――――やってられんわ。
パーティ開始からおよそ三十分弱での私の感想がこれだった。
最初の内はまだ頑張ろうという気にはなっていた。
内心ではガチガチに緊張しているのを隠すように、予めメイド達からレクチャーを受けたように笑顔を作って頑張っていた。
なにせ、今回の
私はこれでも一応義理堅い人間だと自負しているのだ。
ただ開会宣言の後、ヨアヒムのところに挨拶に来た出席者たちがぞろぞろと群がってきたのは、正直内心で呻いた。
いや、わかってはいるのだ。こういうパーティでは顔を繋いで人脈を作るのが出席者側にとって参加する大きな理由になる。むしろ、主催者である伯爵に一度の挨拶も無しに食事や歓談にかまけることは失礼にあたるだろう。
というわけで挨拶にやってくる地元の有力者や近隣に領地を持っている貴族達がずらっとヨアヒム……とその横にいる私の前に順番待ちの列を作っていた。
アイドルの握手会か何かか?と思わず頭の中でツッコミを入れてしまいたくなる光景だった。
ヨアヒムは手慣れたように二言三言、にこやかに言葉を交わしてあしらっていたが、当然私にはそんな芸当は無理である。
容姿や衣装を褒められたり、出自や血縁を聞かれたり、伯爵との関係を尋ねられたりするたびにどう返したらいいのかわからず、「あー」とか「うー」とか呻くだけにとどまった。
無論、そういう時にはヨアヒムが「彼女はこういう場には不慣れで……」などとうまくフォローをしてくれてが、正直なところいたたまれなかった。
情けなくて思わず赤面ものだ。
列が途切れたところで一息つくことができたので、ようやく食事にありつくことができた。
今夜は豪勢な食事が出ると分かっていたので意図的に昼食と
いつもより料理長たちが腕によりをかけたのだろう見栄えからして美味しそうな料理を、今回は給仕に徹している顔なじみの使用人たちに皿へとよそって貰っていただいていた……のだが。
ここで心労の種の第二弾である。
食事中の私の方へとやってきたのはパーティ出席者の女性陣だった。
どうやら此処の伯爵領を中心とした地域の社交界で見かけた覚えがないので興味が湧いたとのことらしい。
……内心、先程の『アイドル握手会もどき』で辟易していた私は食事に専念していたかったが、渋々彼女らに応対することにしたが……正直この辺で逃げておけばよかったと思う。
今着ているドレスを褒められたのを皮切りに、ファッションを中心とした最近の流行の話だとかに話が移行した辺りで既に苦しくなってきた。
何せこの世界に私が転移してからほんの一月も経過していないし、そもそも中身は女性ですらないのでファッションやら流行やらにそれほど興味もない。
屋敷のメイド達が女子力指導と称して色々と教えてくれてはいたが、所詮は付け焼刃なので、本物の貴族・富裕層の女性陣の女子トークにはさっぱりついていけなかった。
こっちに話を振られると死ぬのが目に見えているので、極力質問を通して話題を他人に振って、自分以外の人間に喋らせる方向で場を切り抜ける。
内心で悲鳴を上げながら、パーティ会場の別のところにいるヨアヒムに目線を追って救援を求めた。
……が、あいつはこっちに目が合うとにこり、と笑みを作って楽し気に手を振るばかり。
あれは百パーセント善意の
いやいや、そんな「女子会楽しんでね!」みたいな顔されても困るんですけど!!
こっちは見てくれは女だけど、中身は男なんだぞ!!
工場のAI管理作業員のコミュニケーション能力を舐めているのか!!
そんな感じで伯爵とアイコンタクト(ただし
キャーキャー、と黄色い声を上げる女性陣からヨアヒムとの関係について根掘り葉掘り尋ねられる羽目になった。
……いつの時代、どこの世界でも男女の関係というものはゴシップの格好の題材らしい……。
だが――――その中に、
微笑みを浮かべながら雑談に興じて、楽し気にこちらに質問を振ってくるその表情の裏。
その奥から、どことなくドロッとした……粘つくような、不快なものを匂わせる女性が、何人かいる。
彼女らに注意を向けると、それに合わせて私の中で感覚が急速に研ぎ澄まされていくのがわかる。
視界が鮮明に色付き、音が明瞭になり、肌は大気の動きに触れ、鼻に幾重もの香りが薫る。
そしてその女達から感じるものに既視感を覚えて記憶を洗い出し、その正体に思い至った私は、思わず軽い吐き気を催した。
――――それは『悪意』の片鱗だった。
この世界での初めての日、私を襲ったあの山賊が全身に滾らせていたものと同じものだった。
巧妙に隠され、何倍にも希釈されていたが、そこには紛れもなく『悪意』の色彩が、音が、手触りが、臭いが存在していた。
あの日に直接触れた暴力の気配とはまた別種であれど同質の気配に、
足元が傾ぐような、頭がぐらつくような、気持ちの悪い不安定感。
そこにはないはずなのに、真っ赤な血糊と錆臭い血の匂いを幻視して思わず顔を顰めた。
連中の意識の向いている方向は私ともう一人――――ヨアヒムだった。
そして思い返してみれば、先程の挨拶の時にもわずかながら覚えのある顔がいた。
確か、ヨアヒムと握手や言葉を交わしてやたらと熱っぽい目線を向けていたのが彼女らだった。
気づかれないように、深く、深く、溜息を吐いた。
要は嫉妬だ。何てくだらない。
自分が懸想している相手の隣に私が立っていることが気に入らなかったという――――ただそれだけの話。
だが、ただそれだけの話でも一旦鼻についた悪意の臭いはどうしても気に障った。
だから冒頭の一言に戻るのだ。
「やってられんわ」
改めて口にする私の呟きを耳にする者は周囲には誰もいない。
誰もいない場所を選んで一人でいるのだから当然だが。
現在私がいるのはパーティ会場のある広間――――の外にある大窓を隔てたバルコニーである。
更にカーテンと窓枠と壁に遮られて死角に入っているため、会場の中にいる限りは私の存在に気付くことはできないだろう。
ここに逃げ込む際には隠形スキルを駆使していたので誰にも目撃はされていない。
これで、誰も寄ってくることは無いだろう。
あぁ、せいせいした。
バルコニーの柵に予め料理を盛った平皿を、落ちないように慎重に置いてからパクパクと食い始める。
さっきまではお喋りに神経を割きすぎて料理を味わう暇もなかったので、これでようやく心置きなく食べられる。
酒も既に
「…………少し冷えますけどね」
もっしゃもっしゃ、と料理長が腕を振るった料理を食いながら呟く。
現在の季節は春なので、日が落ちてからの気温は中々に低い。外に面したバルコニーでは夜風に吹かれるのも体感温度の低さに拍車をかける。
特に私の今着ているドレスは首周りから鎖骨に背中まで大きく開いているデザインなので猶更寒く感じた。
まぁ、良いだろう。
酒を飲んで酔いが回れば温かくもなるさ。
「………………」
一人でグラスを傾けつつ、中の会場の様子をちらりと伺う。
パーティ会場の方では煌びやかに着飾った人々がにこやかな笑みを浮かべながら、グラスに注がれた酒や皿に盛られた料理に舌鼓を打ちながら歓談している。
私があんなに神経をすり減らしていた行為をずっと続けていて、良くやるものだと感心する。
私は金輪際この手のパーティには参加しないぞ。
そしてそれとなく探ってみると、ヨアヒムの姿を見つけた。
仕立ての良いワインレッドのシャツに黒いジャケット。特徴的な艶のある赤毛は身間違えようもあるまい。
彼はいつの間にやら、周囲を女性に取り囲まれているようだった。
しかしここからでは流石に具体的な内容まではわからないものの、巧みなトークで場を沸かせているようだった。
彼が何かを口にするたびに周囲の女性陣からくすくすと笑いが漏れ、彼が微笑みかける度に幾人かの女性が頬を赤くしていた。
「…………」
私はその光景を特に何も言うまでも無く、ボーっと眺めていた。
ちびちびと口元に酒の入ったグラスを運び、手酌で空になった中身を注ぎ足しながら。
傍から見ているとなんとなく気が付くのだが、今現在ヨアヒムの周囲で女性陣がそれとなく話題を振ったり、目配せをし合いながら、彼の横に侍る
イメージとしてはバスケットボールのゾーンディフェンス。ゴールポスト周辺の位置取りのために微妙な
今のところ一番優位に立っているのは……ストロベリーブロンドの女性だろうか。多分二十歳手前くらいの年齢か?
彼女の顔を確認して「あぁ、」と内心で手を打つ。
確か彼女は……ヨアヒムの従妹だったか。私が現在寝泊まりしている部屋の、元の主だ。
私がメイド達からあてがわれている衣服の大部分は彼女が幼いころに着ていたもののおさがりだったと思う。
かと言ってあまり親近感は沸かない。
彼女は先程私を囲んでいた女性陣の中で嫉妬の臭いを漂わせていた女性の一人だったからだ。
私が彼女のおさがりの部屋や服を使っているのを知っていて、そこをきっかけに話題を作ろうとしていた―――――風に見えて、『自分の子供の頃の服がお似合いの私』を軽く蔑むような、そんな陰湿な空気を感じた。
……まぁ、今の彼女を見ていればそういうことも言いたくなるのかもしれない。
ヨアヒムの隣の位置を何とか確保して微笑みを浮かべる彼女は、メリハリのあるボディラインを強調する鮮やかな赤いドレスが良く似合っていた。
かつてあの少女趣味な部屋を使っていたとは思えないくらいに大人の
服飾は明るい赤系統を中心に纏めており、赤と黒を基調としたヨアヒムの正装に中々映えていた。
血縁ということで話も弾んでいるのだろうか、彼女とヨアヒムが会話を交わす頻度は高くなっており、他の女性陣はその間に割り込む隙を狙うばかりで後手に回っているようだった。
……まぁ、いいんじゃないのか。
お揃い、お似合いの二人で。
「……」
くるくる、とグラスの中で酒を回しながら、そう思う。
でも何故だろうか。
なんとなく。
そう――――なんとなく、面白くなかった。
ぴらり、と着ているドレスの裾を摘まんで、指先で生地を弄る。
折角、アンネやメイドさんたちが頑張って誂えてくれたドレスなのだが、なんだか今はとても勿体ない気がした。
最終的にこうやって誰の目にも届かない死角に隠れる羽目になるのなら、もっと適当な、雑な仕上がりのものでも良かったろうに。
……それに一番面白くないのはヨアヒムだ。
パーティの直前はあんなに私のドレスをベタ褒めした癖に、いざという時は笑って私を放り出していきやがった。
挙句の果てに今は他の女たちに愛想を振りまいている。
まったくもって気に食わない。このプレイボーイめ。
もう少しは私の事を気にかけてくれてもいいんじゃないのか。
お前にしてみれば私は多くいる友人知人の一人なのかもしれないけれど――――私の友人はこの場にはお前しかいないんだからな。
「…………ふん」
私はそこでパーティ会場から、バルコニーから見える夜の庭園に視線を移した。
屋内のシャンデリアの明かりに背を向けて、黙々とグラスを傾けて料理を摘まみ始める。
またグラスの中身が空になっていたので、ドバドバと注いではまた飲み干した。
……あぁ、何でだろうな。
結構なペースで飲んでいるはずなのに――――こんなに酔えないのは初めてだ。
******
「こんなところにいたのか、リオ。探したぞ」
「ん……」
皿の上を片付けて、調達し直してきた酒を一人でちびちびと飲みながら夜の庭を眺めていると背後から声をかけられる。
その声の主が誰かはわかっていたが……何となく振り向いて返事をしてやるのも癪だった。
「どうされたんですか?パーティの主催者がこんなところにいたらお客さんにとっても、何かと良くないでしょう」
「……何から何まで
夜の庭を眺めながら、視線を向けることなく背後の彼に言葉を返した。
彼はそのままコツコツと靴音を鳴らしながらバルコニーに歩を進め、私の隣に立って、一緒に夜の屋外に目を向けた。
「…………」
そして、暫く無言の時間が過ぎる。
耳に届く背後の会場の喧騒は何処か遠くに聞こえる。
私達二人しかいないバルコニーには、初春の冷え冷えとした夜気を孕んだ風が、植木の枝を靡かせるように吹く音が聞こえた。
少し肌寒いくらいの気温だが、ようやく
手の中のグラスを傾けて中身を口に含むと、蒸留酒特有の軽く焼くような熱さが喉を通り抜けて胃に落ちる。
ほぅ、と息を吐いて鼻に抜ける香りを楽しんでいると隣にいる彼が呟くように言った。
「……酒には強いのか」
「そうですね。……自分で思っていたよりは」
彼――ヨアヒムが視線を向けたのはバルコニーの端に転がされている空の瓶だった。
結局食事をしながら一人でワインを
これに追加でウィスキーをショットグラスに入れてストレートで飲んでいるが……これでようやく酔いが回ってきた自覚があるくらいだった。
……
推測だが、これはゲーム上での状態異常耐性が反映されているのではないかと思う。
『酩酊』はゲーム時代では状態異常の一種として処理されていたから、その手の耐性を持っていると今でもその影響で酒に酔いにくい体質になっているのではないだろうか。
だとすると、これから気持ちよく酔うのは難しそうだな。
「……すまないと思っている」
「何がですか」
私が物思いに耽っていると、またもやヨアヒムに声をかけられる。
なんとなくいつもよりも彼の話の切り出し方にキレがないような気がする。
どことなく、探り探りというべきか……煮え切らないというか……。
そういうのを感じ取ってしまったせいだろうか、返事をした自分の声音は、自分が思うよりもずっと刺々しく、突き放すような感じになってしまった。
「女性を宴の席で独りにしてしまうなど、紳士の名折れだ。君に不快な思いをさせてしまった……悔やんでも悔やみきれない」
「……良いですよ別に……」
……咄嗟にフォローするようなことを口にしてしまった。
放置されてあまり愉快な気分でなかったのは事実なのに。
ちらり、と隣に立つ彼の表情を伺ってみれば、彼自身の言葉のままに、慙愧の念に堪えかねるような苦渋の色が浮かんでいた。
……少し驚いた
私の知る彼は、いつも人好きのする笑顔を浮かべていたから。
「……良いんですよ、別に。実を言うと元からパーティに出るのは乗り気ではなかったんです。……でも、ほら、せっかくメイドさんたちがドレスを用意してくれてたみたいなので無駄にするのもどうかと思って……」
肝心なところはぼかしつつ、本当は出る気はなかったのだと伝える。
あぁ、でも、この言い訳は自分でしていて少し胸が痛むな。
折角綺麗なドレスを用意してくれたのに、こんな隅の方に引っ込んでいたら、結局意味がなかったじゃないか。
「そうか……そうだったのなら、少し残念だったな」
「残念?」
「このパーティは実を言うと、君のために企画したものだった」
「…………?」
どういうことだろうか。事情が読めない。
疑問を呈するように軽く首を傾げると、ヨアヒムは続きを話してくれた。
「オレは――――君が
「…………それで、このパーティを?」
「あぁ」
彼の
背後の会場から、窓越しにバルコニーへと差し込んでくる明かりが、彼の顔の上に複雑な陰影を形作っている。
彼の表情は変わらず、自分の選択を悔やむような苦いものだった。
それを見て、私が感じたのは申し訳なさだった。
先ほどまで滓のように溜まっていた不満は霧散霧消して、代わりに体の奥に穴をあけられたような空虚な気持ちが湧きあがってくる。
――――何せ、図星だったからだ。
私は確かに、
「……屋敷の外に新しい友人でも作ってくれれば外に出るきっかけになるんじゃないかと思ってな。先ほど何人かの女性たちと話をしているのを見て安心していたんだが――――うまくいかないものだな」
「実はいっぱいいっぱいでしたよ。会場に入る前は『オレが付いている』なんて言っていたのに、見捨てられたのかと思いました」
「本当にすまないと思っている。心から」
彼が申し訳なさそうに頭を下げる。
私は――それがいたたまれなくなって、顔を逸らしてしまった。
誤魔化すようにグラスに口を付けて、舐めるようにウィスキーを口に含んだ。
それでも、胸の奥の空虚感が消えてくれない。
「……なぁ、リオ。君はこの屋敷の客人で、オレはこの屋敷の主人だ。だからオレは君をもてなすものとして――――何より一人の紳士として、君の此処での生活がより良いものであって欲しいと心から願っている。その為にできることなら何でもしたいと思っている」
「……」
「だから教えて欲しい、リオ。――――君は、
「……」
宵闇が広がるばかりのバルコニーの正面の庭へと顔を向けながら、目線だけを動かして彼の表情を覗き見る。
彼はあくまでも真っ直ぐに、そして真剣な目で私を見据えていた。
私は何がしたいか?
「今は酔うまで美味い酒を飲んで、腹いっぱい美味いものを食べたいですね」――――などと言えればよかったのかもしれない。
ただ彼がそういう短絡的な意味での『したいこと』を尋ねているわけではないと、そんなことはわかっていた。
「…………」
あぁ、口の奥が渇くようだ。
舌が張り付いたように動かない。
頭の奥が痺れたように働かない。
それでも――――それでも、今は本心を口にしたいと思った。
自分が本当は何を求めているのか、目の前にいる彼に打ち明けたいと強く思った。
「何がしたいのかなんて――――そんなの、私にもわかりませんよ」
強張って動かない喉に鞭打って私はそう言った。
胸の内を、吐いて捨てるようにそう言い切った。
******
「何がしたいのかなんて――――そんなの、私にもわかりませんよ」
血反吐を吐くような、苦しみに満ちた表情でリオはそう言った。
大人びてめかしたその端整な顔立ちが憂いに歪む。
その表情を横から目にしているヨアヒムは、心の臓を締め付けられるような辛さを覚えた。
彼女にそのような表情をさせているのは間違いなく自分の責任だという自覚があったからである。
だが――それと同時に、少女の憂いの表情に美しさを見出している、場違いな己の存在も同時に自覚していた。
先ほどまで会場で言葉を交わしていたヨアヒムの従妹は、リオの事を『あの小さな女の子』、 『あの子供』などと呼称していた。
それが彼女のささやかな嫉妬の表れであると彼もよく理解していたし、それを知った上で場の空気を険悪なものとしないよう、時にユーモアを、時にウィットを織り交ぜて従妹を宥めたものだった。
だが無理もないだろう、とヨアヒムは心中で呟いた。
一目見ただけで、仮にも伯爵家に連なる貴族の女が嫉妬に囚われる。
それだけの美しさがリオという少女にはあったからだ。
元から愛らしさと美しさを奇跡的に融合させた人形のような見事な顔立ちをしていた。
それが普段とは一味違う大人びた化粧により、蕾が芽吹いた瞬間を切り取った大輪の花のような麗しさを演出されていた。
この日のためにメイド達が誂えたのだろう特注のドレスは、華奢な体をぴったりと覆い、幼さを感じさせながらも確かに存在する女らしい体の
白磁の肌を見せる肩と鎖骨と背中。普段とは違う髪型から見える、金糸の髪に生える白いうなじ……。
普段の可愛らしさを前面に押し出した――――言ってしまえば子供っぽい服装をよく見知っている分、ヨアヒムは今夜初めて目にしたリオという少女の中の
心の中で何処か子ども扱いしていた『少女』を、『
そして、今浮かべている苦しみと憂いの表情も、それ故に美しかった。
遠く自らの心の内を覗き込んでいるような水色の瞳も、思い悩むように長い睫毛を震わせる瞼も。
今までのリオから見たことのないその
「……」
そして彼は、黙って自らの纏っていた黒いジャケットを脱ぎ、彼女の肩に羽織らせた。
本当は抱きしめてやりたいと思っていた。その細い肩に腕を回し、「安心して」と声をかけられたなら良かった。
だが、体を触れられることをあまり彼女が喜ぶことは無いだろうと知っていた彼にはこれが限度だった。
普段からからかうように行っていたスキンシップとは、今は状況が違う。
「……ありがとうございます」
突然上着を羽織らされたリオは小さな声で礼を言い、自らの肩ごと抱くようにジャケットの生地をぎゅっと握った。
ほのかに残る男の体温と微かな整髪料の香りが、あまり不快でないと感じることに戸惑いつつも――――彼女は再度口を開いた。
「――――本当は、ここでずっとお世話になるわけにもいかないと、わかってはいるんです。貴方が別にそれを気にはしないとは言っても……。
でも、だからといって……自分がこの先どうすればいいのか、この先何をしたいのか……それが、私にはわからないんです……」
目を伏せて、リオは夜風に消えてしまいそうな声でそう言葉を吐き出した。
彼女がこの屋敷に滞在しているのはヨアヒムの厚意によるものだ。
屋敷の使用人たちも、リオがここで暮らすことに別段の負担も感じていないし、文句も言うことは無い。
むしろ一部の者達に至っては歓迎すらしているほどだ。
だが、それ自体をリオ自身は心の奥底でどうにかできないのかとずっと思っていた。
この屋敷での暮らしは快適だ。衣食住は完全に保証されており、毎日の生活は姦しくも穏やかで平和なものだった。
ただ――それでも、一人の人間としてきちんと自立して生きたいと、そういう願望が拭えなかった。
使用人たちにあれこれ世話をされるのに、ずっと慣れなかったのはそれが原因だ。
彼女の脳裏には友人であるメリィの姿があった。
この世界で生きる為の生業を見つけ、生きる意味と価値を見出している彼女はリオにとっては眩しいものに映った。
いつか、彼女の様に自分の道を決められたなら、と切に願う。
しかし。
しかし、自分が何を目指して、どうやって自立して生きるのかとそう考えた瞬間、目の前が真っ白になってしまうのだった。
その代わりに広がってくるのが――――赤い血の色と、錆のような血の臭い。
「やりたい事も、欲しい物もわからない。けれど、怖い物だけははっきりしている……」
自嘲するようにリオはそう呟いた。
上着越しに自らの肩を抱く手が、ぎりり、と爪を立てる。
この世界に始めて来た時の戦いの事が、今でも彼女の中で長い尾を引いていた。
濃密な悪意と闘争と血の香り。それを思い出すたびに、
だから彼女は現状を厭いながらも、屋敷から離れられないでいた。
少なくとも――――こうして外に出ない限りは、
「リオ、それでも――――いや、それならば尚更、君は外に踏み出さないと」
「……わかってはいるんです。でも……」
「やらなくてはいけないと分かっていることを先延ばしにし続けるのは、その苦しみを長引かせることだとわかっているだろう?」
「わかってますよ……そんなこと……」
リオのもう片方の手がバルコニーの手摺を硬く握りしめた。
それはまるで胸の内に湧きあがってきた嗚咽を握りつぶすかのような強いものだった。
「一人ではできないのなら、オレがいる」
その手を包み込むように、ヨアヒムが己の手を上に被せた。
彼の掌の中で、小さな少女の手が微かに震える。
リオは恐る恐るという風に、ゆっくりとその貌を上げてヨアヒムの顔を覗き込む。
少女の空色の瞳は葛藤に揺れ動いていた。
初めて出会った時に見た、迷い子のような瞳だ、とヨアヒムはそう思った。
「見つからないものがあるのなら、オレが一緒に探そう。
恐ろしいと思うものがあるのなら、オレが君を守ろう。
今度こそオレが付いている。――――最後まで」
先程の様に君を失望させるようなことはしない、と彼は彼女の目を真っ直ぐに見据えてそう言った。
ブレることのない男の榛色の眼が、少女の水色の眼を確りと捉えていた。
リオの手の上に重ねられているヨアヒムの手が、強く握りしめられた。
まるで、自分は此処にいると、そう声高に主張するように。
「…………」
やがて――――リオは沈黙のままに、目線をさっと逸らした。
まるで逃げるかのようなその挙動にいぶかしむヨアヒムに対して、彼女は小さな声で唇を開いた。
「近いです……」
「……?」
「……顔が、近いです」
「……すまなかった」
その言葉を聞いたヨアヒムは少しバツが悪そうな顔で一歩リオから身を離した。
なにせつい先ほどまでは、少女の顔を覗き込んでいたヨアヒムがあともう一歩踏み込んでいれば口づけでもできてしまいそうな距離だったのだから。
彼の説得を聴きながらリオはキスでもされるのか、と心中穏やかではなかった。
そう思うと思わず頬どころか耳まで赤くなるのを感じるほどだった。
「……なんでそこまでしてくれるんですか」
今も自らの手の上に重ねられている大きく広い掌、その持ち主の熱い視線を感じながら。
「私なんて、あくまでこの屋敷の客の一人じゃないんですか」
「何故、か……そう問われると自分でも疑問だな……」
「……理由とかないんですか?」
「あぁ、いや――――理由のようなものならある」
それが君の求めている答えになるかはわからないが、と前置きしたうえでヨアヒムは、
「オレは……親父の様にはなりたくないだけなんだ」
と言った。
親父の様に、とリオは彼の言葉を反芻するように口にした。
「――――オレの父親は外面のいいだけの屑だった。あんな父親の血が流れていると思うだけで吐き気がした。アイツの家族だと扱われるだけで怖気が走った。
……だから、オレが追放した」
ヨアヒムはリオから目線を切り、バルコニーの外へと視線を向けた。
彼の眼は夜の闇を透かして、宵闇よりもなお深い所にあるもの睨み据えていた。
リオは、彼の今まで見たことのない、何かに挑みかかるような険しい横顔をじっと見つめる。
ゲーム時代におけるこの街の領主――――つまりはヨアヒムの父についての基本情報を思い出しながら。
先代伯爵はいわゆる悪徳領主であり、この街で起きる様々な事件の背後で糸を引く黒幕として設定されていた人物であり――――現実になったこの世界でも、事実そうであった。
街の商会には自身に賄賂を贈るものを厚遇し、同時に違法な品々の裏取引を手伝わせた。
領地内に潜伏する盗賊たちと密かに手を結び、彼らを保護するばかりか盗品の売買にも関与して子飼いとし、裏の用心棒として使っていた。
こうして手に入れた豊富で潤沢な資金は他の貴族への賄賂や、自らの浅ましい欲望を満たすために使われた。
そして……これらの行為の多くは極めて慎重に行われ、一切明るみに出ることは無かった。
結果として先代伯爵は幅広い人脈を持ち、それを使いこなす名君と世間一般では知られていたのだ。
――――彼の一人息子であるヨアヒムが、九年前に全ての証拠を握って密告するまでは。
「父にとって女というものは世継ぎを残すための道具が、愛でて弄ぶ玩具かの二種類だった。……オレは、あぁはなりたくないと心の底から思った」
母を筆頭に父に不幸にされてきた女性を多く知っているからこそ、ヨアヒムは女性を幸せにしたいと思うようになった。
女性とのロマンスを楽しんでいることは否定しない。女遊びが趣味だと他人に言われても否定はしない。
それでも、彼は自分が関わることになった女性には、少しでも幸福な気持ちであって欲しいと考えている。
その気持ちに偽りはない。
それは紛れもなく本心だった。
(――――だからテオドラの事も、見捨てられないのだが)
自分の背後に寄り添う
彼女自身に
「そして――――だから、オレは君の力になりたいと思っている。君を一人の女性として敬意を払うからこそ」
「…………やれやれ」
あくまでも紳士として、だからこそ真摯にそう言い切ったヨアヒムに対して――――リオは小さな溜息を吐いた。
それが多分の呆れを含んでいるのに気付いたヨアヒムは少しむっとした表情でリオに対して向きなおった。
「……オレなりに真剣な回答だったんだが」
「まぁ、そうでしょうね。まぁそうなんでしょうけど――――ふふっ」
リオは今までの苦みと憂いに満ちた表情を綻ばせ、微かな笑みを零した。
それは笑いではあったが、決して彼を嘲笑うようなものではなかった。
ここで暮らし始めてから、初めて聞いたヨアヒムの本心。
それが結局、彼女の中で非常にわかりやすい形に落ち着いたからだ。
「結局のところ、八方美人の女たらし、ということですね。どうせ、困っている女の人が身近にいたら誰にだってそういう風に親身になってしまうんでしょう?あなたという人は」
「……確かに今までそういうことはなかったとは否定できないな」
「……ふふっ」
痛いところを突かれたな、という風にどことなくバツの悪そうな顔をしたヨアヒムに対して、リオは和らいだ表情で笑った。
積もった雪の下から一片の花が覗くような、図らずも可憐な微笑みだった。
そして「まぁ良いでしょう」と前置きの様に口にしてから、ヨアヒムにこう言った
「一度しか言いませんけど――――。私はね、貴方の事を友人だと思っているんですよ、ヨアヒム。
ですから――――そう、女性としてではなく、友人として……貴方に、少し頼ってもいいですか?」
友人、とリオはヨアヒムにそう語った。
……内心で彼女はおこがましいのではないかと、ずっと思っていた。
自分は屋敷の客人で、相手は屋敷の主人。一方的に援助されるだけのような関係で、自分から相手に還せる何もない仲で、友人などと。
それに、こうやって彼を友人だと思っている心の動き自体が、彼にこの世界で最初に助けられたことに対する擦り込みのような物ではないかと考えてもいた。
――――それでも尚、ヨアヒムはリオの事を気にかけてくれている。
見つからないものがあるのなら、怖いものがあるのなら、傍にいると。隣に寄り添うと。
それは未だに一歩を踏み出すことのできないリオにとって、この上ない助けだった。
思わず胸の内が熱くなるほどに有り難いものだった。
だから、リオはこう言うしかなかった。
「構わないさ」
どこかお道化るように、それでいて恐る恐る告げられたリオの言葉に、ヨアヒムは快く頷いた。
「君がそう望むのなら、オレは今夜から君の友だ。そして君の友として、改めて君の力になりたいと切に願う」
「……ありがとうございます。私の方こそ、いつでもあなたの力にならせてください。……一人の友人として」
「あぁ、勿論だ。――――これからもよろしくな、リオ」
「えぇ、こちらこそ」
二人はそうして互いの目を見つめ合い、屈託なく笑い合った。
ヨアヒムはずっと握っていたリオの手を離し――――バルコニーに置きっぱなしになっていたウィスキーの瓶を拾い上げ、両者のグラスにそれを注いだ。
乾杯、とどちらからともなく声に出してグラスを打ち付け合った。
かちん、という甲高い音がバルコニーの夜の空気に溶ける。
「……くっ、やっぱストレートはキツいな」
「まぁ、一気に飲むとそうでしょうよ」
「普段は割って飲んでるしな……」
「私はむしろ割る方が少ないですね。この喉を焼く感覚が結構好きなもので……」
「そうなのか?」
中身を飲み干して渋い顔を浮かべるヨアヒムに、リオは微笑を浮かべた。
そして二人がバルコニーで静かな晩酌を楽しんでいると、ふとヨアヒムが顔を上げた。
彼の視線の先にはパーティ会場がある
「リオ、楽士が音楽を変えたぞ。これはダンス用のナンバーだな」
「ダンスですか?」
楽し気な表情をした伯爵に対し、少女の方はあからさまに渋い表情だった。
「私、ダンスは下手ですよ。今日までに少し練習はしましたが、さっぱりでした」
「ちゃんとリードするさ。言っただろう、君の力になると」
「そういう意味合いでしたっけ?」
「何にだって挑戦はしてみるものだ。案外、君がしたいと思えるようなことが身近に転がっているかもしれないぞ?」
「……」
男は明るい会場の明かりを背後に少女に向かって手を伸ばした。
パーティへと誘うように、彼女を夜のバルコニーから連れ出すように。
リオはそれを暫く渋い表情でじっと見つめた後――観念するように溜息を一つ吐いた。
「まぁ、そこまで言うんでしたら――――私と一曲踊っていただけますか?ヨアヒム」
「君となら一曲と言わず何曲とでも、我が友よ」
「おっと、流石に何曲もは勘弁です。初心者ですよ、こっちは」
「それなら尚更に回数をこなさないとな。今夜はオレが君のレッスンコーチだ」
「頼んでませんよ!」
二人はそんなことを言い合いながら、作法に則って一礼し合った。
そして、少女は伯爵に手を引かれて舞踏会へと連れ出された。
本人の申告した通り、彼女のステップはとてもぎくしゃくとしていて、とてもではないが見れたものではなかった。
だが途中で吹っ切れたように、あるいは自棄になったようなステップでパートナーを振り回し始めてからは、けらけらと実に楽しそうに踊りを踊った。
パートナーを務める伯爵はそれに嫌な顔一つせず――――それどころかじゃじゃ馬を慣らすロデオを楽しむかのように、少年のような屈託のない笑い声をあげて、滅茶苦茶なダンスを踊りこなした。
二人に刺激されたのか、少しずつ楽士の奏でる音楽は優雅な貴族の社交の場にそぐう様なものではなく、むしろ酒場の呑兵衛たちを囃し立てるような愉快な物へと変わっていった。
出席者たちも最初は戸惑っていたが、いい加減に酒が回っていたのだろうか、リズムに合わせてパートナーたちと思い思いの軽快なステップを踏み大いに楽しんだ。
いつもとは一味違う愉快な音と踊りに包まれたパーティ会場。
その真ん中で、今宵友誼を結んだ一組の男女が笑いながら出鱈目なダンスを踊っていた。
青と白のドレスを着た可憐な少女と、赤と黒のスーツを纏った優美な青年は、見る人が見れば、とてもお似合いの二人であったという。