「おや、お帰りですかヨアヒムさん。お仕事ご苦労様です」
「あぁ、帰ったよ。――――しかし、わざわざ出迎えてくれたのか?ありがたいな」
私がたまたま玄関を通りがかった所、扉を開けてヨアヒムが帰宅してきた。
泊りがけの仕事だったようでいつもより多めの荷物を持っていた。
持っていた、とは言っても使用人に運ばせていたのだが。今はその荷物も別の使用人に渡されて片付けられているところであった。
「偶然通りがかっただけですよ。他意はありません」
「そうか?家に帰ったときに可愛い女の子が出迎えてくれるのは男にとってはこの上なく嬉しいことなんだが」
「はぁ、そうですか。そういうことならメイドさんたちに言ってあげてください」
「つれないな」
甘いマスクで微笑みかけくる美男子に『可愛い女の子』と呼ばれても、残念ながら私はまったくときめかない。
むしろ背筋が嫌な感じにぞわっとする。
何が楽しくて野郎にちやほやされなくてはいけないんだ。
……いや、最近は女性にちやほやされるのに辟易してきているところだが。
適当に話をあしらっている私だが、当のヨアヒムはむしろ楽しそうにニヤニヤしている。
うーん、何を考えているのやらよくわからない男だ。
「ご歓談のところ失礼いたしますリオ様」
「あー、はい。何でしょう」
私とヨアヒムが喋っていると声をかけてきたのは、この屋敷のメイド長のテオドラだった。
出迎えの使用人たちを指揮して適当な指示を割り振っていた彼女は、作業を一段落終えて私に話を振ってきた。
眼鏡の奥の無機質なほどに透き通った黒い瞳に真っ直ぐに見据えられて、私は若干たじろいだ。
ちょっとこの人は苦手だったりする。
「リオ様には専属のメイドをあてがわさせていただいておりますが、担当のものは如何なされましたでしょうか?」
「あー、アンネですね……。実はその……」
彼女のこちらを検分するレンズのような目線に怖気づきながら、私はポツポツと素直に話し始めた。
まぁ、難しい話ではない――――ただ単に一人になりたくなった私がメイドを撒いて単独行動しているだけだ。
世話を焼くのが仕事の人達には悪いとは思うのだが、元々一般市民の私としては横にいつも人が張り付いていて、何かしようとするたびにあれこれと手伝われるのに物凄い違和感を覚えるのだ。
「なるほどな。……そういうのはわからなくもないが、やはり屋敷の主としては客人を一人でぶらぶらと歩かせるのには抵抗があるな。うちの屋敷にいる分にはそういうものだと諦めてくれ」
ヨアヒムはそう私に言ってくる。
この辺の感覚は貴族としては当然のものなのだろう。彼のような人種は常に自分の手足代わりに動く他人がいて当然という生活を、物心ついたころからしているわけだし。
私が内心で溜息を吐いているとテオドラが感情を伺わせない声で進言してくる。
「アンネがご不快なようでしたら別の者を代わりに付けますが」
「いえ、そこまではしていただかなくても……」
別にアンネが悪いわけではないのだ。
ただ単に自分がこういう待遇に慣れていないだけで。
その辺の弁護を慌ててしていると、ヨアヒムが笑いかけてくる
「本当にそうか?またぞろ、着せ替え人形にされてたのを逃げて来たんじゃないのか?」
「うぐっ」
「左様ですか……」
私の反応で実情がバレてしまったようである。
……そうなのだ。アンネはメイドとして優秀だ。そこは間違いない。
ただ……なんというか他のメイドを撒き込んで私を玩具にしている感が否めないというか……。
世話をするという名目で小動物のように愛でられているというような、そんな感じがするのである。
女性にちやほやされるのは男子の夢だが、流石にそういうのは望んでいない。
断っておくが、別にアンネが嫌いなわけではない。
ただ単に彼女の異様な熱意の籠った『ご奉仕』に疲れているだけだ。
「……確かに、アンネ以下十名前後のメイドたちが率先してリオ様関連の業務に関わっているのは把握しておりましたが、少々私情が出すぎているのやもしれません。――――メイド長として彼女らに代わって謝罪致しますとともに、部下の監督を『徹底』いたします」
「お、お手柔らかに……」
徹底、という言葉に重圧を込めて言い切るテオドラ。
その温度を感じない瞳は黒曜石のナイフのような切れ味鋭い剣呑な光を帯びていた。
やがて彼女はこちらに頭を下げてから、踵を返して玄関ホールを後にした。
アンネをとっ捕まえて――他のメイド集団と共に監督を
「おう。そうだ、テオドラ。俺の執務室に茶の用意を頼む。二人分だ」
「畏まりました」
「えっ、二人分って……」
ホールを去るテオドラの後ろ姿に、唐突にヨアヒムが声をかけた。
内容に特にあれこれと聞き返すことも無く鉄面皮のメイド長はさっさと行ってしまった。
面食らったのは私である。
ちらり、とヨアヒムに目線を向けると彼はにこりと微笑みかけてきた。
「どうせこの後暇なんだろう。一緒に茶でも飲まないか?」
「…………まぁ、そうですが……」
あー、うー、と一通り呻いてから了承の意を示した。
断ろうかとも考えたが、断る理由も無いので渋々……という形だが。
ヨアヒムは私の事を完全に女だと思っているので、紳士らしくこちらを気遣うことが多い。
普通なら喜ぶべきなのだろうが、生憎と中身が男性である私としてはいまいちその優しさを素直に受け取れない。
その辺の微妙な食い違いさえなければ良い奴だとは思うのだが……。
まぁ、何が言いたいのかと言うと、性別の勘違いを除けば一個人としては仲良くするのにやぶさかではないと私は思っているのだ。
というわけで別にノリノリというわけではないが、一緒に茶でも飲む分には問題ないか、と私はそう考えたのだ。
「さて……、ところで
「……まぁ、そうですね。ぼちぼち、といったところです」
屋敷の廊下を二人で歩きながら取り留めのない会話を交わす。
話題は主に私のこっちでの暮らしの事だ。
私がここで暮らし始めてから、数日が経過している。
その数日は主にこちらでの生活に慣れるために費やされていた。
例えば照明に関しては魔石式でスイッチを捻ればすぐに点灯するタイプと、蝋燭に火を灯すタイプの二つが混在していたりだとか。
例えばこっちにはメールやメッセージをやり取りする携帯端末がないので、何か話したいことがあれば人に言伝を頼んだり直接相手を探さないといけなかったりだとか。
例えばインターネットもゲームも無いので暇をつぶすための娯楽が少なかったりだとか。
そうした、あれこれについてである。
「今のところの趣味は、屋敷の散策ですかね。歩いてるだけで意外と飽きませんよ」
「ふむ、そういうものか。それで、無事にうちのメイド達から逃げおおせていると」
「……お世話になってるし良い人たちですから、悪い風には言いたくないんですけどねー……」
あぁ、そう。慣れると言えばこちらの生活だけでなく、女の体としての生活にも、である。
その辺でのあれこれに関してはアンネを筆頭とするメイドさんたちに結構世話になっている。
主に女性ものの服の着方とか選び方とか、化粧の仕方だとか、肌や髪の手入れの仕方だとか……。
正直、元男性としては異文化過ぎて取り込むのに多大な労力を強いられているというのが事実だが……『リオ』として生きていかざるを得ない現状、そういう女性的なあれこれを教えてくれる彼女らには感謝している。
ただ単に、途中でエスカレートして私で着せ替え大会やらが始まってしまうだけだ。
他にも色々とエスカレートしたメイド達が食事やら着替えやら入浴やらに鼻息荒くして積極的に介入してくるのは正直疲れる。
「なるほどな。……身内だから庇うわけではないが、あいつらの気持ちもわからなくもない。人とは美しい石を見たら磨かずにはいられないものだ。特に君のような美しい石は……」
「あー、そうですか……」
「待て待て、なんでそこで引くんだ」
その辺はしょうがないだろう。男に口説かれても正直全然嬉しくない。
しかしなんというか……誉め言葉が実に直接的過ぎて困る。
ゲーム時代も遠回しにアバターのデザインを褒められたり、ということはあったがここまでストレートに言われたことは無かった。
そこは国民性の違いというやつだろうか?
それに、である。
「あんまり無節操に
「勘違い、か」
私がそう言うと彼はくるりとこちらに向き直り、無造作にその手をこちらに伸ばしてきた。
花を手に取るような手つきで、彼の白い手袋を嵌めた指が私の髪を一房摘まむ。
金色に艶めいている絹糸のような髪――自分の
「例えば――――どういう風に勘違いされてしまうのだろうか?オレに教えてくれないかな?」
秀麗な眉目を悪戯気に綻ばせてヨアヒムが囁く。
覗き込まれるような近さで見る彼の顔立ちは見れば見るほどに美男子だった。
耳元で囁かれる声は、楽器の太い弦を弾いた時の音の様に張りと艶があり、少年のような稚気の中に奇妙な艶を感じさせた。
整髪料や体臭などにも気を遣っているのだろうか、うっすらと薔薇の花のような香りがして不快ではなかった。
まるで少女漫画か、あるいは乙女ゲームから抜け出てきたようなイケメンである。
こんな男に至近距離で見つめられれば、思わず見とれてしまうか、あるいは真っ赤になってしまうのが普通の女性なのだろうが――――何度も言っているように、私は全くそうは思えない。
「別に――――ただ単に、女を作りすぎて修羅場になって刺されないように気を付けた方が良いのでは、とそう思うだけですよ」
正面からその
間近で見つめ合っていると、なんだかムカっ腹が立ってきた。
ちょっと笑いかけて愛想よくしただけで女を落とせると思っているとか、顔がいい奴はこれだから……。
「ふっ、心配してくれているのか?とても嬉しいな。特に――――」
「やれやれ、一度は痛い目を見た方が良いんじゃないでしょうか」
特に君のような可憐な少女から心配されるなど男冥利に尽きる、……とか続けようとしたのだろうが、それを遮って言葉を切らせる。
そして横をすり抜けるようにして彼から一歩身を引くと、ヨアヒムは少し悲しいような――あるいは少し楽しいような奇特な表情を浮かべていた。
先ほどまで私の髪を一房掬っていた彼の右手が所在投げに揺れていた。
「第一……
「………むぅ、気付かれたか」
バツが悪そうな表情で首筋辺りの襟元を押さえるヨアヒム。
さっき近くに寄ったときにちらりとキスマークが見えたのと……あとは香水に女物が混ざっているような気がしたので勘付いた。
アンネが私用に持ってきた香水に似たようなものがあったのを覚えていたのだ。
私も順調に色々と染められているなー、と微妙な気持ちになってしまったがそれはさておいておこう。
悪戯が叱られた少年のような困り笑いの表情をこちらに向けてくるヨアヒムだが、生憎とそんな顔をしても私は絆されない。
「……不純な男だと思うか?」
「不埒だとは思いますがね。……まぁ、男ならしょうがないか、とも思いますけどね」
あんまり方々に手を出しすぎて刺されても知りませんよ、と私が言うと彼は降参したように手を挙げて溜息を吐いた。
「そうだな。モテる男は辛いんだ。何せあっちこっちの女性がオレを離してくれない」
「いい加減に身を固められては?」
「親戚や使用人にもよく言われるさ。ただ、中々『これぞ』という
「はいそこ、ちらちらと私に目配せしない」
やれやれ、と言いたげなヨアヒムが意味ありげな視線を私に向けて送ってくる。
彼に少しでも気がある女ならそれとなくこれに乗って自分をアピールしたりするのだろうか。
その「いやー、良い女の子が何処かにいないかなー。自分にぴったりの可愛い女の子がいないかなー」と言いたげなその態度を私は堂々とスルーしてやる。
なんだか、いよいよコントをしているような気分になってきたぞ。
「つれないな、リオは。少しは妬いてくれてもいいんだが?」
「妬くも何も……。明らかに遊んでいる人に対しては……ねぇ?」
「失礼な。オレは可愛い女の子にはいつだって真剣さ」
「真剣ならさっさと結婚でもすればいいでしょうに。どうせ相手には困らないでしょう?」
「一夜の情熱と永遠の愛はまた別ものさ。俺はいつでもその両方を探しているがな」
「一夜の情熱が、一夜の過ちからの炎上に発展しないように祈っていますよ」
「言葉だけでも、その気遣いが嬉しいな。ありがとう」
「はいはい」
いちいちコナをかけるような発言をしてくるヨアヒムを適当にあしらいながら、私は廊下を歩き始めた。
私の少し後ろにいた彼がニコニコと笑いながら歩き、エスコートするように一歩前に出た。
その辺りの態度……というか紳士然とした行動は軽口をたたきながらも健在のようだ。
そういうのが骨身に沁みついているのだろう。
ただでさえ顔がいいのにこれだと勘違いする女性も多いだろうに、なんてどうでもいい心配をしてしまう。
そんなこんながあって、それからしばらく後、適当な軽口を叩き合いながら私とヨアヒムは一緒に中庭で茶をしばくことになった。
一々こちらを
話は上手いし、下心はあっても嫌味は無いので普通に良い奴だと思うのだ。
私は彼の事を、こっちの世界で出来た初めての
姦しいメイド達、気の置けない屋敷の主人。
そんな人々に囲まれて、私の異世界生活はそれなりに平和な形で日々を送っていた。
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「…………」
ある日の夜、ぱちりと目が覚めた。
私にあてがわれた相変わらずの少女趣味な部屋。
天蓋付きベッドの向こう、レース付きのカーテンの奥から仄明るい月光が差し込んできている。
私が生きていた地球の現代とは違って街灯の一つもまともについていないこの世界では、夜の明かりと言えば星明りか月の光くらいのもので、窓の外はかなり暗い。
ましてや部屋の中に関しては何をか言わんや……という話だが、私の目はそれでも全く問題はなかった。
むしろ夜の暗さに目が急速に順応していき、部屋の内部を隅々まで見通せてしまう。
それだけではない。目を凝らせば天蓋から垂れるレースの生地の繊維も、壁際に置かれている調度品の木目の一本一本までも見えてしまいそうだった。
いや、視界だけではなく――――聞こえる音も、空気に漂う香りも、肌に触れる衣服の衣擦れまでもが――――過剰なほどに克明な情報となって周囲の情報を私の脳に叩き込んでくる。
「ふぅ…………」
一旦、目を閉じて眉間の辺りを揉みながら息を吐く。
自分を落ち着かせるように何度も息を吸っては吐いてを繰り返して、自分の感覚を落ち着かせていく。
この状態の正体はよくわかっている。
自分の体に宿っている感覚系・探知系のスキルだ。
『鷹の目』、『梟の耳』、『狼の鼻』等々のパッシブスキル……意図的に発動させるものではなく、常時発動するタイプのものが今の奇妙な感覚の正体だ。
……ゲームから世界が現実になった影響で、こうしたスキルが実際に自分の五感を強化する物として作用しているのは悩みの種だった。
ゲーム時代にはスキル一覧からチェックを外しておけば発動しないように設定できていたのだが、今ではそう簡単にはいかないようで、何かのきっかけで不意に発動するようになっていた。
夜は特にそうなることが多い。多分、寝ている間に自分に危害を加えるものに対して一早く対応しようという肉体の防衛反応なのだと思う。
睡眠中という無防備な状態だからこそ、周囲の異常を無意識下で拾い集めて対処しようとしている……という所だろうか。
まるで鼠のようだな、と自嘲する。
おかげで最近、微妙に寝不足が続いている。
「ふぁ……」
あくびは出るが、頭はむしろ冴えてしまっていた。
また寝入ることができるまでしばらくかかるかもしれない。
私は暫し布団の中でゴロゴロした後、身を起こした。
私が体を起こしてベッドから抜け出ると、それに合わせて寝巻のネグリジェの裾が翻った。
スリッパを履いて、カーディガンを上から羽織る。カーディガンに巻き込まれた髪をかき上げるように引っ張り出すとふわりと絹糸を散らすように暗闇の中で髪が靡いた。
髪の毛が長いとこういう時に大変だな。少し慣れてはきたのだが。
部屋の外に出ると、心なしかひんやりとした空気が廊下に満ちていた。この季節はまだ夜になると肌寒いようだ。
昼は明るい日差しを取り入れている窓も、今は冷え冷えとした月明りを屋内に取り込んでおり、どことなく寒々しく見えた。
その廊下を進む私の足取りはひっそりとしたものだった。
床面にカーペットが敷いてあることを差し引いても、足音の一つも立たないのは驚きだった。
これに関しては多分、
まるで自分が透明になったような感覚で、こそこそというよりはひっそりと無人の廊下を歩いていく。
「…………」
私は無言のまま廊下を歩きながら、もう一度試しに探知系スキルを発動させた。
寝ている間のように勝手に発動するのではなく、自分の意志で、意図的に操作するように。
歩いている自分の体に触れる空気の流れが、薄銀色の月明りの隙間を縫う暗闇が、自分の纏う衣服の衣擦れの音が、急に鮮明な感覚となって脳内に溢れかえる。
望遠鏡のように遠く、顕微鏡のように細密に、広角レンズのように広い視野が広がっていく。その世界を僅かな空気の音や香り、肌に触れる感触が極彩色に彩っていく。
暗く、無音のはずの夜の闇の廊下、その光景の鮮明さと鮮やかさはいっそ吐き気を催すほどだ。
「…………っ……」
私は喉奥で唾を飲み込みながら、その感覚を抑え込もうと必死になっていた。
感覚・探知系のスキルは有用なものだ。これを使いこなせば多くのメリットがある。
実際ゲーム時代はその恩恵を存分に享受していた。
だが、今はその強力さが仇となっておりまともに扱うことができない。
大量の情報を叩き込まれてオーバーフローしそうになっている頭で必死になって、その過剰な感覚を押さえこもうと努力する。
だが実際にどのようにすれば感覚を制御できるのかという感触は一向に掴めなかった。
結局、埃の臭いで吐き気を催し始めた辺りでスキルを全てシャットダウンした。
異様なほどにくっきりとしていた視界と情報の津波はそれで鳴りを潜め、薄暗い無音の廊下の風景が戻ってきた。
はぁ、と小さく溜息を吐く。
夜中の無人の場所で使ってこの体たらくである。
日常で使用できるのは一体いつの日になることやら。
「くそう……」
ひっそりと悪態を吐きながら、私は大人しく廊下を進み始めた。
目的地は厨房だ。ショットグラス一杯分程度ならお酒を拝借しても問題はなかろう。
……大体ここの屋敷の人達が私の事を未成年だと勘違いしているのがよくない。
そのせいで夕食にもビールの一杯も出てこないので微妙にフラストレーションが溜まっている。
いや、食事の質に文句はないし、こうやってコソコソとお酒を取りに行っている盗人まがいの行為に罪悪感が湧かないでもないが……。
取り敢えず、今夜はお酒を小杯分でいいのでちょっと貰って、それを飲んで寝ようと思う。
そんなことを考えながら夜の屋敷を歩いていて、ふと気に留まったものがあった。
最近ようやく慣れ始めた屋敷の間取り図を脳内に展開して自分がどこにいるかを確認する。
「……そういえば」
そういえば、自分が今立っているこの廊下の曲がり角を別方向に進めばヨアヒムの寝室があったように思う。
スリッパの足裏で足踏みしてパタパタパタ……、と音を立てながらしばし逡巡し――――私はヨアヒムの部屋の方へと脚を向けた。
ずばり、夜這いである。
いや、違う。冗談だ。本気にしないで欲しい。
どうせなら家主に直接お酒の無心に行こうとそう思っただけである。
貴族として高い地位にある彼の事だから、自分の部屋にはいいお酒を仕舞ってあるに違いないという確信があった。
ついでに直談判して私用の夕食に、これからはお酒を出してくれるように頼めれば万々歳である。
まぁ、そういった交渉も当人がまだ起きていればという話だが――――幸いにも彼の部屋のドアからは微かな橙色の明かりが漏れていた。
運よく起床中の様だった。
ただ――――なんとなく、今すぐにノックして部屋に入るのは躊躇われた。
なんとなく。そう『なんとなく』である。
いわゆる虫の知らせ、という奴だろうか。
この扉というか、この扉の奥――――部屋の中に違和感を覚えるのだ。
その違和感は何なのかと意識を向けた瞬間、またも自分の感覚が先鋭化していくのを感じた。
先ほども体験した、感覚系スキルの発動する感触だった。
急速に周囲の情報を、種類問わず大量にかき集めてくる自分の感覚を宥めながら顔を顰めていると、部屋の中の違和感の正体に気が付いた。
ヨアヒムの部屋の中から気配がする。それも二人分だ。
一人は部屋の主である彼のものだと見当がつくのだが、それではもう一人はいったい何者なのだろうか?
「…………」
気分が悪くなる前に感覚スキルを停止させて、暫しの間悩む。
ここは踵を返して立ち去るべきではないのか、とも思う。
だが――――それ以上に好奇心が刺激されてしまっていた。
隠形スキルの効果で気付かれる可能性は低いだろう、という考えもそれを後押しした。
そして私は――――そろそろと足音を消して部屋の扉へと近づき、おあつらえ向きに覗き穴になりそうな鍵穴に近づいて中を拝見させてもらうことにした。
鍵は全て生態認証が当たり前の