オリエス大陸最西端の国、ポルポタス。その港町であるノブシールは恐らくこの世界で最も富んでいる街と言っても過言ではないだろう。
街の経済を根本的なところで支えているのはずばり通商である。
元々港町であるこの都市では造船業が盛んであり長距離航海にも耐える頑丈な船の製造や、陸一つ見えない大海原にも漕ぎ出していける優秀な船乗りのノウハウが蓄積されていた。
特に大陸最西端であるという立地は西の大陸ヴェスティアへの航路の起点としてとても優れていた。
無論西の大陸だけではなく、航路はオリエス大陸の各地へと広がっている。ノブシールから南下して大陸南西部は勿論、更に進んで大陸南西部や東部地域にもその手は伸びている。
そういう事情がありこの街は世界中へと広がる航路網の中心として発展を遂げていった。
あらゆる人とモノが行き交う、港の街にして世界経済の中心都市。
だがその評価を不動のものとしているのはやはり、その通商路の網――――――もあるが、かの『商連』の本部が置かれているからという事実が大きいだろう。
いや、正確には置かれて
『商連』。
それはこの世界に二十年ほど前から進出し始めた異世界からの来訪者であり、十五年前にこの世界から帰ることのできなくなった迷い人――――――『プレイヤー』が設立した組織である。
特に商才溢れるプレイヤーが多数所属していたとされ、その加盟人数は実に数万人とも言われる。
その圧倒的な数の利を生かして世界中に情報網を作り上げた商連は裏から世界を支配していたとまことしやかに囁かれる。
ただ、その商連も十五年前に始まった『混乱の時代』を皮切りに組織は急速に分解していった。
結果として参加のプレイヤー達は独立して自身の商会を立ち上げるなり別の生き方を模索するなりと、散り散りになっていった。
だがそれでもかつて商連に所属していた者たちは、かつて同じ組織に属していたものとしての独自の連帯感のようなものが残っている。
故に組織そのものが解体された現在でも、商連の看板を掲げている商人はかなりの数がいるし、横のつながりが確かに存在している。
商連という組織は
――――――街の中心部、
ビル街。それは比喩ではない。
地球における中世欧州に近い文化様式を持つこの世界だが、それはここノブシールの街でも例外ではない。
基本的な建築は石材と木材、あるいは煉瓦。コンクリートもその成型のしやすさゆえに多用されているが、それでも建物の高さには一定の限界があった。
しかし、その限界を取っ払ったのがプレイヤー達の知識だった。
彼らはこの世界の技術水準の数百年は先を行く技術様式を知っているため、それらを積極的に導入し始めたのだ。
建築に関しても
ならばさっそくと言わんばかりに、ノブシールの富裕層は
行政も金持ち連中に舐められてはたまらん、と行政機関の建物を高層化し始めた。
事業主たちもこの工法に目を付けた。大きな建物を作れるということはそれだけ大きな作業場を確保できるということであり、造船業者は巨大な造船所を発注した。
不動産業者は俄かに色めき立った。階層の高い建物は、使用する土地面積はそのままに多くの床面積を確保できるからである。そういうわけで商人の
結果としてこの街はここ十数年ほど建築ラッシュが止まらず、工事の音が街から消える日がないほどだ。
個人が所有する小型漁船からプレイヤーの知識と技術がふんだんに組み込まれた豪華客船まで停泊する巨大な港、それを望む近代的で飾り気のない高層建築と伝統的で装飾的な木造・石造の建物群が入り乱れる市街地………。
高層ビルのオフィスから見下ろすノブシールの街はまさに混沌の一言に尽きるだろう。
「じゃが、活気と生気に満ち満ちた混沌である………と言えるのう。いやはや実に感慨深いものじゃ。」
「えぇ、その通りです。街に暮らす人々にはより良い明日を夢見る活力があります。―――――あぁ、この世界は本当に楽しい。そう思いませんか?」
「人に断りなく、何を優雅にティータイムとしゃれこんでるんだ。この不法侵入者ども………!」
そんな街の中心部、ビル街の一角にそのオフィスはあった。
ビルの最上階、地上を見下ろす高所。漆塗りの仕立ての良いビジネスデスクの奥のガラス窓から街を一望できる実に良いロケーションだ。
部屋の調度品は観葉植物など必要最小限の装飾品しかなく、後は仕事で使うようなものしかない――――――つまりは華美さを求めない部屋の主の性格が見えるような部屋だった。
そして部屋にいるのは現在三名。
一人は
エルフ族らしいすらりとした細身の体を包むのは至って実用一点張りのパンツスーツだった。眼鏡を引っ掛けている耳が魚鰭のように細長く伸びているのでなければ、地球にもいるごく普通のキャリアウーマンにしか見えないだろう。
部屋の主である彼女――――――
もう一人は
きっちりとしたベスト、ワイシャツ、ネクタイを身に着けて応接間のソファに腰かけるプラチナブロンドの十代前半頃のまだ幼さの残る顔立ちの少年だった。
それだけだったら微笑ましいのだが………少年――――――
最後の一人は同じくヒューマンの若者。
歳は二十歳手前といった程度で顔立ちも凡庸なのだが、服装が問題だった。
何と彼はスニーカーとジーンズを履き、Tシャツの上からチェック柄のシャツを着ているのである。――――――地球でなら見慣れ過ぎて周囲の風景に埋没するようなその出で立ちは、この世界に在っては際立って異常に見えた。
その若者――――――冒険者にして
そんなこんなで適当に駄弁りながら茶菓子を食っていたオフィスの侵入者二人組――――――トネルコとヒョーンは本来の部屋の主であるドミナの帰還を確認するとひらひらと手を振った。
「おう、茶を貰っとるぞドミナ。しかし、良い茶葉を使っとるのう。儂にも分けてくれんかのう。」
「お久しぶりですドミナさん。勝手に上がらせてもらってます。」
「………………お前たち、何の用だ?」
ギリギリと奥歯を食いしばりながら、ドミナはかろうじてそう質問した。細面の端正な顔立ちが轢きつったような笑みで歪む。
この二人はある意味でこの世界において非常に重要な立場にある。
そんな二人が同時に己のオフィスに現れた以上は何か大きな事態が動いているのではないかと、そう彼女は考えたからである。
事情があるのなら、アポなしで勝手に部屋に侵入して秘蔵のお茶と菓子を勝手に摘まんでいることについては不問に処しても良いとそう考えていた。
だが、
「暇だったんで冷やかしに来ただけじゃよ。」
「その辺ブラブラしてたら思い立ったんでなんとなく。」
「そこに直れテメェら………。」
悪びれずにしれっとそう二人が答えると、ドミナはバキボキと指の骨を鳴らした。
直後に不法侵入者二人―――――――――ゲーム時代の商連ギルド長と、ゲーム時代の最強プレイヤーの頭からヘヴィな打撃音が響いた。
******
バカ者ども二名に強烈な拳骨をお見舞いしてからドミナは自身の机に座り、そこに溜まっていた書類を片付けることにした。大体の書類は部下からの報告書である。
こうして些細な報告でも書類という形に直して担当者の机の上に置いておかなくてはいけないというのは地球時代に比べて随分と手間がかかるようになったものだ、と彼女は思った。
しかも書類は全て手書きだ。タイプライターもワードソフトも無いし。電子メールも無いし、電子サインも無いのがこの世界なのだ。
故にこの商会の会長を務める彼女は部下が挙げてくる紙の書類を一つ一つ精読したうえで、紛失したり改竄されたりしないように気を配って取り扱う必要があった。パスワードを掛けてロックもできないし、コピーを取ったりもできないからだ。
「やはりここで取り扱っておられる書類はちゃんとした紙なんですね。あぁ、ちゃんとした、というのは我々にもなじみのある紙を使っているという意味です。」
「うむ、この世界では元々羊皮紙をよく使っておったが………現実になった今、羊皮紙は一枚当たりのコストが高くつきすぎる………そういう話じゃったのう?」
「………………まともに生産すると、羊皮紙はA4サイズ一枚当たり数十円から数百円になる。魔法職の連中が使う
一発殴ったにもかかわらず、相変わらずの調子で駄弁っている二名が話を向けてきたので一瞬無視しようかと思ったドミナだが………結局は話に応じることにした。
会話をしながらでも仕事ができるというのもその理由の一つだが、無視していると別方向のちょっかいを掛けてくる可能性があるのがこの二名だからだ。
「動物皮由来の紙と植物繊維由来の紙とではどちらが大量生産に適しているかは
「この街では近頃、活版印刷工房が稼働し始めたんじゃが………ヒョーンは知っとるかのう?」
「活版印刷!えぇ、街の書店で見ましたよ。僕の本が手書きではなく、印刷された字で撃ってありました。ひそかな感動ですね!」
「………お前の本?あれか『無辺紀行』。やはりお前が作者だったのか、あれは。」
「あはは、海賊版がいっぱい出回っているらしいですからね。著者名が抜けてるのもあるみたいです。」
にこやかに笑うヒョーン。
彼が執筆していると語るのは『無辺紀行』というタイトルの本だ。
この本はある種の旅行記の体裁をとっている本であり、この世界の様々な驚くべき物事を記したものである。
雲を超えて聳え立つ山岳の迷路とそこに住む驚天動地の巨人達。
密林の奥に冒険者達を出迎える神秘の黄金の都。
砂が波濤を立てる砂の海を越えた先にあるという賢人が住む洞窟。
雪と氷に閉ざされた絶海の只中にある竜の王が眠るとされる幻の島………。
この世界に確かに存在するものでありながら、普通に暮らしていてはまず縁の無いものであろう冒険の世界を書き記したこの本はある種のベストセラーとして人々に愛されていた。
到底一冊にはまとめきれない内容なので、『原作』は幾つもの巻が存在するのだが、それにかこつけて無断で複製された海賊版やら、名前や内容を借りた盗作本なども巷には出回っていた。この世界にはまだ著作権という概念は浸透していないのだ。
――――――ちなみにこの本はプレイヤーが読むと、何となくプレイヤーが書いたものだとわかる表現がちらほらと見られることでも知られている。
「世界が現実になっても情報のまとめと発信か。お主は変わらんのう。」
「いやぁ、ある種の生きがいですよ。ライフワークというやつです。」
「お前の本は売れるからな。印刷工房を作った分の元手の回収には役立った。」
会話をしながらもドミナは休むことなく書類を処理し続けていた。
部下の報告を読み、追加の指示を書き足して、サインをする。
処理したものは机の隅に置いて後で秘書に取りに来させるつもりである。
「元手………とは言うがのう。かなりの額を教会に出資させたんではなかったか?」
「教会ですか?」
「………教会には、教典を印刷して大量生産できるようになれば教えを広めるのに役立つ、と持ち掛けたら二つ返事で引き受けてくれたよ。」
書類に目を通しながらドミナがそう発言する。
地球においても世界で初めて『印刷』されたのが聖書だったという話があるように、宗教と出版は大きく結びついているものだ。
「教典が増えれば信者を増やす機会が増えることに繋がる………そしてそれは識字率の向上にもつながる。いや、識字率だけではない………教育を授ける機会を増やすことにも繋がる………そういうことじゃな?」
「………ご明察だ、ジジイ。
「是非、僕の本も………。」
「実際の授業内容については教会の担当者に取り次いでくれ。」
「辛辣じゃのう。」
一通りきりの良いところまで書類を片付けてから、一服するために彼女は机の引き出しから葉巻を取り出して火をつけた。
そして、これはオフレコだ、と前置きしてから話し始めた。
「我々としても決して善意で貧困層に教育を施そうとしているわけではない。先ほど市長と話をしてきたのだが………この街は急速な発展を遂げたが、それに伴って人口もすさまじい勢いで増えている。………景気は右肩上がりだが、それに伴って物価も上がっている。」
「都会に来たのは良いが、家賃が払えん、飯が食えん、モノが買えん。そんな輩が増えておるというわけじゃな。」
トネルコの指摘に対し、ドミナは鷹揚に頷いた。彼女がふぅ、と溜息を吐くと口に含んだ紫煙がオフィスの中でたなびいた。
「肉体労働者も港なり工事現場なりで働き口はあるが………全員がそう働けるわけではないからな。結局働き口が見つからなかった者たちがせめて食い扶持を稼ごうとして違法な行為に手を伸ばすことで、街の治安は悪化していく。それを少しでも防止するためには読み書き算盤くらいの基礎教養を身に付けさせて、就労先の選択肢を増やすことだ。」
「なるほど、確かにこの世界の識字率はお世辞にも高いとはいえませんからね。」
ヒョーンがドミナの言葉に同意する。
この世界で字を読めるというのは決して当たり前の事ではない。貧困層であればほぼ確実に読めないと言っても過言ではないだろう。
冒険者組合などでは依頼書を読めない人のために代読のサービスがあり、街には手紙などの代筆で生計を立てる人もいる。
なので、この世界ではマスメディアとして最も有効なのは
そんな事情があるこの世界で、本を量産するための製紙工房と印刷工房を立てるということはある種画期的なことなのである。字の読み書きを覚えるための教材として本は必要不可欠なのだが、今までは本そのものの単価が高すぎたために数をそろえることができなかったのである。
それを大量に用意することができれば教育の機会も増え、識字率の向上につながるだろう。ひいてはそれが街の治安の向上にも繋がるのである。
「私としては、教育を受けた人間が技術者になってくれれば有難いのだが。」
「技術者………ですか?」
「そうだ。」
怪訝な顔をしているヒョーンにドミナはやや疲れた表情で首肯した。
「
そう言って彼女はアイテムボックスから書類を一つ抜き出して、二人の方へと投げてよこした。
空気の抵抗を受けて二人の座るソファに届く前に失速する書類だが――――――ヒョーンが軽く指を振ると風が巻き起こり、ふわりと書類をさらって彼の前のテーブルに優しく落とした。
「杖も使わずに大したもんじゃのう。」
「ちょっとした大道芸みたいなものですよ………なになに、発電所の設置と運用試験………ですか?」
書類に目を落としたヒョーンが疑問の声を上げる。
ただそこには、面白いものを見つけた少年のような好奇心に満ちた響きがあった。
それを聞いてトネルコは生えてもいない顎髭を擦るような仕草をしながら、思い出すように語った。
「おぅ、儂も聞いたことがあるのう。小規模なものじゃが、火力発電所を一基建設して運用の試験を行うんじゃったな。」
「そうだ。………実のところこの街、いやこの世界ではまだ都市インフラを支えるための動力を何に据えるかという所が明確に定まっていない。その企画を立ち上げた連中は火力発電の安定運用を実現してこれから先のインフラを一手に握りたいのだろうな。」
「電力ですか………せっかくなんですし、こう、魔力とかでどうにかできません?」
「その辺りも現在開発中だ。土地や大気中、あるいは採掘された魔石の魔力を大規模な魔法陣で収集することで発電所ならぬ発
………話を戻すが、先ほどの火力発電所の実験も実地運用における効率や安全面のテストといった面が強い。設計や建設はプレイヤーができても、実際の運営には
「プレイヤーが一から十まで面倒見れるわけではないからのう。」
「電力にしろ、魔力にしろ、それらの動力で
「そういうことだ。特に動力の確保はこの街では
オフィスの窓の外に視線を移したドミナが説明をする。
この街には現在新しい工法の導入によって多数の高層建築が建てられているが――――――それらは
垂直に伸びる十階建て以上の建物はこの世界の基準であれば、まさしく『城』といっても過言ではない威容に見えるのだが………地上数百メートル100階建て以上のビルが林立する
「我々がいるオフィスビルは全十五階建てだが………おそらくこれが現時点で作れるビルの最高だろう、何せ、ビル内の動力を賄うのがこれ以上大きくなると追いつかないからだ。」
そういって彼女が指さしたのは現在スイッチをオフにされている、天井の魔法式室内灯だった。
建物が大きくなるということは人を多く収容できるということであるが、人が多いということはそこで活動する人のために『明かり』が必要であることを意味する。
今までの庶民の暮らしレベルであれば蝋燭に火を付ければよかったが、大量の書類を扱う商人達にとって、火のあるところで書類仕事をするのはどうしても遠慮したいところだった。
そのため、こういったオフィスビルでは魔法式の室内灯が採用されているのだが………一つの建物全体に魔力を安定して行き渡らせるというのはかなりの高度な技術が求められていた。
「このビル、もといここと同型ビルの地下には先ほども説明したような発
「ふぅむ、それ故に………大規模な施設を作って都市全体に一括で魔力を供給するシステムを作りたい、とそういうことじゃな。」
「そういうことだ。………今のところ配線を長距離に伸ばした場合に発生する魔力ロス、集積した魔力を一時的に貯蔵しておくためのコンデンサの開発など、技術的な課題が幾つもある。また同じ土地から魔力を継続的に収集し続けた際の土地への負担を考慮して魔石をメインの燃料にするタイプの研究も進められていてだな………………やはり腕の立つ研究者と技術者が足りない………。」
「トーマス・エジソンやニコラ・テスラみたいな人がいてくれればいいんですけどね………。それにしてもドミナさん、やけに魔力推しですね。やっぱりこういうのはロマンですか?」
「違う、将来的なリスクを見越しての事だ。」
咥えていた葉巻を灰皿に押し付けつけてから、彼女はヒョーンが手に持ったままの書類を指さした。
「その火力発電所の動力は石炭を使うつもりだ。………現在、石油採掘の目途が立っていない以上石炭を使うのはわかるが、煤煙がな………。19世紀末のイギリスや20世紀前半の中国の二の舞はごめんだ。私はこの街をできればニューヨークのような街にしたいと思っている。」
「はっはっは、実のところここは地球で言うとポルトガル相当の場所じゃがのう。」
「茶化すなジジイ。………とにかく、この街は現在都市インフラに電力を使いたい派閥と魔力を使いたい派閥で競争が起きている。………まったく、負けたくない一心で無茶な開発をやらかして大事故が起きないか、気が気でない。」
「それでドミナさんは後者に投資をしていらっしゃると。」
「一応後者の立場だが………私は相互互換システムに目を付けている。実現できれば、どちらの派閥にも
彼女が語る相互互換システムとは、電力を魔力へ、魔力を電力へと変換するシステムである。
このシステムがうまく構築できれば、電力に投資している派閥と魔力に投資している派閥を上手く橋渡しできるのだが………………変換効率や大量のエネルギーを処理する際の安全性など、これまた技術的な課題がまだまだ多いのが現状である。
「研究者が足りてないんでしたらいっそのこと『シャンブルス』にでも依頼してみます?」
「ぬかせ。連中の方こそ深刻な人材不足だ。今のところ世界中から技術研究依頼が舞い込んでいるせいで連中は年中修羅場だ。過労死した奴を蘇生してまた研究に投入しているという噂もある。」
「ブラック企業も真っ青じゃのう。死んでも逃げられんのか。」
「いやあ、でも案外本望かもしれませんよ。あそこの人達はその………いわゆるマッドの気がありますからね。」
「狂っているよ、連中は。」
三人が話題にしている『シャンブルス』とはゲーム時代からその悪名を轟かせる生産職専門ギルドである。
当時から狂ったように開発に勤しんでいた彼等だが、現実化に伴い生産職の需要が急激に増大した今殺人的な量の研究依頼が持ち込まれているという。
それでも所属している連中のキ〇ガイぶりをよく知っている三人はまったく同情も心配もしていなかった。
ゲームの軛から外れたこの世界を誰よりも満喫しているのはあのマッド集団だという確信があったからである。
ドミナはここまで散々話したせいで喉の渇きを覚えていた。
アイテムボックスから瓶入りのミネラルウォーターを取り出してぐいっ、と一気に中身を呷る。
一息を吐いていると、ヒョーンと彼女の視線が交わった。彼の目にはどことなく楽しそうなものを見るような色があった。
「なんだ人の顔を見てニヤニヤと。」
「いえ、充実してらっしゃるんだな、と思いまして。」
「充実………ね。問題も課題も山積みだ。金ならいくらでも集められるが時間も人手も足りやしない。毎日が必死だ。経営者も楽じゃない。」
「――――――でも、その苦労はより良い未来を創ろうとしているからこその苦労です。」
ヒョーンは自身が座っていたソファから立ちあがり、左腕に巻いていたスポーツウォッチ型の端末に手を伸ばし、中から野球帽を取り出して被った。
帽子の前面には『The Unlimited Horizon』の簡略化されたロゴマークが刻印されていた。
「現実になったこの世界に来て楽しいだけじゃないこと、美しいだけじゃないことも沢山見ました。悲しいことや遣る瀬無いこと、どうしようもないことだってあるけど――――――この世界は紛れもなく『生きて』いるんです。たとえ傷つくことになっても前に進もうとする
少なくとも
「………………。」
「………ヒョーン。お主、次は何処に行くのじゃ?」
帽子の鍔を軽く弄りながら、彼はオフィスの扉の方へと歩み寄りつつそれに応えた。
「書きたいネタが溜まってますからね。しばらくここに滞在して執筆でもしていますよ。それから先は――――――面白そうなところに。」
最後に「お茶菓子ごちそうになりました」と頭を下げてから、ヒョーン・ヌラリーという男は去っていった。
無論、「お前に茶菓子を出した覚えはない」とドミナは吐き捨てて見送った。
「あの男は………なんだかんだで、ブレんな。」
「儂と奴はβテストとからの付き合いじゃが………あのころから奴はこの世界の虜じゃったな。『自分が好きになったものを、他の誰かにも楽しんでもらいたい』………奴と奴の仲間はそれこそが常に至上命題じゃった。」
「『Night Parade』………か。」
「うむ、そうじゃ。」
ゲーム時代、最強にして
『The Unlimited Horizon』のまとめサイトと攻略サイトの管理人を務め続けた男。
彼が運営していたギルド『Night Parade』はこのゲームの楽しみ方をひたすら追求して発信することを目的に掲げた集団であり、その活躍から他のプレイヤーから『検証班』の異名で敬われた。
おそらく彼らの作成したデータ表の世話にならなかったプレイヤーはいないだろう。
「連中、今は何をやっているのやら。」
「さてのう。じゃが、なんとでもやっていけるじゃろう。あ奴らなら。」
現実化に際してゲーム上のギルドというシステムは崩れてしまった。
一か所に拠点を定めて常にメンバーの誰かがそこに詰めている、という形式をとるギルドならともかく、メンバーが独自に行動をとることが多いギルドは現在ではほとんどが空中分解してしまったようだ。
なにせ現在では端末を介してメールもチャットもできないし、フレンドリストも確認できないので生死の確認すらできないのだ。
「その点、儂はお主に感謝しておるよドミナ。儂が不在の間に商連のネットワークを良く持たせておいてくれたことじゃ………。………儂のポストも残しといてくれたら良かったんじゃがのう。本部がいつの間にか『ドミナ商会』に改名されとるし。」
「お前がいなかったのが悪い。隠居していろ。」
「おぉう………。」
現実化に巻き込まれた日は同じだが、プレイヤーがこの世界で目を覚ました時期には個人差がある。
ドミナは十五年前からこの世界にいるが、トネルコが目を覚ましたのは二年前だった。
彼が不在だった間に指揮を執っていたのがゲーム時代に本部長という肩書だったドミナであり、今ではすっかり彼女がリーダーだった。
「やれやれ。では言われた通り、年寄りは自宅に帰って隠居するとしようかのう。」
そんなまさしく老人のような台詞を吐きながら、いそいそとトネルコは帰り支度を整え始めた。
机に肘をつきながらドミナはそんな彼に疑問を投げかけた。
「待て、ジジイ。………お前らはそもそも何しにやってきた。まさか本当に茶菓子をたかりに来たというわけではないだろう。」
「ほっほっほ。なぁに、ただ単に話に花を咲かせに来ただけじゃよ。………最近、仕事で疲れておりそうな若者にな。」
「………ジジイめ。余計な世話だ。」
「余計な世話を焼きたがるのが老人でな。ではまた会おう!」
ドミナが灰皿でも投げつけかねないほど不機嫌な表情になったのを見て、トネルコは踵を返して脱兎のごとくオフィスから出ていってしまった。
後に残されたのは、灰皿の上から昇る微かな煙と沈黙だけだった。
「………………。」
無言でもう一口水を飲むドミナ。
考えてみれば仕事以外でこれだけ長々と喋るのは久しぶりだった、と彼女は振り返る。
ゲーム時代からの同僚や知人は今でもほとんどが自身の仕事に打ち込んでいるし、出会うのもそういったビジネスの場だった。
故にプレイヤー同士でああいう………どこか愚痴に近い茶飲み話をするのはあまりなかったことだった。
「くそ、余計な世話を焼いてくれたものだ………。」
そう呟いて彼女はもう一本葉巻を取り出して火を付けた。
口元には不機嫌そうな、実に不機嫌そうなものではあるが――――――僅かな笑みが浮かんでいた。
その口に葉巻を咥え込みつつ、彼女は呼び鈴を鳴らして秘書を呼びつけた。
休憩時間は終了。これから先は仕事の時間だ。
よりよい未来を創るための、仕事の時間である。
『ドミナ・シモンズ』
旧・商連本部長、現・ドミナ商会会長。
エルフ族の女性。中の人もれっきとした女性だが、口調のせいであまり信じられていない。
『トネルコ・トネリコ』
旧・商連発起人兼ギルド長、現・無職(隠居)。
外見は美少年だが、中の人はれっきとしたジジイ。
『ヒョーン・ヌラリー』
旧・ギルド『Night Parade』のギルド長兼、『The Unlimited Horizon』まとめサイト管理人兼、攻略サイト管理人。現在は冒険者兼、冒険家。
常にゲームの魅力を内外に発信し続けたプレイヤー。彼と彼のギルドが纏め上げた情報の世話になっていないプレイヤーはいないと言われる。
全