「ふっ!」
短く息を吐き、
彼の足は『縮地』の技法によって一歩で水面に浮かぶ蓮の葉の上に到達した。
そして着地と同時にその一歩を踏み込みとして刀を振るい、そこに陣取っていたカエルの魔物を斬り伏せた。
ここは地下都市第四層『迷宮水路』の最奥、ボスである『ヴォジャノーイ・アデプト』の間。
体育館程の広さがある貯水槽は水面に浮かぶ巨大な蓮の葉のみが足場である。
この戦場は水棲の魔物達の領域。敵は水中に水上にと、自在に動き回るがゆえに地上を歩くしかない人間族の身には圧倒的不利となる。
だがその程度の苦境で怯むようならばキムロは冒険者という生業を、戦士という生き方を選んではいまい。
彼はむしろこの苦境にあってこそ、むしろ微かな笑みさえ浮かべながら魔物の群れへと踏み込んでいく。
「けろけろけろっ!けけろけーっ!」
貯水槽の中央、最も大きな蓮の芝の上でヴォジャノーイが杖を掲げる。
するとそれを合図として魔物達がキムロに飛び掛かってくる。
先鋒はジャンパーフロッグ。その名の通り跳躍力を武器とし、機動力に優れる魔物だ。
その舌を鞭のようにしならせ打ち付けようとしてくる人間大のカエルが三方よりキムロへと攻撃を仕掛ける。
「ハァッ!!」
――――――が、無意味。
男が最も頼みにする剣技・連牙斬。
刀が唸りを上げて一瞬のうちに六の斬撃を三方へと放ち、舌鞭を斬り払ったのだ。
舌を切り落とされて怒りの声を上げるジャンパーフロッグにキムロは目もくれない。
とどめを刺すことなく縮地でもって別の足場へと飛び移っていく。
何せ雑魚は全て敵にとって時間稼ぎのための駒に過ぎない。肝要なのは何よりもまず首魁を討つことだ。
そして何より立ち止まっていては、命を取られる。
「けけろけろ、けろろけろ!けろろけろ!」
凡そ人間には聴き取れぬ奇怪な言語による呪文の詠唱。
ヴォジャノーイの杖の先端より幾筋もの水流が迸り、蛇のようにのたくりながらキムロに襲い掛かる。
水の攻撃魔法『ハイドロヒュドラ』。
その名の通り『
蓮の葉の上を飛びながら雑魚を躱しつつ、ヴォジャノーイに近づきつつあったキムロは方向を転換して魔法の回避に専念する。
だがハイドロヒュドラは魔術師の意に従い獲物を追い詰める蛇が如く軌道を修正しながら狼人を取り囲まんとする。
放たれた水流は九条。五条が取り囲み、四条が殺到する。
水の蛇が喉元に食らいつかんと顎を開くその瞬間、キムロが駆けだす。
男はただ無計画に魔法から逃げまどっていたのではない。
相手がこちらを取り囲んだと――――――そう誤認する瞬間を待っていたのだ。
「フンッ」
繰り出したのはやはり連牙斬。
だがそれだけではない、すべての斬撃を前方方向に集中。
さらに連牙斬に載せて放たれたのは『裂波斬』――――――水や炎など、形のないものを断つために存在する剣技である。
斬撃はキムロの周囲のハイドロヒュドラの囲いに向けて放たれ、過たず全てを両断した。
そう、彼は水蛇を一網打尽にする機会を伺っていたのだ。
その身を遮るものはない、囲いを破ったキムロは再度ヴォジャノーイに向けて踏み込んだ。
蛙の魔術師は水の砲弾を生み出して射出する。
だが、キムロの裂波斬がその悉くを斬り払う。
「けけろろろけろろ、けろろけけろろ!けけろろけろろ、けけろろけけろろろけけ!」
ヴォジャノーイの立つ蓮の葉の上にキムロが辿り着く。
あと縮地の一歩で直接剣が届く――――――その間合いに至ったところで、ヴォジャノーイは新たな魔法の詠唱を完成させた。
「ぬ………っ!」
その瞬間、踏み込もうとしていたキムロの体が鈍くなる。
一挙手一投足にかかる強い抵抗感――――――それはまるで水中の中にいるかのよう。
これは先ほど発動された魔法『ウォーターボトム』の効果である。
その効果は至って明確、周囲に存在するものの動きをまるで水中であるかのように鈍らせる魔法。
そして最大の特徴は水中で活動することに長けたものはその効果を受けつけないということ――――――例えばカエル型の魔物など。
「ゲココゲコココッ!!」
鳴き声を上げながら背後から近づいてくるのはレスラートードだ。
ヒキガエルの如きこの魔物は魔法の効果範囲にあって動きを鈍らせることなく悠々とキムロに距離を詰める。
ヴォジャノーイも杖に魔力を漲らせ、必殺の好機を窺っている。
そして両者に挟まれたキムロは全身が水に浸かったかのように機敏な動きを封じられている。むしろこの魔法の影響下では初動が速い動き程、強い抵抗に晒されるだろう。
窮したかに見えるこの状況下、しかしキムロの表情に焦りの色はなかった。
「武装解放――――――『祓魔の太刀』。」
彼がそう低く呟いた瞬間、やにわに刀の刀身が白銀色の輝きを放ち始める。
時を同じくして背後からレスラートードが彼に掴みかかる。魔物の投げ技により地面に転がされれば、魔法の発動準備を終えたヴォジャノーイによる必殺の一撃が打ち込まれることになるだろう。
「はっ!!」
ウォーターボトムの効果により満足に動けないはずのキムロ。
だが、如何なることか。彼が白銀色の刃で周囲の空間を薙ぐ――――――すると彼の五体はたちまち元の軽快な動きを取り戻したではないか。
そして、返す刀で背後に迫るレスラートードに斬撃を浴びせて水下に沈めて見せた。
「けろろぉろけろろろっ!!」
ヴォジャノーイが杖先から魔法を解き放つ。
石壁も叩き割る激流の魔法『ストリームブラスト』。
直線状に迸る鉄砲水が破城鎚の如く押し寄せる――――――それをキムロは正面から迎え撃った。
「はあァッ!!!!」
同時に放たれた六の斬撃。その全てが中点で重なり合い、ストリームブラストの魔法を真正面から散らしていった。
斬り裂かれた激流は四方八方へと飛び散り、貯水槽の壁にぶつかり煉瓦を砕いて粉塵を散らす。
だが、キムロの身に届いたものは一つもない。
(よし、いけるッ!!)
キムロが放ったのは先ほどハイドロヒュドラを破ったのと同じ、連牙斬と裂波斬の組み合わせ。
だが、そこにもう一つ加えられたのが『武装解放・祓魔の太刀』である。
『武装解放』とは一部の特殊な武器――――――魔剣・聖剣などと呼ばれるものや、優れた鍛冶職人が特殊な素材を用いて打ったものなど――――――に宿る力を解き放つことである。
その効果は千差万別であり、ただいつもより強い力を出せるようになるというような効果から、天地を割ると伝説に謳われるものも存在する。
キムロが振るった刀は武装解放により『祓魔の太刀』と称される効果を発揮し、文字通り魔を祓う――――――魔法を斬り裂く力を得たのである。
これと形のないものを裂く『裂波斬』を組み合わせたことにより、彼は魔法を無力化して見せたのだ。
――――――同時に『祓魔の太刀』を発動させると刀身に『光』の属性を付与するという効果も発生する。
光属性は主に
そう、この刀は彼がドラゴンゾンビを打倒するために用意した刀なのだ。
「ふんッ!!」
祓魔の太刀、その威力の手応えに満足を覚えるキムロ。
それでもまだ戦いは終わっていない――――――ヴォジャノーイが再度杖を構えて魔法を唱えようとする。
そこにキムロは縮地で踏み込み、斬撃を放つ。
「けろぉっ!!」
展開される魔力の盾―――――しかし、それは祓魔の効果を載せた斬撃によって容易く斬り裂かれる。
キムロの放つ連牙斬が幾筋も放たれヴォジャノーイを切り刻む。
斬撃を浴びせられながらもヴォジャノーイは中々倒れない。階層のボスの
だがそれでも言うならば、状況は既に詰みに入っていると言えた。
ヴォジャノーイの魔法は祓魔の太刀の前に斬り裂かれ、その機動力ではキムロの縮地の足の前から逃げられない。
階層の主を護るかのように、ジャンパーフロッグやレスラートードが割って入ろうとする――――――だが、複数の斬撃を瞬く間に放つ連牙斬を得意とするキムロにとって少々数が増えたところで迎撃はさほど難しいことではない。
つまり、増援も焼け石に水。僅かな時間その死を伸ばすだけに過ぎなかった。
「け、けろぉーーーーーーっ!?」
第四層『迷宮水路』の主、ヴォジャノーイ・アデプト。
その断末魔が貯水槽に響くことになるまでそう長くはかからないだろう。
「まぁ、もう少し長引いてもらっても構いませんが。」
………ちなみにキムロの同行者、いざとなれば加勢すると宣言していたリオ・オーガスタ。
彼女は『干ばつの乾布』を足に押し当てて濡れたタイツを乾かすのに専念していた。
******
「お疲れ様でーす。割合、余裕そうでしたね?」
「いやなに、そうでもない。」
ヴォジャノーイの討伐に成功したキムロを労う。
マスコットキャラクターめいた愛嬌のあるカエルさんを犬………じゃなくて狼耳の侍が刀で滅多切りにするという中々アレな絵面だったが、悲しいかなこれが冒険者稼業である。
「傍からは余裕もあるように見えたやも知れぬが………逆に言えば、そうでもなければ危険だった、というべきだろうか。」
キムロは防御を必要最小限に、手数と速度で攻めるタイプの戦士だ。
故に防御面には不安があり………ヴォジャノーイの魔法攻撃を直撃で食らえば相当な痛手になるだろう。
傷を負うことなく余裕をもって倒した――――――というよりは、傷を負うような状況にならないように全力で戦うのが彼のスタイルなのだろう。
「良い刀を使っておられるようですね。今のは武装解放でしょう?」
「うむ、良い鍛冶師に鍛えてもらってな。そもそもこの刀は………………いや、話し始めると長くなるか………。」
体力回復の
貯水槽の脇にある足場の先には開け放たれた金属扉があり、そこから先が第五層となっている。
確かにいつまでもここで駄弁っているつもりもない。
私は彼に賛成の意を表して扉へと向かった。
武装解放はその武器が持つ固有の特殊能力であり、直接攻撃武器を主体とする戦闘職の者にとって切り札の一つだ。
ただしその発現には少なからぬ
キムロの刀の効果はおそらく、魔法を攻撃対象にすることと光属性の付与だろう。
『裂波斬』との組み合わせで下手な魔法使い系なら完封できる性能があるのは先ほど見た通りだが――――――それ以上に、明らかにドラゴンゾンビを殺しに行くための効果であり、彼の気合いの程が伺える。
刀のことについて尋ねたとき、キムロは随分嬉しそうな表情を一瞬だけ見せた。
おそらくは相当な思い入れのある剣なのだろう。
私も気持ちはわかる。相棒と呼べる武器は人に自慢したくなるものだ。
「さて………いよいよ第五層か。」
「えぇ、そうですね………。あぁ………第五層かぁ………。」
「リオ殿はちゃんと用意はされているか?」
「勿論です。」
キムロと話しながら金属扉を潜り、アイテムボックスに手を突っ込んで目当てのものを引っ張り出した。
向こう側が透けて見えるような水色の布で作られたマントだ。手に触れるとひんやりとしていて心地よい。
そのマントを羽織りながら横目で確認すると、キムロも同じ素材で作られたマフラーのようなものを首に巻いている。
これは『水の羽衣』という素材で作られており、見た目通り水属性を纏うことで炎属性への耐性を得るものだ。
ここから先の第五層では必須となる。
あぁ、ここから先を想像すると本当にげんなりする。
「ではいきますねー。」
「うむ。」
扉を潜った先にあるのは、八角形の床の部屋だった。
床面は金属質の素材でできており、歩くと硬質な音が足元から響く。
そして部屋の中央には杖のようなものが置かれており――――――その先端部分にはボタンがついていた。
キムロに確認を取って私はボタンを押し込んだ。
すると、ガコン、という音と共に機構が作動し――――――床が音を立てて沈んでいった。
だがさして驚くことではない、ようは部屋が丸ごとエレベーターになっているのだ。
天井が遠ざかり、床が沈むことしばらく。
作動させた時と同じような音がして下降が停止した。
前方には入ってきたときのものと同じ金属の扉が一つ、私たちに開かれるのを待っていた。
私はあまり開けたくなかったが、その取っ手に手を掛ける。
あぁ、この段階で既に持ち手が熱い。
「なに、この階層が嫌いなのは拙者も同じよ。」
「………さっさと攻略しないといけませんね。」
私の後ろでキムロが左様、と頷いた。
意を決し、私は扉を押し開いた。
――――――その瞬間、扉の向こうから吹き込む熱気。そして、橙の光。
「「………………………。」」
私たち二人がそろって渋い顔をするのも無理はあるまい。
目の前にあるのは金網を重ねて作られたような床面の巨大な鉄橋(ちょうど第四層の橋と同じような幅と長さだ)と――――――その真下に見える、煮えたぎる赤と橙の光だった。
目を凝らせば橙色の光は高熱を発する流動する何かであり………………つまりは、溶けた鉄である。
溶鉱炉の如く溶けた鉄が川を成し、鉄橋の下を流れているのだ。
ここは地下都市第五層『溶鉄鋼路』。
ご覧の通り、溶鉄の川の上にかかる橋が舞台となる階層である。
水に満たされた第四層の次にこんなステージを用意してくるあたり設計者の意地の悪さが透けて見える。
ゲーム時代は『
「熱いは熱いがそれでも行かねばな。」
「えぇ、極力雑魚は速攻で片付けますよ。」
鉄橋の上をキムロと二人、小走りで駆けていく。
幸い周囲の見晴らしはこれまでの階層に比べて格段に広いため、魔物に隠れる場所はない。
道の邪魔になるものは見敵必殺、それ以外は全部無視。
文字通り蹴散らしながら階層を進む。
ここの敵は階層の外見通り、炎あるいは鉄に関係したものが多い。
『サラマンダー』、『イフリート』、『レッドキマイラ』、『ブレイズハウンド』、『ランニングトーチ』、『ラーヴァスライム』などは炎の属性を持つ魔物達だ。
ただでさえ熱いこの階層にあって近づくだけで熱気に晒されるこの手の魔物達はまさに不快の極みと言えよう。目に着いたら片っ端から射殺する。
『ブルサガリ』、『アイアンサイクロプス』、『ブロンズガーゴイル』、『リビングメイル』、『ヴァイスティーゲル』辺りは鉄に関係する要素を持った魔物である。
往々にして攻撃力と防御力の高さが売りなのだが、同時に移動速度が遅いので走って撒くのは難しくない。
………なのだがそういう連中に限って道に立ち塞がって強制エンカウントになる。
キムロは鍛錬としてそういった敵に積極的に挑んでいった。敵の体が硬いので刀の消耗に気を付けるように忠告しつつ、最小限の援護をしつつその戦いを見守る。
暑苦しいことこの上ないこの階層だが、常に溶鉱炉の上というわけでもない。
橋の上を渡っていると途中で分かれ道になる。その道の一つを渡っていくと階層の壁に到達する。
壁に備え付けられている扉を押し開くと、金属の床と壁を持つ薄暗い通路がそこにあった。
この通路までは溶鉱炉の熱気も届いてこないようで、久しぶりの涼しさを満喫する。
ここで少し小休止を取り、水を飲んで水分補給をする。
だがあまりのんびりもしていられない。
ここはまだ安全地帯ではないのでぼやぼやしていると魔物と出くわすこともある。
特にこの通路は街の路地裏程度の幅しかないので、『
ゲーム時代にはなかった現象として、火で空気が焼き尽くされた結果酸欠で昏倒する危険もある。
我々はより一層注意を払いながら狭く薄暗い通路を進んでいく。
通路の突き当りの扉を開けばまた鉄の橋と炎の川が我々を出迎えてくれた。
ここの橋にも幾つかの分かれ道が存在しているだろう。
このようにここ第五階層は分かれ道のある橋と、その突き当りにある壁の中の薄暗い通路で構成されている。
道を正しい順序で進めばボスの場所までたどり着くことができるはずである。
市街地が舞台だった第一層・第二層、森の中の第三層、水路で構成された第四層に比べて第五層の鉄橋はかなり見晴らしがよく比較的戦いやすい………その代わり常時熱気に晒されるためかなり体力を消耗する。
一方壁の中の通路は涼しい代わりに通路が狭く戦いにくい。そんな状況下で魔物は容赦なく範囲攻撃をしてくるため攻撃を避けるのが極めて困難になる。
魔物自体の強さも全体的に向上している。特に炎を主体とした魔物の範囲攻撃や、金属の体表を持つ魔物の頑強さは生半可な冒険者では正面から擦り潰されるだろう。
私もいよいよ本格的に攻撃手段を弓に集中させ始めた。
とはいっても全力で弓を引けば矢が魔物の体を容易に貫通して後で回収するのが面倒になる、というのは第四層と変わらない。
私は注意深く威力を加減しつつ獲物を仕留めていった。
階層内で安全地帯を見つけたらなるべく立ち寄るように心がける。
体力の消耗が激しいこの階層ではこまめな休憩と水分補給が大事になる。
ただでさえ熱いのに加えて体から炎を放つ魔物との戦闘もあるので体力の消耗はこれまでの階層の比では無いのだ。
キムロと適当に雑談したりしながら、水を飲んだり軽食を摂ったり、汗を拭いたりする。
私の体はそれなりに体力がある方なので、疲れたという感じはあまりないのだがそれでも汗をかくのは避けられない。
汗は人間の体に自然と備わっている冷却作用なので周囲が熱ければ否応なく汗は出るものだからだ。
私が来ているブラウスは夏でも湿気がこもらず、冬は暖かさを逃さない高性能な代物だ。
その上から常時水の冷気を纏う『水の羽衣』製のマントを羽織っているが、それでも熱いものは熱かった。
額の汗を拭ってから、ブラウスのボタンを緩めて胸元をはだける。
あー暑い暑い、といいつつ胸元に空気を送り込んでいると、キムロが顔を赤くしてそっぽを向いていた。ふっ、計算通り。
まぁ、汗も滴るいい男が目の前にいてお預けくらっている状態の私のささやかな意趣返しのようなものだ。許して欲しい。
ふんふん、と鼻を鳴らすと彼の汗のにおいが鼻につく。
悪くない。いや、むしろ良い。
視覚と嗅覚の保養を終えて気力を改めて充溢させ、第五層の攻略を再開する。
安全地帯を抜けて再度鉄橋のエリアに足を踏み入れる。
後はあまり語るようなこともなく、淡々と進んでいく。
やがて例の如く壁の中に入る扉を開いたが、そこには通路ではなく金属製の下り階段があった。
その階段を降りていって扉を開くと溶鉄の川が目の前にまで来ていた。
だがその溶鉄は既に温度が下がっているようで、黒い鉄色の川面の下から燻るような炎の橙を覗かせるばかりだ。
眼下から立ち上る赤黒い燐光で照らされた空間はさながら地獄の僻地のよう。
ただし幾ら温度が下がっているとはいえ近くにまで降りてきた分、我々が体感する温度は先ほどまでの煌々と燃える川と大して変わらなかった。
黒味が強い鉄の川に直接かかる鉄橋の上を進んでいく。
するとその終わりにあったのは巨大な八角形の足場だった。
その周囲が鉄柵で囲われていることもあり、どことなく闘技場を思わせる作りだ。金網デスマッチの類かもしれないが。
八角形の足場の中央には円形の穴が開いており、その奥からは絶えず火花と火の粉が上方に向かって噴き出している。
ごおぉぉぉぉ………、という地の底から吹き込むような禍々しい風の音と相まって恐ろし気な雰囲気を醸し出している。
………私たちはここから何が出てくるのか知っているのであまり恐ろしくはないのだが。
そう思って隣に視線を投げかけるとキムロは緊張した面持ちで刀の柄に手を掛けていた。
「緊張しておられますか?」
「いやなに、前回挑んだ時はかなり苦戦したのでな。その時のことを思い出しているだけのこと。」
ふむ。確かに今回の敵は前衛専門には少々つらいところがあるかもしれない。
接近して畳みかければそのまま制圧することも可能だった第四層のボスとは違い、考えなしに殴り続ければそのまま自分も死ぬ危険がある。
――――――だが、問題はあるまい。
「貴方の目的はここよりももう一歩先でしょう。ならば、
そうにっこりと微笑みかけると、キムロはこちらを数瞬見つめた後、不敵に笑ってから頷いた。
そう、それでいい。
「貴方は十分実力があるのですから、この先を考えてペース配分するくらいの余裕はあるはずですよ。………まぁ、それはそれとしてこちらをどうぞ。」
私は自分が羽織っている『水の羽衣』製のマントを彼に手渡した。
彼が使っているマフラー型のものよりも面積が多いのでその分性能は良いはずだ。
「うむ………かたじけない。」
一瞬躊躇したような素振りを見せたが、キムロは私のマントを羽織って踏み出していった。
………私のマントを羽織った瞬間、少しだけ鼻をひくつかせたのを私は身逃さなかった。
私の汗のにおいでもついていたかな。
悪い気はしない。
キムロが八角形の闘技場に足を踏み入れると、中心部の穴から吹き上げる火の粉が勢いを増し、底から響く音が大きくなった。
やがて轟音とともに火山の爆発のような炎を撒き散らしながら、この階層のボスが穴の底から姿を現した。
「モ゛オ゛オ゛オオオオォォォォォォォォ………………ッッッ!!」
『モロクタウロス』。
人間の胴体に雄牛の頭部を持つ巨大な銅像が重低音の咆哮を上げながら眼下を睥睨する。
金属で作られたその体は表皮が所々破れており、内部の空洞を見て取ることができた。
だがその体表の隙間からは高熱が噴出し、その内部には焔が満たされていた。
牛頭人身の巨像は全長四メートルほどの高さがあり、右手には斧を持つ。
体の中に蓄えた炎は口から吹き付けられるだけでなく、表面を砕いた際に外部へと露出し、敵を苦しめる反撃の手段となるだろう。
要するに攻撃するとその度に攻撃した個所から火を噴くという特性がある敵なのだ。
最も確実な攻撃手段は、前衛が足止めに徹して後衛が仕留めるというものだが――――――キムロは一人で挑まねばならない。
「………ゆくぞ。」
キムロが低く呟いて、果敢に駆けだした。
モロクタウロスは咆哮を上げて正面からそれを迎え撃った。
当然ながら第四層のように無傷というわけにはいくまい。
だが、私はあまり心配していない。
先ほども言った通り、後のことを考えてペース配分を考える余裕くらいは彼にはあるはずだ。
ドラゴンゾンビを単騎で討伐しようというのがからそれくらいの実力は持っていてもらわないと困る。
………まぁ、第六層は道中を全てカットして直接ボス戦に行ってもよいので、ここの戦闘を全力で片付けてゆっくり休むというのも選択肢としてはありだが。
私は念のために自分の弓を左手にブラブラさせながら、キムロの戦いを見守った。
『体力』
スタミナ。SPとも表記される。
動き回っていると常時消費する数値であり、移動や直接物理攻撃などで消耗する。
元々の前衛職にとっては
地下都市第五層のように過酷な環境に身を置いていると消耗が速い。対処する備えをしていると消耗も減る。
例えば地下都市第五層は熱気による