煉瓦造りの螺旋階段を下まで降りると、そこは井戸の底だった。………あくまで比喩表現だが。
階段が終わるとその先にアーチがあり、それを潜ると井戸の底のように水を湛えた円形の空間があった。
空間の広さは半径4mくらいだろうか。その床面の大部分を占領する水たまりは真上から注ぐ日の光を受けて水面をきらきらと輝かせていた。
天井はとても高い吹き抜けで、見上げると一番高いところに格子状の蓋のようなものが嵌っていた。あそこは第三層のどこかに通じているのだろう。
視線を前の方に向けると、この空間に注ぎ込むようになっている水路が奥へ奥へと続いていた。そちらにはもう日の光は差し込んでおらず、壁に等間隔に並べられた松明が頼りなげに闇を照らしていた。
今いる円形の空間と奥の道の双方には脇の方に歩くためのスペースがあり、まさに地下水道というべき構造をしているといえた。
水で満たされているせいだろう。この階層はどことなくひんやりとした空気が漂っている。
私は
――――――地下都市第四層『迷宮水路』。
その名の通り長く入り組んだ水路で構成されるエリア。
正直私はここがあまり好きではない。第五層の次くらいに苦手だ。
この階層は今自分がそうしているように、水路の脇に歩道がある程度設けられている。
ただし、あくまで『ある程度』であり、設けられていない個所もある………というか攻略のために何度か直接水に足を突っ込まないといけない場所がある。
それに魔物が水場から直接飛び掛かってくることも多いので、水飛沫がかかるのも鬱陶しい。
無論服をすぐ乾かすためのアイテムは持っているが、それでも服が濡れるのは嫌いだ。
また第四層から先の階層は、道の上で立ち塞がるように冒険者を待ち受けている魔物が配置されており、隠形を使っても横をすり抜けられない。つまり強制エンカウントが発生する。
今まで避けていた余計な戦闘をすることになる、ということを意識させられるようになるのもこの階層の特徴だ。
それ以外は全部極力スルー………したいが、通路が狭くなった関係で魔物の索敵範囲外を縫うように移動するのが難しい時もある。そういう時はサクッとやってしまうに限る。
というわけで私は
気分は山姥。
ここの階層に出てくる魔物はやはり水辺、あるいは暗所や閉所に対応したものが多い。
壁や天井を這いまわりながら毒液を吐いてくる『トキシックニュート』。
水と一体になっているため発見しにくく、意外なところで足を引っ張ってくる『クリアウォータースライム』。
水の中を泳ぎながら歩道を歩いている冒険者に飛び掛かってくる『クロコバイト』。
水場で足を取られることなく軽快な動きを可能とする、二足歩行する魚のような魔物『ギルマン』。
触手だけど全然エロくない。刺胞の麻痺毒と絡みつきによる拘束がえげつない『ウィードテンタクルス』。
鋏を使って鋭利な斬撃を繰り出す海老型の魔物『シザーハンズ』
鋏を鈍器の様に振い殴りつけてくる蟹型の魔物『メイスハンズ』。
水属性の魔法を得意とする『ヴォジャノーイ』。
………………などが代表的だろうか。
今までの階層と違い、第四層は狭い水路が戦場になるため立ち回り方がかなり違ってくる。
隠れる場所があまりないため、魔物の奇襲を警戒するのは通路の曲がり角くらいでいいだろう………と思っていると壁の隙間から生えてくる
また足場はどうしても壁際の狭い場所になるため、不用意に武器を振り回して壁にぶつけたり、範囲攻撃が味方に誤射したりといった危険を考慮しなくてはいけない。
どうしても水場を渡らなくてはいけないときは細心の注意を払うべきだろう。足首の高さ程度まで水に浸かるだけで動きにくさはかなりのものだ。その上水深が不意に深くなったり、水の流れが速くなる場所もあり、下手をすると溺れる可能性がある。
そうして水に足を取られた状態で、水中水上で自在な動きをするこの階層の魔物達に囲まれると非常に危険なのだ。
魔物自体の強さも第三層に比べて向上しているため、階層自体の戦いにくさと合わさって全体的な難易度は高いだろう。
そのためこのあたりの階層から冒険者の数はグッと減ってくる。
現に私もこの階層に入ってからまだ誰も見かけていない。
何はともあれ、コソコソと魔物をやり過ごしたり、強制エンカウントの敵を片付けたりしながら先へと進む。
事前情報なしではそこそこ迷う作りになっているのは確かだが、何度か来たことがある場所なので私は真っ直ぐに最短ルートで行く。
ちなみに今いる場所は第四層の前半辺りだ。後半になるとボス部屋を開くためのギミックを解除しながら進まなくてはいけないが、今はそのことは考えなくてよい。
強制エンカウントの敵がいる、といっても戦闘開始ラインのギリギリまで隠形の効果はあるので、こっそり近づいて一気に畳みかけるようにして仕留める。
そんな具合に
「ふむ?」
水路の奥から音が聞こえてくる。
反響しているためわかりにくいが、これは戦闘音である。
主にギルマン系の鳴き声と激しい水飛沫の音、その中に男性らしき人物の声が聞こえてくる。
「………………。」
耳を澄ませてみる………………意外なことに男性の声は一人分だった。
つまり単独でこの第四層まで降りてきて、今なお攻略を継続中の冒険者がいるということだ。
さらに聞こえてくる音の中に度々ギルマンの体が水の中に倒れ込むような音が聞こえてくる。
つまり、一人で多数の魔物を同時に相手取れる実力があるということだ。
「面白いですね。」
興味を引かれたので、いつにもまして隠形に気を遣って音の発生源へと足を進める。
そして二回ほど角を曲がった、やや広めの水路にその男はいた。
「フンッ!ハァッ!!」
その男の背丈は180㎝弱くらいだろうか。
男は自身と同程度、あるいはそれよりもやや大柄な
男が振るう武器は剣――――――いや、特徴的な反りと白刃の煌めきは刀だ。
身に纏うのは軽さ、丈夫さを両立させた革の軽鎧。ただ動きやすさを最優先しているのだろう、急所を護ることを念頭に置き体を覆う面積は少ない。
露になった地肌にはさらしを巻いて最小限の防御としていた。
さらしの下には良く絞り込まれて鍛えられた筋肉が躍動している。
頭髪は焦げ茶色で、肌は日に焼けてやや赤みがある。
そして特徴的なのは頭部から見える犬のような耳と、袴から覗いている尻尾だ。
それはその男が
「セイヤッ!!」
男が刀を振るい
見れば彼の足元は脛の半ば程まで水に浸かっている――――――その状態でギルマン達を相手に近接戦で優勢に立っていた。
見事な腕前というほかない。
よく戦いを観察すればその剣技のレベルの高さがわかる。
彼が主体として使っているのは複数の斬撃を一瞬のうちに放つ『連牙斬』という技である。
この技は一見すると便利に見えるが、未熟なうちは二回攻撃しかできず、分散した剣閃がぶれて攻撃が当てづらく、威力も散ってダメージが低くなる、とかなり扱いづらいものだ。
だが、男はその剣技を見事に使いこなしている。
一の太刀でもってギルマンの突き出した銛を捌き、同時に放った二の太刀でもってその体を切り裂く。
かと思えば交差する二連の斬撃が十字を描いて敵の手足を斬り飛ばす。
相手が防御を固めれば、二つの剣閃が一つに重なり合う軌道を描き防御ごと切り捨てて見せた。
まさに一刀でもって二刀を成すかのような見事な技だった。
しかも、よく見ればまだまだ余力を残しているようだ。
足が水に浸かっているためか、男はその場から極力動かず迎撃を主体にした戦いをしている。機動力を封じた状態で戦っているのだ。
元からカウンターを主体にした戦術を身に着けているという可能性もあるが………それは低いだろう。
足元を注視すれば、当人も無意識のうちに踏み込みの動作をするように足の筋肉が動こうとしている。
その場からなるべく動かない、という縛りを己に課した状態で戦っているようだが身に沁みついた最も得意な戦術は隠しきれていない。彼は元々足さばきも得意としている剣士なのだろう。
それにあれほど見事に連牙斬を使いこなす人物が二連までしか使えないというのは考えにくい。連牙斬は熟練度を上げれば三連、四連と攻撃回数が増える技だからだ。
………いや、二連のみに特化した使い手、というのもあるかもしれないか?
そもそもここにいるということは近接専門家の鬼門である
実力としてみた場合、弓を使わない状態の自分では歯が立たないだろう。
なら弓を取った自分の攻撃に対しては何処まで対応できるのだろうか………。
私はいつの間にか獲物を見定めるような目でその男の動きを追っていた。
通路の角に身を隠し、男の戦いを観察し続ける。
振るわれる刀、舞い散る水飛沫。
躍動する筋肉、飛び散る汗………。
………………………………いいからだ、してるな。
………………はっ。
いかんいかん、ちょっとピンクめいた方向に思考が行ってしまうところだった。
そんなことを考えていると、男はその場にいたギルマン達を全て討伐し終えていた。
血を振るい落とすように刀を一振りした後、(ダンジョン内では魔物の血もすぐに消えるため必要はないが)鞘に納める。
水から上がって歩道に足をかけたその男に私は声を掛けることにした。
一応左手に弓を持っておく、不幸な勘違いからいきなり攻撃される可能性も考慮しなくてはいけない。
「失礼します、そちらの方。」
声を発した瞬間、男がこちらに振り向く。
と、同時に手で刀の柄を掴んで腰を軽く落としていた。
驚いたと同時に反射的に迎撃態勢を整える………よく鍛錬された戦士だった。
男のダークブラウンの瞳が訝し気に私を捉える。
その眼を見つめ返して私は改めて思う。
――――――いい男だ。
******
「失礼します、そちらの方。」
その声を聞いた瞬間、反射的に振り向いて身構えた。
ここはダンジョンで自分は単身挑む身。特に人が少ない第四層であれば不意の物音とはどこかで作動した罠か、はたまた魔物かのどちらか――――――であるからだ。
理屈で考えればおかしい対応ではない。だが、その水晶を鳴らすような少女の声に言い知れぬ危険を感じ取ったのもまた事実。
「………何者か。」
刀の柄に手をかけて、腰を落とし、いつ抜刀してもよい姿勢。
誰何の声に答えるようにして後ろの通路の曲がり角から姿を見せた人物の姿には驚きを隠せなかった。思わず眉根に皺が寄る。
「
そこにいたのは………一人の美しい少女だった。
貴族の令嬢が着るような襞飾りの多い暗青色の衣。
金色に光る長い髪と、青い薔薇の髪飾り。
背は低く、顔立ちも相まって幼ささえ感じられる。
左手には金属質な光沢をもつ弓を携えている。
遊戯としての狩りを楽しみにきた貴族の少女………………そんな言葉が思わず脳裏に浮かぶ。
だが、こんなダンジョンの奥にまで『遊びに』訪れるような人間はいるまい。
この場所、この空間。
松明の薄明りにぼんやりと照らされた地下の水路。
そこに突然現れた、美しく着飾った幼い少女………。
あまりに非現実的な光景に、思わず自分の目を疑う。
しかし目を疑うことはあっても正気を疑うのはまだ早い。
自分は知っているはずだ――――――このような場所にあっても、奇特な出で立ちで踏み込んでくる奇異な人々のことを。
「………プレイヤーか。」
「はい、そうです。」
自分の言葉を少女が肯定する。
プレイヤー………十五年ほど前、この世界に『いる』と突然知らされた異世界からの来訪者たち。
彼らは往々にして強大な戦闘力を持つ戦士や魔術師、あるいは卓越した技術を持つ職人や商人であったりする。
その能力を生かしてこの世界で高い地位を得ているものも多い………冒険者としても、だ。
ならば、この少女もそうなのだろう。
疑問が解けたことで改めて少女に向き合う。
そして少女は………………やはり『非現実的』なものとして私の目に映っていた。
その少女が私に話しかけてくる。
「察していただいた通り、私はプレイヤーで通りすがりの冒険者なのですが………このあたりの階層をお独りで攻略されている方というのはとても珍しいと思いまして、声をおかけした次第です。
まぁ、
「ふむ………。」
答えをどうするべきか考えながら、少女の姿を注視する。
少女は非常に美しく、十人が視界に移せば十人がその姿を追わずにはいられないだろう。
だがそうはなるまい。
何故ならこうして今も正面から視界に捉え、言葉を交わしている自分でさえ――――――姿を見失ってしまいそうなのだから。
そこに確かにいるというのに、一瞬でも目を離せば幻のように消え去ってしまう………そんな確信のようなものがある。
その理由は推察できる。
おそらく極まった隠形の技を収めているのだろう。
その手の実力者は絶えず視界に納めていなければ、ほんの僅か意識を反らしただけで姿を失せてしまうと言われている。
………間違いなく自分よりも格上の存在だ。不意を取られれば狙われたことさえ気づけないだろう。
故に、努めて少女の姿を意識して視界に納める。
その少女の青い衣、輝く金の髪、こちらを見つめる透き通った水色の眼差し………。
「拙者が独りで戦うのはそうさな………………武者修行のため、と言っておこうか。」
「武者修行。」
「左様。」
事実の一端を述べておき、当たり障りのない答えとして返しておく。
正直なところ、この少女の目的も素性もわからないのだ。警戒するのが当然だろう。
たとえ、その容姿がどれだけ可憐であったとしても。
「先ほどのギルマン達との戦い――――――あえて制限を付けていたのも修行の一環ということでしょうか。」
「………気づいておられたか。如何にも、その通りだ。」
どうやら先の戦いを見られていたようだ。戦いに集中していたとはいえ観察されていることに気づけなかったか………。
そして少女の言う通り、あのときの自分は本命との闘いまでにわずかでも腕を磨いておこうと思い、足さばきと連牙斬の二連より先を封じていた。
おそらく少女はそのことに気付いていたのだろう。
観察力の高さ………心の中で少女の評価をまた一段上げておく。
「今回はどこの階層まで行かれるつもりですか?」
「………それを尋ねてどうされるのか。」
「いえ、途中までご一緒させていただけたらなー、と思いまして。」
口元に手を添えて、少女が微笑む。
風に花弁が揺れるかのようなその笑みに思わず見惚―――――――――気を引き締める。
少女は楽し気な表情でこちらに視線を向けている。
「ちなみに、私は第八層に用事がありまして。」
「八層………八層か。」
羨ましいな、と思わず呟いてしまう。
それを耳聡く聞きつけた少女は当然のように食いついてきた。
「羨ましい?」
「う………むぅ、そうだ。拙者の目的は………第六層の番人の討伐なのだ。」
「第六層の………。」
はぐらかすのも武人らしかぬと思い、ままよという気持ちで自身の目的を打ち明けた。
この地下都市第六層の
第六層までに到達し更に先へと進もうとしたものの多くが、ここで命を落とすのだ。
「第六層のボスは
「左様。」
少女が目を丸くする。
………彼女は第八層まで行くと、特に気負いもなく言っていた。ならば第六層の番人を倒すことも当然のことなのだろう。
彼女のようなプレイヤーにとって、第六層への挑戦に命を懸ける己のような人間はどう映るのだろうか。
滑稽と笑うか?弱者と侮るか?
否、少女はどちらでもなかった。
ただ、その目を細めてこちらを視線で射貫いた。
――――――その瞬間、背筋が粟立つ。
刀の柄を持つ手に力が入り、鍔がしゃりん!と鳴る。
「――――――少し動かないでください。」
少女がこちらに歩み寄ってくる。
青い服の裾を揺らし、金糸のような髪を靡かせる、その歩み。
可憐で華奢な、幼い少女。
だが――――――なぜだろう。
自分はその姿に、音もなくこちら歩み寄ってくる巨大な山猫を幻視した。
そう『音もなく』だ。彼女は革靴を履いて石造りの床を歩いているのに、そこから足音一つ立てていないのだ。
自分の刀の間合い、その半歩手前で少女が立ち止まる。
その距離でこちらに投げかけられる少女の氷色の視線は、深い知性をもつ獣が獲物を品定めしているようだった。
職人が磨いた水晶のように澄んだつぶらな瞳――――――その奥の瞳孔が研がれていくように窄まっていくのが見える。
じっとりと肌に汗が滲む。
強大な魔物を目の前にした時のように。
――――――斬れるか?
不意にそんな考えが浮かび、即座に却下した。
この間合い、全力で踏み込んだとしても少女の弓が自分を捉える方が早い、とそんな確信があった。
凍てつく冷気に焙られているような時間が過ぎていく。
「私の見立てですが――――――死ぬかもしれませんよ。」
しばらく私を値踏みしていた少女が口を開いた。
その言葉の意味を理解するのに数瞬の時を要した。自らの思考に没頭しすぎていたようだ。
そして、少女はいまだ獣の眼でこちらを見つめていた。
底冷えするような、その氷色の瞳を見返して――――――こう返答した。
「無論、承知の上。」
その言葉を出すことに躊躇うことは無かった。
別に自ら積極的に死にに行きたいわけではない………だが、死ぬかもしれないという
それに第一、
「拙者はかつて一度あの敵に挑み、死の淵を垣間見た。あれがどれほどの難敵かなど、既に骨身に刻んだ上で再度挑むと決めたのだ。」
「………今の貴方では五分五分といったところですよ。贔屓目に見て、ですが。」
「贔屓目で五分、とな。」
その言葉を聞いて思わず笑みが漏れる。
五分――――――それは重畳。
「五分も勝ち目があるとは拙者も強くなったというもの。何せ、以前はまともな勝負にもならず血達磨にされて転がされただけの始末だったのでな。」
単独討伐の経験者と思しき人物にそう見立てて貰えたのは今の自分にとって、何よりの励みだ。
闘志がふつふつと湧いてくるのを感じる。
この少女には実に感謝だ。
「実に励みになった、礼を言おう。ところでお主の名は――――――、」
「うん、そうですね。いいです………………実にいいです。だとすると………えぇ、こうした方が良いでしょう。」
礼を言おうとしたところ、少女が顎に手を当てて何やらぶつぶつと呟いていた。
そして考え事が纏まったのか、少女は顔を上げて満面の笑みを浮かべた。
先ほどまでの魔物のような威圧感が嘘のような、咲くようなという表現がぴったりな笑顔。
――――――知らず、見惚れるような笑顔だった。
「第六層まで――――――護衛が必要だと思いませんか?」
「ご、護衛?」
「えぇ、ここから先も魔物は多く出現しますし、ダンジョンを攻略していけば当然疲労するでしょう。貴方がお使いの刀だって繊細な武器ですから戦いを繰り返せば消耗もしますしね。
なので、第六層での戦いを万全な状態で迎えるためにもそこまでの道中、一緒に戦える誰かが必要ではありませんか?
つまり――――――私が一緒についていっても構いませんか?」
ずずずっ、とこちらににじり寄ってくる少女。
長い髪が揺れて、ふわりと芳しい花のような香りが鼻を擽った。
先ほどまであった剣呑な色はそこになく、透明な冬空色の瞳が期待するように上目遣いにこちらを見上げてくる。
その表情を見ているとどうにも気持ちがぐらついて落ち着かない気分にさせられた。
むぅ、と思わず喉の奥で唸ってしまう。
「申し出は実にありがたい。だが、な、その………………。」
「ダメ……でしょうか?」
上目遣いのまま、少女が小首を傾げる。
その時に揺れる瞳や、髪の先の動きを、何故か自分の目は克明に捉えていた。
なんとも言えない罪悪感………あるいはそれらしきものに耐えながら言葉を続ける。
「拙者はその………見ての通り、男の一人旅だ。それに
あぁ、もう歯切れが悪すぎる。我が事ながらもう少しうまく舌が回らんものなのか。
無性にバツが悪くなって目線が左右に振れる。
少女はしばらく自分の言葉の意味を考えていたようだが、はたと手を打って、わかりました、と言った。
「う、うむ。わかってくれたか。」
「はい、わかりました。特に私は気にしませんし、むしろ………………いえ、なんでも。」
「………………………………。」
心の中で天を仰ぐ。
『むしろ』……………むしろなんなのだ!?
こ、この少女はちゃんとこちらの懸念をわかってくれているのか?
わかったうえでこちらをからかっているのか?
………狙いが読めない。
「………拙者が同行を承諾したとして………それで、お主にはどういった利があるというのだ?」
「内緒ですっ♡」
少女は人差し指を口元に添えて、悪戯気な笑みを浮かべてそう言った。
一瞬その表情が妙に蠱惑的に見えてしまい―――――――――雑念をどうにか振り払った。
………これはどうも、承諾するしかないのだろうか。
いや、そもそも自分が断ったとしても………。
「断ったとしても、勝手に後をついていきますよ。私の目的地も途中まで同じですから。」
うむ、そうなるだろうな………。
この少女の隠密技能を捉えるのは自分の能力では無理だろう。
ならば………。
「………キムロだ。」
「?」
「………拙者の名は、キムロという。」
はぁ、と一つ溜息を吐いてから片手を差し出す。
どうせ勝手についてこられるのであれば、こちらで受け入れた方が潔いだろう。
それに年端もいかぬ少女の身を案じはしたものの、格上の冒険者の戦いを間近で見る機会だというのならば、渡りに船なのもまた事実。
遠慮はしたものの、嬉しかったのは確かなのだ。
「………私はリオ。リオ・オーガスタです。よろしくお願いしますね、キムロさん。」
差し出した自分の右手を少女――――――リオが握る。
黒い絹の手袋に包まれた彼女の手は見た目通り、小さく華奢で、温かく柔らかかった。
にこり、とこちらに向けられるその笑顔に対し自分は………………湧きあがりそうになる劣情を握りつぶした。
劣情。
そう、遠慮をしていた最大の理由がそれだ。
何故だろうか、自分の目や耳や鼻………五感の様々な感覚が無意識のうちに彼女の姿を焼き付けようとする。
見た目年端もいかぬ幼気な少女から目を離せず――――――あまつさえ男としての欲を引き出されそうになるなど、自分で自分が信じられぬ思いだった。
その感情を隠すように、別のことを話題に出した。
「リオ・オーガスタ………ではお主が、かの『青薔薇』か。」
「ご存知ですか?」
「うむ。」
考えてみればヒントというべきものはいくつもあった。それに気づかなかったことに恥じ入るばかりである。
青い薔薇の髪飾り、暗青色の可憐な衣、青の弓。
長い金糸の髪と、透き通る氷色の瞳………。
伝え聞く特徴と瓜二つだった。
「………こと魔物退治において右に出るものはいない、無双の狩人と。」
「照れますね。………………でも無双というのは買いかぶりすぎというものです。私より強い方はごまんといますからね。」
「むぅ、流石にそれは謙遜のしすぎというものであろう。………お主程の御仁にそう言われては拙者のようなものは立つ瀬がない。」
「そういうものでしょうか。」
何やら苦笑している少女――――――リオに、そういうものなのだ、と返しておく。
………………無双の狩人というのは最も彼女の当たり障りのない評価だ。
彼女を知るものは多くの二つ名で彼女を呼ぶが………………『青薔薇』を筆頭に『天弓の射手』、『麗しの弓姫』、『冬の瞳』、『捉えられざるもの』などはまだいいだろう。
だが、時として畏怖の念を込めて『
ちなみに『生首配達人』という名は彼女が冒険者組合に最初に登録に現れたとき、組合の窓口に竜の生首を放り出してきた一件に由来する。
他にも『
他にも確認できるだけで過激な逸話に事欠かないリオ・オーガスタという冒険者に対して目くじらを立てるものもいる。
だがそのあたり自分は好意的に受け止めている。
自分が求めているのはあくまで強さ――――――それが、どんな種類の強さであれ、自分は強いものに敬意を払うことにしている。
「さて、ちゃんと握手も交わしたことですし………一緒に攻略を進めていきましょうか。」
「うむ。前衛は拙者が務めるが………なるべく少しでも経験を積んでおきたくてな、
「えぇ、わかりました。でも危ないと思ったら私が勝手に助けますからね。」
「心得た。」
打ち合わせめいたものをしながら二人で水路脇の歩道を歩み始める。
自分の斜め後ろを歩いているリオと言葉を交わしながら、ふと、時折彼女の方に視線を向けてしまう。
少し視界から外れただけで――――――彼女が幻のように消えてしまうのではないか、という疑念がしばしば鎌首をもたげるのだ。
いや、その原因はわかっている。彼女の隠形だ。
リオの気配隠匿技術は僅かでも注意を反らしただけで姿を見失ってしまうほどに高度なものだ。
それこそ常に彼女意識を向けていなければいけないほどに―――――――――。
そこまで考えて「あぁ、そうか」と納得を覚える。
だからこそ自分は彼女から目を離すことができないのだ。
文字通り、目を離したら消えてしまいそうなのだから。
一目見たら忘れられない美しい容姿を持ちながら、一度目を離せば霞のように消える幻のような気配。
華奢で可憐な乙女の容姿を持ちながら、時としてにじり寄る獣のように見える威圧感。
矛盾している要素が重なり合うように同居している奇妙な存在感。
それがリオ・オーガスタという少女なのだ。
そしてその存在感が、今も自分の心を揺さぶっている。
「キムロさん。」
「………魔物か。」
彼女の声に促されて通路の先に魔物の姿を認める。
敵はこちらに既に気付いているようで、攻撃の体勢をとって威嚇してきている。
「では私は一旦下がって撃ちますので。」
先ほどまでの屈託のない少女の声ではなく、冷えた刃物のような声が後ろからかけられる。そして言葉が終わるともにリオの気配が背後から消える。
………背後を振り返りたい衝動に駆られたが努めて無視をする。呼吸を整えて刀を抜き放つ。
ここは既に戦場、余計なことに気を取られれば己の命が取られる。
敵に向けて踏み出す前に、リオの仇名を何故かまた一つ思い出した。
確かそれは――――――『青い
なるほど確かに
『リカント』
狼人族、とも言われる。イヌ科の耳と尻尾を持ち、鋭い犬歯を持つ。
高い筋力と敏捷性を持っているため戦士として高い適性を持つが、反面魔法関係の能力には恵まれない。
リカント族の文化として、彼らを『犬』扱いすることは最大の侮辱と捉えられるため注意が必要。
魔物の一種である