※この作品はR-18です。

The Unlimited Horizon   作:白臼

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ep.5 On the Way

 

 

 

 窓の外を日暮れ時の風景が通り過ぎていく。橙色の夕日が山の稜線に差し掛かって沈んでいく。東の空からは深紫色の夜空が滲みだすように空を覆い始めていた。

 私が載っている馬車は僅かな時間で森を抜けて、見晴らしのいい街道を走っていた。

 馬の蹄が地面を叩き、馬車の車輪が転がる喧しい音が車内に響いている。

 しかしその割には私が座っている座席は殆ど揺れていない。大したものだった。

 

 「最新式の衝撃吸収機構(サスペンション)を搭載した馬車だ。道中、馬車の中でワインを飲んでも零す心配がないと職人に熱弁されてな。つい作らせてしまった。」

 「………はぁ。」

 

 馬車の外に向けていた眼を正面に向けて、気のない返事をする。そんな話を振られてもどう返せばいいのかよくわからない。

 私が胡乱な表情をしていると、彼は頬と目元を緩めた優し気な笑みを浮かべた。

 

 「………気分が悪いようなら言ってくれ。なんなら仮眠を取ってくれても構わない。この馬車なら揺れに起こされる心配もないだろうしな。目的地まであまり時間はないが………なに、街に入ってから速度を落とせば時間は作れる。」

 「い、いえ、大丈夫です。そこまでしていただかなくても………。」

 「そうか、それならいいが――――――いずれにせよ顔色が良くないな。あんなこと(・・・・・)の後ではそれも仕方のないことだが。」

 「………………。」

 

 あんなこと(・・・・・)。

 つい先ほどまであった本当の殺し合い(・・・・・・・)。

 それを思い出して、思わず背筋にぞわり(・・・)と怖気が走る。

 飛び散る血、焼け焦げる肉、怒号、悲鳴、刃………。

 

 頭をぶんぶんと振ってそのイメージを何とか振り払う。

 今は忘れよう。忘れた方が良い。

 

 「あの………えーと、クラートフ伯爵。………助けていただいてありがとうございます。」

 「肩肘張らなくても結構だ。ヨアヒム、と呼んでくれ。それに礼も不要だ。女性を助けるのは紳士にとっての誉れであり、貴族の男子にとっては当然のことだからな。特に、君のような美しい女性であれば猶更………な。」

 「あっ、はい。」

 

 私の対面に座っている男――――――ヨアヒム・クラートフ伯爵は全くの照れも衒いもなくそんな台詞をこちらに投げかけてきた。

 正直なところ私ではどんなリアクションを返すべきなのかさっぱりわからない。曖昧な相槌を打つ以外に選択肢が見当たらなかった。

 

 端正な顔立ちに微笑を添えるくらいに緩めた表情で、こちらの目を真っ直ぐ捉えるようにしながらの紳士的発言。

 艶のあるワインレッドの髪と端正な顔立ちが夕日を受けて複雑な陰影を形作っている。座席に無造作に腰かけているだけでも一枚絵になる辺り大した色男ぶりだ。

 まぁ、一枚絵は一枚絵でも、乙女ゲー的な一枚絵なのだろうが。

 

 「――――――さて、敢えて忠告させてもらうが、街の外には不用意に出歩くもんじゃないな。今回はオレがたまたま通りがかったが、そうでなければあの山猿に何をされていたか………。ああいう下賤な男たちは君のようなお嬢さんには想像もつかねーような下劣なことを考えて、実行する。気を付けておくことだ。」

 「………下劣な、こと。」

 「そうだ。死んだ方がマシ(・・・・・・・)と思うようなことは世の中にはごまんとあるもんだし、そういうのは知るべきじゃない。触れないに越したこともない。わかるな?」

 「………はい。」

 

 ヨアヒムは座席に頬杖を突きながら、訥々と私にそう語って聞かせた。

 口元は柔和に微笑んでいるように見えて目元は全く笑っていない、とても真剣な表情だった。

 私の事を心配………してくれているのだろうか。

 自分の髪を撫でつけながら考える(髪の毛が長いのにはまだ慣れない)。

 

 彼が私を助けてくれたのは事実だ。

 だが、それとは別に――――――私は実のところ彼をどこまで信用していいのか計りかねている。

 それはゲームだった頃に聞いていた設定の一つ、クラートフ伯爵の悪評(・・)である。

 ただ、私が知っている伯爵はヨアヒムという名前ではなかったし、今目の前にいるような青年ではなかった。ゲーム時代とは別人である可能性は高い。

 

 それでもいかんせん、信頼するには材料が足りない。

 このまま招待された屋敷が、相手の口の中どころか胃袋の中――――――という事態もあり得るのだ。

 

 座席の隣に置いてある弓と矢筒に目線を落とす。

 どうにかして途中で逃げるか?人を傷つけるのは想像すると気分が悪くなる――――――だから代わりに馬車のドアを吹っ飛ばすくらいなら良いとして………。

 

 「ところで、だが。」

 

 私が黙って色々と考え込んでいると、ヨアヒムが私に声をかけてきた。

 

 「君はあんな森の中で、一人で何をしていたんだ?」

 「………………………。」

 

 さて、答えづらい質問が来たぞ。

 

 

******

 

 

 「君はあんな森の中で、一人で何をしていたんだ?」

 

 ヨアヒム・クラートフがそう質問すると彼の対面に座る少女――――――リオ・オーガスタが僅かに表情を強張らせた。

 一瞬の表情の変化ではあったが、それを見逃す伯爵ではない。彼の仕事の多くは要人との対談、いうなればロビー活動で占められている。その中で鍛えた彼の対人観察眼をもってすれば、今の質問は少女にとってあまりされたくない質問だったというのは容易に理解できた。

 

 「答えにくい質問だったのなら答えなくてもいい。」

 「………すみません。」

 「なに、構わないさ。」

 

 そうやってヨアヒムは会話を少女に振りながら、慎重に相手の反応を窺っていた。

 まるで立ち合いの際に、剣士同士が得物を構えながら互いの間合いを推し量るように。

 

 「………………。」

 

 口元に微笑を浮かべながら、彼の眼と意識は目の前の少女の全体像を把握するべく観察に耽っていた。

 

 全体の印象としては――――――精神状態もあるのだろうが、弱弱しい(・・・・)印象の少女だった。

 幼いとも言える矮躯に、襞飾りの多い青を基調とした可憐な衣装。青い薔薇を飾られた長い髪は金糸の様に艶やか。少女が無造作にかき上げ、撫でつけると同時にさらさらと流れていく様は絹糸の様でもあった。

 陶磁器の様に白い肌は、窓の夕日のせいでわかりにくいが、どことなく青ざめているようにも見える。花弁の様に愛らしい唇は、その奥の歯を食いしばっているかのように閉ざされている。

 筆で引いたように整った眉は、何かを悩むように根を寄せていた。

 彼女の視線は対面にいるヨアヒムよりも、窓の外を見つめていることが多かった。まるでどこか遠くを見つめるように。

 自分の顔が女好きする顔だと良く知っているヨアヒムとしては、自分の顔よりも窓の景色を優先する少女の反応が新鮮だったが、少々悔しくもあった。

 

 少女の全体をざっと俯瞰して――――――ヨアヒムはなんとなく、迷子(・・)を連想した。

 見知らぬ場所と見知らぬ人。何が危険で誰が危険かで測りかね、身を強張らせて警戒している。そして何より帰り道がわからない不安、これからどうして良いのかわからない不安………。

 

 (………なんとなく、事情に想像はつくな。)

 

 彼は視界の端で、少女の横に置いてある弓に目を向けた。

 青空色から青海色のグラデーションで塗られたその美しい弓。ヨアヒム自身、武器の性能を鑑定するような眼は持っていないが、美術品に関しては貴族としてそれなりの目利きができるはある。

 彼の見たところ、その弓は相当な値打ちものだと窺い知れた。

 少なくとも富裕層の子女が遊びで持ち出すにはいささか荷が勝ちすぎるくらいには。

 

 にもかかわらず、山賊と対峙していた時の少女の態度はいかんせんちぐはぐ(・・・・)だった。

 弓を構えるときの立ち姿は堂に入ったものだが、人に対して弓を向けること自体に恐怖を覚えているのは明白だった。

 つまり、実力に対して本人の精神が不釣り合いというような――――――そんな不安定さを感じるのだ。

 的当てばかり上手い人間が、いきなり実戦の場に引きずり出されてうろたえているような、そんなイメージだった。

 

 そしてヨアヒム自身、そのような雰囲気を醸し出す人間には心当たりがあった。

 

 (十中八九、この娘は『プレイヤー』なのだろう。)

 

 心中でそう彼は独り言ちる。

 プレイヤーである、という認識に基づいて見れば、少女の態度や心境について筋が通った仮説が成り立つ。

 その上で彼としては彼女と敵対するつもりはなかった。

 むしろ、手厚く保護することを脳裏で優先課題として挙げておく。

 

 このリオという見知らぬプレイヤーに対してどのように対処するべきか、頭の中で幾つかやるべきことを並べ立てていく。

 特にこの場で重要なのは、彼女の警戒心を解くことだった。

 

 (随分警戒されちまってるみてーだしな。)

 

 内心でヨアヒムはため息を吐いた。

 先ほど馬車に乗る前に挨拶として手の甲に口づけをしたり、手を取ってエスコートをしたりとしたが、彼が体に触れる度に少女は拒絶するように身を強張らせていた。

 おそらく直前に山賊を追い払った時に、怖い人間だという先入観を持たれてしまったのかもしれない。魔法で攻撃などせず穏便に済ませられれば良かったのかもしれないが、あの場での最善はああする以外になかったのだが。

 

 無論、ヨアヒムにはそうして初対面で警戒を見せる相手にも心を許させる自信というのがある。

 特に相手が女性であれば、軽く微笑みかけて親し気に声をかけてあげれば容易く警戒心を解けるというのが彼にとっての常だった。自分が美男子であるという自覚は彼にはあるし、それを有用に扱う術をこの若い伯爵は心得ていた。

 

 それ故に微笑みかける度、声をかける度にかえって警戒心を露にするように眉根に皺を寄せる少女の態度は彼にとっては中々新鮮だった。

 この状況で少々危機感(・・・)が足りないと使用人たちに文句を言われるかもしれないが、そこに面白みのようなものを感じ、彼は思わず演技ではなく心から頬を緩ませた。

 

 一般の婦人方や少女達なら一目見て思わず頬を染める、綻ぶ薔薇のような艶のある伯爵の笑み。

 それを横目に見ているリオは内心で「なに一人でニヤついてるんですかね、この人は」等と訝しんでいた。

 

 

******

 

 

 街中に入ってから馬車の車輪が立てる音が変わったのがわかる。窓の外を見下ろしてみるとよく整備された石畳が見えていた。

 街に入る際に検問所があったが、通行はフリーパスだった。森から最も近い町――――――『イルマート』。ここは伯爵家の本邸がある街だ。地元の領主の権力というやつで、こうして馬車も検問を素通りできるようだった。

 

 「この街はオレの家――――――クラートフ伯爵家の膝元だ。今はもう暗くて良く見えないだろうが、街の真ん中には川が流れているてな、それを利用して川下の街へと物品の輸送を行っている。川辺にはそれを利用するために工場や波止場が点在している。日中はとても活気がある場所で、市場には様々な飲食店が並んでいる他、出店や屋台も―――――――――、」

 「………そうですか。」

 

 私の対面に座っているヨアヒムは人の好い笑顔を浮かべながらつらつらと雑談をこちらに振ってくる。

 しかしながら、私はそれに適当………というか雑な相槌を打つのに終始していた。

 

 何せ自分が『この世界』でどういう立ち位置に納まるべきなのか、まったくその見当がつかないからだ。

 あんな森の中で一人でいたからには理由を訝しがられるのも当然だし、身元を確かめたくなるのも当然だろう。だが、私は基本的に根無し草のソロプレイヤーなので住所不定だ。ありのままに言えば怪しまれるのは確実だろう。

 かといって適当にでたらめを言うのも危険だ。『この世界』での常識が私の知っている『ゲームの世界』との常識と同じという保証は全くないからだ。些細なところでボロが出るようなことはしたくない。

 

 そもそも自分のような『プレイヤー』についてNPC達はどういう風に捉えているのだろうか?

 正直に聞いたところで質問の意味を分かってくれるかどうかも未知数だ。彼らにこの世界がかつてゲームだったという自覚はあるのか、甚だ疑問である。

 

 「………………。」

 

 まんじりともせず窓越しの街の風景を眺めていたが、途中で止めた。

 街に夕闇がかかり始めた時間なので、彼が言うように町は薄暗くなっている。

 しかし私の目にはスキルによる暗視能力が生きているようで、大して街を見るのには苦労しなかった。

 その代わり街に灯り始めた松明の明かりがやたらと眩しく見えて目が眩みそうだった。『暗視』も便利なようで不便だ。

 ………ゲーム時代のスキルがどんなふうに生きているのか、これからは要検証だなと思う。

 

 「なんなら明日、日が高いうちに街を案内して回るか?オレが直接エスコートしてあげよう。――――――父の代から九年、領地を継いでから若輩なりに発展させてきたという自負があってな。」

 「いえ、結構で………………いや、待ってください。領地を継いだ?九年?」

 

 反射的に断りを入れようと思って、思わず聞き返していた。

 今の彼の言葉には重要な情報が含まれていたように思う。

 もしやここの領主は代替わりをしているのか?九年も前に?

 

 ………後で気が付いたことなのだが、この時のヨアヒムは内心でとてもいい笑みを浮かべていたらしい。

 さながら餌に食いついた魚を見たときのような。

 

 「あぁ、オレは親父――――――先代から地位と領地を引き継いだ。十八の時だ。」

 「………………。」

 「自分でいうのもなんだが………父は外面のいいロクデナシで、表に出てこないように慎重に小狡い悪事を重ねていた。証拠はほとんど残っていなかったが、それを寄せ集めて何とか失脚まで持っていったよ。あまり表沙汰にはできない話なんで、名目上は普通の引退と世襲という形にはなっているんだが………………。」

 「そう、なんですか………。」

 

 私に向けてそう語ってくれたヨアヒムの話を咀嚼して反芻する。

 

 これで懸念の一つが払拭された。

 その懸念というのはここの伯爵にかかわる黒い噂の数々だ。運輸業者と癒着して賄賂を受け取ったり非合法な品の取引をさせていたり、山賊を子飼いにして仲の悪い貴族の領地にけしかけたりだとか、そういう話だ。それでいて表向きは領主として領地の発展に手を尽くす名君と扱われているというのが質の悪い人物だった。

 それらはあくまで噂の一つに過ぎないが、ゲーム世界の風味付け(フレーバー)の一つとして、この街で起きるクエストの下地に存在していたのは確かだった。

 

 なので、当時の伯爵が失脚しているというのは朗報だった。以前のままでは屋敷に連れ込まれたときにどんなトラブルに巻き込まれるのかわかったものではない。

 いやいや、後を継いだというこのヨアヒムがもっと狡猾な悪党ではないという保証もないのだ。まだまだ油断しないようにしなくては。

 

 そしてもう一つの情報――――――その世代交代が九年も前だという話。

 この世界がゲームと地続きだとして、自分が知っている時代より先に進んでいるというのはどうやら間違いなさそうだ。

 森の中で目が覚めた直後に確認した年は、私の知っている本来の年よりもさらに十年進んでいた。おそらく――――――この世界もゲームの世界から、さらに十年経っていると見て間違いないだろう。

 領主の世代交代も、この十年であった出来事の一つなのだろう。

 

 ちらり、と左腕に巻いている時計に目を落とした。この場で端末を弄って現在の年月日を確認したい衝動に駆られたが、表面の文字盤だけを見るのにとどめた。メニュー画面を操作する動きを元々NPCだった人物がどう判断するのか未知数だからだ。

 そういうマジックアイテムだと流してくれるか、奇異な目で見られるか、プレイヤーだと勘付かれるか、プレイヤーだとわかったときの態度は好意的か敵対的か………。考え始めるとキリがない。

 

 そこまで考えていたところ、腕時計の針が動いていないのに気が付いた。

 つまりメニュー端末の機能があるだけで、時計としてのこいつはハリボテらしい。時刻の確認にはメニューを開く必要がありそうだ。

 確かにゲームだったときからこれは外装(ガワ)だけの代物だったが、現実になった後もそれに変わりがないらしい。融通が利かなくて困る。

 

 「それは腕時計か?そこまで小さくて精密な物なら、さぞや腕の立つ職人のものなのだろう。」

 「………いえ、その、あくまでこれはそういう見た目をしているだけでして。実際はただの腕輪みたいなものです。」

 「ふむ、ただの装飾品なのか?何か特別なマジックアイテムだとか、そういうのではなく?」

 「そういうわけでは………。」

 

 私が自分の左手首に視線を落としているとヨアヒムが興味深そうに腕時計、もとい端末について質問をしてくる。

 私としても若干応えづらいのでどうにかはぐらかすが――――――彼の目線はそれでも私の左手に注がれていた。

 

 「見せてもらっても構わないだろうか。」

 「………………見るだけなら。」

 

 たっぷり数秒考えてから、彼の方へと自分の左腕を差し出した。ゲームだった頃と同じ仕様なら、本来の持ち主以外は触っても反応がないから大丈夫だろう。………多分。

 いや、早まったか?それはゲーム時代と同じ仕様だったらという前提の事だし………。彼が触って起動したらすぐに手を引っ込めよう。

 

 何はともあれ、ヨアヒムは差し出された私の腕を恭しく手に取った。その動作に思わず、馬車に乗る前に口づけされたのを思い出して背筋が強張る。

 私の緊張を見て取ったのかヨアヒムは「別に取って食ったりはしねーよ」と気さくな笑みをこちらに向けてきた。

………気を遣ってくれているのはわかるが、何だか子ども扱いされているみたいで釈然としない。

 

 「………。」

 

 私の左手を持つヨアヒムの手が大きく感じられる。いや、彼の手が大きいのではなくて、私の手が小さいのだろう。

 彼はしばらく私の手を何度かひっくり返したり掌に触れたりして何かを確認しているようだった。

 

 そして、一言礼を述べた後に手を放し―――――――――、一拍置いてからこう切り出してきた。

 

 

 「………………リオ、君は――――――『プレイヤー』だな?」

 

 

******

 

 

 既に日の落ちたイルマートの街を、伯爵家の家紋が飾られた馬車が石畳の上でガタガタと車輪と蹄の音を立てながら走り抜ける。

 家路につく人々の会釈に送られながら、街の奥まった区画………郊外と言っても差し支えのない所へと馬車は進んでいく。

 

 やがてたどり着いたのは奥に広い庭を望む、大きな塀とそこに設けられた門である。

 門の横に設けられた守衛室の男は、馬車を駆る初老の男性を目視で確認すると、門の閂を外して敷地の中へと招き入れた。

 馬車が通るのは街中のそれよりも幾分洗練された石畳の通路である。時間帯の関係でよく見ることはできないが、左右に目を向ければ一見無造作ながらも品よく刈り込まれた芝生や樹木が見て取れるだろう。

 

 馬の蹄を鳴らしながら敷地の中を悠々と馬車が進み、屋敷の玄関前に駐車した。全体を清潔感のある白い大理石で作られた白亜の屋敷は、今は周囲に灯された松明のかがり火に照らされて、静謐と共に夜の中に佇んでいる。

 玄関扉の前には予め、帰宅予定の時間に合わせて集合していた出迎えのための使用人たちが待機していた。

 

 馬車を停車させた御者の男が御者台から降りて、馬車の側面の扉に手を掛けて開く。

 そこから出てきたのは当然のことながら、この馬車の主であり、屋敷の主であるヨアヒム・クラートフ伯爵その人である。

 ワインレッドの髪とそれに合わせた赤いマントをなびかせながら馬車から降り立つ姿はこれぞ貴人かくあるべしと見るものに思わせる優美なものだった。普段彼を見慣れているはずの女性使用人たちも、表面上は平静を保ちながら内心では黄色い歓声を上げているほどだった。

 

 しかし、いつもの帰宅とは違うことが今回は一つだけあった。

 馬車から地面に降りた伯爵がすっと馬車に向けて手を伸ばしたのである。

 

 「足元に気を付けろ。」

 

 何かを逡巡するかのような間が数瞬開き、ヨアヒムの手の上に馬車から伸びてきたもう一つの手が重ねられる。黒い手袋を嵌めた、細く小さい少女の手である。

 そして赤毛の伯爵の手に導かれるようにして馬車から出てきたのは、金色の美しい髪を靡かせる幼気な少女だった。

 彼女が地面に足を下ろす瞬間、青い薔薇の飾りをあしらった金絹糸の髪がふわりと靡き、玄関前の松明の明かりを反射して白金色の光を散らしたようだった。

 

 その様を見ていた出迎えの使用人たちは思わず目を見張る。

 予定にはなかった突然の客を主人が伴ってきたということの驚きもあるが――――――それ以上に、少女の美しさに目を奪われて。

 

 絵画から抜け出てきたように端麗な赤い伯爵と、生きて動き出した人形のように可憐な青い薔薇の少女。

 伯爵の手に導かれて少女が馬車から降り立つ様は、橙に燃える松明の明かりと深紫の宵闇と相まって、物語の中の様に幻想的な光景だった。

 

 ただ、使用人全員がそうして二人に見入っていたわけではない。いついかなる状況下にあっても仕事を遂行する鋼のような仕事人も世の中にはいる。

 使用人たちの中から一歩主人の方へと歩み寄り、深々と頭を下げた女性――――――メイド長のテオドラもそのような人物だった。

 

 「おかえりなさいませ伯爵様。使用人一同、御帰りを心よりお待ち申し上げておりました。そちらのお嬢様は――――――、」

 「客だ。帰り道で拾った。」

 「拾った、って猫じゃあるまいし………。」

 「畏まりました。既に伯爵様の晩餐の準備は整っておりますが、お客様については如何いたしましょう。」

 「当然、彼女の分も席を用意させろ。料理長(シェフ)には迷惑をかけるがな。」

 「勿体なきお心遣い痛み入ります。………では厨房にはそのように伝えさせます。客間のご用意はどうなさいますか。」

 「用意しろ。」

 「畏まりました。お客様のご宿泊の用意をさせていただきます。」

 「あの、ちょっと待ってください。やっぱり、私どこか別に宿でも紹介してもらえれば………。」

 

 トントン拍子で、かつ自分を置いて進められる屋敷の当主とメイド長の話に少女………リオが抗議する。

 しかし、「一度客として招いた女性に食事も出さず、さらに夜中に放り出したとなれば伯爵家の沽券にかかわる」とヨアヒムが主張すればそれ以上に強く出ることはできなかった。

 そしてなにより――――――、

 

 「他のプレイヤーについての情報、知りたいんだったらじっくり教えてやるさ。………夕食の席でな。」

 

 と、耳元でヨアヒムが囁けばリオとしては従うほかになかった。

 人形のように端整で可憐な面立ちに渋い表情を浮かべさせて黙りこくる。

 実際のところ彼がちらつかせているのは彼女としても喉から手が出るほど欲しい情報なのだから。

 

 「………………。」

 「そんな睨まないでもらいたいんだがな………。まぁ、いいさ。ようこそクラートフ伯爵家へ、可愛らしいお嬢さん(リトルレディ)。」

 

 少女の手を取ったままヨアヒムが屋敷の玄関を背にして優雅に告げる。女性なら思わず骨抜きになるような笑顔だったが………、

 

 「………えぇ、よろしくお願いします。」

 

 リオは一段と渋面を深め、まだしまい込んでいない弓の把手を左手でぎゅっと握り締めた。

 彼女のつれない態度に、伯爵が内心でより一層の興味を深めていると知らぬまま。

 

 

 

 

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