「うぁー……極楽極楽……。…………とはいかないかぁ……」
はぁ、と溜息を一つ吐く。
なんとも憂鬱な自分の吐息が部屋に反響する。
座り込んだ状態で、背後の壁――もとい縁に背中を預けると、ちゃぷん、と水音が微かに響いた。
水音。
そう、つまり私の体は現在多量の水――――もといお湯に浸かっている状態にある。
要するに入浴中だった。
しかしながらこの屋敷――もといこの国、この文化圏における風呂文化は私が知るそれとは若干趣が異なるものだった。
雑に言ってしまえばでかい桶の中にお湯を流し込んで、そこに浸かるというだけのかなり
私から見ればそれだけかぁ、と言いたくなるような単純さだが、この国では体の汚れを落とすのにお湯に浸したタオルで体を拭いたり、軽く水浴びしたりといった程度の事しかやらないので、風呂周りはこんなものらしい。
つまり、一日の終わりに熱い風呂に浸かって汗を流し、疲れを流すという意識がないのである。
私が今現在浸かっているバスタブは良く磨かれた大理石の本体に煌びやかな装飾が施され、湯の表面に良い香りのする花を散らした豪華な造りになっている。
客人用の
「こっちで風呂文化が発達してるのはどの辺りだっけ……セプテモールだろうなぁ、やっぱり……」
確かあの国はローマ帝国がモチーフになっていた国だったはずだ。
そして史実におけるローマがそうだったように、あの国も街中にいくつも公衆浴場やら銭湯やらがあったはずだ。
ゲーム時代の効果は風呂に入ると、
街中で戦闘になることはあまり多くないのであくまでお遊び要素だったのだが、現実になってからは意味が全く違ったものになっている。
人間生きているのだ。
体だって汚れるし、汚れたら風呂に入りたくなるのが
――特に日本人にとっては。
「はぁ……」
自分の体温と外気に触れて生ぬるくなったお湯の中から手を引き上げて目の前に翳す。
白くて細くて華奢な、少女の腕。
今の自分の、離れえない肉体。
何度か掌を握ったり開いたりを繰り返し、そこに動きの齟齬がないのを確認する。
かつてこの世界がゲームの時代であったころに感じていた、着ぐるみ越しに体を動かしているような、あるいは薄い板越しに物に触れているような――
……もうこの体にも随分慣れてきている。
目線の低さにも、手足の細さや歩幅の小ささにも。
――――もう、以前の
「いや、流石にそれはまだないか……」
ゆらゆらと揺らめく、透明な水面越しに見える自分の裸身を見下ろして呟く。
まだまだ、自分の裸を直視することには慣れない。
慎ましやかに存在を主張している胸元の乳房やら、股間当たりに僅かに見える産毛やら、男にはない腰回りから太腿にかけての瑞々しい曲線やら……。
「……うぅ……」
そして――――お湯の熱に晒されて火照った
白い肌に、熱を帯びた朱色。その表面を彩る艶めかしい汗の滴。温かく仄かに明るい照明と、揺らめく人影……。
「あー、やめやめ……」
ぶんぶんと頭を振ってそのイメージを追い出す。煩悩退散煩悩退散。
ただでさえ覗き見の罪悪感やら知ってしまった衝撃の事実やらで、
しかし、忘れよう忘れようと、意識しまい意識しまいと、そう考えれば考えるほどに余計にイメージがこびりついて離れない辺り、人間の脳というのは兎角不自由なものであった。
ばしゃり、と両手でお湯を掬って軽く顔に掛ける。
少々荒っぽく顔面を濯いで、汚れごと余計な考えを洗い流す。
こういうことしてると、またアンネ辺りに叱られてしまうかな、「お顔をそんなに荒っぽく擦ってはいけません!」だとか。
なんて思いながら浴室の脇の壁際の棚に置いてある石鹸類に手を伸ばす。
ずっと入っているとお湯も冷めていくので体を洗って早い所出た方が良いな、などと考えていると――――いきなり浴室の扉が大きな音を立てて開かれた。
「お肌を粗末に扱う美少女の気配を感じて小人メイドが即・参・上!!さぁ、リオちゃん!!お姉さんが髪の毛の先から足の指先まで綺麗にしてあげるわ!!それはもうピッカピカに!!」
「Oh…」
ドジャアァン、という派手な
噂をすれば影、噂をすればメイド。
いつものように矢鱈と生き生きした笑顔を浮かべた
シャンプーやらリンスやらコンディショナーやらタオルやらを両手に一杯携えたその姿は完全に臨戦態勢に入っていた。
ついでに、彼女の背後の脱衣所では数人のメイド達がものすごくそわそわ、あるいはうずうずした表情でバスタオルや櫛や着替えを手に持って待ち構えていた。
いかん。暢気に風呂に入っていたら飢えた野獣たちに取り囲まれていたようだ。
「お、お手柔らかに……」
既に慣れ親しんだメイド達の暴走に私は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
******
その後、滅茶苦茶ご奉仕された。
……というようなナレーションを挟みつつ、私はようやくメイド達のご奉仕責めから解放された。
アンネによる私の体の丸洗いから始まり、体を拭くのも、髪を乾かすのも、服を着るのも全て見事な連携でメイドさん達がこなしていくのは(自分が対象でなければ)惚れ惚れする手際だっただろう。
私の気分はラインで加工される工業製品のようだった。ちょっと
一応、これでもメイドさん達は自粛しているらしいというのだから恐れ入る。
以前にテオドラにこっぴどく叱られたようで、私に十人ほど群がっていたはずのメイドが最近は半分程度にまで減っていた。
ただ、根本的に減ったというわけではなく……顔ぶれが入れ替わっているのを見るに、ローテーションを組んでいるだけのようだが。
「でも、私はリオちゃんの専属だからいつでもリオちゃんのお世話ができるのよっ!いやー、お陰で皆から羨ましがられちゃってー……っ」
「そうですか……」
廊下を歩いている私の斜め後ろでアンネが実にいい笑顔を浮かべている。
努めてその視線を無視しつつ、耳にかかっている自分の髪を軽くかき上げる。
キチンと丁寧に洗い清められた髪の毛はするりと指通りが良く、廊下の照明に照らされて白金色の艶のある光沢を放っていた。
ついでにシャンプーとリンスと香油の良い香りもする。
なんだかんだで、アンネ達はいい仕事をしてくれるから文句を言えない。
……私の髪の毛が靡く様を見て「はぅん♡」と一人で悶絶しているのは努めて見ないふりをする。
こういうのが無ければ素直に感謝の一つも言えるのだが。
「……むぅ」
「どうかしたの?」
そんなことを考えていたら廊下の曲がり角の向こうから馴染み深い気配を拾う。
気配――。そういう漠然としたものを直感的に把握できてしまうようになっている自分自身に少々驚きつつ、私は渋い表情で足を止めるしかなかった。
私が急に立ち止まったことに怪訝な表情をアンネが見せる。
廊下の曲がり角で出くわしそうなこの一瞬のうちに取れる選択肢を頭の中で素早く吟味する。
隠れる?別の道に入る?
いやいや、いずれの行動も不自然極まりない。
そういうことをしていたらアンネに怪しまれる。
結局、どういう行動もとれず立ち止まっていたままの私の前に――――テオドラを伴ったヨアヒムが現れた。
「あー……、こ、こんばんは」
「こんばんは、リオ。……そうか見たところ風呂に入っていたようだな。綺麗好きなのはとても良いことだ」
コツコツ、と屋内用の履物で床を踏みしめながら、彼がとても自然な流れで私のところまでやってくる。
その顔に浮かんでいる表情はいつものように、女性好きのする甘い微笑みに悪童染みた稚気が混じったそれだった。
「いつも思うが君の髪はとても美しいな。風呂で手入れしてもらった分、更に艶が際立って見える。どのような冶金師でも、君のこれより美しい黄金は生み出せまい」
「そう、ですか」
「それに……良い香りがするな。早摘みの桃の様に、甘くそれでいて爽やかな……」
「…………」
私の髪を一房、指先で掬ってそう語るヨアヒムは相変わらず口の上手い男だった。
お気に入りの酒かあるいは花を品評するときのような、恍惚としつつもどこか安らぎを覚えているような、そんな彼の顔が私の目の前にある。
「えぇ、そうですね。でも顔が近すぎです、セクハラで訴えますよ」……という具合の皮肉交じりの憎まれ口が喉元まで出かかっている。
だが、それを直接口に出す前に私の舌は固まってしまっていた。
あぁ、まったくもっていつもの調子ではない。
「ちょっ……、顔が近いです……っ」
「おっと、悪いな」
結局若干どもり気味にそう言うしかなかった。
私がそう抗議すると彼はやはり悪戯っぽい表情を浮かべてから、私の頬を一撫でしてから退いた。
頬の肌艶も良いな、なんて言葉を残しながら。
「しかし風呂か……オレはいつもは朝に入る主義なんだが、寝る前に入ってみるのもいいかもしれん」
「ご指示を戴ければ伯爵様のご入浴の準備をさせていただきますが」
「そうだな、考えておこう。……それじゃあな、リオ。良い夜を」
「……えぇ、そちらこそ。おやすみなさい」
私にひらひらと手を振りながら、テオドラと一緒にヨアヒムが立ち去っていく。
廊下の奥の方に消えていく二人の背中を複雑な気分で見送りながら、私は先程触れられた頬を無意識のうちに自分でも撫でていた。
指先に触れる頬の肌は嫌に熱い気がした。
いや、正直に言おう。かなり赤くなっているに違いない。
…………しょうがないだろう!!
最近ヨアヒムとテオドラを見る度に、あの晩覗いた二人の激しい
ヨアヒムのいつもの軽口も、ベッドの上でテオドラにああいうこと囁いてるんだろうなーとか、そういうことを考えると……もう、うぉぅ……、という気分になってしまうのだ。
「…………っ……」
私の髪や頬を撫でる指先だって……あの指でテオドラの体をまさぐって喘がせていたんだなー、と思うと硬直するしかないというか……。
……というか今になって思うけど、ひょっとしてあぁいう感じで触れられるということは私もひょっとしてヨアヒムから
……だとすると、ヤバくないか?
なんというか……語彙力が死んでいる気がするが、ヤバくないか?
頼みます、テオドラさん。伯爵とねんごろな関係にあるのでしたら、彼を止めてあげてください。
以前、彼に女に手を出しすぎて身を滅ぼさないようにと批判しましたが、このままでは彼を滅ぼすのは私になりそうです。
彼に貞操を狙われたら私は何するかわかりません。勢いあまって矢で刺すくらいはやりかねません。
私はまだ男に好意を迫られて軽くあしらえるほどの女子力は身に付けられておりません……。
……ていうかテオドラさんもなんなんだ……。ベッドの上であんなにあんあん喘いでいた癖に、翌朝にはけろっとしたいつもの無表情に戻ってるし……。
もうあの二人をまともな目で見れないぞ、私は……。
「……はぁ、彼には困ったものですよね、アンネさん」
「…………」
「アンネさん?」
しばらく赤い頬を押さえながら思考の海に沈んでいた私は、溜息を一つ吐いて現実に立ち戻った。
さっさと自分も部屋に戻ろう、と後ろのアンネに声をかけたが……何やら彼女の様子がおかしい。
具体的には反応がない。
「……アンネさーん?」
「………っ!…………っ!!」
私がもう一度声をかけて軽く肩を叩いても返事がない。
しかし何やら彼女は俯いてプルプルと肩を震わせていた。
一体何があったのだろうか?急に気分でも悪くなったのか?
「―――――――――っっっ!!!!」
怪訝に思っていると、突如彼女は両腕を振りあげながら天を仰ぎ、声にならない叫び声を上げた。
そのまま振り下ろされた両腕は、がっしぃぃ!!と痛いほど力強く私の肩を掴んだ。
私をまっすぐに見つめてくる彼女の目は若干……いや、かなり据わっていた。
あ、これあかん奴や。
「……………リオちゃん」
「は、はい?」
「リオちゃん……っ!!!!」
「な、なんでしょうかっ!?」
地の底から吹き上がってくるマグマのような、恐るべき熱量をその体から迸らせつつ――――アンネは凶暴な笑みで親指をグッと立てた。
「――――応援するわっ!!!!」
「……………………」
…………………………………………何を?
疑問符の連打で頭がフリーズしている私を尻目に、アンネはその場でくるくるとメイド服の裾を華麗に翻して踊り狂っていた。
大丈夫なんだろうか彼女は?
「えぇ、そうね……っ!!大丈夫よ、全部私に、いいえ、私達に任せておきなさい……っ!!全身全霊粉骨砕身の覚悟でリオちゃんをサポートするわよ……っ!!うふふ……あはは……っ!!」
「あ、アンネさーん……」
どうやらヤバい領域にトリップしてしているようだった。
どんな薬をキめたのかしらないが、このままでは困る。
私が恐る恐る声をかけると、彼女はアクロバティックに仰け反りながらぐりん、とこちらに振り向いた。ちょっとどころではなくホラーだった。
「……そうね……ちょうどいいタイミングで催し物があったわね……。丁度いい機会だわ……っ!!そこで伯爵様を堕としちゃいましょう!!」
「…………お、堕とすって」
「大丈夫、私達は全力で応援するわ!!」
………………………………………………………………。
まずい。変な方向に私の態度を誤解されている……。
******
実を言うと、丁度ヨアヒムからパーティの誘いが来ていたのだ。
この場合のパーティとはダンジョンやフィールド攻略のためにチームを組むというものではなくて……純粋に客人と一緒に飲んだり食べたりをする、という類のパーティである。
「どういうパーティかって?何、ちょっとしたホームパーティのようなものだ。イルマートの街の有力者やオレの知り合いを招いて会食をしたり、軽くダンスをしたりといった程度のものさ。あまり大仰に考えなくてもいい」
え、なにそれダンスとかあるの?それって十分に大仰じゃない?
っていうか伯爵家が主催のパーティというだけで集まる人たちもそれなり以上に立場のある人たちが来るのではないのか……?
この話を切り出されたとき、内心は即座に断りたかった。
ただ、即答で拒否するのも感じが悪いか……と思った私は、一旦保留という扱いにして、また後日改めて丁重に断ろうと思っていたのだ。
そして私は今現在、その場で断らなかったことを後悔している。
「どうしてこうなった……」
ぼそり、と呟いた私のセリフは空しく虚空に消えた。
私の言葉を聞き届けてくれる人間はどうやらこの場にはいないようだった。
日にちはトントンと進んでパーティの当日。
お屋敷では使用人たちがパタパタと準備に追われている気配が周囲から漂ってきている。
馬車で乗り付ける客人たちの出迎えと接待。会場のセッティングやら、出される晩餐の用意。
伯爵家の
これの何処が『気楽なパーティ』なのか声を大にして言いたい。
「でもこれくらいなら、お屋敷で行われるパーティでも地味な方ですよねー」
「そうそう。公爵家や王家の方々をお呼びしたりするわけでもないし、何かしらの記念日でもないし、冠婚葬祭でもないからね」
「そうよねぇ、何かお題目があるわけでもないから……適当に呑んで食べておしゃべりしてってだけでしょう?」
「料理長が春の苺をたくさん仕入れたって言ってたわよ。余ったら賄いで出してくれるって」
「えぇーっ、本当!?楽しみ!!……あぁー、でも多分残んないだろうなぁー……。リオちゃーん、私達の分まで楽しんできてねー」
「あ、はい……」
私の緊張をよそにメイドさんたちの態度は普段と変わらずだった。
確かに忙しいと言えば忙しいのだろうが、それで緊張するようなことは無く、まったくいつもの仕事の延長線上の事なのだろう。
きゃあきゃあ、と雑談しながら彼女らはテキパキと自らの仕事をこなしている――――具体的には、私の着付けを。
「オーケーオーケー、いい感じね。カクテルドレスかイブニングドレスかで、ものっすごく悩んだけど今回みたいな気楽な集まりならカクテルドレスよね……!!」
「あぁ、でもイブニングドレスのデザイン案も素敵だったんですけどね。不採用だったのが悔しいです。うぅん、でもまた別の機会に……」
「裾の丈はこれで大丈夫?…………よーし、堅苦しくなりすぎず、子供っぽくなりすぎず…………よーしよしよし……」
「はぁはぁ……髪の毛もセット完了……。あぁ、すごい手触りでした……シルクみたい……すべすべ……うへへぇ……」
「ねぇ、ちょっとー。アクセサリーはどうしたのーっ?まさかこの期に及んでまだ決められないとか言わないわよねっ!?」
「待って、ちょ待って。実物を前にすると新しいインスピレーションが湧いてきそうでグガギギガゴゴゴ……」
「ちょっと目を閉じてて頂戴ね。お化粧の時間よ」
パーティ出席者用に整えられているこの化粧室には、いつものように私の世話を焼きたがる物好きなメイドさんたちが詰めており、もはや好例と言えるほどに姦しく私の準備に奔走している。
他の使用人の人達の手伝いは良いんですか、と聞いてみたら自分達の仕事は速攻で終わらせたのでこっちに専念するらしい。
一体何が彼女らの熱意をこうまでして駆り立てるのであろうか。
私にはさっぱりわからない。
「それはそうでしょう?女の子はみんな可愛いものとか、綺麗なものが好きなのよ。誰だってね」
「……可愛いもの、綺麗なものですか」
「そうそう。だから私達はみーんな、こうやってリオちゃんを着せ替えて遊……じゃなくて着付けたり、着飾ったりするのが大好きなの」
心の中で戸惑ったり溜息を吐いていたりすると、「ほら見てみて」とアンネから声をかけられる。
私が目を開けると、そこには鏡が立てかけられていた。
大きな姿見の中から自分を見返しているのは、メイド達の手によってすっかり着飾られた私の姿だった。
着せられているのは上品な
トップスは鎖骨回りと肩回りを露出するように
腰回りは下に着ているコルセットで締め付けていることで絞られており、ドレス自体が体にフィットするデザインなこともあり、細い体の
スカートの丈はふくらはぎの半ばまであり、裾周りの襞飾りは青系統の色を使った控えめのデザインだった。
ネックレスやイヤリングは銀をベースに、深い青色のサファイヤをあしらったものを。
いつもは腰まで流していた髪の毛は後頭部の辺りで結い上げて、細かく編み込みを入れている。
両手にはシルクとレースで作られた、ドレスとお揃いの長い
化粧はいつもよりもかなり気合が入っているというか……やや方向性が違うように感じる。
リップはやや赤みが強めの色を選んでいるし、
全体的に顔立ちをはっきりさせて締まった印象を与えるような感じだ。
「ふぅ、如何でしょう。題して『お転婆お嬢様、初めての社交パーティ背伸び風味』っ!!」
「リオちゃんは元から可愛い半分、綺麗半分の絶妙なバランスだったけど……今回のお化粧は思い切って綺麗よりにしてみたわ。でもあんまり濃すぎると似合わないから、可愛い感をしっかり生かしつつ大人っぽさを出すにはまさに薄氷を踏むようなバランスで…………」
「ドレスの色も結構悩んだのよねー。今のに落ち着くまで殴り合いになる寸前だったわ」
「ほら、言ったでしょ。初めてのドレスなんだから清楚な白がベストだって。……あぁ、眩しいっ!目が目がぁ……っ!!」
「後は、最後にこれを付けて……はい、完成!」
最後にアンネが私に付けたのは青い薔薇のコサージュだった。
私が昔から愛用している『奇跡の青薔薇』を加工した髪飾り。
個人的にはお馴染みのこれを側頭部に付けて、これで全部らしい。
「……」
薔薇の髪飾りはレースなどを追加であしらわれて、以前よりもずっと華やかなデザインになっていた。
これ単体で見れば少し派手すぎるかと思ったが、鏡の中で自分の髪に添えられた飾りは不思議と浮くことなく全体の中で調和していた。
多分、それにつり合う程度に自分の全身が華やかに仕立てられているからだろう。
「どう?綺麗でしょう?」
鏡の中、自分の横に立っているアンネとメイド達が誇らしげな表情を浮かべている。
その中心に立っている自分の姿は――――あぁ、そうだ。彼女らの言うとおりだった。
「――――すごいですね。綺麗です。……我が事ながら」
既に見慣れたはずの
でも鏡の中にいる
少し大人びたデザインの白いドレスとくっきりと顔立ちを浮かばせる化粧。
トップスのデザインと髪型のせいで、普段は目に触れない首筋や鎖骨回りが大きく見えている。
本当に鏡の中にいるのが自分なのだろうかと、何処か半信半疑で手を挙げて、軽く頬に触れる。
鏡の中に映る、華麗なドレスを着た少女が同じように頬に手を触れて、そこでようやく
――――あぁ、もう。なんというか、結構こっぱずかしいのだけど――、
本当に、みんないい仕事をしてくれたものだった。
少なくとも自分一人ではこういうドレスを選んだり、化粧をしたりという発想は出てこない。
「ありがとうございます。何だか、自分の知らない自分になったみたいです」
そう、思ったままの言葉を口にする。
それは自然と感謝の言葉になっていた。
私の言葉を聞いたメイド達は感極まったのか「いぇーい」と叫んでハイタッチを交わしていた。
元気いいなぁ、みんな。
「よしよし、我ながら見事な采配ね。大丈夫よ、リオちゃん!!これならいつもの可愛い系とは一味違う女の色気で伯爵様も
「いえ、アンネさん。私はその、そういうのではなくてですね……」
「恥ずかしがらなくていいわ。恋っていうのはそういうものよね。大丈夫よ、ちゃんと理解しているわ」
「…………」
理解してません。完全に誤解です。
どうやら私がここ最近ヨアヒムに対する態度が不審なのと、この前顔を赤くしていたのを見て、アンネは致命的な勘違いを犯してしまったらしい。
恋のキューピッドめいた使命に(勝手に)目覚めたアンネは、私のパーティ参加を強引に決めて、あれよあれよとメイド達を抱き込んでこうして準備を整えてしまったのである。
本当、どうしてこうなった……。
その後、相変わらず姦しいメイド達に送り出された私は、アンネに付き添われて化粧室の外に出ることになった。
アンネの話によると、既にパーティの準備は粗方終わっているようで後は
そして私は
……待て、どうしてそうなった。
そんな話は聞いていないぞ。
「つい先ほど伯爵様に打診してオッケーを貰えたわ。ちゃんとエスコートしてもらってね」
サムズアップしてドヤ顔をかましてくるアンネ。
根回しの手際がいいなぁ。頼んでないんだけどそういうの。
「自信持って、胸を張って歩けば大丈夫よ。伯爵様はそりゃ『ザ・貴族』みたいな凄い格好いい御方だけど……今夜のリオちゃんはそれに負けないくらいにお姫様よ」
私が微妙な顔をしているのをどういう風に解釈したのか、アンネはとても誇らしそうな笑顔で激励の言葉を贈ってくれた。
根本的に勘違いしているが本人には悪気がないので、私はどうしたものかと内心で頭を抱えた。
でもまぁ、お姫様……か。
そう言われてあんまり悪い気はしない、かな。
そうこうしているうちに私達は屋敷の中の一室に辿り着いた。
パーティ会場に隣接する部屋、その中の
部屋に据え付けられた漆塗りの木製の扉を開くと、そこには既にヨアヒムが待っていた。
「おう、来てくれたみたいだなリオ。実のところ君が出席してくれることを、オレはとても嬉しく――――、」
部屋の真ん中で手持ち無沙汰に立っていたらしき彼は、こちらに振り返るなり、いつもの笑顔でこちらを出迎えて――――そのまま一瞬固まった。
一瞬。たかがされど一瞬。
私が違和感を覚えるのはそれで十分だった。
「な、何か変でしょうか……」
真っ先に思い至ったのが今の自分の服装だった。
ひょ、ひょっとしてヨアヒムの美的感覚からすれば似合ってなかっただろうか?
いつもは自分、フリルの多い――言ってしまえばロリータ系の服を着てることが多いからなぁ。
今着ているドレスはもしかすると、今までのイメージから離れたせいで変な風に見えているのかもしれない。
そう思うと、アンネに『お姫様』と言われて舞い上がっていた自分が少し恥ずかしいような気になってきた。ちょっと頬が熱い。
大きく露出している首周りや肩周りが心許なく感じて、自分の手で肩を抱いた。
「――――いいや。いいや、そんなことは無い。君はとても美しい。見違えた。見惚れてしまったあまり、称賛の言葉が出てこずに言葉に詰まるなどオレにとっても初めての経験だった」
不安に駆られている私に掛けられたのは、毅然としたヨアヒムの声だった。
顔を上げると彼はとても真剣な表情で私の目を覗き込んでいた。
「そのことが君の事を不安にさせてしまったのなら、心から謝罪しよう。そして重ねて言おう。今夜の君はとても美しい」
「あ、ありがとうございます。こういうドレスを着るのは初めてでして、自分でも気分が不安定になっていると言いますか……」
「慣れていないのなら仕方ないな。……どうせなら毎日そういったドレスを着てくれてもいいぞ。きっと君ならどんな仕立てでも似合うだろう」
「いえ、それは勘弁してください……」
ヨアヒムが私の手を握って熱っぽい表情で囁いてくる。
ふわりと鼻に香るのは男性用のコロンだろうか。
普段よりもフォーマルなワインレッドのシャツと黒いジャケットを着こみ、整髪料で赤い髪を纏めたヨアヒムはいつもよりも格好の良い出で立ちだった。
こういう風にバッチリ決めた服装で、こういう風に熱を込めて容姿をべた褒めされたら女性にはたまらんものがあるんだろうなぁ、と思う。
というか事実、私も面映ゆいものがある。
自分でも今の自分は綺麗だと思っていたし、メイド達のお墨付きでもあるが、それをこうして初見の第三者にも認めてもらって褒めて貰えるというのは……まぁ、悪い気はしない。
というかヨアヒム。ちょっと顔が近いぞ。
色々と困る。
「伯爵様、リオ様。準備が整いましたでしょうか」
「おっと、そろそろ時間か。
突然湧いてきたように声を掛けてきたのは、今まで気配を絶って部屋の隅に待機していたテオドラだった。
今までその存在に気付いていなかった私がびくっ、と驚いているのを尻目にヨアヒムはパーティ会場に続く扉に目を向けた。
そして、黙って私の方に肘を差し出し、にこりと微笑みを向けた。
「……」
一応今日までに軽くパーティの作法については学んできた。
なので、これが女性のエスコートをする男性の所作だと知っている。
私は軽く深呼吸するように息を吐いてから、彼の腕に自分の手を絡めた。
「緊張しているか?」
「……少し」
そう尋ねられて、誤魔化すことなく頷いた。
いや、本当は少しどころでなく、大いに緊張しているのだが。
こちとらこういうフォーマルな装いのパーティは初めての事なのだ。
皆気楽にしているようだが、そっちの感覚の方がこっちにはわからない。
もう間もなく始まると思うと、どっくんどっくんと心臓の音が喧しい。
「大丈夫だ、オレが付いている」
「……」
そう言って彼が空いている方の手で、私の頬を軽く撫でる。
いつぞやの風呂上がりの夜に頬を撫でられて、変に彼を意識してしまったことを思い出す。
そしてあの時と同じく、彼の貌にはいつものような悪戯気な微笑みが浮かんでいる。
その表情を見て、どことなく安心した気持ちになる自分がいた。
「……まぁ、そうですね。いざという時はぎゅっとしがみついて、クラートフ伯爵様が幼女趣味に走ったなんて噂を立ててあげましょう」
「それは困るな。こんなに美しい一人前の
「はいはい。相変わらず口が達者なことで」
「本心からの言葉だからな。口も軽くなるさ」
だから、なるべくいつものような軽口を叩いて見せる。
未だに緊張は続いているが、それでもお陰で少しは気分がマシになった。
適当な雑談をしていると、テオドラがヨアヒムに目配せをして扉を開ける合図をしてくる。
それに彼が頷くとともにパーティ会場の扉が開いていく。
私はなるべく不格好に見えないように背筋を伸ばし、前を向いて――――ヨアヒムの腕を握る手に力を込めたのだった。