分からないでしょうね」
「それでいいのです。ドクターウェル、本当に凄い人と言うのは、誰に知られる事なく凄い事を成し遂げるらしいですよ?」
「……誰に知られる事なく、ですか。まぁ、英雄ではなく凄い人間というならそれも間違っていないでしょう」
そのウェルの言葉にナスターシャは小さく驚きつつも柔らかく笑みを浮かべた。フィーネ達さえも微笑みを浮かべていた。今のウェルからはかつてのような狂気じみたものが薄れていたからだ。
世界を救う英雄。それにウェルはなれた。完成した新薬は予想通りの効能を発揮、万病へ効果ありと改めて実証する事で注文が殺到する事となる。
ただ、ここでウェルはその秘めていた才能であるプロデュース力を発揮した。新薬はあくまでも現在の薬では完治出来ないものを始めとするその治療が難しいもしくは薬が高価であるものへ優先的に使用してもらいたいため、従来の薬でも対処可能なものへの使用はさせたくないと判断したとの声明を発表したのだ。
そのためにウェルは必ずその患者のカルテを添付の上で注文する事を義務付けた。これは様々な方面から文句が出たが、それを大きく越える程の賛同や応援を受けたのである。
弱者を一人でも多く救いたい。その思想をウェルの声明から感じた者達の声だった。
まぁ、ウェルにそんな考えがあったのかは本人のみぞ知るところではあるが、それもあってシキは今までと同程度の拘束時間で済む事が決まっていた。
「それで、どうする? もう一枚食べるか?」
「「うんっ!」」
「分かった。で、何にしてもらう?」
「めんたいチーズもち」
「ぼ、僕はモダン焼きが食べたい!」
「ふふっ、そうか。なら、両方頼むとしよう。マム、構わないだろうか?」
「ええ」
「ちょっとちょっと、どーして僕を自然に無視するんですか! こちらの意見も聞いて欲しいものですねっ!」
そんな五人を眺め、ふらわーの店主である女性はしばらくこう思ってしまうのだ。
――仲の良い家族だねぇ、と……。
「ヴァネッサは一緒に行かなくて良かったのか?」
私が食堂で食事をとっていると正面に座っていた藤尭さんからそう言われた。見れば隣のあおいさんも同じ意見なのか私を見ている。
「ええ。教授は了子さん達と親しくしても不思議はないですし、下手をすれば家族みたいなものと認知されてますけど……」
「そっか。あまり要君の印象を悪くさせたくないのね」
「というよりは、要らぬ誤解を生むと思うんです。ただでさえ、シキさんの評判って微妙ですし」
私がそう言うと二人は納得するような微妙な顔をした。
そう、シキさんのS.O.N.G内での評判は良くない。何せかつては重要人物としてその衣食住を国から保障され、更に奏や翼ちゃんと親しい仲になり、他の装者の子達とも良い関係を築いていた。
そして重要人物でなくなったと思えば、了子さんとの間に子供を作り、キャロルやエルちゃんのような可愛い養子を得て父さんと呼ばれて慕われている。
一般常識で考えればシキさんは到底受け入れられない存在だろう。ただ、本人が仕事には真面目で自分に出来る事を懸命にやってるから最悪とはなっていないだけだ。
「いくら公人としては立派でも、私人としてだらしないと思われれば……」
「だなぁ。俺は色々と知ってるし聞いてもいるからそこまででもないけど……」
「ほとんど知らない人から見れば、要君は了子さんに子供を産ませておきながら結婚していない上、複数の女性と関係しているようにしか見えないものね」
「はい」
当然だけどシキさんの状況はこの国の常識で言えば論外。一夫一妻だもの。ただ、私からすれば当人同士が納得しているならいいと思ってる。
結局他人は他人なのよね。自分達に害を与えないのならむしろ関わらない方がいい。特に金銭と色恋は万国共通で面倒事の筆頭だし。
「まぁ、そのおかげでシキへ迫る女性はいないからいいんじゃないか?」
「それもそうね。要君の悪評はそういう意味で貴方達に好都合でしょ?」
「そうなんですよねぇ。だから正すつもりはないって了子さんも言ってましたし」
そう言うと二人が揃って苦笑した。実際私もそれでいいと思う。シキさんは聖人君子じゃない。あの人は自分の知り合いや家族のためなら命さけ賭けられる人だけど、他人にはそこまで出来る人じゃないって思うし、そうであって欲しいとも思うから。
赤の他人のために命がけなんて、そんなヒーローみたいな事をシキさんがやってたら本当にいつか死んでしまう。そうなった時、私はその相手を恨むし憎んでしまうだろうからだ。
だから、シキさんの事をよく知りもしないで嫌う人や知る気もない人達へわざわざあの人の良さを教えるつもりはない。
でも、きっとあの人はいざとなったら見も知らぬ相手でも手を差し伸ばすって分かってる。だって、私達がそうだったから。
「あれ、コロッケ半分残ってるけど?」
「ああ、これ? ちょっとダイエットしようかなって」
「じゃ俺にくれよ。代わりにとんかつ一切れでどう?」
「人の話聞いてた? ったく、じゃあ脂身の少ないとこもらうわ」
気付けば私の目の前で展開される光景に目を疑った。あらあら? これって、もしかするともしかするのかしら?
敢えて口には出さず私はただオムライスを食べ続けた。目の前の二人が繰り広げる、他愛ないようで親しい感じを漂わせる会話を覚えて、後で了子さんへ話すために。
……またフィーネに悪趣味って言われるのかしら? でも、仕方ないじゃない。楽しいんだもの、了子さんとそういう話するの!
「お皿洗い終わったであります!」
「では、休憩にしましょうか」
「あっ、じゃあみんなを呼んでくるであります!」
「お願いします。私はお茶の支度をしていますから」
パタパタと駆けて行くエルザを見送り、ファラは小さく笑みを見せる。昼下がりのシャトーは、平和な時間を迎えようとしていた。
「えっと、クリスさんは多分子供部屋でありますね。ミラアルク達は……お掃除の続きでありましょうか?」
今や要家の長女となったエルザは忙しい日々を送っていた。家事手伝いをし、手が空いた時間はクリスを先生に勉強に励み、リディアン入学のための努力をするという状況だったのだ。
だが、それをエルザは苦とは思っていなかった。何せ自分がやりたくてやっている事だからだ。かつての日々に比べれば、あのパヴァリアでの時間やそれ以前の時間に比べれば、今の時間がどれだけ彼女にとって幸せかは言うまでもない。
「っと、まずはクリスさんでありますね」
子供部屋の前で止まり、ドアを小さくノックするエルザ。すると中から入室を許可する声が聞こえてきた。
「いいぞ」
「失礼するであります。クリスさん、今からリビングでお茶するでありますが、クリスさんもどうでありますか?」
「そうだな。丁度いいし、あたしも休憩するか」
「じゃ、先に行ってて欲しいであります。私めはミラアルク達を呼びに行ってくるであります」
「おう」
静かにドアを閉めてエルザは次の目的地へと向かう。その足音を聞いてクリスは小さく息を吐いて眠る夢子へ視線を向けた。
「お前の姉ちゃんは元気だよな。来年と言わず、今年中に編入出来るようにしてやるか」
(あまり急がぬ方がいい。まぁ、あの娘の場合は、自分の意見を言えるだろうからそこまで心配は要らぬだろうがな)
聞こえてくる声にクリスは小さく苦笑して頷いた。そしてこう思うのだ。
(シェム・ハの奴、本気でこの家の守り神になりそうだな。……ま、それならそれでいいか)
夢子は要家の天使にして守り神。そんな言葉を思い浮かべながらクリスは背伸びするのだった。
それから数分後、リビングには紅茶を手に一息つくクリス達の姿があった。テーブルの上には早速クリスとミラアルクが買ってきた菓子の一つが置かれている。
「そういえばエルザ、勉強の方はどうなんだぜ?」
「クリスさんが教えてくれてるから順調であります。来年は私めも切歌に調と一緒に学生でありますよ」
「おう。エルザはあの二人よりも真面目だからな。教え甲斐があるってもんだ」
そう言ってクリスは広げられたポテトチップスへ手を伸ばす。期間限定の”桜味”という変わり種だが、クリスは嫌いではないようだ。
ただ、ミラアルクは好みではないらしく、一枚食べた後はまったく手を付けようとしていない。エルザもそこまで好きではないようで、その手は伸び悩んでいた。
「なら、エルザも来年は学生さんだナ。あの可愛い服を着てピカピカの新入生だゾ」
「制服のオーダーはどうしましょうか? クリスのがありますが……」
「さすがにクリスのでも地味にサイズが合わない。派手に新調してあげましょう」
「それがいいでしょうね。ま、シキもこれからは稼いでくれるみたいだし、や~っと貯金が増やせるわ」
メイド四人の話の締め括りは実に世知辛いものだった。これまでシキに了子、キャロルとエルの四人の給料がシャトーの財源であったが、それらのほとんどはシャトーの改造及び改修費用へ費やされ、残りは全て生活費に消えていたと言っても過言ではなかったのだ。
何せミカの食欲は旺盛であり、そもそもの人数自体も多いのだ。今でこそクリスからの収入も入り、近く奏と翼も入居するため財政は安定するが、夢子の養育費やエルザの学費に今後増えるだろう子供達の事もありお金はいくらあっても足りないぐらいだ。
そこにきてシキの収入増は非常に心強いものである。まさしく一家の大黒柱と言えるのだから。
「奏さんと翼さんの引っ越しももう終わるし、そうなったら奏さんも家事を手伝うってよ」
「翼さんはどうするでありますか?」
エルザのその質問に全員が微妙な表情を浮かべた。ミラアルクはガリィ達から、クリスはこれまでの事で知っていたからだ。
翼が、壊滅的に家事を苦手としている事を。
「……あの、何か私めはいけない事を聞いたのでありますか?」
周囲の雰囲気から自分の質問は良くないものだったと察したエルザであったが、クリスが少しだけ申し訳なさそうな顔をして、エルザへ翼の私生活を話し始めた。
最初こそ嘘だろうと思ったエルザであったが、ファラ達が深く頷いて肯定しているのを見て信じる事にし、全てを聞き終えた頃には感慨深そうにこう呟いたのである。
「人は見かけによらない、という言葉はこういう事なのでありますね……」
その一言に誰も何も言えなくなった。何せ普段の翼は、凛々しくしっかりしていて何事も卒なくこなすようにしか見えないからだ。
「そ、そういえば今夜はシーフードカレーなんだぜ」
「しーふーど?」
「魚介類の事です。エルザはまだ作った事がなかったですね」
「はい。お魚とかを使うカレーでありますか?」
「そう。派手な材料と派手な辛味に派手な美味しさ。それがシーフードカレー」
「大げさ過ぎよ。まっ、作れば分かるわ」
クリスはそんな会話を聞きながら一人小さく笑みを浮かべていた。
(ホント、信じられないよな。あたしがシキ達と出会ってまだ二年だぜ? それでこんなにも変わるもんなのかよ、人生ってやつはさ)
一年前などキャロル達と揉めていた。半年前は夢子が生まれて大変だった。三か月前はサンジェルマン達と揉めていた。
思い返すとたった二年の中で様々な出来事がクリスを襲った。そしてそれらがあって今がある。一人だった自分が、気付けばあったかい居場所を作り、あったかい家族を得ていたのだから。
クリスが進学を蹴った理由がそこにある。彼女は、自分が欲しかったものを優先したのだ。あったかい場所で、あったかい時間を、あったかい人達と過ごす、そんな日々を。
クリスが選んだ道は、ミラアルクやエルザも求めていたものだった。特にエルザはそれが強い。リディアンへ行きたいのもそうだ。学校とは無縁の日々を過ごしていたから憧れがある。しかもそこには自分の初めての友達が通っているのだ。
”普通”に憧れ続けていたエルザにとってそれは、眩しいばかりの”普通”の象徴であった。
(あそこから出てここに来て、あったかい人達に出会えて体を戻してもらって、それがもう二か月前であります。そして、今はお勉強して学校へ行こうとしてるなんて……信じられないであります)
それだけではない。血は繋がらずとも心を繋ごうと出来る、してくれる家族が出来たのだ。虐待を受けていたエルザにとって、それはもっとも嬉しい事だった。
「ただいま~」
「あっ、父さんでありますっ!」
微かに聞こえた声に真っ先に反応し、エルザは嬉しそうに椅子から立ち上がると走り出した。
「エルザ、ただいま」
「おかえりっ!」
と、そこでエルザはシキが疲れている事に気付いた。顔に疲労の色が濃く見え、声にも張りが無いのだ。
「えっと、父さん? 今日は大事なお話をしてくるって言ってたでありますけど、そんなに疲れる程大変なお話だった?」
「うん、そうなんだ。でも、上手くいった、かな。だからホッとしてる」
エルザの頭を優しく撫で、シキは嬉しそうに笑う。その笑顔にエルザも笑顔を返した。そうしてリビングへシキが顔を出すとその場の全員がエルザと同じ疑問を抱くのだった。
それにエルザへ返したのと同じ答えをし、シキは家族の帰りを待つ間仮眠を取る事にする。それだけ彼の体は疲れていたからだ。
そこから数時間もの間、シキは死んだように眠った。そんな彼の目を覚ましたのは、漂ってきた食欲をそそる香りだった。
「……カレーの匂い……?」
ぼんやりとした意識の中、その香りが何なのかを理解しシキはゆっくり体を起こす。薄暗い部屋の中を寝惚け眼で時計へ目をやる。
「……もうこんな時間か」
時刻は午後七時になろうとしている。おそらくもうキャロル達も帰宅しているだろうと考えたシキは、未だ寝惚ける頭を揺り動かすように顔を振り伸びを一つした。
「ん~っ……行くか」
少しだけ冴えた頭でベッドから立ち上がると、シキはリビングへと向かう。
部屋を出て歩き出すと微かに聞こえてくる大勢の話し声。その中にいないはずの者達の声も聞こえ、シキは首を傾げた。
「あれ……? 気のせいか奏と翼の声もするような……?」
聞き間違いだろうかと思うも、やはり二人の声がシキには聞こえた。どういう事だろうと思いながら彼は歩みを進める。
やがてリビングへと到着したシキは、そこで奏と翼の姿を確認して聞き間違えではなかった事を確かめるも、同時に何故二人がここにいるのかという疑問を強めた。
「おっ、起きたのか兄貴。もう少ししたら起こしに行くとこだったんだぜ」
シキの存在に気付いたミラアルクがそう声をかけると、周囲の者達も彼へ気付いて視線を向けた。
「あら、おはようお寝坊さん。もうご飯だけど、食べられる?」
「ああ、勿論。で、どうして奏と翼が?」
「あたしはやっとこっちで暮らせる事になったからね。大きな物は明日レティに転送してもらう事になってるんだ」
「まぁ、丁度時間もあるしお安い御用なワケダ」
上機嫌な奏に苦笑するプレラーティ。そこから奏に懇願されたのが読み取れる。その様子を知っているのかサンジェルマンとカリオストロが笑っていた。
「そっか。翼は?」
「わ、私は明日オフなので」
「一人で食べる食事って味気ないもんな、翼さん」
「特にここの賑やかさを知ってしまうと余計に、かしら」
「そうそう。あーし達もそうだったもの。分かるわよ、翼」
クリスやサンジェルマンの言葉に照れくさそうに頬を赤め、カリオストロの言葉に苦笑いを返して翼はシキへ顔を向ける。
「そういう事です」
「分かった。で、奏はもう引っ越せるみたいだけど翼はどうなんだ?」
「そ、それは……」
「察してやんなさいな。翼なのよ?」
「が、ガリィっ!?」
呆れるようなガリィの物言いに翼が心外だとばかりに声を上げるも、その彼女へガリィは突き放すような眼差しを向ける。シャトーの清掃担当は知っているのだ。翼がどれだけ私室内ではだらしないかを。
「何よ? 何か反論出来る?」
「わ、私だって整理整頓ぐらい」
「じゃ、もう部屋の中に下着が散乱しているとかないようにしてくれる?」
きっぱりと告げられた言葉に翼は反論する事もなく言葉に詰まると、やがて情けなく項垂れた。それを見て勝ち誇るガリィと二人のやり取りに笑い出すシキ達。
その楽しげな笑い声に翼も笑い、リビングを明るい雰囲気が包む。そんな中での食事は賑やかに楽しく始まる事となる。
カレーの香りに誰もが表情を緩ませ会話と共に食事は弾む。
エルザが自分がやったエビの背ワタ処理を話してシキや了子達から感心されたり、エルが今日の昼食時の出来事を話して周囲が感心するやら驚くやらと、まずは子供達が話題を提供する。
それが終わると今度はカリオストロが協会での出来事を話し始め、ティキがアダムの妻になるため家事を学び始めた事を告げると、それにエルザとエルが揃って頷いてこうシキへ問いかけたのだ。
「「父さん、やっぱり家事は出来た方がいいで(ありま)すか?」」
ここでキャロルが言わないのは、彼女が一通りの家事が出来るからである。キャロルの父であるイザークは家事が出来ない訳ではなかったがあまり上手くはなかった。そのためキャロルは幼くして家事をやり、父を支えていたのだ。
「そうだなぁ。出来るに越したことはないよ。それはお嫁さんになるならないに関わらず、ね」
「そうそう。あたしも昔は苦労したもんさ。了子さんもそうだろ?」
「否定はしないけれど、なぁんか引っかかるわねぇ」
「家事なんてみんな最初は苦労するもんだって。な、シキ?」
「だなぁ。ま、俺は幸か不幸か自分の事は自分でやるのが当然の環境で育ったからさ。保護対象じゃなくなった後もそこまで苦労はしなかったけどね」
あっけらかんとそう言って、シキはスプーンを動かしてカレーを口へ運ぶ。エビのぷりぷりとした食感に頬を緩ませ、彼は満足そうにカレーの味に頷く。
「で、そんな事を聞くって事は、二人にはお嫁さんになりたい相手がいるのかしら?」
もう会話よりも食事に意識を向けたシキに苦笑し、了子は愛しい娘二人へそう問いかけた。すると見事に反応が両極端だった。
笑顔でいないけれど出来た時のために色々と備えたいというエルザと、赤い顔をしてそんな相手はいないと返すエルというものに。
その反応だけでほとんどの者がエルにはそういう事を考える相手がいるのだと察して、誰だろうかと頭を悩ませる――事もなく一人の男性が浮かび上がっていた。
その名は風鳴弦十郎。エルの知り合いの中で独身であり、彼女が好意を抱いてもおかしくない相手である。
「エル、別に私はエルが納得してるなら誰と結婚してもいいと思うけど、父さんが納得する相手って結構厳しいと思うから」
「きゃ、キャロル? だから、僕にはそういう相手は」
「大丈夫でしょ。エルがおかしな男選ぶはずないもの。あっ、そうだ。そんな男に引っかかる事がないように手を打っておく?」
「手を?」
そこでやっとシキが会話へ参加した。大事な娘達と男という関連ワードで彼の父性が反応したのである。
「そ。弦十郎君にエルが成人するまで婚約者になってもらう、とか」
「っ?!」
その発言にエルの顔が真っ赤になる。それを横目で見て、キャロルはため息を吐いて了子へジト目を向けた。
「母さん、さすがにそれはやり過ぎ」
「俺もそう思うよ。それに、そういうのは風鳴さんにも悪い」
「そう?」
「「そう」」
親子揃っての断言に了子は苦笑して諦めるとばかりに両手を軽く上げた。ただ、エルは真っ赤になったまま俯いていたが。
(し、司令と婚約? そ、そうなったら司令はきっと僕の事を思って、僕が相手を作るまでずっと待ち続けてくれる。で、でも、そうなったら僕はむしろ……)
ぐるぐると思考の迷路へ入ろうとしているエル。そんな彼女の頭が軽く叩かれたのは、その思考があらぬ方向へ飛躍しそうになった時だった。
「てい」
「あうっ……きゃ、キャロル?」
それを行ったのは隣に座っていたキャロルだった。双子の姉へ疑問の視線を向けるエルだが、そんな彼女へキャロルは呆れるような眼差しを向ける。
「カレー、冷めるよ? まずは食べて、それから考え事」
「あっ、うん。ありがとう」
「どういたしまして」
その二人のやり取りを眺め、誰もが笑みを零す。特に昔のキャロルを知る者達の笑みは深い。と、そこでシキが何かを思い出したように表情を変えた。
「そうだ。実は、少し前にシェム・ハが教えてくれたんだけど……」
夢子が考えている事と思っている事。それらを話してシキはその場の全員へ問うたのだ。どうすればいいか、と。
夢子を急がせてしまうかもしれないけど、話したいと思っているなら言葉を使って欲しいとも思う。そうシキは告げて反応を待った。
「夢子、母さん達と話したい時は話してくれていいのよ? そう言ってあげるのがいいんじゃない?」
最初に口を開いたのは了子だった。更にそのまま眼鏡だけを外して彼女は続けた。
「おそらくだが、今の夢子へあれこれと気を遣っても負担になるだろう。だから、こちらは夢子の好きにしてくれていいと告げるだけの方がいい」
「それがフィーネと了子の考え、か……」
「あたしも二人に賛成。夢子の事を思うならさ、やっぱ好きにさせてやるべきだと思うよ。子供の内は好き勝手やって、それで良い事悪い事を覚えてくもんだし」
「私もそう思います。シキさん、こちらの希望や願いはまだ夢子に託すには早すぎます。今は、のびのびと自由にしていいと言ってあげるべきかと」
翼の言葉にキャロル達も頷き、シキは結論は出たと思って笑顔で頷き返す。そしてフィーネの腕の中で不思議そうな表情のまま周囲をキョロキョロと見回している夢子へ近付いた。
「夢子、聞いてたかい? 父さん達は夢子が思ったようにして欲しいって思ってるんだ。喋りたいなら喋っていいし、喋りたくない時は喋らなくていい。眠い時は寝て、寝たくない時は起きてていいよ。今は、夢子の好きにして欲しい」
「う?」
「長かったかな? えっと、夢子がしたい事を好きにしてくれていいんだよ」
そっと頭を撫でてシキがそう告げると、夢子はしばしその顔をじっと見つめた。それから了子、キャロルにエルと見える範囲でその場の者達へ顔を向けていく。
そんな夢子へ誰もが優しい笑みを返していた。やがて全ての笑顔を受け止めた夢子はもう一度シキへ顔を向けて……
「とーさんっ! かーさんっ! う~……」
呼びかけたのだ。だが何か言葉に詰まるように唸る。どうしたのかと誰もが疑問符を浮かべると聞こえる声があった。
――どうやら大勢を指す呼称が分からないらしい。教えてやれ。
そのシェム・ハの微かに微笑んでいるような助言にシキは微笑んで口を開く。
「み・ん・な」
「……みんなっ! すきっ!」
その言葉にシキだけでなく誰もが驚き目を見開いた。だが、すぐにその目が嬉しそうに緩んでいく。シキなどは泣きそうになりながら笑みを浮かべて夢子へ頬を擦り合わせる。
「父さん達も好きだよ、夢子。だから、無理に賢い子にならなくていいからな。夢子は夢子のままで大きくなってくれればいいんだ」
「きゃろるねーさん、えるねーさん、えるざねーさん、すき~」
シキと頬を重ねている事に喜んでいるのか夢子は上機嫌のまま喋る。キャロル達だけでなく奏達の名前も呼び、結局そこにいる全員の名前を呼んでいったのだ。
それだけでない。その場にいない響達の名前も挙げ、好きと言ったのだ。それをクリス達が教えるべくスマホを操作し始め、エルとエルザは夢子の頬を優しく指で突きながら話しかけ始めた。
シキはもう夢子から離れて姉達と母親に任せて、少しそこから離れた場所で母娘と姉妹の姿を見つめていた。
「兄貴、泣きそうなんだぜ」
「……世の父親がどうして娘に甘くなるか分かるよ。本当に俺が面倒をどこまでも見てやりたいって思うんだなぁ」
ミラアルクからの茶々にシキは思わず噛み締めるようにそう返す。まだ一歳にもなっていない娘に対して思う事ではないが、それほどに夢子が可愛いのだろうとミラアルクにも伝わった。
「兄貴、ウチもさ、一つだけワガママ言ってもいい?」
「いいよ」
即答。それにミラアルクはシキらしいと思って小さく笑う。
「ウチ、お菓子作りを勉強したいんだぜ。ファラ達もお菓子作りはあまり得意じゃないみたいだし、ウチが美味しいお菓子作れるようになりたいんだぜ」
「……専門学校、か。うん、じゃあ悪いんだけど来年でもいいかい?」
「来年って……ほ、ホント? ホントに来年ならいいんだぜ?」
あっさりと回答され、ミラアルクは思わずシキの顔を見上げる。その視線の先でシキは優しく微笑みながら頷いた。
「来年からなら収入も増えてるからね。ミラのしたい事もさせられると思う。家事の方もクリスが手伝ってくれるから手が減る事はないし」
「ありがと兄貴っ! 恩に着るんだぜ!」
「いいよ。それと、どこがいいかを自分で調べて決めておいて相談はして欲しいかな。ミラの進路だけど、授業料とか色々考えないといけないから」
「分かったんだぜ!」
シキの事を兄扱いをしているミラだが、この時本当に彼がそう思えたと言う。難しい条件をつける事もなく、ただ金銭的なものですぐにとはいかないと理由を説明して理解を求めたぐらいだ。
それは、本当に家庭のために頑張る父親をしている兄にミラアルクには見えた。だからこそ、ミラアルクはもう一度心の底から自身の気持ちを込めてシキをこう呼ぶのだった。
――ありがとな、アニキっ!
時刻は午後十二時近く。俺以外誰もいないリビングで、ぼんやりと色んな事を考えていた。
これまでの事、これからの事。考えないといけない事は数あるけれど、一番考えないといけないのは子供達の事だろうな。
「シェム・ハが言うにはフィーネを始めに奏、マリア、アンジェ、ヴァネッサが妊娠した、か……」
要は来年には五人もの赤ちゃんが増える。ミラに来年まで待って欲しいと言ったのはこれもある。夢子を入れて一気に六人もの赤ちゃんを抱える事になるんだよな、うち。
マリアは妊娠が隠せないようになったら我が家で過ごす事になっているから、多分そのままここで暮らすだろう。お義母さんへは、ある種事後報告になるけどそういう相談をしておかないと。
でも、一番の問題は……
「名前、どうしようかなぁ……」
夢子一人でもあーでもないこーでもないと頭を悩ませたのだ。そこに五人分の名付けである。正直お手上げに近い。まぁ、だからと言って投げ出す気も誰かに押し付ける気もないけど。
気が早いと言われそうだけど、夢子の時と違ってもう分かってるからなぁ。願うのは同時出産とかにならない事。
せめて一日、可能なら月か週が異なる事を願う。誕生日が一緒なのは双子だからいいんであって、腹違いでも姉妹や兄弟なら異なって欲しいと思うだろうし。
「あ~……楽しみだけど怖くもあるなぁ」
「何が怖いのだ?」
聞こえた声に顔を動かせば、そこにはフィーネが立っていた。
「フィーネ、どうしたんだ?」
「何、寝付けなくてな。了子はもう寝たのだが……」
言いながらフィーネは隣へ座る。思えばフィーネと二人きりで話すのも久しぶりな気がするな。
「それで、何を一人でぶつぶつ言っていた?」
「ああ、子供達の事だよ。名前どうしようって今から悩んでた」
「アナタらしい。だが、何となく私も似たようなものかもしれない」
「え?」
俺の疑問にフィーネは小さく笑うとそっと下腹部を撫でた。それだけで俺には分かった。フィーネも自分の子を宿すのは初めてだからだと。
「了子はそこまで心配はいらないと言ってくれるが、実際私は逆の立場で彼女を見ているからな。当事者になってやっと分かった。女が母になる過程と言うのは、こんな感じなのかと」
「不安?」
「ああ。まだ影も形もないはずなのに、ここに、いるんだ。私と、アナタの子が……」
フィーネは話しながら途中で下腹部から俺へと視線を動かした。その表情はあまり明るいとは言えない。
「フィーネ……」
「一番間近で了子の事を見ていたが、その時はこんなにも言い知れぬ不安が募ってくるとは思わなかった。そう思うと、私の方が弱いのかもしれないな」
どこか自虐的な笑みを浮かべるフィーネを見て、俺は静かに立ち上がると彼女を後ろからそっと抱きしめた。
「アナタ……?」
「なら、俺が支えるよ。了子の時は俺もまだまだ大人になれてなかったし、何より頼りなかったんだと思う。だから了子はほとんど俺に頼る事はなかった。だけど、今の俺はあの頃よりも多少強くなれたと思う。それでも、まだ頼りないだろうし至らない部分もあると思うけど、君の、フィーネの力になりたい。頼ってもらいたいんだ」
夢子を妊娠している時、了子は俺へ弱音をほとんど吐かなかった。だからこそ、フィーネがこう言ってくれた事が少し嬉しい。やっと俺も夫として、男として頼られる存在になれたんだなと、そう思えるから。
「……アナタ」
「フィーネ、一人で抱え込まないで。俺と君も夫婦なんだ。君の不安も愚痴も不満も、全部聞くよ、受け止める。まぁ、本当はそれがないようにするのが一番なんだろうけど、残念ながら俺はそこまで気が利かない男だ。その分、反省と成長はするから。それでどうか許して欲しい」
「ふふっ、あははっ……ああ、分かった。なら、頼りにさせてもらう。何しろ、今の会話で今の私は不安が消えた。クスッ、本当に頼りになる旦那だ」
嬉しそうに目を閉じてこちらへ甘えてくれるフィーネに俺も笑みが零れる。と、その唇へ目が留まった。そういえば、あの時エンキはフィーネへああ言ってたっけ。
「フィーネ……」
「え……? んっ」
後ろから抱き締めながらキスをする。若干不思議そうにしていたフィーネだけど、それでも喜ぶように受け入れてくれた。
舌は入れないでただ唇を重ねるだけのキス。でもきっと心は、想いは繋げていると思う。じゃないとフィーネから感じる空気がここまであったかいはずはないから。
「……アナタ、私は嬉しい。やっと、やっとあの頃の夢が、現実になった」
「フィーネ……」
「恋い焦がれた方との叶わぬ夢。そう思っていた。それを、今、私は現実に出来た。アナタはあの方ではない。だが、今の私にとっての恋い焦がれた相手だ。そんな相手と愛を育み、子を宿し、今日を生きる事が出来る。私は、今幸せだ」
そう言ってフィーネは目を細めて笑った。
「ありがとう、アナタ」
「こちらこそありがとうだよ、フィーネ」
思えば今があるのもフィーネがいたからだ。フィーネがいなければドリンクは生まれなかった。あれが色々と今に繋がっている。
クリスの事、マリア達の事、更にキャロル達との戦いとアンジェ達との戦いもだ。でも、これを言うと俺がいたからだと返されるだろうから黙っておく。
フィーネの事を抱き締めて俺は思う。たった一言で世界は変わるんだと。フィーネがもしエンキへ好きだと言っていたら今はない。もし俺が奏へ好きだと言っていなければ今はない。
全ては言葉で始まり変わっていく。統一言語を失っても、人はその気持ちを、想いを、言葉にして伝えていったように。
言葉は無力じゃない。だからこそ伝えなければ何の力も持たない。時には告げる事で傷付く事もあるだろう。だとしても、伝える事を恐れちゃいけない。
言葉にして伝える。それが出来るのが、人間なのだから。
――人間には無限の可能性が宿っている。それを生かすも殺すも俺達次第、か……。
そんな事をフィーネの体温を感じながら思う。出来れば殺す事なく生かし続けていきたい。
神様も知らない可能性で、明日を創っていくために……。
これにてXV編完。今後は未定ですが、しばらく更新はしないと思います。
代わりにIFの方へ力を入れるつもりでいます。なのでこちらはエロよりもほのぼのメインになるかと思います。
……18禁作品で何を言ってるんだって言われるかもしれませんが(汗
ただ、もう一度違うコンセプトでIF編を書きたいとも思っています。
あの頃はGX後の根幹世界装者達でしたが、今度はXV後の根幹世界装者達で。
もしその場合はまた読んでいただけると嬉しいです。それと、可能なら感想も頂けるとそれに勝る幸せはありません。
では、またいつの日か。まずは、ここまで読んで頂きありがとうございました。