※この作品はR-18です。

The Unlimited Horizon   作:白臼

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第二十四話 グロキシニア・シルヴァティカ 前

 

 

 

 電球という発明はつくづく偉大なものだと思う。

 畑を耕すにせよ、本を読むにせよ、人間が活動するにあたってはどうしても手元が見えるための光が必要だ。電球がなかった時代、夜の時間帯は蝋燭を灯して屋内で過ごすほかになかった。

 

 ………思うに松明と比較して電球が持つ最大の利点は、表面がガラスで覆われているため風が吹いても、雨に降られても消えないということだ。

 夜の屋外を安定して照らし出すことができる電球のおかげで人間は夜中でも自由に出歩いて活動することができるようになった。

 まぁ、それが本当によかったことなのかどうかは別にして。

 

 「………………。」

 

 私が見下ろしているフロラントの街並は夜の闇の中に沈んでいた。空からは煙るような霧雨が降り注いでいる。

 見上げた空は雨雲に覆われており月明りも星明りも見えない完全な暗闇だ。自分の手元も足元もまともに見えないこんな夜に出歩く人間はそうはいないだろう。

 

 視線を眼下に向けると、わずかな街明かりが繫華街の一角を照らしている。夜を支配する闇に対するささやかな抵抗だとでも言いたげな儚い明かりだが。

 電球がまだ存在していないこの世界ではやはり照明の主役は松明だ。普段なら夜という繁華街の本番というべき時間帯に合わせて通りに沢山の火が焚かれているはずなのだが………今はどの松明も雨除けのために軒下に移動させられており、いかんせん本調子ではないようだった。

 

 例外は魔法式の照明だろうか。店の財力を誇示するように、派手な色合いのネオンサインを看板代わりに掲げる店の姿もちらほら見受けられる。

 しかしながら、人の賑わいも見られない雨夜の静寂が支配する通りの中ではどうにも悪目立ちしている感が否めなかった。

 いつもなら夜遊びで街を練り歩く人々もこんな夜は出歩く気も失せるのだろう。通りの人影はまばらだった。

 

 「………………ふぅ。」

 

 溜息を一つ吐く。

 冬場のように息が白くたなびくわけではないが、まだまだこの季節の夜は肌寒かった。

さっきからずっと雨に打たれていては猶更だ。海獣の革を剥いで加工した雨合羽(レインコート)を着ているが、それでも体温は雨に奪われていった。

 これは仕事終わりに一杯やらなければ割に合わない。

 

 私が現在いるのは建設途中の建物だ。

 雨風除けと侵入者防止用の布覆いがあちこちに掛けられた中途半端な出来のビル。

 まだ建設途中とはいえ、結構な高さがある。業者はそれなりの高層建築を立てるつもりでいるようだ。 

 作業員用のやぐらのてっぺんに足を掛けて、私は繁華街を見下ろしていた。

 

 本当は雨除けの布が頭上にかかっている場所に立っていればマシなのだろうが、そうもできない理由がある。

 繁華街全体に視線と射線(・・)が通るような場所でなければ意味がないのだ。

 故に私はこうして雨ざらしの場所で『その時』を待ち続けている。

 

 『暗視』と『千里眼』を使用して夜景を広く遠く見渡す。軒下に松明があるだけ視界は良好な部類だ。むしろ暗視をうまく調整して目が眩まないように注意しないといけない。

 その上で気配探知も併用してどうやっても視線が通らない場所にも注意を巡らせる。感度を上げれば文字通り鼠一匹見逃さないが………そこまでやると逆に神経を磨り減らす。

 

 黒い手袋を嵌めた手で弓を握る。

 もう片方の手には指先で矢を摘まんで待機状態を維持し続けている。

 かれこれ一、二時間こうして待ち続けているが、別に苦にはならない。

 機会をひたすら待ち続ける忍耐力は狩人の必須能力である。たかだか雨に降られながら数時間など大したことではない。

ただ単に暇なだけだ。

 

 とは言ってもいつ何時獲物が現れるとも知れないので、暇だからとはいっても集中を切らしていけない。その気の緩みが到来したチャンスを逃す原因になりかねない。

 だが、それと同時に常に最大限の集中状態を維持し続けるのも賢明とは言えない。人間が何もない状況下で集中力を維持し続けられる時間は限られている。気を張りすぎた結果、いざという時疲れ果てていましたでは話にならない。

 

 故に重要なのは自分にとって負担にならない程度の、適度(・・)な集中を保ち続けることだ。

 弛むほど緩んではいけないが、切れるほど張ってもいない、そんな状態が望ましい。

 私は今晩の夕食に何を食べるのかを頭の片隅で妄想しつつ、体は即動かせるように意識してひたすらにビルの(作りかけの)屋上で通りを観察していた。

 

 「………………。」

 

 やがて私の探知網に引っかかる影があった。

 その人影は何食わぬ顔でごく一般的な風俗店の扉から外へと出てきた。そして雨が降っていることに舌打ちしてから、マントのフードを目深に被って表通りを歩き進めた。

 

 その男のフードを被る直前の素顔を捉えた私は――――――矢筈をそっと弓の弦に番えた。

 

 そして男はしばらく歩き続けると、軽く左右を確認するような動作をした。

 目的の場所を確認したのだろう男は通りの途中で足を翻し、路地裏へと足を進めた。――――――こちらの予想通りに(・・・・・・・・・)。

 

 男が路地裏に入った瞬間、千里眼と気配探知の範囲を集約、レベルを引き上げて路地の周囲一帯を精査する。

 路地に面した通りや窓、壁一枚の向こう側の人の数、表通りを歩いている人間の意識の方向。その全てを、全感覚を動員して一息の内に把握する。

 

 

 ――――――オールクリア。

 

 

 私は迷うことなく弓を眼前に構え、弦を絞り――――――矢を射出した。

 

 建物と建物の間に挟まれた狭い路地は角度の関係で、文字通り真っ直ぐの軌道では矢が届きづらい。

 なので、軽く矢の軌道を『蛇行矢(スネークアロー)』で曲げて放つ。

 

 路地に飛び込んでいくような曲線軌道を描く矢は、私がそう狙ったように――――――歩いていたフードの男の首から上を消滅させた。

 

 パンッ、という血袋が弾けるような軽い音がして、続いて頭部を失った男の体がぬかるんだ地面に倒れ込む音がする。

 だが、それに不審がるような人は周囲にいないのは確認済みだった。

 倒れ込む死体の音も、頭がなくなった首から流れ出る血の匂いも雨の中に紛れて気づくものは誰もいない。

 

 あっさりとした仕事ではあるが、ただの人間相手ならこんなものである。

 続いて私は予め用意しておいた数本の矢の内、紫の布を付けたものを手に取った。

 そして先ほどより少し溜めを作ってから虚空に向けて打ち放った。

 

 別に意味のない一射ではない。今のは矢文の一種だ。

括りつけて置いた布がどの路地を指しているものなのか予め打ち合わせてある。

 あとは矢を射った先にいる待機要員が今路地裏に転がっている死体を回収して終わりという手筈になっている。

 

 「………やれやれ。」

 

 雨音に紛れて消える程度の小さな声で呟く。

 後は私の仕事ではない。

 

 さっさと依頼人に報告して、飯でもたかりにいこう。

 

 

******

 

 

 人間は昼に働くのが基本だ。人間の目には本来暗視の能力が付いていないことからわかるように、人間という生物は昼に活動することを前提とした生物なのだ。

 なので平日の昼間は労働に時間を費やし、夜は睡眠と休息をとって次の日に備える………というのは健全な人間の話。

 

 しかしながら、我々のような不健全な人間にとって夜は遊びの時間である。

 昼間に溜まったうっ憤を晴らすように、高い金で美味い飯を食べて美味い酒を飲むのも良いだろう、美男や美女に声を掛けて一夜を楽しむもよいだろう、心地よい音楽に身を委ねて踊るも良いだろう。

 

 そんな夜の娯楽を求める人間たちが集う場所は必然的に繁華街と呼ばれるようになる。

 LEDも無ければ電球もなく、夜を払う明かりはまだまだ頼りないが、このフロラントの繁華街――――――『グロキシニア』は将来の不夜城の萌芽を見せていた。

 

 

 

 「お品物をお持ちしました、ごゆっくりどうぞ。」

 「ありがとう。」

 

 私は鷹揚に頷いた。注文した夕食がテーブルの上に並べられたあと、ウェイトレスが去っていく前にチップを渡しておくのを忘れない。

 

 私が座っている席から立ち去っていく店のウェイトレスの格好は一般的なエプロンドレス………なのだが、スカートの丈やら胸の襟元やら上着の背中やら開けすぎではないかと思う。

 正直なところ眼福です、本当にありがとうございました。

 

 従業員の制服からしていかがわしさ全開な店だが、じっさいいかがわしい店なのだからしょうがない。

 追加で料金を払ったら先ほどのウェイトレスさんとチョメチョメできるサービスもある(ちなみに無理強いしたら怖いお兄さんにつまみ出される)が、今は女よりも飯に飢えている気分なのでそういうのは無しの方向で。

 

 テーブルに盛られた料理を睥睨してからまずはビールを一杯。

 地獄のようにドス黒い、真っ黒な黒ビールを嚥下すると、濃縮したブラックコーヒーと高純度カカオを合成したかのような激烈な苦みが襲ってくる。

 普通なら咽てしまいそうな凶悪な苦み、だが飲み下した瞬間の洗脳的なほどに爽快な喉越しが飲酒行為を止めさせてくれない。

 染み渡る毒のような(・・・・・)苦みで喉を潤してから、黒ビール(銘柄は『ブラックマンデー』という)の入ったジョッキの底で卓を叩いた。

 

 「――――――――――――っっっかぁ~~~~~~~~~~~~っっっ!!苦いっ!でも美味いっ!!」

 「良い飲みっぷりだネ、リオ君。美味しそうに飲む人間がいると、ついつい同じものに手を出す人間がいそうで怖い怖い。」

 「なんなら貴方も飲みますか、Mr.パガニーニ?」

 「辞めておくヨ。どうせ今日はボクの奢りなんだから、ボクの出費がかさむだけサ。」

 「やれやれ、心にもないことを。」

 

 私が茶化すように言うと机の向かい側に座っている男はにこり、と人好きのする笑みを浮かべた。

 顔による皺の数を見ればその表情がどれほど男にとってその笑顔が馴染んでいるのかわかろうともいうものだ。

 ただ、その表情が感情のままを映し出しているとは限らない。彼にとって笑顔というのはあくまで無数に持っている手札の一つに過ぎないのだから。

 

 「なぁに実のこもった話だヨ、リオ君。このクラブのオーナーはボクだからね。オーナー権限で知人に奢ったとしても、出した分の料理の経費は何処かで埋め合わせなくてはいけない。その埋め合わせはどういう経路(・・・・・・)を辿ったとしても(・・・・・・・・)、ボクの資産の何処かから出ていく羽目になるのサ!」

 

 両手を上に広げて、さも困ったという表情を浮かべるその男。実にわざとらしいジェスチャーだ。

 私は鼻で笑ってから言葉を続けた。

 

 「まったく。たかが一食分の経費でそうわたわたと騒ぐものでもないでしょう。貴方の総資産なんてとっくにあなた自身も把握していないでしょうに。」

 「まぁ、言われたならばその通りサ。だが1ルシを笑うものは1ルシに泣く………そう思ってくれたまえ。」

 

 そう言って彼は話を締めくくるようにしてパイプから煙草の煙を燻(くゆ)らせた。一つ言うなら、彼が吸っている煙草の方が私が飲んでいる酒より高いと思うのだが。

 

 その男は初老の男だった。

 側頭から覗く長い耳は彼が森人(エルフ)族であることを示している。

 年のころは五十かはたまた六十か。何にせよエルフに年齢を問うのはナンセンスだが、それでもそれなりに年嵩が行っている人物であるのは確かだ。

 

 髪はすっかり白髪に成り代わり、顔の表面にも皺が目立つ。だが髪は綺麗に撫でつけられてセットされているし、顔に寄った皺も笑いの表情に深みを与えて魅力的(チャーミング)なものにしていた。

 着ている服装はきっちりした仕立てで全体的にスマートに纏められている。

しかし、追加で付けられたブローチやら懐中時計の鎖やらネクタイピンやらの装飾物がいずれも派手な物揃いだった。スーツそのもののスマートさを破壊するギリギリの一線(ライン)まで攻めたそのコーディネートは薄氷を踏むような危うい均衡(バランス)を保っている。

 

 そしてその男――――――ネーロ・パガニーニは今現在、私の向かいの席で革張りの椅子にゆったりと腰かけながら優雅にパイプをふかせていた。

 私たちが座っているこの席はかなりの高級仕様で、革の椅子も一般人が座れば逆に気後れしてリラックスできないような代物だ。実は私もちょっと落ち着かない。尻が沈みすぎる。

 そしてこの椅子に勝手知ったるという風に、座り慣れたかのように座る彼は、それだけで相当に遊び慣れているのだと言うことができるだろう。

 

 実際その通りだ。

 彼ほどに遊び慣れている男はこの街にもそうはいまい。

 

 ネーロ・パガニーニ。

 グロキシニア繁華街を中心に、このフロラントの街の裏の裏まで網を張り巡らせる非合法犯罪組織(マフィア)パガニーニファミリーのボスを務める男である。

 

 

 そして、ゲーム時代から(・・・・・・・)変わらずボスで(・・・・・・・)あり続ける男(・・・・・・)でもある。

 

 

 ネーロが吸っていたパイプから一旦口を離し、品よく整えられた口ひげを撫でつけながら発言する。

 鼈甲(べっこう)細工の眼鏡がキラリと光る。

 

 「そこでどうだろうか。今晩の食事の代金を今回のキミの報酬代わりにするというのは。」

 「ケチな話ですね。人間一人の命が夕食一回分ですか。」

 

 私はそう言いながら、ビーフシチューの中身をスプーンで掬って口に含んだ。

 『ブラックマンデー』の激烈な苦みにも負けない、濃厚な味だ。よく煮込まれた牛肉は特に絶品で、歯どころか舌で押すだけで口の中で崩れ、シチューと溶け合って絶妙な味わいを生み出した。

 

 「高すぎるくらいサ。たかが鼠一匹の命がどの程度の値かという話だよ。」

 「………そうかもしれませんね。」

 

 ネーロはおどけるように言う。人間一人の命の値段など大したこともないと言うように。

 私もそれは同意する。人間の命の価値は重たいかもしれないが、それでも厳然たる事実として価値に優劣はある。

 今回私が殺した男は優劣で言えば劣に当たるという、それだけのことだった。

 

 「鼠一匹ではあったが、すばしっこくてちょろちょろと鬱陶しい鼠ではあった。今回の件については改めて礼を言うよ、リオ君。」

 「ありがとうございます。そちらの人員の情報提供とサポートがあったので楽な仕事でしたよ。」

 「ハハハ、これからもよろしく頼むヨ。」

 

 依頼を受けるときに聞いた話によると、私が今回仕留めることになった相手はパガニーニファミリーに属していないにもかかわらず、縄張り(シマ)で薬物を売りさばいていた逸れ者らしい。

 売っていた薬はパガニーニが売る物よりも安価で強い(・・)ものだが、その分粗悪で中毒性も高いモノだという話だ。

 良心的な犯罪組織(ホワイトマフィア)を自称するパガニーニとしては、そんな粗悪品を自分の縄張り(シマ)で流されては悪評が出るということで、迅速に鼠を始末するために私に依頼を出したということだ。

 

 確実に仕留めるために組織の人間も準備や後始末を手伝ってくれたおかげで実に楽な仕事だった。

 多分この後、鼠の死体から情報を洗い出して薬物の購入ルートを遡り、色々と根絶やし(・・・・)にするのだろうが、それに関しては私の管轄外だ。

 

 「我々のようなヤクザ者は舐められたら終わりだからネ。手を出されたら、それがどんなに些細なものでも徹底的に叩いて見せしめにしなければいけない。いやまったく、悪の組織も楽じゃないネ。」

 「貴方を敵に回さなくてよかったと思いますね。」

 

 事実、彼を敵に回さなくてよかったというのはよく思う所だ。彼の組織の網は至る所に伸びており、少なくともこの街、この州にいる限りは目を付けられたら逃げられまい。

 

 そして何より、彼自身が個人の戦闘力で(・・・・・・・)私を上回る(・・・・・)という事実がある。

 ゲーム時代にボスキャラを務めていたということはそういうことである。

 更に付け加えるなら、ゲームの頃のイベントのように正面から堂々と戦闘を始めるような行儀のいいことはしないだろう。

 戦う前に勝負が決まっている状況を作る、それだけのことができる頭脳と組織の力が彼にはあるのだから。

 

「ハハハ、なぁに。敵どころかすっかり身内じゃないか、ボクの可愛い子猫ちゃん(キティ)。」

「………人目があるところでその仇名はやめてくださいよ。」

 「人目とは言ってもねェ。ここの席は他から見えないんだし、良いんじゃあないかい?」

 「そういうのは、こう、気恥ずかしいので時と場所を弁えてもらえませんかね………。」

 「ふぅむ。つまり、二人きりでベッドの上で囁いてあげればいいのかな、子猫ちゃん(キティ)。」

 「だーかーらー………。」

 

 憮然とした表情で睨み据えても、彼自身は手慣れた笑みを浮かべてどこ吹く風である。くそう、遊ばれているな私。

 確かに組織の人間からは完全にボスの愛人兼ヒットマン扱いされているが、実際のところは依頼人同士の関係でしかない。ついでに色々と便宜を図ってもらったりにゃんにゃんしたりするだけの話だ。

 

 私は彼にそっぽを向いて、代わりに席の外へと視線を向けた。

 今私達がいるのは二階のVIP席だ。一階のホールの様子を丁度見下ろすことができる位置にある。

 

 一階の奥の方には舞台(ステージ)があり、バンドが演奏を行っていた。

 マイクやスピーカーと同じ効果を持つ、音響機器としてのマジックアイテムを使用した大音量の音楽が室内を満たしていた。

 照明は松明ではなく魔法式の照明機器だ。炎単体では決して作れないだろう色とりどりの光が音楽に合わせてその色彩を変化させながらホールを照らしている。

 音響にせよ照明にせよ、まだまだコストは高くつくはずなのだが、それを維持してなお、経営者――――――パガニーニは収益を上げられる自信があるのだろう。

 外で雨が降っていることから客足はいつもより鈍いようだった。それでもあくまでいつもと比較して、の話なのでかなりの人が入っているのだが。

 

 

 『走り続けて 失うばかりのその人生

  いつかは消えるだけの 赤い星を惜しんで

  掌から零れて落ちるものも知らず………』

 

 

 舞台(ステージ)に上がっているバンドの演奏する楽曲は物静かな雨の夜に合わせたのだろう、どことなく退廃的で悲嘆的な雰囲気の漂うバラードナンバーだった。青紫や赤紫の物憂げな照明が、舞台(ステージ)の上で緩く炊かれたスモークの中に浮かび上がる演者たちを照らし出していた。

 

 否(いや)――――――どことなく空気が煙たいのは演出だけではないか。

 一階にいる客たちは舞台(ステージ)前に集まって演奏に熱中するもの、少し離れたところで席に座って注文した食事をとっているもの、それらを尻目に異性に声を掛けているものと様々だ。

 よく見ると壁際で立って談笑しながら煙草を吹かしているものがちらほらと見受けられるし、席についているものも同じように煙草に火を付けているものがいる。

 

 あれらはただの煙草ではなく――――――煙草のように偽装したある種の薬物だ。しかもあれらは此処のクラブに常駐しているファミリーの売人が客に声を掛けて直接売っている。

 このナイトクラブの経営もパガニーニファミリーであり――――――つまり、ファミリーは薬を売るための場所としてこのクラブを利用しているということなのだ。

 

 ちなみに、薬物とはいっても彼らが吸っているものの危険は少ない。

吸うと強い多幸感を得ることができるが、吸いすぎると中毒作用があるにはある。とはいえ、中毒症状は軽めだし、専用の解毒剤を飲めばそれもなくなる。

 まぁ、薬本体も解毒剤も、売っているのはパガニーニファミリーなのでマッチポンプだが………。

 

 「………いつもよりは落ち着いていますね。」 

 「ふむ、そうかもしれない。君は賑やかなのがお好きかネ?」

 「冗談を。これくらいのが落ち着きますよ。」

 

 ここに来るときは地球でいうところのハードロックだったりディスコミュージックだったりと、非常に音量がでかい。それに熱狂する観客(オーディエンス)の歓声もあるのでさらに倍増しだ。

 私はかなり耳がいいのでその影響をもろに受ける。つまり音がでかすぎると耳が痛くなる。それに無意識に人の気配を拾ってしまいそうになるので人が多いところ自体も苦手だ。

 

 「それでもここの飯は美味いので来ますけどね。」

 「それは重畳。出資している甲斐があるヨ。」

 

 私がそう言うと、ネーロはにこやかな笑みを浮かべて口の端から煙を吐いた。今回の笑みは本心からのもののようだ。

 

 実際ここの店の料理は中々に質がいい。前にキムロと泊まった温泉宿とは少しベクトルが違うが。

 一階で出している一般客向けの食事は質そのものよりも手早く出せて手早く食べれる、言わばジャンクフード系のものが中心で(私はそれもそれでおいしいとは思うが)、二階のVIP席はそれに加えて色々と手の込んだメニューを出してくれる。

 

 私はライ麦をふんだんに使った黒パンを手に取って食べた。生地の重さと歯ごたえ、噛むと感じる酸味などは正直なところ人を選ぶ味だと思う。

 しかしその癖の強さも『ブラックマンデー』というビール(毒酒)と合わせたならば、丁度当たり負けしないくらいだ。

 そして毒物じみた苦みを飲み下した後はこれまた濃厚な味の強烈なインパクトを持つビーフシチューに舌鼓を打つ。

 そうしたいろんな意味で『濃い』物ばかり食べていると疲れるので、箸休めにさっぱりとした味付けのサラダを食べる。レタスは歯を立てるとシャキシャキと音がする、実に新鮮で瑞々しい。

 

 ちなみに私が食事をしている間、対面の席に座っているネーロは細かくカットされたサラミとチーズの盛り合わせを食べていた。

 パイプから煙草を吸う傍らゆっくりと優雅に、小さなフォークで口へと運ぶ。その合間にショットグラスに注がれた微かに桃色がかった(ガソリンのような色合いの)酒をちょっとずつ飲んでいる。

 

 「ネーロさんは小食ですね。」

 「キミに会えただけで、お腹いっぱい胸いっぱいサ。」

 「はいはい。」

 

 まったく調子がいいことを言う。

 でも気持ちは有難く受け取っておく。

 

 しかし、そのあと私は容赦なく注文を追加した。

 人の奢りで食う飯は美味い。

 その事に大げさに嘆いて見せる彼と茶化し合いながら、私の仕事の後の夕食は賑やかに続くのだった。

 

 

******

 

 

 さて、仕事も終えて、食事も終えた。酒も飲んだ。

 ともなれば後は帰るだけ――――――となるわけがない。

 

 男と女が連れ合って食事を終え、場所は繁華街――――――となれば夜のお楽しみはこれからが本番だという話だ。

 

 「んー………………これは久しぶりですけどこんな感じで、良いでしょうかね。」

 

 簡単に準備を終えてベッドに腰を下ろす。

 尻の下で布団がぽすん、と音を立てる。中々に寝心地の良さそうな柔らかさである。

 

 私が現在いるのはホテルの一室だ。

 室内の照明は敢えて薄暗くされており、それでいて桃色がかったどことなく淫靡な色合いだった。

 部屋に窓はなく、壁は厚めの防音仕様で作られており、他人の目も耳も気にしなくていいように作られているという触れ込みだ。

 

 まぁ、なんだ。ようはラブホテルの部類である。

 古風に言えば連れ込み宿。

 

 余談、というか無論の話ではあるのだがこのホテルの経営にもパガニーニファミリーが一枚噛んでいる。

 ボスである彼ならいつでも無料(タダ)でスイートルームが取れる次第だ。

 ………彼に言わせれば、無料(タダ)で客を泊めたその分の補填も結局は彼の組織から出るのだからプラスマイナスはゼロなのだろうが。

 

 「やぁ、娘よ(Hey, my girl)。パパが帰ってきたよ(Daddy`s home)!」

 「なにがパパですか。いいとこ爺さんでしょう。」

 「オー、手厳しいネ。だがボクはキミにならお爺ちゃん(グランパ)と呼ばれても本望サ。」

 

 背後の方でガチャリと扉が開く音がしたので、振り返ってみればそこには風呂上がりのネーロがバスタオル一丁で突っ立っていた。

 中々台詞がカットんでいるようだが、ひとっ風呂浴びたせいで頭がいい具合に茹だっているのだろうか。

 あと、エルフの老人である彼とヒューマンの私なら孫でも譲歩しすぎなくらいだ。多分玄孫くらいじゃないか?

 

 「ふむ、その話は置いておくとして、今夜は実にキュートなスタイルだ。思わず食べちゃいたいくらいサ。」

 「それはどうも、たまにはこういうのもいいかな、と思いまして。」

 

 お褒めの言葉は堂々と受け取る。私が可愛いのは実に当然のことなので謙遜に意味はないからだ。

 半裸のネーロは既に鼻の下を伸ばしてデレデレの表情になっている。

ふっ、仕方あるまい。

 

 普段は青、紺、群青、黒など暗い色使いの服を好んで着ている私だが、今夜は趣向を変えて甘いカラーリングのランジェリーにしてみた。

 ベビードールにヘッドドレス、長手袋とガーターベルトストッキング。いずれも白のレース生地を使ったもので、所々に白のフリルや桃色のリボンをあしらっている。

 下着以外は身に着けていない。

 白とピンクのパステルカラーで全体を飾って愛らしさを引立てながら、実際には下着でしかないという事実がかえっていやらしさを引き立てている(自賛)。

 

 「あと、その………………できれば、これを。」

 

 私は少し躊躇いながら、最後の装飾品を指に引っ掛けて彼の目の前に差し出した。

 少し声がどもるのは、やはり恥ずかしさが立つからだ。

 でも、これはやってもらうからには相手の手でやってもらわなくては意味がないものでもある。

 あるいは――――――そういう発想そのものが私のどうしようもない、植え付けられた(・・・・・・・)性癖なのかもしれない。

 

 「………………。」

 

 それを手に取ったネーロの表情をちらりと見る。

 彼のいつもの手慣れたような笑みがそこにある。だが、その奥に隠しきれない確かな劣情の色が見えて――――――胸の奥が騒ぎ始める。

 ざわざわと静かに、それでいて確かに股座が疼き始める。

 

 「顔を上げなさい。」

 

 優しく囁くような、娘に掛ける父親のような穏やかな声。

彼の指が顎先に添えられて、それにつられるように私は顔を上げた。

 そして顎を上げて空いた下の隙間、私の首の周りに彼の手が回され、冷たくて少し固いものが巻き付けられる。

 

 ――――――首輪だ。

 

 「はぁ………………っ♡」

 

 赤く塗られた革の首輪がきゅっ、と首元で絞られて留められる。

 その瞬間ぞくぞくっ、と甘い痺れが体を駆け巡っていった。

 自分の吐息が甘ったるい。くてっと手足から力が抜ける。

 別にこの首輪になにか呪いがかけられていたりだとか、そんなことは一切ない。ただの首輪だ。

 

 だから――――――呪われているのは私自身だ。

 

 「………キミには首輪が似合うね、私の子猫ちゃん(キティ)。」

 

 愛でるように優しい声をかけられ、掌で頭を撫でられると否応なく胸の奥がドキドキと高鳴った。

 頬が赤くなっていくのが自分でもわかる。

 

 「きゅぅん………♡」

 

 猫が鳴くような、鼻にかかった媚声で彼に答える。撫でてくる掌にわざと頭を擦りつけて甘えた。さながら彼の言う子猫(キティ)のように。

 「そうすれば(・・・・・)たくさんきもちよく(・・・・・・・・・)してもらえる(・・・・・・)」ということを私の心と体が、そう理解してしまっているから。

 

 「………………………っ♡」

 

 多分私に尻尾が生えていたら、浅ましくもそれを振りたくっていただろう。

 胸の奥で心臓が何かに期待するように高鳴っている。

 頭の中に靄がかかるような心地。

 喉が渇くような気がして、知らず唾を飲み込んだ。

 

 

 疼くものを感じて手を伸ばすと、私の女の部分は早くも愛液に濡れ始めていた。

 

 

 

 




『エルフ』
森人族、とも言われる。とはいうものの砂漠に住むデザートエルフや海岸に住むシーエルフといった者たちもいる。
種族的な特徴として、人間族の中でも特に同族内の仲間意識が強いと言われる。その為多くのエルフは部族の中で完結する社会を築いており、外部と交流すること自体が稀。結果として大抵のエルフはプライドが高く、傲慢で排他的であると言われる。
実際そうなのだが、裏を返せば一度同胞とみなしたものは家族のように扱い、決して裏切らないという人情に篤い人々でもある。
外見的な特徴は側頭部から魚鰭のように伸びた細長い耳。全般的に体形は細身で美形が多いと言われる。その為過去には幾つものエルフの集落が大国の軍隊によって滅ばされ、奴隷として連行されていったという。その子孫が現在の都市部で生活するエルフたちである。
彼らは往々にして自然の中に満ちる魔力の流れや、そこに育まれる生命といったものを尊重する感受性豊かな人々である。染物、刺繍、音楽、舞踊などは独自の発展を遂げた貴重な文化とされる。実用一辺倒のモノづくりをするドワーフや、思弁的な考察や論理を尊ぶウンカラとは(特に)相容れない。
敏捷、器用度、知力が高いので軽戦士系や魔法系の戦い方を得意とする他、生産職の適性も高い。
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