※この作品はR-18です。

The Unlimited Horizon   作:白臼

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ep.14 The Riverside Town

 

 

 

 朝、目が覚めると共に身支度を整える。

 メイドに用意された水桶で顔を洗ってから、寝巻を脱いで服を着替える。

 

 あらかじめ準備されていた下着――上下ともに藤色のブラジャーとショーツを身に付けながら、女物の下着にも慣れてしまったものだと独り言ちる。

 最初は胸元が窮屈な気がして気が引けていたのだが、無かったら無かったらで、歩くときに乳房が揺れたり乳首が服の裏地に擦れて煩わしいものなのである。

 それに仕立て屋が私の体形にぴったりのサイズのものを用立ててくれたので、今ではむしろブラジャーのフィット感に頼もしささえ覚え始めている。

 ただ、夏とか暑そうだなぁ、と今から先の季節の事を考えて若干憂鬱でもあるが。

 

 予め用意された他の衣服にも袖を通していく。

 その際にメイドさんたちが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのも、もういつもの光景である。

 

 腰のところにガーターベルトを巻き、吊り紐をショーツの下に通して、濃紺のストッキングの上端を留める。

 白いフリルで縁どられた暗青色(ダークブルー)のスカートを履き、パリッと糊のきいた白いブラウスに袖を通して、襟元に藍色のリボンを巻いてタイにする。

 上着としてスカートと揃いのデザインになっているジャケットを羽織り、足元には革靴だ。

 

 上着に巻き込まれた長い髪を手で掻き出すようにして引っ張り出してから、メイドさんが櫛を通すに任せる。

 部屋の隅にある化粧台の前の椅子に座ると、あとは為されるがままのお人形状態である。

 楽しそうにしているメイドさんたちに苦笑しながら、細々としたメイクは任せる。

 自分でもやろうと思えばできるようになったが、やはり経験値の差もあって出来の違いは歴然である。

 

「爪もやるんですか?今日は手袋を嵌めていく予定なんですけど」

「ノンノンノン。服で隠れるからって見えないところをおろそかにしちゃダメなのよ。そこが女子力ってやつよリオちゃん」

「そうそう。それにいざ手袋を脱いだ時に指先まで綺麗だったら、男の人だってドキッとしちゃうかもですよっ」

「そういうもんですかね……」

 

 自分が男性だった(・・・)頃、女性に対してそこまで注意を払っていたかどうか。甚だ疑問である。

 ……あー。でもヨアヒムなら見てそうだな。

 あいつはそういうのを目ざとく見つけてさらっと言いそうである。

 

 そんなこんなで色々と全体を整え終えてから、姿見の前に立っておかしい所がないか確認する。

 自慢の金糸の髪は良く梳かれて、私の動きに合わせて絹の様に滑らかに靡いている。

 側頭部にはお馴染みの青い薔薇のコサージュを付けている。他にもちょっとしたアレンジとしてこめかみ辺りから一房、細い三つ編みを結って垂らしている。

 指先で軽く髪の毛を弄ると爽やかで、それでいて甘い香りが鼻を擽る。髪に散らした香水の香りだ。

 

「ちなみに今日のメイクは全体的に明るめに、かつ顔立ちがはっきりするように決めてみたわよ」

「服装が全体的に寒色で統一されてるからね。対比してお顔がパチッと明るく見えるように、それでいてぼやけてしまわないように……」

「美少女の御尊顔が眩しすぎる……。もうマジ無理……灰になる……」

「目が、目がぁ~~……ああ^~~っ」

 

 背後ではメイドさんたちが何やら愉快なことになっている。

 いつものことながら楽しそうで何よりです。

 

「うんうん、今日もばっちり可愛く決まってるわねっ!」

「えぇ、まぁ……ありがとうございます」

「こらー、リオちゃん歯切れが悪いわよー。折角なんだからスマイルスマイル~」

 

 姿見に映る自分の背後に立ってニコニコ……あるいはニヤニヤという笑いを浮かべているのは例によって例の如くアンネだ。

 彼女はやたら楽しそうな表情で私の顔を覗き込んでくる。

 

「なんだって、今日は伯爵様とデートなんでしょう?とびっきりの可愛いリオちゃんでエスコートしてもらいましょっ!!」

「……いえ、その、デートと言うと色々と語弊があるのですが……」

 

 相変わらず変な勘違いをしている彼女に、ため息交じりに訴える。

 

「あくまで私とヨアヒムは友人という関係になっただけで、別に皆さんが期待しているようなそんな浮ついた話は……」

「うんうん、『お友達から始めましょう』って奴よね。わかるわ」

「そうやって若い男女は距離感を測っていくのよね」

「それにいつの間にやら、伯爵様を呼び捨てですよ、奥さん」

「あら、どうしましょう奥さん。既に一歩踏み込んでいらっしゃるわ、オホホ」

「……どうしましょう。私、ウェディングドレスの図面引いてきた方が良いのかしら」

「リオちゃんのウェディングドレス……?ごめんなさい、ちょっと鼻血が……」

「アンネ、ちょっと離れなさい!リオ様のお召し物に血が付くわよ!」

 

 うーん、この惨状。

 既にメイドさん達は当事者である私を置き去りにして明後日の方向へと暴走しつつあった。

 

 しかしまぁ、いい加減私も慣れたものである。

 後ろできゃあきゃあ言っている姦しい女中集を尻目に服装に変なところがないか、改めて確認する。

 

 今日着ていくのはゲーム時代から愛用している装備一式だ。

 物理防御、魔法防御、弱体耐性、共に信頼のおける性能になっており、いざ(・・)という時にも対応できるだろう。

 

 ただ、そのいざ(・・)という時が来ることなど、街中ではそうそうないことだろうが……。

 

「…………」

 

 胸の奥でどくん(・・・)、と心臓が重い音を立てて脈を打つ。

 その振動が身を震わすような気がして無意識のうちに自分の胸を押さえていた。

 大丈夫大丈夫、とフラッシュバックしそうになる赤い血飛沫の記憶を宥めるように押さえつける。

 

 

 『見つからないものがあるのなら、オレが一緒に探そう。

 恐ろしいと思うものがあるのなら、オレが君を守ろう。

 今度こそオレが付いている。――――最後まで』

 

 

 あの日の夜にヨアヒムに言われた言葉を思い出す。

 彼が手を取ってくれるというのなら、私を導いてくれるというのなら――――それなら、私はその手を掴み返して、歩き出してみようと決めたのだ。

 そう、決めたのだった。

 

「……うん」

 

 改めて、鏡の中の自分(リオ)を見つめ直す。

 あぁ、そうだ(リオ)の造形はいつものように完璧(パーフェクト)だ。

 いや、手を付けくわえることなどないと思っていたあの頃(・・・)よりも尚、可愛くて綺麗だとさえ思える。

 

 今思えば、昔の自分は浅はかであり、想像力がたりなかったのだろう。

 自分(リオ)の美しさの潜在性(ポテンシャル)を見誤っていた。

 化粧に髪型。小物に香水。こうして世界が現実(リアル)になったことで出来るようになった――――いや、出来ると教えてくれた人々のお陰で、(リオ)は以前よりもまた一段と美しくなった。

 ゲームの頃と同じ衣装を着ることで、その事実がいっそう際立つようだった。

 

 

 ――――ヨアヒムも同じように褒めてくれると嬉しいんだが。

 

 

 そう思うと、思わず笑みが零れた。

 男に口説かれるような構図になるのはいかんせん慣れないが、褒められるのは嫌いじゃない。

 ……ちょっとくすぐったいけれど。

 

「では、そろそろ行きましょうか」

 

 端末から時間を確認するとそろそろ馬車を出す時間だ。

 長い髪とスカートの裾を翻して、雑談に興じるメイド達をほっぽり出して部屋を出る。

 慌てて追い縋ってくるアンネに苦笑しながら廊下を往く私の足取りは――――心なし、軽かった。

 

 

******

 

 

「その服も懐かしいな。確かオレ達が初めて会った時のがそれだったろう。……こうしてよくよく見るといっそう可憐で美しいな。どこの仕立て屋のものかは知らないが良い腕を持っているようだ」

「はいはい、ありがとうございます。……事実、これを作った連中は良い腕ですよ。人格に少々問題はありますが」

「ほう?面白そうだな、少し聞かせてくれないか」

「嫌ですよ。身内の恥です」

 

 私が着ている服を誂えた職人――『淑女服の三紳士』はセプテモール帝国のフロラントという街に工房を構えているプレイヤーだ。

 頭が湧いた変態共だが、その変態的な執念から作り出される衣装はいずれも変態的な完成度の高さを誇っていた。

 今の服一式を作るためにしばらく連中の工房に入り浸っていた時期があるので、私の事を『名誉の四人目』などと称する輩が稀にいるが、正直いい迷惑である。

 ……まぁ、連中とバカ話に興じていた時期が楽しくなかったと言えば嘘になるのだが。

 

 さて、そんなこんなで私は屋敷の玄関先に用意されていた馬車に乗り込んで出発したところだった。

 馬車自体は少々派手目に作られた少人数用のもので――なんの因果か、私が最初の日に乗って屋敷に来た時のものと同じものだった。

 ついでに言うと御者もあの人同じ人物だった。グレーの髭と頭髪を持つ、片眼鏡の老人である。

 

(じい)はオレの昔馴染み……というか先代(・・)から伯爵家に仕えている古株でな。人格的には信頼のおける従者だ」

「はっはっは、若様(・・)にそう言っていただくと長年の御奉公の甲斐がありますな」

「その呼び方はもうやめろと言っているだろう、(じい)

「これはこれは失礼しました、伯爵閣下。閣下がいつまでも呼び方を改められないもので、『じい』としては閣下が馬車の乗り降りに際して段差に躓きそうになっていたころのことを、呼ばれるたびに思い出しそうになってしまうのですよ」

「いつの時代の話だ、いつの時代の!」

「閣下の背丈が儂の杖くらいの頃のですなぁ」

 

 珍しく口先でヨアヒムが劣勢に立たされているのがおかしくて、横でくすくすと笑いながら馬車の席に着く。

 出発した馬車が屋敷の前に敷かれた石畳の道をガタガタと車輪で踏みしめながら走っていく。

 初めてここを通ったときは夜だったからよく見えなかった、芝生の新緑や植木の濃緑の色彩が視界に映る。

 春だからだろうか、木々の先端や石畳の脇の植え込みにはとりどりの花が咲いて、多様な彩を庭に添えていた。

 

「オレが親父を放逐して地位と領土を継いだ時、ついでに親父の息のかかってそうな使用人も全員解雇した。ただ、その中でも信用のおけそうなものは何人かまだ残っている。(じい)もその一人だ」

「なるほど……。……その、解雇された人たちが逆恨みで何かしてきたりとか、そういう可能性とかは考えなかったんですか?」

「そういう可能性は全て潰した(・・・・・)親父(あいつ)の関係者がこの街で何かするような余地はもうないさ」

「……」

 

 そう語るヨアヒムの榛色の――緑がかった茶色の瞳の奥に、仄暗い明かりが見えたような気がした。

 だから私はそれ以上深く聞くことはしなかった。

 『追放』し、『放逐』したという彼の言葉の裏に隠されているニュアンスの真意をなんとなく感じ取ってしまったからだろう。

 

「さて、そんな事よりも重要なのは今日の予定だ。街をどう巡るか、ある程度の予定は立てているが――――お前(・・)のリクエストがあるならそれを優先するつもりだ。どこか行きたいところはあるか?」

「いえ、別に。行きたいところがあるほどこの街の施設を知っているわけでもありませんから……」

 

 そこまで口にしたところで、一つピンとくるものがあったので言葉にしてみる。

 

「あー、そうですね。どうせならメリィの工房にも行ってみてもいいでしょうか?彼女が普段どんな風に働いてるのか興味ありますし」

「あぁ、確かにそうだろうな。安心してくれ、そう言うと思って先方には連絡を付けてある―――というか、今日の最初の行先がそこだ」

「なんと」

 

 得意げな表情で行先を告げるヨアヒム。

 なんだか見透かされたみたいで悔しい所もあるが、根回しの良さに関心もする。

 

 ただ、少し残念でもある。いきなり訪問されてうろたえるメリィを見たかったのだが。

 今日の訪問が予め伝えられているのなら、多分今頃大慌てで工房の従業員に言われて部屋や作業場の掃除をしているのだろうか。

 かつての日本(リアル)で実際に訪ねたときのことを思い出して、内心でくすりと笑う。

 

 そして――そうこうしているうちに、やがて馬車が屋敷と外とを隔てる門に差し掛かる。

 守衛が馬車に向かって会釈し、閂を外して門を開いていく。

 柵のような作りの大きな門が開いていく音を聞いていると、自分が今日初めてこの屋敷の外に出るのだということを意識した。

 

「心配するな、オレの街だ。それにオレが隣についている」

 

 対面に座っているヨアヒムの声に、思わずハッとする。

 知らずのうちに膝の上の手がギリギリと硬く握りしめられていた。

 そしてその上に、ヨアヒムが手を添えている。

 

「…………」

 

 こちらに向けられた彼の笑みは優しく、悪戯気で、それでいて真剣で真摯なそれだった。

 緊張していたのを見透かされていたようで気恥ずかしいのもあり、溜息の様に見せかけた深呼吸をして体から力を抜く。

 知らず知らずに自分の体が酷く強張っていたのがわかる。

 

「別に……、どうということもないですよ」

「――それなら良かった」

 

 彼がふっと口元に和らぐような笑みを浮かべる。

 それに私も軽く笑みを返した所で――――馬車が再び進み始める。

 

 カラカラと車輪が回る音を聞きながら、私は窓の外を通り過ぎていく屋敷の門を見送った。

 

 

******

 

 

 さて、私達がいるイルマートという街はクラートフ伯爵領の中心となる街であり、ボーミア王国の西部に位置している。

 首都からはやや遠く、そちらよりはむしろ西側にあるアイゼンブルート王国との国境の方が近いだろう。

 やや僻地よりという立地条件から国家中枢からの監査の眼が届きにくく、それをいいことに先代が好き勝手やっていたらしいが……それも今は昔の話である。

 

 街の名物は街の真ん中を突っ切るようにして流れているオージェス川だろう。

 近隣の山林から切り出した材木を河を伝って下流へと輸送するために作られた拠点がこの街の始まりであると伝えられており、今でもこの河を使った運輸業は街の目玉である。

 迅速な出荷のために河の近くには工房が並び、また街の住人や観光客のための憩いの場としても使えるように河川敷が整備されているとともに屋台や出店が立ち並んでいる。

 

 橋の上から見下ろして見れば、今も河面を行く荷物を載せた舟や遊覧を楽しむゴンドラが見えた。

 こうして平和に河を運用することができるのは上流に設けられた水門のお陰である。

 水門を使って水棲の魔物が街の中に流入するのを防いでいるらしい。

 ただ下流への道を塞がれている魔物が溜まる(・・・)ことがあるので、定期的に冒険者が派遣されて駆除を行っているとのことだ。

 

 ヨアヒムからそんな話を聞きながら、視線を外へと巡らせる。

 私はゲーム時代から少し変わった街並みを見渡して、微かに開けた窓から入り込んでくる風を感じていた。

 

 人で賑わう河沿いの一角を抜けながら、メリィの工房に立ち寄る。

 出迎えてくれたのはいつぞや彼女が話してくれた、店舗スペースの店番をしている年配の女性だった。

 店に入ってきたヨアヒムが伯爵であることに気付くと恭しく挨拶を交わし、その隣にいる私には孫にでも接するように優し気に声をかけてくれた。

 

「おやまぁ、リオちゃんはメリィさんのお友達なのかい?ありがたいねぇ、これからもあの子と仲良くしてやっておくれよ。

あの子ったら休みの日にも工房に引きこもったり、部屋でゴロゴロしてたりでねぇ。若い子があんなんじゃこれから先があたしも心配でねぇ……」

「ははは、そんな事だろうと思っていました。今も昔も変わらないですねー彼女は」

「ちょっとーっ!!マチルダさんってば何話してるにゃーっ!!」

 

 店番の女性――マチルダと話を交わしている途中でメリィが割り込んでくる。噂をすれば何とやらというやつであった。

 そのまま店舗の奥でマチルダが用意してくれたお茶菓子を戴きながら歓談に興じる。

 横着してビーカーに珈琲(コーヒー)を入れようとしてマチルダに叱られるメリィの姿は何だか、年の離れた親子を連想させた。

 

 ヨアヒムは気を聞かせてくれたのか私達を二人きりにしてくれるようだった。

 彼は彼で店舗スペース内にある売り物の類に興味津々のようだった。なんでもいつもは使用人がこういう買い物をしてくるので、自分で実際に店で手に取って選ぶ機会というのはなかなかないことらしい。

 

「ふぅん。確かに今日はメイドさんとかと一緒じゃないんだにゃ?伯爵っていう立場の人にしては珍しいにゃ」

「さて、なんでも(じい)がいるから他はいらないと言ってましたけどね。でも彼も今は馬車の番をしていますしね……。荷物持ちに誰か他に連れてくるくらいはしたらいいと思うんですけど」

「なるほどなるほど……。大方、自分で自分の街を案内してあげたかったんじゃないかにゃ?」

「そういうもんですか」

「そういうもんにゃ」

 

 駄弁りながら意識を店舗側に向けていると、商品の説明をしているマチルダに熱心に耳を傾けながら例によって例の如くコナをかけているようだった。

 最早呆れるほかない節操のなさだが、あれが彼なりのフェミニズムの発露であるということは最近わかってきたことだった。

 慣れればこれはこれで彼の味だな、と流すことができるようになってきた私だった。

 ちなみにメリィは机に突っ伏して笑いをこらえ、マチルダは微笑んであしらいながらもまんざらでもない様子だった。

 

 適当なところで工房の訪問も切り上げ、出立という所で渡されたのはヨアヒムが購入した香水だった。

 さりげなくメリィの新作で、屋敷のメイド達から私が貰ったものの中に入っていない種類のものである辺り、なんというか目聡いというか、うまい(・・・)男だった。

 

「メリィさんは一緒に乗っけて貰わなくていいのかい?今日は何カ所かにお薬を卸しに行くって言っていたでしょう」

「別に歩いていける距離だからわざわざ馬車に乗っけてって貰うのもどうかと思うにゃー。それに……」

「それに?」

「それにデートの邪魔しちゃ悪いしにゃー」

「貴方までそう言いますか……」

「すまないな、今日だけは彼女を独り占めさせてくれ」

「ヨアヒムもそこでノらないでください」

 

 そんな軽口を叩き合いながら、馬車で出発する。

 工房の前で見送る彼女らの姿が曲がり角で見えなくなるまで、手を振って――次の目的地へと。

 

 

 

 それからヨアヒムに案内されるままに市内を馬車で巡った。

 

 例えば、ゲーム時代には存在していなかった施設である冒険者組合。

 実力の伴わない名ばかりの冒険者ときちんとした冒険者を選り分けて適切な依頼を割り振ることを目的として設立された組織らしく、運営形態は国ごとに微妙に違うが、同じようなシステムが既に各国に存在しているらしい。

 イルマートの街にある組合の建物は大きな宿屋と酒場がセットになったような造りになっていて――――いうなれば古き良き時代のファンタジーの様式美を感じさせてくれるものだった。

 

 ヨアヒムと一緒に中に入ると、あちこちから挨拶の声がかかる。貴族相手らしく敬意をこめて声をかけるものもあれば、酒を呷りながら赤ら顔で手を振るものもいる。

 ヨアヒムはそのどちらにも気さくな態度を崩さずにこやかな応対を返していた。

 

 組合の建物を事務員に案内されながら見て回る中で、見知った顔を見つける。

 ゲーム時代からこの街を拠点にしていたプレイヤーだった。

 あまり多く関わった記憶のある相手でもなかったが、それでも共通の背景を持つプレイヤーには仲間意識が先に立った。

 簡単な挨拶を交わし、最近の生活についての話題や、今は遠くなった文明社会の懐古などの立ち話を済ませ――そしてまた挨拶をして別れる。

 

 昼食を摂るのは伯爵おすすめの店だ。

 とはいっても小洒落た高級レストランとかそういうものではなく、河辺に立ち並ぶ出店の一つだった。

 「ここで出す肉が旨いんだ」と笑って話すヨアヒムに気恥ずかしそうにしながらも屋台の店主が出してきたのは、鶏肉を細かく刻んでパン生地のようなもので挟んで包んだ――地球で言うところのケバブのようなものだった。

 どうにも貴族が食うには庶民的にすぎないか、と思って私が突っ込むと市井の視察という名目でよくこの辺を練り歩くらしい。ここの屋台を知ったのも視察中に使用人に勧められたのが切欠だとか。

 そして実際食べてみたケバブもどきは、ちょうど焼き鳥のような甘辛仕立てのソースを絡めた肉と、それらを挟むもちもちとしたパンの食感がとても美味く感じられる一品だった。

 

 ただこれだけでは足りないだろうということで、そのまま屋台食べ歩きが始まった。

 河沿いを練り歩いていると、屋台や道行く人からヨアヒムは良く声をかけられる。

 その誰もがにこやかで親し気で、彼がこの街の領主として人々から良く慕われているのが良くわかる。

 

 しかしながら、そうしてちょくちょく人に囲まれるのと、丁度昼時なのも相まって人混みが多くて歩きにくいのがどうにも難点だった。

 しかも、逸れないようにといつの間にやらヨアヒムに手を握られている始末。

 なんだか子ども扱いされているみたいで釈然としない。

 

「子ども扱いしているわけじゃないさ。ただ単にエスコートしているだけだ。……いや、その場合は腕に捕まってもらった方が良いのか?」

「いえ、いいです。このままで」

 

 ヨアヒムの腕を握って寄り添うように歩く自分をイメージすると、どう言い訳しても『デート』感が拭えなくなるので、即座に却下した。

 そういう風に見られるくらいなら手を握られるだけの方がまだマシだった。

 

 ……まぁ、いいか。釈然とはしないが、私がこの辺りに不慣れなのは事実なので、大人しく彼に先導を任せよう。

 

「それはそれとして、だが」

「?」

「今日は爪の艶が良いな。指先まで綺麗だ」

「でしょうね。アンネ達に磨かれました」

「ふっ、うちのメイドはいい仕事をする」

 

 人混みの中を掻き分けて歩きながらそんな会話を交わす。

 手袋にソースが付かないように手袋を外して物を食べていたので、今の私達はお互い素手同士だった。

 そう言えば直接素手で彼に手を握られるのは初めてだったかな。

 いつもお互い手袋をしていたような気がするし。

 

「……」

 

 そう思うと急に意識が掌に向く。

 ……が、努めて無視をする。

 

 友人(・・)と手を繋いで歩く程度の事でむず痒い気分になるのは、なんというかあまりよろしくないことだと思ったからだ。

 

 

 

******

 

 

 そうして、一日街で遊んで過ごした。

 買い食いして立ち食いして、店に入って売り物を眺めたり買ったり。

 石畳の道路を行き交う馬車を眺め、歩道を道行く人々と共に歩く。

 河のせせらぎを聴いて、街路樹が風に吹かれて靡く音を聞く。

 

 河の上に架かっている橋の欄干に手を置いて眼下を見下ろせば、水面は薄い橙に色付き始めていた。

 西の空に目をやれば、いつの間にか時刻は夕方となっていたようだ。

 オレンジに色付きつつある日が少しずつ少しずつ、山の向こうへと傾いていく。

 

 少し甲高い人の声が聞こえたような気がして、河川敷に目を凝らすと、子供たちが遊んでいるのが見えた。

 整備された堤防と河の間にある草原ではしゃいでいる子供たちは、やがて両親と思しき男女に声をかけられて、わぁわぁと楽し気に声を上げながらその下へと帰っていった。

 

「ああいうのを見ていると、領主やってて良かったな、と思う」

 

 ちらり、と横に立つ声の主を見ると、ヨアヒムが目を細めて子供たちを眺めていた。

 

「ま、オレ一人で作った街ってわけじゃない。街を良くしていくのは最終的にはそこで暮らす人間次第ってわかってはいるんだが――――それでも、多少は自惚れてもいいんじゃねーかって気にはなる」

「自惚れではないでしょう」

 

 ヨアヒムの言葉を遮るように、私はそう口にした。

 

「少なくとも貴方が良い領主なのは、今日一緒に街を歩いてみてよくわかりましたよ。でなければあんなにいろんな人に親し気に声をかけてもらえないでしょう」

「……まぁ、な。そう言って貰えるとオレとしても鼻が高い」

 

 私が手放しに褒めると、彼はどことなく照れくさそうな表情を浮かべた。

 あるいは日差しの橙の色がそう見せたのかもしれないが、少なくとも私の目にはそう映った。

 いずれにせよ、その顔にはくすぐったげな、少年めいた純粋な微笑みが浮かんでいた。

 

 私はその表情の揺れ動きをじっと横目で眺めていた。

 こいつでも照れることはあるのだな、なんて内心で考えながら。

 

 やがて私達の見守る中で、子供たちとその保護者が手を繋いで家路をたどり始める。

 私の耳は彼等の会話の内容をつぶさに拾っていた。

 今日の晩御飯は何がいい?なんて、当たり前の家族の会話だった。

 

 暮れていく日差しが柔らかい山吹色と橙色の日差しを街に投げかけ、建物と水面と草木を包んでいく。

 血の色も暴力の色も、悪意の色も無い――――穏やかで鮮やかな、日常の色。

 

「……また、来たいですね」

「何を言ってるんだ」

 

 何の気も無しにぽつりとつぶやいた一言をヨアヒムが拾うように口を挟んだ。

 

「ここがオレたちの住んでいる街なんだから、来るも来ないもないさ。

 家の門を開けて、いつでも外に出ればいいんだ。簡単だろう?」

「ええ……そうですね。まったく、その通りです」

 

 私は確かにそうだ、と頷いた。実に単純な話だった。

 私は――――来ようと思えばいつでもここに来られるし、外に出ようと思えばいつでも外に出られるのだった。

 

 今まで自分自身がそれを見ようと思っていなかっただけで、この世界は決して恐ろしいもの(・・・・・・)だけで出来ているわけではないのだった。

 そんな実に単純で、当たり前の話。

 

「――――さて、そろそろ帰るか。オレ達の家に」

「私達の……」

「あぁ、そうだ。夕飯までに帰らないとテオドラにどやされるからな」

 

 そうしてヨアヒムがこちらに手を伸ばす。

 私を招くようなその掌に、私は何の違和感も無く自分の掌を重ね返していた。

 私より一回り大きなヨアヒムの手が、そっと私の手を引いていく。

 

 

「えぇ、帰りましょうか。私達の家に」

 

 

 そう言ってふっと笑うと、同じように彼も微笑み返してきた。

 河の上を抜けるように吹く風になびく髪を押さえながら、私は彼に手を引かれて共に家路につくことを決めたのだった。

 

 今日の思い出を肴にして、益体も無い雑談に花を咲かせながら、馬車に揺られて屋敷への道を。

 今日は楽しかったな、なんて言いながら、明日も良い日であるように、と祈るように――――。

 

 

******

 

 

 ――――しゃりん、しゃりん、と涼やかに鋭い音が森に響く。

 

 春に緑の葉を茂らせる木々の森の一角。

 比較的開けた場所に木造の小屋が一軒建っていた。

 古びた造りのその小屋は元々は木こりたちが逗留するための山小屋であった。

 だが、今では遺棄されてロクに外観の手入れもされていないのだろう。野放図に壁に纏わりつく蔦と、周りの地面を埋める雑草がそのことを示していた。

 

 そして、しゃりん、しゃりん、という音はその小屋のすぐ隣――――切り株の上の男の手元から鳴り響いていた。

 

 その長身痩躯の男は、短く刈り込んだ髪にのっぺりとした面立ちの、どことなく蛇を思わせる面構えの、酷薄な印象を周囲に与える人物だった。

 骨ばった眼窩の奥に見える明るい琥珀色の瞳は、俯いて顔の上にかかる陰の中で爛々と獰猛な輝きを宿しているかのようだった。

 

 男の手の中にあるのは一振りの騎兵刀(サーベル)だった。

 しゃりん、しゃりん、と音を立てて砥石に愛刀を擦りつけ、刀身を磨く。

 その作業に一区切り終えた男は、自身の顔が映り込むほどに美しく研磨された刃に微かに指を這わせ、仕上がりに納得してから鞘に納めるのだった。

 

「でよゥ……。言いてェことってのは、何だ……」

「へ、へいっ。お頭っ」

 

 土の下から這いずるような低い声で『お頭』と呼ばれた痩躯の男が、じろりと目配せしたのはすぐ後ろに立っていた小汚い身なりの男だった。

 刀を研ぎ終わるまで待て、と厳命されていた小汚い男は自分たちの(かしら)――つまり山賊の頭目に睨み据えられ、背筋をぶるりと震わせながら居住まいを正した。

 

「お頭……結局、あいつは行かせて良かったんでしょうかねぇ……」

「構やしねェよ」

 

 おずおずと告げた自らの部下に、山賊の頭目は吐き捨てるように言い切った。

 

 話題になっているのは、ついさっき山賊たちが仮の拠点にしている山小屋から出ていった構成員の一人だった。

 しばらく前に、年若い少女(ガキ)一人を攫い損ねて片腕を吹っ飛ばされた挙句、たまたま通りがかった伯爵に顔面を焼かれて逃げ帰ってきた男だった。

 余程憤懣遣る方なかったのであろうか、その男は周囲の制止も振り切って、つい先ほど復讐のために此処を出ていってしまったのだった。

 

 そしてその中で唯一頭目だけは何も言わずに捨て置き、かと思えばおもむろに愛刀を研ぎ始めたのだった。

 これには残された山賊の男達にも困惑しきりだった。

 

「言っちゃあ何ですが、アイツは所詮ただのチンピラ崩れですぜ……。攫うにせよ()るにせよ、街中で……しかも伯爵家絡みで事を起こしちまったら、逃げ切れるわけも……」

「だろォなァ……」

 

 山賊の一人が心配しているのは当然の事だった。

 今更勝手に抜けていったチンピラ一人の身の安全についてどうこう考えてやるほどの情はない。

 ただ問題は街中でコト(・・)を起こして官憲に捕まった挙句、自分たちのアジトがバレてしまわないかということだ。

 そして、その辺りの危険性(リスク)を承知していない頭目ではなかった。

 

「別にいいんだよ、別になァ……。どうせ片腕捥げて使い物になんねェと思ってたところだ。そのうち魔物のエサかオトリにでもするつもりでいたが……まァ、この際だ……ちィとは役に立ってもらうとするかァ……」

 

 そう言って頭目は鞘込めした騎兵刀(サーベル)を腰に佩いたまま、その場で立ちあがって歩き始めた。

 

「お、お頭?」

「あァ、てめェらはついてくんじゃねェぞ……一人のが身軽でいいんでな……」

 

 そう言って彼はおもむろに鞘から刀を抜き放った。鞘走りの瞬間に鈴を断つかのような、心胆寒からしめる鋭い音が森に響く。

 日差しを受けてなお、不吉な青白さを宿した刀身がギラリと禍々しい光を反射し――――腕ごと消失する(・・・・)

 

 それは事実、傍から見ていれば消えた(・・・ )と表現する他ない斬撃だった。

 頭目の肩から先の腕が一瞬のうちにブレるかのように視界から消え――――次の瞬間、大気が弾けるような、パァン!!という鮮烈な炸裂音が森の中に響いた。

 

 残された山賊の男がぎょっとした表情で目を見張る。

 その視線の先には、何度も何度も斧で切れ込みを入れたかのように、深々と幹を抉り取られた一本の木があった。

 頭目から数メートル離れたところにあった――明らかに騎兵刀(サーベル)の間合いの外の――その木がやがてメキメキと音を立てて倒壊するのを見て、山賊の頭目は満足げに鼻を鳴らした。

 

(さて、アイツが言っていた例のガキは十中八九プレイヤーか……いやはや、楽しめるもんなら嬉しいがねェ……)

 

 先行しているだろう片腕のチンピラの後を追い、山賊の頭目――――『蛇面』のセルペーと言われる男が歩き出す。

 彼らの行く先には河辺の街、クラートフ伯爵家のお膝下、イルマートの街があった。

 

 

 

 

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