からりと晴れた良い小春日和の午後であった。
市内にあるこの公園――――――あるいは運動場、その土は湿りすぎて足が沈むということもなく、乾きすぎて砂埃が立つということもない程よい塩梅となっていた。
その男は足元のそんな地面を革のサンダルでグッと踏みしめてその具合を確認していた。
「うむ」
呟いたのは二十代半ばか後半頃の
ゆったりとした脚絆に晒しを巻いた上半身と革製の軽鎧。良く日焼けした肌と絞り込まれた筋肉は彼がよく鍛えられた戦士であることを示している。
「………………。」
彼は地面に落としていた視線を上げて、自身に相対する一人の男を見据えた。その男は
平服の上に動きを阻害しない程度の装甲を身に纏っている。
装甲の下、服の下から垣間見えるのはさながら職人が丹精に作り上げた石像のような頑健で分厚い筋肉だ。
見苦しくない程度に髭を生やした、がっちりとした顎の奥で歯を食い締めながらヒューマンの戦士もまた、リカントの戦士を睨み据える。
「「………………。」」
快晴の青空を仰ぐ公園、武装した戦士が二人互いに睨み合う。
間に入れば圧殺されそうな緊迫感を両者が発する全く剣呑な状況だが、それを見咎めるようなものは周囲にはいなかった。
何せ、この公園ではこの程度の事は日常茶飯事であるからだ。
その証拠になにかやることのない人間は近くの木陰やベンチに座り、のんきに二人を観覧する始末である。
やがて長い緊迫の睨み合いの後、動きがある。
リカントの武士が腰に差していた己の獲物を抜き放った。
――――――三尺程度の長さの木刀である。
ヒューマンの騎士が地面に突き立てていた己の獲物を拾い上げる。
――――――風呂場の
「「………っ」」
明らかに訓練用の装備一式。当然ながらこれらは彼らの本来の武装ではない。
だが――――――当たり前の話ではあるが、木の棒といえども全力で殴りつければ骨も折れるし、皮膚も破れる。
そして無論、当たり所が悪ければ死ぬ。
故に両者の間に流れる空気は武器が戦闘用の物ではないという点を除けば、正しく真剣勝負の緊迫感であった。
そして何より、両者は互いに
故にこれは――――――真剣ならざる、真剣勝負。
「参るっ!」
「来いっ。」
次の瞬間、僅かな土煙と勢いよく地面を叩くような音がして――――――木刀の武者が立ち消える。
傍から見ていてもまさに『消えた』と思わせる移動、『縮地』という歩法による踏み込み。
そして踏み込みであるからには、それは刀の振り下ろしに連結される。
並みの相手であれば何が起きたかもわからぬままに斬り伏せられるその俊速。
だが、さりとて相対する者も尋常の
「むん゛っっ!!!!」
食いしばった歯の奥、喉の奥から絞り出されるような雄叫びと共に――――――木盾を構えた騎士が前進した。
盾を構える左腕を体幹にグッと引き寄せて固定。さながら体の前面に壁を作るかのような構えのまま、前へと踏み込んだ。
「はっっ!!!!」
激突。轟音。
木刀が木盾を打ち据えた瞬間、両者の間の大気が震えて爆ぜる。
ビリビリとした衝撃が波のよう周囲を震わせた。
「………………っっ!!」
だが、
最初の一合は互角。
だが、鍔迫り合いとなれば刀と盾では後者の方が有利。
「しっ!!」
押し込まれることを嫌った
鍔迫り合いの力を緩めて後ろに重心が寄る、その瞬間を狙って
だが、武者の『縮地』の技法は前方程でないにせよ後方にもある程度対応していた。
片手剣を突き出す騎士の腕が伸び切るより早く、武士はその射程の外へと退くことに成功していた。
「………………っ」
木刀を構え直し、呼吸を整える武士。注意深く、そして油断なく相対する騎士の力量を見定める。
ただ観察するよりも実際の打ち合いはなおの事雄弁に相手の実力を物語った。
武士の目に、騎士の盾はまさに金城鉄壁の城門の如きものに見えた。
「ならばっ!」
再度その姿が瞬く間に消える。
次の瞬間、彼の姿は騎士の側面にあった。
「っ!!」
瞠目する騎士。
武士が現れたのは彼から見て右手側。つまりは片手剣を持つ側である。
「はぁあっ!!」
「ぬぅんっ!!」
全く同時に放たれる裂帛の気合い。
武士は純粋な剣技において騎士を上回る。絶妙な角度で交差する『連牙斬』は片手剣を跳ね飛ばすような軌道で放たれた。
だが、勝負が決まるにはまだ早すぎる。盾の扱い、つまりは守勢の戦いこそ騎士の本懐。
敵が縮地で右に回り込んだ刹那、思考よりも早く熟練の戦闘経験が彼の体を駆動させる。
さながら横殴りのギロチンの如く大きな木盾が振り抜かれ、木刀の作る斬撃の軌道を遮断した。
両者が激突する重く鈍い音が立つ。
「まだまだぁっ!!」
だが斬撃を防がれた武士は更に猛攻を仕掛ける。
側面から迂回できぬというのであれば正面から押し通ると言わんばかりの剣戟の嵐。
しかもそれらは闇雲に振るわれるばかりではない。
一撃一撃が精密に微細に、細かく角度と強さを変え
「――――――ふっ!!」
――――――だが、騎士は崩れない。
一撃一撃微妙に違う角度と強さでもって放たれる攻撃。普通ならば徐々に揺さぶられ、最終的には隙を晒してしまうだろうそれを万全に迎え撃つ。
さながら豪雨に濁流に身を晒しながらも、一切不動を保つ巨岩の如き盾構え。
これが彼の得意とする鉄壁の防御
しかし、
(しかし、
騎士は心中で独り言ちる。
彼は相手の攻撃を完全に防ぎきって見せているが、それは自身が防御に専念しているからだということを理解していた。
盾越しに感じる武士の斬撃の鋭さと精密さは自らのそれを容易に上回る。
攻撃に転じようと片手剣を突き出そうとすれば、今度は間違いなく
(なら、
攻撃に転じる隙が無い。その程度の苦境、彼にとっては茶飯事であった。
故に亀のように守りに入り続けることの無意味さもよくわかっている。
戦うからには勝たねばならないし、勝つためには攻撃しなければならない。
隙が無ければ――――――こじ開ければよい。
最大の防御力を発揮し続ける
だが、故に彼は敢えてそれを解除した。
「っ!?」
スキルが解除されたことで緩んだ防御。その手応えの変化が武士を一瞬………僅かな一瞬混乱させた。
そして騎士にとってはそんな僅かな時間が値千金であった。
「ぬ゛ぅああアァッ!!!!」
騎士が咆哮と共に、地を蹴り飛ばす。壁のように前面に押し出された盾を持って放たれる『
それを目の前で放たれた
「羅ァッ!!!!」
獣染みた一喝と共に、連牙斬が放たれる。
一閃の軌道に複数の斬撃が重なり合い、蜻蛉の羽のようにぶれる影を見せながら騎士の盾と激突する。
「「ア゛アアァァァァッッ!!!!」」
ガギギギギギィィィィッッッ!!!!という異音と共に両者が衝突し――――――、
その真横を盾を構えながら突撃した騎士が通り過ぎていった。
だが、決着はついていない。
吹き飛んだかに見えた武士は当たり負けたのではない。その証拠に彼の体には傷一つなく、さらには膝を地面に着くこともなく体勢を立て直していた。
彼は斬撃と体捌きを駆使してうまく騎士の『
「「―――――――――………ッ」」
彼より更に十メートル程後方で騎士の突進は停止した。
盾を構えて再度武士の側に向き直り、騎士は歯を食いしばった表情で相対する者を睨みすえた。
それは武士の側も同じであり、両者ともに等しく相手に警戒と敬意を抱いていた。
武士は精微にして怒涛の連撃。
騎士は鉄壁にして不動の防御。
お互いにスタイルは全く違えど、そこまで積み上げた相手の研鑽を心の内で称賛した。
「「………………っ!!!!」」
睨み合いもつかの間。
武士が攻める。騎士が防ぐ。
両者の仕合いは始まったばかり。
よく晴れた春の日の午後。
運動公園に戦士たちの雄叫びが響き渡る――――――。
******
「…………ぷはぁっ。」
公園の隅のベンチに腰かけて、
運動、もとい仕合いで疲労を覚えた体に水が染み入るようであった。
ベンチに深く座り込みながら一息ついている彼の隣には
「見事な剣技だった。若いのによくやるものだ。」
「なんの、それを言えばお主の盾捌きもだ。あそこまで攻めあぐねる敵には出会ったことは無い。」
「なに、攻撃を受けるのには慣れているのでな………。」
がっしりとした体格のその騎士の男――――――ガーノンとキムロは二人で椅子に座って水を飲みながら互いの健闘を称え合った。
二人が座るベンチの脇には割れた木盾が転がされている。
両者の立ち合いはキムロがかろうじて勝利という所だった。
だが、キムロ自身今回の勝利が正しくガーノンを上回ったとは考えていない。互いが
少なくとも彼が勝利できたのはガーノンの使っていた訓練用の木盾が耐えられなくなったからであるからだ。
もっと丈夫な盾であれば果たしてどうなっていただろうか、とキムロは思った。
「ガーノン殿は、騎士であるとのことだが………ここにはよく来られるのか。」
「あぁ、練兵場でも兵士同士の鍛錬、模擬試合などをやっているが………ここでこうして冒険者のような者たちと戦うことはいい経験になる。」
騎士や兵士は国民を守ることが仕事であり、そのためには日々鍛えなくてはいけない。
練兵場でなら兵士同士、互いに鍛錬し合うことができるが――――――想定される本来の敵が全て兵士のように正規の訓練を受けたものばかりではない。
他国の兵士ならいざ知らず、ならず者の野盗や人を脅かす魔物達………そういった敵が皆、兵士や騎士のような戦い方をするわけではないのだ。
実戦の場でより様々な状況に対応するには、より多くの異なった戦い方をする者との戦闘経験が必要となる。
その為、ガーノンはしばしば冒険者ともこうして模擬戦を行っている。
冒険者の持つ魔物との戦いのノウハウを、直接剣を交えることで学ぶために。
「なのでな、こうして近場に冒険者たちが鍛えている場所があることは俺にとって僥倖な話なのだ。」
「なるほど………。」
ガーノンが顔を向けた先に、キムロも視線を向けた。
彼らの見つめる先には公園の開けた土地がある。
そこでは大きな円を描くようにひたすら走り続ける若い冒険者達の姿があった。
若い、と一口に言っても年齢層自体はまちまちだ。だがそれでも『若い』と評するのは彼らが冒険者として新人の部類に値するからだ。
よく見ていると彼らの装備品は真新しいように見えるし、どことなく
そんな年季を感じさせない装備一式を身に着けた状態で、彼ら新米冒険者達は走り込みを続けている。
「走り込み、か。」
「体力づくりは最低限必要だからな。」
キムロとガーノンが呟く。
冒険者にとって重要なのは体力である。体力がなくては戦うこともできないし、逃げることもできない。フィールドを踏破することもでないし、ダンジョンに潜り続けることもできない。
故に重要なのは鍛えることで体力の上限を引き上げ、自分の体力の消耗を押さえる運動の仕方を知ることである。
これは戦士であれ、魔法使いであれ、冒険者であるからには最低限必須の話である。
そして今も彼らが見ている前で、走り続ける新米冒険者達はただ走っているだけでなく、後ろから何かに追い立てられていた。
冒険者集団の真後ろにぴったりと付けているのは大きなウサギの着ぐるみだった。
「どうしたへばったかヒヨッコども!!そんなよちよち歩きで走っているつもりか!!ウスノロが!!!!」
ふわふわと柔らかそうな白い毛皮に愛嬌のある笑顔のウサギ。それが異様にキビキビとしたフォームで怒号を上げながら冒険者集団を追いたてている。
ウサギの着ぐるみから飛ばされる容赦のない罵声とランニングの疲労で精神的にも肉体的にも疲弊して、ひぃひぃと涙目になりながら若者たちは走り続けている。
………別にこれはイジメとかそういうものではない。
精神的、肉体的にも冒険者はタフでなければやっていけない。その為の基礎作りなのだ。
今、新米達を扱いているウサギの着ぐるみ――――――あれの名はドニー・ダルク。
フロラントの街でも一際名の知れた冒険者の育成者である。
周囲を見渡せば、走り込みを続けている新米達の他にも多くの冒険者と思しき者たちが公園にいるのがわかる。
先ほどまでのキムロとガーノンのように模擬線を行う者たち。
剣や槍といった武器の振り方を練習している者たち。
杖を携え、実戦における有効な魔法の扱い方を実演する者たち。
地面に図形を描いてパーティ単位での動き方について講義を行う者たち、等々………。
この運動公園にいる冒険者達をよく見ると、大多数が何かを教える人間と彼らから何かを教わっている人間に分けられる。
つまり、これがドニーの主催している『冒険者道場』である。
元々公園で鍛錬している若手にドニーが声をかけたのが始まりだというこの道場は、その始まりの経緯もありこうして公園でワークショップのような形式で開かれている。
キムロはもうすでに新米という経歴ではないし、ガーノンは冒険者ではない。
だがこうして多くの冒険者が集まる場所であるという関係上、少々派手に模擬戦を行っても誰も咎めない場所でもある。
それに道場の教導者側の人間も多くが現役の冒険者である。彼らは教える立場に立っていると同時に自らも冒険者として高みを目指す存在である。彼ら自身も手合わせの相手が増えることには好意的だった。
そして道場主であるドニーとしても腕の立つ者同士の戦いを見せることが新人たちを奮起させることに繋がると考えていることもあり、腕利きの人間はいくらでも歓迎されていた。
「キムロ………といったか。君は最近この街に来たばかりだと言っていたか。」
「左様だ。」
「なら、地下都市には行ったか?あそこは冒険者の腕試しにはいい場所だと聞いている。」
「うむ、行ったとも。………力不足を痛感することになったがな。ガーノン殿はやはり、この街に住んでいる以上良く行かれるのか。」
「いや、これでも騎士としての仕事があるのでな………。そうそう長くダンジョンに潜るわけにもいかないのだ。」
「なるほど確かに………。あのダンジョンは深いからな。」
「その口ぶりだと君はかなりの深さまで潜ったようだな。どの程度まで行ったんだ?」
「第八層だ。………拙者の独力ではない。協力者がいてこその事だ。拙者は彼女についていっただけのようなものだ。」
「彼女、と来たか。………第八層まで行けるほどの実力者となると………。」
「おう、地下都市の話か。俺も混ぜて貰っていいかい?」
公園の情景を眺めながらとりとめのない雑談に興じていたキムロとガーノン。
二人の前に突如大きな影が覆いかぶさるとともに、突如声がかけられる。
影の主の声は擦り切れた鉄を何度も打ち直したような、深みと貫禄のある色をしていた。
――――――ただし、ウサギの着ぐるみだが。
「ドニー殿か。鍛錬はもうよいのか?」
「おう、新米どもなら見ての通りだがな。」
ウサギの着ぐるみ――――――ドニー・ダルクがくいっ、と親指で背後を指し示すと、その先にはへたりこんでいる若い冒険者たちがいた。
俯いて肩で息をしているもの、座り込んで水に手を伸ばしているもの、大の字になって地面に横たわっているものと様々だが、皆疲労困憊になっているのは共通していた。
「例えばの話だが、自分の実力じゃどうしようもできねぇ魔物と遭遇したとして、だ。普通なら逃げる。でも疲れてて走れません、じゃ話にならねぇ。魔物はこっちを慮ってくれねぇからな。っつーわけでどんなに疲れてても走れるようにはしとかねぇといけねえ。まずは生き延びるために………な。」
「ふむ、なるほど。職務の違いを感じるな。俺も部下に全装備の上で走り込みをやらせるが、それは重装備でも戦い続けられる体力を養うためにだ。いざという時『逃げて生き延びるために走る』というのはあまり意識はしていなかった。」
「それはガーノン殿が騎士だからであろうな。」
「冒険者ってのは誰かを守る仕事じゃねえしなぁ。俺はいっつも新米どもには『自分の命を守るように』と口を酸っぱくして教えているよ。」
ドニーはキムロとガーノンが座っていたベンチに、並んで腰かけた。
話をしながら、彼は着ぐるみの頭部を無造作に外してからその下の素顔の汗を拭った。
新米冒険者達に比べれば無尽蔵とも言える体力を持つ彼だが、流石に熱気がこもる着ぐるみの中で汗をかくのは避けられないことだった。
ちなみにキムロは偶然にもドニーの素顔を始めて見る機会を得たことで、思わず驚きの表情を浮かべていた。周りの人間は特に注目もしていないことから、ここではしばしば見られることだと想像できるが。
キムロ達と同じく、水を飲みながらドニーが口を開く。
「つってもよ、キムロ。さっきの話だが。」
「さっきの?」
「お前地下都市を第八層まで行ってたのか。第六層までは自力で行けたっつうのは聞いてたけどよ。そん時の同行者ってのはどんな奴だったんだ?」
「あぁ、それについては俺も興味があるな。」
「ふむ………。」
顎に手をやりながらキムロは思案したが、結局話すことにした。
幾らか他人には話したくないあれこれがあったのは事実だが、名前くらいは別に隠すようなことでもないだろうと思ったからだ。
「拙者が同行したのはリオ・オーガスタという人物だ。」
「「あぁ………。」」
キムロが名前を告げると、ドニーとガーノンの二人は何かを察したような表情になった。
そこには幾分かの疲れと同情のようなものが含まれていた。
「………やはり彼女は有名なのだな。」
「確かにな。有名ではある。」
「都市伝説めいたもんではあるけどよ。」
リオの名を聞いて二名は苦笑した。その反応にキムロは少し興味をそそられた。
リオ・オーガスタは冒険者としては有名人だが、この街に最近来たばかりのキムロは二つ名をいくつか聞いたことがあるくらいで、その風評についてはあまり知らなかった。
その分、元からこの街に暮らしている二人はある程度彼女について詳しかった。
詳しい、というべきか――――――正確には両者ともに彼女と個人的な親交があるのだが。
「ふむ。都市伝説と来たか。」
「そうだな。彼女は何と言うのか………容姿は目立つが、人目を引くことを避けているようだ。だから街中でも常に気配を絶っているのだ。さながら森の中にでもいるように。」
ガーノンは脳裏に浮かぶリオの姿に若干相好を崩しながらも、表情を引き締めながら説明した。
リオ・オーガスタの外見に関する情報は出回っている。
金色の長い髪と氷色の瞳、青い薔薇の花飾り。
彼女と直接接した人間からそうした表現は得られるが、当の本人は生半可な方法では見つけられない。目立つのを嫌う彼女が常に隠形スキルを駆使して姿を隠しているからだ。
だから彼女に関する情報は憶測が憶測を生んでいる。
故に彼女自身が一つの都市伝説染みた存在になっているのだ。
「曰く、『青い薔薇の
「うぅむ、さながら魔物の目撃証言のようだな。」
「物騒なもんが多いんだよなぁ。」
苦笑したものか呆れたものかといった困惑の表情を浮かべたキムロ。
その隣でドニーが嘆息しながら呟いて言葉を続けた。
「あいつは………色々とあって冒険者組合とは折り合いが悪いみてぇでな。組合にさっぱり顔を出しやしねぇ。人前に出る機会が少ないからなおさら噂に尾鰭羽鰭がつくのさ。物騒な方に。」
「組合と折り合いが悪い、とな。」
「まぁな。」
復唱したキムロにドニーは頷いた。
リオに関する噂で物騒なのが多いのは、実際に彼女が物騒なことを何度か
指名手配犯を公衆の面前で射殺。
街道に出没した大型の魔物を単身討伐してそのまま路上で解体して独占。
ダンジョン踏破、魔物退治、賞金首の討伐などなどの実績を合わせれば冒険者としては一流であると言える。
だが、それ以上に彼女は些か以上に手段を
腕は立つがどうしようもなく
それが冒険者組合の彼女に対する所感である。
「冒険者組合っつーのは元々、冒険者をある程度組織化してイメージアップを図りましょうってのが設立の目的にあるからな。あいつみてぇなのは癪に障るんだろうよ。」
「だが、その
「「………。」」
「あくまで一般論として、だ。」
なにやらガーノンがポロっと爆弾発言を落とした。
それに生暖かい目を向ける二人だが、ガーノンの言い訳を聞いて聞かなかったことにすると決めたようだった。
「―――――――――昔はあんなんじゃなかったんだけどな、あいつも。一人が好きなのは昔からだったが。」
幾分かの沈黙の後、ドニーがポツリと言葉を漏らした。
公園の上に広がる青空を見ていたら、つい口にしてしまったというような何気ない言葉だった。
「昔、か………。」
「ドニー殿。お主の言う『昔』とは………。」
「『あの日』より前の話の事さ。」
ぼうっと青空を見上げながらドニーはそう口にした。
『あの日』――――――それはこの世界『The Unlimited Horizon』が現実として動き出した日。
この世界にプレイヤーが縛られ、この世界の人々に
その時のことを思い出してキムロとガーノンは神妙な表情になる。
当時既に物心ついていた二人はその時のことをよく覚えていた。
とはいってもそれほど劇的な話ではない。ある日突然、天啓のように『そういうもの』があるという認識が降ってきたというそれだけの事であった。
ただ、その頃から抱いていたある疑問をキムロはこの機会に聞いてみようと思った。
「ドニー殿。お主に聞いてみたいのだが………『プレイヤー』とはそもそも一体何者なのだろうか。拙者達――――――
「何者か。何者か、ねぇ………。」
キムロの言葉に、ドニーは顎をさすりながら目を閉じて考えに耽った。
やがて考えが纏まったのか、彼はこう切り出した。
「お前さん『
「
「あぁ、そうだ。俺たちプレイヤーの体も似たようなものだと考えてくれ。俺たちは『この世界』に見合った体を作って、そいつを遠隔から操作していた………………こことは違う世界からな。」
「こことは違う世界………?それは天界や魔界と言われるような、そのような領域から………?」
「そんなもんじゃねぇよ。今となっては『こっち』と『あっち』の関係もよくわかんねぇけどな。」
彼が語っているのはつまりアバターとプレイヤーの関係だった。彼が語ったようにプレイヤーは現実の側から自分の分身を作り出し、こちらの世界で動かしていた。
ただ――――――
「だから………俺たちは昔は気楽なもんだった。なんつったってこっちの体は
「………………。」
ドニーは自分の手に目線を落とし、掌を何度か握っては開いた。そこにある自分の体の感触を確かめるように。
その様子をキムロは黙って見守り、彼の言葉に耳を傾けた。
「でも、俺たちはもう『あっち』に戻れなくなっちまった。今まで端末越しに操っていたものじゃない、今あるこの体がたった一つ残された俺たちの本物の体になったのさ。それで………恥ずかしい話なんだけどな。それ以来俺は――――――怖くなっちまったんだ。」
「怖くなった?」
「あぁ、戦うのが――――――怖くなった。」
掌を握り、拳を作る。
そのドニーの表情は虫を噛み潰したような、苦々しさに満ちたものだった。
「笑っちまうだろう。昔は鯨みてぇな
戦えば傷つける。戦えば傷つく。それは当たり前のことだ。
だが、今まで『ゲーム』としてしか戦ってこなかったプレイヤーにとって――――――その事実は重かった。
斬られれば血が流れる。
殴られれば骨が折れる。
撃たれれば肉が抉れる。
焼かれれば身が焦げる。
「ドニー殿が冒険者を教えているのは………だから、なのだろうか。」
「………まぁな。」
キムロの質問に、ドニーは呟くように答えた。
「俺はもう冒険者は引退した身だ。俺は戦うことの怖さ、傷つくことの怖さ――――――死ぬことの怖さってやつを知っちまった。だから、まぁ、なんだ。せめて俺はその『怖さ』を誰かに教えようと思った。そんで、その上で冒険がしてぇって酔狂な奴にはせめて死なねぇような立ち回りってのを………な。」
「ドニー殿は………今の生き方を後悔はしておられないのだろうか。」
「してねぇ。これはこれでいいもんさ。俺のできなかったこと、逃げ出しちまったことを若い奴がやるっていうんだ。――――――なら、馬鹿を見た先人としてちょっと手助けをしたいってだけさ………。」
まるで懺悔をするかのように呟くドニー。風格ある歴戦の戦士のような面立ちの男の顔が、今は退役した老人のようにも見えた。
己の若き日の未熟を語るような、そして若者たちの蛮勇を憐れみながらも祝福するような、そんな表情が浮かんでいた。
「悪い。途中から俺のお寒い自分語りになっちまった。聞き飛ばしといてくれ。」
「いや、そう言われることでもない。良い話を聞かせてもらった。」
「勘弁してくれよ。」
キムロはやや面映ゆい表情をしたドニーに礼を言い、改めて思い返した。
思えば冒険者のプレイヤーは強大な力を持っていることが多い。それは恐らく今まで傷も死も厭わず、怖れなかったからこそ培えた力なのだろう。
だが、それも十五年前までの話。この世界に作った分身だったはずの体は、今やプレイヤー達の本体に等しくなってしまった。
結果として当たり前に傷つくという事実が、その痛みが彼等の脚を竦ませている。
自分に刀を与えてくれたプレイヤーは今はどうしているのだろうか、とキムロは考える。
十四年前出会った時のように、今も笑いながら魔物達と戦えているのだろうか。そうであったら良い――――――と彼はそう思った。
「あぁ、一応断っておくがよ。プレイヤーは全員が全員、俺みてぇに腑抜けになったわけじゃねぇ。昔と変わらず元気にやっている奴もいる、逆に
「リオ、か。彼女は――――――あぁ、確かに外れているな。」
そしてドニーの言葉と共に話は本題に戻る。
リオの名が出たとともに、今まで黙って話を聞いていたガーノンが口を開いた。
彼の表情はまさに意を得たり、といった納得の表情だった。
「先ほどのドニーの話を加味して推理するなら………彼女は君とは逆に、戦うことに楽しさを見出してしまったのだろうな。それも、命を奪い合うような戦いに。」
「………拙者も覚えがあるな。」
ガーノンの言葉にキムロは頷いた。
思い返すのは地下都市第八層、
あの時の彼女は………笑っていた。
針のように窄まった瞳孔。犬歯を剥くような凶相の笑み。
あれはさながら――――――、
「あいつの本気で戦うときの笑いを見て――――――あれはまるで
キムロの思考をなぞったわけではないのだろうが、ドニーはそう言った。
その言葉にベンチに座る他二人、リオと面識がある二人は肯定の表情を作った。
「ドニーよ。昔は『あんな』ではなかったと言っていたな。」
「そうさ。昔のあいつは………一人が好きだった。それは今でもあんまり変わんねぇか。」
ガーノンの言葉に答えるようにしてドニーが昔について語り始める。
言ってみれば当時のリオは一匹オオカミのソロプレイヤーであることと、気合の入ったアバターを使っていること以外は割とよくいるプレイヤーだった。
ソロで活動することの多い彼女だが、その時々に応じて他人と組むこともあった。ドニーは前衛と後衛で役割分担が明確にできることもあり、彼女と組んだことが何度かある中だった。
「当時は普通のやつだったよ。言っちゃあなんだが、良くいるプレイヤーの一人だった。けど『あの日』の後以来、初めてあいつと会って――――――目が変わった、と俺は思った。」
「目が。」
「あぁ、そうだ。あいつのあれは………多分地獄を見てきた眼だ。」
四年前、この世界が現実になった後に初めてリオと再会した時のことをドニーは思い返す。
彼女の眼は氷の色をしていた。透き通る冬空のような美しいアイスブルー。
だが――――――その奥に滓の様に
「あれが所謂『殺意』ってやつなんだなと俺はあの時思った。目を合わせたときに背筋に氷柱を突っ込まれた気分だったよ。その癖してあいつは昔と変わらず――――――いや、
「拙者も………そうだな。それが恐ろしくもある。それに………いや、」
キムロは最後まで自身の言葉を言うことは無く、途中で濁した。
ただドニーの話を通じて彼の中で少し納得できるようなことがあった。
キムロは確かにリオの戦いを見て『恐ろしい』と感じたのは事実だ。
だが、彼は温泉宿で彼女からこんな言葉を聞いている。
人を殺した時の罪悪感、それが指先のささくれ程度でも邪魔に感じる――――――そう彼女は言っていた。
推測ではあるが、彼女も普通の人間だったのだろう。傷つくことを恐れて、傷つけると罪悪感を感じるような。丁度、隣に座るドニーのように。
だが、それが何らかの理由で
その結果として今の彼女があるのだろう。人の論理と倫理に縛られない、獣かはたまた魔物の如き彼女が。
その事を少しだけ――――――は悲しいことだな、とキムロは思ってしまった。
きっとごく普通の何処にでもいる少女だっただろう彼女をそこまで変えてしまっただろう何かと、その変化が。
きっと彼女にそう告げれば「余計なお世話ですよ」と言って、カラカラと笑って流されるのだろうけれど。
「ふっ、『恐ろしい』か………確かに俺もそう思う。だからこそ俺は魅力的………ではなく、頼もしい冒険者だと思う。それだけ腕が立つというのは事実だからな。」
「………さ、左様か。」
「まぁ、何分物騒な話に事欠かない彼女だ。騎士として彼女を敵に回すことが無いように祈っているがね。」
何やら場の空気が落ち込んでいくのを感じたのだろうか、ガーノンがそう話を締めくくった。
彼としてはリオが高い実力と獣染みた精神性を持っている恐ろしい人物であることは百も承知の上だった。
その上で彼にとって彼女は頼れる冒険者であり、そして
まぁ、彼自身が語っているようにリオが治安を乱す側になるのなら騎士として敵対せざるを得ないのだろうが――――――その日が来ないことを祈るばかりだった。
「………やれやれ。なんてぇか、長い話になっちまったな。新人どもも丁度休めたみてぇだし、続きと行くかねぇ。」
「うむ、その通りだな。拙者も鍛錬の続きと行くか。」
「そうだな、俺も付き合おう。俺の盾に打ち込んできていいぞ。」
「かたじけない。」
ドニーは着ぐるみの頭を被り直してベンチから立ち上がった。彼の視線の先には彼が言うように、ようやく走り込みの疲労から回復した新人たちがいた。彼らはこれからもまたおおいに扱かれるのだろうが、それもドニーに言わせれば生き残るために必要なことだ。
それを見てキムロとガーノンも立ち上がった。程よく体も休めたところである。
二人は折れた木製の装備類を交換し、再度の鍛錬に精を出すのだった。
本日はからりと晴れた小春日和。
抜けるような青い空と暖かい日差しが、今日も公園で鍛錬に勤しむ男達を照らしている――――――。
『ドニー・ダルク』
フロラントの街で冒険者の教導を行っているプレイヤー。初心者から上級者まで、彼の元には様々な冒険者が集まる。彼の教育の成果もありフロラントの冒険者は生存率が高いとされる。
白いウサギの着ぐるみを着ているがこれは『ノーザンタイラント』という魔物の毛皮を加工した全身鎧であり、見かけによらず凄まじい防御力を発揮する。武装解放とスキルの合わせ技で敵の攻撃による
現実になったことでリアルな『痛み』を知ったこともあり、以前ほどには積極的に戦いに出ることは無くなった。今はその経験を通して、若手たちに冒険者として生き延びることに重点を置いた教育をしている。
リオとはゲーム時代からそれなりに親交がある。何度か臨時でパーティを組んだ中であり、戦闘時の相性はとても良好だった。