――走る。走る。走る
走る。ひた走る。只管に走る。
我武者羅に走る。夢中に走る。
地面を蹴って走り出せば、風景が背後へと吹き飛んでいくようだ。
空気の壁を破るように進む私の顔に、正面からぶつかる風は荒ぶほどの勢い。
私の髪がまるで吹き散らされるように風に靡いて、背後へと尾を引いていく。
弾丸のように、あるいは風のように走るその勢いに乗せて、一歩踏み込む。
踏み込んだ先にある小さな段差を踏み台に、塀ヘと駆け上り、さらにまた一歩で塀から屋根へと。
さらに屋根の上の瓦が作る小さな段差。それらも踏み台にしてさらに加速する、加速する。
たんっ、たんっ、たんっ、と革靴の底が立てる微かな音が私の耳に届く。
それがなんとも心地よかった。
――――そうだ。心地よいのだ。
不謹慎な話ではないかとも思う。アンネが攫われて、一刻も早く彼女を助けに行かなければいけない状況だというのに。
なのに――――今こうして風を感じながら走るのがこんなにも心地よいと私は感じている。
一歩踏み込めば風が吹き抜けていく。
二歩踏み出せば景色が流れて過ぎる。
三歩踏み抜けば更に身体が軽くなる。
なんという爽快感だろうか。
ただ走るのがこんなにも心躍るものだと初めて知った。
足を動かすほどに体に血が巡り、心臓が早くなる感覚がわかる。
体が躍動している、命が脈動している。その感覚がどこまでも鮮明になっていき、私の心を逸らせる。
広がる視界には茜色に染まる夕暮れの街が写っている。眩い夕日の光を受けて、石と木造りの家々が暖かな山吹色に包まれている。
鮮やかな街並みの至る所で、異常事態に右往左往している人々が見える。それはまるでひしめく蟻の群れのように小さく、取るに足りないもののようにも思えた。
眼下の街にざわめく人々の気配、それらを全て置き去りにするように走る。
気がつけば私は両腕を広げながら走っていた。
まるで正面から体にぶつかる大気と風を抱きしめるように。あるいは迎え入れるように。
総身で吹き抜ける風を感じながら私は尚も加速する。
「――――っ」
だが、いよいよ目に見えてきたものを認識して気を引き締める。
街と外との境界線である大きな塀が見えた。石と木造りの大きな壁が石の灰色を見せつけるように堂々とそびえている。
私は躊躇なく真近な建物の屋根を踏み切り、塀の上に足をかけた。
上に着地した勢いのまま、バネのように足首と膝の関節をたわめて衝撃を殺しつつ――――同じく、バネのように足で思いっきり自身の体を
僅かな滞空時間。飛び出した私の体が地面に落ちるまでの数秒かその程度の時間。
私の視界に広がっているのは梢を広げるいくつもの春の木々と、新緑の葉を茂らせるどこまでも広がる瑞々しい草原だった。
西から差し込む山吹色の夕日に照らされた青々とした草木、少しずつ東から帳を下ろし始めた夜の群青。
空と大地の間の宙空で、私は確かにそんな風景を目に焼き付けた。
――――あぁ、綺麗だな。
心の中でそう呟いてから、地面に降り立ち、再び走り出す。
目の前には枝葉の陰に闇が揺蕩う夕闇の森。
私は、躊躇なくそこへと踏み込んで行った。
******
同刻。
警報の半鐘が未だに響いている黄昏時の街は、人々を酷く不安にさせる喧騒に包まれていた。
警邏の衛兵が川に近い場所に近づかないように人々を押しとどめ、雇われた冒険者達は川に入り込んできた魔物への対処を行っていた。
この世界において、魔物とは人間に対して敵対的であるというのが通常であり常識である。
魚の一匹であっても魔物であるなら、水面から飛びあがって人に噛みつくくらいのことはするのである。
これからの街の安全を確かなものにするという意味でも、冒険者達は敢えて自らを釣り餌にするように川辺に陣取って魔物を狩り、仕留めていった。
そんな警戒態勢が敷かれている街中を一台の馬車が走り抜けていく。
いや、一台というわけではなかった。数名の衛兵が馬に跨ってその馬車を先導しているのである。
橋に差し掛かったところで、橋の通行止めに当たっていた衛兵がその一団の一時停止を促した。
橋の衛兵は馬車を先導していた者達と二言三言やりとりをしてから、彼らの通行を許可した。
許可が得られると、その時間も惜しかったと言わんばかりに一団は足早に馬を走らせて先へと進んでいった。
その途中、率いられていた馬車に乗るメイド服の女性だけが橋の衛兵たちに会釈を済ませていた。
ガラガラと石畳に車輪の音を立てて、一行が向かったのは冒険者組合の建物だった。
イルマートの街の目玉である林業に基づいた、地元の木材を多用した温かみと風格のあるデザインのある建築物である。
内部は冒険者達が団欒できる飲食店スペースと、一時の宿と出来る宿泊スペースを備えており活気に満ちているこの場所だが、現在は慌ただしく人が行き交う物々しい雰囲気に包まれていた。
その状況を確認して馬車から降り立ったのは黒髪を後頭部でひっ詰めたメイド服の女性――――伯爵家のメイド長であるテオドラだった。
彼女はいつものように熱を感じさせない瞳で、組合の建物に横付けされている別の馬車、つまりは目当ての人物が乗り付けた際に使用していたものを一瞥して、中へと踏み込んでいった。
組合の内部では人が慌ただしく行き来している。
その大半は主に伝令役の人々である。インターネット環境や電話回線などが存在していないこの世界では、こうした緊急事態にあっても情報を取りまとめるには人力に頼るしかないのである。
上流で破損した水門の修理状況とそこに流れ込みそうになっている魔物の発生状況、および派遣された人員の安否に関して。
市街地における市民の避難状況、通行止めになっている橋の確認。川辺における魔物の確認状況。市民の被害の有無。
そうした情報が次々と持ち込まれ、処理され、取りまとめられ、また新たな指示が全体に向けて下される。
つまりは此処がこの緊急対策本部として機能しているのである。
そのようにして人々がバタバタと行き交う建物の内部を足早に歩いていくのがテオドラである。
カツカツと革靴を鳴らし、エプロンドレスの裾を靡かせて歩むその姿は一見して優雅であるが、見る人が見れば彼女がかなり
いついかなる時でもメイド達の模範と言える姿勢を崩さない彼女にしてはこれは極めて異例の事であった。
伯爵家女中のメイド服を纏った女性ということである程度の事情を察したのであろうか、行き交う人々がそれとなく道を譲ることで彼女は目的地に比較的容易に到着することができた。
テオドラは丁重なノックと共に扉を開き、優雅に一礼した。
彼女が頭を下げた先にいた人物はその姿を認めた瞬間、驚きで目を丸くした。
何せ、彼は彼女がここに来るようなことなど想像だにしていなかったからである。
「どうしたテオドラ。お前には屋敷の方を任せていたはずだが」
冒険者組合の一室にいたのは、この街を含む一帯の領主であるヨアヒム・クラートフ伯爵その人であった。
彼の手元には幾つもの走り書きがかかれたメモが握られていた。現在街で起こっている事件に関しての現状での報告書である。
この街においてヨアヒムは責任ある立場であるが、こうした事態においての対処は専門家に任せるべきであるというのは彼とて重々承知している。
実際、事態において陣頭指揮を執っているのは冒険者組合に詰めている組合長や衛兵体の士官たちである。専門外の人間が横から無駄に口を挟めばかえって問題の解決の邪魔になる。
しかしそれでも、責任ある立場の人間が他人を矢面に立たせて安全な場所に引きこもっているのも体面が悪い。
つまり、「伯爵も事態収拾のために尽力している」というポーズをとるためにヨアヒムはこうしてここにいるのである。
たった今、挙げられてきた幾つかの報告に目を通し、対策や実働における指示を(形だけ)出していた彼は、突如現れた自分の屋敷のメイド長に面食らっていた。
彼女には自分が留守の間の屋敷を纏めておくようにと指示を出していたはずだからである。
だが驚いたのも束の間、彼は表情を引き締めて要件を問いただした。
自分に忠実なこのメイドが仕事を一時的にせよ放棄して(当然代役は誰かに任せて来たであろうが)まで足を運んできたのだ。相応の理由があると彼は察したのである。
「早急に伯爵様のお耳に入れなくてはならないことが」
「聞こう」
すっと影の様に歩み寄るテオドラは一見していつもと同じ態度に見えた。
だが、毎日彼女に接しているヨアヒムはその表情がごく僅かながら硬く、その口調が微かに早いことを見抜いていた。
このテオドラというメイドに『焦る』などという
「リオ様が行方不明です。そして、最後に姿がお見えになられた場所にこのようなものが」
「…………っ!?」
テオドラが差し出したのは、くしゃくしゃに丸められた羊皮紙の手紙とそれに包まれていた赤茶けた煉瓦色の数本の髪の毛である。
それに目を通した瞬間、ヨアヒムはかっと目を見開いた。
困惑と、そして同時にやってきた
その直観は雷鳴の様に彼の脳を揺らし、それを纏め上げるのに僅かの時を有した。
思わず叫び、怒鳴り散らさなかったのは奇跡的であると言えた。
それは当たり散らしても意味がないという理性の判断でもあり、人が見ている場所で醜態をさらすようなことはできないという貴族としての自制心であった。
「…………っ!!」
「伯爵様?」
彼は震える手で手紙をテオドラの手に持たせ、自分が先ほどから持っていた幾つかのメモを開いた。
その内容は現在街で起きている異変についての情報であり、その中に彼の仮説を裏付ける情報が一つあった。
「……『水門の破壊は、刃物による閂の切断』。………最近も別件で似たような報告があったな」
「もしや、」
微かに掠れた声でメモを読み上げたヨアヒムに、追随するようにテオドラが眉を顰める。
二人の脳裏に浮かんだのはつい最近の事件。
リオと伯爵を襲った山賊の男が獄中で何者かに殺害された一件である。
「山賊を殺害した人物と、今回水門を破壊した人物が同一である……ということでしょうか」
「おそらくは殺害ではなく粛清だ。犯人は最初からあの山賊が捕まる可能性を見越していたからこそ、すぐに拘置所で事を起こすことができた」
山賊の男が死んだのは彼が拘留されたその日の晩であった。
つまり、犯人は当日中ずっと山賊を監視しており、捕まった上で余計な情報を漏らさないように速やかに粛清したのであろう。
「……相手の狙いは最初からリオだった。そう考えればしっくりくる」
考えたくもない、口にしたくもない可能性であったが、それでも認めざる得ない推理であった。
だが、そう考えれば全て綺麗につじつまが揃うのだ。
ヨアヒムの表情は何処まで苦々しかった。
「今起きている事件は陽動だ。混乱に乗じてアンネを攫い、人質としてリオを呼びだした」
「しかし、リオ様が狙いだとしても……計画が雑ではないかと思われます。……私であればリオ様に対しての人質であればアンネではなく、メリィ様を選びます」
「……」
苦い表情を浮かべる主人に対し、テオドラはあくまで淡々と意見を述べた。
アンネはリオと特に関係の深いメイドであり、人質としては有効だ。
だが、そこまで彼女の交友関係を把握しているのであれば屋敷に普段詰めているアンネよりも、街で生活しているメリィの方がまだしも攫いやすいだろう。
何せ、今日アンネが外出していたのはたまたま彼女が買い出しの当番だったからである。
計画的犯行というにはどうにも行き当たりばったりと言うべきか……詰めの甘さが拭えない。
「お前の言うとおりだ。……おそらく相手は、リオが伯爵家の関係者であるということくらいしか情報は持っていなかったのではないか?」
山賊の男が拘置所で殺害されたのは拘留されたその日の晩だ。
故に犯人は最初から山賊の男を追けていたのだと想像できる。
そして、その時にリオとヨアヒムが共にいるところも確認しているはずだ。
さらに言うならこの手紙に書かれている呼び出しの場所や山賊の男を通した関係から、これがリオとヨアヒムの出会ったあの日から続いている因縁だというのが見て取れる。
相手があまり情報を持っていないなら、リオを伯爵家の関係者だと考え、人質として伯爵家の人間を使おうというのはありうる判断である。
「ですが、動機に関しては解りかねます。伯爵家に対する恨みでしょうか?――――だとすると、御身ではなくリオ様が狙われたのは、伯爵様に対する精神的な打撃を与えるためであると……」
「……いいや、もういい。これ以上の詮索は無用だろう。今は一時一秒が惜しい。……誰かいるか!!」
手に持っていたメモを机の上に投げ出すように放り、ヨアヒムは近くにいた組合の職員に声をかけた。
「緊急事態だ!!手の空いている冒険者で腕が立ち、近隣の森に関して詳しいものを連れてきてくれ!!」
「え、えぇっ!?し、しかし、閣下。現在こちらの最も階級の高い冒険者は水門の修繕に同行しておりまして……」
「ならば残っているものから選んでくれ!!速度が最優先だ!!」
ヨアヒムが大きく声を張り上げる。
声をかけられたものだけでなく、その声を聞いていた他の職員もただ事ではないと気付いたのだろう。組合の人員は俄かに慌ただしく動き始め、指定された人員を選び始めた。
そんな周りのざわめきをよそに、ヨアヒム自身も準備を始めた。
屋外用の外套を羽織り、自分の武器である
その様子を見て微かに眉を顰めたのはテオドラである。
「お言葉ですが、伯爵様。まさかご自身も行かれるおつもりですか」
「その通りだ」
「なりません。」
「駄目だ。行くと決めた」
「ですが、」
「お前は口を挟むな。
「……」
苦言を呈する自らのメイドに向けたヨアヒムの瞳は火を飲むかのような険しいそれだった。
そして、主人に口を挟むなと命令されたからにはテオドラの側からも言うべきことは無かった。
主人の身の安全を確保するのはメイドとしての基本的な務めだが、それよりも優先されるべきは主人から明言された指示の方であった。
彼女は相変わらずの冷ややかな黒曜石のような瞳で主人の瞳を見返した後、「差し出がましい真似をしました」と一礼した。
「……わかってはいるんだ。貴族としては明らかに無茶をしていると」
ヨアヒムは小さな声で呟いた。
頭を下げているテオドラに言っているのではない、さながら自分で自分に言い聞かせているような声だった。
「ただ、それでも約束を守れなければ……オレは貴族どころか男でさえなくなる」
当然、立場だけはある門外漢が現場に首を突っ込んでも碌なことにはならないと彼は良く知っている。
知っているからこそ現在の街の非常事態でも、現場指揮官のポーズをするだけにとどめていたのである。
この誘拐事件も本職の冒険者を派遣して、自らは待機するのが最も賢明な選択であるというのは解っていた。
だが、それでも彼は行くことを決めていた。
彼が思い出すのはかつての夜会、バルコニーで交わした約束だ。それを破るような真似は彼には決して看過できなかった。
これは単純な信用の問題ではなく、誇りの問題だ。
友が友を、男が女を『守る』と誓ったのであれば、それは絶対に果たされなければならない。
「…………」
夕暮れ時の日は徐々に傾き、刻一刻と夜が近づいていた。
******
「……何がしたいの。あなた達は」
「あァ?」
か細い、しかし明瞭な意志が込められた小さな声だった。
それを発したメイド服の小柄な女性――――小人族のアンネは目の前の男、否、
本当は彼女とて恐ろしい。
一方で彼女の周りを囲む男たちは皆一様に暴力の臭いを漂わせていた。
まるで値踏みするようにアンネをジロジロと無遠慮に眺めまわす、十人程もいる山賊たちの視線。
圧倒的な力と数の差があり……さらには念のためとして縄で後ろ手に縛られているアンネは、まな板の上の鯉よりも尚更に無防備であった。
それでも――――それでも、彼女はなけなしの勇気を振り絞って男達を睨みつけていた。
何故なら、連中は彼女にとって決して無視しえない女性の名を言ったからである。
「あたしを人質にして、リオちゃんを誘い出して……あなた達は何がしたいの」
「理由、理由ね……」
そう言葉を零したのは山賊たちの中心にいる男、それこそ蛇のような面構えを持つ異相の男――――男たちの頭目である『蛇面』のセルペーである。
街でアンネに声をかけて『リオ・オーガスタ』という
アンネがぐるりと、唯一自由である頭を巡らせれば、周囲は森の中だった。
彼女が背中を預けさせられている樹木はそれなりに大きいが、周囲は鬱蒼と木々が茂っているというわけではない。
程よく疎らで、森の中ではあるが見通しは悪くなく、動き回っても木々が邪魔をすることは無いだろう。
それはつまり、此処で立ち回りを演じることになっても不都合がないということでもある。
「かーっ!そりゃオメェ、おれたちゃ山賊だぜ!!娘っ子さらってきてよ、やることなんざ一つしかねぇだろうが!!なぁ、おい!?」
どう返答したものかと思案するように
取り巻きの男はぼうぼうに生えた不衛生な髭面をアンネに近づけて下卑た笑いを浮かべた。
その生理的嫌悪感を掻き立てる体臭と剥き出しの下劣な物言いに、アンネは縛られた身を捩って顔をそむけた。
「へへへっ、お、おれはなぁ、
「…………」
ギラギラした目で、舌なめずりしながらメイド服の小人を舐めまわす男は、それでも最後の理性的判断なのか僅かに視線を寄こして頭目の許可を求めた。
もしも許可が下りたなら男は躊躇なくここでアンネを犯すだろう。現に男は既にズボンに片手をかけていた。
その股座がガチガチにいきり立っているのが衣服の上からもわかってアンネは吐き気を催した。
「……おィ、誰かそこのバカにヤキ入れてやれ。死なない程度……いや、別に死んでも構わねェか」
「おかしらぁ!?」
「オラっ!!こっちこいテメェっ!!二度と勃たねぇ体にしてやるっ!!」
「脳までチンコか、この変態がっ!!女は売るなら処女の方が値が付くってさんざん言っただろうが!!」
「この前も売りもんに手ぇ付けて壊しやがって!!どんだけ損をこかせりゃ気が済むんだボケがっ!!」
だが、男がアンネに手を付けることは無く、代わりに他の山賊たちに引きずられて彼女の視界の外に消えていった。
アンネの目の届かないところから、肉が何かに潰されるような音と、屠殺される豚のような声が聞こえてきたが、彼女はそれを努めて無視した。
目の前に立っている頭目のセルぺーが彼女を上から見下ろしていたからだ。
蛇を思わせる酷薄な瞳が、無感動にアンネを捉える。
先ほどまでかろうじて威勢を保っていたアンネだが、その瞳に見据えられた途端、身を強張らせた。
さながら蛇に睨まれた蛙の様に。
「殺してェから、……じゃ駄目かねェ」
「えっ……?」
「理由だよ、理由。あのリオとかいうプレイヤーを殺す理由」
アンネは恐怖も忘れて、目を瞬かせながら聞き返した。
あまりにも男の言葉が簡潔すぎて、認識するのに時間を有した。
そして言葉を脳内で咀嚼してもなお、それを飲み込んで理解することは一層難しかった。
「まァ、細かく並べ立てていけば幾つか
沈黙しているアンネに対し、セルペーは指折り確認しながら説明する。
ただ、その表情はやはり何かを考えながらであり、さながら自分で自分の動機を想い返しながら供述をしているようであった。
「ついでに言うと、プレイヤーは
「だから、なんで殺したいのよ……。全然意味が解らない……」
「あァ……っ?」
セルペーの説明は説明になっていなかった。
殺した場合の
アンネに言われて確かにそうだと気付いたのか、セルペーはゴキゴキと自分の首の骨を捻りながら億劫そうに口を開いた。
「オレの部下が街でアイツにナイフと
「…………っ」
アンネは絶句した。
彼女の頬に一滴、冷えた汗が伝う。
殺せそうだと思ったから殺す。
殺したいと思ったから殺す。
殺し甲斐がありそうに見えたから殺す。
殺そうと思ったから殺す。
そんな単純で稚拙で、それでいて悍ましい……『殺す』という行為に根差した思考回路。
それはあまりにもアンネの理解の埒外にあった。
そこには彼女が想定していた人間らしい因果関係というものはまるで存在していなかった。
絶句しているアンネを男の眼が見下ろす。
それは蛇のような、あるいは蛇の魔物の様に禍々しい四白の眼だった。
「第一、人を殺すのに理由だの因縁だの動機だのと……そんな上等なモン持ちだしてどうするってんだァ……?オレが伯爵サマ絡みでなんか因縁があったら、テメェはオレがあのプレイヤーを殺すのに納得すんのか?そういうもんじゃあねェだろうがよォ……
人を殺すのに、『殺したいと思った』、以上の理由はいらねェと……オレは思うがねェ……」
「……っ」
言うだけ言って満足したのか、セルペーはブツブツと呟きながら明後日の方向を向いてしまった。
アンネは俯いて、ぐっと奥歯を噛み締める。
(来ないで、リオちゃん……)
心の中で彼女は祈った。
リオを待ち受けているこの山賊の頭目は明らかに狂人の類だった。
来ればリオはきっと殺されてしまう、とそう思うだけでアンネは総身が震えた。
自分はどうなっても構わないから来ないでくれ、と悲壮な祈りを捧げる彼女だが――――もうそれは遅かった。
「さァて、お早いお付きだな……。野郎どもォ!!遊んでねェでさっさと配置に付けェ!!」
「「「「「おうっ!!!!」」」」」
森の向こうに目を向けていたセルペーが部下たちに号令をかける。
すると山賊たちは
「おらっ、お前はこっちだ」
「くぅっ……!」
アンネもまた、構成員の一人に縛られた腕を引っ張られ、無理矢理に立たされた。
山賊の一人に引っ立てられるようにして、頭目であるセルペーの数歩後ろに当たる場所に立たせられる。
彼女は唇を噛んで、その童女の様に愛らしい顔立ちを歪めた。それは苦悶――――あるいはこれから繰り広げられるであろう光景に対する恐怖からか。
そんな背後の様子を知ってか知らずか、セルペーは腰に佩いた鞘から愛用の
まるで鈴を一息に断ち切ったかのような、聞くだけでその鋭さを理解させられる……心胆寒からしめる音がする。
「さァ、来い。そして気持ちよくオレにオマエを殺させろ」
セルペーの四白眼が、夕闇に染まりつつある森の奥を見透かすように細められる。
男の手の中で、茜色の日差しを受けてなお青白い刀身がギラリ、と光を反射した。