※この作品はR-18です。

The Unlimited Horizon   作:白臼

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ep.15 Blood Red, Heart Red

 

 

 

 ヨアヒムに連れられて外に出ることになってから、しばらくが経つ。

 あの日以来、私の趣味が一つ追加された。

 イルマートの市街の探索である。

 

 それまでの私はいつも屋敷の敷地内で時間を潰していた。

 建物の中をぶらついたり、庭を眺めたり、図書室に籠ったりといったところだ。

 そうした時間の過ごし方は今思えば――自分なりの眼の逸らし方だったのだろう。

 今も忘れられないあの赤い血飛沫の記憶と、それに伴う『外』に対する漠然とした怖れに対しての。

 

 ただそれでも……一度外に出てみれば意外と何とかなるものだった。

 恐怖というものはつまるところ、自分の脳と心が生み出した想像の産物だ。

 漠然としたあやふやな形のまま、想像だけが膨らんでできた恐怖の影は――実際に目で見て手で触れれば、現実の経験に流されて少しずつ消えていく。

 

 いつしか『外に出る』という行為への忌避感は私の中で希薄なものになっていった。

 

 そうして、私はちょくちょく屋敷から外に出て街を散策するようになった。

 どうせなら馬車も貸す、とヨアヒムには言われているが屋敷の庭を徒歩で歩いて玄関から門までの風景を見るのも楽しいので、私が出るときは使わないことが多かった。

 街の中は治安が良いのであまり心配はされていないが、それでも客人を一人でフラフラと出歩かせるのは良くないということで、私の外出時には大抵メイドが一人ついている。

 ……まぁ、その場合私についてくるメイドとして白羽の矢が立つのは、一応私専属という肩書のアンネだったりするのだが。

 

 アンネはこの街で暮らして長く、屋敷の備品の買い出しなどでもあちらこちらに顔を出すので、案内人としても中々に優秀だった。

 彼女に紹介されながら、おいしい喫茶店や流行りの服屋、おススメの景観スポットなどを練り歩く。

 

 私個人のお気に入りはやはり、この街の名物である河とその近辺の散歩コースだろうか。

 植えられた街路樹や花壇の草木や花が風にそよぐ様、河面に立つ波のせせらぎや陽光の照り返しを感じながら、とりとめのない話をしながら歩く。

 ただそれだけでも意外なほど気持ちが良いものだった。

 

 ……ふと、かつて暮らしていた22世紀(現代)日本の光景が視界に重なる。

 そこに幻視する自分の故郷の光景は――――何処までもくすんだコンクリートの灰色と、淀んだ曇天の鼠色だった。

 

 

******

 

 

 窓の外を眺めながら待つことしばらく、テーブルの上にかちゃり、と皿が置かれる控えめな音がする。

 並べられるそれらに視線を向けて、注文内容が間違っていないか確認してからフォークを手に取った。

 

「いただきます」

 

 小さなフォークをケーキに突き立てて、その生地を削るように掬い取る。

 しっとりと柔らかいムースとふんわりとしたスポンジ生地の手ごたえを感じながら、それを口に含んで咀嚼する。

 

「うん、うまいですね」

 

 口の中で滑らかな口溶けとともにムースの中に練り込まれていた苺の風味が広がる。

 前面に押し出された苺の甘酸っぱさが舌を刺戟し、食べるほどに口の中で唾液が滲み出る美味しさだ。

 少し甘みがくどいと感じ始めたら、付け合わせのエスプレッソを舐めるように口に含む。

 強力無比な苦みが舌先の一点から口内全域にぶわぁっ、と広がっていき、味覚がリフレッシュされる。

 あー効くぅ……、とその強烈な苦みを噛み締めながらもう一度ケーキを口に含むと一層甘味が引き立つ良循環であった。

 

「……ところで、ですけど」

 

 くるくる、と手の中でフォークを弄びながら対面に視線を向ける。

 

「ニヤニヤしてないで自分のに手を付けたらどうですか。ホットケーキが冷めますよ」

「なに、女の子が幸せそうに菓子を食べる姿というのは、これはこれで見物なのでな」

「見世物じゃあないですよ」

「すまないな、言い方が悪かった。お前の笑顔があまりにも可憐だったのでついつい見惚れていた」

「ははぁ、貴方。さては公園に撒いたパンくずを鳩がついばむのを飽きもせずに眺めているタイプですね」

「おっとそういうことはしないさ。何せ鳩が居つきすぎると公園の管理者から怒られてしまうからな」

「はいはい」

 

 私の据わる座席の対面に座っているのは例によって例の如く、ヨアヒム・クラートフその人だった。

 彼はニコニコと言うべきかニヤニヤと言うべきか、そんな感じの暖かい笑みを口元に浮かべながら私が注文した菓子を突っついている様を見守っていた。

 

 ……彼の言い分は不本意ながらわからなくもない。

 幸せそうにいっぱい食べる女の子というのは、男性から見れば結構可愛く見えるものなのである。

 そうやって見守られるのが自分だというのに何ともむず痒さを覚えるが。

 

「ふむ、ホットケーキも中々の出来栄えだ。この店を誘致して正解だったな」

 

 生地がふわふわで溶けるようだ、などと食レポに励んでいるヨアヒムも相好を崩している。

 我々が午後のお茶(アフタヌーンティー)に勤しんでいるこの喫茶店は、最近この街で開店(オープン)したばかりだ。

 なんでも首都の方では結構な評判のある店だそうで、ヨアヒム自ら支店をこの街に誘致したらしい。

 

「こうして自分が主導して招待した店の質を確かめるのも、領主としての務めだ。つまり仕事の一環なので全く問題はない」

「決して仕事をさぼって遊びに来ているわけではないと」

「その通りだ」

「テオドラさんにも同じこと言えます?」

「……休息と仕事を両立した、スマートな時間の使い方だ」

 

 うーん、質問の答えになってないぞ。こやつめ、ハハハ。

 

 昼過ぎにいきなり「外に行こう」なんて強引に連れ出してくるものだから、何かあったのだろうとは思っていた。

 十中八九、仕事が面倒くさくなってきて気分転換という名目で執務から逃げてきたのだろう。

 多分、帰ったらテオドラが逃亡阻止の準備を整えた上で執務室に彼を叩き込むのだろうが、それも致し方ない所だろう。

 自業自得なので私は助けない。すまんな。

 

「………………」

「……どうした?」

「……いいえ、何も」

 

 ふぅ、と息を吐き、髪を撫でつけるように首の後ろを押さえる。

 ()()()()()()()()()()()振る舞いつつ、目の前の彼との会話になるべく意識を向ける。

 

「前から思ってたんですけど、ヨアヒムって結構甘党だったりします?今食べてるホットケーキは蜂蜜多めですし、紅茶も砂糖にミルクでしょう」

「別にいつも甘いものばかりというわけじゃないさ。今日は仕事で疲れて甘いものが欲しい気分なんだ。そういうリオはどうだ?」

「んー、昔は苦手だったんですけど、最近甘いものも抵抗なく食べられるようになってきたって感じですね。……とは言っても、本質的には甘さ控えめの方が好きなんですけど」

「甘い物、といえばプレイヤーはいくら食べても太らないんだったか?羨ましい限りだな」

「らしいですねー。でも虫歯にはなるらしいんで油断は禁物ですけどね」

「くっくっく、それは大事な話だな。お前の綺麗な白い歯が黒ずむところは見たくない」

「そう言えば、こっちの世界の歯科衛生ってどうなってるんですかね?やっぱり歯医者ってあるんですか?」

「ふむ……、そうだな。それならこの国とオレの領地の医療関係について話すとするか。基本的に怪我や病気の治療は聖職者の回復魔法か、錬金術師の医薬品が中心で――――」

 

 話題を振るとヨアヒムは訥々とこちらの質問に答えてくれる。

 ただ、内容がないようなのであまり大っぴらに話すことができない内容もあるようだった。

 そんなときに見せる「これは内緒なんだがな」なんていう表情が、また茶目っ気があった。そんな子供っぽいところがおかしくて、私はくすくすと笑いながら彼との雑談で午後の時間を潰すのだった。

 

 

******

 

 

 一度、思う所があったので断りを入れて席を立つ。

 昔なら「ちょっくら便所行ってくるわ」だったところが「少々お花を摘みに……」となるあたり自分も変わってきたなーなんて思ったりもする。

 

 宣言した通り、店のトイレに入り少し息を吐く。

 つい癖で男子トイレに入りそうになるのも最近では少なくなったものだった。

 

「…………うーむ……」

 

 洗面台の鏡を睨みつけながら、一人唸る。

 鏡に映る自分(リオ)がその細い眉を顰めてこちらを覗いている。

 

「なんなんだろうな……この嫌な感じ」

 

 ぼそり、と呟く。

 

 ……今日街を歩いていて、時折背筋に嫌な感覚を覚えることがあった。

 それは何だか湿った熱い泥の雫が背中に滴るような、不快な感触だ。

 その度に背後を振り向いたが、その原因が何なのかはわからなかった。

 

 ゲーム時代であればこんなことで悩む必要はなかった。

 野伏(レンジャー)として鍛えた探知スキルを使用すれば周囲に隠れているものや、隠されている何かを探し出して対策を取ることは難しくなかった。

 しかし、ゲームが現実のものとなった今――――探知スキルによって自分の脳に叩き込まれる大量の情報に悪酔いしてしまうようになってしまっている。

 その忌避感から、普段は意識的に探知スキルが暴発しないように気を張っている状態だ。

 

 最近街中を出歩く機会が増えたこともあり、人酔いしないように自分の感覚を遮断(シャット)するのは慣れてきたという自覚がある。

 だが、それでもスイッチの入切(オンオフ)ができても強弱(ハイロウ)の調整が効かないのは悩みの種だった。

 

 ――――使うか?

 

 今この瞬間にも首筋の辺りに()()()()、としたひりつくような感覚がある。焦燥感を掻き立てられる、嫌な意味での昂揚。

 ここで『獣の六感』のような探知スキルを使えば、この感覚の正体も確かめられるかもしれない。

 だが、それと同時にスキルを使った時の酩酊感を思い返して二の足を踏んでもいた。

 鏡の中の自分が難しい顔をしている。

 

「……ちょっと口紅が取れてるな」

 

 鏡を覗き込んでいたら、少し唇に付けていた口紅が剥げているのを見つけたので、アイテムボックスから口紅を取り出してちょいちょいと修正する。

 終わってから塗り損ねているところがないか確認してから口紅をしまう。

 

「……あぁ、そうか」

 

 そこでふと思った。

 何も自分一人で結論を出す必要はないのだ。私には味方になってくれる人がいるわけだし。

 戻ったらヨアヒムに相談しよう――――そう結論付けた私は女子トイレのドアを開いて廊下に出た。

 

「――――?」

 

 だが――そこで黒い人影に道を塞がれる。

 私は背丈が小さいので、いきなり目の前に人が現れると相手によっては胸元くらいまでしか見えない。

 ただその少し汚れた屋外用のマントとその合間から見える体の感じからして、男性だというのはわかった。

 

「…………っと、こちらは女性用トイレですよ。男性は逆方向で――」

「……………………あぁ、知ってるぜ……」

 

 低く、重く、呟くように言われたその言葉に――自分の中の記憶が刺激される。

 どこで聞いた声だ?思い返す間もなく、その顔を確認しようとした、その瞬間だった。

 

「がっ……!?」

 

 突如、自分の腹部に重たい衝撃が走る。

 喉の奥から空気が絞り出される掠れた音がして、その勢いのまま背後の床に体が転がった。

 

 ――――殴られた。

 

 その認識がやってくるのに暫しの時間が必要だった。

 殴られたところに痛みはない。私が着ている服の物理防御力は相当な高さがあるからだ。

 それよりも――――()()()()()()()()()()()という精神的な衝撃(ショック)が大きかった。

 

 いきなり自分に襲い掛かってきた理不尽に眩暈がする。

 知らず、カタカタと指先が震える。それでも床に手をついて、脚に力を入れて身を起こす。

 混乱で揺れる視界に映るのは、女子トイレのドアを後ろ手で閉め、中に踏み込んできた男の姿だ。

 

「…………まさか」

「へへへ……っ、また会ったなクソガキ……っ!」

 

 顔を上げた目に映ったその男の顔を認識した瞬間、明確に背筋が()()()、と粟立つ。

 今日一日の間に感じていた、ひりつくような感覚。それがはっきりと明瞭な形となって私の背を慄かせた。

 

 マントのフードを引きちぎるように脱いだその男は――――私がこの世界での最初の日に出会った山賊の男だった。

 赤々と引き攣れた火傷の痕も痛々しいその顔を、ぞっとするような笑顔で歪めて口を開く。

 

「痛ぇか。痛ぇか?痛ぇよなぁ?でもなぁ、オレはよお前よりももっと痛ぇんだぜ……っ!テメェとあの野郎のツラを思い出すたびにやられた傷跡が疼いて仕方がねぇ…………っ!!」

 

 血走った目でこちらを睨みつける山賊の男。

 その形相は怒りに歪んで歪み切っているが――ここが一応他人もいる店の中だということはわかっているのだろう。

 怨念に塗れた濁声は、低く低く、血の底から響くようなそれだった。

 そしてその無理矢理に押さえつけたような声音が、そこにより一層そこに込められた鬼気を浮き彫りにしていた。

 

「見ろよ。へっ、へへへへへ…………っ!テメェを殴ったオレの腕も痛ぇんだぜ……なんつったって、まだ義手が馴染んでねぇ……っ!!」

 

 そう言って男がマントの下から片腕を前に掲げた。

 捲られた服の袖から覗くのは、義手と呼ぶのもお粗末なただの金属製の棒きれだった。

 何の特殊な効果も、義手としての性能も何も考慮されていない、腕の代わりに括りつけられただけのただの棒。

 

 だが――――――――、

 

「…………っ」

 

 それを見た瞬間――赤い血飛沫の光景が脳裏にフラッシュバックする。

 

 握られた弓、

 放たれた矢、

 刺さった鏃、

 千切れた腕、

 吹き出た血、

 響いた叫び。

 

 緑の草木と藪を真っ赤な鮮血が赤々と染めていき、周囲に錆び臭い血の匂い充満する。

 身を翻して走り(逃げ)出した私の背後から男の苦悶の声が届く――――。

 

「…………っ!!」

 

 総毛立つような悍ましさが全身を駆け巡り、歯を食いしばって自分の肩を抱いた。

 ()()()()と、或いは()()()()という感覚が体の芯から湧きあがってきて身が震える。

 自分の体が自分のものではなくなっていくような気がして――――恐ろしい。

 

 何も言えずにただ立ち竦んでいる私は絶好のカモに見えるのだろう。

 山賊の男は見せつけるように短剣(ダガー)を引き抜いて……ゆっくりと、ゆっくりと、私の方へと歩みを進めてきた。

 

 男が一歩、私に近づく。

 私は一歩、後ろに退く。

 

「キッ、キヒヒッ」

 

 その様がたまらなく楽しいのだろうか、男は喉が攣ったような奇怪な笑いを零しながら、一歩また一歩と私を追い詰めていく。

 そして――――勿論、トイレという場所に大したスペースはない。

 私は自分の背中が、背後の壁に当たった感触を覚えた。

 どんっ、というその時の鈍い音が嫌に大きく空間に響く

 

「本当のところはな、じっくりと嬲り殺しにしてやりてぇ……。おれがされたみたいに腕を切り落として顔面を火で焙ってなぁ……。

 でもよ、マジで、マジで頭にくる話だが……誰かが来る前にさっさと殺っちまった方が今は良さそうだ……っ。その後、テメェの死体をバラバラに切り刻んでそこらで売り捌いて、そんで、くりぬいたお前の糞臭い(はらわた)をあの伯爵様のスカした顔面に叩きつけてやる……っ」

 

 ぶつぶつと押し殺した声で山賊が短剣(ダガー)を片手になおもにじり寄る。

 こいつが何を言っているのか、もう私の耳は正常にその意味を拾ってくれなかった。

 

 男の全身から匂い立っているのは吐き気を催すような『悪意』の臭いだった。

茹だった泥の中で煮込まれた腐ったカエルの死体のような、濃厚な濃厚な、鼻の曲がりそうな悪意の臭い。

 そこに赤い血の記憶が重なり合って、頭の中が真っ白になりそうだった。

 

 ただ、私の眼はずっと男の手の中にある短剣(ダガー)を捉えていた。

 今まで絶えず研いできたのだろう、本人のみすぼらしさとは裏腹の美しいほどに鋭い一本の刃。

 

 そのギラつく銀色が今まさにゆっくりと振りかぶられ――――()()()()と振り抜かれる。

 

 (いや)、違う。

ゆっくりと、なんてそんな悠長な動作ではない。だから――――これは私自身の錯覚だ。

 意識が加速するように白熱し、時間が引き延ばされていく。

 殺意の塊の様に鋭い光を放つ刃が、スローモーションで私の顔面を抉るような角度で振ってくるのが見える。

 

 

 動け、と念じた。

 他でもない私の体に。

 

 今――――()()()()()()()()()()()のだから、文字通りに死力を振り絞らなくては――――!!

 

 

「――――――っ!!」

 

 声のない声を喉奥から叫ぶ。

 白熱した意識で、痺れたように強張った体を無理矢理動かして――――短剣(ダガー)を躱した。

 まるで転んで倒れるような無様な動き。だが、無我夢中の中で私の体は起き上がるとともにすぐに体制を整え直していた。

 

 ゲーム時代に何度も何度も繰り返していた動作。

 転がり(ローリング)での回避から、起き上がって武器を構える。

 ここしばらくご無沙汰だったはずなのにも関わらず、端末から呼び出した自分の弓は恐ろしいほどにしっくりと手の中に馴染んだ。

 青い弧を描く愛弓(ウィンドウォーカー)に矢を番えて、眼前の男に向かって引き絞る。

 

「…………っ」

「ヒヒヒヒヒヒ……ッ!あの時(・・・)と同じかっ?」

 

 男が引きつった笑い声をあげる。

 『あの時』。――――そうだあの日、私がこいつと遭遇した時と同じ構図。

 攻撃を私が躱して弓を構え、奴は油断なく短剣(ダガー)を私に突き付けている。

 

 奇しくも、あの時と同じ状況だった。

 

 だが、

 

「だが、全部が全部同じってわけじゃあない……っ」

 

 あの時はヨアヒムがたまたま通りがかって、私を助けてくれた。

 今回も外から助けが来るまで待つという選択肢もあったかもしれない。

 だが、それはできなかった。山賊の男は最初からこの女子トイレでの犯行に時間をかけるわけにはいかないという考えだったからだ。

 

 故に――――男は私が弓を構えたと見るや、再度その刃で切りかかってきた。

 短剣(ダガー)が部屋の窓から入る明りを反射して、白い軌跡を宙に描く。

 

 だから私も躊躇している暇はなかった。

 狙いを外さないように細心の注意を払い――――弦から矢を解き放つ。

 

「っ!!」

 

 山賊の男が一瞬目を見開くが、矢は奴に届くことは無かった。

 矢が向かったのはその背後の壁であり―――矢が()()した瞬間、壁は轟音を立てて吹き飛んだのだった。

 『鎚矢(ハンマーアロー)』で矢の攻撃属性を刺突から打撃に変換。

 その上で『爆風矢(ブラストアロー)』によって吹き飛ばし効果を付与。

 これによって叩き割られた壁は粉塵と瓦礫を撒き散らしながら、外へと繋がる穴を開けた。

 

 そして、衝撃と破片に体を打ち付けられている山賊の男を尻目に――――私はその穴へと間髪入れずに飛びこんだ。

 待ちやがれ!!と背後で濁声が響く。私はそれを振り切るように店の外へと身を躍らせて全速力で路地裏を駆け出した。

 

「はぁっ、はぁ……っ!!」

 

 バクバクと心臓が激しく脈打っている。

 危機を脱しているはずではあっても、男の悪意が背後から刺さるようだ。

 それを振り切るように、風を切って走り出す。

 

 自分の足はこれほどにまで速く走れるのかと内心で感動しながら。

 

 

******

 

 

 カラカラカラ……、と壁の破片が落ちる音が響く喫茶店の女子トイレ。

 ほんの数秒の事ではあったが呆気に取られていた山賊は、やがて弾かれたように身を起こすと穿たれた穴から外へと出た。

 血走った目で左右を確認すれば、そこは幾つかの建物に挟まれた路地裏だった。

 

 余程の轟音が響いたのだろう。表の通りから何人かの人々が怪訝な顔で覗き込んでいる。

 見世物じゃねえぞ、と恫喝すれば野次馬はそそくさと立ち去っていくが――――こんな騒ぎになったからには街の衛兵がやってくるのも時間の問題だろう。

 周囲に目線を走らせて、標的の娘が既に逃げおおせたことに盛大な舌打ちをした男は早いところずらかろうとして――――

 

「……貴様、そこで何をやっている」

 

 彼の背後から声をかける人物がいた。

 その男は艶やかなワインレッドの髪を持つ貴族の男であり、片手には拳銃(ピストル)を模したデザインの短杖(ワンド)を携えている。

 その男は、ヨアヒム・クラートフ伯爵は端整な顔立ちに射抜くような鋭い眼で、目の前にいる短剣(ダガー)を握った男を睨みつけた。

 

 ――――より正確には、その刃の先端に滴る血の雫を。

 

「事と次第によっては……生きて帰れると思うなよ。山猿め」

 

 ヨアヒムは明確な怒りを載せて短銃杖(ピストルワンド)を突きつけた。

 杖の先端に魔力が走り、赤い火の球が魔法によって灯る。

 

「キッ、ヒヒッ」

 

 それを見た山賊の男は、喜色満面の凶笑をその顔に浮かべた。

 

 

******

 

 

 ――どこかで大きな音がした。

 まるで何かが弾けるような、あるいは爆ぜるような。

 

「…………?」

 

 思わずその場で振り返って背後に視線を向ける。

 私の今いる現在地は幾つか連なる建物の屋根の上だった。

 なので、単純に目を向けるだけでは一体何が起きているのかはよくわからなかった。

 

 ……気が付けば結構な距離を、ほんのわずかな時間で駆けたような気がする。

 しかも、いつの間にか壁や小さな段差を蹴るように昇って屋根の上にまで立っている始末。

 思えばこの世界が現実になってから、これほどの速度を出したのは初めてではなかっただろうか。

 ゲームだった頃は当たり前のようにやっていたことだったのに。

 

「……」

 

 改めて、自分の左手の中に握られている青い弓に視線を落とす。

 手袋の布越しに感じる把手(ハンドル)の感触は、何かの歯車が正確に噛み合っているように、極めて自然なものだった。

 まるでそうであることが最初から定められていたように。

 

 そして、スキルに関しても身体能力に関してもそうだった。

 私の体に最初から備わっていた機能であるかのように、ごく自然に私の矢は壁を叩き割り、私の足は風の様に駆けた。

 

 そう。この能力(ちから)は――――この世界がゲームだった頃から引き継いでいる、文字通り私の血肉だった。

 そんな当たり前のことを、私は忘れていた。

 

「……『千里眼(クレアヴォヤンス)』」

 

 気が付けば私はあれほど躊躇っていた感覚スキルを発動させていた。

 『鷹の目』などの視覚関連スキルの上位複合スキルである『千里眼(クレアヴォヤンス)』は、通常よりはるかに広い視野と望遠性を持ち、更にはある程度の透視能力まで備えている。

 

 発動した瞬間、視界が急速に広がり、鮮明化していく。

 世界が拡張されていくような奇妙な感覚。目に映る景色が何処までも大きくなっていき、自分が矮小化していくような錯覚に陥る。

 

 ――――だが、躊躇わない。

 元々は自分の体に備わっている技能(スキル)だ。

 自分の血肉であるそれを使いこなせないというのであれば、それはきっと自分の心の問題でしかないはずだ。

 

 だから、きっとできる。

 屋敷から外へと踏み出すのがあんなにも簡単だったように――――踏み込んでしまえば、先に行けるはずなのだ。

 

「……見つけた」

 

 やがて極彩色の巨大なレンズのような視界の中で、私は探していたものをようやく発見した。

 それに意識を集中した瞬間、私の視界は邪魔な壁や屋根さえも貫通して、その場所へと急速に焦点を合わせていった。

 

 視界に映っているのはヨアヒムだった。

 私が逃げ出した喫茶店に開けた壁の穴、そこに面した路地裏で立ち回りを演じている。

 相手はあの山賊の男だ。短剣(ダガー)を振り回し、義手代わりの鉄の棒で殴りかかり、男がヨアヒムに襲い掛かっている。

 

 無論、ヨアヒムもただやられるばかりではない。魔法にある程度の心得がある彼は、男の攻撃を躱しながら、短銃杖(ピストルワンド)で度々反撃に転じている。

 だが攻め切れていない。彼の得意な魔法は炎属性であり、あまり範囲が大きすぎるものや威力の在りすぎるものを使うと周囲の建物に延焼する可能性があるからだ。

 それに騒ぎを聞きつけた野次馬もいる。巻き添えを生まないようにヨアヒムはどうしても慎重にならざるをえないようだった。

 

「………………」

 

 その光景を遠方から俯瞰するように眺めていて、ふと気付いたことがある。

 

 ――――二人とも、あまり強くないのだ。

 

 本当は最初にあの二人に出会った時、気が付いていたことでもある。

 鑑定スキルである『射手の慧眼』、『狩人の眼力』を持って観察すれば、両者の能力がある程度わかる。

 二人の敏捷性や肉体の頑強性に急所の位置、それらの要素を勘案すれば()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 それでも。

 それでも――――私はあの山賊の男を倒せなかった。

 何故だろう?

 それは自分が()()を感じたからだ。

 初めて知る現実の血の臭いや、間近に叩きつけられる悪意に。

 

 では、今はどうだ?

 こうして遥か離れた場所から、相手の意識も武器も届かない場所から、あの男を俯瞰して――それでも怖いと自分は感じているか?

 

「…………っ」

 

 ふと、自分の頬にピリピリする感触を覚えた。

 痺れるようで熱いようなその感覚が気になって、手で頬に触れると――――にちゃり、とぬめったものに指が触れる。

 それは紛れもなく、血だった。山賊の男の振るった短剣(ダガー)で頬が切られ、そこから血が流れ出しているのだった。

 

 そこでようやく頬から走るそのピリピリした感覚が『痛み』だと気が付いた。

 それを自覚すると、頬が途端に灼けるように痛く感じ始めた。

 服の袖で拭うと、傷口から溢れた血の雫が顎下まで滴っているのがわかる。

 

 自分の手と袖から立ち上る血の臭い。

 鉄錆のようなそれを自覚した瞬間――――心臓が()()()、と大きく跳ねた。

 鼓動の大きさのあまり、肋骨が波打ったかのようだった。

 

「…………っ!!」

 

 胸の奥から、()()()()()()、と血と共にもっと熱い何かが全身に駆け巡っているような気がした。

 その中で頬の切り傷がジンジンと火が灯ったように熱い。

 体が熱すぎて、春の陽気が寒い。背筋に()()()、と震えが走る。

 

 正体不明のこの体の熱に浮かされるまま――――私は弓を構え、矢を番えた。

 何かを考えるような余裕も無く、またその必要もなかった。

 遠方からの狙撃なんて、この体に染みつくほどに何度も何度もやっていたことだった。 

 自分の視界の中に照準線(レティクル)があるような気がする。

 実際には存在しないのだが、それでも私の意識は極めて明瞭に、自分が狙うべき標的(ターゲット)を照準している。

 

 相当な遠方にあるはずのその光景。

 そこにまるで、手を伸ばせばこの指が届くようだった。

 

 

 

 いいや、届く。届くのだ。

 他ならぬ私の()は、確かにそこに届くのだ。

 

 

 

 紛れもない確信と共に――――、

 私は躊躇なく、それを撃ち抜いた。

 

 

******

 

 

「い、痛た……っ」

「悪いと思うが、じっとしていてくれ」

 

 ヨアヒムが水で濡らしたハンカチを私の頬に押し当てる。

 手つき自体は慎重かつ優しいものだが、どうしても傷口に触れられると痛みが走るし、水が滲みる。

 ベンチに座る私の前に膝をついたヨアヒムが使っているハンカチは赤い布地の物で、拭かれた血の色はその中に紛れて良く見えなかった。

 

「……痛いだろう。間に合わなくてすまなかった。もう少し早くオレが駆け付けられていたら……」

「あぁ、もういちいち謝らないでくださいよ……。さすがにトイレにまで付いてきたらヨアヒムこそ変態でしょう」

 

 苦み走った表情で目を伏せるヨアヒムだが、私はそんなに気にはしていなかった。

 流石に私に恨みのある人間が女子トイレに押しかけてきて襲ってくるなんていうのは想定外だ。

 そこまで考えてヨアヒムが付いてきたら絵面はどうしても変態である。通報ものだ。

 

 そして――――事件の主犯である、当の変態野郎は現在衛兵たちに連行されているところだった。

 

 私の撃った矢は、正確に奴の武器である短剣(ダガー)と義手を弾き飛ばして無力化した。

 どこからともなく飛んできた矢に呆気に取られていた隙に、ヨアヒムが直接あいつを殴り飛ばして気絶させ、駆け付けた衛兵に引き渡したのであった。

 『暴れん坊伯爵、白昼の大捕り物』……そんな感じの武勇伝が流布されてヨアヒムの街での株がまた上がるのだろうが、また別の話だ。

 

 そして今、こっそりと現場に戻ってきた私は目聡く彼によって発見されて介抱されているところだった。

 

「いいんですか?衛兵さんたちの事情聴取に協力しなくて」

「構わん。そんな事より君の方が大事だ」

「…………そうですか……」

 

 彼は真顔でそんなことを言ってくる。

 照れも衒いも無くそういうのを言われると少しドキッとする。

 

「…………少し、滲みるぞ」

「えぇ、一思いにやってください」

 

 そう言ってヨアヒムが指先に掬った軟膏を私の頬の傷口に塗り付ける。

 私のアイテムボックスに入っていた、斬撃系ダメージに対して高い回復効果を持つ回復薬の一種だった。ちなみにメリィの工房謹製のやつである。

 現実化した世界でどれほどの効果があるのかは不明だったが――――傷口に触れられるピリッとした痛みと微かな疼きの後に、急速に傷口が塞がっていくのが実感できた。

 ビバファンタジーである。

 

 ふぅ、となるべく小さく息を吐く。

 終わってみればあっけないものではあったが、まだ心臓がバクバクと音を立てているような気がする。

 今でも胸の奥から手足の先まで熱が駆け巡っているような感覚が残っている。

 

 突如として体の内側から湧きあがってきた()()が何なのかはよくわからない。

 それでもきっと、私の中で悪くない方向の変化があったのではないかという気がする。

 ……実際、今はもう体の何処も震えてはいないし、強張ってもいない。

 

 しかし、

 

「しかし、ですけど……」

「どうした」

「いつまで人の顔を触っているつもりですか?」

「あぁ。……つい、な」

 

 私がそう言ってジトっとした目線を向けるとヨアヒムはバツが悪そうな、或いははにかむような表情を見せた。

 悪戯を咎められた少年のような苦笑。それを消してから彼は、すっと目を細めて私を見詰めた。

 

 そして薬を塗り終わったはずの指を離すどころか、掌全体で私の頬を包むように、手を添える。

 彼の少し骨ばった大きくて男らしい掌と、その温度が私の顔の側面を優しく覆う。

 

「心配したんだ……。とても」

「大丈夫ですよ。すぐに治る程度の怪我でした。もう痕も残ってません」

「君を助けるどころか、助けられてしまったな」

「良いじゃないですか。友達でしょう」

「…………そうだな。ありがとう、リオ。君のお陰だ」

 

 友人だ、とそう言い含めるように言うと彼は真剣な目つきのまま、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。

 同じように私も笑ってやった。自分(リオ)の綻ぶような微笑が、目の前にあるヨアヒムの瞳の中に映っているのが良く見える。

 

「だから……そうだな、これはせめてものお礼だ」

「えっ……」

 

 彼の榛色の瞳を覗き込んでいた私はその言葉の意味を飲み込む間もなかった。

 だから咄嗟に対応が遅れた。何をされるのかわかっていたら――――どうにかしていたのかもしれないが、後の祭りだった。

 

 ヨアヒムが包み込むように頬に添えていたその手を少しずらして、私の顎を軽く横に向かせた。

 

 

 ――――そして頬の上でちゅっ、という軽い音と共に、暖かいものが頬に触れた。

 

 

「――こんなものしか返せないが、今はこれで勘弁してくれ」

「へっ……?」

 

 私が呆けている間に、ヨアヒムは手を放してその場で立ちあがった。

 離れていく彼の手の温度が寂しく――――――――じゃない!!

 い、今っ!!今、な、ななななななな、なにされたっ!?

 

「いっ、今っ、ちょっと、キ、キキキキキキキキ…………っ!!」

「キツツキ?」

「違うっ!!キ、キ、キ、キッ…………キスッ!!キスしたでしょうっ!!!!」

「したな」

「そんなあっさりとっ!!」

 

 私が勢いよくベンチから立ち上がると、ヨアヒムは何でもないような風に答えてくる。

 思わず口づけされた頬を押さえる。触れたその部分が驚くほど熱くなっている。

 頬どころか耳まで真っ赤になっているのが自分でもわかる。

 

 今の私は余程見物だったのだろうか。

 ヨアヒムは面白いものを見たような笑い顔で、こちらに一歩歩み寄り――――私の顎下に指を添えて、そっと上向かせた。

 

「せめてもの親愛の証だったんだが……なんなら唇の方がよかったか?リオ」

「よく、ない、ですっ!!」

 

 こっちのテンパり具合なんてお構いなしなその態度が、余計に自分が意識してしまっているという事実を突きつけてくる。

 そうだよな。ほっぺにチューくらい子供でもやってるよなー…………ってそう簡単に流せるような人間じゃないんだぞこっちは!!

 

「だ、大体好きでもない相手にそんなホイホイ誤解させるようなことをするのはやめておきましょうよ。いつか刺されますよっ」

「当たり前だろう。好きでもない相手にこんなことはしないさ」

「~~~~~~っ!!」

 

 そんなことを言うヨアヒムの目は極めて真剣だった。

 緑がかった鮮やかな茶色(ブラウン)の瞳が、正面から真っ直ぐに私の顔を捉えている。

 そして、その綺麗な瞳が、端正な顔が、私の視界一杯に広がって…………――――――、

 

「――――この辺にしておこう。リオにはまだ早そうだ」

「……………………………ば、バカぁッ!!この女たらしっ、スケコマシっ!!助平(スケベ)野郎っ!!女の敵っ!!」

「さて、遊んでばかりいないでそろそろ衛兵たちの事情聴取に付き合うか。リオもついてきてくれ。お前の矢も状況証拠として残っているからな」

「あっ、ちょっ…………!!」

 

 そんなこんなで、意味深なことをするだけして満足したのかヨアヒムは私の片手を掴んだまま揚々と衛兵たちの詰所の方角へと足を延ばした。

 彼に手を引かれたまま、私は悪態を吐きながらその後に続くのだった。

 

 私の手を握る彼の手を、ぎゅっと掴み返しながら。

 

 

 

 ――――――()()()()()()、と熱く甘く、疼くような、心臓の音に戸惑いながら。

 

 

 

 




『物理攻撃属性』
通常物理攻撃の属性分類。
大別して『打撃』、『斬撃』、『刺突』の三種類が存在する。矢は刺突属性に分類される。
一部のスキルは一時的に攻撃の属性を変更できる。例えば『鎚矢(ハンマーアロー)』は矢の属性を刺突から打撃へと変更する。

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