※この作品はR-18です。

The Unlimited Horizon   作:白臼

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ep.4 Blood Red, Wine Red

 

 

 

 鼻を擽る草と木の香り。花の芽吹きも近い、早春の土の匂い。

 息を吸い込むと少しひんやりとした空気が肺に満ちる。

 この世界が生きていることを示す、確かな空気の味だった。

 

 「はぁっ、はぁっ………はぁっ………………!」

 

 ただ………今の自分には、今の私にはそれをゆっくりと堪能している暇はなかった。

 傾き始めた日の橙色の光が差し込んでくる森の中、私は木陰に身を潜めて息を殺して――――――いや、殺せてはいなかった。

 

 はぁ、はぁ、と息が荒い。その音がうるさいほどだ。

 息を吸う。息を吐く。肺を目一杯に膨らませて空気を体の中に取り入れる。

 あぁ、でも頑張って息を吸ってもちっとも胸苦しさが消えなくて、それでまた深く息を吸おうと肺が動く。

 

 「はぁぁっ、はぁ、はぁ――――――――っ」

 

 息が苦しい。でもずっとここで蹲っているわけにもいかない。

 私は痛いほどに左手の弓を握り締めながら立ち上がった。繁みと背の高い雑草を掻き分けて、とにかく前へと足を進める。

 方向はこっちであっていたっけ?この森には何度も来ていたはずなのに、何だか今は随分と様変わりしている風に見える。この方向に森を抜ける通り道が思うのだが。

 

 地面を踏みしめて歩く。足元から伝わってくる振動の感触が、『いつも』と違うような感覚だ。自分の体が現実(リアル)に比して小さいのだと実感させられる。

 VRゲームでは現実(リアル)との肉体との齟齬をきたさないように振動覚や身体の位置覚はあえてアバターに合わせた補正がかかっていない、とそういう話を聞いた覚えがある。

 

 歩幅が小さい。歩いている歩数は同じなのに歩ける距離が短いというのは、もどかしかった。

 がさがさ、と草木を掻き分けていると髪が乱れたり、服の端が枝に引っかかったりと鬱陶しい。

 ………というか自分の服装とかって森に入るのに全然向いてないんじゃないのか?フリルが多いし。ゲームだったらこんなのはいちいち気にすることでもなかったのだが。

 

 「あぁ、もうっ。」

 

 悪態を吐きながら藪を掻き分けることしばらく、ようやく開けた場所に辿り着いた。

 森の中、通行人によって踏みしめられたのであろう雑草の生えていない茶色の土がむき出しの地面が見える。

 頭上はアーチを作るように張り出した木々で遮られていたが、微かな木漏れ日が地面にまで明かりを零しているようだった。

 幅数メートル程度の森の通り道。確かこの道を沿っていけば森を通り抜けて最寄りの町へと行くことができたはずだ。

 

 「………よし。」

 

 もう一度呼吸を整え直して、道に足を踏み出した。左手の弓を握り直す。

 先ほどの事を思い出すと心臓が縮み上がる想いだが、ここさえ抜ければ大丈夫なはずだ。多分、きっと。

 

 歩き始めた地面は先ほどまで抜けてきた森の中の凸凹したものに比べて随分歩きやすかった。

 人が通りやすいようにある程度整備されているのだろうから当然なのだろうが………。

 

 「………………。」

 

 快適な道に入ったことで思考に余裕が出てきたからか、様々な考えが頭の中で首をもたげてくる。

 この世界は本当に現実になったゲームなのだろうか?だとしたらその原因は?現実の方ではどうなっている?果たして帰れるのか?他のプレイヤーはどうしている?

 現実になったのだとしたらゲームの時との差異は?五感、身体感覚、他にも多くあるはずだ。時計が進んでいるということはひょっとして十年後の世界だったりするのだろうか?自分の知り合いはいるのか?NPCはどう反応してくる?

 

 …………というかひょっとして自分は今後『リオ』として生きていかなくてはいけないのか?

 いいのかそれ?いや、別に自分が嫌なわけではない。慣れ親しんだアバターだし、自分の考えた理想の美少女像だし、むしろいいんじゃないかとさえ思えるけど………。

 

 「はぁ………。」

 

 思わずため息を吐いて、ちょっと足を擦り合わせる。タイツと太腿の滑らかな感触に少しドキッとしたりするが問題はそれではない。

 ………股間にかつてあった男のブツは見受けられない。

 

 ――――――実戦未使用にして永劫の別れ。

 ――――――さらば息子よ、こんにちは娘。

 

 「どうしたものか………。」

 

 自分の呟きは森の中を抜けていく風に紛れるように吹かれて消えていく。靡く髪を撫でつけてかき上げる。

 あぁ、髪の毛が長いっていうのも大変なんだな。ちょっと鬱陶しい。

バッサリ切ってしまえば楽なのだろうけれど、それはちょっと自分(リオ)のイメージに合わないし………。

 

 「………………?」

 

 そんなことを考えていたせいだろうか――――――鼻につく、どことなく不快な匂いに気が付くのが遅れた。

 草と木と土の香りに紛れて薫ってくるのは、生臭いような鉄臭いような、そんな嗅ぎなれない香り。

 そして顔を上げれば(いつのまにか足元を見ながら歩いていたらしい)――――――赤黒い、その色が目に入る。

 

 「………っ」

 「――――――よう、またあったな嬢ちゃん。」

 

 野卑な響き、それ以上に煮えたぎるような悪意と怒りを含んだ男の声だった。

 森の道の真ん中、私の行く手を遮るようにそこに仁王立ちしているのは薄汚れた衣服を纏っている髭面の男だった。

 ニヤニヤとした笑いを浮かべてはいるが、顔は怒りで紅潮し、そのこめかみにはピクピクと痙攣するように震える青筋が立っている。

 そして男は右手によく使い込まれた山刀(マシェット)を持ち、その左手は――――――無かった(・・・・)。

 

 前腕の半ばから断ち切られ、雑に血止めをするようにグルグルにまかれた布の端からボタボタと赤黒い血の滴を垂らすその腕を見せつけるように持ち上げて男が口を開く。

 

 「さっきはよくもやってくれたじゃねぇか、この腕の落とし前はどうつけてくれんだ?えェ?」

 「………………っ!」

 

 怒りを、あるいは痛みを押さえつけるような引きつった笑い顔を見せながら男が私を睨みつける。

 その鬼気迫る形相に――――――私は思わず息を呑んで、一歩後ずさった。

 男の左手から滴る血の匂いが鼻について、頭がクラクラする。

 

 

 ――――――この男の左腕は、私が吹き飛ばした。

 ほんの数分前の事だ。周囲の繁みから何かが出てくる気配を察した私は警戒態勢で弓を構えていた。

 そうして遭遇したのがこの如何にも山賊といった面構えの、この男だった。

 私の事を森に迷い込んだ貴族か何かの子女だと思ったのか、男は私に刃物を見せびらかして一緒に来るようにと脅してきた。

 私はそれを当然固辞して、威嚇に矢を一発撃ってからその場を逃げたのだ。

 

 ………起きたことだけを端的に言えばそうなる。

 だが、

 

 

 「コラァッ、黙ってねぇでなんか言えってんだよ雌ガキィッ!!ブチ犯して内臓ぶちまけんぞッ!!」

 「―――――――――っ」

 「おぉう、やんのかテメェ。御大層な弓持ってプルプルしてんじゃザマァねぇぞ!ビビってんのか、アァ゛ッ!?」

 

 口角泡を飛ばして恫喝してくる男に対し、反射的に私は弓を構えていた。

 ………だが、わかっている。それを支える私の腕が微かに震えていることを。

 息が荒い。心臓がバクバクと早鐘を打っている。

 

 ………相手は決して勝てない相手ではない。

 最初に見たときからわかっている。

 こいつは断じて強くはない。私の矢の一発で腕が一本四散して弾けたことからもそれがわかる。

 でも、それとこれとは別問題だった。

 

 

 ――――――何せ、私は実際に(・・・)人間に向けて矢を撃ったことなんてないのだから。

 

 

 無論、ゲームの中でならある。人間型の敵やボスとは何度も戦った経験はある。

 だが――――――その時に飛び散った血などはダメージを表現するための視覚効果(エフェクト)でしかなかった。

 だから、先程私がこの男の片腕を奪った時のようなものは、始めて見たのだ。

 

 「………………くっ」

 

 ギリリ、と奥歯を噛み締める。意識が遠くなりそうだ。

 今も罵声を吠え立てている男の左腕から、また血の滴が落ちてその鉄臭い匂いが鼻に届く。

 

 ――――――私の矢がその腕を吹き飛ばした瞬間を幻視する。

 ぱん、と風船が弾けるようなあっけない音と共に左腕が抉れて手が地面に落ちる。

 断たれた不揃いな断面から真っ赤な鮮血が勢いよく噴き出して、あたりにむせ返るような血の匂いが充満する。

 抉られた肉片と骨片が周囲に飛び散って雑草と藪に降りかかる様が見える。

 呆けたような顔をした男が、一拍遅れて絶叫を上げて腕を押さえてその場に蹲る。

 私は吐き気がするような、肝が冷えるような思いをしながらその場から逃げるように走り去って―――――――――

 

 「オラァッ゛!!!!」

 

 沈んでいきそうになる意識の中で、喧しい濁声が耳を打った。

 反射的に身を竦ませるようにしゃがみ込むと、頭上を分厚い鉄の刃物が通り過ぎていった。

 山賊の男が山刀(マシェット)を投げつけたのだ。

 それを頭が理解するより早く――――――私の体は追撃を避ける行動に移っていた。

 

 「チィッ!!」

 

 舌打ちが聞こえる。

 男の追撃の蹴りを私は転がって回避した。ゲーム時代からの基本的な回避動作の一つを私の体は酷く忠実に再現した。

 転がった状態から立ち上がる瞬間に、ステップを踏んで更に男から距離を取る。

 ………地面を転がった瞬間に髪が乱れて不快だ。頭を少し降って顔に掛かった髪を払う。

 

 「………んだテメェ。避けるのだけは生意気にも一丁前ですってか?」

 

 投げた山刀(マシェット)の代わりに短剣(ダガー)を引き抜いて、男が目を光らせて構えを取る。

 左腕の出血は今も点々と続いているのに意に介した様子もないようだった。痛みを感じないほど頭に来ているのだろうか?

 

 ………男の避けるのだけは一丁前という言葉には業腹ながら同意するしかなかった。

 たった今転がり(ローリング)動作で攻撃を回避してから立ち上がった瞬間、まさに矢を射る決定的なチャンスだった。

 だというのに私はそうしなかった。あるいはできなかった。

 理由はわかっている。

 

 怖い(・・)のだ。

 私の矢が男の腕を吹き飛ばした瞬間の飛び散る血と肉と骨、響き渡る絶叫。咽るような血の匂い。

 そして片腕を失くしながら、それで治療よりも私を殺すことを(・・・・・・・)優先している(・・・・・・)男。その男から私に向けられている悪意と殺意。

 

 それが、どうしようもなく私の心をぞわぞわ(・・・・)とざわめかせる。

 背筋が粟立つような、意識が遠のくような、吐き気を催すような、そんな嫌な気分がさっきから止まらない。

 

 多分、これが怖い(・・)という感情なのだ。

 私は今、仮想(バーチャル)でも遊戯(ゲーム)でもない、現実(リアル)での命でのやり取りを――――――殺し合い(・・・・)をしているという事実が此処に在る。

 

 「へへへへへへッ………!知ってるかよガキ?女の髪の毛って売れるんだぜ?テメェの髪を生きたまま頭の皮ごと剥ぎ取って売り飛ばしてやらァ…………!!」

 

 正直なところを言うとこの男は全く強くない。その辺のチンピラに毛が生えた程度のレベルだ。

 攻撃は見てから避けられるほど遅いし、物理防御をあまり重視していない私の耐久力でも、直撃を受けてもダメージにはならないだろう。

 体の強度も大したことは無い。私の矢の一発で胴体を貫通して即死させられる。

 

 そのことがわかる。わかってしまう。

 『狩人の眼力』、『射手の慧眼』――――――私の持っている鑑定系スキルがこの男の肉体の頑丈さを、敏捷性を、体の急所の位置を、その全てをつまびらかにして、その結果「どうやっても(・・・・・・)殺せる(・・・)」という結果を導き出している。

 ゲームだったときは視界に数値として表記されるはずだった鑑定結果だが、それが今は直観的に対象の情報を把握できるようになっているのに内心驚愕する。

 

 鑑定系スキルだけではない。探知系スキルや感覚系のスキルも自分の感覚の延長線上に展開されているのがわかる。

 男の視線、筋肉、体臭、呼吸、発汗、脈拍、体幹、重心。森の風、木々のざわめき、雑草の擦音、足元の地面の傾き、そんなものまで手に触れるように(・・・・・・・・)わかってしまう。

 

 

 ――――――あぁ、血の匂いがする。

 

 

 草、汗、地、血、風、剣、森、弓、木、日。

 飛び散った肉と骨、吹き出た血飛沫、絶叫。

 無数のイメージと情報が頭の中でグルグルと渦を巻いて吐き気がする。

 いっそ、頭を抱えて蹲って、眠るように倒れられたらどれだけ楽だろう………。

 

 「ヒッ、ヒヒヒヒ………!!」

 

 山賊の男は短剣(ダガー)を携えて、こちらとの距離を測るようにしてにじり寄ってくる。

 血走った眼とひきつけを起こしたような笑い声。そこに籠っている激情のほどがわかってまた吐き気がする。

 

 だが、怒り狂ってはいても相手は戦術を考える程度に頭は働いているようだった。

 私の矢が一発で自分の腕を捥ぎ取る威力があるのと、自分の攻撃を避ける程度の運動能力があるのはわかっているからだ。

 こちらの隙を伺う男と、どうしようもない気分の悪さと戦っている私――――――にらみ合いは膠着状態に陥っていた。

 

 そうしてどの程度互いに睨み合っていたのか、わからないが………………やがて、私の耳が何かの音を捉えた。

 何か地面に硬いものが何度もぶつかるような音、何か大きなものが転がるような音、そして――――――

 

 「馬の、いななき………?」

 

 私がそう呟いた瞬間、森の道の曲がり角の向こうから、一頭の馬車が姿を現した。

 二頭立てのややこじんまりとした馬車だ。しかし装飾は派手目に作られており、このような森の中ではいささか場違いに見える。おそらくは街中で人の目に晒されることを前提とした見栄え重視の造りなのだろう。

 

 御者台で手綱を握っているのは初老の男だ。ロマンスグレーの髭と頭髪。片眼鏡に防寒用の帽子と厚手の上着。らしいと言えばらしい服装をしている。

 その御者の男は私達の間近で馬車を止めてから、背後に軽く目線を向けて二言三言言葉を投げかけた。馬車の中の人間に事情を説明しているようだった。

 そしてその御者がやれやれ、と肩を竦めるような仕草をした後、ややあって馬車の側面の扉が開け放たれ――――――男が一人、地面に降り立った。

 

 「やれやれ………日没までに帰りたくて近道を選んだらこいつは妙な場面に出くわしたもんだな。」

 

 馬車から降りた男は――――――率直に言って結構な、もとい相当な美形だった。

 ワインレッドの色をした艶のある頭髪。目鼻立ちのはっきりした顔の作りに、自信ありげな表情と笑み。

 背筋はピンと伸びて真っ直ぐで、足の長さやら細身の引き締まった体格やらが良く分かった。

 着ている衣服は紋章(エンブレム)を飾られた赤いマントに華美な仕立ての貴族服。ただ、見苦しくない程度に着崩しているあたり男の着こなし方が現れていた。

 ………あの紋章(エンブレム)どこかで見た覚えがあるんだが、何だっただろうか?

 

 その男は筆で引いたような細い整った眉を顰め、路上で睨み合っている私と山賊の男を睨み据えた。

 

 「さて………そこのお嬢さんとそこの山猿がどういう関係なのか知らんが、切った張ったはどっか他所でやれ。オレの帰宅の邪魔だろうが。予定より帰るのが遅れてうちのメイドにどやされたら責任をどう取ってくれるんだ?」

 「何べらべらくっちゃべってんだ貴族のボンボンがよォッ!!血ィ見てぇのかコラァッ!!」

 「………ちっ。山猿みたいなのがいると思ったら本当に猿みてーな奴だな。キィキィ喚くばかりで、何を言っているのかさっぱりわからん。」

 「アァッ!?」

 

 その赤い服の男は山賊の男をあからさまに挑発的な視線を向けた。

 元から冷静でなかった山賊は私に向けていた短剣(ダガー)をそちらに向けて、激昂しながら喚きたてている。

 

 ………今なら山賊の注意は私から逸れている。

 今なら逃げることもできる、とそんな考えが頭に過ぎるが………私はその場に釘付けになったかのように二人の男のやり取りを注視していることしかできなかった。

 

 「おい、坊ちゃんよォ。その家紋には見覚えがあるぜ。そいつは伯爵家のもんだろ?へへへ、いい獲物じゃねぇか。テメェん家から身代金たんまりせしめてやろうか………!」

 「はっ、猿が家紋の事を覚えているだけの脳があったとは驚きだが、結局は猿だな。それ以前にオレの顔を知らんと見える。」

 「あ?何言ってんだテメェ。」

 「バカめ、俺が伯爵ご本人様(・・・・・・)だよ。」

 

 男のその言葉を聞いて「あっ」と思わず呟きが漏れる。

 そうあの紋章(エンブレム)をどこかで見たことがあると思ったら――――――あれはここら一帯を治める領主、クラートフ伯爵家の家紋だった。

 

 ただ、少し疑問が残る。

 あの赤毛の男は自分が伯爵だと名乗っていたが――――――確か自分の知っている頭首はいい年をしたおっさんだったような………?

 

 「ヘヘェ、腑抜けの二代目ちゃんかよ。テメェのお陰で俺たちゃ商売あがったりよ。だがここで会ったがなんとやらだ、落とし前付けてもらうぜ………テメェの体でな!」

 「体で?悪いがオレはそっち方面の趣味はなくてな………。」

 「ぬかせっ!!」

 

 口角泡を飛ばして山賊の男が駆けだす。血走った眼で躍りかかる様は猿というよりはむしろ狂犬染みている。

 それに対して赤い男………伯爵は自然体で突っ立ったままだった。短剣(ダガー)を振りかざした男が迫るのを相変わらずの不敵な笑みで眺めているだけだった。

 私は思わず「危ない」と声を上げそうになって――――――それが杞憂だったと直後に思い知らされる。

 

 「ぐっ、ぎゃっ!?」

 

 一瞬、二人の間で赤い閃光が瞬いた。

 その閃光は山賊の顔面に着弾(・・)し――――――小さな爆発と共に火を上げた。

 

 「ふん。」

 

 そう言ってつまらなさそうに鼻を鳴らしたのはクラートフ伯爵だった。赤いマントを翻す彼の右手には一本の短杖(ワンド)が握られていた。

 正確には杖ではあるが、その持ち手の部分は拳銃を彷彿とさせる形状に作られており、それを構える彼の姿はどことなく早撃ちの銃士(ガンマン)のようだ。

 この形式の杖は俗に短銃杖(ピストルワンド)と呼ばれるものだった。

 

 おそらく、山賊の頭を燃やした魔法は炎属性の攻撃魔法の一種『スピットファイア』だろう。

 威力は低いが、出が早くて消費も少ないことから牽制用によく使われる魔法だった。

 だが――――――、

 

 「あっ、がッ、ガッ、ァァ…………………ッ!!」

 「…………ぅっ………」

 

 山賊の男が呻いている。短剣(ダガー)を取り落とした片手で火をかけられた顔を押さえて悶絶している。

 ――――――そこから肉の焼ける臭いがして、酷く気分が悪かった。

 肉の臭いだけでなく、男が上げる悲鳴、男の焼け焦げた皮膚、顔を押さえる手から垣間見える苦悶の顔―――――――それらがたまらなく気持ち悪かった。

 吐き気がする。

 

 「ひィっ!!」

 「これに懲りたら人の出るところに近づくんじゃあねーぞ山猿ッ!!」

 

 再度伯爵の銃杖から赤い火が走り、山賊の足元で着弾して小さな爆発と火の粉を散らした。

 山賊はその音と衝撃に大げさに後ずさって伯爵から距離を取り、焼けただれて焦げた顔を引きつったように歪ませてから踵を返した。

 

 「ぢ、ぐしょう………ッ!!お、おぼえでやがれッ………………!!」

 「忘れとくよ。」

 

 森の木々の中へと足早に消えていく山賊を、伯爵は全く興味ないような冷めた目で見送った。

 その背中に今の今まで状況を見守っていた御者の男が声をかけた。

 

 「逃がしてよろしかったのですかな?」

 「構わん、ここで死体にしていたら魔物が嗅ぎつけてここまで漁りに来るだろう。そいつが道に居座るようになるのはごめんだ。それとも馬車で運んで街で埋葬しろと?」

 「いえ、仰る通りです。さすが伯爵閣下。」

 「お前に褒められても素直に受け取れんな、爺(じい)。さて、それで、だ――――――。」

 「………………あっ………。」

 

 短銃杖(ピストルワンド)を懐にしまって、伯爵がこちらに目を向ける。その目線を受けて、思わず一歩後ずさる。

 彼のその眼が私は少し怖かった。人間を一人(・・・・・)、その顔面を躊躇なく焼いておいて、まったく動じたことのない彼のその態度が恐ろしい。

 実力で見れば――――――おそらく大したことは無い。その事は私の鑑定スキルで見ればわかる。魔法の実力はともかく、肉体の強度で見れば私からすればどのようにでも(・・・・・・・)できる(・・・)ものでしかないのだ。

 

 だが、その実力ではなく――――――躊躇いなく人を傷つけることができる人間であるというその事実が、私には脅威に映った。

 そして彼はその榛色の眼で私を観察するように、値踏みするように見据えながら一歩一歩私に近づいてくる。

 彼の真意は私にはわからない。ごくり、と唾を飲んで私は彼を注視した。

 

 そして彼は――――――おもむろに両手を上げて、笑いながら口を開いた。

 

 「いい加減にその弓を下ろしてくれ、矢を突きつけられたままじゃ落ち着いて話もできやしねー。」

 「あっ、はい。」

 

 そう言われて私は山賊の男に会った時からずっと弓に矢を番えっぱなしだったのに気が付いた。

 矢がすっ飛んでしまわないように慎重に力を抜いて弦を緩めて、弓を下ろす。

 そうして武器を下ろした手はいつのまにかビリビリと痺れるようだった。弦を引きっぱなしにしていて腕が疲れている。今までになかったこの感覚も、ここがもうゲームではないと私に思い知らせるようだった。

 

 「よし、良い子だ。山猿は追っ払ってやったからな、もう怖くねーぞ。」

 「あっ、ちょっ、待った………っ!」

 

 赤い男、クラートフ伯爵は先ほどまでの張りつめたような雰囲気はどこへやら、気さくな笑いを浮かべて、私の頭に手を置いて撫で始めた。

 わしゃわしゃと遠慮のない手つきで髪の毛が乱れる。

 それにいきなり子ども扱いされるのは噴飯ものだった。

 

 「な、何するんですかいきなりっ!」

 「おう、悪かったな。つい。………それに元気そうで何よりだ、さっきは怖いもんを女の子に見せちまったからな。」

 「お、女の子って………。」

 

 無遠慮な手を払いのけて抗議すると、彼は口元に微かな笑みを浮かべてそんなことを言ってきた。

 彼に自身にも先ほどのはやや刺激が強すぎるという自覚はあったらしい。

 ただ、それ以上にいきなりの『女の子』というワードに意識が持っていかれる。

 

 ………いや、うん。確かに今の私は『リオ』の体だからそう扱われるのは当然なんだが、いきなり言われると、ちょっと、こう、来るものがある。気恥ずかしい、というか。

 わざわざ手の込んだ美少女アバターを使ってそういう扱いに慣れていないというのはどういうことだと言われそうだが………実際、私はソロで活動することが多かったので同じプレイヤーからもあまりちやほやされたことはない。

 純粋に趣味をぶち込みまくって作成したアバターを褒められるのは、製作者としての『私』は嬉しくもあるが、一度冷静になると中の人(プレイヤー)としての『俺』がどうも恥ずかしくなってしまう。

 

 しかし、この世界が現実になった現状、『俺』と『リオ(私)』が不可分なのは避けられないのでこれからも女の子扱いには慣れないといけないのだろうが………。

 

 「ふぅん、子ども扱いは嫌か?まぁ、お年頃ってやつか。」

 

 私の反応をどう見て取ったのか、一人で納得していた様子の伯爵は――――――おもむろにその場に膝をついて、私の手を取った。彼の動きに合わせて赤いマントがふわりと舞う。

 そして――――――恭しく持った私の手袋を嵌めた手の上に、唇を落とした。

 一連の動作はあまりにも堂々としすぎて、それでいて自然なものであり、私が待ったをかける隙など全くありはしなかった。

 

 「オレの名はヨアヒム・クラートフ。伯爵だ。名前を聞かせてはもらえないだろうか、可愛らしいお嬢さん(リトルレディ)。」

 「………………………………リオ………。………リオ・オーガスタと、言います………。」

 「良い名前だ。とても似合っているな。」

 「………………。」

 

 …………どう反応すればいいのだろう。

 とにかく今の私にわかるのはこいつの流れるような動作からこういう言動(・・・・・・)をやり慣れているんだろうな、と推測する程度だった(つまり女たらしだと思われる)。

 それに顔がいいのはわかるし、こういう風にお姫様の様に扱われると女性は嬉しいのかもしれないだろうが――――――私には勘弁してもらいたかった。

 野郎にキスされたりしても鳥肌が立つだけだ。無論、悪い意味で。

 

 「こうしてあったのも何かの縁だ、貴女を当伯爵家にご案内しよう。………………今夜は泊っていけ。」

 

 最後の一言だけ口調と表情を崩して、囁くような声で彼は言ってきた。

 膝をついてこちらに見上げるような目線を向ける彼の顔は、貴族めいた凛々しい表情と、どことなく少年めいた悪戯気な表情が同居していた。引き締めていると思いきや、それを徹底せずにどこか緩めているのは彼の個性なのだろうか。

 伯爵がそんなのでいいんだろうか、と思うがそれがこの男の上では十分愛嬌として成立しているようだった。イケメンは得である。

 

 「………あっ、はい。よろしく………おねがいします。」

 

 内心どうしようかとも思ったが、そろそろ日が沈み始める時刻だったので、何処かに泊めてもらえるのは渡りに船だったこともあり、断り切れなかった。

 

 ………それに、もういっぱいいっぱいだったということもある。

 ゲームが現実になったと思ったら、いきなり山賊に命を狙われて、命のやり取りをする羽目になって気力が擦り減っていた。

 危機的状況を脱したと思ったら、どっと気が抜けたような疲れを感じ始めた。緊張の糸が切れた、というやつだ。

 

 「ではまずは馬車に案内しよう。足元に気を付けてくれ。」

 

 彼――――――ヨアヒムは当たり前のように私の手を握ったまま立ちあがってエスコートし 始めた。

 既に馬車の扉は開かれて、その横で御者の男性(確かヨアヒムは爺(じい)と呼んでいたか)が恭しく頭を下げている。

 

 まるで良くできた映画の一場面のようだった。

 だが、握られている手から感じる男の手の体温が、これが現実なのだと私に教えているようだった。

 

 

 

 ――――――ちなみに緊張の糸が切れたせいか、歩き出すと足がもつれそうだったが、私は頑張って無事に乗車した。

 もし私がバランスを崩して倒れ込もうものなら、隣のイケメン伯爵様はすかさず抱き留めるに違いないからだ。

 少女漫画のワンシーンと見るならさぞかし絵になるのだろうが、それを自分で再現するのはごめんだった。何が悲しくて男に抱かれないといけないのだろうか。

 

 私は思いのほか座り心地の良い馬車の座席に身を沈めて、心の中で溜息を吐くのだった。

 

 

 

 

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