数時間ほどの仮眠を取り、胃の負担にならない程度の軽食を取った。
それからキムロが暫く武装の点検と簡単なストレッチを行うのを待ってから、我々は廃屋を後にした。
ここの住居群、『墓守達の村』は通りに設置されている松明に照らされて夜に沈んでいるかのようだった。まぁ、ここには昼も夜もないのだが。
大きな道沿いに歩いていくとこの階層の主役と言うべき塔墓の目の前までやってきた。
塔の門の前はちょっとした広場のようになっており、足元に犬を従えた大きな鎌を持つ男性――――――冥夜神を象る石像が設置されていた。
目をやるとその石像の前に跪いて祈りを捧げているローブ姿の人影があった。
「ジルトラ殿。」
「君たちか。」
キムロがその背中を見て呟く。
するとそのウンカラ族の僧侶、ジルトラは立ち上がってから相変わらず感情の見分けが難しい仏頂面でこちらに振り向いた。
「失礼、祈祷の邪魔をしたようだ。」
「問題はない、それは些細なことなのだから。私が推測するに君たちはこれから塔の中に入るのではなく、先へと進むのだろう。
旅立つ者との別れの挨拶を交わすことの方が、一人祈り続けることよりも優先されるべき事項であると私は考える。私の信仰する神もそう狭量ではないのだから。」
つらつらとそう言葉を並べるジルトラ。
うん、気持ちはありがたいがやはり冥
親切心なのはわかっているので口には出さないが。
その後ジルトラから安全を願う祈りの言葉(半分くらい死後の安寧に関するもの)を貰ってから我々は別れた。
おそらくこの後しばらくしてからジルトラ自身はこの塔墓の探索に勤しむのだろう。
ちなみに、彼自身は相当な強者なので心配する気はない。
元々単独でこの第六層までやってこれる実力があるのだ。
その上で特に
「………。」
自分の掌を何度か開閉して具合を確かめる。
横を歩いているキムロがそれを見てどうかしたのかと尋ねてくる。
「いえ、先程の祝詞で何らかの
「うむ、確かに純粋に別れの挨拶だけだったようだ。だが、それで好都合だ。」
「………あぁ、なるほど。そうでしょうね。」
確かにこの階層のボスを倒すにあたっては
だが、そうして討伐に成功しても彼の中にはわだかまりができるだろう。
キムロはあくまでも自分の力で倒したいのだから。
「それはそれとして………なんですが、キムロさん。」
「何だろうか?」
「ドラゴンゾンビ戦では少しだけ手伝ってもいいですか?」
「むぅ………。」
私がそう言うとキムロは渋い表情をした。
彼の気持ちもわかる。武人としては自身の力だけで倒したいだろう。
ただ私としては最悪のケースになってしまい、彼が死亡するところを見るような事態はなるべく避けたいとは思うのだ。
「無論、今回はキムロさんの戦いですからね。私がしゃしゃり出るつもりはありませんよ。なのでお手伝いするのは、最初に牽制程度に一回。――――――そして、貴方が死ぬかもしれないような状況になったら一回………という具合でいかがでしょう。」
「リオ殿の助力は最大で二回………か。それならば、よいだろう。
――――――つまり、二度目の助力があったときは拙者の未熟ということになろうな………。」
キムロは鷹揚に頷いて許可してくれた。
最初からこちらからの助けをあてにしないのは実に彼らしい。
この調子なら私が二回目の攻撃で手助けをしたら罪悪感に苛まれそうである。
でもやはり彼が死ぬのは避けたいと私は思う。なにせ蘇生アイテムは高価なのだから。
そういう会話を交わしながら塔墓の裏手へと回り込んでいく。
塔墓は城と言っても過言ではないサイズを誇るため少々時間がかかるが、大したことではないだろう。
塔の真裏、陰に隠れるようにして目当てのものはそこにあった。
大理石で作られた小さな祠である。
こじんまりとしたドーム状の建物で、両開きの扉には涙滴と三日月を象ったレリーフが彫り込まれている。
鍵というべきものは掛かっておらず、手で押すと重厚な音を立てながら左右へと開いていった。
祠とは銘打たれているものの中に奉られているものはない。入ってきた扉の反対側、正面奥の壁に冥夜神を描いた宗教画が飾られているくらいだろうか。
ただ床の中央には下り階段が暗々とした闇を奥に覗かせながら口を開けていた。
どことなく静かで、不吉な雰囲気の漂うその階段に足を掛けて下へと進んでいく。
階段は特に仕掛けもなく真っ直ぐに下へと続いている。
松明のようなものは壁にはなかったが、我々が段を下るのに合わせて対人感知器でもあるかのように天井が白々とした光を発して足元を照らしていた。
階段の終点に着いたのはほんの数分後の事だった。
行き止まりにはこの祠にあったのとの同じようなレリーフを持つ白い扉が待ち構えていた。
「………………。」
私はそっと隣のキムロに目配せをした。
彼はやや緊張した面持ちで頷くと、扉に手を掛けて押し開いた。
扉を開けて踏み込んだその空間は、ひたすらに真っ暗な闇に満たされていた。
階段側からの白い明かりが扉から差し込んで我々の
視界は効かない、ただ扉を開けたとき周囲に反響した音からかなり広い空間であることがわかる。
我々が暗闇の中に踏み込むと、大きな音を立てて背後で扉が閉まる。
――――――この扉を再び開けるときは、ここから逃げ帰るときだろう。そんな考えがちらり、と脳裏をよぎった。
そして扉が閉まった瞬間、ちかちか、と視界が明滅する。
壊れかけの電球を無理矢理起動させるような不安定な挙動を見せながら、この空間の天井それ自体が発光しようとしていた。
――――――瞬く視界の中、空間の中央に
やがてどこかの回路がやっとこさ自分の役目を思い出して繋がるような、パチっ、という音とともに視界が明るく開けた。
空間全体は広めの公園、あるいは競技場くらいの広さがあるだろうか。屋内という意味では第四層の貯水槽と同じだが、あれよりももう少し広く、空間全体は幅広い円柱状になっているようだった。
円周を描く壁沿いには白い大理石の柱が立ち、その上は棒状の石が乗せられる形で連結されている。丁度、
天井は全体がLEDライトでも嵌めこんであるかのような、やや青白い白色のぼんやりとした光を床へと注がせている。
そしてその床の上に、異物が一つ。
全体的に白い、あるいは青白いこの空間にあってそれは、浮き立つほどに黒々とした闇を纏っていた。
その色は黒かった。ただの黒ではなく、夏場の干からびたトカゲの死体のような嫌悪感を催す黒い体表を持っている。
それはその生物の強靭であるはずの鱗と革の成れの果ての色だった。
黒い外皮はよく見ると所々が破れ、不吉な鼠色に劣化した骨と錆びた鉄のような赤黒い肉を内から見せていた。
床の中央に蹲るようにして倒れているそれは、巨大な蜥蜴のような体に蝙蝠のような翼を生やす巨大な生物――――――即ち、
「………………っ!」
その姿を認めた瞬間、私の隣に立っているキムロの心拍数が跳ねあがるのを感じた。
息を吸い込むペースが上がり、体温が俄かに上昇するのを感じる。
彼の手が刀の柄に掛けられて鍔の鳴る音がした。
私はすっ、と手を挙げて彼を制した。
「慌てないでください、先制は私です。」
「………。」
そう言うと彼は若干気を取り戻したのか、息を吐きながら体の緊張を緩めた。
………無理もないだろう。前回はボロボロにやられた相手で、今回の最大の獲物だ。気が逸るのもわかる。
この間も我々は目の前の竜の躯から目を離してはいない。
そして、我々の見ている前で――――――それが
最初は青い炎だった。
骨が覗いた頭部、その眼窩の暗い闇の中に灯った青い炎は徐々に大きさと輝きを増していく。
やがて同じ火がもう片方の目にも灯った瞬間――――――紛れもなく死体だったはずの竜が身を起こし始めた。
裂けた革の奥の腐ったような筋肉を躍動させながら、折れているはずの骨で身を支えながら。
――――――ア゛、ア゛、ア゛・・・・・・・・・カ゛、カ゛、カ゛・・・・・・・・・ッ゛!!
「カ゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァァァァァァァァァッッッ゛!!!!」
喉奥から眼に灯ったものと同じ青い炎を吐いて――――――咆哮する。
断末魔のような産声を上げながら、第六階層の
………ドラゴンゾンビはこれまでの階層のボスとは一風違った特徴がある。
つまり、
第五層のボスである『
何せ頭一つが納屋程度の大きさがあるのだ。全身を含めた総体積はさながら動く屋敷のようだ。
そして、この世界において――――――
ゲーム時代でも
そうでなくても大型の魔物は全体的に高いパラメータを持つ傾向でデザインされていた。
だが現実化したこの世界で、大きいという単純な事実はパラメータ以上に厄介な要素になっている。
何故なら大きいということは必然的に重たいということであり、重たいものが動くときには発生する運動エネルギーが大きくなるということなのだから。
ゲームだった頃は
牛のように突撃してくる手足が生えた飛行機に曳き潰される人間を想像してもらえば、この世界におけるドラゴンとの戦闘の危険性が伝わりやすいだろうか。
とはいってもこのドラゴンゾンビは通常のドラゴン程素早くは動けない。
ゾンビ化した影響で敏捷性や知性が低下しているせいだ。
代わりにHPがかなり増大している他、身体系の状態異常にかからないという強みもあるが。
「カ゛、カ゛ッ゛、ア゛ァ゛ァァァァ・・・・・・・・・ッ!!」
えずくような不快な鳴き声を上げながら、眼球の代わりの灯を揺らめかせてドラゴンゾンビがこちらを視界に捉える。
所々が欠けて乱杭歯になった牙を見せながら顎を開く。
ズシャリ、ズシャリ、と重い音を立てながら巨大な躯が我々を食い殺そうとにじり寄ってくる。
それを見て私は弓を携え、矢を矢筒から抜き放った。
「では、始めましょうか。」
******
「では、始めましょうか。」
リオ・オーガスタがするり、と矢を抜き放ち無造作に弓に番える。
空間の白い光に照らされて
彼女の前には黒々と干からびた体表を持つ竜の動死体が、おぞましい叫びを上げながら迫る。
今はまだ距離があるが、その巨体は徐々に加速していき獲物と見定めた少女をその顎で食い殺すだろう。
虚ろな眼窩に灯るその青い火は生ある者への怒りと妬みに燃え盛るようであった。
無論、リオは敵に食いつかれるのを悠長に待つような自殺志願者ではない。
故に彼女は既に矢を引き絞り、放つ準備を終えている――――――
リオは右手の指の間に持てるだけの矢を挟んで、弓に番えていた。
――――――『
彼女の脳裏で
それと同時、弦が弾ける音ともに――――――矢が放たれた。
「カ゛、ア゛、ア゛アアァァァァッッッ゛!!」
放たれた矢は『
一射によって形成された数十もの矢による弾幕がドラゴンゾンビの表皮を食い破り、貫いていく。
そして矢の中の一本たりとも的を外したものはない。全てが表皮を軽く削る程度に
「ほーら、こちらですよ。この腐れトカゲが。」
花が咲くような笑顔で毒づきながら、円形を描く壁に沿うようにリオは駆けだした。
リオならば『
まず、第一にそんな景気の良い使い方は矢の無駄だから。
そして第二に、
「
この場にあって主役は彼女ではないのだから。
リオが駆けたのと逆方向。
そちらから裂帛の叫びとともにドラゴンゾンビへと駆け込んでいくのはリカントの若武者、キムロである。
初めに自らに攻撃を加えた弓兵の少女に狙いを定め、そちらへと首を傾けていた死せる竜は反対側からの急襲に対処することはできなかった。
通常の竜であればより俯瞰的に状況を判断していたのだろうが――――――これは
「ハァッ!!」
白銀の輝きを放つ『祓魔の太刀』が振りかぶられ――――――その刀身が一瞬ぶれた。
一瞬のうちに多数の斬撃を放つ『連牙斬』、その刃の軌道が全て一直線上に重なり合う。
六の斬撃が一閃となり、ドラゴンゾンビの前足に深々と斬り込んだ。
「ぬぅんっっっ!!」
壮絶な、重い手ごたえ。
だがその刃は確実に鱗を革を肉を断ち切り、大木の如き竜の足の肉を断った。
されど両断するには至らない。死してなお硬い竜の骨がそれを許さなかったのである。
「カ゛ッ゛、ア゛アァァァァァァァッッッ゛!!」
竜の咆哮。口の足から青の燐光を噴き出しながら虚ろな目がキムロを捉える。
知性無き竜は攻撃の深さ、彼我の距離から、自分の足元にいる一人の狼人に狙いを定めた。
「ア゛ァ゛ァッッッ!!」
無事な側の前足が振るわれる。まるで鼠を払いのける猫の手のような無造作な動き。
足の先に生えそろった大剣の如き爪が、空気を引き裂く音を響かせながら男を薙ぎ払わんと迫る。
「おぉッ!!」
キムロはそれに対してやはり白銀の連牙斬で迎え撃つ。
爪の軌道に合わせるように、六の斬撃を噛み合わせていなす。
体のひねりまで駆使して岩をも砕く竜の爪撃を受け流さんとする。
「―――――――――ッッッ!!」
だが体格の差、重量の差、筋力の差は無慈悲にもキムロの体を弾き飛ばす。
そのまま彼は放られたボールのように石床を勢いよく転がり――――――瞬時に起き上がる。
その場で受けきれぬと判断した彼は、敢えて弾かれることで衝撃を最小限に抑えたのだ。
「ク゛ウ゛ゥ゛ゥゥゥゥゥゥ―――――――――ア゛゛ァ゛ッッッ!!!!」
だがドラゴンゾンビは追撃の手を緩めない。そこにあるのは生あるものを屠るという、ただどこまでも単純な行動原理。
起き上がったキムロに対して放たれるのは
盛大な嘔吐のような悍ましい叫びとともに放たれた、呪いの青黒い火炎が地面を舐めつくすように放たれる。
その瞬間、
(前へ――――――、)
既にキムロは体を前に傾け、
「前へっ!!」
ドラゴンゾンビの真正面に向かって駆け出していた。
それに合わせたかのように放たれる竜の息吹が彼の視界を青黒く染め上げる。
無謀とも言えるその突撃。
それに応えたのはキムロの手の中にある刀だった。
主の闘志に呼応するかのように、刀身が一層眩い銀光を放つ。
そして振るわれた『裂波斬』は何と彼の目の前に迫った炎の津波を切り拓き、主の道を作って見せた。
「おぁぁッ!!」
「キ゛イ゛ィッ!!」
焼け死ななかった男を迎え撃つためにドラゴンゾンビが自らの頭を鈍器のように振るって叩きつける。
金属隗に勢いよくヤスリを擦りあてるような異音とともに両者が激突。
――――――体重差からキムロが弾かれる。
だが彼は体をあちこちぶつけながらも、何とか受け身をとって再度構えを取る。
視線を向ければドラゴンゾンビの顎のあたりに斬り込まれた刀傷が刻まれていた。
そしてその傷と、最初に付けた前足の傷口から黒い煙のような瘴気が漏れ出していた。
これはいわば
頭を潰しても死なないのが
だが、竜はその巨体故に内に流れる瘴気も膨大である。そう簡単には死に絶えることもないだろう。
だが――――――
(いける………!戦える、闘えるぞ!!)
己が手傷を負わせた竜を油断なく睨みつけながら、キムロの心中はかつてないほどに沸き立っていた。
まともに打ち合うこともできず、血達磨にされながら背を向けて逃げたかつての苦い記憶。
その相手に今の自分は確かに傷を負わせることができている。
その事実が何よりも彼の心を燃え上がらせていた。
(戦える。斬れる。傷を付けられる………ならば倒せる!!)
無論、敵の生命力は膨大だ。果たして自分の攻撃を幾度当てれば倒せるのか。
だがまだ浴びせたのは二撃。二撃も通ったのなら、三撃、四撃、何撃でも積み重ねていくのみだ。
決意新たに刀の柄を握り締める。
闘志に答えるように刀身がギラリ、と銀に光る。
「はぁぁぁっっっ!!」
「カ゛ア゛ァ゛ッ!!」
竜が背後を振り向くように体を回転させ――――――その尻尾が鞭のようにしなりながら空間全体を薙ぎ払う。
キムロは当たれば胴体ごと砕け散るであろうその攻撃に向かって敢えて踏み込み、飛び越えながら再度竜に肉薄する。
「おぉぁっ!!」
死地に身を置くもの――――――戦士の熱狂に身を委ねながら、キムロはまさしく狼の如き咆哮を上げ宿敵に斬り込んでいった。
******
「………まずいかもしれませんね。」
柱の陰に隠れながらぽつりと呟いた。
私の呟きは戦闘音にかき消されて私自身の耳にしか届いていない。
私の目線の先ではキムロとドラゴンゾンビが激戦を演じている。
キムロの猛攻によって体のいたるところを切り裂かれているドラゴンゾンビは、黒い血煙のような瘴気を体中から吹き上げながら多彩な攻撃を繰り出している。
それに対するキムロは刀で払い、縮地で距離を取り、機を逃さずに果敢に踏み込んでいく。
だが、
(まずいかもしれません。………
視線を凝らせばキムロは全身に滝のような汗をかいている。戦闘中に負った傷からだらだらと流れている血を洗い流すかのようだ。
全身の皮膚の紅潮具合から推測すれば脈拍も相当な速さだろう。
肩の挙上、腹筋と肋骨の動きから確認した呼吸のペースは非常に荒い。
つまり、疲労のペースがかなり早い。私の想像よりもずっとだ。
キムロ自身もそのことを自覚しているのだろう。
序盤の猛攻振りを控え、所々に休みを入れつつ堅実な立ち回りに切り替えている。
「カ゛、カ゛、キ゛ッ゛!!!!キ、キィ゛ア゛ァ゛ァァァァァァッッッ!!!!」
だがドラゴンゾンビはそんなことにはお構いなしである。
戦闘開始直後よりも更にバリエーションの増えた特殊行動によってキムロに攻勢をしかける。
『レイズオブレイス』によって召喚された
小回りを生かして死角に回り込もうとするキムロに対して『ダンシングウィスプ』が放たれる。確実に目標を追尾し、纏わりつきながら何度も攻撃を加えるという非常にいやらしい魔法である。
また、翼を広げて放たれる『呪わしき風』は広範囲に転倒効果を与えるほか、
無論、巨大な体躯による爪撃、尻尾打ちやブレス攻撃なども健在だ。
むしろ序盤戦よりもさらに攻撃性は加速している。
「………ここまで追い込むのが早すぎましたね。」
ドラゴンゾンビの攻撃パターンの増加は
ここまで来るのが私の予想よりかなり早かった。
それはキムロの戦闘力の高さを証明していることになるのだが――――――この状況では手放しに褒められない。
「………………。」
ちらり、とキムロの手の中にある刀に視線を向ける。
祓魔の太刀を発動させていることで刀身は銀色に光り輝いているが、戦闘開始直後に比べてやや光量が落ちたように見える。
正確には逆――――――最初が光りすぎだった、出力を上げすぎていたのだ。
………あの刀はキムロと長い間苦楽を共にした相棒というべき刀である。
自らの定めた宿敵に挑まんとするキムロの奮い立つ闘志がその刀に流れ込み、普段よりも更に高い能力を発揮したのだろう。
しかし武装解放には少なからぬ体力の消耗が付き物である。
闘志のままに全力で祓魔の太刀を発動させて猛攻を仕掛けたキムロはその分だけ激しく疲労したのである。
そうして攻め立てた分、早いペースでドラゴンゾンビの
だが、そこに来ていよいよキムロ自身の体力消費が追い付かなくなってきた。
序盤程の猛攻が不可能になってきたところに、ドラゴンゾンビの攻撃パターンの増加が重なってしまったのだ。
その結果として現在キムロはかなりギリギリの戦いを強いられることになってしまっている。
つまり要約すると――――――ペースを間違えた。
じっくりと体力を温存しつつ相手の生命力の半分ほどを削ったところで一気に攻勢をかければまだ余裕はあったのだが………。
もう一つ付け加えるとすると、ドラゴンゾンビは通常の竜よりも
「ぐ、うぅぅっ!!」
私の視線の先でキムロが爪に弾き飛ばされた。
鈍い刃のような爪先が、軽鎧を剝ぎ取りつつその下の皮膚を肉ごと抉る様が見えた。
衝撃を逃がしきれず、音を立てながらキムロの体が石床の上を転がされる。
白い床の上に赤い血が点々と散っていった。
その光景をあくまで冷静に観察しつつ、私は思案を始めた。
キムロは既にギリギリといったところ。体力を消耗した結果、動きは徐々に鈍りドラゴンゾンビの攻撃をもろに受ける回数が増えつつある。
一方のドラゴンゾンビも決して余裕があるわけではない。片方の前足が切り落とされているのを筆頭に満身創痍の有様である。精彩を欠かずに動けているのはひとえに
両者ともにあと一押し。
だが、その押し合いはキムロの方が不利。
「………。」
私は――――――矢筒から矢を引き抜き、
******
「はっ、はっ、はっ………!!」
男の口から荒い息が漏れる。
体中の熱を少しでも吐き出すかのような荒い呼吸。
頭から水を被ったように体を濡らす汗。全身に溜まった疲労は熱した鉛が血管に流れ込むかのよう。
どこかで負った切り傷からの出血が汗と混じって肌を流れる。汗と血が皮膚の火傷に滲みる。
打撲痕の下からジンジンとした熱感が引かない。骨が折れている可能性がある。
既に満身創痍――――――だが状況は彼に休む暇を与えない。
「あぁッ!!」
咆哮、一閃。
銀光を煌めかせる太刀を振るって敵の攻撃を迎え撃つ。
召喚された青黒い陽炎の如き幽鬼の群れを切り伏せ、追尾する火球を斬り払う。
広範囲に渡って放たれる呪いの烈風は避けらない――――――せめて自ら転がって行動の自由を確保する。
転がりながら追撃で放たれる翼の打撃を死に物狂いで回避する。直撃を食らえばハタキに潰される虫のような末路を晒すだろう。
柱の陰に逃げ込んで、わずかな時間でも息を整える。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ………………!!」
ここにきてキムロは既に自分の失策を悟っていた。
逸る己自身の手綱を取ることができす、自らの消耗を招いた。
その事実が悔恨と怒りとなって己自身を責め苛む。
ギリリ、と奥歯を噛み締める。
己の半身たる刀を握り直し、鎌首をもたげ始めた弱気に喝を入れる。
「――――――ッ!!」
刹那、直感に従い柱の陰から全力で飛び出す。
次の瞬間先ほどまで立っていた場所が火の海に包まれる――――――竜の息吹である。
キムロは縮地を何度か使用し、火を放った直後の竜の頭部へと回り込んで幾度も斬撃を浴びせかけた。
竜が苦悶の声を上げると共に瘴気が立ち昇り、吹き上がっていく。
彼の奮戦は無駄ではない。着実に竜の
だが――――――、
「ぐ、うぅぅぅっ!!」
振り上げるようにして放たれた竜の前足。その足先の巨大な爪がキムロをしたたかに捉えて弾き飛ばした。
鎧が弾け飛び、肉が抉れ、血が吹き出す。蹴られた石礫のように床の上へと跳ね飛ばされる。
硬い石床が全身を余すところなく打ち据えて鈍い痛みを刻んでいく。
「ご、あぁ………っ!!」
呻き声を上げながら震える体に鞭を打ってキムロが立ち上がろうとする。
裂傷がどう、打撲がどうという以前に、もはや熱いとしか感じられない総身。
だがそんなことに気を煩わせている暇はない。早くこの場を離れなければ竜からの追撃で殺される。
恐怖なのか闘志なのか判別のつかない焦燥を覚えながら刀を杖代わりに身を起こそうとした瞬間、彼は異様な感覚を覚えた。
「………………!?」
視線を下に下ろした瞬間、彼は驚愕に目を見開いた。
刀が折れていたのだ。
半ばから、ぽっきりと。
その瞬間、キムロに去来した思いを何と形容するべきか。
驚愕、呆然、空虚――――――何にせよ、彼はその一瞬我を忘れた。
まるで――――――刀とともに心も折れてしまったかのように。
「………………………!!」
「カ゛ア゛ァ゛・・・・・・・・・・・・ッ゛!!!!」
そして、その忘我の一瞬はこの状況下にあって正しく致命的であった。
彼の眼前には顎を開いた竜の頭部がある。そしてその口の中には今にも噴出されようとする青黒く禍々しい炎が見えた。
ぐぐぐ………、と両足になけなしの力を込めてキムロが立ち上がる。
だがその足はガクガクと震えており、とてもではないが駆け出すだけの力は残されているようには見えなかった。
彼の眼は焦燥に逸りつつも、どこか諦念を漂わせながら眼の前の光景を捉えていた。
(あぁ、自分は――――――死ぬのか。)
そんな言葉が彼の脳裏をよぎる。
ただ両手だけが無意識のうちに折れた刀を構えていた。
そして、彼の視界を炎が埋め尽くす――――――――――――その刹那。
「『
どこかでそんな声がした。
水晶を鳴らすような涼やかで透明な、冷ややかな声。
その声が聞こえた瞬間――――――ドラゴンゾンビの胴体に風穴が空いた。
「カ゛・・・・・・・・・ア゛ッ゛、ア゛ア゛ァ゛ァァァァァァァァァァ!!!!」
その一瞬確かにキムロは見た、青白い
穿たれた穴は鯨のように巨太な竜の体を貫通し、その穴から向こう側の景色が透けて見えていた。
一拍遅れてその穴から血しぶきのように瘴気があふれ出し、ドラゴンゾンビが苦悶の絶叫を上げた。
(今のは、)
見慣れない攻撃ではあったが、先程の光条が一体誰が放ったものなのかキムロにはわかっていた。
「カ、カ゛、カ゛ッ、カ゛ア゛ァァアアア・・・・・・・・・ッッッ!!」
ズシャリ、ズシャリ、と重い足音を立てながらドラゴンゾンビが矢の飛んできた方向へと進みだそうとしていた。
目の前にいるキムロを無視して。
先程まで戦っていた彼を放置して。
竜は目の前の戦士よりも、横合いから矢を射掛けてきた闖入者を優先して倒すべきと判断したのだ。
「待て………。」
それを理解した瞬間、キムロの中で何かが音を立てて弾けた。
あれほど全身を苛んでいた鉛のような疲労も、総身を焼く傷の熱さも――――――
「待てと言っている………っ!」
代わりに全身に満ちていくのは、『怒り』だった。
己を無視して別の獲物に目を向ける敵への怒り。
敵に敵とみなされていない、己の弱さへの怒り。
そして――――――
「
激昂、激憤――――――激情。
憤怒に身を任せキムロが叫ぶ。
刀の柄を拳も砕けんばかりに握り締める。
折れたはずの刀身に、再び目も眩む銀色の輝きが宿る。
石床を踏み砕くほどの力を込め、足を蹴りだして
「
どちらが竜なのかわからなくなるほどの雄叫びを上げ、キムロがドラゴンゾンビの眼前に肉薄する。
彼は折れた刀を振り上げ、満身の力を込めて振りぬいた。
「キ゛ッ、カ゛ッ・・・・・・・・・ッ゛!!??」
狙いは首元。
折れた刀身など知らぬと云わんばかりに、斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬り続ける。
怒涛の如く放たれる連牙斬はさながら巨大な電動鋸の如く、竜の喉笛を
「―――――――――――――――ッッッ!!!!」
刀を握る右手に熱が走る。
どこかで骨が折れる音が聞こえた――――――構うものか。
どこかで肉が裂ける音が聞こえた――――――構うものか。
どこかで刀が割れる音が聞こえた――――――構うものか!
声さえ失せた叫びを轟かせながら、
感覚さえ失せた腕を振るいながら、
キムロの嵐の如き斬撃が途切れることなく放たれ続ける。
そして――――――、
「カ゛、ア゛ッ・・・・・・・・・」
「っ!?」
ドラゴンゾンビの喉奥から気の抜けるような掠れた声が漏れた。
そして次の瞬間、キムロが
「カ゛、ア゛、ア゛、オ゛ォォォォ゛・・・・・・・・・・・・・・・!!」
一旦尻もちをついてから立ち上がったキムロは体に靄のように纏わりついた瘴気を払ってから視線を前方に移した。
彼の視線の先ではドラゴンゾンビが骨まで断たれた首の断面から、噴水のように負の生命力を垂れ流しにして苦悶の叫びを響かせているところだった。
もはや僅かな肉と革で繋がるばかりの頭部はだらりと垂れ下がり、暗い眼窩の奥の灯も徐々に立ち消えていった。
やがて瘴気の噴出が終わるとその巨体を支えていた足の力も抜け、ズズン………ッ、と静かな重い音を立てながら竜は倒れた。
ドラゴンゾンビ、その偽りの命の終わりが訪れたのだった。
「………………。」
キムロは黙したままそれに歩み寄った。
無意識に手の中の刀の柄を握り直そうとし………右手が動かないことに気がついた。
代わりといわんばかりに彼はまだ無事な左手で腰の鞘に触れた。
目の前にある竜の躯は、今や完全に物言わぬただの死体となっていた。
………かに見えた。
「ア゛ァ゛ッ゛!!」
「
竜の眼窩に青の炎が突如灯る。
停止していたはずの竜の躯の頭が突如として動き、文字通りに牙を剥いた。
そして、それと全く同時にキムロは左手に握った刀の鞘を腰から引き抜き、全力で振り抜いた。
竜の頭が顎を開いた瞬間、何本もの竹が勢いよく潰されるような音が響く。
キムロの振り下ろした刀の鞘が圧し折れて、竜の頭蓋骨が陥没した。
同時に異音とともに彼の左腕が折れ曲がったが、些細なことである。
「………………眠れ。」
キムロがそう呟くと、今度こそ
同時に今までの階層のボスがそうだったように、その体がボロボロと崩れて無へと帰っていった。
「………………。」
キムロはその様を終始無言で見届けた。
竜が消え去った後に残されたのは戦利品である大きな竜の黒い骨と戦闘中に折れて散らばった刀の破片のみであった。
それを確認したキムロは――――――そのまま後ろに向けて大の字に倒れ込んだ。
「………うむ、まだまだ拙者も未熟………か。」
天井を見上げたままそう独り言ちる。
全身は疲労困憊で指一本動かせない。
腕の骨は右も左も折れ曲がっている。
刀は折れて鞘も砕けた。
右の拳に至っては、折れた骨が内側から一部飛び出し、肉と皮が裂けて血塗れになっていた。
しかし――――――その手はいまだに刀の柄を握り締めていた。
握力のあまり柄もひしゃげているが、彼の手は確かにそれを手放さなかった。
どこまでも無様だった今回の戦いだが――――――その一点、その一点だけは誇っても良いのではないだろうか。
そんなことを思いながら、キムロは体を床に投げ出したままこちらに小走りで駆けてくる少女の足音を聞いていた。